2016年1月17日日曜日

青木さん、おとめ座の銀河に超新星を発見

青木さん、おとめ座の銀河に超新星を発見

富山県の青木昌勝さんが1月3日、おとめ座の銀河に超新星2016Cを発見した。青木さんの超新星発見は2000年8月以来、通算13個目となる。

【2016年1月12日 Transient Name Server/ATel】

富山県の青木昌勝さんが1月3日20時ごろ(世界時。日本時では4日5時ごろ)、おとめ座方向の銀河NGC 5247に新天体を15.7等で発見した。天体の位置は以下のとおり。

赤経 13h38m05.30s
赤緯 -17°51′15.30″ (2000年分点)
おとめ座の超新星
おとめ座の超新星(撮影:青木昌勝さん)

分光観測からIIP型超新星とみられており、2016Cの符号が付けられた。

NGC 5247周辺の星図と、DSS画像に表示した超新星
NGC 5247周辺の星図と、DSS画像に表示した超新星。クリックで拡大(「ステラナビゲータ」で星図作成。DSS画像の版権について)

青木さんによる超新星発見は2000年8月以来15年半ぶりのことで、通算13個目の発見となった。http://www.astroarts.co.jp/news/2016/01/12sn_vir/index-j.shtml

再生核研究所声明152(2014.3.21) 研究活動に現れた注目すべき現象、研究の現場

今回、100/0=0,0/0=0の発見と研究活動で いわば、研究のライブの状況が明瞭に現われたので、研究の現場の状況として纏めてみたい。多くはメールや文書で 時刻入れで 文書が保管されている。一般的に注目すべきことはゴシック体で記そう。
まず、発見現場であるが、偶然に 印刷された原稿を見て発見したと言うことである。思いがけないことに、気づいたということである。言われてみれば、当たり前のことで、気付かない方がおかしく、馬鹿みたいなことになるだろう。たわいもないものの類である。しかし、結果が尋常ではないので、大事だと 説明されても、原稿を見せても そんなものは駄目、全然価値が無いと結構多くの人が大きな批判を寄せてきたのは 大いに注目に値する。わざわざ複数の外国からメールがいわば上司にきて、批判して、研究内容について意見を求めるメールさえ するのを禁じられた程である。予断と偏見によるもの、が大部分であると判断できる。それから 価値観に本質的な違いがあること を露わに実感した。原稿を見て、これは 面白いと捉えて 研究を発展させて素晴しい論文を書かれた者がいる一方 そんなの 駄目だ で、ただ批判して傍観している者。これは 研究者の素養として、能力として極めて大きな問題ではないだろうか。研究内容の、良い、悪いが判断できない、興味、関心が無い。愛が無ければ見えない、進まないは 基本では? 研究において、最も大事なのは、愛が有るか、関心が有るか、価値を認められるか、好奇心が有るかではないだろうか。 これらが無ければ、幾ら宝のようなものに出会っても、探し出せないのではないだろうか。あることに 高い価値を見出し、情熱的に追及して行く精神は、研究者としての素養として大事ではないだろうか。良いか、悪いか評価できなければ、判断出来なければ、唯 夢中で何かの延長を 他を意識して進めるだけになってしまう。良いものを 良いと評価できる能力は、理解力、解決力、創造力などと共に大事な能力ではないだろうか。場合によっては、人格の高潔さにも依存する要素も多い。意図的に無視するは 世に多いからである。
それから、新しい考え、発想が無意識の内に湧いてくる ものであるという、事実である。目を覚ましたら解けていた、新しい考えで 突然目を覚ましたと繰り返して書いてきた。それから、それらは精神状態によるのであるが、コーヒー、茶、特にジャスミン茶で 大いに興奮して、どんどん考えが湧いて来るのを実感した。結構、そのようなものの影響も無視できない。
それから研究活動で大事な要素は 積極性である。今回、多くの人が 研究に参加されたが、意外な人が 意外な才能を発揮して、意外な視点を 指摘され、発展させてくれたという顕著な事実である。全然興味を懐かないような人でも 話すと興味を示し、大きな貢献をしてくれた。現在のように忙しく、論文を送られてきても読む暇も、関わる余裕も無いは 世に多い現象であるが、直接話すと 本質を理解されて、興味を懐くは 世に多い。直接交流の重要性を指摘しておきたい。メールなどでも、交信からいろいろな刺激を受け、考えが湧く素に成るのは多い、精神が鼓舞される場面も多い。それから、凄い発見を事実上していても、理解が難しい、あるいは批判を恐れて 追求を諦めてしまう、主張を避けて諦めてしまうのは 世に多いのではないかとも感じられる。良いものを発見しても、認められるまで、努力するのは そう簡単なことではないように感じられる。
最後に 研究の最も大事な心を 2014.3.11ブログに書いた記事を編集して記して置こう:

特異点解明の歩み100/0=0,0/0=0:関係者: 独断と偏見、人類の知能

ふと思い浮かんだ: 天才少年の質問(再生核研究所声明 9: 天才教育の必要性を訴える ):

0.999…. = 1 の意味は、何か

当時8歳の少年でした。私は だれをも納得させる明快な解答を与えたが、相当な、国内外の相当な数学者に尋ねたが これまで誰からも満足する解答を得なかった。これは 知識で、学んでいて 理解が薄っぺらなことを言っているのではないだろうか。少しも、真智を求めては来なかった:
― 哲学とは 真智への愛 であり、真智とは 神の意志 のことである。哲学することは、人間の本能であり、それは 神の意志 であると考えられる。愛の定義は 声明146で与えられ、神の定義は 声明122と132で与えられている。― 再生核研究所声明148.(もっとも何でも は 究められない)
それ故に、ゼロで割る考えが 思い浮かばなかったのでは。人類の知能は その程度である。真智を求めている者は 世に稀であり、多くは断片的な世界に閉じこもり、埋没し、自己さえ見失っている。また、日常生活に埋没していると言える。

以 上

再生核研究所声明232(2015.5.26)無限大とは何か、無限遠点とは何か。― 驚嘆すべきゼロ除算の結果

まず、ウィキペディアで無限大、無限遠点、立体射影: 語句を確認して置こう:

無限大 :記号∞ (アーベルなどはこれを 1 / 0 のように表記していた)で表す。 大雑把に言えば、いかなる数よりも大きいさまを表すものであるが、より明確な意味付けは文脈により様々である。例えば、どの実数よりも大きな(実数の範疇からはずれた)ある特定の“数”と捉えられることもある(超準解析や集合の基数など)し、ある変量がどの実数よりも大きくなるということを表すのに用いられることもある(極限など)。無限大をある種の数と捉える場合でも、それに適用される計算規則の体系は1つだけではない。実数の拡張としての無限大には ∞ (+∞) と -∞ がある。大小関係を定義できない複素数には無限大の概念はないが、類似の概念として無限遠点を考えることができる。また、計算機上ではたとえば∞+iのような数を扱えるものも多い。
無限遠点 : ユークリッド空間で平行に走る線が、交差するとされる空間外の点あるいは拡張された空間における無限遠の点。平行な直線のクラスごとに1つの無限遠点があるとする場合は射影空間が得られる。この場合、無限遠点の全体は1つの超平面(無限遠直線、無限遠平面 etc.)を構成する。また全体でただ1つの無限遠点があるとする場合は(超)球面が得られる。複素平面に1つの無限遠点 ∞ を追加して得られるリーマン球面は理論上きわめて重要である。無限遠点をつけ加えてえられる射影空間や超球面はいずれもコンパクトになる。
立体射影: 数学的な定義

• 単位球の北極から z = 0 の平面への立体射影を表した断面図。P の像がP ' である。
• 冒頭のように、数学ではステレオ投影の事を写像として立体射影と呼ぶので、この節では立体射影と呼ぶ。 この節では、単位球を北極から赤道を通る平面に投影する場合を扱う。その他の場合はあとの節で扱う。
• 3次元空間 R3 内の単位球面は、x2 + y2 + z2 = 1 と表すことができる。ここで、点 N = (0, 0, 1) を"北極"とし、M は球面の残りの部分とする。平面 z = 0 は球の中心を通る。"赤道"はこの平面と、この球面の交線である。
• M 上のあらゆる点 P に対して、N と P を通る唯一の直線が存在し、その直線が平面z = 0 に一点 P ' で交わる。Pの立体射影による像は、その平面上のその点P ' であると定義する。

無限大とは何だろうか。 図で、xの正方向を例えば考えてみよう。 0、1、2、3、、、などの正の整数を簡単に考えると、 どんな大きな数(正の) n に対しても より大きな数n + 1 が 考えられるから、正の数には 最も大きな数は存在せず、 幾らでも大きな数が存在する。限りなく大きな数が存在することになる。 そうすると無限大とは何だろうか。 普通の意味で数でないことは明らかである。 よく記号∞や記号+∞で表されるが、明確な定義をしないで、それらの演算、2 x∞、∞+∞、∞-∞、∞x∞,∞/∞ 等は考えるべきではない。無限大は普通の数ではない。 無限大は、極限を考えるときに有効な自然な、明確な概念、考えである。 幾らでも大きくなるときに 無限大の記号を用いる、例えばxが どんどん大きくなる時、 x^2 (xの2乗)は 無限大に近づく、無限大である、無限に発散すると表現して、lim_{x \to +\infty} x^2 =+∞ と表す。 記号の意味はxが 限りなく大きくなるとき、x の2乗も限りなく大きくなるという意味である。 無限大は決まった数ではなくて、どんどん限りなく 大きくなっていく 状況 を表している。
さて、図で、 x が正の方向で どんどん大きくなると、 すなわち、図で、P ダッシュが どんどん右方向に進むとき、図の対応で、Pがどんどん、 Nに近づくことが分かるだろう。
x軸全体は 円周の1点Nを除いた部分と、 1対1に対応することが分かる。 すなわち、直線上のどんな点も、円周上の1点が対応し、逆に、円周の1点Nを除いた部分 のどんな点に対しても、直線上の1点が対応する。
面白いことは、正の方向に行っても、負の方向に行っても原点からどんどん遠ざかれば、円周上では Nの1点にきちんと近づいていることである。双方の無限の彼方が、N の1点に近づいていることである。
この状況は、z平面の原点を通る全ての直線についても言えるから、平面全体は球面全体からNを除いた球面に 1対1にちょうど写っていることが分かる。
そこで、平面上のあらゆる方向に行った先が存在するとして 想像上の点 を考え、その点に球面上の点 Nを対応させる。 すると、平面にこの想像上の点を加えた拡張平面は 球面全体 (リーマン球面と称する) と1対1に 対応する。この点が 無限遠点で符号のつかない ∞ で 表す。 このようにして、無限を見ることが、捉えることができたとして、喜びが湧いてくるのではないだろうか。 実際、これが100年を越えて、複素解析学で考えられてきた無限遠点で 美しい理論体系を形作ってきた。
しかしながら、無限遠点は 依然として、数であるとは言えない。人為的に無限遠点に 代数的な構造を定義しても、人為的な感じは免れず、形式的、便宜的なもので、普通の数としては考えられないと言える。
ところが、ゼロ除算の結果は、1 / 0 はゼロであるというのであるから、これは、上記で何を意味するであろうか。基本的な関数 W=1/z の対応は、z =0 以外は1対1、z =0 は W=0 に写り、全平面を全平面に1対1に写している。 ゼロ除算には無限遠点は存在せず、 上記 立体射影で、 Nの点が突然、0 に対応していることを示している。 平面上で原点から、どんどん遠ざかれば、 どんどんNに近づくが、ちょうどN に対応する点では、 突然、0 である。
この現象こそ、ゼロ除算の新規な神秘性である。
上記引用で、記号∞ (アーベルなどはこれを 1 / 0 のように表記していた)、オイラーもゼロ除算は 極限の概念を用いて、無限と理解していたとして、天才 オイラーの間違いとして指摘されている。
ゼロ除算は、極限の概念を用いて得られるのではなくて、純粋数学の理論の帰結として得られた結果であり、世の不連続性の現象を表しているとして新規な現象の研究を進めている。
ここで、無限大について、空間的に考えたが、個数の概念で、無限とは概念が異なることに注意して置きたい。 10個、100個、無限個という場合の無限は異なる考えである。自然数1,2,3、、、等は無限個存在すると表現する。驚嘆すべきことは、無限個における無限には、幾らでも大きな無限が存在することである。 例えば、自然数の無限は最も小さな無限で、1cm の長さの線分にも、1mの長さの線分にも同数の点(数、実数)が存在して、自然数全体よりは 大きな無限である。点の長さはゼロであるが、点の集まりである1cmの線分には長さがあるのは、線分には点の個数が、それこそ目もくらむほどの多くの点があり、長さゼロの点をそれほど沢山集めると,正の長さが出てくるほどの無限である。


以 上


世界中で、ゼロ除算は 不可能 か 
可能とすれば ∞  だと考えられていたが・・・
しかし、ゼロ除算 はいつでも可能で、解は いつでも0であるという意外な結果が得られた。



再生核研究所声明255 (2015.11.3) 神は、平均値として関数値を認識する
(2015.10.30.07:40 
朝食後 散歩中突然考えが閃いて、懸案の問題が解決した:
どうして、ゼロ除算では、ローラン展開の正則部の値が 極の値になるのか?
そして、一般に関数値とは何か 想いを巡らしていた。
解決は、驚く程 自分の愚かさを示していると呆れる。 解は 神は、平均値として関数値を認識すると纏められる。実際、解析関数の場合、上記孤立特異点での関数値は、正則の時と全く同じく コ-シーの積分表示で表されている。 解析関数ではコ-シーの積分表示で定義すれば、それは平均値になっており、この意味で考えれば、解析関数は孤立特異点でも 関数値は 拡張されることになる ― 原稿には書いてあるが、認識していなかった。
 連続関数などでも関数値の定義は そのまま成り立つ。平均値が定義されない場合には、いろいろな意味での平均値を考えれば良いとなる。解析関数の場合の微分値も同じように重み付き平均値の意味で、統一的に定義でき、拡張される。 いわゆるくりこみ理論で無限値(部)を避けて有限値を捉える操作は、この一般的な原理で捉えられるのではないだろうか。2015.10.30.08:25)
上記のようにメモを取ったのであるが、基本的な概念、関数値とは何かと問うたのである。関数値とは、関数の値のことで、数に数を対応させるとき、その対応を与えるのが関数でよく f  等で表され x 座標の点 x  をy 座標の点 yに対応させるのが関数 y = f(x) で、放物線を表す2次関数 y=x^2, 直角双曲線を表す分数関数 y=1/x 等が典型的な例である。ここでは 関数の値 f(x) とは何かと問うたものである。結論を端的に表現するために、関数y=1/xの原点x=0における値を問題にしよう。 このグラフを思い出して、多くの人は困惑するだろう。なぜならば、x が正の方からゼロに近づけば 正の無限に発散し、xが負の方からゼロに近づけば負の無限大に発散するからである。最近発見されたゼロ除算、ゼロで割ることは、その関数値をゼロと解釈すれば良いという簡単なことを言っていて、ゼロ除算はそれを定義とすれば、ゼロ除算は 現代数学の中で未知の世界を拓くと述べてきた。しかし、これは誰でも直感するように、値ゼロは、 原点の周りの値の平均値であることを知り、この定義は自然なものであると 発見初期から認識されてきた。ところが、他方、極めて具体的な解析関数 W = e^{1/z} = 1 + 1/z + 1/2!z^2 + 1/3!z^3 +……. の点 z=0 における値がゼロ除算の結果1であるという結果に接して、人は驚嘆したものと考えられる。複素解析学では、無限位数の極、無限遠点の値を取ると考えられてきたからである。しかしながら、上記の考え、平均値で考えれば、値1をとることが 明確に分かる。実際、原点のコーシー積分表示をこの関数に適用すれば、値1が出てくることが簡単に分かる。そもそも、コーシー積分表示とは 関数の積分路上(簡単に点の周りの円周上での、 小さな円の取り方によらずに定まる)で平均値を取っていることに気づけば良い。
そこで、一般に関数値とは、考えている点の周りの平均値で定義するという原理を考える。
解析関数では 平均値が上手く定義できるから、孤立特異点で、逆に平均値で定義して、関数を拡張できる。しかし、解析的に延長されているとは言えないことに注意して置きたい。 連続関数などは 平均値が定義できるので、関数値の概念は 今までの関数値と同じ意味を有する。関数族では 平均値が上手く定義できない場合もあるが、そのような場合には、平均値のいろいろな考え方によって、関数値の意味が異なると考えよう。この先に、各論の問題が派生する。

以 上

\documentclass[12pt]{article}
\usepackage{latexsym,amsmath,amssymb,amsfonts,amstext,amsthm}


\numberwithin{equation}{section}

\begin{document}
\title{\bf Announcement 275: The division by zero $z/0=0$ and special relative theory of Einstein
}

\author{{\it Institute of Reproducing Kernels}\\


\date{January 11, 2016}

\maketitle
{\bf Abstract: } In this announcement, for its importance, we will state a fundamental result for special relative theory of Einstein from the division by zero $z/0=0$.

\bigskip
{\bf Introduction}

\bigskip

%\label{sect1}
By {\bf a natural extension of the fractions}
\begin{equation}
\frac{b}{a}
\end{equation}
for any complex numbers $a$ and $b$, the division by zero
\begin{equation}
\frac{b}{0}=0,
\end{equation}
is clear and trivial. See (\cite{msy}) for the recent results. See also the survey style announcements 179,185,237,246,247,250 and 252 of the Institute of Reproducing Kernels (\cite{ann179,ann185,ann237,ann246,ann247,ann250,ann252}). The division by zero is not only mathematical problems, but also it will give great impacts to human beings and the idea on the universe. The Institute of Reproducing Kernels is presenting various opinions in Announcements (many in Japanese) on the universe.

In this Announcement, for its importance, we will state a fundamental result for special relative theory of Einstein from the division by zero $z/0=0$. The contents were stated by Hiroshi Michiwaki in his memo dated on October 10, 2014 and we should state the results, more early.

\section{Special relative theory of Einstein}

Einstein's discovery of the equivalence of matter/mass and energy \cite{ein} in the year 1905 lies
at the core of today's modern physics. According to Albert Einstein \cite{einstein}, the rest-mass $m_0$, a
measure of the inertia of a (quantum mechanical) object is related to the relativistic mass $m_R$
by the equation, with relative velocity $v$ and the speed $c$ of light in vacuum,
\begin{equation}
m_0 = m_R \sqrt{1 - \frac{v^2}{c^2}}.
\end{equation}
Therefore, we obtain, immediately
\begin{equation}
m_R^2= m_0^2 \left(1 - \frac{v^2}{c^2}\right)^{-1}.
\end{equation}
Therefore, by the division by zero, we have the surprising result for $ v = c$:
\begin{equation}
m_R = 0.
\end{equation} It seems that the modern physical common sense is then $
m_R = + \infty$.

\bigskip

\section{ A conjecture by H. Michiwaki}
As his simple result (1.3) from the division by zero, Michiwaki stated his conjecture or interpretation for neutrino; neutrino are able to have small mass, because they are moved with near $c$ or $c$ velocity.
Indeed, we assume that $m_0$ is the mass of neutrino at the stopped case. As the experiment, we know that the velocity of neutrino is near to $c$ or $c$. So he thought
that neutrino will have small mass.

This result was realized positively by Takaaki Kajita by experiment and he got Novel Prize in 2015.

Furthermore, he referred to the very interesting interpretations of {\it photon of energy} and {\it Doppler effect} from the viewpoint of the division by zero in his memo.

\section{Acknowledgements}

This announcement was, of course, inspired by the paper \cite{bb} and for the very interesting relation with computer sciences and the division by zero, see \cite{bht}.

\bigskip

\bibliographystyle{plain}
\begin{thebibliography}{10}

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Barukcic J. P., and I. Barukcic, Anti Aristotle - The Division Of Zero By Zero,
ViXra.org (Friday, June 5, 2015)
© Ilija Barukčić, Jever, Germany. All rights reserved. Friday, June 5, 2015 20:44:59.

\bibitem{bht}
Bergstra, J. A., Hirshfeld Y., and Tucker, J. V.,
Meadows and the equational specification of division (arXiv:0901.0823v1[math.RA] 7 Jan 2009).

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Einstein, A. (1905) Ist die Trägheit eines Körpers von seinem Energieinhalt abhängig?, Annalen der Physik, vol. 323, Issue 13, pp. 639-641,

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Einstein, A. (1905).
Zur Elektrodynamik bewegter Körper, Annalen der Physik, vol. 322, Issue 10, pp. 891-921.

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Kuroda, M., Michiwaki, H., Saitoh, S., and Yamane, M. (2014).
New meanings of the division by zero and interpretations on $100/0=0$ and on $0/0=0$,
{\it Int. J. Appl. Math. Vol. 27, No 2 }, 191-198, DOI: 10.12732/ijam.v27i2.9.

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Michiwaki H., Saitoh S., and Yamada M. (2015).
Reality of the division by zero $z/0=0$. IJAPM (International J. of Applied Physics and Math. (to appear).

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Michiwaki, H., Saitoh, S., and Takagi, M.
A new concept for the point at infinity and the division by zero z/0=0
(manuscript).

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Takahasi, S.-E. (2014).
{On the identities $100/0=0$ and $ 0/0=0$.}
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Takahasi, S.-E., Tsukada, M., and Kobayashi, Y. (2015).
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The importance of the division by zero $z/0=0$. {\it Announcement 185 (2014.10.22)}.

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A reality of the division by zero $z/0=0$ by geometrical optics. {\it Announcement 237 (2015.6.18)}.

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An interpretation of the division by zero $1/0=0$ by the gradients of lines. {\it Announcement 246 (2015.9.17)}.

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The gradient of y-axis is zero and $\tan (\pi/2) =0$ by the division by zero $1/0=0$. {\it Announcement 247 (2015.9.22)}.

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What are numbers? - the Yamada field containing the division by zero $z/0=0$. {\it Announcement 250 (2015.10.20)}.

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Circles and curvature - an interpretation by Mr. Hiroshi Michiwaki of the division by
zero $r/0 = 0$. {\it Announcement 252 (2015.11.1)}.

\end{thebibliography}



\end{document}












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