2016年8月12日金曜日

フェルマーの最終定理(Fermat's Last Theorem)

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フェルマーの最終定理(フェルマーのさいしゅうていり、Fermat's Last Theorem)とは、3 以上の自然数 n について、xn + yn = zn となる 0 でない自然数 (x, y, z) の組が存在しない[1]、という定理のことである。フェルマーの大定理とも呼ばれる。
フェルマーが驚くべき証明を得たと書き残したと伝えられ、長らく証明も反証もなされなかったことからフェルマー予想とも称されたが、360年後にアンドリュー・ワイルズによって完全に証明され、ワイルズの定理あるいはフェルマー・ワイルズの定理とも呼ばれるようになった
目次 [非表示]
1 概略
2 個別研究の時代
2.1 n = 4 :フェルマー
2.2 n = 3 :オイラー
2.3 n = 5 :ソフィ・ジェルマン
2.4 n = 14 および 7 :ラメ
2.5 クンマーの理想数
3 近代的アプローチへ
3.1 モジュラー形式
3.2 モーデル予想
3.3 谷山・志村予想
3.4 フライ・セール予想
4 最終的解決
4.1 フェルマーの最終定理を証明した論文
5 エピソード
6 脚注
7 参考文献
7.1 小説
7.2 まんが版
7.3 さらに進んだ書物
8 関連項目
9 外部リンク
概略[編集]
17世紀フランスの数学者ピエール・ド・フェルマー(1601年 - 1665年)は、古代ギリシャの数学者ディオファントスの著作『算術』を読み、本文中の記述に関連した着想を得ると、それを余白に書き残しておくという習慣を持っていた。それらは数学的な定理あるいは予想であったが、限られた余白への書き込みであるため、また充分な余白がある場合にも、フェルマーはその証明をしばしば省略した(たとえばフェルマーの小定理として知られる書き込みを実際に証明したのはライプニッツである)。
48か所に及ぶこれらの書き込みが知られるようになったのは、フェルマーの没後、彼の息子サミュエルによって、フェルマーの書き込み入りの『算術』が刊行されてからである[2]。
第2巻第8問「平方数を2つの平方数の和に表せ[3]」の欄外余白に、フェルマーは
Cubum autem in duos cubos, aut quadratoquadratum in duos quadratoquadratos, et generaliter nullam in infinitum ultra quadratum potestatem in duos eiusdem nominis fas est dividere cuius rei demonstrationem mirabilem sane detexi. Hanc marginis exiguitas non caperet.[4] 立方数を2つの立方数の和に分けることはできない。4乗数を2つの4乗数の和に分けることはできない。一般に、冪(べき)が2より大きいとき、その冪乗数を2つの冪乗数の和に分けることはできない。この定理に関して、私は真に驚くべき証明を見つけたが、この余白はそれを書くには狭すぎる。
と書き残した。彼の残した他の書き込みは、全て真か偽かの決着がつけられたが、最後まで残ったこの予想だけは、誰も証明することも反例を挙げることもできなかった。そのため「フェルマーの最終定理」と呼ばれるようになり、プロ・アマチュアを問わず、無数の数学者がその証明に挑んだ。
個別研究の時代[編集]
証明は、n = 4 のときと n が素数のときのみ考えればよい。たとえば、n = 6 のときは (x2)3 + (y2)3 = (z2)3 と書き直せるからである。n が具体的な値を取るいくつかの場合についてはさまざまな証明が与えられた。
n = 4 :フェルマー[編集]
フェルマー自らが1640年に、以下の手法、法則、定理を使い証明した。
指数の公式に従って x4 + y4 = z4 を (x2)2 + (y2)2 = (z2)2 に変換し、ピタゴラス数の性質を利用する。
x, y, z は互いに素であるとする。
定理「互いに素である2つの数の積が平方数であるならば、2つの数もそれぞれ平方数である。」
x を偶数、z, y を奇数とする。
偶数と奇数の性質
無限降下法
フェルマーによる証明は後にオイラーによって簡潔な形で直される。
n = 3 :オイラー[編集]
オイラーは1753年にゴールドバッハへ宛てた書簡の中で n = 3 の場合の証明法について言及し、1770年に刊行した著書でそれを明らかにした。ただし、この証明は虚数のレベルまで因数分解を行ったものであったが、虚数のレベルまで因数分解をすると様々な複素数の積に分解できてしまうという不備があったので、のちに補正された。
n = 5 :ソフィ・ジェルマン[編集]
ソフィ・ジェルマンは、フェルマー予想を
1) x, y, z のいずれかが n で割り切れる
2) x, y, z のいずれも n で割り切れない
という2つのパターンに分類し、100 以下の全ての n について、パターン 1) に関してはフェルマー予想が正しいことを証明した。しかし、フェルマー予想の反例が含まれるかもしれないパターン 2) に関しての研究は難航した。パターン 2) も含めて n = 5 の場合を完全に証明したのはディリクレとルジャンドルであるが、ジェルマンまでは(そしてジェルマン以降も当面は)「n = 3 のとき」あるいは「n = 4 のとき」といった個別研究の域を出なかったこの問題に対し、指数の範囲が限られているとはいえ包括的な証明を与えようとした点において、ジェルマンの研究成果の意義はきわめて大きい。
n = 14 および 7 :ラメ[編集]
1832年にディリクレは n = 14 の場合を証明したが、上述の通り n が素数である場合の方が肝要なので、これは n = 7 の場合を証明するための途中経過であった。しかし実際に n = 7 の場合を証明したのはラメ(1839年)と、ラメの証明に含まれていた誤りを訂正したヴィクトル・ルベーグ(1840年)であった。
1847年、ラメは「フェルマー予想の一般的解法を発見した」と発表し、同じ解法を自分の方が先に発見していたと主張するコーシーとの間で論争にまでなった。しかしこの解法とは xn + yn = zn の左辺を複素数で素因子分解するというものであり、この分解は一意的なものでないためこの問題に関する解法たりえていないことが指摘される。
また、n = 7 の場合についてのラメの証明があまりにも複雑なものだったため、同様の手法で n = 11 や 13 の場合について研究してみようと思う者はいなくなり、個別研究の時代は終わる。
クンマーの理想数[編集]
コーシーとラメが争っていたのと同じ頃、エルンスト・クンマーが自ら打ち立てた理想数の理論(後にデデキントがイデアルの理論として発展させる)を導入する。これにより、多くの素数において一意的な因数分解が可能となり、 n が正則素数である(もしくは正則素数で割り切れる)全ての場合については証明がなされた。虚数レベルでの一意的な因数分解が不可能な非正則素数も無限に存在するが、クンマーは 100 以下の非正則素数(37, 59, 67 の 3 個しかない)についてはそれぞれ個別に研究して解決した。その結果、100 までの全ての奇素数 n について(当然 100 以下の奇素数を約数に持つ全ての n についても)フェルマー予想が成り立つことが証明され、それまでの個別研究からこの問題は大きく飛躍した。
1850年、フランス科学アカデミーは、1816年に設けたまま受賞者の出なかった「フェルマー予想の証明者」のための懸賞金を(最終的解決でないことを承知の上で)クンマーに与えた。
近代的アプローチへ[編集]
モジュラー形式[編集]
詳細は「モジュラー形式」を参照
ポアンカレは複素平面上の関数についての研究から、保型形式およびそのアイディアをさらに展開したモジュラー形式を案出する。
モーデル予想[編集]
詳細は「ファルティングスの定理」および「モーデルの定理」を参照
ファルティングスによるモーデル予想の解決(1983年)により、フェルマー方程式 xn + yn = zn が整数解をもつならば(つまりフェルマー予想が誤りならば)その解の個数は本質的に有限個しかないことが証明される。この「有限個」が「実は 0 個」であることが示されればフェルマー予想は証明できたことになるが、この方向からの絞り込みには行き詰まりが指摘されていた。ともあれ、この時点でフェルマー予想が「ほとんど全ての場合について正しい」ことが判明したと言うことはできた。
谷山・志村予想[編集]
詳細は「谷山志村予想」を参照
1955年9月、日光で開催された整数論に関する国際会議で、谷山豊が提出した幾つかの「問題」を原型とする数学の予想が谷山・志村予想である。そこでは楕円曲線とモジュラー形式の間の深い関係が示唆されており、後に志村五郎によって定式化された。「すべての楕円曲線はモジュラーである」という、発表当時は注目を引かなかったこの谷山・志村予想(今となっては証明されているが)が、のちにフェルマー予想の証明に大きな役割を果たすこととなる。
実はこの前年の1954年、ある保型形式に関するラマヌジャン予想の一部をアイヒラーが証明していた。そこでは「解析的ゼータ=代数的ゼータ」が示されており、谷山・志村予想の最初の実例と呼べるものだった。
このラマヌジャン予想→谷山・志村予想→ラングランズ予想→超ラングランズ予想という一連の流れ(ゼータの統一)は数論の中心的テーマの1つとなっている。
フライ・セール予想[編集]
1984年にフライはフェルマーの最終定理に対する反例 an + bn = cn からはモジュラーでない楕円曲線(フライ曲線):
y2 = x(x − an)(x + bn)
が得られ、これは谷山・志村予想に対する反例を与えることになるというアイディアを提示。セールによって定式化されたこの予想はフライ・セールのイプシロン予想と呼ばれ、1986年にケン・リベットによって証明された。
これらの経過は以下のように整理することができる。
まず、フェルマー予想が偽である(フェルマー方程式が自然数解をもつ)と仮定する。
この自然数解からは、モジュラーでない楕円曲線を作ることができる。
しかし谷山・志村予想が正しいならば、モジュラーでない楕円曲線は存在しない。
矛盾が導かれたので、当初の仮定が誤っていることとなる。
したがって、フェルマー予想は真である。(背理法)
つまり、谷山・志村予想が証明されたならば、それはフェルマーの最終定理が証明されたことをも意味するのである。
最終的解決[編集]

アンドリュー・ワイルズ
プリンストン大学にいたイギリス生まれの数学者アンドリュー・ワイルズは岩澤主予想 (Iwasawa main conjecture) を解決するなどして、元々数論の研究者として有名な人物であった。彼は10歳当時に触れたフェルマー予想に憧れて数学者となったが、プロとなってからは子供時代の夢は封印し、フェルマー予想のような孤立した骨董品ではなく主流数学の研究に勤しんでいた。ところが1986年、ケン・リベットがフライ・セール予想を解決したことにより、フェルマー予想に挑むことは、主流数学の一大予想に挑むことと同義になってしまった。かつての憧れだったものが、今や骨董品どころか解かずには済まされない中心課題の一つになったのである。ワイルズはこのことに強い衝撃を受け発奮、正にフェルマー予想の解決を目的として、他の研究を全て止めて谷山・志村予想に取り組むこととなった。ただしこの際、彼は人々の耳目を集め過ぎることを懸念して、表面的には未発表の研究成果を小出しにすることで偽装し、谷山・志村予想の研究は秘密裏に遂行することとした。
ワイルズは、代数幾何学(特に楕円曲線と群スキーム(英語版))や数論(モジュラー形式やガロア表現、ヘッケ環、岩澤理論)の高度な道具立てを用いて証明を試みたが、類数公式の導出に当り岩澤理論を用いる方向では行き詰まってしまった。そこでコリヴァギン=フラッハ法(ヴィクター・コリヴァギンとマティアス・フラッハの方法)に基づくよう方針転換し、最後のレビュー段階でプリンストンの同僚ニック・カッツの助けを得るまで、細部に至るまでの証明を完璧な秘密のうちにほぼすべて独力で成し遂げた(ここまでで7年が経過していた)。彼がケンブリッジ大学で1993年の6月21日から23日にかけて3つの講義からなるコースで証明を発表したとき、聴衆は証明に使われた数々の発想と構成に驚愕した。
ただし、その後の査読において、ワイルズの証明には1箇所致命的な誤りがあることが判明した。この修正は難航したが、ワイルズは彼の教え子リチャード・テイラーの助けを借りつつ、約1年後の1994年9月、障害を回避することに成功した。ワイルズ自身、その時の瞬間を「研究を始めて以来、最も大事な一瞬」と語っている。1994年10月に新しい証明を発表。1995年のAnnals of Mathematics誌において出版し、その証明は、1995年2月13日に誤りがないことが確認され[5]、360年に渡る歴史に決着を付けた。なお、証明の過程では、まずはコリヴァギン=フラッハ法を用いたが、それでは不十分だと判明したので、以前に採用してから放棄していた岩澤理論を併用することで、最終的な証明が完成した。
フェルマーの最終定理を証明した論文[編集]
Andrew Wiles (May 1995). “Modular elliptic curves and Fermat's Last Theorem(モジュラー楕円曲線とフェルマーの最終定理)”. Annals of Mathematics 141 (3): 443-551.
Richard Taylor and Andrew Wiles (May 1995). “Ring-theoretic properties of certain Hecke algebras(ある種のヘッケ環の理論的性質)”. Annals of Mathematics 141 (3): 553-572.
エピソード[編集]
詳細な歴史(st-and.ac.uk)
現在も未解決の問題の大多数は、問題自体が難解な用語を用いなければ表現できないものであるのに対し、本定理の言わんとするところは中学生程度の知識さえあれば理解できるため、数多くのアマチュア数学ファンがこれを解決しようと熱中し、数学を志す者も輩出された。最終的に解決に導いたワイルズ自身もそうした者の一人であった。
フェルマーはこの定理の証明に関して「真に驚くべき証明を見つけた」と記述を残している。しかし、現在知られている証明は、分野ごとの壁が厚くなったことで、半ば独自に進化と発展を遂げた各数学分野の最新理論を巧妙に組み合わせ、駆使することで構成されている。いかに「数論の父」と呼ばれるフェルマーであっても、400年前に独自にこの証明を成し遂げたとは考え難いため、フェルマーが n = 4 の場合に用いた無限降下法による証明が全ての自然数に対して適用可能であるとの勘違いによるものとも考えられる。
最終的証明はスキームの圏などの現代的な代数幾何の構成を用いている。これはノイマン・ベルナイス・ゲーデル流の集合論(NBG集合論)という、通常の集合に加えて類 (class) を考え、ただし集合に対する言明の真偽(証明可能性)は ZFC集合論と同じになる(ZFC の保存的拡大という)ようにした枠組みで定義される。NBG集合論は本質的には ZFC集合論と同じもので、ZFC集合論に到達不能基数の存在公理を付け加えてグロタンディーク宇宙の構成を可能にしたもので置き換えられると考えられている。このことから最終定理の証明のために本当はどれだけの公理が必要なのかについては疑問が呈されてもいて、ZFC よりは弱い体系でも十分なのではないかと言われている。
最終的な証明で重要な役割を果たした谷山・志村予想に関して、ワイルズとテイラーが証明したのは「半安定」と呼ばれる特殊な場合であり、一般的な場合に関しては証明を与えることはできなかったが、フェルマーの最終定理(の反例)からくるであろう反例の可能性を排除するにはこれで十分だった。ちなみに、後に谷山・志村予想に完全な証明を与えたのはワイルズの弟子であるブライアン・コンラッド(英語版)とフレッド・ダイアモンド(英語版)であり、今では数論の1つの到達点とされて「モジュラー性定理」とよばれることもある。
1988年に当時西ドイツのマックス・プランク数学研究所にいた、宮岡洋一が証明できそうだというニュースが報道された。ただし実際には不備があり、完全な証明には至らなかった。
1908年、ドイツの富豪ヴォルフスケールは2007年9月13日までの期限付きでフェルマー予想の証明者に対して10万マルクの懸賞金を設けた (Wolfskehl Prize)。当然のことながらワイルズが受賞し、その賞金は約500万円程度であるが、第一次大戦後のハイパーインフレがなければ十数億円であったといわれる。授賞式は1997年6月、ゲッティンゲン大学の大ホールにて、500人の数学者が列席する中執り行われた。
解決以前に書かれたSFなどの文芸作品における「未来」において、未解決の問題として言及されていることがしばしある[6]など、解決以前は「未解決問題」の代表的な存在であった。一方、解決後に刊行された『金色のガッシュ!!』のように、「300年以上もの間解決できずに、近年の天才によりようやく解かれた問題」として紹介されたケースもあり、現代においても「数学界最大の難問」の一つとして取り扱われることもある。
解決以前において、サイコップのメンバーだったカール・セーガンは、「人類より高度な文明を持つ知的生命体と意思のみで交信できる」というチャネラーに対し、その知的生命体への質問として「フェルマーの最終定理」の解法をぶつけるが、ことごとく無視された[7]。https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%82%A7%E3%83%AB%E3%83%9E%E3%83%BC%E3%81%AE%E6%9C%80%E7%B5%82%E5%AE%9A%E7%90%86

再生核研究所声明315(2016.08.08) 世界観を大きく変えた、ユークリッドと幾何学
今朝2016年8月6日,散歩中 目が眩むような大きな構想が閃いたのであるが、流石に直接表現とはいかず、先ずは世界史上の大きな事件を回想して、準備したい。紀元前の大きな事件についても触れたいが当分 保留したい。
ニュートン、ダーウィンの大きな影響を纏めたので(声明314)今回はユークリッド幾何学の影響について触れたい。
ユークリッド幾何学の建設について、ユークリッド自身(アレクサンドリアのエウクレイデス(古代ギリシャ語: Εὐκλείδης, Eukleídēs、ラテン語: Euclīdēs、英語: Euclid(ユークリッド)、紀元前3世紀? - )は、古代ギリシアの数学者、天文学者とされる。数学史上最も重要な著作の1つ『原論』(ユークリッド原論)の著者であり、「幾何学の父」と称される。プトレマイオス1世治世下(紀元前323年-283年)のアレクサンドリアで活動した。)が絶対的な幾何学の建設に努力した様は、『新しい幾何学の発見―ガウス ボヤイ ロバチェフスキー』リワノワ 著松野武 訳1961 東京図書 に見事に描かれており、ここでの考えはその著書に負うところが大きい。
ユークリッドは絶対的な幾何学を建設するためには、絶対的に正しい基礎、公準、公理に基づき、厳格な論理によって如何なる隙や曖昧さを残さず、打ち立てられなければならないとして、来る日も来る日も、アレクサンドリアの海岸を散歩しながら ユークリッド幾何学を建設した(『原論』は19世紀末から20世紀初頭まで数学(特に幾何学)の教科書として使われ続けた[1][2][3]。線の定義について、「線は幅のない長さである」、「線の端は点である」など述べられている。基本的にその中で今日ユークリッド幾何学と呼ばれている体系が少数の公理系から構築されている。エウクレイデスは他に光学、透視図法、円錐曲線論、球面天文学、誤謬推理論、図形分割論、天秤などについても著述を残したとされている。)。
ユークリッド幾何学、原論は2000年以上も越えて多くの人に学ばれ、あらゆる論理的な学術書の記述の模範、範として、現在でもその精神は少しも変わっていない、人類の超古典である。― 少し、厳密に述べると、ユークリッド幾何学の基礎、いわゆる第5公準、いわゆる平行線の公理は徹底的に検討され、2000年を経て公理系の考えについての考えは改められ― 公理系とは絶対的な真理という概念ではなく、矛盾のない仮定系である ― 、非ユークリッド幾何学が出現した。論理的な厳密性も徹底的に検討がなされ、ヒルベルトによってユークリッド幾何学は再構成されることになった。非ユークリッド幾何学の出現過程についても上記の著書に詳しい。
しかしながら、ユークリッド幾何学の実態は少しも変わらず、世に絶対的なものがあるとすれば、それは数学くらいではないだろうかと人類は考えているのではないだろうか。
数学の不可思議さに想いを致したい(しかしながら、数学について、そもそも数学とは何だろうかと問い、ユニバースと数学の関係に思いを致すのは大事ではないだろうか。この本質論については幸運にも相当に力を入れて書いたものがある:

No.81, May 2012(pdf 432kb)
19/03/2012
ここでは、数学とは何かについて考えながら、数学と人間に絡む問題などについて、幅.広く面白く触れたい。
)。
― 数学は公理系によって定まり、そこから、論理的に導かれる関係の全体が一つの数学の様 にみえる。いま予想されている関係は、そもそも人間には無関係に確定しているようにみえる。その数学の全体はすべて人間には無関係に存在して、確定しているようにみえる。すなわち、われわれが捉えた数学は、人間の要求や好みで発見された部分で、その全貌は分か らない。抽象的な関係の世界、それはものにも、時間にも、エネルギーにも無関係で、存在 している。それではどうして、存在して、数学は美しいと感動させるのであろうか。現代物理学は宇宙全体の存在した時を述べているが、それでは数学はどうして存在しているのであろうか。宇宙と数学は何か関係が有るのだろうか。不思議で 不思議で仕方がない。数学は絶対で、不変の様にみえる。時間にも無関係であるようにみえる。数学と人間の関係は何だ ろうか。―
数学によって、神の存在を予感する者は 世に多いのではないだろうか。

以 上

再生核研究所声明314(2016.08.08) 世界観を大きく変えた、ニュートンとダーウィンについて
今朝2016年8月6日,散歩中 目が眩むような大きな構想が閃いたのであるが、流石に直接表現とはいかず、先ずは世界史上の大きな事件を回想して、準備したい。紀元前の大きな事件についても触れたいが当分 保留したい。
そもそも、ニュートン、ダーウィンの時代とは 中世の名残を多く残し、宗教の存在は世界観そのものの基礎に有ったと言える。それで、アリストテレスの世界観や聖書に反して 天動説に対して地動説を唱えるには それこそ命を掛けなければ主張できないような時代背景が 存在していた。
そのような時に世の運動、地上も、天空も、万有を支配する法則が存在するとの考えは それこそ、世界観の大きな変更であり、人類に与えた影響は計り知れない。進化論 人類も動物や生物の進化によるものであるとの考えは、 人間そのものの考え方、捉え方の基本的な変更であり、運動法則とともに科学的な思考、捉え方が世界観を根本的に変えてきたと考えられる。勿論、自然科学などの基礎として果たしている役割の大きさを考えると、驚嘆すべきことである。
人生とは何か、人間とは何か、― 世の中には秩序と法則があり、人間は作られた存在で
その上に 存在している。如何に行くべきか、在るべきかの基本は その法則と作られた存在の元、原理を探し、それに従わざるを得ないとなるだろう。しかしながら、狭く捉えて 唯物史観などの思想も生んだが、それらは、心の問題、生命の神秘的な面を過小評価しておかしな世相も一時は蔓延ったが、自然消滅に向かっているように見える。
自然科学も生物学も目も眩むほどに発展してきている。しかしながら、人類未だ成長していないように感じられるのは、止むことのない抗争、紛争、戦争、医学などの驚異的な発展にも関わらず、人間存在についての掘り下げた発展と進化はどれほどかと考えさせられ、昔の人の方が余程人間らしい人間だったと思われることは 多いのではないだろうか。
上記二人の巨人の役割を、自然科学の基礎に大きな影響を与えた人と捉えれば、我々は一段と深く、巨人の拓いた世界を深めるべきではないだろうか。社会科学や人文社会、人生観や世界観にさらに深い影響を与えると、与えられると考える。
ニュートンの作用、反作用の運動法則などは、人間社会でも、人間の精神、心の世界でも成り立つ原理であり、公正の原則の基礎(再生核研究所声明 1 (2007/1/27): 美しい社会はどうしたら、できるか、美しい社会とは)にもなる。 自国の安全を願って軍備を強化すれば相手国がより、軍備を強化するのは道理、法則のようなものである。慣性の法則、急には何事でも変えられない、移行処置や時間的な猶予が必要なのも法則のようなものである。力の法則 変化には情熱、エネルギー,力が必要であり、変化は人間の本質的な要求である。それらはみな、社会や心の世界でも成り立つ原理であり、掘り下げて学ぶべきことが多い。ダーウィンの進化論については、人間はどのように作られ、どのような進化を目指しているのかと追求すべきであり、人間とは何者かと絶えず問うて行くべきである。根本を見失い、個別の結果の追求に明け暮れているのが、現在における科学の現状と言えるのではないだろうか。単に盲目的に夢中で進んでいる蟻の大群のような生態である。広い視点で見れば、経済の成長、成長と叫んでいるが、地球規模で生態系を環境の面から見れば、癌細胞の増殖のような様ではないだろうか。人間の心の喪失、哲学的精神の欠落している時代であると言える。

以 上

再生核研究所声明312(2016.07.14) ゼロ除算による 平成の数学改革を提案する
アリストテレス以来、あるいは西暦628年インドにおけるゼロの記録と、算術の確立以来、またアインシュタインの人生最大の懸案の問題とされてきた、ゼロで割る問題 ゼロ除算は、本質的に新しい局面を迎え、数学における基礎的な部分の欠落が明瞭になってきた。ここ70年を越えても教科書や学術書における数学の基礎的な部分の変更は かつて無かった事である。
そこで、最近の成果を基に現状における学術書、教科書の変更すべき大勢を外観して置きたい。特に、大学学部までの初等数学において、日本人の寄与は皆無であると言えるから、日本人が数学の基礎に貢献できる稀なる好機にもなるので、数学者、教育者など関係者の注意を換気したい。― この文脈では稀なる日本人数学者 関孝和の業績が世界の数学に活かせなかったことは 誠に残念に思われる。
先ず、数学の基礎である四則演算において ゼロでは割れない との世の定説を改め、自然に拡張された分数、割り算で、いつでも四則演算は例外なく、可能であるとする。山田体の導入。その際、小学生から割り算や分数の定義を除算の意味で 繰り返し減法(道脇方式)で定義し、ゼロ除算は自明であるとし 計算機が割り算を行うような算法で 計算方法も指導する。― この方法は割り算の簡明な算法として児童に歓迎されるだろう。
反比例の法則や関数y=1/xの出現の際には、その原点での値はゼロであると 定義する。その広範な応用は 学習過程の進展に従って どんどん触れて行くこととする。
いわゆるユークリッド幾何学の学習においては、立体射影の概念に早期に触れ、ゼロ除算が拓いた新しい空間像を指導する。無限、無限の彼方の概念、平行線の概念、勾配の概念を変える必要がある。どのように、如何に、カリキュラムに取り組むかは、もちろん、慎重な検討が必要で、数学界、教育界などの関係者による国家的取り組み、協議が必要である。重要項目は、直角座標系で y軸の勾配はゼロであること。真無限における破壊現象、接線などの新しい性質、解析幾何学との美しい関係と調和。すべての直線が原点を代数的に通り、平行な2直線は原点で代数的に交わっていること。行列式と破壊現象の美しい関係など。
大学レベルになれば、微積分、線形代数、微分方程式、複素解析をゼロ除算の成果で修正、補充して行く。複素解析学におけるローラン展開の学習以前でも形式的なローラン展開(負べき項を含む展開)の中心の値をゼロ除算で定義し、広範な応用を展開する。特に微分係数が正や負の無限大の時、微分係数をゼロと修正することによって、微分法の多くの公式や定理の表現が簡素化され、教科書の結構な記述の変更が要求される。媒介変数を含む多くの関数族は、ゼロ除算 算法で統一的な視点が与えられる。多くの公式の記述が簡単になり、修正される。
複素解析学においては 無限遠点はゼロで表現されると、コペルニクス的変更(無限とされていたのが実はゼロだった)を行い、極の概念を次のように変更する。極、特異点の定義は そのままであるが、それらの点の近傍で、限りなく無限の値に近づく値を位数まで込めて取るが、特異点では、ゼロ除算に言う、有限確定値をとるとする。その有限確定値のいろいろ幾何学な意味を学ぶ。古典的な鏡像の定説;原点の 原点を中心とする円の鏡像は無限遠点であるは、誤りであり、修正し、ゼロであると いろいろな根拠によって説明する。これら、無限遠点の考えの修正は、ユークリッド以来、我々の空間に対する認識の世界史上に置ける大きな変更であり、数学を越えた世界観の変更を意味している。― この文脈では天動説が地動説に変わった歴史上の事件が想起される。
ゼロ除算は 物理学を始め、広く自然科学や計算機科学への大きな影響が期待される。しかしながら、ゼロ除算の研究成果を教科書、学術書に遅滞なく取り入れていくことは、真智への愛、真理の追究の表現であり、四則演算が自由にできないとなれば、人類の名誉にも関わることである。ゼロ除算の発見は 日本の世界に置ける顕著な貢献として世界史に記録されるだろう。研究と活用の推進を 大きな夢を懐きながら 要請したい。
以 上
追記:
(2016) Matrices and Division by Zero z/0 = 0. Advances in Linear Algebra & Matrix Theory, 6, 51-58.
http://www.scirp.org/journal/alamt   http://dx.doi.org/10.4236/alamt.2016.62007
http://www.ijapm.org/show-63-504-1.html
http://www.diogenes.bg/ijam/contents/2014-27-2/9/9.pdf DOI:10.12732/ijam.v27i2.9.

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