核
ウィクショナリーに核の項目があります。
核(かく、さね)は、軸・中心となるもの。中核、核心。
英語のnucleus(形容詞 nuclear、口語nuke)、core、kernelなどの訳語にも使われる。
特に記したもの以外は「かく」と読む。
原子核[編集]
原子核
核エネルギー(原子力)
原子炉
原子力発電
原子力発電所
核兵器
核戦争
核実験
その他[編集]
数学
核 (数学)(カーネル)。準同型の核。
積分変換の核(熱核、再生核)
自然科学
核 (天体)。天体の中心部。
細胞核。
神経核。中枢神経において、神経細胞体の集合、細胞群。
相転移の開始点となるもの。結晶化の場合は結晶核という。
環式有機化合物の骨格部分。ベンゼン環(ベンゼン核)など。
内果皮が硬化し、種子本体を保護するようになったもの。「さね」とも。
技術
カーネル。オペレーティングシステム(OS)の基本部分。
真珠の養殖のときに母貝に入れる球。
社会
父・母・児のうち2要素ないし全てからなる家族を、核家族とよぶ。https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%A0%B8
再生核研究所声明 271(2016.01.04): 永遠は、無限は確かに見えるが、不思議な現象
直線を どこまでも どこまでも行ったら、どうなるだろうか。立体射影の考えで、全直線は 球面上 北極、無限遠点を通る無限遠点を除く円にちょうど写るから、我々は、無限も、永遠も明確に見える、捉えることができると言える。 数学的な解説などは下記を参照:
再生核研究所声明 264 (2015.12.23):永遠とは何か―永遠から
再生核研究所声明257(2015.11.05): 無限大とは何か、無限遠点とは何か―新しい視点
再生核研究所声明232(2015.5.26): 無限大とは何か、無限遠点とは何か。―驚嘆すべきゼロ除算の結果
再生核研究所声明262(2015.12.09): 宇宙回帰説―ゼロ除算の拓いた世界観
とにかく、全直線が まるまる見える、立体射影の考えは、実に楽しく、面白いと言える。この考えは、美しい複素解析学を支える100年以上の伝統を持つ、私たちの空間に対する認識であった。これは永劫回帰の思想を裏付ける世界観を 楽しく表現していると考えて来た。
ところが、2014.2.2.に発見されたゼロ除算は、何とその無限遠点が、実は原点に一致しているという、事実を示している。それが、我々の数学であり、我々の世界を表現しているという。数学的にも、物理的にもいろいろ それらを保証する事実が明らかにされた。これは世界観を変える、世界史的な事件と考えられる:
地球平面説→地球球体説
天動説→地動説
1/0=∞若しくは未定義 →1/0=0
現在、まるで、宗教論争のような状態と言えるが、問題は、無限の彼方、無限遠点がどうして、突然、原点に戻っているかという、強力な不連続性の現象である。複数のEUの数学者に直接意見を伺ったところ、アリストテレスの世界観、世は連続であるに背馳して、そのような世界観、数学は受け入れられないと まるで、魔物でも見るかのように表情を歪めたものである。新しい数学は いろいろ証拠的な現象が沢山発見されたものの、まるで、マインドコントロールにでもかかったかのように 新しい数学を避けているように感じられる。数学的な内容は せいぜい高校生レベルの内容であるにも関わらず、考え方、予断、思い込み、発想の違いの為に、受けいれられない状況がある。
発見されてから あと1ヶ月で丸2年目を迎え、いろいろな実証に当たる現象が見つかったので、本年は世界的に 受けいれられることを期待している。
ゼロ除算の発見の遅れは、争いが絶えない世界史と同様に、人類の知能の乏しさの証拠であり、世界史の恥であると考えられる。できないことを、いろいろ考えて出来るようにしてきたのが、数学の偉大なる歴史であったにも関わらず、ゼロでは割れない、割れないとインドで628年ゼロの発見時から問題にされながら1300年以上も 繰り返してきた。余りにも基本的なことであるから、特に、数学者の歴史的な汚点になるものと考える。そのために数学ばかりではなく、物理学や哲学の発展の遅れを招いてきたのは、歴然である。
以 上
再生核研究所声明 272(2016.01.05): ゼロ除算の研究の推進を
ゼロ除算1/0=0は、西暦628年インドでゼロが記録され、既に問題とされ、それ以来の発見で、未知の新しい数学、新世界である。すなわち、ゼロで割ることは 不可能であるがゆえに 考えてはいけないとされてきたが、ゼロで割ることができるとなったのであるから、未知の世界を探検できる。既に数学的には確立され、物理的、幾何学的にも実証されている。最近、素人にも分かるような面白い例が結構沢山発見されてきたので、広く そのような面白い新しい現象の発見を呼びかけている。結果は、分数を拡張して (ゼロ除算は普通の意味での割り算ではなく、ある意味での割り算である)、何でも0で割るとゼロで、面白いのは、どの様に考えを一般化しても、それに限ることが証明されたことである。導入、動機、一意性、すなわち、それ以外の考えが無いこと、それらが、高校レベルの数学で、簡単に証明された。出版された論文は、高校生にも理解できる内容である。具体的な結果は、関数y = 1/x のグラフは、原点で ゼロであると述べている。すなわち、 1/0=0 である。それらは 既に 数の実体である と言える。
― 要点は、上記直角双曲線は、原点で猛烈な不連続性を有し、爆発や衝突、コマで言えば、中心の特異性などの現象を記述している。複素解析学では、1/0として、無限遠点が存在して、美しい世界であるが、無限遠点は 数値としては ゼロが対応する。現在までに発見されたゼロ除算の実現例を簡単に列挙する:
万有引力の法則で、2つの質点が一致すれば、引力はゼロである;一定の角速度で回転している回転体の中心で、角速度はゼロで、中心で不連続性を有している;光の輝度は光源でゼロであること:円の中心の鏡像は 無限遠点ではなくて、中心そのものであるという強力な不連続性;電柱の微小な左右の揺れから、真っ直ぐに立った電柱の勾配はゼロであり、左右からマイナス無限とプラス無限の傾きの一致として、傾きゼロが存在している; これは複素解析における極の概念を変える;代数的には ゼロ除算z/0=0を含む体の構造が明らかにされ、数体系として自然な体系である複素数体より ゼロ除算z/0=0を含むY体 の方が自然であること;点の曲率がゼロであること、などである。
さらに、原始的なテコの原理にもゼロ除算は明確に現れ、初等幾何学にもいろいろ現れ、例えば、半径Rの円をどんどん大きくすると、円の面積はいくらでも大きくなるが、半径が無限になると突然、その面積はゼロになることが認識された。Rが無限になると円は直線になり、円は壊れて半空間になるからである。このことの明確な意味が数学的に捉えられ、一般に図形が壊れる現象をゼロ除算は表していることが分かった。これらの現象は ゼロ除算が 普遍的に存在する現象を説明するもの と考えられる。
また、ゼロ除算において 無限遠点が 数値では ゼロで表されることは 驚嘆すべきことであり、それではuniverse は一体どうなっているのかと、真智への愛の 激しい情念が湧いてくるのではないだろうか。ゼロ除算は、数学ばかりではなく、物理学や世界観や文化にも大きな影響を与える:
再生核研究所声明166(2014.6.20): ゼロで割る(ゼロ除算)から学ぶ 世界観
再生核研究所声明188(2014.12.16): ゼロで割る(ゼロ除算)から観えてきた世界
ゼロ除算の最も関与している研究は 第1に複素解析学への影響、複素解析学の研究である。実際、ゼロ除算は、ローラン展開そのものの見方から始まり、それは佐藤の超関数や特異積分などに関係している。
第2は、ゼロ除算の物理学への影響である。ニュートンの万有引力の法則など多くの物理法則の公式に、ゼロ除算が現れるので、それらに対する新しい結果の解釈、影響である。
第3は ゼロ除算の代数的な、あるいは作用素論的な研究である。これらも始まったばかりであり、出版が確定している論文:
S.-E. Takahasi, M. Tsukada and Y.Kobayashi, Classificationof continuous fractional binary operators on the realand complex fields, TokyoJournal of Mathematics {\bf 8}(2015), no.2 (in press).
がそれらの最先端である。
これらの分野では、誰でも先頭に立てる新しい研究分野であると言える。
新しい研究分野となると、若い人がやみくもに挑戦するのは危険だと考えるのは、理解できるが、ある程度自己の研究課題が確立していて、多少の余裕がみいだせる人は、新しい世界を自分の研究課題と比較しながら、ちょっと覗いてみるかは、面白いのではないだろうか。思わぬ関連が出てくるのが、数学の研究の楽しさである。アメリカ新大陸に初めて移った人たちの想い、ピッツバーグの地域に初めて移住した人たちの想いを想像してみたい。ゼロ除算は 新しい数学で専門家はいないから、多くの人が面白い現象を発見できる機会があると考えられる。次も参考:
再生核研究所声明189(2014.12.233): ゼロ除算の研究の勧め
再生核研究所声明222(2015.4.8): 日本の代表的な数学として ゼロ除算の研究の推進を求める
再生核研究所声明253(2015.10.28): 私も探そう ― ゼロ除算z/0=0 の現象
再生核研究所声明259 (2015.12.04): 数学の生態、旬の数学 ― ゼロ除算の勧め
再生核研究所声明262 (2015.12.09): 宇宙回帰説 ― ゼロ除算の拓いた世界観
ゼロ除算は下記のように述べられる世界史上の事件であると考えられる:
地球平面説→地球球体説
天動説→地動説
1/0=∞若しくは未定義 →1/0=0
そこで、ゼロ除算の研究の推進を 広く呼びかけたい。研究を推進させるために、研究への参加や、研究活動へのいろいろな協力や応援を求めたい。
以 上
再生核研究所声明 264 (2015.12.23): 永遠とは何か ― 永遠から
現代人は 空間とは 座標軸で表される数の組の集合 で表させるものと発想しているだろう。 基礎である直線は 実数を直線上に並べたもの、逆に直線とは 実は 実数全体の表現と考えられる。 すなわち、直線とは 基準点である原点ゼロから、正方向と負方向に正の実数と負の実数が大小関係で順序づけられ無限に双方向に伸びていると考えられる。
そこで、永遠とは 直線に時間を対応させ、限りなく正方向に進んだ先のことを 想像している。どこまでも どこまでも 先に行けばどうなるだろうか。直線上でも、平面上でも である。 砂漠の伝統を有する欧米文化の背景、キリスト教などの背後には、 永遠とは限りなく 果てしなく先にあると発想しているという。 どこまでも、どこまでも きりのない世界である。 ユークリッド幾何学が そのような空間を考えていることは確かである。
ところが四季に恵まれたアジアの民は、限りなく広がる世界に、不安や淋しさを直感して、 正の先と、負の先が一致していて、直線は円で どこまでも どこまでも行くと反対方向から、現在に至り、永遠は繰り返しであると、四季の繰り返し、天空の繰り返し、円運動のように発想して 仄かな安心感を覚えているという。永劫回帰、輪廻の思想を深く懐いている。実に面白いことには 美しい複素解析学では、立体射影の考えによって、直線を球面上の円と表現し、無限遠点の導入によって、 これらの思想を 数学的に厳格に実現させ、全ユークリッド平面の全貌を捉え、無限の彼方さえ捉えることが出来た。 その時 永遠を 確かに捉え、掴むことさえ出来たと言える。立体射影による球面上の北極に 確かに存在すると言える。素晴しい、数学を手に入れていた。この美しい数学は 100年以上もリーマン球面として、複素解析学の基本となってきている。
ところが2014.2.2偶然に発見されたゼロ除算の結果は、この無限遠点が 実は原点に一致していた という衝撃的な事実を述べていた。 永遠、無限の彼方と想像していたら、それが 実は原点に戻っていたという事実である。 それが我々の数学であり、ユークリッド空間の実相である。幾何学の性質や物理的な法則をきちんと説明している、我々の世界の数学である。
それで、永遠や無限遠点、我々の空間の 十分先の考え方、発想を考える必要がある。
無限の先が原点に一致している事実、それを如何に理解すべきであろうか。
それについて、 次のように解説してきた:
再生核研究所声明232(2015.5.26)無限大とは何か、無限遠点とは何か。― 驚嘆すべきゼロ除算の結果
再生核研究所声明257 (2015.11.05) 無限大とは何か、 無限遠点とは何か ー 新しい視点
再生核研究所声明262 (2015.12.09) 宇宙回帰説 ― ゼロ除算の拓いた世界観
新しい世界観は 始まりから始まり 最後には 突然戻るということを述べている。 しからば、始めとは何で 終りとは何だろうか。 これについて、 始めも終わりも、質的な変化であると定義できるのではないだろうか。 簡単な数学で万物、universe の現象を説明するのは難しい状況は確かにあるだろう.しかし、ゼロ除算の思想は、新羅万象が絶えず変化して 繰り返している様を表現しているように感じられる。
大事な人生の視点は 今日は 明日のためや遠い未来のためにあるのではなく、 現在、現在における在るべき適切な在りようが大事だと言っているようである。もちろん、現在は、未来と過去に関係する存在であり、それらは関係付けられ、繋がっているが 焦点はもちろん、 現在にあるということである。
ビッグバンの宇宙論は 適切に理解され、始めとは 大きな変化で 現状の元が始まり、
やがて突然、元に戻って 終わることを暗示しているようである。人生とは 要するに 内なる自分と環境に調和するように在れ と ゼロ除算は言っているようである。
ゼロ除算は 仏教の偉大なる思想 を暗示させているように感じられる。
以 上
再生核研究所声明 267(2015.12.26): 未知の世界に遭遇したとき、分からないとき ― そのときどうするか
人生には重要な岐路が有ったり、判断を求められたり、決断を迫られたりする場面は多い。
志、進路、就職、結婚相手の決定、新居の設計、購入、政治的な判断、決定、などなど。そこで、心構えなど纏めてみたい。
まずは 分を弁えることが大事である。敵を知り己を知れば百戦殆うからず(『孫子・謀攻』に「彼を知り己を知れば百戦殆からず。彼を知らずして己を知れば、一勝一負す。彼を知らず己を知らざれば、戦う毎に必ず殆し(敵と味方の実情を熟知していれば、百回戦っても負けることはない。敵情を知らないで味方のことだけを知っているのでは、勝ったり負けたりして勝負がつかず、敵のことも味方のことも知らなければ必ず負ける)」とあるのに基づく。原典では「殆うからず」だが、「危うからず」と書いても誤りではない。
「敵を知り己を知れば百戦殆うからず」とも。― 故事ことわざ辞典)結局は 自己の状況、器にあったことしか成し得ないのだから、自分を自分なりに 捉えることが基本になる。世界観は 自分の見た世界が 認識した世界が 反映しているものであるから、自分が近いと感じる世界の影響を深く受けるであろう。 そこで、何事 常日頃 頼っている家族や、友人などに意見を求めることは基本ではないだろうか。いろいろ文献や情報を参考にする。 一般的には確信に至るまで、できるだけ時間を取るは 大事な心得である。 最初戸惑ったことでも、情報を集めたり、友人に相談したりして考察を深めていけば、自分なりに確信、信念の域に至る、そうなれば、迷わず、決断してその方向で歩めるのではないだろうか。
ところが、憲法改正問題や原発の是非など、真面目に考えれば、素人の多くの人には、判断のしようがない問題が世には多い。多くの場合には どちらにも道理があり、基礎知識さえ明らかではなく、真実、実情さえ怪しく、考える基礎すら疑わしくなる。このような場合には、裁判官のように 対立する意見を広く参考にして、多くは 日頃信頼している人たちの意見を重要視するのが良く、日頃修練して 大事な問題に対して、判断できるような心構えを培って置きたい。良識ある少数意見などについても 注意深く参照して置きたい。大衆の意見に迎合したり、群集心理で動かされる心理は深いので、くれぐれも注意したい。
事の、是か非かは、できるだけ広い視野をもって考え、予断、思い込みを疑い、確信に至るまで、できるだけ時間をとる、止むを得ない場合には 信じられる人、信じられる考えに従うが良いのではないだろうか。経験や歴史を参照するのも当然である。
未知の世界に遭遇したとき、慎重に、慎重に時間を掛けて、状況の理解に努め、状況の掌握ができてから、慎重に進めたい。研究でも、科学技術でも経済、社会でも である。 変化の大きな現状では 慎重さで 抑制的に対応するのが特に大事ではないだろうか。グロバリゼーションや国際交流など 全般についても言えるのではないだろうか。変化の状況、時間的な経緯も大事である。
以 上









ウィクショナリーに核の項目があります。
核(かく、さね)は、軸・中心となるもの。中核、核心。
英語のnucleus(形容詞 nuclear、口語nuke)、core、kernelなどの訳語にも使われる。
特に記したもの以外は「かく」と読む。
原子核[編集]
原子核
核エネルギー(原子力)
原子炉
原子力発電
原子力発電所
核兵器
核戦争
核実験
その他[編集]
数学
核 (数学)(カーネル)。準同型の核。
積分変換の核(熱核、再生核)
自然科学
核 (天体)。天体の中心部。
細胞核。
神経核。中枢神経において、神経細胞体の集合、細胞群。
相転移の開始点となるもの。結晶化の場合は結晶核という。
環式有機化合物の骨格部分。ベンゼン環(ベンゼン核)など。
内果皮が硬化し、種子本体を保護するようになったもの。「さね」とも。
技術
カーネル。オペレーティングシステム(OS)の基本部分。
真珠の養殖のときに母貝に入れる球。
社会
父・母・児のうち2要素ないし全てからなる家族を、核家族とよぶ。https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%A0%B8
再生核研究所声明 271(2016.01.04): 永遠は、無限は確かに見えるが、不思議な現象
直線を どこまでも どこまでも行ったら、どうなるだろうか。立体射影の考えで、全直線は 球面上 北極、無限遠点を通る無限遠点を除く円にちょうど写るから、我々は、無限も、永遠も明確に見える、捉えることができると言える。 数学的な解説などは下記を参照:
再生核研究所声明 264 (2015.12.23):永遠とは何か―永遠から
再生核研究所声明257(2015.11.05): 無限大とは何か、無限遠点とは何か―新しい視点
再生核研究所声明232(2015.5.26): 無限大とは何か、無限遠点とは何か。―驚嘆すべきゼロ除算の結果
再生核研究所声明262(2015.12.09): 宇宙回帰説―ゼロ除算の拓いた世界観
とにかく、全直線が まるまる見える、立体射影の考えは、実に楽しく、面白いと言える。この考えは、美しい複素解析学を支える100年以上の伝統を持つ、私たちの空間に対する認識であった。これは永劫回帰の思想を裏付ける世界観を 楽しく表現していると考えて来た。
ところが、2014.2.2.に発見されたゼロ除算は、何とその無限遠点が、実は原点に一致しているという、事実を示している。それが、我々の数学であり、我々の世界を表現しているという。数学的にも、物理的にもいろいろ それらを保証する事実が明らかにされた。これは世界観を変える、世界史的な事件と考えられる:
地球平面説→地球球体説
天動説→地動説
1/0=∞若しくは未定義 →1/0=0
現在、まるで、宗教論争のような状態と言えるが、問題は、無限の彼方、無限遠点がどうして、突然、原点に戻っているかという、強力な不連続性の現象である。複数のEUの数学者に直接意見を伺ったところ、アリストテレスの世界観、世は連続であるに背馳して、そのような世界観、数学は受け入れられないと まるで、魔物でも見るかのように表情を歪めたものである。新しい数学は いろいろ証拠的な現象が沢山発見されたものの、まるで、マインドコントロールにでもかかったかのように 新しい数学を避けているように感じられる。数学的な内容は せいぜい高校生レベルの内容であるにも関わらず、考え方、予断、思い込み、発想の違いの為に、受けいれられない状況がある。
発見されてから あと1ヶ月で丸2年目を迎え、いろいろな実証に当たる現象が見つかったので、本年は世界的に 受けいれられることを期待している。
ゼロ除算の発見の遅れは、争いが絶えない世界史と同様に、人類の知能の乏しさの証拠であり、世界史の恥であると考えられる。できないことを、いろいろ考えて出来るようにしてきたのが、数学の偉大なる歴史であったにも関わらず、ゼロでは割れない、割れないとインドで628年ゼロの発見時から問題にされながら1300年以上も 繰り返してきた。余りにも基本的なことであるから、特に、数学者の歴史的な汚点になるものと考える。そのために数学ばかりではなく、物理学や哲学の発展の遅れを招いてきたのは、歴然である。
以 上
再生核研究所声明 272(2016.01.05): ゼロ除算の研究の推進を
ゼロ除算1/0=0は、西暦628年インドでゼロが記録され、既に問題とされ、それ以来の発見で、未知の新しい数学、新世界である。すなわち、ゼロで割ることは 不可能であるがゆえに 考えてはいけないとされてきたが、ゼロで割ることができるとなったのであるから、未知の世界を探検できる。既に数学的には確立され、物理的、幾何学的にも実証されている。最近、素人にも分かるような面白い例が結構沢山発見されてきたので、広く そのような面白い新しい現象の発見を呼びかけている。結果は、分数を拡張して (ゼロ除算は普通の意味での割り算ではなく、ある意味での割り算である)、何でも0で割るとゼロで、面白いのは、どの様に考えを一般化しても、それに限ることが証明されたことである。導入、動機、一意性、すなわち、それ以外の考えが無いこと、それらが、高校レベルの数学で、簡単に証明された。出版された論文は、高校生にも理解できる内容である。具体的な結果は、関数y = 1/x のグラフは、原点で ゼロであると述べている。すなわち、 1/0=0 である。それらは 既に 数の実体である と言える。
― 要点は、上記直角双曲線は、原点で猛烈な不連続性を有し、爆発や衝突、コマで言えば、中心の特異性などの現象を記述している。複素解析学では、1/0として、無限遠点が存在して、美しい世界であるが、無限遠点は 数値としては ゼロが対応する。現在までに発見されたゼロ除算の実現例を簡単に列挙する:
万有引力の法則で、2つの質点が一致すれば、引力はゼロである;一定の角速度で回転している回転体の中心で、角速度はゼロで、中心で不連続性を有している;光の輝度は光源でゼロであること:円の中心の鏡像は 無限遠点ではなくて、中心そのものであるという強力な不連続性;電柱の微小な左右の揺れから、真っ直ぐに立った電柱の勾配はゼロであり、左右からマイナス無限とプラス無限の傾きの一致として、傾きゼロが存在している; これは複素解析における極の概念を変える;代数的には ゼロ除算z/0=0を含む体の構造が明らかにされ、数体系として自然な体系である複素数体より ゼロ除算z/0=0を含むY体 の方が自然であること;点の曲率がゼロであること、などである。
さらに、原始的なテコの原理にもゼロ除算は明確に現れ、初等幾何学にもいろいろ現れ、例えば、半径Rの円をどんどん大きくすると、円の面積はいくらでも大きくなるが、半径が無限になると突然、その面積はゼロになることが認識された。Rが無限になると円は直線になり、円は壊れて半空間になるからである。このことの明確な意味が数学的に捉えられ、一般に図形が壊れる現象をゼロ除算は表していることが分かった。これらの現象は ゼロ除算が 普遍的に存在する現象を説明するもの と考えられる。
また、ゼロ除算において 無限遠点が 数値では ゼロで表されることは 驚嘆すべきことであり、それではuniverse は一体どうなっているのかと、真智への愛の 激しい情念が湧いてくるのではないだろうか。ゼロ除算は、数学ばかりではなく、物理学や世界観や文化にも大きな影響を与える:
再生核研究所声明166(2014.6.20): ゼロで割る(ゼロ除算)から学ぶ 世界観
再生核研究所声明188(2014.12.16): ゼロで割る(ゼロ除算)から観えてきた世界
ゼロ除算の最も関与している研究は 第1に複素解析学への影響、複素解析学の研究である。実際、ゼロ除算は、ローラン展開そのものの見方から始まり、それは佐藤の超関数や特異積分などに関係している。
第2は、ゼロ除算の物理学への影響である。ニュートンの万有引力の法則など多くの物理法則の公式に、ゼロ除算が現れるので、それらに対する新しい結果の解釈、影響である。
第3は ゼロ除算の代数的な、あるいは作用素論的な研究である。これらも始まったばかりであり、出版が確定している論文:
S.-E. Takahasi, M. Tsukada and Y.Kobayashi, Classificationof continuous fractional binary operators on the realand complex fields, TokyoJournal of Mathematics {\bf 8}(2015), no.2 (in press).
がそれらの最先端である。
これらの分野では、誰でも先頭に立てる新しい研究分野であると言える。
新しい研究分野となると、若い人がやみくもに挑戦するのは危険だと考えるのは、理解できるが、ある程度自己の研究課題が確立していて、多少の余裕がみいだせる人は、新しい世界を自分の研究課題と比較しながら、ちょっと覗いてみるかは、面白いのではないだろうか。思わぬ関連が出てくるのが、数学の研究の楽しさである。アメリカ新大陸に初めて移った人たちの想い、ピッツバーグの地域に初めて移住した人たちの想いを想像してみたい。ゼロ除算は 新しい数学で専門家はいないから、多くの人が面白い現象を発見できる機会があると考えられる。次も参考:
再生核研究所声明189(2014.12.233): ゼロ除算の研究の勧め
再生核研究所声明222(2015.4.8): 日本の代表的な数学として ゼロ除算の研究の推進を求める
再生核研究所声明253(2015.10.28): 私も探そう ― ゼロ除算z/0=0 の現象
再生核研究所声明259 (2015.12.04): 数学の生態、旬の数学 ― ゼロ除算の勧め
再生核研究所声明262 (2015.12.09): 宇宙回帰説 ― ゼロ除算の拓いた世界観
ゼロ除算は下記のように述べられる世界史上の事件であると考えられる:
地球平面説→地球球体説
天動説→地動説
1/0=∞若しくは未定義 →1/0=0
そこで、ゼロ除算の研究の推進を 広く呼びかけたい。研究を推進させるために、研究への参加や、研究活動へのいろいろな協力や応援を求めたい。
以 上
再生核研究所声明 264 (2015.12.23): 永遠とは何か ― 永遠から
現代人は 空間とは 座標軸で表される数の組の集合 で表させるものと発想しているだろう。 基礎である直線は 実数を直線上に並べたもの、逆に直線とは 実は 実数全体の表現と考えられる。 すなわち、直線とは 基準点である原点ゼロから、正方向と負方向に正の実数と負の実数が大小関係で順序づけられ無限に双方向に伸びていると考えられる。
そこで、永遠とは 直線に時間を対応させ、限りなく正方向に進んだ先のことを 想像している。どこまでも どこまでも 先に行けばどうなるだろうか。直線上でも、平面上でも である。 砂漠の伝統を有する欧米文化の背景、キリスト教などの背後には、 永遠とは限りなく 果てしなく先にあると発想しているという。 どこまでも、どこまでも きりのない世界である。 ユークリッド幾何学が そのような空間を考えていることは確かである。
ところが四季に恵まれたアジアの民は、限りなく広がる世界に、不安や淋しさを直感して、 正の先と、負の先が一致していて、直線は円で どこまでも どこまでも行くと反対方向から、現在に至り、永遠は繰り返しであると、四季の繰り返し、天空の繰り返し、円運動のように発想して 仄かな安心感を覚えているという。永劫回帰、輪廻の思想を深く懐いている。実に面白いことには 美しい複素解析学では、立体射影の考えによって、直線を球面上の円と表現し、無限遠点の導入によって、 これらの思想を 数学的に厳格に実現させ、全ユークリッド平面の全貌を捉え、無限の彼方さえ捉えることが出来た。 その時 永遠を 確かに捉え、掴むことさえ出来たと言える。立体射影による球面上の北極に 確かに存在すると言える。素晴しい、数学を手に入れていた。この美しい数学は 100年以上もリーマン球面として、複素解析学の基本となってきている。
ところが2014.2.2偶然に発見されたゼロ除算の結果は、この無限遠点が 実は原点に一致していた という衝撃的な事実を述べていた。 永遠、無限の彼方と想像していたら、それが 実は原点に戻っていたという事実である。 それが我々の数学であり、ユークリッド空間の実相である。幾何学の性質や物理的な法則をきちんと説明している、我々の世界の数学である。
それで、永遠や無限遠点、我々の空間の 十分先の考え方、発想を考える必要がある。
無限の先が原点に一致している事実、それを如何に理解すべきであろうか。
それについて、 次のように解説してきた:
再生核研究所声明232(2015.5.26)無限大とは何か、無限遠点とは何か。― 驚嘆すべきゼロ除算の結果
再生核研究所声明257 (2015.11.05) 無限大とは何か、 無限遠点とは何か ー 新しい視点
再生核研究所声明262 (2015.12.09) 宇宙回帰説 ― ゼロ除算の拓いた世界観
新しい世界観は 始まりから始まり 最後には 突然戻るということを述べている。 しからば、始めとは何で 終りとは何だろうか。 これについて、 始めも終わりも、質的な変化であると定義できるのではないだろうか。 簡単な数学で万物、universe の現象を説明するのは難しい状況は確かにあるだろう.しかし、ゼロ除算の思想は、新羅万象が絶えず変化して 繰り返している様を表現しているように感じられる。
大事な人生の視点は 今日は 明日のためや遠い未来のためにあるのではなく、 現在、現在における在るべき適切な在りようが大事だと言っているようである。もちろん、現在は、未来と過去に関係する存在であり、それらは関係付けられ、繋がっているが 焦点はもちろん、 現在にあるということである。
ビッグバンの宇宙論は 適切に理解され、始めとは 大きな変化で 現状の元が始まり、
やがて突然、元に戻って 終わることを暗示しているようである。人生とは 要するに 内なる自分と環境に調和するように在れ と ゼロ除算は言っているようである。
ゼロ除算は 仏教の偉大なる思想 を暗示させているように感じられる。
以 上
再生核研究所声明 267(2015.12.26): 未知の世界に遭遇したとき、分からないとき ― そのときどうするか
人生には重要な岐路が有ったり、判断を求められたり、決断を迫られたりする場面は多い。
志、進路、就職、結婚相手の決定、新居の設計、購入、政治的な判断、決定、などなど。そこで、心構えなど纏めてみたい。
まずは 分を弁えることが大事である。敵を知り己を知れば百戦殆うからず(『孫子・謀攻』に「彼を知り己を知れば百戦殆からず。彼を知らずして己を知れば、一勝一負す。彼を知らず己を知らざれば、戦う毎に必ず殆し(敵と味方の実情を熟知していれば、百回戦っても負けることはない。敵情を知らないで味方のことだけを知っているのでは、勝ったり負けたりして勝負がつかず、敵のことも味方のことも知らなければ必ず負ける)」とあるのに基づく。原典では「殆うからず」だが、「危うからず」と書いても誤りではない。
「敵を知り己を知れば百戦殆うからず」とも。― 故事ことわざ辞典)結局は 自己の状況、器にあったことしか成し得ないのだから、自分を自分なりに 捉えることが基本になる。世界観は 自分の見た世界が 認識した世界が 反映しているものであるから、自分が近いと感じる世界の影響を深く受けるであろう。 そこで、何事 常日頃 頼っている家族や、友人などに意見を求めることは基本ではないだろうか。いろいろ文献や情報を参考にする。 一般的には確信に至るまで、できるだけ時間を取るは 大事な心得である。 最初戸惑ったことでも、情報を集めたり、友人に相談したりして考察を深めていけば、自分なりに確信、信念の域に至る、そうなれば、迷わず、決断してその方向で歩めるのではないだろうか。
ところが、憲法改正問題や原発の是非など、真面目に考えれば、素人の多くの人には、判断のしようがない問題が世には多い。多くの場合には どちらにも道理があり、基礎知識さえ明らかではなく、真実、実情さえ怪しく、考える基礎すら疑わしくなる。このような場合には、裁判官のように 対立する意見を広く参考にして、多くは 日頃信頼している人たちの意見を重要視するのが良く、日頃修練して 大事な問題に対して、判断できるような心構えを培って置きたい。良識ある少数意見などについても 注意深く参照して置きたい。大衆の意見に迎合したり、群集心理で動かされる心理は深いので、くれぐれも注意したい。
事の、是か非かは、できるだけ広い視野をもって考え、予断、思い込みを疑い、確信に至るまで、できるだけ時間をとる、止むを得ない場合には 信じられる人、信じられる考えに従うが良いのではないだろうか。経験や歴史を参照するのも当然である。
未知の世界に遭遇したとき、慎重に、慎重に時間を掛けて、状況の理解に努め、状況の掌握ができてから、慎重に進めたい。研究でも、科学技術でも経済、社会でも である。 変化の大きな現状では 慎重さで 抑制的に対応するのが特に大事ではないだろうか。グロバリゼーションや国際交流など 全般についても言えるのではないだろうか。変化の状況、時間的な経緯も大事である。
以 上








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