2016年8月14日日曜日

記事 ビデオニュース・ドットコム2016年08月13日 19:55ニュートリノの謎が解明されれば本当に宇宙の起源がわかるのですか

記事
ビデオニュース・ドットコム2016年08月13日 19:55ニュートリノの謎が解明されれば本当に宇宙の起源がわかるのですか



 物質の最小単位となる素粒子の謎が解ければ、宇宙の起源がわかる。そう言われて、一体どれだけの人がピンとくるだろうか。

 物質をとことん細かく砕き、これ以上ないところまで小さくした時にできる素粒子のニュートリノが、宇宙誕生の鍵を握っている。そして、そう信ずる最先端の物理学者たちが、世界中でニュートリノ研究に鎬を削っている。

 茨城県つくば市にある高エネルギー加速器研究機構などの国際研究チームが、8月6日、「ニュートリノ」の「粒子」と「反粒子」の変化に違いがある「CP対称性の破れ」の兆候を初めて捉えたと、米・シカゴで開かれていた国際学会で発表した。まだ、「兆候を捉えた」段階に過ぎないが、これが確認されれば、宇宙の起源の解明にもつながる人類史に残る大発見になるのだという。無論、ノーベル賞候補だ。

 われわれの目の前で人類史に残るほどの大発見が現在進行形で起きているかもしれないのに、そのすごさが理解できないのはちょっと悔しいし勿体なくもある。そこで今週のマル激では、正に今回の実験を行った高エネルギー加速器研究機構の准教授で「金髪の素粒子物理学者」の多田将氏に、典型的文系脳の神保哲生と宮台真司が「今さら聞けないニュートリノと宇宙の起源の関係」を聞いた。

 そもそもニュートリノというのは中性を意味するneutralとイタリア語で小さな粒子を意味するinoを組み合わせた言葉。物質は小さく刻んでいくと分子→原子となり、原子は原子核と電子から成ることは、かつてわれわれも高校の物理の授業で習った覚えがある。更にその原子核は陽子と中性子から成り、陽子と中性子はいずれもクォークと呼ばれる粒子からできている。現在の人類の英知と技術ではクォークが最も小さい物質の単位となっているため、これを素粒子と呼んでいる。ちなみにクォークのサイズは10の-18乗メートル程度だとされる。

 クォークには電荷の違いなどから6種類のクォークがあり、それぞれに名前がついている。また、素粒子にはクォークの他にレプトンと呼ばれる種類の素粒子が6種類あり、両者を合わせた12種類の物質が現時点で人類が解明できている物質の最小単位「素粒子」となる。この世に存在する全ての物質という物質が、この12種類の素粒子のいずれかからできているということだ。

 ところが、素粒子にはもう一組、この12種類の素粒子と全く対の関係にある「反粒子」あるいは「反物質」と呼ばれる一群が存在する。これは12種類の素粒子の全く正反対の性格を持つ素粒子で、ちょうど実物とそれが鏡に映った姿の関係にある。そして、対になる素粒子同士が合わさると両者は消滅する。

 この「反粒子」とか「反物質」と呼ばれるものが、素人にはなかなか曲者だ。しかし、宇宙の起源を考える時、この概念は不可欠となる。物理学的には、何もないところから何かができるとは考えられない。今、宇宙に様々な物質がある以上、それがどこから来たかを考える上で、反粒子の存在は無くてはならない。物理学では宇宙には最初に「物質」と「反物質」がほぼ同数存在していたが、何らかの理由で物質の量が反物質を上回る「対称性の破れ」が生じたために、物質が残り、それが現在に至っていると考える。

 そしてこの「物質」と「反物質」の「対称性の破れ」の兆しをとらえたのが、今回ニュースになった実験の成果だった。

 今回の実験では東海村にあるJ-PARC(大強度陽子加速器施設)から295キロ離れた岐阜県神岡町にあるスーパーカミオカンデに向かってニュートリノの「粒子」と「反粒子」を発射したところ、両者の変化に違いがあることが確認できたのだという。本来全く正反対でなければならないはずの粒子と反粒子が、異なる変化を見せたことで、「対称性の破れ」の兆しが見えたのだという。

 実際にこの実験に携わったゲストの 多田将氏は、今回の実験によってCP対称性の破れが90%程度証明されたと考えていいのではないかと言う。しかし、物理学的にこれが「確認された」と言えるようになるためには、99.9999%の精度の証明が必要になる。今回の実験はあくまでその第一歩を位置付けるべきものだという。

 今後、世界中でこの仮説を確認する実験が実施され、これが確認された時、人類は宇宙の起源の解明に手が届くことになるのだという。多田氏は2020年代の中頃には、それが証明される可能性があると言う。

 20世紀に目覚ましい発展を遂げた物理学は、今なおその発展を遂げている。特に実験装置が発達したことで、かつては仮説でしかなかった数々の学説が、実験によって裏付けられるようになってきている。しかし、物質を素粒子の次元まで解き明かし、更に宇宙の起源にまで迫ろうかというところまで来ている物理学は、その先に何を見ているのか。今日の最先端の物理学もそう遠くない将来、いたって原始的で牧歌的なレベルに過ぎないものだったと言われる時が来るのだろうか。

 盛夏の折、最先端の素粒子物理学が明らかにするこの世で最も小さな話と、宇宙の起源というこの世で最も大きな話、そして両者の関係について考えた。http://blogos.com/article/186914/

再生核研究所声明315(2016.08.08) 世界観を大きく変えた、ユークリッドと幾何学

今朝2016年8月6日,散歩中 目が眩むような大きな構想が閃いたのであるが、流石に直接表現とはいかず、先ずは世界史上の大きな事件を回想して、準備したい。紀元前の大きな事件についても触れたいが当分 保留したい。
ニュートン、ダーウィンの大きな影響を纏めたので(声明314)今回はユークリッド幾何学の影響について触れたい。
ユークリッド幾何学の建設について、ユークリッド自身(アレクサンドリアのエウクレイデス(古代ギリシャ語: Εὐκλείδης, Eukleídēs、ラテン語: Euclīdēs、英語: Euclid(ユークリッド)、紀元前3世紀? - )は、古代ギリシアの数学者、天文学者とされる。数学史上最も重要な著作の1つ『原論』(ユークリッド原論)の著者であり、「幾何学の父」と称される。プトレマイオス1世治世下(紀元前323年-283年)のアレクサンドリアで活動した。)が絶対的な幾何学の建設に努力した様は、『新しい幾何学の発見―ガウス ボヤイ ロバチェフスキー』リワノワ 著松野武 訳1961 東京図書 に見事に描かれており、ここでの考えはその著書に負うところが大きい。
ユークリッドは絶対的な幾何学を建設するためには、絶対的に正しい基礎、公準、公理に基づき、厳格な論理によって如何なる隙や曖昧さを残さず、打ち立てられなければならないとして、来る日も来る日も、アレクサンドリアの海岸を散歩しながら ユークリッド幾何学を建設した(『原論』は19世紀末から20世紀初頭まで数学(特に幾何学)の教科書として使われ続けた[1][2][3]。線の定義について、「線は幅のない長さである」、「線の端は点である」など述べられている。基本的にその中で今日ユークリッド幾何学と呼ばれている体系が少数の公理系から構築されている。エウクレイデスは他に光学、透視図法、円錐曲線論、球面天文学、誤謬推理論、図形分割論、天秤などについても著述を残したとされている。)。
ユークリッド幾何学、原論は2000年以上も越えて多くの人に学ばれ、あらゆる論理的な学術書の記述の模範、範として、現在でもその精神は少しも変わっていない、人類の超古典である。― 少し、厳密に述べると、ユークリッド幾何学の基礎、いわゆる第5公準、いわゆる平行線の公理は徹底的に検討され、2000年を経て公理系の考えについての考えは改められ― 公理系とは絶対的な真理という概念ではなく、矛盾のない仮定系である ― 、非ユークリッド幾何学が出現した。論理的な厳密性も徹底的に検討がなされ、ヒルベルトによってユークリッド幾何学は再構成されることになった。非ユークリッド幾何学の出現過程についても上記の著書に詳しい。
しかしながら、ユークリッド幾何学の実態は少しも変わらず、世に絶対的なものがあるとすれば、それは数学くらいではないだろうかと人類は考えているのではないだろうか。
数学の不可思議さに想いを致したい(しかしながら、数学について、そもそも数学とは何だろうかと問い、ユニバースと数学の関係に思いを致すのは大事ではないだろうか。この本質論については幸運にも相当に力を入れて書いたものがある:

No.81, May 2012(pdf 432kb)
19/03/2012
ここでは、数学とは何かについて考えながら、数学と人間に絡む問題などについて、幅.広く面白く触れたい。
)。
― 数学は公理系によって定まり、そこから、論理的に導かれる関係の全体が一つの数学の様 にみえる。いま予想されている関係は、そもそも人間には無関係に確定しているようにみえる。その数学の全体はすべて人間には無関係に存在して、確定しているようにみえる。すなわち、われわれが捉えた数学は、人間の要求や好みで発見された部分で、その全貌は分か らない。抽象的な関係の世界、それはものにも、時間にも、エネルギーにも無関係で、存在 している。それではどうして、存在して、数学は美しいと感動させるのであろうか。現代物理学は宇宙全体の存在した時を述べているが、それでは数学はどうして存在しているのであろうか。宇宙と数学は何か関係が有るのだろうか。不思議で 不思議で仕方がない。数学は絶対で、不変の様にみえる。時間にも無関係であるようにみえる。数学と人間の関係は何だ ろうか。―
数学によって、神の存在を予感する者は 世に多いのではないだろうか。

以 上



再生核研究所声明314(2016.08.08) 世界観を大きく変えた、ニュートンとダーウィンについて

今朝2016年8月6日,散歩中 目が眩むような大きな構想が閃いたのであるが、流石に直接表現とはいかず、先ずは世界史上の大きな事件を回想して、準備したい。紀元前の大きな事件についても触れたいが当分 保留したい。
そもそも、ニュートン、ダーウィンの時代とは 中世の名残を多く残し、宗教の存在は世界観そのものの基礎に有ったと言える。それで、アリストテレスの世界観や聖書に反して 天動説に対して地動説を唱えるには それこそ命を掛けなければ主張できないような時代背景が 存在していた。
そのような時に世の運動、地上も、天空も、万有を支配する法則が存在するとの考えは それこそ、世界観の大きな変更であり、人類に与えた影響は計り知れない。進化論 人類も動物や生物の進化によるものであるとの考えは、 人間そのものの考え方、捉え方の基本的な変更であり、運動法則とともに科学的な思考、捉え方が世界観を根本的に変えてきたと考えられる。勿論、自然科学などの基礎として果たしている役割の大きさを考えると、驚嘆すべきことである。
人生とは何か、人間とは何か、― 世の中には秩序と法則があり、人間は作られた存在で
その上に 存在している。如何に行くべきか、在るべきかの基本は その法則と作られた存在の元、原理を探し、それに従わざるを得ないとなるだろう。しかしながら、狭く捉えて 唯物史観などの思想も生んだが、それらは、心の問題、生命の神秘的な面を過小評価しておかしな世相も一時は蔓延ったが、自然消滅に向かっているように見える。
自然科学も生物学も目も眩むほどに発展してきている。しかしながら、人類未だ成長していないように感じられるのは、止むことのない抗争、紛争、戦争、医学などの驚異的な発展にも関わらず、人間存在についての掘り下げた発展と進化はどれほどかと考えさせられ、昔の人の方が余程人間らしい人間だったと思われることは 多いのではないだろうか。
上記二人の巨人の役割を、自然科学の基礎に大きな影響を与えた人と捉えれば、我々は一段と深く、巨人の拓いた世界を深めるべきではないだろうか。社会科学や人文社会、人生観や世界観にさらに深い影響を与えると、与えられると考える。
ニュートンの作用、反作用の運動法則などは、人間社会でも、人間の精神、心の世界でも成り立つ原理であり、公正の原則の基礎(再生核研究所声明 1 (2007/1/27): 美しい社会はどうしたら、できるか、美しい社会とは)にもなる。 自国の安全を願って軍備を強化すれば相手国がより、軍備を強化するのは道理、法則のようなものである。慣性の法則、急には何事でも変えられない、移行処置や時間的な猶予が必要なのも法則のようなものである。力の法則 変化には情熱、エネルギー,力が必要であり、変化は人間の本質的な要求である。それらはみな、社会や心の世界でも成り立つ原理であり、掘り下げて学ぶべきことが多い。ダーウィンの進化論については、人間はどのように作られ、どのような進化を目指しているのかと追求すべきであり、人間とは何者かと絶えず問うて行くべきである。根本を見失い、個別の結果の追求に明け暮れているのが、現在における科学の現状と言えるのではないだろうか。単に盲目的に夢中で進んでいる蟻の大群のような生態である。広い視点で見れば、経済の成長、成長と叫んでいるが、地球規模で生態系を環境の面から見れば、癌細胞の増殖のような様ではないだろうか。人間の心の喪失、哲学的精神の欠落している時代であると言える。

以 上

再生核研究所声明312(2016.07.14) ゼロ除算による 平成の数学改革を提案する

アリストテレス以来、あるいは西暦628年インドにおけるゼロの記録と、算術の確立以来、またアインシュタインの人生最大の懸案の問題とされてきた、ゼロで割る問題 ゼロ除算は、本質的に新しい局面を迎え、数学における基礎的な部分の欠落が明瞭になってきた。ここ70年を越えても教科書や学術書における数学の基礎的な部分の変更は かつて無かった事である。
そこで、最近の成果を基に現状における学術書、教科書の変更すべき大勢を外観して置きたい。特に、大学学部までの初等数学において、日本人の寄与は皆無であると言えるから、日本人が数学の基礎に貢献できる稀なる好機にもなるので、数学者、教育者など関係者の注意を換気したい。― この文脈では稀なる日本人数学者 関孝和の業績が世界の数学に活かせなかったことは 誠に残念に思われる。
先ず、数学の基礎である四則演算において ゼロでは割れない との世の定説を改め、自然に拡張された分数、割り算で、いつでも四則演算は例外なく、可能であるとする。山田体の導入。その際、小学生から割り算や分数の定義を除算の意味で 繰り返し減法(道脇方式)で定義し、ゼロ除算は自明であるとし 計算機が割り算を行うような算法で 計算方法も指導する。― この方法は割り算の簡明な算法として児童に歓迎されるだろう。
反比例の法則や関数y=1/xの出現の際には、その原点での値はゼロであると 定義する。その広範な応用は 学習過程の進展に従って どんどん触れて行くこととする。
いわゆるユークリッド幾何学の学習においては、立体射影の概念に早期に触れ、ゼロ除算が拓いた新しい空間像を指導する。無限、無限の彼方の概念、平行線の概念、勾配の概念を変える必要がある。どのように、如何に、カリキュラムに取り組むかは、もちろん、慎重な検討が必要で、数学界、教育界などの関係者による国家的取り組み、協議が必要である。重要項目は、直角座標系で y軸の勾配はゼロであること。真無限における破壊現象、接線などの新しい性質、解析幾何学との美しい関係と調和。すべての直線が原点を代数的に通り、平行な2直線は原点で代数的に交わっていること。行列式と破壊現象の美しい関係など。
大学レベルになれば、微積分、線形代数、微分方程式、複素解析をゼロ除算の成果で修正、補充して行く。複素解析学におけるローラン展開の学習以前でも形式的なローラン展開(負べき項を含む展開)の中心の値をゼロ除算で定義し、広範な応用を展開する。特に微分係数が正や負の無限大の時、微分係数をゼロと修正することによって、微分法の多くの公式や定理の表現が簡素化され、教科書の結構な記述の変更が要求される。媒介変数を含む多くの関数族は、ゼロ除算 算法で統一的な視点が与えられる。多くの公式の記述が簡単になり、修正される。
複素解析学においては 無限遠点はゼロで表現されると、コペルニクス的変更(無限とされていたのが実はゼロだった)を行い、極の概念を次のように変更する。極、特異点の定義は そのままであるが、それらの点の近傍で、限りなく無限の値に近づく値を位数まで込めて取るが、特異点では、ゼロ除算に言う、有限確定値をとるとする。その有限確定値のいろいろ幾何学な意味を学ぶ。古典的な鏡像の定説;原点の 原点を中心とする円の鏡像は無限遠点であるは、誤りであり、修正し、ゼロであると いろいろな根拠によって説明する。これら、無限遠点の考えの修正は、ユークリッド以来、我々の空間に対する認識の世界史上に置ける大きな変更であり、数学を越えた世界観の変更を意味している。― この文脈では天動説が地動説に変わった歴史上の事件が想起される。
ゼロ除算は 物理学を始め、広く自然科学や計算機科学への大きな影響が期待される。しかしながら、ゼロ除算の研究成果を教科書、学術書に遅滞なく取り入れていくことは、真智への愛、真理の追究の表現であり、四則演算が自由にできないとなれば、人類の名誉にも関わることである。ゼロ除算の発見は 日本の世界に置ける顕著な貢献として世界史に記録されるだろう。研究と活用の推進を 大きな夢を懐きながら 要請したい。
以 上
追記:
(2016) Matrices and Division by Zero z/0 = 0. Advances in Linear Algebra & Matrix Theory, 6, 51-58. 
http://www.scirp.org/journal/alamt   http://dx.doi.org/10.4236/alamt.2016.62007
http://www.ijapm.org/show-63-504-1.html
http://www.diogenes.bg/ijam/contents/2014-27-2/9/9.pdf DOI:10.12732/ijam.v27i2.9.

0 件のコメント:

コメントを投稿