2016年1月22日金曜日

ローマ数字:なお、0 を表す表記は存在しない。

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ローマ数字(ローマすうじ)は、数を表す記号の一種である。ラテン文字の一部を用い、例えば I, II, III, IV, V,VI,VII,VIII,IX,X のように並べて表現する。I, V, X, L, C, D, M がそれぞれ 1, 5, 10, 50, 100, 500, 1000 を表す。i, v, x などと小文字で書くこともある。現代の一般的な表記法では、1 以上 3999 以下の数を表すことができる。
ローマ数字のことをギリシャ数字と呼ぶ例が見られるが、これは誤りである。

ヴィクトリア朝時代に成立し、現代まで一般的に用いられている表記法では、まず「I」が1、「V」が5、「X」が10、「L」が50、「C」が100、「D」が500、「M」が1000を意味する。これ以外の数は基本的にこれらの加算で表現され、加算すべき数を、できるだけ使う文字数が少なくなるように選び、左から大きい順に並べて書く。例えば 3 は「III」、7 は「VII」、20 は「XX」、23 は「XXIII」となる。
ただし、同じ文字を4つ以上連続で並べることはできない。そのため、例えば 4 は「IIII」、9は「VIIII」とは表現できない。この場合は小さい数を大きい数の左に書き、右から左を減ずることを意味する。これを減算則という。よって4は「IV」、9 は「IX」と書く。なお、減算則が認められるのは同じ文字を4つ以上連続で並べるのを避けるためだけであり、それ以外で使うことは認められていない。また、減算則を使う場合でも認められているのはI を VまたはX の左に、X を LまたはC の左に、C を DまたはM の左に 1 つだけ置く6種類だけであり、それ以外の使い方は認められていない。また、V、L、Dは1つの数字の中で1回までしか使うことができないため、例えば9を「VIV」、90を「LXL」と表記することは認められていない。
以上を踏まえると、1-9 およびその 10 倍と100 倍、1000、2000、3000は以下のような表記となる。なお、0 を表す表記は存在しない。
1 2 3 4 5 6 7 8 9
I II III IV V VI VII VIII IX
10 20 30 40 50 60 70 80 90
X XX XXX XL L LX LXX LXXX XC
100 200 300 400 500 600 700 800 900
C CC CCC CD D DC DCC DCCC CM
1000 2000 3000
M MM MMM
これを組み合わせることで、1-3999 の値が表現できる。なお、4000以上の値は表現できない。
ローマ数字の並べ方の例[編集]
※アラビア数字での計算式は脚注を参照のこと(以下このページにおいて同じ)。
11 = XI[1]
12 = XII[2]
13 = XIII[3]
14 = XIV[4]
15 = XV[5]
16 = XVI[6]
17 = XVII[7]
18 = XVIII[8]
19 = XIX[9]
24 = XXIV[10]
43 = XLIII[11]
99 = XCIX[12]
495 = CDXCV[13]
1888 = MDCCCLXXXVIII[14]
1945 = MCMXLV[15]
2015 = MMXV[16]
3999 = MMMCMXCIX[17]
なお、手書きでは、大文字のローマ数字は上下のセリフをつなげて書くことが多い。「V」は上部のセリフをつなぎ、逆三角形(▽)のようになる。小文字ではセリフを書かない。
上記以外の表記法[編集]
ローマ数字はもともと厳密な規則が定義されたものではなく、特に減算則に関しては様々な異表記が見られる。当初は減算則が存在しなかったため、4 を「IIII[18]」、9 を「VIIII[19]」と書いていた。時代を下っても、例えば 14世紀の著名な英語の料理解説書 The Forme of Cury は 4 を「IIII」、9 を「IX」と表記している。一方で「IV」と表記した箇所もある(書かれた年代が 10 年ほど古い)。
時計の文字盤での表記[編集]
時計の文字盤は伝統的に 4 時を「IIII」とし、 9 時は通常表記の「IX」で示すものが多い。その由来には下記のように様々な説が唱えられているが、定説はない。なお「IV」や「VIIII」で表示した時計も存在する。
ローマ神話の最高神・ユピテル (IVPITER) の最初の 2 文字と重なるのを避けるため。
4 を「IV」と書くと「VI」と見分けにくいため。
「IIII」ならば「I」という刻印を 4 回押せば文字盤の文字が作れるが、「IV」だと専用の型が必要になる。
専用の文字を使うのは、ちょうど間が 4 時間おきになる V と X だけのほうがいい。
「IIII」にすれば左側の「VIII」と文字数が釣り合い、見栄えがよい。
特定の有力なローマの時計製造者が「IIII」と書いた時計を作ったため、他の製造者もそれに倣った。
ルイ14世が、文字盤に「IV」を用いることを禁じた。
シャルル4世が、「IV」を用いることを禁じた。
異表記(その1)[編集]
また、8 を「IIX[20]」(減算の文字を複数並べる)、1606 を「MCCCCCCVI[21]」(500 に「D」を使わない)、1495 を「MCCCCLXXXXV[22]」(減算を行わない)とするような例もある。
先述の規則では「I」で減算できるのは「V」か「X」だけであったが、これでは例えば「999」は「CMXCIX=[23]」と複雑になるため、 1000 から 1 を減じたものとして簡略に「IM」と表現することもある。Microsoft Excel の ROMAN 関数で「書式 4」を用いるとこのように変換される。
異表記(その2)[編集]
現代ではあまり使用されないが、1000 を表すのに「M」ではなく「ↀ」または「CIↃ」を用いる場合もある。5000 を「ↁ」または「IↃↃ」、10000 を「ↂ」または「CCIↃↃ」で表した例もある。同様にして 50000 は「ↇ」または「IↃↃↃ」、100000 は「ↈ」または「CCCIↃↃↃ」となる。また、1⁄2を「S」、1⁄12を「•」などとする分数の記号もあった。
ほかに、80 を「R」、2000 を「Z」とする異表記もある。
用途[編集]

東京競馬場のターフビジョン
現在、ローマ数字は「エリザベスⅡ世」などのように順序や番号、文章の脚注番号に使うことが多い。特に英文では節番号を小文字ローマ数字で表すことが多い。
イギリスでは、大学の学年表記の他、BBCが番組の製作年を表すのにローマ数字を使っており、エンドクレジットの最後で下部分に「MMX(2010)」などと表示される。
1980年代頃までは映画の著作権表示の制作年にローマ数字が使われることが多かった。例えば、1983年に発売されたタイトーの業務用ゲーム『エレベーターアクション』の著作権表記は「© TAITO CORP. MCMLXXXIII」となっている。
音楽理論では、音階の中での音の位置を表すのにローマ数字を用いる。最もよく用いられるのは和音の調の中での位置を表す時である。大文字と小文字は場合によって様々な意味で使い分けられる。手書きでは「i」の点を打たないのが普通である。
日本の公営競技の確定板でも、着順の表示に用いられている。
ローマ数字の歴史[編集]
古代ローマ人は元々農耕民族だった。羊の数を数えるのに木の棒に刻み目を入れた。柵から1匹ずつヤギが出て行くたびに刻み目を1つずつ増やしていった。3匹目のヤギが出て行くと「III」と表し、4匹目のヤギが出て行くと3本の刻み目の横にもう1本刻み目を増やして「IIII」とした。5匹目のヤギが出て行くと、4本目の刻み目の右にこのときだけ「V」と刻んだ(∧と刻んだ羊飼いもいた)。このときの棒についた刻み目は「IIIIV」となる。6匹目のヤギが出て行くと、刻み目の模様は「IIIIVI」、7匹目が出て行くと「IIIIVII」となる。9匹目の次のヤギが出て行くと「IIIIVIIII」の右に「X」という印を刻んだ。棒の模様は「IIIIVIIIIX」となる。31匹のヤギは「IIIIVIIIIXIIIIVIIIIXIIIIVIIIIXI」と表す。このように刻んだのは、夕方にヤギが1匹ずつ戻ってきたときに記号の1つ1つがヤギ1匹ずつに対応していたほうが便利だったためである。ヤギが戻ると、記号を指で端から1個1個たどっていった。最後のヤギが戻るときに指先が最後の記号にふれていれば、ヤギは全部無事に戻ったことになる。50匹目のヤギはN、+または⊥で表した。100匹目は*で表した。これらの記号はローマのそばのエトルリア人も使った。エトルリアのほうが文明が栄えていたので、そちらからローマに伝わった可能性もある。1000は○の中に十を入れた記号で表した。
よく言われる「X」は「V」を2つ重ねて書いたもの、あるいは「V」は「X」の上半分という説は、誤りとは言い切れないが確たる根拠もないようである。
やがて時代が下り、羊以外のものも数えるようになると、31は単に「XXXI」と書くようになった。5はしばらく「V」と「∧」が混在して使われた。50は当初N、И、K、Ψ、などと書き、しばらく「⊥」かそれに似た模様を使ったが、アルファベットが伝わると混同して「L」となった。100は*だけでなくЖ、Hなどと書いたが、*がしだいに離れて「>|<」や「⊃|⊂」になり、よく使う数なので簡略になり、「C」や「⊃」と書きそのまま残った(ラテン語の"centum=100"が起源という説もある)。500は最初、1000を表す「⊂|⊃」から左の⊂を外し、「|⊃」と書いた。やがて2つの記号がくっつき、「D」となった。「D」の真ん中に横棒のついて「D」や「Ð」とも書いた。1000は○に十の記号が省略されて「⊂|⊃」となった。「∞」と書いた例もある。これが全部くっついたのが「Φ」に似た記号である。これが別の変形をし上だけがくっついて「m」に似た形になり、アルファベットが伝わると自然と「M」と書かれるようにもなった(ラテン語の"mille=1000"からも考慮されている)。そのため、1000は今でも2つの表記法が混在している。
5000以上の数は100と1000の字体の差から自然に決まった。ただし、「凶」を上下逆に書いた形(X)で1000000(100万)を表したこともある。
古代ローマ共和国時代の算盤では、記号の上に横棒を引いて1000倍を表したものもある。この方法では、10000は「X」の上に横棒を1本引いたもので表される。100000(10万)や1000000(100万)は「C」や「M」の上に横棒を1本を引いて表した。たとえば10000は「X」となる。
例:CCX[24]=210000(21万)
数字の上部分に「 ̄」・左右に「|」をそれぞれつけて10万倍を表すこともあった(上と左右の線をくっつけて表記することも多い)。たとえば10(X)を10万倍した数=1000000(100万)は、「X」と表記する。
例:|MDCLI| LXXVIII CCCXVI[25]=165178316(1億6517万8316)
その後、他の文明との接触により変わった表記法が現れた。1世紀、プリニウスは著書『博物誌』で83000を「LXXXIII.M[26]」と表記した。83.1000(83の1000倍)という書き方である。同じ文書中に、XCII.M [27](92000)、VM [28](5000) という表記もある。この乗算則はしばらく使われたようである。1299年に作成された『王フィリップ4世の財宝帳簿』では、5316を「VmIIIcXVI[29]」と表した。漢数字の書き方によく似ている。ただしこれらの乗算則は現在は使われない。
ドイツ語版Wikipediaには、9054を「|IX|LIV[30]」のように書いた例が載っている。
1000を超える数の表記法に混乱があるのは一般人は巨大な数を扱う機会がなかったためと考えられる。
その他[編集]
Microsoft Excel のROMANという関数は 0 から 3999 までの数をローマ数字に変換する。範囲外の数ではエラー値「#VALUE!」が表示される。なお、0の場合はエラー値でなく空文字列を返す。
英語で 100 ドル札を「C-bill」や「C-note」と呼ぶのはローマ数字の C に由来する[要出典]。
文字コードにおけるローマ数字[編集]
基本的には通常のラテン文字を並べてローマ数字を表現する。Unicode 以前から欧米で一般的に使用されている ISO/IEC 8859 などの文字コードは、ローマ数字専用の符号を持っていない。
日本工業規格(JIS)[編集]
日本で用いられる文字コードとしても、JIS X 0208 にはローマ数字専用の符号は定義されていない。これを拡張した Microsoftコードページ932 (CP932) や MacJapanese などにおいて、いわゆる機種依存文字として定義されており、追って JIS X 0213 にも取り入れられた。CP932 にあるのは大文字 I - X と小文字 i - x の合成済み 20 字、MacJapanese にあるのは 大文字 I - XV と小文字 i - xv の合成済み 30 字、JIS X 0213 は大文字 I - XII と小文字 i - xii の合成済み 24 字である。これらは縦書きの組版の際に縦中横を容易に実現するために用いられ(一般の組版ルールでローマ数字は縦中横である)、多くのフォントで全角文字としてデザインされる。
Unicode[編集]
Unicode は、JIS X 0213 などとの互換性のために上述の合成済みローマ数字を収録した上、その延長として Ⅼ, Ⅽ, Ⅾ, Ⅿ, ⅼ, ⅽ, ⅾ, ⅿ[31]、また通常のラテン文字にない Ↄ, ↄ, ↀ, ↁ, ↂ, ↇ, ↈ, ↅ, ↆ [32]も定義している。これらは U+2160 から U+2188 までの符号位置を割り当てられている。(Unicode 7.0.0 時点)〈登録領域〉Number Form(数字に準じるもの)
機械処理の注意点[編集]
ラテン文字と共通の符号を用いるため、機械処理の際にアルファベットとしての「アイ/I」「ブイ、ヴィ/V」「エックス/X」「エル/L」「シー/C」「ディー/D」「エム/M」なのか数字の「いち/一/1」「ご/五/5」「じゅう/十/10」「ごじゅう/五十/50」「ひゃく/百/100」「ごひゃく/五百/500」「せん/千/1000」なのか解釈を誤る場合もある。https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%AD%E3%83%BC%E3%83%9E%E6%95%B0%E5%AD%97


再生核研究所声明 271(2016.01.04): 永遠は、無限は確かに見えるが、不思議な現象

直線を どこまでも どこまでも行ったら、どうなるだろうか。立体射影の考えで、全直線は 球面上 北極、無限遠点を通る無限遠点を除く円にちょうど写るから、我々は、無限も、永遠も明確に見える、捉えることができると言える。 数学的な解説などは下記を参照:

再生核研究所声明 264 (2015.12.23):永遠とは何か―永遠から
再生核研究所声明257(2015.11.05): 無限大とは何か、無限遠点とは何か―新しい視点
再生核研究所声明232(2015.5.26): 無限大とは何か、無限遠点とは何か。―驚嘆すべきゼロ除算の結果
再生核研究所声明262(2015.12.09): 宇宙回帰説―ゼロ除算の拓いた世界観

とにかく、全直線が まるまる見える、立体射影の考えは、実に楽しく、面白いと言える。この考えは、美しい複素解析学を支える100年以上の伝統を持つ、私たちの空間に対する認識であった。これは永劫回帰の思想を裏付ける世界観を 楽しく表現していると考えて来た。
ところが、2014.2.2.に発見されたゼロ除算は、何とその無限遠点が、実は原点に一致しているという、事実を示している。それが、我々の数学であり、我々の世界を表現しているという。数学的にも、物理的にもいろいろ それらを保証する事実が明らかにされた。これは世界観を変える、世界史的な事件と考えられる:

地球平面説→地球球体説
天動説→地動説
1/0=∞若しくは未定義 →1/0=0

現在、まるで、宗教論争のような状態と言えるが、問題は、無限の彼方、無限遠点がどうして、突然、原点に戻っているかという、強力な不連続性の現象である。複数のEUの数学者に直接意見を伺ったところ、アリストテレスの世界観、世は連続であるに背馳して、そのような世界観、数学は受け入れられないと まるで、魔物でも見るかのように表情を歪めたものである。新しい数学は いろいろ証拠的な現象が沢山発見されたものの、まるで、マインドコントロールにでもかかったかのように 新しい数学を避けているように感じられる。数学的な内容は せいぜい高校生レベルの内容であるにも関わらず、考え方、予断、思い込み、発想の違いの為に、受けいれられない状況がある。
発見されてから あと1ヶ月で丸2年目を迎え、いろいろな実証に当たる現象が見つかったので、本年は世界的に 受けいれられることを期待している。
ゼロ除算の発見の遅れは、争いが絶えない世界史と同様に、人類の知能の乏しさの証拠であり、世界史の恥であると考えられる。できないことを、いろいろ考えて出来るようにしてきたのが、数学の偉大なる歴史であったにも関わらず、ゼロでは割れない、割れないとインドで628年ゼロの発見時から問題にされながら1300年以上も 繰り返してきた。余りにも基本的なことであるから、特に、数学者の歴史的な汚点になるものと考える。そのために数学ばかりではなく、物理学や哲学の発展の遅れを招いてきたのは、歴然である。

以 上

再生核研究所声明 264 (2015.12.23):  永遠とは何か ― 永遠から

現代人は 空間とは 座標軸で表される数の組の集合 で表させるものと発想しているだろう。 基礎である直線は 実数を直線上に並べたもの、逆に直線とは 実は 実数全体の表現と考えられる。 すなわち、直線とは 基準点である原点ゼロから、正方向と負方向に正の実数と負の実数が大小関係で順序づけられ無限に双方向に伸びていると考えられる。
そこで、永遠とは 直線に時間を対応させ、限りなく正方向に進んだ先のことを 想像している。どこまでも どこまでも 先に行けばどうなるだろうか。直線上でも、平面上でも である。 砂漠の伝統を有する欧米文化の背景、キリスト教などの背後には、 永遠とは限りなく 果てしなく先にあると発想しているという。 どこまでも、どこまでも きりのない世界である。 ユークリッド幾何学が そのような空間を考えていることは確かである。
ところが四季に恵まれたアジアの民は、限りなく広がる世界に、不安や淋しさを直感して、 正の先と、負の先が一致していて、直線は円で どこまでも どこまでも行くと反対方向から、現在に至り、永遠は繰り返しであると、四季の繰り返し、天空の繰り返し、円運動のように発想して 仄かな安心感を覚えているという。永劫回帰、輪廻の思想を深く懐いている。実に面白いことには 美しい複素解析学では、立体射影の考えによって、直線を球面上の円と表現し、無限遠点の導入によって、 これらの思想を 数学的に厳格に実現させ、全ユークリッド平面の全貌を捉え、無限の彼方さえ捉えることが出来た。 その時 永遠を 確かに捉え、掴むことさえ出来たと言える。立体射影による球面上の北極に 確かに存在すると言える。素晴しい、数学を手に入れていた。この美しい数学は 100年以上もリーマン球面として、複素解析学の基本となってきている。
ところが2014.2.2偶然に発見されたゼロ除算の結果は、この無限遠点が 実は原点に一致していた という衝撃的な事実を述べていた。 永遠、無限の彼方と想像していたら、それが 実は原点に戻っていたという事実である。 それが我々の数学であり、ユークリッド空間の実相である。幾何学の性質や物理的な法則をきちんと説明している、我々の世界の数学である。
それで、永遠や無限遠点、我々の空間の 十分先の考え方、発想を考える必要がある。
無限の先が原点に一致している事実、それを如何に理解すべきであろうか。
それについて、 次のように解説してきた:

再生核研究所声明232(2015.5.26)無限大とは何か、無限遠点とは何か。― 驚嘆すべきゼロ除算の結果
再生核研究所声明257 (2015.11.05) 無限大とは何か、 無限遠点とは何か ー 新しい視点
再生核研究所声明262 (2015.12.09) 宇宙回帰説 ― ゼロ除算の拓いた世界観

新しい世界観は 始まりから始まり 最後には 突然戻るということを述べている。 しからば、始めとは何で 終りとは何だろうか。 これについて、 始めも終わりも、質的な変化であると定義できるのではないだろうか。 簡単な数学で万物、universe の現象を説明するのは難しい状況は確かにあるだろう.しかし、ゼロ除算の思想は、新羅万象が絶えず変化して 繰り返している様を表現しているように感じられる。
大事な人生の視点は 今日は 明日のためや遠い未来のためにあるのではなく、 現在、現在における在るべき適切な在りようが大事だと言っているようである。もちろん、現在は、未来と過去に関係する存在であり、それらは関係付けられ、繋がっているが 焦点はもちろん、 現在にあるということである。
ビッグバンの宇宙論は 適切に理解され、始めとは 大きな変化で 現状の元が始まり、
やがて突然、元に戻って 終わることを暗示しているようである。人生とは 要するに 内なる自分と環境に調和するように在れ と ゼロ除算は言っているようである。

ゼロ除算は 仏教の偉大なる思想 を暗示させているように感じられる。

以 上


Reality of the Division by Zero z/0 = 0
http://www.ijapm.org/show-63-504-1.html
http://okmr.yamatoblog.net/

再生核研究所声明262 (2015.12.09) 宇宙回帰説 ― ゼロ除算の拓いた世界観
最近展開しているゼロ除算が、新しい世界観を示しているのは 大変興味深い。直線とは一体どうなっているだろうか.空間とはどのようになっているだろうか。これについて、現代人は、双方向にどこまでも どこまでも 続いている直線を想像するであろう。限りなく広がった平面や空間である。ところが 立体射影によって 平面全体を球面上に1対1に写せば、全平面は 球面から北極を除いた球面上に1対1にきちんと写るから、無限に広がる 全平面の全貌が捉えられる。ところが平面上には存在しない想像上の点 それはあらゆる方向に限りなく遠くに存在する無限遠点の導入によって、その点を球面の欠けた1点北極に対応させれば、無限遠点を含めた平面全体は 球面全体と1対1にきちんと対応する。
このような対応で 平面上の円や直線全体は 球面上では共に円に対応するという美しい対応になり、平面上の直線は 球面上では、北極(無限遠点)を通る円に写ると、直線と円の区別は 球面上では不要になる。また、平面上の平行線とは 無限遠点で 角度ゼロで交わっている(接している)と平面上の構造がよく見えて、無限遠点を含めての平面の全構造が 捉えられる。このように、考えると、直線とは、球面上では北極を通る円、平面上では無限遠点を通る直線となる。この構造は、直線を1方向にどこまでも, どこまでも進めば、無限遠点を 通って、逆方向から戻ってくるという、永劫回帰の思想をちょうど実現している。それは、球面上では、 円を繰り返し回ることを意味する。 その様は 何もかも すっかり良く見える。
これが、従来100年以上も続いた世界観で、関数y=x やW=zは 無限遠点に近づけば、それらの像も無限遠点に近づいていると考えるだろう。 関数y=x の値は正方向にどんどん行けば、どんどん大きくなると考えるだろう。
しかるに、ゼロ除算1/0=0は、それらの関数は無限遠点にいくらでも近づくと 無限遠点にいくらでも近づくが、無限遠点自身では、突然ゼロになっていることが 幾何学的にも確認された。上記、北極は 実は原点ゼロに一致しているという。
話しを簡単にするために、 関数y=x を考えよう。右に行けば、プラス無限に、負の方向左に行けば 負の無限に限りなく近づくは 従来通りである。ところが、ゼロ除算では いずれの方向でも上記無限遠点では 値ゼロをきちんと取っているという。ゼロ除算の数学では、どんどん、増加した先、突然、ゼロ、原点に戻っているという。また、円でも球面でも半径Rをどんどん大きくすると、当然、円の面積や球の体積はどんどん限りなく大きくなるが、半径が無限のとき、突然、それらはゼロになるという。それらの理由も数学ばかりではなく、幾何学的にも明確に見えている。
この数学的な事実は、我々の世界、宇宙がどんどん拡大して行くと突然、ゼロに帰するということを暗示させている。 ― これは 宇宙回帰説を意味しているようである。
これは、ユニバースの普遍的な現象、どんどん進んだ先が、元に突然戻る原理を示しているようである。
そもそも人生とは如何なるものか。― よくは分からないが、事実として、生まれて、どんどん物心がついて、人間として精神活動が活発化して、多くは本能原理によって生かされて、そして、突然元に戻ることを意味しているようである。このことを深く捉えられれば、世界がよりよく観え、悟りの境地に達する大きなヒントを得ることができるだろう。

ここでは ゼロ除算の帰結として、宇宙回帰説、ユニバースの回帰説を唱えたい。この考えでは、どんどん進めば、突然元に戻るという原理を述べている。珠算における 御破算で願いましては で 再び始めることを想起させる。これは、また、reset と同様であると考えられる。

以 上


Title page of Leonhard Euler, Vollständige Anleitung zur Algebra, Vol. 1 (edition of 1771, first published in 1770), and p. 34 from Article 83, where Euler explains why a number divided by zero gives infinity.
https://notevenpast.org/dividing-nothing/

割り算のできる人には、どんなことも難しくない

世の中には多くのむずかしいものがあるが、加減乗除の四則演算ほどむずかしいものはほかにない。

ベーダ・ヴェネラビリス

数学名言集:ヴィルチェンコ編:松野武 山崎昇 訳大竹出版1989年


Reality of the Division by Zero z/0 = 0
http://www.ijapm.org/show-63-504-1.html
http://okmr.yamatoblog.net/











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