2016年8月14日日曜日

SMAP 12月31日で解散へ 事務所には残留 8月14日 1時19分

SMAP 12月31日で解散へ 事務所には残留
8月14日 1時19分
SMAP 12月31日で解散へ 事務所には残留

25年以上にわたってグループとして活動を続け、国民的な人気を集めてきた、アイドルグループのSMAPが、ことし12月いっぱいで解散すると、所属事務所が発表しました。
SMAPが所属するジャニーズ事務所は、14日未明、報道各社にファックスを流し、SMAPがことし12月31日をもって解散することを発表しました。
男性5人の人気アイドルグループ、SMAPの活動をめぐっては、ことし1月、一部のメンバーがジャニーズ事務所を辞めて独立を検討していることが明らかになりましたが、メンバーは民放の番組にそろって出演して、グループとしての活動を続ける意向を示していました。
発表によりますと、その後、事務所とメンバーはグループの活動についておよそ半年間、議論を重ねてきましたが、今月に入って、考える時間を持つためにしばらく休むことを事務所側が提案したところ、メンバーの数人から「休むより解散したい」という意見が出たということです。このため事務所は、この状況でのグループ活動は難しいと判断したということで、解散について「苦渋の選択だが、これまで一生懸命に走り続けた彼らの功績を尊重した」としています。
SMAPは昭和63年に結成され、平成3年にCDデビューして以降、「夜空ノムコウ」や「世界に一つだけの花」といったヒット曲を次々に出し、NHKの紅白歌合戦に通算で23回出場しています。また、親しみやすいキャラクターでテレビのバラエティー番組などに数多く出演し、メンバーそれぞれがドラマや映画などで俳優としても活躍しています。
ジャニーズ事務所によりますと、5人は解散後も事務所に残り、個人としての活動を続けるということです。
CDデビュー25年の節目だったが
SMAPにとって、ことしはCDデビューから25年という節目の年ですが、記念のイベントなどが開かれないまま、年末で解散することになりました。
SMAPの活動の行方に大きな注目が集まったのは、ことし1月。一部のメンバーがジャニーズ事務所を辞めて独立を検討していることが明らかになり、これを知った多くの人からグループの解散を心配する声が上がりました。1月18日、メンバー5人は急きょ、民放の番組に出演し、「自分たちは何があっても、ただ前を見て進みたい」などと話し、引き続きグループとして活動していくことを明らかにしていました。
しかし、5人そろっての活動は減り、事務所とメンバーとの話し合いの場でも意見の違いが見られるようになります。
発表によりますと、事務所側は、音楽番組への出演やコンサートの開催、それにCDデビュー25周年を記念したイベントの開催などを提案したということですが、メンバーの数人から「今の5人の状況ではグループ活動をすることは難しい」という意見が出て、7月には音楽の特別番組への出演を辞退することもあったということです。
そして今月に入り、「しばらく休む」という事務所の提案に対しても「休むよりも解散したい」という意見が出て、14日の発表に至りました。
ジャニーズ事務所は「25周年のコンサートやイベントを待ち望み応援してくださっているファンの皆様のご期待に応えることができず、本当に心苦しく、誠に申し訳ありません」としています。
街では解散惜しむ声
SMAPがことし12月いっぱいで解散すると発表されたことについて、JR渋谷駅前では惜しむ声が多く聞かれました。
27歳の男性は「小学校の音楽の教科書に歌が載るほど有名で、アイドルグループの中でも別格の存在だったので、信じられません。ドラマやバラエティー番組でも活躍し、どのメンバーも好きですが、5人そろってこそ魅力が大きかったので残念です」と話していました。
また、23歳の女性は「ことし1月に活動を継続することが伝えられ、安心していたので、すごくショックです。存在が大きすぎて実感が持てませんが、今後の個々の活動も変わらずに応援するファンがたくさんいると思うので、頑張ってほしいです」と話していました。http://www3.nhk.or.jp/news/html/20160814/k10010634951000.html


再生核研究所声明 273(2016.01.06): つくられた人間 ― 人間とは何だろうか; 人生とは何か
つくられた人間、考えてみれば、人間は気づいたら生まれていた。いつもお腹が空くから、空腹を満たしたい、できれば美味しく気持良いものを頂きたい。寒さも暑すぎるのも嫌で 快適な環境で過ごしたい。これらの気持ちは 多くの動物と同じように 誰でも懐く基本的な要求ではないだろうか。人生の意義は 感動することにある と人生の基本定理で述べた。 しかし、何故、どうして、感動するかと問えば、実はそれらは既に 定められていると言える。空腹を満たしたい、いい感動をしたい、年頃になると恋に目覚めて、注目されたり、思われたりしたい という情念がひとりでに 湧いてくる。これらのほとんどが、定められていて、われわれは多くはそのような情念に動かされて生きていると言える。すなわち、われわれの道は、生きる道は、実は定まっていて、その道を歩まされていると言える。人は何故生きているのかと問えば、多くの人は、 死にたくないから、上記のように生物の本能を満たしたいから、と答えるだろう。もし人間が、生きたくない、死にたいと 本当にそのように感じる心がつくられていれば、人間は生きず、当然、生存できず、人間は滅んでしまうだろう。だから、人間をつくったものは、人間を生かすような仕組みをわれわれに備えているのは当然である。
われわれがつくられた存在であることは 歴然である。誰ひとりとして、自分をつくったものはいなく、基本的なものは与えられ、定められている。われわれが自分で、自分の自由意思で決めた、判断したと言っても、それは良い気持ちや、感動するためなど、天賦のものに従うように働いていると言える。
人間が自由といっても、そのような意味で、われわれはつくられたものの意思に従っているだけの存在であるとも言える。そのような意味で、われわれば だだ生かされているだけの存在だとも言える。少し、哀しくもなるが、良く生きるとは、帰するところ、われわれをつくったものの意思に忠実に従って生きる、ということになる。そこで、われわれが如何につくられているかを よく知ること、そして、それに良く従って生きるのが 良いということになる。
例えば、空腹を満たしたいは、相当に基本的な要求であるから、見方を変えれば、われわれは胃の要求に縛られ、終生胃の要求を満たすように働かされているとも言える。
恋の要求、愛されたい、仲間を増やしたい、友人が欲しい、家族が欲しい、真理を追求したい、などなどみな人間の存在の仕組みに織り込まれていて、我々はそれらに支配されて働かせられていると言える。
人間が、自分が どのようにつくられているかを問うことは、なんじ自らを知れの核心ではないだろうか。人生如何に行くべきかについて、私はどのようにつくられているかと問うのは 良い方法ではないだろうか。この観点では 相当に客観的に科学的な解明を進めることができるのではないだろうか。地についた考え方であると考える。
ここには、人間如何に生きるべきかの原理ばかりではなく、人間が自分をつくったものから完全に解放され、完全な自由を得る原理さえ確かにある。

以 上

再生核研究所声明291(2016.03.07) 心の微妙さ 

人間とは何かと問い、少なくとも人間はなにものかによって作られたものであると述べ(
再生核研究所声明 273(2016.01.06): つくられた人間 ― 人間とは何だろうか; 人生とは何か)、再生核研究所声明289(2016.02.26) 終末の心得 の中で、それゆえに 人間は大きな 分からないものの懐の中で、大きな流れに流されるように生きていくほかはないと言える。頼れるものとは、あらゆる基礎とは、帰するところ、曖昧な自分の心であると表現するほかはない。
と述べた。作られたものとは 本能原理に基づいているのは確かであるが、心の中枢にある感動する心、志、使命感、神性,良心など本能、生命の発現は極めて微妙で深いので、心の動きの微妙さに軽く触れておきたい。深いものは、それこそ、芸術、文学、音楽、宗教、あらゆる文化活動の根源になるので、きりのない深い、神秘的なものであるからである。それこそ、本能原理に従う、人間以外の生物と人間の違いをなす、ところのものであると言える。
まず、祈りの心をあげたい。ここでの祈りとは 既成の宗教的な形式ではなく、心のそこから湧くところのものである。自覚するも しないでも その心は神の概念に通じていると考えられる。
次に分かりやすい、恋の微妙さ、深さ、神秘さに思いを致したい。恋の目覚めなど、神秘的で、発現はそれこそ多くの文芸、映画、ドラマ、音楽などの主題である。恋をして生きる喜びが湧くかと思いきや、失恋して、自殺に追い込まれることさえ、世に多い現象である。― 小説とは 男と女の物語であると表現したことがある。
族のために、命を掛けるは本能原理にあるが、家族のため、大義のため、国のため、名誉のため、主君のためになど、命を掛けてきたのは世に多く、現在でも少しも変わらないと言える。
志に生きて、殉ずる精神は、人間の本質に根ざしていると言える。帰依したいとは大きなもの、愛するものに命をかけたい心ではないだろうか? 志の中枢とも言える。消えるものが消えまいとする原理から出ているものと考えられる。
人間の大きな喜び、創造は、新しく考える、気づく、発見とともに、また真智への愛とともに人間存在の原理であるとさえ言える。その心は人間の神性から出ていると言える。
日本を始め、アジア地域に見られる、無常観、寂寥感、切なさ、哀しみ、などなどは固有な人間の深い想いとして、心の微妙さの最たるものではないだろうか。
生まれながらに、巨大素数の構造に興味があるなど、生まれながらの好みや天才、才能、個性なども極めて興味深い。言葉の学習過程についても同様である。
以 上

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