ついに捉えられた重力波
人類はついに重力波を観測した。アインシュタインの理論を裏付けるこの観測結果は、ニュースでも大きく取り上げられた。重力波は日常生活では実感できないが、非常に大きな質量によって時空が伸びたり縮んだりした「ゆがみ」が波となって伝わったものだ。重力波はどのようにして捉えられたのだろうか。
Gravitational waves: A three minute guide
It's almost exactly a century since Einstein first predicted the existence of gravitational waves. In this Nature Video we find out what they are, and how scientists are searching for them, in an attempt to prove Einstein right.
その他の Nature Video
重力波とは何か?
すべてはアインシュタインが一般相対性理論を発表した1915年までさかのぼる。アインシュタインは、時間と空間は互いに関連したものであると考え、「時空」という言葉で表した。さらに、質量をもった物質は時空の構造をゆがませると考えた。もし、その質量が十分に大きければ、そのゆがみはほかの物体を引きつける力、つまり重力の原因となる可能性がある。アインシュタインは、時空が伸びたり縮んだりして生じたゆがみが波となって宇宙を伝わっていくだろう、とも考えた。これが重力波と呼ばれるものである。
たとえばブラックホールのような非常に大きな質量の物体が宇宙で近づけば、2つの物体は互いの周囲を回り、周辺の時空をゆがめながら、やがて合体して1つのブラックホールになると考えられる。ブラックホールが互いに周囲を回っている間、時空のゆがみは時間とともに変化する。この変動は空間を伸ばしたり縮めたりしながら、池の波紋のように物体から周囲へと重力波として伝わっていく。しかも重力波はすべてのものを貫通し、弱まることなく遠くまで伝わると予測されている。
ところが、重力波による影響はあまりにも小さく、今回発見された時空のゆがみは地球と太陽の距離がわずか水素原子1個分だけ伸縮したことに相当する。これほどわずかな時空のゆがみを検出することは不可能だと考えられていた。
重力波を探す
しかし、研究者は諦めることなく、重力波を検出するための装置を考え出した。その一つが LIGO(レーザー干渉計重力波観測所)※だ。重力波によって引き起こされる時空のゆがみを「光は波である」という性質を使って直接的に計測する。原理的には単純な仕組みだ。
一辺が4キロメートルのL字型の巨大な重力波観測装置が、アメリカの西側(ワシントン州)と東側(ルイジアナ州)に建設された。この2基の観測装置がLIGOだ。観測装置は環境の影響やノイズによる「重力波ではない」結果を検出してしまう可能性があるが、2基の観測装置で検出した結果であれば、本物の重力波である可能性が高くなる。
映像で示されるように、LIGOの内部でレーザー光線は直角をなす2つの方向に分けられる。レーザー光線は長い真空管を正確に同じ距離だけ進み、鏡で反射される。戻ってきた2つのレーザー光線が同じ距離だけ進んだのであれば、光の波は揃っている。この場合、波の山と谷が重なり合って打ち消しあい、光検出器でレーザー光線が検出されることはない。一方、もし重力波がLIGOを通過してほんのわずかに時空をゆがめれば、それぞれのレーザー光線の進む距離が変わり、光の波が揃わなくなる。すると互いに打ち消しあうことができずに、光検出器でその変化を検出することができる。
アインシュタインは正しかったか?
2015年9月14日にLIGOが捉えた重力波は、質量が太陽の36倍と29倍という大質量のブラックホールの合体によって、わずか数億年前に形成された重力波を観測したものだ。アインシュタイン自身は、「重力波による効果はあまりにも小さく、私たち人類は重力波を検出できないだろう」と考えていたが、現代物理学の発展がついに重力波をとらえた。
アインシュタインが一般相対性理論から重力波の存在を予想してから、ちょうど1世紀。重力波観測所はLIGOのほかにも、イタリアのVIRGOや日本のKAGRAなどがある。今後これらの観測所がネットワークとなれば、重力波の発生源を正確に推定することができるようになる。私たちは今、アインシュタインの理論が正しかったのかどうかの検証を行っているのだ。
※LIGO(「ライゴ」と発音される): Laser Interferometer Gravitational-Wave Observatory で、アメリカに建設されたレーザー干渉計重力波観測所。
Nature ダイジェスト で詳しく読む!
重力波を初めて直接検出
Nature ダイジェスト Vol. 13 No. 4 | doi : 10.1038/ndigest.2016.160402
学生との議論
天体までの距離を計測するには?
Lisa-Blue/E+/Getty
多くの学生は、天体までの距離を計測する方法に関心があるようだ。天体までの距離を計測するにはいくつかの方法がある。本文で述べた重力波の発生源の推定は、三角測量の原理で距離を計測するものだ。
三角測量とは、ある物体を2か所から観測し、その見かけの方向の違いから物体までの距離を求める方法だ。このようにして2か所から見たときの角度の差を視差といい、私たちの目はこの視差を使って物体までの距離を認識している。
地球の公転軌道の直径は約3億キロメートル。半年前と現在とで同じ天体を観測すれば、約3億キロメートル移動して観測することになる。半年前に観測した方向と現在観測した方向にはわずかなずれが生じ、ずれの角度を「年周視差」と呼ぶ。この年周視差が1秒となる距離を1パーセク(pc)といい、天文学でよく使われる。多くの人になじみのある単位に、光が1年間に進む距離を1光年(ly)としたものがあるが、この単位を使えば1pc は 3.26lyである。
LIGO(アメリカ)、VIRGO(イタリア)、それにKAGRA(日本)のそれぞれの重力波観測所で同じ天体から発生した重力波を捉えることができれば、三角測量の原理で天体までの距離を明らかにできるのだ。
学生からのコメント
山田 育弥
すでに2回目の重力波が観測されたことも伝えられたが、最初の発見を伝える動画とこの解説記事で、重力波発見のニュースがどれほど価値あるものだったかを伝えられたと思う。新事実を伝える感動を共感できる時代に生きているということが率直に嬉しい。(山田 育弥)
清水 宏紀
小学生の頃、時空のゆがみを利用して瞬間移動ができるかもしれない、という話を読んだ。不可能であることは分かっているつもりでも、やはりこのような話にはロマンを感じる。天才アインシュタインが「検出はできないだろう」と考えていた重力波を検出できるようになった科学技術の向上にも驚かされた。(清水 宏紀)
クリエイティブ・コモンズ・ライセンスhttp://www.natureasia.com/ja-jp/ndigest/video/contents/3
再生核研究所声明 277(2016.01.26):アインシュタインの数学不信 ― 数学の欠陥
(山田正人さん:散歩しながら、情念が湧きました:2016.1.17.10時ころ 散歩中)
西暦628年インドでゼロが記録され、四則演算が考えられて、1300年余、ようやく四則演算の法則が確立された。ゼロで割れば、何時でもゼロになるという美しい関係が発見された。ゼロでは割れない、ゼロで割ることを考えてはいけないは 1000年を超える世界史の常識であり、天才オイラーは それは、1/0は無限であるとの論文を書き、無限遠点は 複素解析学における100年を超える定説、確立した学問である。割り算を掛け算の逆と考えれば、ゼロ除算が不可能であることは 数学的に簡単に証明されてしまう。
しかしながら、ニュートンの万有引力の法則,アインシュタインの特殊相対性理論にゼロ除算は公式に現れていて、このような数学の常識が、物理的に解釈できないジレンマを深く内蔵してきた。そればかりではなく、アリストテレスの世界観、ゼロの概念、無とか、真空の概念での不可思議さゆえに2000年を超えて、議論され、そのため、ゼロ除算は 神秘的な話題 を提供させてきた。実際、ゼロ除算の歴史は ニュートンやアインシュタインを悩ましてきたと考えられる。
ニュートンの万有引力の法則においては 2つの質点が重なった場合の扱いであるが、アインシュタインの特殊相対性理論においては ローレンツ因子 にゼロになる項があるからである。
特にこの点では、深刻な矛盾、問題を抱えていた。
特殊相対性理論では、光速の速さで運動しているものの質量はゼロであるが、光速に近い速さで運動するものの質量(エネルギー)が無限に発散しているのに、ニュートリノ素粒子などが、光速に極めて近い速度で運動しているにも拘わらず 小さな質量、エネルギーを有しているという矛盾である。
そこで、この矛盾、ゼロ除算の解釈による矛盾に アインシュタインが深刻に悩んだものと思考される。実際 アインシュタインは 数学不信を公然と 述べている:
What does Einstein mean when he says, "I don't believe in math"?
https://www.quora.com/What-does-Einstein-mean-when-he-says-I-dont-believe-in-math
アインシュタインの数学不信の主因は アインシュタインが 難解で抽象的な数学の理論に嫌気が差したものの ゼロ除算の間違った数学のためである と考えられる。(次のような記事が見られるが、アインシュタインが 逆に間違いをおかしたのかは 大いに気になる:Sunday, 20 May 2012
Einstein's Only Mistake: Division by Zero)
簡単なゼロ除算について 1300年を超える過ちは、数学界の歴史的な汚点であり、物理学や世界の文化の発展を遅らせ、それで、人類は 猿以下の争いを未だに続けていると考えられる。
数学界は この汚名を速やかに晴らして、数学の欠陥部分を修正、補充すべきである。 そして、今こそ、アインシュタインの数学不信を晴らすべきときである。数学とは本来、完全に美しく、永遠不滅の、絶対的な存在である。― 実際、数学の論理の本質は 人類が存在して以来 どんな変化も認められない。数学は宇宙の運動のように人間を離れた存在である。
再生核研究所声明で述べてきたように、ゼロ除算は、数学、物理学ばかりではなく、広く人生観、世界観、空間論を大きく変え、人類の夜明けを切り拓く指導原理になるものと思考される。
以 上
Impact of ‘Division by Zero’ in Einstein’s Static Universe and Newton’s Equations in Classical Mechanics. Ajay Sharma physicsajay@yahoo.com Community Science Centre. Post Box 107 Directorate of Education Shimla 171001 India
Key Words Aristotle, Universe, Einstein, Newton http://gsjournal.net/Science-Journals/Research%20Papers-Relativity%20Theory/Download/2084
再生核研究所声明 278(2016.01.27): 面白いゼロ除算の混乱と話題
Googleサイトなどを参照すると ゼロ除算の話題は 膨大であり、世にも珍しい現象と言える(division by zero: 約298 000 000結果(0.51秒)
検索結果
ゼロ除算 - ウィキペディア、フリー百科事典
https://en.wikipedia.org/wiki/ Division_by_zero
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数学では、ゼロ除算は、除数(分母)がゼロである部門です。このような部門が正式に配当である/ 0をエスプレッソすることができます(2016.1.19.13:45)).
問題の由来は、西暦628年インドでゼロが記録され、四則演算が考えられて、1300年余、ゼロでは割れない、ゼロで割ることを考えてはいけないは 1000年を超える世界史の常識であり、天才オイラーは それは、1/0は無限であるとの論文を書き、無限遠点は 複素解析学における100年を超える定説、確立した学問である。割り算を掛け算の逆と考えれば、ゼロ除算が不可能であることは 数学的に簡単に証明されてしまう。しかしながら、アリストテレスの世界観、ゼロの概念、無とか、真空の概念での不可思議さゆえに2000年を超えて、議論され、そのため、ゼロ除算は 神秘的な話題 を提供させてきた。
確定した数学に対していろいろな存念が湧き、話題が絶えないことは 誠に奇妙なことと考えられる。ゼロ除算には 何か問題があるのだろうか。
先ず、多くの人の素朴な疑問は、加減乗除において、ただひとつの例外、ゼロで割ってはいけないが、奇妙に見えることではないだろうか。例外に気を惹くは 何でもそうであると言える。しかしながら、より広範に湧く疑問は、物理の基本法則である、ニュートンの万有引力の法則,アインシュタインの特殊相対性理論に ゼロ除算が公式に現れていて、このような数学の常識が、物理的に解釈できないジレンマを深く内蔵してきた。実際、ゼロ除算の歴史は ニュートンやアインシュタインを悩ましてきたと考えられる。
ニュートンの万有引力の法則においては 2つの質点が重なった場合の扱いであるが、アインシュタインの特殊相対性理論においては ローレンツ因子 にゼロになる項があるからである。
特にこの点では、深刻な矛盾、問題を抱えていた。
特殊相対性理論では、光速の速さで運動しているものの質量はゼロであるが、光速に近い速さで運動するものの質量(エネルギー)が無限に発散しているのに、ニュートリノ素粒子などが、光速に極めて近い速度で運動しているにも拘わらず 小さな質量、エネルギーを有しているという矛盾である。それゆえにブラックホール等の議論とともに話題を賑わしてきている。最近でも特殊相対性理論とゼロ除算、計算機科学や論理の観点でゼロ除算が学術的に議論されている。次のような極めて重要な言葉が残されている:
George Gamow (1904-1968) Russian-born American nuclear physicist and cosmologist remarked that "it is well known to students of high school algebra" that division by zero is not valid; and Einstein admitted it as the biggest blunder of his life [1]:
1. Gamow, G., My World Line (Viking, New York). p 44, 1970
スマートフォン等で、具体的な数字をゼロで割れば、答えがまちまち、いろいろなジョーク入りの答えが出てくるのも興味深い。しかし、計算機がゼロ除算にあって、実際的な障害が起きた:
ヨークタウン (ミサイル巡洋艦)ヨークタウン(USS Yorktown, DDG-48/CG-48)は、アメリカ海軍のミサイル巡洋艦。タイコンデロガ級ミサイル巡洋艦の2番艦。艦名はアメリカ独立戦争のヨークタウンの戦いにちなみ、その名を持つ艦としては5隻目。
艦歴[編集]
1997年9月21日バージニア州ケープ・チャールズ沿岸を航行中に、乗組員がデータベースフィールドに0を入力したために艦に搭載されていたRemote Data Base Managerでゼロ除算エラーが発生し、ネットワーク上の全てのマシンのダウンを引き起こし2時間30分にわたって航行不能に陥った。 これは搭載されていたWindows NT 4.0そのものではなくアプリケーションによって引き起こされたものだったが、オペレーティングシステムの選択への批判が続いた。[1]
2004年12月3日に退役した。
出典・脚注[編集]
1. ^ Slabodkin, Gregory (1998年7月13日). “Software glitches leave Navy Smart Ship dead in the water”. Government Computer News. 2009年6月18日閲覧。
これはゼロ除算が不可能であるから、計算機がゼロ除算にあうと、ゼロ除算の誤差動で重大な事故につながりかねないことを実証している。それでゼロ除算回避の数学を考えている研究者もいる。論理や計算機構造を追求して、代数構造を検討したり、新しい数を導入して、新しい数体系を提案している。
確立している数学について話題が尽きないのは、思えば、ゼロ除算について、何か本質的な問題があるのだろうかと考えられる。 火のないところに煙は立たないという諺がある。 ゼロ除算は不可能であると 考えるか、無限遠点の概念、無限か と考えるのが 数百年間を超える数学の定説であると言える。
ところがその定説が、 思いがけない形で、完全に覆り、ゼロ除算は何時でも可能で、ゼロで割れば何時でもゼロになるという美しい結果が 2014.2.2 発見された。 結果は3篇の論文に既に出版され、日本数会でも発表され、大きな2つの国際会議でも報告されている。 ゼロ除算の詳しい解説も次で行っている:
○ 堪らなく楽しい数学-ゼロで割ることを考える(18)
数学基礎学力研究会のホームページ
URLは
http://www.mirun.sctv.jp/~suugaku
また、再生核研究所声明の中でもいろいろ解説している。
以 上
再生核研究所声明312(2016.07.14) ゼロ除算による 平成の数学改革を提案する
アリストテレス以来、あるいは西暦628年インドにおけるゼロの記録と、算術の確立以来、またアインシュタインの人生最大の懸案の問題とされてきた、ゼロで割る問題 ゼロ除算は、本質的に新しい局面を迎え、数学における基礎的な部分の欠落が明瞭になってきた。ここ70年を越えても教科書や学術書における数学の基礎的な部分の変更は かつて無かった事である。
そこで、最近の成果を基に現状における学術書、教科書の変更すべき大勢を外観して置きたい。特に、大学学部までの初等数学において、日本人の寄与は皆無であると言えるから、日本人が数学の基礎に貢献できる稀なる好機にもなるので、数学者、教育者など関係者の注意を換気したい。― この文脈では稀なる日本人数学者 関孝和の業績が世界の数学に活かせなかったことは 誠に残念に思われる。
先ず、数学の基礎である四則演算において ゼロでは割れない との世の定説を改め、自然に拡張された分数、割り算で、いつでも四則演算は例外なく、可能であるとする。山田体の導入。その際、小学生から割り算や分数の定義を除算の意味で 繰り返し減法(道脇方式)で定義し、ゼロ除算は自明であるとし 計算機が割り算を行うような算法で 計算方法も指導する。― この方法は割り算の簡明な算法として児童に歓迎されるだろう。
反比例の法則や関数y=1/xの出現の際には、その原点での値はゼロであると 定義する。その広範な応用は 学習過程の進展に従って どんどん触れて行くこととする。
いわゆるユークリッド幾何学の学習においては、立体射影の概念に早期に触れ、ゼロ除算が拓いた新しい空間像を指導する。無限、無限の彼方の概念、平行線の概念、勾配の概念を変える必要がある。どのように、如何に、カリキュラムに取り組むかは、もちろん、慎重な検討が必要で、数学界、教育界などの関係者による国家的取り組み、協議が必要である。重要項目は、直角座標系で y軸の勾配はゼロであること。真無限における破壊現象、接線などの新しい性質、解析幾何学との美しい関係と調和。すべての直線が原点を代数的に通り、平行な2直線は原点で代数的に交わっていること。行列式と破壊現象の美しい関係など。
大学レベルになれば、微積分、線形代数、微分方程式、複素解析をゼロ除算の成果で修正、補充して行く。複素解析学におけるローラン展開の学習以前でも形式的なローラン展開(負べき項を含む展開)の中心の値をゼロ除算で定義し、広範な応用を展開する。特に微分係数が正や負の無限大の時、微分係数をゼロと修正することによって、微分法の多くの公式や定理の表現が簡素化され、教科書の結構な記述の変更が要求される。媒介変数を含む多くの関数族は、ゼロ除算 算法で統一的な視点が与えられる。多くの公式の記述が簡単になり、修正される。
複素解析学においては 無限遠点はゼロで表現されると、コペルニクス的変更(無限とされていたのが実はゼロだった)を行い、極の概念を次のように変更する。極、特異点の定義は そのままであるが、それらの点の近傍で、限りなく無限の値に近づく値を位数まで込めて取るが、特異点では、ゼロ除算に言う、有限確定値をとるとする。その有限確定値のいろいろ幾何学な意味を学ぶ。古典的な鏡像の定説;原点の 原点を中心とする円の鏡像は無限遠点であるは、誤りであり、修正し、ゼロであると いろいろな根拠によって説明する。これら、無限遠点の考えの修正は、ユークリッド以来、我々の空間に対する認識の世界史上に置ける大きな変更であり、数学を越えた世界観の変更を意味している。― この文脈では天動説が地動説に変わった歴史上の事件が想起される。
ゼロ除算は 物理学を始め、広く自然科学や計算機科学への大きな影響が期待される。しかしながら、ゼロ除算の研究成果を教科書、学術書に遅滞なく取り入れていくことは、真智への愛、真理の追究の表現であり、四則演算が自由にできないとなれば、人類の名誉にも関わることである。ゼロ除算の発見は 日本の世界に置ける顕著な貢献として世界史に記録されるだろう。研究と活用の推進を 大きな夢を懐きながら 要請したい。
以 上
追記:
(2016) Matrices and Division by Zero z/0 = 0. Advances in Linear Algebra & Matrix Theory, 6, 51-58.
http://www.scirp.org/journal/alamt http://dx.doi.org/10.4236/alamt.2016.62007
http://www.ijapm.org/show-63-504-1.html
http://www.diogenes.bg/ijam/contents/2014-27-2/9/9.pdf DOI:10.12732/ijam.v27i2.9.
再生核研究所声明314(2016.08.08) 世界観を大きく変えた、ニュートンとダーウィンについて
今朝2016年8月6日,散歩中 目が眩むような大きな構想が閃いたのであるが、流石に直接表現とはいかず、先ずは世界史上の大きな事件を回想して、準備したい。紀元前の大きな事件についても触れたいが当分 保留したい。
そもそも、ニュートン、ダーウィンの時代とは 中世の名残を多く残し、宗教の存在は世界観そのものの基礎に有ったと言える。それで、アリストテレスの世界観や聖書に反して 天動説に対して地動説を唱えるには それこそ命を掛けなければ主張できないような時代背景が 存在していた。
そのような時に世の運動、地上も、天空も、万有を支配する法則が存在するとの考えは それこそ、世界観の大きな変更であり、人類に与えた影響は計り知れない。進化論 人類も動物や生物の進化によるものであるとの考えは、 人間そのものの考え方、捉え方の基本的な変更であり、運動法則とともに科学的な思考、捉え方が世界観を根本的に変えてきたと考えられる。勿論、自然科学などの基礎として果たしている役割の大きさを考えると、驚嘆すべきことである。
人生とは何か、人間とは何か、― 世の中には秩序と法則があり、人間は作られた存在で
その上に 存在している。如何に行くべきか、在るべきかの基本は その法則と作られた存在の元、原理を探し、それに従わざるを得ないとなるだろう。しかしながら、狭く捉えて 唯物史観などの思想も生んだが、それらは、心の問題、生命の神秘的な面を過小評価しておかしな世相も一時は蔓延ったが、自然消滅に向かっているように見える。
自然科学も生物学も目も眩むほどに発展してきている。しかしながら、人類未だ成長していないように感じられるのは、止むことのない抗争、紛争、戦争、医学などの驚異的な発展にも関わらず、人間存在についての掘り下げた発展と進化はどれほどかと考えさせられ、昔の人の方が余程人間らしい人間だったと思われることは 多いのではないだろうか。
上記二人の巨人の役割を、自然科学の基礎に大きな影響を与えた人と捉えれば、我々は一段と深く、巨人の拓いた世界を深めるべきではないだろうか。社会科学や人文社会、人生観や世界観にさらに深い影響を与えると、与えられると考える。
ニュートンの作用、反作用の運動法則などは、人間社会でも、人間の精神、心の世界でも成り立つ原理であり、公正の原則の基礎(再生核研究所声明 1 (2007/1/27): 美しい社会はどうしたら、できるか、美しい社会とは)にもなる。 自国の安全を願って軍備を強化すれば相手国がより、軍備を強化するのは道理、法則のようなものである。慣性の法則、急には何事でも変えられない、移行処置や時間的な猶予が必要なのも法則のようなものである。力の法則 変化には情熱、エネルギー,力が必要であり、変化は人間の本質的な要求である。それらはみな、社会や心の世界でも成り立つ原理であり、掘り下げて学ぶべきことが多い。ダーウィンの進化論については、人間はどのように作られ、どのような進化を目指しているのかと追求すべきであり、人間とは何者かと絶えず問うて行くべきである。根本を見失い、個別の結果の追求に明け暮れているのが、現在における科学の現状と言えるのではないだろうか。単に盲目的に夢中で進んでいる蟻の大群のような生態である。広い視点で見れば、経済の成長、成長と叫んでいるが、地球規模で生態系を環境の面から見れば、癌細胞の増殖のような様ではないだろうか。人間の心の喪失、哲学的精神の欠落している時代であると言える。
以 上
再生核研究所声明315(2016.08.08) 世界観を大きく変えた、ユークリッドと幾何学
今朝2016年8月6日,散歩中 目が眩むような大きな構想が閃いたのであるが、流石に直接表現とはいかず、先ずは世界史上の大きな事件を回想して、準備したい。紀元前の大きな事件についても触れたいが当分 保留したい。
ニュートン、ダーウィンの大きな影響を纏めたので(声明314)今回はユークリッド幾何学の影響について触れたい。
ユークリッド幾何学の建設について、ユークリッド自身(アレクサンドリアのエウクレイデス(古代ギリシャ語: Εὐκλείδης, Eukleídēs、ラテン語: Euclīdēs、英語: Euclid(ユークリッド)、紀元前3世紀? - )は、古代ギリシアの数学者、天文学者とされる。数学史上最も重要な著作の1つ『原論』(ユークリッド原論)の著者であり、「幾何学の父」と称される。プトレマイオス1世治世下(紀元前323年-283年)のアレクサンドリアで活動した。)が絶対的な幾何学の建設に努力した様は、『新しい幾何学の発見―ガウス ボヤイ ロバチェフスキー』リワノワ 著松野武 訳1961 東京図書 に見事に描かれており、ここでの考えはその著書に負うところが大きい。
ユークリッドは絶対的な幾何学を建設するためには、絶対的に正しい基礎、公準、公理に基づき、厳格な論理によって如何なる隙や曖昧さを残さず、打ち立てられなければならないとして、来る日も来る日も、アレクサンドリアの海岸を散歩しながら ユークリッド幾何学を建設した(『原論』は19世紀末から20世紀初頭まで数学(特に幾何学)の教科書として使われ続けた[1][2][3]。線の定義について、「線は幅のない長さである」、「線の端は点である」など述べられている。基本的にその中で今日ユークリッド幾何学と呼ばれている体系が少数の公理系から構築されている。エウクレイデスは他に光学、透視図法、円錐曲線論、球面天文学、誤謬推理論、図形分割論、天秤などについても著述を残したとされている。)。
ユークリッド幾何学、原論は2000年以上も越えて多くの人に学ばれ、あらゆる論理的な学術書の記述の模範、範として、現在でもその精神は少しも変わっていない、人類の超古典である。― 少し、厳密に述べると、ユークリッド幾何学の基礎、いわゆる第5公準、いわゆる平行線の公理は徹底的に検討され、2000年を経て公理系の考えについての考えは改められ― 公理系とは絶対的な真理という概念ではなく、矛盾のない仮定系である ― 、非ユークリッド幾何学が出現した。論理的な厳密性も徹底的に検討がなされ、ヒルベルトによってユークリッド幾何学は再構成されることになった。非ユークリッド幾何学の出現過程についても上記の著書に詳しい。
しかしながら、ユークリッド幾何学の実態は少しも変わらず、世に絶対的なものがあるとすれば、それは数学くらいではないだろうかと人類は考えているのではないだろうか。
数学の不可思議さに想いを致したい(しかしながら、数学について、そもそも数学とは何だろうかと問い、ユニバースと数学の関係に思いを致すのは大事ではないだろうか。この本質論については幸運にも相当に力を入れて書いたものがある:
No.81, May 2012(pdf 432kb)
19/03/2012
ここでは、数学とは何かについて考えながら、数学と人間に絡む問題などについて、幅.広く面白く触れたい。
)。
― 数学は公理系によって定まり、そこから、論理的に導かれる関係の全体が一つの数学の様 にみえる。いま予想されている関係は、そもそも人間には無関係に確定しているようにみえる。その数学の全体はすべて人間には無関係に存在して、確定しているようにみえる。すなわち、われわれが捉えた数学は、人間の要求や好みで発見された部分で、その全貌は分か らない。抽象的な関係の世界、それはものにも、時間にも、エネルギーにも無関係で、存在 している。それではどうして、存在して、数学は美しいと感動させるのであろうか。現代物理学は宇宙全体の存在した時を述べているが、それでは数学はどうして存在しているのであろうか。宇宙と数学は何か関係が有るのだろうか。不思議で 不思議で仕方がない。数学は絶対で、不変の様にみえる。時間にも無関係であるようにみえる。数学と人間の関係は何だ ろうか。―
数学によって、神の存在を予感する者は 世に多いのではないだろうか。
以 上
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