2016年1月27日水曜日

地球空洞説(ちきゅうくうどうせつ、hollow Earth theory)

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地球空洞説(ちきゅうくうどうせつ、hollow Earth theory)とは、我々の住むこの地球は、中身の詰まった球体ではなく、ゴムボールのように中空であったり、別世界へ繋がっているという考え方。東西問わず宗教で言及される[要出典]など、古くから概念として存在する。「アガルタ世界」や小説「地底旅行」(後述)が有名である。
20世紀の大航海時代と科学の発展により根拠を失い衰退したが、自然科学、地球科学だけでなくSFや冒険小説の世界では一時期[いつ?]、非常にポピュラーな舞台設定として独自の位置を築いていた。
測地学の分野では長期間に渡って議論されたが、科学者たちは一様にこれを疑似科学であるとして、退けた。これには球殻の内側の凹面は人間などの居住が可能だというアイデアを含んでいる。
アイザック・ニュートンの万有引力の法則に従えば、球状に対称な凹面の殻内部では、殻の厚さに関わり無く、全ての地点で無重力となってしまうことが解っている(地球の自転から生じる遠心力は“外”方向へ人を引きつけるが、回転半径が最も大きい赤道地域でさえ、この力は通常の地球の重力の0.3%にすぎない[1])。従って、空洞内の地表に人や建物が存在するような世界は物理的にあり得ず、地球空洞説は成り立たない。
目次 [非表示]
1 地球空洞説の歴史
2 凹面の地球(類似案件)
3 フィクションにおける地球空洞説
3.1 地球以外
4 脚注
5 参考文献
6 関連文献
7 関連項目
8 外部リンク
地球空洞説の歴史[編集]

ハレーの提唱した空洞地球のモデル。地球内部にはひとつの中心核と二層の中空の球核があり、それらが空気を挟んで隔てられて浮かんでいるとした。

オイラーの提唱した空洞地球のモデル。地球の中心には直径1000kmほどの輝く星があるとした。
古代において、地下の領域というアイデアは非常にポピュラーで[要出典]、例えば
ギリシア神話における冥府(ハーデース)
ユダヤ教における冥土
キリスト教における地獄
など、場所の概念と深く結びついていた[要出典]。以下、まずは主な説を年代順に挙げる。
エドモンド・ハレー(1692年)
イギリスの天文学者。極地方の変則的な磁気変動を説明するために地球空洞説を考案、イギリス学士院で「地球空洞説」を発表した[2]。
これは、「水星と同じ直径の中心核と、金星および火星と同じ直径で厚さ500マイルの同心球状の二つの内核とからなる空洞地球」、という説であった。これらの殻同士は空気の層で切り離され、各々の殻はそれぞれ磁極を有しており、さらに異なる速度で自転しているとされた。
また、この説では、「地球内部は明るく、おそらくは居住可能であること」、さらに「そこから逃げてくる発光性ガスによって、揺らめくオーロラが生じる」とされた。
レオンハルト・オイラー(1770年頃)
スイスの数学者。「オイラーの公式」や「オイラーの多面体定理」で知られる。こちらは多重球殻を採用せず、「地球内部の高度な文明を照らす、一個の内部太陽」を仮定した。
ジョン・レスリー(1770年頃)
スコットランドの物理学者。地球内部に2つの太陽(連星。それぞれプルートとプロセルピナ(ペルセポネ)と名づけられた)を持つモデルを発表。
ジョン・クリーブス・シムズ(英語版)(1818年)
アメリカ陸軍の大尉。『同心円と極地の空洞帯』という本で、地球空洞説をとなえた。これによると「地球は厚さ800マイル (1,300km)、各々の両極に直径1400マイル (2,300km) の開口部を持つ五層の同心球である」とされ、地表の海はそのまま裏側にまでつづいているとされた。このシムズの説は、初期の地球空洞説のなかでも最も有名なものになった[3]。
シムズは自説を裏付けるために北極の探検行を計画し、「自分は精神病者ではない」という医師の診断書までつけた500部の趣意書を、アメリカやフランスの政界、財界、学者に配布した。結局、費用が集まらなかったため、この北極探検は頓挫した。
1828年、ロシア皇帝から文書が届き、ロシア帝国主催の北極探険隊の隊長就任を要請される。しかし、シムズは1829年に死亡し、この計画には参加できなかった[4]。現在、オハイオ州ハミルトンには、彼の地球空洞説を記念する碑が立っている[5]。
以後の流れは、次の通り。
1826年
アメリカのジェームズ・マクブライトは、シムズの講演を筆記して『シムズの同心球理論』(Theory of Concentric Spheres) を出版[5]。
1868年
W・F・ライオンズ (W. F. Lyons) が『空洞地球』(Hollow Earth) を出版。
1878年
シムズの息子アメリクス・シムズ (Americus Symmes) は、ライオンズの書籍に父親の名が抜けていることに激怒し、『シムズの同心球理論-地球が空洞であり内部は居住可能で、両極に広大な口があることの論証』を出版[5]。
1906年
アメリカのウイリアム・リード (William Reed) が、『極地の幻影(英語版)』を出版。内部の太陽を持たない、単層の空洞地球のアイデアを提唱した。
1908年
アメリカのウィリス・ジョージ・エマーソン(英語版)の『煙の神、ザ・スモーキー・ゴッド』(The Smoky God) は、地下の文明があるという発想の源泉となった文学作品のひとつである。本書はオラフ・ヤンセンという名のノルウェー人船員の手記という体裁を取っている。この本はヤンセンの帆船が北極にある地球中央への入り口を通って航行したと主張している。彼は地下コロニーのネットワークにいる住人と2年間を共に過ごした。エマーソンは彼らの身長が12フィートもあり、その世界は「煙がかった (smoky)」中心太陽に照らされていたと書いている。エマーソンは彼らの首都が本来のエデンの園(のちに「アガルタ」)であると主張した。(Agartha - Secrets of the Subterranean Cities)
1913年
アメリカのマーシャル・B・ガードナー (Marshall Gardner)[6] は、『地球内部への旅・両極は実際に発見されたか』を自費出版。1920年には、挿絵や図版を大幅に増やした改訂第二版を出版した[7]。彼のモデルは、両極に直径1400マイルの開口部をもつ厚さ800マイルの殻と、直径600マイルの内部太陽を配置したものであり、彼はこの模型を造って特許を取得した。
ガードナーの書籍にはリードへの言及はなく、シムズ説が採られている。
1920年
ポーランドのフェルディナンド・アントニー・オッセンドフスキーは1920年の旅行記『獣・人・神々』において、当時広く信じられていた地下の理想郷神話「アガルタ」について記している。「アガルタ」神話はインドで「シャンバラ[要曖昧さ回避]」 Shambhala とも呼ばれており、そこはイニシエートたち(initiates、秘儀参入者)が住まい、人類の霊的指導者である「大師たち」(the Masters) が率いるという。
1927年
フランスのルネ・ジャン・マリー・ジョゼフ・ゲノンは『世界の王』(The King of the World) で、世界の王の資質を語るにあたり、中央アジアにある「シャンバラ[要曖昧さ回避]」から至る地球内部にある理想の王国「アガルタ」を引用し深く考察している。
第二次世界大戦終結時
「アドルフ・ヒトラーと少数の側近が、南極にある開口部を通って地球の空洞内部に脱出した」という空想的な記事が広く流布し、大真面目に取りざたされた[誰によって?]。
1967年1月6日
アメリカの気象衛星「ESSA-3」が、北極と南極に穴らしきものを初めて撮影。[要出典]
1968年11月23日
気象衛星「ESSA-7」が鮮明な“北極の穴”を撮影したとされ、世界中が大騒ぎになった。当時の気象衛星の軌道から写真撮影すると、カメラアングルの関係で極地方は写らない。このため写真を一枚に合成すると、撮影されていない極地方は真っ黒になり、ちょうど、ポッカリと穴が開いているように見える。また、写真撮影の時期は北極で日が昇らない極夜にあたり、この時期に太陽光が届かない地域が穴が開いているように見えるともいう[8][9]。
1969年
アメリカのレイモンド・バーナード(英語版)が、『空洞地球――史上最大の地埋学的発見』(The Hollow Earth - The Greatest Geographic Discovery in History) を出版。これは極地探検で有名なリチャード・バード少将が、「1947年[10]の南極探検飛行の最中に大穴の中へ迷いこみ、氷原のあるはずの場所に緑あふれる谷間を発見した」、という内容であった。
この書籍にはリードとガードナーのアイデアが使われており、シムズの存在は完全に無視されている。焼き直されたアイデア以外に、バーナードが独自のアイデア(UFOは地球内部からやって来る、内部世界には環状星雲 (Ring Nebula) が存在する、など)を付け加えている[11]。
フィクションでの扱い
「隠された智慧を護る秘密の賢人たちや超人的な種族が、秘密の地下都市、もしくは空洞地球の内面に住んでいる」という説は、作家によってしばしば書かれた[誰によって?]。それらによれば、「南極、北極、チベット、ペルー、シャスタ山(カリフォルニア州)などはすべて、これらの地下の領域への入口となっており、UFOは地球内部の空洞を基地としている」とされた。
凹面の地球(類似案件)[編集]

「凹面」地球のアイデア。画像の左上に、歩いている人の姿が小さく描かれている。つまり、外側の茶色の部分が地面で、内側にポッカリ開いた部分が空、という考え方。
「我々は、中空の惑星の外部表層に住んでいる」という代わりに、「我々の世界は、凹面の内部に存在する」と考えた者がいる(「凹面」地球理論と言える)。これは、人類の居住している地球表面が、実は「無限に続く岩塊の中に存在する、泡状の球体の内部であり、太陽や月や星は、空間内部に浮かぶ雲のようなもの」という奇想天外なものである。
アメリカの医師であり、自称錬金術師のサイラス・リード・ティード(Cyrus Reed Teed、1839-1908。別名コレシュ)は、1869年、凹面地球モデル『空洞宇宙起源論』を提唱し、「コレシュ・ユニティ」(Koreshan Unity) というカルトを設立した。彼らのコロニーはフロリダ州の史跡として保存されていたが、ティードの信者は全員が故人となっている[12]。
その後、1897年にアメリカのU・G・モロウが同様の主旨を発表。1925年、ドイツ人のカール・ニューバートが、研究書を刊行した[13]。
「ティードの凹面地球モデルに影響されたヒトラーが、カメラの狙いを空に定めることによって英国艦隊を発見しようとした」というウワサが根強く残っている。ジェラルド・カイパー「第二次世界大戦中のドイツ天文学」(『ポピュラー・アストロミー』1946年6月号)によれば、1942年4月に、赤外線写真の専門家であるハインツ・フィッシャー博士を最高責任者とするドイツ海軍の特別研究チームが、バルト海のリューゲン島に研究所を開設し、海岸で水平線から仰角45度を特注の赤外線カメラで撮影することによって、「はるか遠方(=凹面の対岸)にいるイギリス海軍の艦船を察知」しようとした試みを行ったという[14]。
凹面地球説では、太陽などの天体が沈む現象を説明する必要がある。これについて、光は屈曲して進むので天体の光が届かない場所が生じる、上空に行くほど距離は指数的に割り増しされるため、空洞の中心付近を通る光は減衰して見えなくなる、といった説明がなされる。ただしこれらの補完仮説に基づく凹面地球説の主張は、オッカムの剃刀の原理によれば棄却される。
フィクションにおける地球空洞説[編集]
ニコラス・クリミウスの地下世界の旅(1741年)
デンマークのルズヴィ・ホルベアの風刺的小説。主人公のニコラスは洞窟探検中に穴に落ち、地球内部の空洞へ行く。地球内面の国や、空洞内を回る惑星で奇妙な社会を見聞し、地底人の政治闘争に巻き込まれる。
シムゾニア・ある発見航海 (Symzonia: A Voyage of Discovery)(1823年)
アダム・シボーン大尉(Captain Adam Seaborn[15]、アメリカ)の作品[16]。「地球内部には、2個の太陽と2個の月がある」と描写された。シムズの説を元にしたものであり、「著者の正体はシムズである」とするものが多かった。
ハンス・プファールの無類の冒険 (The Unparalleled Adventure of One Hans Pfaall)(1830年代)
エドガー・アラン・ポーの短編小説。シムズの説を元にしている。超高空の気球から北極点の穴が観察されるシーンを描いた。
1833年には『壜の中の手記』、1838年には『ナンタケット島出身のアーサー・ゴードン・ピムの物語』を発表。いずれの海洋奇談でも、結末で地球空洞説が強く暗示される。
地底旅行 (Voyage au centre de la terre)(1864年)
ジュール・ヴェルヌの小説。主人公たちはアイスランドの死火山の噴火口から地底世界に侵入し、恐竜や原始的な生活を送る人類と遭遇する。
スモーキー・ゴッド (The Smoky God)(1908年)
アメリカの作家、ウィリス・ジョージ・エマーソンの小説。「ノルウェー人の漁師オラフ・ヤンセンの地球内部への進入体験記」という体裁をとっている。
これは、「ヤンセン父子が暴風雨に巻き込まれて北へ北へと漂流し、やがて動かない小さな赤い太陽に照らされた場所に出る。そこで彼らは身長4mの優しい巨人たちに助けられ、地下世界で2年半を過ごす。やがて父子は地上に戻ろうとするが、その航海の途中で氷山に激突して難破。父親は死亡し、なんとか助けられたオラフも狂人として28年間を精神病院で過ごすこととなる。95歳のオラフは、だれにも信じてもらえなかった地下世界の話を友人だったエマーソンに伝えた後、高齢のため死亡した」、という話である。一部の人々は、この本をノンフィクションだと信じた。邦訳(『地球内部を旅した男』徳間5次元文庫)がある。
ペルシダー・シリーズ(1914年~1944年)
エドガー・ライス・バローズの小説。ペルシダーでは空洞中央に決して沈まない小型の太陽があり、常に中天に太陽が存在するため、地下の住民たちには時間の概念がないとされた。
地上で絶滅した生物と、原始的な人類が存在するほか、超能力を有する知的爬虫類「マハール族 (Mahars)」他、未知の生物も存在している。
サイボーグ009・地下帝国ヨミ編(1966年)
石ノ森章太郎の漫画。地球空洞説を採用している。地殻にある入りくんだ広めの洞窟内に作られた地下帝国に過ぎず、一般的地球空洞説でない。映画『サイボーグ009 怪獣戦争』、アニメ『サイボーグ009』(平成版)にも受け継がれた。
収容所惑星 (The Inhabited Isle)
ストルガツキー兄弟によるロシアのSF小説。主人公が不時着した惑星は、「異常に強い大気の屈折のため、大地は凹面に見え、密度の高い大気のせいで星空が存在しない」。そのため、住民たちは「自分たちが、凹面の惑星に住んでいる」と考えている。
恐怖新聞(1973年~)
つのだじろうのオカルト漫画、恐怖新聞の第8話「北極点の謎」にて、主人公の鬼形礼が通学する石堂中学にて「地球空洞説」の授業が行われる。授業では、北極圏にある空洞世界の出入り口からUFOが飛来してきている可能性を示唆し、UFOの目撃情報がある以上地球空洞説は否定しきれない、と図説や歴史事実とともに教えられる。
アクマイザー3(1975年)
石ノ森章太郎原作、東映製作の特撮テレビドラマ。主人公および敵は、地球内部の空洞世界「ダウンワールド」に住むアクマ族。
タイムボカン(1975年)
タツノコプロ製作のテレビアニメ。第54話「地底王国のナゾだペッチャ」で、オーロラの光がダイナモンドと関連が有ると睨んだ丹平たちとマージョ一味は、1674年の北極へ向うが、北極点から地球の内部に侵入し、ムー大陸の末裔が住む地底王国ピンケリアに出会う。
はるかなるレムリアより(1975年)
高階良子作の漫画。死の霧が地上を覆う中、人類の女王アムリタデヴィ=涙とナーガラージャ=紀彦が1つになって新たなラ・ムーとなり人々を「レムリア(ムー文明)滅亡後、地球内部の空洞世界に築いた新たなレムリア」に導き、妻と涙の妹・新子が殺されたことも知らずに探検先で死の霧で死にかけるもアムリタデヴィとして覚醒した涙の力で地底に運ばれ、いつの間にか「第2のレムリア」に到達していた涙の現世の父と兄・英夫が嘘つきの出来損ないの少女と自分達が蔑んでいた涙に再会し、彼女こそが探検の目的であるレムリアの繁栄の鍵を握る人類の女王の転生だったことを知る。
恐竜大戦争アイゼンボーグ(1977年)
円谷プロダクション製作の特撮作品(アニメ合成ドラマ)。太古の昔に滅んだとされた恐竜の一部が、地球内部の空洞に「恐竜軍団」を築いて移住し、そこで恐竜は怪獣へと進化した。
空洞地球 The Hollow Earth(1990年)
ルーディ・ラッカーの小説。エドガー・アラン・ポーと、彼のアイデアをモチーフとする。
ゲゲゲの鬼太郎(1991年)
『鬼太郎国盗り物語』が該当。物語途中で経緯に関する設定が変更されたが、地球が空洞になっていて海中に沈んだムー大陸は地下で発展していた。
魔装機神シリーズ(1991年~2014年)
ゲームソフト『スーパーロボット大戦シリーズ』に登場するバンプレストオリジナルの架空のロボットアニメ。
地球に存在する地下世界ラ・ギアスを舞台とする。
設定の初出は1991年の『第2次スーパーロボット大戦』、実際にラ・ギアスが舞台になったのは1994年の『スーパーロボット大戦EX』が初めて。
ドラえもん のび太の創世日記(1994年~1995年)
藤子・F・不二雄原作の漫画、およびアニメ映画。「のび太がドラえもんのひみつ道具「創世セット」で作り出した、もうひとつの地球」に地底空間が登場する。その世界は、中心に内核・外核にあたるものがなく、代わりに中心に太陽にあたるものがあり、重力も内部世界では逆転する。
なお、『ドラえもん』短編作品「異説クラブメンバーズバッジ」においても、地球空洞説が取り上げられている。
地球以外[編集]
月シリーズ(1923年~1925年)
エドガー・ライス・バローズの小説。月が空洞になっており、内部に月人や生物が生存している(外部には生命は存在しない)。
タイムボカン
先述の第54話より前の第51話「月の世界はステキだペッチャ」で、1969年7月20日の「人類初の月面着陸」のフイルムを見ていたマージョ一味は、月に有る「テクタイト」をダイナモンドと睨んで、ロケット搭載のウサギメカで出撃、丹平たちもロケット搭載のドタバッタンで後を追う。だが月面に着いた双方は、ウサギの様な人間に出会って驚く。実は月には先住民族が居て、月の内部の空洞に王国を築いて住んでいた。なおドタバッタンとウサギメカの戦いが終わった後、月星人は月を後にして他の星へ移住した。
魔動王グランゾート(1989年~1990年)
ロボットアニメ。月の内部に別世界がある。
ふしぎ星の☆ふたご姫(2005年)
アニメーション。ふしぎ星は、星の内部には7つの国があり、中心には人工太陽がある。他の作品とは違い、外殻に生物が存在しているような描写が無い。
たまごっち(2006年7月22日発売「ウラじんせーエンジョイ!たまごっちプラス」における、第二期以降での設定)
玩具シリーズ。「よだれの滝」から入る事のできる、たまごっち星の口腔内部に「ウラたまタウン」と呼ばれるジオフロントに似たものが存在する。輝く星を補完する装置「人工お星様」や太陽を補完する装置(人工太陽)「太陽ライト」などがあり、それらが天井からつり下げられている描写が存在する。ある程度は制限されるものの、外殻との往来は船等により自由に可能。メディアミックスでは基本的に描写されていないが、漫画版や、玩具における一部の記念バージョンで登場した事はある。なお、第一期の設定からすると矛盾が発生する為、第二期以降での設定と表記。
脚注[編集]
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%9C%B0%E7%90%83%E7%A9%BA%E6%B4%9E%E8%AA%AC


再生核研究所声明 278(2016.01.27): 面白いゼロ除算の混乱と話題

Googleサイトなどを参照すると ゼロ除算の話題は 膨大であり、世にも珍しい現象と言える(division by zero: 約298 000 000結果(0.51秒)
検索結果
ゼロ除算 - ウィキペディア、フリー百科事典
https://en.wikipedia.org/wiki/ Division_by_zero
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数学では、ゼロ除算は、除数(分母)がゼロである部門です。このような部門が正式に配当である/ 0をエスプレッソすることができます(2016.1.19.13:45)).

問題の由来は、西暦628年インドでゼロが記録され、四則演算が考えられて、1300年余、ゼロでは割れない、ゼロで割ることを考えてはいけないは 1000年を超える世界史の常識であり、天才オイラーは それは、1/0は無限であるとの論文を書き、無限遠点は 複素解析学における100年を超える定説、確立した学問である。割り算を掛け算の逆と考えれば、ゼロ除算が不可能であることは 数学的に簡単に証明されてしまう。しかしながら、アリストテレスの世界観、ゼロの概念、無とか、真空の概念での不可思議さゆえに2000年を超えて、議論され、そのため、ゼロ除算は 神秘的な話題 を提供させてきた。
確定した数学に対していろいろな存念が湧き、話題が絶えないことは 誠に奇妙なことと考えられる。ゼロ除算には 何か問題があるのだろうか。
先ず、多くの人の素朴な疑問は、加減乗除において、ただひとつの例外、ゼロで割ってはいけないが、奇妙に見えることではないだろうか。例外に気を惹くは 何でもそうであると言える。しかしながら、より広範に湧く疑問は、物理の基本法則である、ニュートンの万有引力の法則,アインシュタインの特殊相対性理論に ゼロ除算が公式に現れていて、このような数学の常識が、物理的に解釈できないジレンマを深く内蔵してきた。実際、ゼロ除算の歴史は ニュートンやアインシュタインを悩ましてきたと考えられる。
ニュートンの万有引力の法則においては 2つの質点が重なった場合の扱いであるが、アインシュタインの特殊相対性理論においては ローレンツ因子 にゼロになる項があるからである。
特にこの点では、深刻な矛盾、問題を抱えていた。
特殊相対性理論では、光速の速さで運動しているものの質量はゼロであるが、光速に近い速さで運動するものの質量(エネルギー)が無限に発散しているのに、ニュートリノ素粒子などが、光速に極めて近い速度で運動しているにも拘わらず 小さな質量、エネルギーを有しているという矛盾である。それゆえにブラックホール等の議論とともに話題を賑わしてきている。最近でも特殊相対性理論とゼロ除算、計算機科学や論理の観点でゼロ除算が学術的に議論されている。次のような極めて重要な言葉が残されている:
George Gamow (1904-1968) Russian-born American nuclear physicist and cosmologist remarked that "it is well known to students of high school algebra" that division by zero is not valid; and Einstein admitted it as the biggest blunder of his life [1]:
1. Gamow, G., My World Line (Viking, New York). p 44, 1970

スマートフォン等で、具体的な数字をゼロで割れば、答えがまちまち、いろいろなジョーク入りの答えが出てくるのも興味深い。しかし、計算機がゼロ除算にあって、実際的な障害が起きた:

ヨークタウン (ミサイル巡洋艦)ヨークタウン(USS Yorktown, DDG-48/CG-48)は、アメリカ海軍のミサイル巡洋艦。タイコンデロガ級ミサイル巡洋艦の2番艦。艦名はアメリカ独立戦争のヨークタウンの戦いにちなみ、その名を持つ艦としては5隻目。
艦歴[編集]
1997年9月21日バージニア州ケープ・チャールズ沿岸を航行中に、乗組員がデータベースフィールドに0を入力したために艦に搭載されていたRemote Data Base Managerでゼロ除算エラーが発生し、ネットワーク上の全てのマシンのダウンを引き起こし2時間30分にわたって航行不能に陥った。 これは搭載されていたWindows NT 4.0そのものではなくアプリケーションによって引き起こされたものだったが、オペレーティングシステムの選択への批判が続いた。[1]
2004年12月3日に退役した。
出典・脚注[編集]
1. ^ Slabodkin, Gregory (1998年7月13日). “Software glitches leave Navy Smart Ship dead in the water”. Government Computer News. 2009年6月18日閲覧。
 これはゼロ除算が不可能であるから、計算機がゼロ除算にあうと、ゼロ除算の誤差動で重大な事故につながりかねないことを実証している。それでゼロ除算回避の数学を考えている研究者もいる。論理や計算機構造を追求して、代数構造を検討したり、新しい数を導入して、新しい数体系を提案している。

確立している数学について話題が尽きないのは、思えば、ゼロ除算について、何か本質的な問題があるのだろうかと考えられる。 火のないところに煙は立たないという諺がある。 ゼロ除算は不可能であると 考えるか、無限遠点の概念、無限か と考えるのが 数百年間を超える数学の定説であると言える。
ところがその定説が、 思いがけない形で、完全に覆り、ゼロ除算は何時でも可能で、ゼロで割れば何時でもゼロになるという美しい結果が 2014.2.2 発見された。 結果は3篇の論文に既に出版され、日本数会でも発表され、大きな2つの国際会議でも報告されている。 ゼロ除算の詳しい解説も次で行っている:
○ 堪らなく楽しい数学-ゼロで割ることを考える(18)
数学基礎学力研究会のホームページ
URLは
http://www.mirun.sctv.jp/~suugaku

また、再生核研究所声明の中でもいろいろ解説している。


以 上


再生核研究所声明 277(2016.01.26):アインシュタインの数学不信 ― 数学の欠陥

(山田正人さん:散歩しながら、情念が湧きました:2016.1.17.10時ころ 散歩中)

西暦628年インドでゼロが記録され、四則演算が考えられて、1300年余、ようやく四則演算の法則が確立された。ゼロで割れば、何時でもゼロになるという美しい関係が発見された。ゼロでは割れない、ゼロで割ることを考えてはいけないは 1000年を超える世界史の常識であり、天才オイラーは それは、1/0は無限であるとの論文を書き、無限遠点は 複素解析学における100年を超える定説、確立した学問である。割り算を掛け算の逆と考えれば、ゼロ除算が不可能であることは 数学的に簡単に証明されてしまう。
しかしながら、ニュートンの万有引力の法則,アインシュタインの特殊相対性理論にゼロ除算は公式に現れていて、このような数学の常識が、物理的に解釈できないジレンマを深く内蔵してきた。そればかりではなく、アリストテレスの世界観、ゼロの概念、無とか、真空の概念での不可思議さゆえに2000年を超えて、議論され、そのため、ゼロ除算は 神秘的な話題 を提供させてきた。実際、ゼロ除算の歴史は ニュートンやアインシュタインを悩ましてきたと考えられる。
ニュートンの万有引力の法則においては 2つの質点が重なった場合の扱いであるが、アインシュタインの特殊相対性理論においては ローレンツ因子 にゼロになる項があるからである。
特にこの点では、深刻な矛盾、問題を抱えていた。
特殊相対性理論では、光速の速さで運動しているものの質量はゼロであるが、光速に近い速さで運動するものの質量(エネルギー)が無限に発散しているのに、ニュートリノ素粒子などが、光速に極めて近い速度で運動しているにも拘わらず 小さな質量、エネルギーを有しているという矛盾である。
そこで、この矛盾、ゼロ除算の解釈による矛盾に アインシュタインが深刻に悩んだものと思考される。実際 アインシュタインは 数学不信を公然と 述べている:

What does Einstein mean when he says, "I don't believe in math"?
https://www.quora.com/What-does-Einstein-mean-when-he-says-I-dont-believe-in-math
アインシュタインの数学不信の主因は アインシュタインが 難解で抽象的な数学の理論に嫌気が差したものの ゼロ除算の間違った数学のためである と考えられる。(次のような記事が見られるが、アインシュタインが 逆に間違いをおかしたのかは 大いに気になる:Sunday, 20 May 2012
Einstein's Only Mistake: Division by Zero)

簡単なゼロ除算について 1300年を超える過ちは、数学界の歴史的な汚点であり、物理学や世界の文化の発展を遅らせ、それで、人類は 猿以下の争いを未だに続けていると考えられる。
数学界は この汚名を速やかに晴らして、数学の欠陥部分を修正、補充すべきである。 そして、今こそ、アインシュタインの数学不信を晴らすべきときである。数学とは本来、完全に美しく、永遠不滅の、絶対的な存在である。― 実際、数学の論理の本質は 人類が存在して以来 どんな変化も認められない。数学は宇宙の運動のように人間を離れた存在である。
再生核研究所声明で述べてきたように、ゼロ除算は、数学、物理学ばかりではなく、広く人生観、世界観、空間論を大きく変え、人類の夜明けを切り拓く指導原理になるものと思考される。
以 上


再生核研究所声明 264 (2015.12.23):  永遠とは何か ― 永遠から

現代人は 空間とは 座標軸で表される数の組の集合 で表させるものと発想しているだろう。 基礎である直線は 実数を直線上に並べたもの、逆に直線とは 実は 実数全体の表現と考えられる。 すなわち、直線とは 基準点である原点ゼロから、正方向と負方向に正の実数と負の実数が大小関係で順序づけられ無限に双方向に伸びていると考えられる。
そこで、永遠とは 直線に時間を対応させ、限りなく正方向に進んだ先のことを 想像している。どこまでも どこまでも 先に行けばどうなるだろうか。直線上でも、平面上でも である。 砂漠の伝統を有する欧米文化の背景、キリスト教などの背後には、 永遠とは限りなく 果てしなく先にあると発想しているという。 どこまでも、どこまでも きりのない世界である。 ユークリッド幾何学が そのような空間を考えていることは確かである。
ところが四季に恵まれたアジアの民は、限りなく広がる世界に、不安や淋しさを直感して、 正の先と、負の先が一致していて、直線は円で どこまでも どこまでも行くと反対方向から、現在に至り、永遠は繰り返しであると、四季の繰り返し、天空の繰り返し、円運動のように発想して 仄かな安心感を覚えているという。永劫回帰、輪廻の思想を深く懐いている。実に面白いことには 美しい複素解析学では、立体射影の考えによって、直線を球面上の円と表現し、無限遠点の導入によって、 これらの思想を 数学的に厳格に実現させ、全ユークリッド平面の全貌を捉え、無限の彼方さえ捉えることが出来た。 その時 永遠を 確かに捉え、掴むことさえ出来たと言える。立体射影による球面上の北極に 確かに存在すると言える。素晴しい、数学を手に入れていた。この美しい数学は 100年以上もリーマン球面として、複素解析学の基本となってきている。
ところが2014.2.2偶然に発見されたゼロ除算の結果は、この無限遠点が 実は原点に一致していた という衝撃的な事実を述べていた。 永遠、無限の彼方と想像していたら、それが 実は原点に戻っていたという事実である。 それが我々の数学であり、ユークリッド空間の実相である。幾何学の性質や物理的な法則をきちんと説明している、我々の世界の数学である。
それで、永遠や無限遠点、我々の空間の 十分先の考え方、発想を考える必要がある。
無限の先が原点に一致している事実、それを如何に理解すべきであろうか。
それについて、 次のように解説してきた:

再生核研究所声明232(2015.5.26)無限大とは何か、無限遠点とは何か。― 驚嘆すべきゼロ除算の結果
再生核研究所声明257 (2015.11.05) 無限大とは何か、 無限遠点とは何か ー 新しい視点
再生核研究所声明262 (2015.12.09) 宇宙回帰説 ― ゼロ除算の拓いた世界観

新しい世界観は 始まりから始まり 最後には 突然戻るということを述べている。 しからば、始めとは何で 終りとは何だろうか。 これについて、 始めも終わりも、質的な変化であると定義できるのではないだろうか。 簡単な数学で万物、universe の現象を説明するのは難しい状況は確かにあるだろう.しかし、ゼロ除算の思想は、新羅万象が絶えず変化して 繰り返している様を表現しているように感じられる。
大事な人生の視点は 今日は 明日のためや遠い未来のためにあるのではなく、 現在、現在における在るべき適切な在りようが大事だと言っているようである。もちろん、現在は、未来と過去に関係する存在であり、それらは関係付けられ、繋がっているが 焦点はもちろん、 現在にあるということである。
ビッグバンの宇宙論は 適切に理解され、始めとは 大きな変化で 現状の元が始まり、
やがて突然、元に戻って 終わることを暗示しているようである。人生とは 要するに 内なる自分と環境に調和するように在れ と ゼロ除算は言っているようである。

ゼロ除算は 仏教の偉大なる思想 を暗示させているように感じられる。

以 上


Reality of the Division by Zero z/0 = 0
http://www.ijapm.org/show-63-504-1.html
http://okmr.yamatoblog.net/


再生核研究所声明262 (2015.12.09) 宇宙回帰説 ― ゼロ除算の拓いた世界観
最近展開しているゼロ除算が、新しい世界観を示しているのは 大変興味深い。直線とは一体どうなっているだろうか.空間とはどのようになっているだろうか。これについて、現代人は、双方向にどこまでも どこまでも 続いている直線を想像するであろう。限りなく広がった平面や空間である。ところが 立体射影によって 平面全体を球面上に1対1に写せば、全平面は 球面から北極を除いた球面上に1対1にきちんと写るから、無限に広がる 全平面の全貌が捉えられる。ところが平面上には存在しない想像上の点 それはあらゆる方向に限りなく遠くに存在する無限遠点の導入によって、その点を球面の欠けた1点北極に対応させれば、無限遠点を含めた平面全体は 球面全体と1対1にきちんと対応する。
このような対応で 平面上の円や直線全体は 球面上では共に円に対応するという美しい対応になり、平面上の直線は 球面上では、北極(無限遠点)を通る円に写ると、直線と円の区別は 球面上では不要になる。また、平面上の平行線とは 無限遠点で 角度ゼロで交わっている(接している)と平面上の構造がよく見えて、無限遠点を含めての平面の全構造が 捉えられる。このように、考えると、直線とは、球面上では北極を通る円、平面上では無限遠点を通る直線となる。この構造は、直線を1方向にどこまでも, どこまでも進めば、無限遠点を 通って、逆方向から戻ってくるという、永劫回帰の思想をちょうど実現している。それは、球面上では、 円を繰り返し回ることを意味する。 その様は 何もかも すっかり良く見える。
これが、従来100年以上も続いた世界観で、関数y=x やW=zは 無限遠点に近づけば、それらの像も無限遠点に近づいていると考えるだろう。 関数y=x の値は正方向にどんどん行けば、どんどん大きくなると考えるだろう。
しかるに、ゼロ除算1/0=0は、それらの関数は無限遠点にいくらでも近づくと 無限遠点にいくらでも近づくが、無限遠点自身では、突然ゼロになっていることが 幾何学的にも確認された。上記、北極は 実は原点ゼロに一致しているという。
話しを簡単にするために、 関数y=x を考えよう。右に行けば、プラス無限に、負の方向左に行けば 負の無限に限りなく近づくは 従来通りである。ところが、ゼロ除算では いずれの方向でも上記無限遠点では 値ゼロをきちんと取っているという。ゼロ除算の数学では、どんどん、増加した先、突然、ゼロ、原点に戻っているという。また、円でも球面でも半径Rをどんどん大きくすると、当然、円の面積や球の体積はどんどん限りなく大きくなるが、半径が無限のとき、突然、それらはゼロになるという。それらの理由も数学ばかりではなく、幾何学的にも明確に見えている。
この数学的な事実は、我々の世界、宇宙がどんどん拡大して行くと突然、ゼロに帰するということを暗示させている。 ― これは 宇宙回帰説を意味しているようである。
これは、ユニバースの普遍的な現象、どんどん進んだ先が、元に突然戻る原理を示しているようである。
そもそも人生とは如何なるものか。― よくは分からないが、事実として、生まれて、どんどん物心がついて、人間として精神活動が活発化して、多くは本能原理によって生かされて、そして、突然元に戻ることを意味しているようである。このことを深く捉えられれば、世界がよりよく観え、悟りの境地に達する大きなヒントを得ることができるだろう。

ここでは ゼロ除算の帰結として、宇宙回帰説、ユニバースの回帰説を唱えたい。この考えでは、どんどん進めば、突然元に戻るという原理を述べている。珠算における 御破算で願いましては で 再び始めることを想起させる。これは、また、reset と同様であると考えられる。

以 上


Title page of Leonhard Euler, Vollständige Anleitung zur Algebra, Vol. 1 (edition of 1771, first published in 1770), and p. 34 from Article 83, where Euler explains why a number divided by zero gives infinity.
https://notevenpast.org/dividing-nothing/

割り算のできる人には、どんなことも難しくない

世の中には多くのむずかしいものがあるが、加減乗除の四則演算ほどむずかしいものはほかにない。

ベーダ・ヴェネラビリス

数学名言集:ヴィルチェンコ編:松野武 山崎昇 訳大竹出版1989年


Reality of the Division by Zero z/0 = 0
http://www.ijapm.org/show-63-504-1.html
http://okmr.yamatoblog.net/








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