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ロイター2016年01月07日 14:27視点:アベノミクスの「リセット」=竹中平蔵氏
竹中平蔵 慶應義塾大学教授
安保一色から経済重視へ回帰した安倍政権に必要なのは、政策の「リセット感」だと、竹中平蔵・慶應義塾大学教授は指摘する。具体策としては、公共インフラ運営を民間に委ねるコンセッション方式を活用した東京・大阪間リニア新幹線開通など、スケールの大きな政策論議の必要性を説く。
同氏の見解は以下の通り。
<国税庁と年金機構を統一し、歳入庁新設を>
2016年は、アベノミクスのリセットがうまく行くかが問われる年だ。リセットには、2つの側面がある。1つは、14年4月の消費税増税後に落ち込んだ経済の仕切り直し。もう1つは、世間に映る政策論議の印象を安保一色から経済重視に引き戻すことだ。
実は、このいずれのリセットボタンも15年後半にすでに押されているが、「リセット感」はまだ十分に出ているとは思えない。
例えば、名目国内総生産(GDP)600兆円目標を掲げるのは良いが、これは従来の成長率目標(実質2%・名目3%程度)を言い換えただけに過ぎない。名目3%成長を6年続けたら、現在500兆円のGDPが1.2倍の600兆円になるのは自明の理だ。
また、法人減税の前倒しが話題になっているが、現在32%台の実効税率を29%台へ引き下げることは、国際標準に照らせばマイナーチェンジだ。さらに、政府が企業に賃上げや設備投資の拡大を求めるのは自由だが、企業が現預金をため込んでしまうのもデフレ下では合理的な経営判断だったからだ。この姿勢は今後物価が上がってくる中でおのずと変化するだろうが、国内に振り向けられるかは、ひとえに投資機会の多寡にかかっている。
残念ながら、構造改革によって投資機会を創出する努力を政府が十分に行っているとは思えない。特区レベルの取り組みで例外はあるが、農業・医療・福祉など様々な分野で民間の活力を阻む壁は依然として多い。民間主導の好循環を生むためには、今以上の規制緩和で投資機会を大きく増やしていくことが求められる。
一方で、財政や社会保障に対する不安も払拭(ふっしょく)しなければならない。はっきり言って、歳出削減に向けた流れは、小泉政権時と比べて大きく後退したままとなっている。小泉政権下の「骨太の方針2006」では、歳出にキャップ(上限)を設けた。しかし、アベノミクス下では単年度のキャップは財政の硬直的な運営を招くとの批判もあり、18年度に中間目標を設け、いわば複数年で緩やかなキャップを設けた形になっている。
緩やかなキャップしか設定できないのであれば、歳入面でやるべきことがあるだろう。例えば、税や社会保険料の徴収漏れ対策だ。
実は、日本には広義の税である社会保険料も含めると数兆円規模の徴収漏れがあると言われている。せっかくマイナンバー制度を導入したのだから、将来的に国税庁と日本年金機構を統一して歳入庁を新設し、この問題の解決にあたるぐらいの構想力が欲しい。
特に首相直属の経済財政諮問会議には、マクロ経済運営の王道を行くようなスケールの大きな政策論議を期待したい。それができれば、本当の意味でのリセットができると思う。
<五輪後にらみ官民共同でリニア新幹線整備>
もう1つ、リセット感につながるスケールの大きな構想として、供給力の強化をもたらす国家プロジェクトを提唱したい。公共インフラの運営権を民間に売却するコンセッション方式を活用したリニア中央新幹線整備計画だ。
JR東海は、リニア新幹線について27年にまず東京(品川)―名古屋間、45年に大阪までの延伸開業を目指すとしているが、悠長すぎるように感じる。一企業に荷が重いならば、名古屋から先は公共事業として整備し、その運営を民間に委ねる手法も検討の余地があるだろう。そのうえで、27年の東京―大阪間の全面開業を目指せば良い。
これは、20年の東京五輪後の日本経済を考えるうえでも、期待をつなぐ目標となるのではないか。振り返れば04年のアテネ五輪後、ギリシャには財政赤字が残った。それを見た英国は12年のロンドン五輪に向けて「レガシー」という言葉を使い、五輪後に何を残すかを考えた。そして国際会議や展示会などMICE(マイス)に対応した都市づくりを進め、実際、ロンドンは今やMICEの先進地となっている。
日本も五輪後にますます厳しい財政状況が予想されるのだから、民間の活力を生かしつつ期待をつなぐための大きな仕掛けを今から考えるべきではないか。リニアが難しいと言うならば、例えば人口20万人以上の全都市にコンセッションを義務づけるのはどうか。大きな金額が動くだけでなく、「行革」の側面も持ち得る。
こうした構想は、絵に描いた餅とは思わない。国家戦略特区でもすでに進展はある。農業分野に企業が続々と参入している兵庫県養父市や、国内では事実上38年ぶりとなる医学部新設が決まった千葉県成田市などはその好例だ。
また、コンセッションについても、仙台空港と関西・伊丹空港の引き受け主体が決まったほか、上下水道や高速道路でも計画が具体化している。このうち関空のケースは、世界的に見ても大きな規模だ。こうした動きが加速すれば、リセット感は高まるだろう。
<TPPは最高の安全保障、日本は先行批准も選択肢>
最後に重要な点を言い添えれば、15年に環太平洋連携協定(TPP)が大筋合意に至ったことは、安倍政権の大きな成果だ。
世界では今、いくつもの「メガFTA(自由貿易協定)」構想がしのぎを削っている。米国と欧州連合(EU)の間で進む環大西洋貿易投資パートナーシップ(TTIP)協議や、日中韓FTA構想、そして東南アジア諸国連合(ASEAN)加盟10カ国に日中韓、インド、オーストラリア、ニュージーランドを加えた東アジア地域包括的経済連携(RCEP)構想、さらに旧来からある北米自由貿易協定(NAFTA)や南米南部共同市場(メルコスール)の新たな動きも加わり、複雑な様相を呈している。
こうした状況下で、日米が中心となって先陣を切り、世界のGDPの4割を占める地域において、投資や国有企業、労働・環境など幅広い分野のルールづくりで大筋合意したのは、文字通り画期的なことだ。
TPPは自由貿易促進という経済的なメリットだけでなく、それ以上に、地政学的に重要な意味を持つ。なぜなら、相互の投資が進み、地域内で深いサプライチェーンが整備されれば、切っても切れない最高の安全保障関係になるからだ。
ただ、不安があるとすれば、16年に大統領選を迎える米国で議会承認が難航する可能性があることだろう。万が一、米国が批准できないような事態に陥れば、同国のアジア太平洋地域に対するコミットメントが揺らぎ、影響力が低下するのは必至だ。
実は米国は、はしご外しの常習犯でもある。古くは第1次世界大戦後、当時のウィルソン米大統領が国際連盟の創設を提唱したものの、米議会の反対で加盟できなかった。近年では、京都議定書の未批准や国際通貨基金(IMF)改革の批准の遅れが記憶に新しい(IMF改革は12月18日に米議会がようやく承認)。
この点について安倍政権にできることは限られるが、場合によっては、日本が先行して批准するのも米国に対するプレッシャーとしては有効だろう。日本は交渉参加まで2年かかった。言い換えれば、予備期間が2年あったので、TPP批准は米国に比べればハードルが低いはずだ。世界の新たな通商体制をけん引するチャンスを日本は逃してはならない。
(東京 12月21日)
*本稿は「2016年の視点」特集に掲載されたものです。竹中平蔵氏へのインタビューをもとに、同氏の個人的見解に基づいて書かれています。
*竹中平蔵氏は現在、慶應義塾大学教授・グローバルセキュリティ研究所所長。1951年和歌山県和歌山市生まれ。一橋大学経済学部卒。日本開発銀行(現日本政策投資銀行)などを経て慶大教授に就任。2001年小泉内閣で経済財政政策担当大臣。 02年経済財政政策担当大臣に留任し、金融担当大臣も兼務。04年参議院議員当選。05年総務大臣・郵政民営化担当大臣。現在、政府産業競争力会議の民間議員、国家戦略特別区域諮問会議の有識者議員を務める。
*このドキュメントにおけるニュース、取引価格、データ及びその他の情報などのコンテンツはあくまでも利用者の個人使用のみのためにコラムニストによって提供されているものであって、商用目的のために提供されているものではありません。このドキュメントの当コンテンツは、投資活動を勧誘又は誘引するものではなく、また当コンテンツを取引又は売買を行う際の意思決定の目的で使用することは適切ではありません。当コンテンツは投資助言となる投資、税金、法律等のいかなる助言も提供せず、また、特定の金融の個別銘柄、金融投資あるいは金融商品に関するいかなる勧告もしません。このドキュメントの使用は、資格のある投資専門家の投資助言に取って代わるものではありません。ロイターはコンテンツの信頼性を確保するよう合理的な努力をしていますが、コラムニストによって提供されたいかなる見解又は意見は当該コラムニスト自身の見解や分析であって、ロイターの見解、分析ではありません。
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http://blogos.com/article/153585/
再生核研究所声明 267(2015.12.26): 未知の世界に遭遇したとき、分からないとき ― そのときどうするか
人生には重要な岐路が有ったり、判断を求められたり、決断を迫られたりする場面は多い。
志、進路、就職、結婚相手の決定、新居の設計、購入、政治的な判断、決定、などなど。そこで、心構えなど纏めてみたい。
まずは 分を弁えることが大事である。敵を知り己を知れば百戦殆うからず(『孫子・謀攻』に「彼を知り己を知れば百戦殆からず。彼を知らずして己を知れば、一勝一負す。彼を知らず己を知らざれば、戦う毎に必ず殆し(敵と味方の実情を熟知していれば、百回戦っても負けることはない。敵情を知らないで味方のことだけを知っているのでは、勝ったり負けたりして勝負がつかず、敵のことも味方のことも知らなければ必ず負ける)」とあるのに基づく。原典では「殆うからず」だが、「危うからず」と書いても誤りではない。
「敵を知り己を知れば百戦殆うからず」とも。― 故事ことわざ辞典)結局は 自己の状況、器にあったことしか成し得ないのだから、自分を自分なりに 捉えることが基本になる。世界観は 自分の見た世界が 認識した世界が 反映しているものであるから、自分が近いと感じる世界の影響を深く受けるであろう。 そこで、何事 常日頃 頼っている家族や、友人などに意見を求めることは基本ではないだろうか。いろいろ文献や情報を参考にする。 一般的には確信に至るまで、できるだけ時間を取るは 大事な心得である。 最初戸惑ったことでも、情報を集めたり、友人に相談したりして考察を深めていけば、自分なりに確信、信念の域に至る、そうなれば、迷わず、決断してその方向で歩めるのではないだろうか。
ところが、憲法改正問題や原発の是非など、真面目に考えれば、素人の多くの人には、判断のしようがない問題が世には多い。多くの場合には どちらにも道理があり、基礎知識さえ明らかではなく、真実、実情さえ怪しく、考える基礎すら疑わしくなる。このような場合には、裁判官のように 対立する意見を広く参考にして、多くは 日頃信頼している人たちの意見を重要視するのが良く、日頃修練して 大事な問題に対して、判断できるような心構えを培って置きたい。良識ある少数意見などについても 注意深く参照して置きたい。大衆の意見に迎合したり、群集心理で動かされる心理は深いので、くれぐれも注意したい。
事の、是か非かは、できるだけ広い視野をもって考え、予断、思い込みを疑い、確信に至るまで、できるだけ時間をとる、止むを得ない場合には 信じられる人、信じられる考えに従うが良いのではないだろうか。経験や歴史を参照するのも当然である。
未知の世界に遭遇したとき、慎重に、慎重に時間を掛けて、状況の理解に努め、状況の掌握ができてから、慎重に進めたい。研究でも、科学技術でも経済、社会でも である。 変化の大きな現状では 慎重さで 抑制的に対応するのが特に大事ではないだろうか。グロバリゼーションや国際交流など 全般についても言えるのではないだろうか。変化の状況、時間的な経緯も大事である。
以 上
再生核研究所声明 264 (2015.12.23): 永遠とは何か ― 永遠から
現代人は 空間とは 座標軸で表される数の組の集合 で表させるものと発想しているだろう。 基礎である直線は 実数を直線上に並べたもの、逆に直線とは 実は 実数全体の表現と考えられる。 すなわち、直線とは 基準点である原点ゼロから、正方向と負方向に正の実数と負の実数が大小関係で順序づけられ無限に双方向に伸びていると考えられる。
そこで、永遠とは 直線に時間を対応させ、限りなく正方向に進んだ先のことを 想像している。どこまでも どこまでも 先に行けばどうなるだろうか。直線上でも、平面上でも である。 砂漠の伝統を有する欧米文化の背景、キリスト教などの背後には、 永遠とは限りなく 果てしなく先にあると発想しているという。 どこまでも、どこまでも きりのない世界である。 ユークリッド幾何学が そのような空間を考えていることは確かである。
ところが四季に恵まれたアジアの民は、限りなく広がる世界に、不安や淋しさを直感して、 正の先と、負の先が一致していて、直線は円で どこまでも どこまでも行くと反対方向から、現在に至り、永遠は繰り返しであると、四季の繰り返し、天空の繰り返し、円運動のように発想して 仄かな安心感を覚えているという。永劫回帰、輪廻の思想を深く懐いている。実に面白いことには 美しい複素解析学では、立体射影の考えによって、直線を球面上の円と表現し、無限遠点の導入によって、 これらの思想を 数学的に厳格に実現させ、全ユークリッド平面の全貌を捉え、無限の彼方さえ捉えることが出来た。 その時 永遠を 確かに捉え、掴むことさえ出来たと言える。立体射影による球面上の北極に 確かに存在すると言える。素晴しい、数学を手に入れていた。この美しい数学は 100年以上もリーマン球面として、複素解析学の基本となってきている。
ところが2014.2.2偶然に発見されたゼロ除算の結果は、この無限遠点が 実は原点に一致していた という衝撃的な事実を述べていた。 永遠、無限の彼方と想像していたら、それが 実は原点に戻っていたという事実である。 それが我々の数学であり、ユークリッド空間の実相である。幾何学の性質や物理的な法則をきちんと説明している、我々の世界の数学である。
それで、永遠や無限遠点、我々の空間の 十分先の考え方、発想を考える必要がある。
無限の先が原点に一致している事実、それを如何に理解すべきであろうか。
それについて、 次のように解説してきた:
再生核研究所声明232(2015.5.26)無限大とは何か、無限遠点とは何か。― 驚嘆すべきゼロ除算の結果
再生核研究所声明257 (2015.11.05) 無限大とは何か、 無限遠点とは何か ー 新しい視点
再生核研究所声明262 (2015.12.09) 宇宙回帰説 ― ゼロ除算の拓いた世界観
新しい世界観は 始まりから始まり 最後には 突然戻るということを述べている。 しからば、始めとは何で 終りとは何だろうか。 これについて、 始めも終わりも、質的な変化であると定義できるのではないだろうか。 簡単な数学で万物、universe の現象を説明するのは難しい状況は確かにあるだろう.しかし、ゼロ除算の思想は、新羅万象が絶えず変化して 繰り返している様を表現しているように感じられる。
大事な人生の視点は 今日は 明日のためや遠い未来のためにあるのではなく、 現在、現在における在るべき適切な在りようが大事だと言っているようである。もちろん、現在は、未来と過去に関係する存在であり、それらは関係付けられ、繋がっているが 焦点はもちろん、 現在にあるということである。
ビッグバンの宇宙論は 適切に理解され、始めとは 大きな変化で 現状の元が始まり、
やがて突然、元に戻って 終わることを暗示しているようである。人生とは 要するに 内なる自分と環境に調和するように在れ と ゼロ除算は言っているようである。
ゼロ除算は 仏教の偉大なる思想 を暗示させているように感じられる。
以 上
再生核研究所声明262 (2015.12.09) 宇宙回帰説 ― ゼロ除算の拓いた世界観
最近展開しているゼロ除算が、新しい世界観を示しているのは 大変興味深い。直線とは一体どうなっているだろうか.空間とはどのようになっているだろうか。これについて、現代人は、双方向にどこまでも どこまでも 続いている直線を想像するであろう。限りなく広がった平面や空間である。ところが 立体射影によって 平面全体を球面上に1対1に写せば、全平面は 球面から北極を除いた球面上に1対1にきちんと写るから、無限に広がる 全平面の全貌が捉えられる。ところが平面上には存在しない想像上の点 それはあらゆる方向に限りなく遠くに存在する無限遠点の導入によって、その点を球面の欠けた1点北極に対応させれば、無限遠点を含めた平面全体は 球面全体と1対1にきちんと対応する。
このような対応で 平面上の円や直線全体は 球面上では共に円に対応するという美しい対応になり、平面上の直線は 球面上では、北極(無限遠点)を通る円に写ると、直線と円の区別は 球面上では不要になる。また、平面上の平行線とは 無限遠点で 角度ゼロで交わっている(接している)と平面上の構造がよく見えて、無限遠点を含めての平面の全構造が 捉えられる。このように、考えると、直線とは、球面上では北極を通る円、平面上では無限遠点を通る直線となる。この構造は、直線を1方向にどこまでも, どこまでも進めば、無限遠点を 通って、逆方向から戻ってくるという、永劫回帰の思想をちょうど実現している。それは、球面上では、 円を繰り返し回ることを意味する。 その様は 何もかも すっかり良く見える。
これが、従来100年以上も続いた世界観で、関数y=x やW=zは 無限遠点に近づけば、それらの像も無限遠点に近づいていると考えるだろう。 関数y=x の値は正方向にどんどん行けば、どんどん大きくなると考えるだろう。
しかるに、ゼロ除算1/0=0は、それらの関数は無限遠点にいくらでも近づくと 無限遠点にいくらでも近づくが、無限遠点自身では、突然ゼロになっていることが 幾何学的にも確認された。上記、北極は 実は原点ゼロに一致しているという。
話しを簡単にするために、 関数y=x を考えよう。右に行けば、プラス無限に、負の方向左に行けば 負の無限に限りなく近づくは 従来通りである。ところが、ゼロ除算では いずれの方向でも上記無限遠点では 値ゼロをきちんと取っているという。ゼロ除算の数学では、どんどん、増加した先、突然、ゼロ、原点に戻っているという。また、円でも球面でも半径Rをどんどん大きくすると、当然、円の面積や球の体積はどんどん限りなく大きくなるが、半径が無限のとき、突然、それらはゼロになるという。それらの理由も数学ばかりではなく、幾何学的にも明確に見えている。
この数学的な事実は、我々の世界、宇宙がどんどん拡大して行くと突然、ゼロに帰するということを暗示させている。 ― これは 宇宙回帰説を意味しているようである。
これは、ユニバースの普遍的な現象、どんどん進んだ先が、元に突然戻る原理を示しているようである。
そもそも人生とは如何なるものか。― よくは分からないが、事実として、生まれて、どんどん物心がついて、人間として精神活動が活発化して、多くは本能原理によって生かされて、そして、突然元に戻ることを意味しているようである。このことを深く捉えられれば、世界がよりよく観え、悟りの境地に達する大きなヒントを得ることができるだろう。
ここでは ゼロ除算の帰結として、宇宙回帰説、ユニバースの回帰説を唱えたい。この考えでは、どんどん進めば、突然元に戻るという原理を述べている。珠算における 御破算で願いましては で 再び始めることを想起させる。これは、また、reset と同様であると考えられる。
以 上
Title page of Leonhard Euler, Vollständige Anleitung zur Algebra, Vol. 1 (edition of 1771, first published in 1770), and p. 34 from Article 83, where Euler explains why a number divided by zero gives infinity.
https://notevenpast.org/dividing-nothing/
割り算のできる人には、どんなことも難しくない
世の中には多くのむずかしいものがあるが、加減乗除の四則演算ほどむずかしいものはほかにない。
ベーダ・ヴェネラビリス
数学名言集:ヴィルチェンコ編:松野武 山崎昇 訳大竹出版1989年








ロイター2016年01月07日 14:27視点:アベノミクスの「リセット」=竹中平蔵氏
竹中平蔵 慶應義塾大学教授
安保一色から経済重視へ回帰した安倍政権に必要なのは、政策の「リセット感」だと、竹中平蔵・慶應義塾大学教授は指摘する。具体策としては、公共インフラ運営を民間に委ねるコンセッション方式を活用した東京・大阪間リニア新幹線開通など、スケールの大きな政策論議の必要性を説く。
同氏の見解は以下の通り。
<国税庁と年金機構を統一し、歳入庁新設を>
2016年は、アベノミクスのリセットがうまく行くかが問われる年だ。リセットには、2つの側面がある。1つは、14年4月の消費税増税後に落ち込んだ経済の仕切り直し。もう1つは、世間に映る政策論議の印象を安保一色から経済重視に引き戻すことだ。
実は、このいずれのリセットボタンも15年後半にすでに押されているが、「リセット感」はまだ十分に出ているとは思えない。
例えば、名目国内総生産(GDP)600兆円目標を掲げるのは良いが、これは従来の成長率目標(実質2%・名目3%程度)を言い換えただけに過ぎない。名目3%成長を6年続けたら、現在500兆円のGDPが1.2倍の600兆円になるのは自明の理だ。
また、法人減税の前倒しが話題になっているが、現在32%台の実効税率を29%台へ引き下げることは、国際標準に照らせばマイナーチェンジだ。さらに、政府が企業に賃上げや設備投資の拡大を求めるのは自由だが、企業が現預金をため込んでしまうのもデフレ下では合理的な経営判断だったからだ。この姿勢は今後物価が上がってくる中でおのずと変化するだろうが、国内に振り向けられるかは、ひとえに投資機会の多寡にかかっている。
残念ながら、構造改革によって投資機会を創出する努力を政府が十分に行っているとは思えない。特区レベルの取り組みで例外はあるが、農業・医療・福祉など様々な分野で民間の活力を阻む壁は依然として多い。民間主導の好循環を生むためには、今以上の規制緩和で投資機会を大きく増やしていくことが求められる。
一方で、財政や社会保障に対する不安も払拭(ふっしょく)しなければならない。はっきり言って、歳出削減に向けた流れは、小泉政権時と比べて大きく後退したままとなっている。小泉政権下の「骨太の方針2006」では、歳出にキャップ(上限)を設けた。しかし、アベノミクス下では単年度のキャップは財政の硬直的な運営を招くとの批判もあり、18年度に中間目標を設け、いわば複数年で緩やかなキャップを設けた形になっている。
緩やかなキャップしか設定できないのであれば、歳入面でやるべきことがあるだろう。例えば、税や社会保険料の徴収漏れ対策だ。
実は、日本には広義の税である社会保険料も含めると数兆円規模の徴収漏れがあると言われている。せっかくマイナンバー制度を導入したのだから、将来的に国税庁と日本年金機構を統一して歳入庁を新設し、この問題の解決にあたるぐらいの構想力が欲しい。
特に首相直属の経済財政諮問会議には、マクロ経済運営の王道を行くようなスケールの大きな政策論議を期待したい。それができれば、本当の意味でのリセットができると思う。
<五輪後にらみ官民共同でリニア新幹線整備>
もう1つ、リセット感につながるスケールの大きな構想として、供給力の強化をもたらす国家プロジェクトを提唱したい。公共インフラの運営権を民間に売却するコンセッション方式を活用したリニア中央新幹線整備計画だ。
JR東海は、リニア新幹線について27年にまず東京(品川)―名古屋間、45年に大阪までの延伸開業を目指すとしているが、悠長すぎるように感じる。一企業に荷が重いならば、名古屋から先は公共事業として整備し、その運営を民間に委ねる手法も検討の余地があるだろう。そのうえで、27年の東京―大阪間の全面開業を目指せば良い。
これは、20年の東京五輪後の日本経済を考えるうえでも、期待をつなぐ目標となるのではないか。振り返れば04年のアテネ五輪後、ギリシャには財政赤字が残った。それを見た英国は12年のロンドン五輪に向けて「レガシー」という言葉を使い、五輪後に何を残すかを考えた。そして国際会議や展示会などMICE(マイス)に対応した都市づくりを進め、実際、ロンドンは今やMICEの先進地となっている。
日本も五輪後にますます厳しい財政状況が予想されるのだから、民間の活力を生かしつつ期待をつなぐための大きな仕掛けを今から考えるべきではないか。リニアが難しいと言うならば、例えば人口20万人以上の全都市にコンセッションを義務づけるのはどうか。大きな金額が動くだけでなく、「行革」の側面も持ち得る。
こうした構想は、絵に描いた餅とは思わない。国家戦略特区でもすでに進展はある。農業分野に企業が続々と参入している兵庫県養父市や、国内では事実上38年ぶりとなる医学部新設が決まった千葉県成田市などはその好例だ。
また、コンセッションについても、仙台空港と関西・伊丹空港の引き受け主体が決まったほか、上下水道や高速道路でも計画が具体化している。このうち関空のケースは、世界的に見ても大きな規模だ。こうした動きが加速すれば、リセット感は高まるだろう。
<TPPは最高の安全保障、日本は先行批准も選択肢>
最後に重要な点を言い添えれば、15年に環太平洋連携協定(TPP)が大筋合意に至ったことは、安倍政権の大きな成果だ。
世界では今、いくつもの「メガFTA(自由貿易協定)」構想がしのぎを削っている。米国と欧州連合(EU)の間で進む環大西洋貿易投資パートナーシップ(TTIP)協議や、日中韓FTA構想、そして東南アジア諸国連合(ASEAN)加盟10カ国に日中韓、インド、オーストラリア、ニュージーランドを加えた東アジア地域包括的経済連携(RCEP)構想、さらに旧来からある北米自由貿易協定(NAFTA)や南米南部共同市場(メルコスール)の新たな動きも加わり、複雑な様相を呈している。
こうした状況下で、日米が中心となって先陣を切り、世界のGDPの4割を占める地域において、投資や国有企業、労働・環境など幅広い分野のルールづくりで大筋合意したのは、文字通り画期的なことだ。
TPPは自由貿易促進という経済的なメリットだけでなく、それ以上に、地政学的に重要な意味を持つ。なぜなら、相互の投資が進み、地域内で深いサプライチェーンが整備されれば、切っても切れない最高の安全保障関係になるからだ。
ただ、不安があるとすれば、16年に大統領選を迎える米国で議会承認が難航する可能性があることだろう。万が一、米国が批准できないような事態に陥れば、同国のアジア太平洋地域に対するコミットメントが揺らぎ、影響力が低下するのは必至だ。
実は米国は、はしご外しの常習犯でもある。古くは第1次世界大戦後、当時のウィルソン米大統領が国際連盟の創設を提唱したものの、米議会の反対で加盟できなかった。近年では、京都議定書の未批准や国際通貨基金(IMF)改革の批准の遅れが記憶に新しい(IMF改革は12月18日に米議会がようやく承認)。
この点について安倍政権にできることは限られるが、場合によっては、日本が先行して批准するのも米国に対するプレッシャーとしては有効だろう。日本は交渉参加まで2年かかった。言い換えれば、予備期間が2年あったので、TPP批准は米国に比べればハードルが低いはずだ。世界の新たな通商体制をけん引するチャンスを日本は逃してはならない。
(東京 12月21日)
*本稿は「2016年の視点」特集に掲載されたものです。竹中平蔵氏へのインタビューをもとに、同氏の個人的見解に基づいて書かれています。
*竹中平蔵氏は現在、慶應義塾大学教授・グローバルセキュリティ研究所所長。1951年和歌山県和歌山市生まれ。一橋大学経済学部卒。日本開発銀行(現日本政策投資銀行)などを経て慶大教授に就任。2001年小泉内閣で経済財政政策担当大臣。 02年経済財政政策担当大臣に留任し、金融担当大臣も兼務。04年参議院議員当選。05年総務大臣・郵政民営化担当大臣。現在、政府産業競争力会議の民間議員、国家戦略特別区域諮問会議の有識者議員を務める。
*このドキュメントにおけるニュース、取引価格、データ及びその他の情報などのコンテンツはあくまでも利用者の個人使用のみのためにコラムニストによって提供されているものであって、商用目的のために提供されているものではありません。このドキュメントの当コンテンツは、投資活動を勧誘又は誘引するものではなく、また当コンテンツを取引又は売買を行う際の意思決定の目的で使用することは適切ではありません。当コンテンツは投資助言となる投資、税金、法律等のいかなる助言も提供せず、また、特定の金融の個別銘柄、金融投資あるいは金融商品に関するいかなる勧告もしません。このドキュメントの使用は、資格のある投資専門家の投資助言に取って代わるものではありません。ロイターはコンテンツの信頼性を確保するよう合理的な努力をしていますが、コラムニストによって提供されたいかなる見解又は意見は当該コラムニスト自身の見解や分析であって、ロイターの見解、分析ではありません。
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再生核研究所声明 267(2015.12.26): 未知の世界に遭遇したとき、分からないとき ― そのときどうするか
人生には重要な岐路が有ったり、判断を求められたり、決断を迫られたりする場面は多い。
志、進路、就職、結婚相手の決定、新居の設計、購入、政治的な判断、決定、などなど。そこで、心構えなど纏めてみたい。
まずは 分を弁えることが大事である。敵を知り己を知れば百戦殆うからず(『孫子・謀攻』に「彼を知り己を知れば百戦殆からず。彼を知らずして己を知れば、一勝一負す。彼を知らず己を知らざれば、戦う毎に必ず殆し(敵と味方の実情を熟知していれば、百回戦っても負けることはない。敵情を知らないで味方のことだけを知っているのでは、勝ったり負けたりして勝負がつかず、敵のことも味方のことも知らなければ必ず負ける)」とあるのに基づく。原典では「殆うからず」だが、「危うからず」と書いても誤りではない。
「敵を知り己を知れば百戦殆うからず」とも。― 故事ことわざ辞典)結局は 自己の状況、器にあったことしか成し得ないのだから、自分を自分なりに 捉えることが基本になる。世界観は 自分の見た世界が 認識した世界が 反映しているものであるから、自分が近いと感じる世界の影響を深く受けるであろう。 そこで、何事 常日頃 頼っている家族や、友人などに意見を求めることは基本ではないだろうか。いろいろ文献や情報を参考にする。 一般的には確信に至るまで、できるだけ時間を取るは 大事な心得である。 最初戸惑ったことでも、情報を集めたり、友人に相談したりして考察を深めていけば、自分なりに確信、信念の域に至る、そうなれば、迷わず、決断してその方向で歩めるのではないだろうか。
ところが、憲法改正問題や原発の是非など、真面目に考えれば、素人の多くの人には、判断のしようがない問題が世には多い。多くの場合には どちらにも道理があり、基礎知識さえ明らかではなく、真実、実情さえ怪しく、考える基礎すら疑わしくなる。このような場合には、裁判官のように 対立する意見を広く参考にして、多くは 日頃信頼している人たちの意見を重要視するのが良く、日頃修練して 大事な問題に対して、判断できるような心構えを培って置きたい。良識ある少数意見などについても 注意深く参照して置きたい。大衆の意見に迎合したり、群集心理で動かされる心理は深いので、くれぐれも注意したい。
事の、是か非かは、できるだけ広い視野をもって考え、予断、思い込みを疑い、確信に至るまで、できるだけ時間をとる、止むを得ない場合には 信じられる人、信じられる考えに従うが良いのではないだろうか。経験や歴史を参照するのも当然である。
未知の世界に遭遇したとき、慎重に、慎重に時間を掛けて、状況の理解に努め、状況の掌握ができてから、慎重に進めたい。研究でも、科学技術でも経済、社会でも である。 変化の大きな現状では 慎重さで 抑制的に対応するのが特に大事ではないだろうか。グロバリゼーションや国際交流など 全般についても言えるのではないだろうか。変化の状況、時間的な経緯も大事である。
以 上
再生核研究所声明 264 (2015.12.23): 永遠とは何か ― 永遠から
現代人は 空間とは 座標軸で表される数の組の集合 で表させるものと発想しているだろう。 基礎である直線は 実数を直線上に並べたもの、逆に直線とは 実は 実数全体の表現と考えられる。 すなわち、直線とは 基準点である原点ゼロから、正方向と負方向に正の実数と負の実数が大小関係で順序づけられ無限に双方向に伸びていると考えられる。
そこで、永遠とは 直線に時間を対応させ、限りなく正方向に進んだ先のことを 想像している。どこまでも どこまでも 先に行けばどうなるだろうか。直線上でも、平面上でも である。 砂漠の伝統を有する欧米文化の背景、キリスト教などの背後には、 永遠とは限りなく 果てしなく先にあると発想しているという。 どこまでも、どこまでも きりのない世界である。 ユークリッド幾何学が そのような空間を考えていることは確かである。
ところが四季に恵まれたアジアの民は、限りなく広がる世界に、不安や淋しさを直感して、 正の先と、負の先が一致していて、直線は円で どこまでも どこまでも行くと反対方向から、現在に至り、永遠は繰り返しであると、四季の繰り返し、天空の繰り返し、円運動のように発想して 仄かな安心感を覚えているという。永劫回帰、輪廻の思想を深く懐いている。実に面白いことには 美しい複素解析学では、立体射影の考えによって、直線を球面上の円と表現し、無限遠点の導入によって、 これらの思想を 数学的に厳格に実現させ、全ユークリッド平面の全貌を捉え、無限の彼方さえ捉えることが出来た。 その時 永遠を 確かに捉え、掴むことさえ出来たと言える。立体射影による球面上の北極に 確かに存在すると言える。素晴しい、数学を手に入れていた。この美しい数学は 100年以上もリーマン球面として、複素解析学の基本となってきている。
ところが2014.2.2偶然に発見されたゼロ除算の結果は、この無限遠点が 実は原点に一致していた という衝撃的な事実を述べていた。 永遠、無限の彼方と想像していたら、それが 実は原点に戻っていたという事実である。 それが我々の数学であり、ユークリッド空間の実相である。幾何学の性質や物理的な法則をきちんと説明している、我々の世界の数学である。
それで、永遠や無限遠点、我々の空間の 十分先の考え方、発想を考える必要がある。
無限の先が原点に一致している事実、それを如何に理解すべきであろうか。
それについて、 次のように解説してきた:
再生核研究所声明232(2015.5.26)無限大とは何か、無限遠点とは何か。― 驚嘆すべきゼロ除算の結果
再生核研究所声明257 (2015.11.05) 無限大とは何か、 無限遠点とは何か ー 新しい視点
再生核研究所声明262 (2015.12.09) 宇宙回帰説 ― ゼロ除算の拓いた世界観
新しい世界観は 始まりから始まり 最後には 突然戻るということを述べている。 しからば、始めとは何で 終りとは何だろうか。 これについて、 始めも終わりも、質的な変化であると定義できるのではないだろうか。 簡単な数学で万物、universe の現象を説明するのは難しい状況は確かにあるだろう.しかし、ゼロ除算の思想は、新羅万象が絶えず変化して 繰り返している様を表現しているように感じられる。
大事な人生の視点は 今日は 明日のためや遠い未来のためにあるのではなく、 現在、現在における在るべき適切な在りようが大事だと言っているようである。もちろん、現在は、未来と過去に関係する存在であり、それらは関係付けられ、繋がっているが 焦点はもちろん、 現在にあるということである。
ビッグバンの宇宙論は 適切に理解され、始めとは 大きな変化で 現状の元が始まり、
やがて突然、元に戻って 終わることを暗示しているようである。人生とは 要するに 内なる自分と環境に調和するように在れ と ゼロ除算は言っているようである。
ゼロ除算は 仏教の偉大なる思想 を暗示させているように感じられる。
以 上
再生核研究所声明262 (2015.12.09) 宇宙回帰説 ― ゼロ除算の拓いた世界観
最近展開しているゼロ除算が、新しい世界観を示しているのは 大変興味深い。直線とは一体どうなっているだろうか.空間とはどのようになっているだろうか。これについて、現代人は、双方向にどこまでも どこまでも 続いている直線を想像するであろう。限りなく広がった平面や空間である。ところが 立体射影によって 平面全体を球面上に1対1に写せば、全平面は 球面から北極を除いた球面上に1対1にきちんと写るから、無限に広がる 全平面の全貌が捉えられる。ところが平面上には存在しない想像上の点 それはあらゆる方向に限りなく遠くに存在する無限遠点の導入によって、その点を球面の欠けた1点北極に対応させれば、無限遠点を含めた平面全体は 球面全体と1対1にきちんと対応する。
このような対応で 平面上の円や直線全体は 球面上では共に円に対応するという美しい対応になり、平面上の直線は 球面上では、北極(無限遠点)を通る円に写ると、直線と円の区別は 球面上では不要になる。また、平面上の平行線とは 無限遠点で 角度ゼロで交わっている(接している)と平面上の構造がよく見えて、無限遠点を含めての平面の全構造が 捉えられる。このように、考えると、直線とは、球面上では北極を通る円、平面上では無限遠点を通る直線となる。この構造は、直線を1方向にどこまでも, どこまでも進めば、無限遠点を 通って、逆方向から戻ってくるという、永劫回帰の思想をちょうど実現している。それは、球面上では、 円を繰り返し回ることを意味する。 その様は 何もかも すっかり良く見える。
これが、従来100年以上も続いた世界観で、関数y=x やW=zは 無限遠点に近づけば、それらの像も無限遠点に近づいていると考えるだろう。 関数y=x の値は正方向にどんどん行けば、どんどん大きくなると考えるだろう。
しかるに、ゼロ除算1/0=0は、それらの関数は無限遠点にいくらでも近づくと 無限遠点にいくらでも近づくが、無限遠点自身では、突然ゼロになっていることが 幾何学的にも確認された。上記、北極は 実は原点ゼロに一致しているという。
話しを簡単にするために、 関数y=x を考えよう。右に行けば、プラス無限に、負の方向左に行けば 負の無限に限りなく近づくは 従来通りである。ところが、ゼロ除算では いずれの方向でも上記無限遠点では 値ゼロをきちんと取っているという。ゼロ除算の数学では、どんどん、増加した先、突然、ゼロ、原点に戻っているという。また、円でも球面でも半径Rをどんどん大きくすると、当然、円の面積や球の体積はどんどん限りなく大きくなるが、半径が無限のとき、突然、それらはゼロになるという。それらの理由も数学ばかりではなく、幾何学的にも明確に見えている。
この数学的な事実は、我々の世界、宇宙がどんどん拡大して行くと突然、ゼロに帰するということを暗示させている。 ― これは 宇宙回帰説を意味しているようである。
これは、ユニバースの普遍的な現象、どんどん進んだ先が、元に突然戻る原理を示しているようである。
そもそも人生とは如何なるものか。― よくは分からないが、事実として、生まれて、どんどん物心がついて、人間として精神活動が活発化して、多くは本能原理によって生かされて、そして、突然元に戻ることを意味しているようである。このことを深く捉えられれば、世界がよりよく観え、悟りの境地に達する大きなヒントを得ることができるだろう。
ここでは ゼロ除算の帰結として、宇宙回帰説、ユニバースの回帰説を唱えたい。この考えでは、どんどん進めば、突然元に戻るという原理を述べている。珠算における 御破算で願いましては で 再び始めることを想起させる。これは、また、reset と同様であると考えられる。
以 上
Title page of Leonhard Euler, Vollständige Anleitung zur Algebra, Vol. 1 (edition of 1771, first published in 1770), and p. 34 from Article 83, where Euler explains why a number divided by zero gives infinity.
https://notevenpast.org/dividing-nothing/
割り算のできる人には、どんなことも難しくない
世の中には多くのむずかしいものがあるが、加減乗除の四則演算ほどむずかしいものはほかにない。
ベーダ・ヴェネラビリス
数学名言集:ヴィルチェンコ編:松野武 山崎昇 訳大竹出版1989年








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