奉行所の役人はわずか166名 超先進的だった江戸の自治事情(上)
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奉行所の役人はわずか166名 超先進的だった江戸の自治事情(上): 江戸時代の行政の仕組みは、近代日本の自治制度の礎になった。それは、驚くほど先進的で効率的なものだった
© diamond 江戸時代の行政の仕組みは、近代日本の自治制度の礎になった。それは、驚くほど先進的で効率的なものだった
連載第8回では、明治維新期の政府は外交や防衛、それに国家としての最低限の姿をつくり上げるのに手一杯で、内政面、すなわち殖産興業といった分野は基本的に地方や民間任せであったが、そのようなことができたのは、当時の地方の経済力が強かったからだったと述べた。
さらに言えば、江戸時代以来の地方自治がしっかりしていたので、地方のことは地方に任せても問題がなかったのである。そこで今回は、明治維新以降の地方自治の基盤となった江戸の自治についてご紹介することとしたい。実は、その基盤の上に、わが国の民主主義も発展して行ったと言えるのである。
日本の民主主義の礎となった江戸時代の地方自治
明治も半ばになった明治26年に、勝海舟が語った話が『氷川清和』という本に出てくる。勝海舟は「地方自治などいふことは、珍しい名目のやうだけれど、徳川の地方政治は、実に自治の実を挙げたものだヨ。名主といひ、五人組といひ、自身番(警察)といひ、火の番(消防)といひ、みんな自治制度ではないかノー」と言っていた。
実は、明治20年代に創設された日本の地方自治制度は、江戸の自治を土台にしていたのである。明治政府は中央集権的で、地方も中央集権化したと認識している人が多いが、明治維新期の政府は外交や防衛、それに国家としての最低限の姿をつくり上げるのに手一杯で、内政面、すなわち地方自治にはほとんどノータッチだったというのが実態だった。
そのため、江戸の自治を引き継いだ。そこで勝海舟の話になるのだが、それでもほとんど問題がないほどのものだったのが、江戸の自治だったのである。ちなみに、明治時代に地方自治制度をつくったのは山縣有朋。明治の元勲として伊藤博文と並び称された山縣は、今日では軍閥の元祖とばかり思われているが、山縣には江戸の自治を引き継いで、その伝統の上に、当時の西欧諸国に負けないような立憲制を築き上げていこうとしたという、全く別の顔があった。戦前の制度はみんな悪いように思っている人が多いが、そのようにしてでき上がった明治の自治には、それなりに優れたところもあった。それがおかしくなったのは、先の戦争のときだと言えよう。
わが国の地方自治制度が江戸の伝統を引き継いでいたことについては、福沢諭吉がこんなことを言っている(『福沢諭吉全集』の「6の65」「6の50~51)。
「日本国民は250年の間、政権こそ窺ふことを得ざれども、地方公共の事務に於ては十分に自治の事を行ひ、政府の干渉を受けざること久し(『福沢諭吉全集』6・65)」
また徳川時代の自治制度を、「今日の立憲政体に遭ふて其まま行はる可きに非ず、多少の取捨ある可きは当然のことなれども、旧制度も新制度も自治は即ち自治なり、(中略)立憲の新政体に適するは、古来我民心に染込みたる自治の習慣こそ有力なる素因なれ。(『福沢諭告全集』6・50―51)」とも述べている。
つまり、「江戸の自治を少し手直しして、そのまま我が国の自治制度にすればいい」と言っていた。福沢諭吉という人は、江戸の封建制を「門閥制度は親の敵」といって批判していた人だったが、江戸の自治については、このように高く評価していた。勝海舟と一緒だったというわけである。
たった166人の役人で切り盛りしていた江戸時代の驚くべき自治の仕組み
では、その江戸の自治とはどんなものだったのかということだ。まず質問だが、江戸の町は北町奉行と南町奉行による月番制、すなわち月ごとの交代で治められていたが、それぞれの奉行所の役人の数は、どれくらいだったと思うだろうか。今日で言えば、東京都に当たる組織の職員数がどれくらいだったかということだ。
江戸時代には、旗本8万騎と言われて、かなりの数の武士が幕府にはいた。ちなみに、東京都の現在の職員数は16万5000人あまりだ。もっとも、高等学校の先生などが入っているから、そういった職員を除いた知事部局などの職員数に限ると、3万8000人弱である。
答えは、166名だ。奉行1人、与力25人、同心140人の計166名。たった166人の人数で、今日で言えば東京都の一般行政、警察、裁判所などの業務の元締めを行っていた。何故、そんな少人数で、そんなことができたのかといえば、ほとんどの問題が地域の自治で処理されて、奉行所という「お上」の出番が極めて少なかったからだ。住民生活において生じる様々な問題は、基本的に地域の寄り合いで話し合われ、処理されていた。そこで処理できない、ごく少数の案件だけが「お上」のお世話になっていたのだ。
最近はあまり放映されなくなったが、かつて時代劇全盛の時代に、ドラマ『遠山の金さん』という作品があったが、ドラマの最後に「北町奉行、遠山左衛門尉様、ご出座ァ……」となって「お裁き」が行われ、ハッピーエンドになるというパターンだった。しかしながら、そのようなことが行われるのは、ごく稀だったということだ。ほとんどの実務は、末端の自治で行われて完結していた。そのようなシステムの下に、歌舞伎や浮世絵、お祭りといった江戸の町人文化が花開いていた。地域が活性化していたというわけだ。
それにしても、地域の統治が最終的に「お裁き」という裁判システムで行われていたと言われると、「江戸の自治は随分と特殊な制度だったのだ」と思われるかもしれないが、実はかつての英国や米国の自治も、同様の裁判システムで行われていた。
英国には治安判事という仕組みがあって、地域の自治で納まらない案件を治安判事が裁いていた。米国では巡回裁判所という仕組みがあって、地域の自治で治まらない案件が裁かれていた。自治と言っても、そこでまとまらない話は、最後の元締めがいないと全体がうまくいかないというわけだ。
ちなみに、そのように実質的に行政を司る場合の裁判は、判決までに半年も1年もかかるという今日のそれとは異なり、即決を旨としていた。『遠山の金さん』が登場して啖呵を切れば、ドラマはクライマックスで、もうすぐ最後のコマーシャル。解決に半年や1年もかかるというのでは、とても統治のシステムとしては成り立たない、1時間のドラマにも収まらないというものだったのだ。
江戸時代の「役人」は何らかの役についている民間人だった
さて、それにしても、最後には即決の「お裁き」になる、その根底にあった江戸の自治は、どのようなものだったのかを説明しないと、「そんな話は信じられない」と言われそうだ。江戸の町で自治を担っていたのは、町役人と呼ばれた町年寄、町名主、それに家主たちだった。ここで「町役人」と言ったが、今日では役人とは公務員のことであるが、当時の役人とは「何らかの役についている民間人」が多かった。後で、村の自治について説明するときに「村役人」という言葉が出て来るが、それは村で村人のとりまとめをしていた名主や庄屋のことだ。
ということで、そのような江戸の町役人の数は、町方の人口が53.5万人だった寛政3年(1791年)で2万人余だった。一番上にいたのが、月番制をとる3人の町年寄(樽屋、奈良屋、喜多村)。その下に300名弱の町名主(享保8年、268名)がいたが、なんと言っても主役は、一番末端にいた家主たちだった。
家主たちのイメージは、落語に出てくる御隠居さんの現役時代の姿と思えばいい。その家主たちを5人ずつにした5人組が、実際の実務を行っていた。勝海舟が『氷川清話』で触れていた「5人組」だ。戸籍(人別帳)の管理、婚姻、養子、遺言、相続廃嫡の立ち会い、幼年者の後見、火消し人足の世話、夜廻、町内の道造りなどを行っていた。5人の家主たちは、寄り合いということで集まって、地域のことを全て決めると同時に、「町入用」という今日で言えば町民税の収納の連帯責任を負っていた。
それに対して、一般町人である地借人や店家人(たながりにん)はどうしていたかというと、町入用という税金も納めなければ、寄り合いにも参加しない。地域自治のことはすべて大家にお任せだった。実はこの点が、この後説明する村の寄り合いとは違う点だ。村では、地主だけでなく小作人も、村入用、今日でいうところの村民税を負担し、寄り合いにも参加して、地域のことの相談に与かっていた。
江戸の地借人や店借人は、荻生徂徠によれば「江戸は諸国の掃溜」と言われていた人たち、農村で食いつめてきた移住者たちが多かった。九尺二間というから、約3坪の裏店(うらだな)住いというのが一般的だった。両国の江戸東京博物館に行けば、当時の長屋が復元されているので、その模様をご覧いただけるが、そのような長屋に住んでいた地借人や店借人、落語で言えば、熊さん八っつあんに、町入用の負担を求めたり、地域のことに責任を持てというのは無理だったということだ。
彼らも、店5人組といったものを設けて、それなりの自治を行ってはいたが、それは自分たちに関することだけで、地域のことは家主たちの寄り合いで決めてもらっていたというわけである。
江戸の自治は、業界ごとにも行われていた。旅籠(はたご)、両替、質屋、札差(ふださし)、飛脚、呉服といった業界ごとに寄り合いがあった。また地方においては、「若衆宿」といった若者の自治が行われていた。さらには、「牢名主」という言葉があるように、監獄でも自治が行われていた。
ねずみ小僧次郎吉が屋根伝いに逃げた理由
江戸の自治がどれだけ幅広く行われていたかに関しては、権力行政の代表とも言える警察も自治で行われていたということをお話すれば、よりイメージがわくだろう。読者諸氏は、ねずみ小僧次郎吉というのをご存じかと思う。かつての時代劇のヒーローの1人だ。18世紀後半の化政期(文化、文政)に、もっぱら大名屋敷を荒らした盗賊だが、その次郎吉が映画などで捕り物の役人に追われて逃げる際には、必ず屋根伝いに逃げていた。
筆者は、「ねずみが屋根裏を這い回るからなのか」「それにしても不思議だな」と思っていたのだが、実はねずみ小僧には、そうする合理的な理由があった。それは、江戸時代には、夜には町ごとの木戸を閉めることになっていたので、夜は道が袋小路になっていたということだ。そんな道を逃げたのでは、たちまち捕り方に追い詰められて御用となってしまうので、次郎吉は屋根伝いに逃げたというわけだったのだ。そして、夜になって町ごとの木戸を閉めていたのが、町方や武家方の自治で置かれていた自身番や辻番という人たちだった。勝海舟が言っていた自身番である。
江戸の町方の自身番は、嘉永3年に990箇所あったが、そこにはその地域の住民が週番で詰めていて、夜の10時には大木戸を閉めた。その後は左右の小木戸を通る通行人を監視していた。そのようなシステムの下で、江戸の長屋住まいの住民は鍵などとは縁のない生活を営んでいたというわけだ。町方の自身番は、今日で言えば、町内会の役員という感じで、その番所は町内の会合や相談所としても利用されていたということなので、警察というのとはちょっと違う感じもするが、武家地に置かれていた辻番は、まさに今日の警察だった。昼は2ないし4名が、夜は4ないし6名が、地域の武家屋敷などから詰めていて、大木戸の開閉といったことだけでなく、所管区域の見廻り、挙動不審者の留置、喧嘩辻斬りの報告、行倒れや泥酔者の介抱などを行っていたのだ(天和3年)。
江戸以外の地方自治は?実は透明性が高かった村民税
それでは、江戸以外の地方の自治はどうだったのか。江戸時代の300諸侯は、今日の感覚で言えば「独立国」だったから、今日の県の自治などよりも、よほど高度な自治が行われていた。幕府からは、大きな河川の改修や幹線街道維持などのための負担を求められることはあっても、定常的な財政負担を求められることはなかった。
また、特にひどい一揆でも起こらない限り、幕府から指図されたり資金援助を受けたりすることもなかった。藩は独自の軍隊(藩士)を持ち、藩札という独自の通貨を発行していた。また、綿や藍玉の専売といった独自の産業政策(勧業奨励)を行っていた。そのような当時の日本の国の形は通貨統合前のEU諸国だったと考えれば、わかりやすい。そして村では、幕府の領地(天領)であるか、300諸侯の領地であるかを問わず、村の住民による自治が行われていた。
さて、そこで江戸時代の村の自治である。江戸時代は農業が主体の経済なので、ほとんどの人は村に住んでいた。よって江戸の自治の基本は、村の自治だった。藤田武夫という地方財政学者が昭和16年に出した本を見ると、その江戸時代の村の自治の様子が紹介されている。
「経常的な入用は村役人これを立替へて支出し、臨時的なものは高持百姓集合相談の上これを支弁し、年末に総入用を割付ける際に高持百姓立会ってこれを改め、且惣百姓得心の上これを割賦した。白紙帳に一切の入用を詳細に記入し、毎年春支配役所の検閲を受ける」というのである。
かいつまんで説明すると、村で毎年必要になる費用(「経常的な入用」)は、村役人(庄屋や名主といった人たち)が立て替えて支出する。臨時的なものは高持百姓(土地をたくさん持っているという意味で資力がある村民)が集まって相談の上、立て替えて支弁した。そして年末になると、秋の収穫後なので、土地をあまり持っていない百姓も相応の負担ができるようになっており、総入用、つまりそれまでに村役人や高持百姓たちが立て替えていた費用の全額をみんなに割り付けることになる。その際には、高持百姓が立ち会って白紙帳に詳細に記載されている一切の支弁額が正しいかどうかを確認し(改め)、惣(村民全員が参加する自治組織のこと)の百姓みんなが納得(得心)の上、これを割り付けた(割賦した)のである。
そして、白紙帳に記入されている支出(入用)については、毎年春に代官所など(支配役所)の検閲を受けていた。それは、内容に不審な点があれば、村人なら誰でも代官所などに訴え出ることができることになっていたからだった。当時の村民税(村入用)は、このような透明な手続きで、毎年毎年、課税が行われていたのである。
フランスでも日本でも行なわれていた単年度課税制度
このように、毎年毎年、課税が行われることを、単年度課税制度という。今日のわが国では、税は一度決められると、その後は毎年、国会や町村会で審議されなくても、決められた税を税務署などに納めなければならない。その感覚からすると、ちょっとびっくりするような仕組みだが、フランスでは今日でも行われている仕組みだ。実は、わが国でも、先の戦争までは行われていた仕組みだった。実は、この仕組みは、税が民主主義の基本だということを考えれば、ごく自然に理解できる制度なのだ。
フランス革命につながったフランスの3部会というのがあったが、基本的に、王が戦争などで必要になった費用を、貴族や商人に、新たな課税で出してもらおうという目的で集めたものだった。原理としては、村役人が支出した村の臨時の村入用を、高持百姓を集めて出してもらったのと同じだ。英国のマグナカルタも、王が戦争のための費用を賄うために、新たな税を貴族たちに賦課する際には、「税を負担させられる貴族たちの同意を得なければならない」といったことを定めていたものだ。
米国のケースで言えば、アメリカ独立戦争時に、ボストン・ティーパーティー事件というのがあった。英国が、当時自分の植民地だった米国において、お茶などに英国議会で決めた税をかけていたが、英国議会には植民地からの代表は送られていなかった。「それはけしからん」と言うので「代表なきところに課税なし」というスローガンを掲げた。つまり、フランスの3部会でも、英国のマグナカルタでも、米国のティーパーティーでも、納税者の代表が税金を決めるのだということが言われていたわけで、それが近代的な議会制民主主義の原点だった。
そのような観点からすると、自分たちの税金を自分たちで決めていた江戸時代の村の仕組みは、近代的な議会制民主主義の原理と同じものだった。納税者集会だったと言えば、わかりやすいかもしれない。
実は、そのような江戸の自治の伝統を受け継いだ制度を地方議会に導入しようとしたのが、山縣有朋だった。そのことは、山縣が明治20年代に導入した地方議会の複雑な選挙制度を見ると、よくわかる。ここではまず、山縣が町村会の選挙に導入した町村の等級選挙について、ご紹介したい。一等級、二等級という等級に分けた選挙制度である。http://www.msn.com/ja-jp/news/national/%E5%A5%89%E8%A1%8C%E6%89%80%E3%81%AE%E5%BD%B9%E4%BA%BA%E3%81%AF%E3%82%8F%E3%81%9A%E3%81%8B166%E5%90%8D-%E8%B6%85%E5%85%88%E9%80%B2%E7%9A%84%E3%81%A0%E3%81%A3%E3%81%9F%E6%B1%9F%E6%88%B8%E3%81%AE%E8%87%AA%E6%B2%BB%E4%BA%8B%E6%83%85%EF%BC%88%E4%B8%8A%EF%BC%89/ar-CCml2Z?ocid=UP97DHP#page=2
再生核研究所声明 15 (2008/05/24): 空虚な日本の社会
バブル崩壊後の日本の社会とは、いたるところに現れた借金財政、無責任な責任者の態度とそれを許している社会、経済の停滞、精神の空白と無気力、教育の空洞化などである。これらは空虚な社会と表現されよう。もし日本国の再生がならず、このまま衰退を続ければ、世界の歴史には、かつてアジアに栄えた、ユニークな文化を持った日本国が存在したが、戦後の教育を誤ったために衰退して、かつての日本国をしのぶような国は いまや世界のどこにも無い と記録される時代を迎えるだろう。
何と、国、地方合わせて1000兆円を越える借金を抱えても、政治家もマスコミも危機感が足りないと言えよう。国防の最高責任者が接待漬けで、大臣がどこの国の国防大臣か分からないような発言をしていたのである。町まちはシャッター通りと称されて、衰退を続け、農村も荒廃を続け、若者は派遣社員として不安定な状況に追い込まれている。教育はただ勉強して良い大学に入る事を考えればよいという 受験勉強に退化したり、無気力に陥ったりしていて、本来の教育の理念さえ失っている時代とも言える。これらは氷山の一角で、象徴的な状況と言えよう。そこに現れた社会とは、中身の薄い空虚な社会である。評価といって評価を考えようとすれば、よくやっているように見せかける為の書類作りや講演会などのセレモニーである。パンフレットや報告書が 社会にあふれた時代とも言えるだろう。評価されるべき元のもの、本務に取り組む時間と資金をそのために浪費しているような状況がいたるところに現れた、奇妙な時代を迎えていると言える。公務員はいわゆる親方日の丸で 税金がひとりでに入ってくるように感じている風潮で、貴重な税金といった考えが足りないと言えるだろう。
これでは、約5兆円もの防衛費をかけていても、日本国は外国軍の侵略を受ける前に、自滅、衰退してしまう状況ではないでしょうか。橋本大阪府知事のように、地方を、国を立て直す気迫ある若者達の立ち上がりと国民的な奮起を期待したい。
それには先ず大きなマイナスの仕事を減らし、公務員の財政意識を高め、綱紀を引き締め、公僕たる精神を初心として、国、地方の建て直しに取り掛かるように要請したい。危機意識を国民が共有して立ち上がる必要があると考えます。国、地方の豊かさはすべての基礎になるものであるから、おのおのの立場で、地域ごと経済再建にも努力して行きたい。教育問題にも抜本的な取り組みと検討が加えられなければならない。教育界も無気力、無責任な状態と言えよう。教育にも何か魂を入れる必要があるのと考える。江戸時代の幕末や明治政府には しっかりしないと外国の侵略を受けてしまうという危機感と連帯感があったと考える。今しっかりしないと 国が衰退してしまうという危機感と連帯感をもって国民が立ち上がるべき時である。
それらを展開する基本は 有能な人材を要所に配して、各級の人事を大幅に刷新することである。活力ある人材によって沈滞した社会を再生させる必要があると考えます。
国家は 大戦や地震など災害によって滅ぶことがあるが、多くの場合には、戦後50年を越えて内部から衰退するものである、という世界の歴史を想起したい。 以上。
国の借金1000兆円を突破 6月末時点
http://www.cnn.co.jp/business/35035799.html
国の借金、3月末に過去最大の1024兆円に
http://www.yomiuri.co.jp/atmoney/news/20111028-OYT1T01333.htm
高学歴エリートが沢山いるのになんで財政難なんだよ?
(;_; )( ;_;) シクシク・(-。-;)・(◎_◎)・(^_-)db(-_^) 指切りげんまん
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q10114138890
日本の財政を考える より
http://www.zaisei.mof.go.jp/
日本の借金時計
財部 誠一 財部 誠一ジャーナルより
http://www.takarabe-hrj.co.jp/clockabout.html
全国都道府県の借金時計 より
http://www.geocities.jp/mkqdj167/map.htm
日本の借金時計 (数字はうそをつかない)より
http://www.geocities.jp/mkqdj167/japan.htm
新政策機構「チームニッポン」 より http://www.team-nippon.com/
日本経済が破綻するまで動きつづけるリアルタイム財政赤字カウンタより
http://ueno.cool.ne.jp/gakuten/network/fin.html
リアルタイム財政赤字カウンターより
http://www.plaza-e.net/tz-time.html
日本経済復活の会 http://www.tek.co.jp/p/debt_time.html
U.S. National Debt Clock : Real Time http://www.usdebtclock.org/
社会保障給付、100兆円に迫る 09年度、失業手当急増http://www.47news.jp/CN/201110/CN2011102801000608.html
65歳以上、総人口の23.3%=過去最高を更新―高齢社会白書http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20120615-00000026-jij-pol
国が衰退したら、勝ち組も負け組みも、公務員も、もちろん、検察庁も、マスコミ関係者も みんな困るのでは? 1代自分だけうまく行っても、2代、3代 お孫さんたちは?日本人には、必ず愛国心が湧いて来ると信じています。
注:
衆愚政治(しゅうぐせいじ、Ochlocracy)とは、多数の愚民による政治の意で、民主政を揶揄して用いられる言葉。有権者の大半が知的訓練を受けずに参政権を得ている状況で、その愚かさゆえに互いに譲り合い(互譲)や合意形成ができず、政策が停滞してしまったり、愚かな合意が得られたりする状況をさす。 また有権者がおのおののエゴイズムを追求して意思決定する政治状況を指す。知的訓練を受けない民が意思決定に参加することで、議論が低廻したり、扇動者の詭弁に誘導されて誤った意思決定をおこない、 誤った政策執行に至る場合などをさす。また知的訓練を受けた僭主による利益誘導や、地縁・血縁からくる心理的な同調、刹那的で深い考えにもとづかない怒りや恐怖、嫉妬、見せかけの正しさや大義、あるいは利己的な欲求などさまざまな誘引に導かれ意思決定をおこなうことで、コミュニティ全体が不利益をこうむる政治状況をさす。 また場の空気を忖度することで構成員の誰もが望んでいないことを合意することがある(アビリーンのパラドックス)。出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』。
欧米では時間を越えて、真理・真実を追求しようとする文化がある(これは神の前に出るときには 清い心で望みたいという宗教が背後にあるように感じられる)のに比べて、日本には誤魔化したり、隠蔽したり、曖昧にする文化があることに深く根ざしているとも言える。
I AM NOT MOVING - Short Film - Occupy Wall Street
http://www.youtube.com/watch?v=RGRXCgMdz9A&feature=related
次のような侮辱されたレポートに対して、石破氏はどの様にして、国の財政を建直すのかを国民に説明し、内部から崩壊しかねない日本国を建直す為、国家の安全の基本を説明していただきたいと思います。
国の財政が破綻すれば、援助や防衛、安全どころではありません。
http://k1fighter2.hp.infoseek.co.jp/Shakin/NevadaReport.htm
http://www.kikuchigroup.com/melmaga/bn150.phpから
これは2001年9月にIMF(国際通貨基金)に近い筋のアメリカの専門家により作成されたというレポートで、その内容は国家財政の破綻をきたした国(レポートでは特に特定はされていないが想定しているのは日本)を如何にIMFが管理するかを記したアクションプログラムです。仮に、日本の国家財政が破綻し、IMF管理国になり「ネバダレポート」が実施されるとどのようになるかと言えば、下記に記した要点の内容が実施されると書かれています。
(ネバダレポートの要旨)
1. 公務員の総数および給料の30%カット。ボーナスは全てカット。
2. 公務員の退職金は100%カット。
3. 年金は一律30%カット。
4. 国債の利払いは5~10年間停止。
5. 消費税は15%引き上げて20%へ。
6. 課税最低額を年収100万円まで引き下げ。
7. 資産税を導入し、不動産に対しては公示価格の5%を課税。債券/社債につい
ては、5~15%の課税。株式は取得金額の1%課税。
8. 預金は一律ペイオフを実施するとともに、第2段階として預金額を30~40%カットする。
まさかこんな事態は来ないと考えているのは日本の国民だけなのかもしれません。今や日本国債の価値はG7国の中で最低、さらに言えば人口170万人ながらも多くのダイヤモンド鉱脈を持つというアフリカのボツワナ共和国の国債よりも低い格付けになっています。そんな価値の日本国債を所有するのは、その40.3%を公的機関が所有し、33.7%を民間の金融機関が所有しています。つまり全体の74%が国民の個人資産を預けたお金で所有されていることになります。
更には、日本円の発券銀行である日本銀行が15%も所有している事をご存知でしょうか?
日銀は法律により国債を直接購入(政府=財務省よりの購入)する事は禁じられているので、市場で国債を購入しています。つまり、自分でお金を刷ってそのお金を基にせっせと国の借金の肩代わりをしている訳です。ここまでで、既に日本の国債発行残高の内89%は内国で消化されている事になります。
では、内国以外の外国人による所有の率はと見てみれば全体の3.3%しかない事が判ります。
つまり残り7.7%は、今度は個人向け国債と称される国民個人による国債購入によりカバーされている訳です。簡単に言ってしまえば、日本国の借金の内、約97%は国民が国にお金を貸している状態ということになります。ここで、この率を他の国と比較すると日本の特殊性が見えてきます。アメリカ国債は、その39.9%が海外所有者で、ドイツ国債は40.3%が海外所有です。
借金の殆どを国民からしているのだから、仮に国家が倒産したとしてもIMF管理国になる事はないであろうと思うのは早計です。日本の現在の状況を貸借対照表においてみれば、資産765.31兆円、負債992.71兆円、差引き227.4兆円の赤字となります。要は、日本株式会社は、その所有する国内の土地、有価証券、機械設備等を全て売却してもなお227.4兆円の借金が残る事になります。
一方、昨今の日本では景気上昇により明るい未来が来ているように思われていますが、景気が良くなれば当然税収増は期待できます。しかし一方で金利も上昇、金利が上がれば国債の利払いも増加します。更に、低金利で発行された国債の価値は下がり、これは国債の大量売りに繋がり国債価格の暴落という事態を引き起こします。このような状況の後にくるのは結果的に財政破綻です。仮に、政府が国民の個人資産を全て巻き上げて借金を棒引きにしたところで、先の貸借対照表で見るとおり明らかなように、それでも227.4兆円の赤字が残る訳です。この赤字を解消する為には外国(国際通貨基金=IMF=アメリカの管理下にある)からお金を借りざるを得ない訳です。そしてIMF管理下国になれば、前記したレポートが実施されるという筋書きになります。仮にこのレポートが実施されれば、経済的に日本はアメリカの植民地にならざるを得なくなります。以下略
ウイキペディアより:
マッチポンプとは、偽善的な自作自演の手法・行為を意味する和製外来語である。マッチ(match)は元は英語、ポンプ(pomp)は元はオランダ語である(英語ではpump)。
「マッチで自ら火事を起こして煽り、それを自らポンプで消す」などと喩えられるように、問題や騒動について、自身でわざわざ作り出しておきながら、あるいは自身の行為がその根源であるにもかかわらず、そ知らぬ顔で巧妙に立ち回り、その解決・収拾の立役者役も自ら担って賞賛や利益を得ようとする、その様な行為を指して用いられる表現である。
日本の国会会議録にマッチポンプを用いた発言が残っている。1961(昭和36)年4月11日の衆議院本会議において、松井誠衆議院議員は「銃砲刀剣類等所持取締法の一部を改正する法律案」への質問の中で以下のように発言している。
世に、いわゆるマッチ・ポンプ方式といわれるものがあります。右手のマッチで、公共料金を上げて、もって物価値上げに火をつけながら、左手のポンプでは、物価値上げを抑制するがごとき矛盾したゼスチュアを示すのをいうのでございましょう。
— 松井誠、「第38回国会 衆議院本会議 1961(昭和36)年4月11日」[1]
1966年、黒い霧事件第1弾の田中彰治代議士事件で初めて使われ、元々は金品を巻き上げるという意味で使われた。1974年刊の「現代流行語辞典[2]」では「デスク日記3[3]」1966年8月5日の項にマッチポンプの記述があると紹介している。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9E%E3%83%83%E3%83%81%E3%83%9D%E3%83%B3%E3%83%97 より
日本人はインドのことよりも、日本のなかで貧しい人々への配慮を優先して考えるべきです。愛はまず手近なところから始まります - マザー・テレサ
再生核研究所声明 65 (2011.06.02) :
公務員の給与の段階的な引き下げ と 管理手当てなどの大幅引き下げを
ただでも厳しいところ、3月11日の 東日本大震災、福島原発事故は 国の財政を根本的に危うくしている。 日本国はかつて体験したことの無い 国家的な危機を迎えていることを真摯に、真正面から受け止める必要がある。
先ず国は、全力を挙げて、原発事故の鎮圧に努力すべきである。 日本軍が対応できないのであれば、国連をはじめ国際社会に救援、援助を人類の名において発するべきである。 まこと原発事故は、人類の地球環境破壊、生態系に対する重大な過ちである。次に放射能対策について、正確な汚染状況を掌握して、医学的な評価をきちんと行い、疎開などの行動を速やかに行うべきである。これらは国家的な危機、新しい型の戦争そのものであると理解して、軍の指揮下で 厳格に速やかに行うべきである。
軍の貢献を評価して、4兆円を超える軍事費は 適切に評価されるべきである。
しかしながら、どのような状況であっても、財政難、資金難に陥るのは 明白である。そこで、先ずは、公僕である公務員が範を示すのが 第一に必要である。 これは天災であることを認め、国家として災難を共有して行くことが 基本であると考える。 人災などの部分は 応分の責任と処罰が与えられるのは当然である。 しかし、今尚 戦時であることを肝に銘じるべきである。 原発の是非などは 今後の問題である。
公僕である公務員が範を示すには、先ずは 一律10%の給与引き下げ、各種管理手当ての20%の引き下げなどを速やかに行い 姿勢を示すことは 各種増税の第1歩になると考える。
東電の在り様に見えてきた、官僚の天下り、社会の上層部における妙な癒着構造などで 多額の税金が浪費されている実体が顕になってきている。支配者階級における、権力とお金にまみれたドロドロとした実体である。これこそ空虚な日本社会を覆っている腐敗している大きな部分である(再生核研究所声明15: 空虚な日本の社会)。
そこで、公務員の給与体系の在り様について、下記のような視点を述べたいと考える。
公務員は公僕で、国民に尽くす立場である。 日本は 公正の原則に基づく、自由市場を範としている。
そこで、これを真摯に実現、実践するために、公務員の給与を次第に引き下げて、公務員は安月給だから、ならないという世相になるまで、引き下げていく。 ― 実際、戦後目覚ましい復興を成し遂げた、戦後相当な期間は そうであった事実を思い出したい ― 権力や安定性、福利厚生面で、公務員は相当に恵まれている事実を、人事院などは 公正に評価していないと考えざるを得ない。いわば、仲間として、お手盛り政策を採っていると考えられる。
次はより大事な視点である。 役職手当や管理手当てなどである。 このために、公務員は必要以上に役職につきたがり、また、役職手当や管理手当ての大きさが、財政さえ圧迫している。それは大学においてさえそうである。 ある名誉教授の言葉が想い出される - 大学をまるで営業会社の感覚で、多額の役職手当を支払い、研究費を圧迫していると。
法人化後、事務長は副学長として理事に就任して、文科省の天下り先を沢山増やしている。 各省庁でも同じように天下り先や役職を増やし、国の財政を圧迫している状況はないであろうか。 そこで、役職は、名誉職的に考え、手当てを減額し、探さなければ、なり手がいないようなボランティアの精神でやるような 空気になれば、財政的にも、人材的にも良いのではないであろうか。 地方公務員、議員、いろいろな役所の手当てなどを減額して、使命感を抱く人が 積極的に働けるように考えると良いのではないだろうか。 多くの名誉職的な役職、仕事は、名ばかりで、税金が活かされていない状況はないであろうか。
行きすぎた年功序列制度の問題点も含めて、給与体系のそのような 視点での漸次見直しを提案する。
しかしながら、公務員は公僕であり、国家を、地方を導くものであるとの自覚が根本になければならない。その誇りこそが、公務員の生きがいでなければならない。その生活は社会の上流階級のものであってはならず、質素でなければならない。 政治が適切に機能しなければ、官僚機構とは 税金を搾取する集団に成り下がるのは 何時の世でもそうではないだろうか。
以 上
再生核研究所声明 104(2012.10.28) 人事採用、昇任について
(この声明は、再生核研究所声明に興味を抱く人からの 要望によるものである。難しい課題である。)
人事とは、人物評価、人物の能力、問題となる職種との関係で、実に難しい、重い課題である、総合的に論じると 難しいと考える。 そこで、 軽く、経験から、気づいたことを纏めてみたい。いろいろな観点があるので、一面的な見方と柔軟に考えられたい。ここで、人事とは 添付のウィキペディアの: 企業その他の団体・組織における職員の処遇などの決定に関する業務(本項において解説)を意味する。
まず、公務員など 公的な職種は、採用に当たって、公正、平等、機会均等 の原則 があると考えられる。 他方、私的な企業等は、 経営者の自由に 相当なると考えられる。しかし、 企業といえども 大きな社会的な存在になればなるほど、公務員等と 同様に 公正、平等の原則が 強まると考えられる。
次に 職に合った 適任者を採用するのは いずこも 当然の要求である。
これらを行うために、公募による、客観的な試験 (これには書類選考を含めることが出来る) と 責任ある者たちの総合的な面接 で 総合判定されるのが 世に多いと考えられる。客観的な試験、多くはペーパ―テストで点数化されて 採用の決定に大きな比重を占めるのは、公務員などで多いのではないだろうか。 多数の採用を行う企業などでも 実際、面接を適切に行う余裕も、面接で判断する能力と信頼に自信がないために、 客観的な試験に頼るは 世に多い。 大学受験などの大部分がそうであるような現象が 世に多いとみられる。
ここで、 客観的な 試験で、判定する弊害を 次のように 指摘したい:
1) 試験で、 大事な、複雑な 人間の能力を判定できるかという問題。
2) 試験内容が、あるいは その結果で、職種に合った、 適材適所になる人材を選べるかという観点から、非常に疑わしい面があること。
3) 職場には いろいろ多様な人物がいた方が 良いのに 偏り、同じような 人物を集めがちである。
などである。
― ここで、何十年も前に NHKラジオで聞いた、 適正試験の結果と 適任者として求める才能が 逆であったということが判明した、との話しが 何時も気に成る。 逆の評価で採用していたという、有りそうな現象である。
また、元群馬大学名誉教授 道脇義正先生の言葉: 数学の教科書を出筆するような人は数学が好きで、できる人が書く、それで、数学が嫌いで できない人の 気持ちが分かる筈がない。また、教育関係のいろいろな諮問員会の先生たち、優秀な方ばかりで 議論していて、いわゆる おちこぼれ組の生徒の気持が分る筈がない。という視点は 大いに参考にすべきではないだろうか。ノーベル賞受賞者の意見を尊重すると、ノ-ベル賞級の世界観を示される危険性が有る。 いろいろな視点や、多様性は 大事ではないだろうか。
逆に、 面接を重視すると
1) 公正でなく、場合によっては、責任者の私的な 都合の良い人事に走りがちである。 公募などを行っても、自分の都合の良い人を集めるは 世に多い現象である。公のポストを 私的のように行っている人事は 世に多い。
2) 面接を受ける者は 真剣勝負で臨むので、中々、人物評価は 実際には難しい点がある。 一緒に食事をとったり、日ごろの様子を観察したり、友人や知人の意見を参考にしたり、 いろいろ工夫していると考えられる。
3) 多くの労力を必要とする。
などである。
私的な企業や、伝統的な職業などは 縁故関係で 採用を決める傾向が強いは 一概には否定できず、 良い面が多々あると評価すべきである。 それぞれ、伝統と文化的、背景を活かせるからである。 世襲的政治家など 批判的に捉えがちであるが、政治社会は大きく 偉大で 人間関係や背景を強固にするには 一代ではできず、 世襲的な政治家もおおいに育て、 優秀な人材を輩出すべき基礎を、基盤を整えるのが 良いのではないだろうか。 国家の指導的な人たちを育てる ある階層が有っても良いと考える。 学問、芸術でも 伝統に基づいた基礎に配慮するのは 是と考え、同時にいろいろな分野からの 人材の補充、登用もいろいろ配慮するのが、 良いのではないだろうか。 多様な、自由な余地を考えることである。
人材の登用はいわば、 王たる者の 最も大事な能力のひとつであるから、それは、国や社会の 総合的な文化力を反映させるものである。 帰するところ、 文化力の問題であると、自覚し、文化力の向上に日ごろ大いに努力すべきである。
以 上
付記:
ウィキペディア:
人事(じんじ)とは、以下のような意味がある。
(自然に対して)人間に関することがら、出来事
人間としてなし得るまたはなすべきことがら(例:人事を尽くして天命を待つ。)
企業その他の団体・組織における職員の処遇などの決定に関する業務(本項において解説)
人事異動の略
意識(例:人事不省)
法律用語として、人の身分や能力、住所など、そのうち特に身分に関すること(例:人事法、人事訴訟)
ダイヤモンド・オンライン
奉行所の役人はわずか166名 超先進的だった江戸の自治事情(上): 江戸時代の行政の仕組みは、近代日本の自治制度の礎になった。それは、驚くほど先進的で効率的なものだった
© diamond 江戸時代の行政の仕組みは、近代日本の自治制度の礎になった。それは、驚くほど先進的で効率的なものだった
連載第8回では、明治維新期の政府は外交や防衛、それに国家としての最低限の姿をつくり上げるのに手一杯で、内政面、すなわち殖産興業といった分野は基本的に地方や民間任せであったが、そのようなことができたのは、当時の地方の経済力が強かったからだったと述べた。
さらに言えば、江戸時代以来の地方自治がしっかりしていたので、地方のことは地方に任せても問題がなかったのである。そこで今回は、明治維新以降の地方自治の基盤となった江戸の自治についてご紹介することとしたい。実は、その基盤の上に、わが国の民主主義も発展して行ったと言えるのである。
日本の民主主義の礎となった江戸時代の地方自治
明治も半ばになった明治26年に、勝海舟が語った話が『氷川清和』という本に出てくる。勝海舟は「地方自治などいふことは、珍しい名目のやうだけれど、徳川の地方政治は、実に自治の実を挙げたものだヨ。名主といひ、五人組といひ、自身番(警察)といひ、火の番(消防)といひ、みんな自治制度ではないかノー」と言っていた。
実は、明治20年代に創設された日本の地方自治制度は、江戸の自治を土台にしていたのである。明治政府は中央集権的で、地方も中央集権化したと認識している人が多いが、明治維新期の政府は外交や防衛、それに国家としての最低限の姿をつくり上げるのに手一杯で、内政面、すなわち地方自治にはほとんどノータッチだったというのが実態だった。
そのため、江戸の自治を引き継いだ。そこで勝海舟の話になるのだが、それでもほとんど問題がないほどのものだったのが、江戸の自治だったのである。ちなみに、明治時代に地方自治制度をつくったのは山縣有朋。明治の元勲として伊藤博文と並び称された山縣は、今日では軍閥の元祖とばかり思われているが、山縣には江戸の自治を引き継いで、その伝統の上に、当時の西欧諸国に負けないような立憲制を築き上げていこうとしたという、全く別の顔があった。戦前の制度はみんな悪いように思っている人が多いが、そのようにしてでき上がった明治の自治には、それなりに優れたところもあった。それがおかしくなったのは、先の戦争のときだと言えよう。
わが国の地方自治制度が江戸の伝統を引き継いでいたことについては、福沢諭吉がこんなことを言っている(『福沢諭吉全集』の「6の65」「6の50~51)。
「日本国民は250年の間、政権こそ窺ふことを得ざれども、地方公共の事務に於ては十分に自治の事を行ひ、政府の干渉を受けざること久し(『福沢諭吉全集』6・65)」
また徳川時代の自治制度を、「今日の立憲政体に遭ふて其まま行はる可きに非ず、多少の取捨ある可きは当然のことなれども、旧制度も新制度も自治は即ち自治なり、(中略)立憲の新政体に適するは、古来我民心に染込みたる自治の習慣こそ有力なる素因なれ。(『福沢諭告全集』6・50―51)」とも述べている。
つまり、「江戸の自治を少し手直しして、そのまま我が国の自治制度にすればいい」と言っていた。福沢諭吉という人は、江戸の封建制を「門閥制度は親の敵」といって批判していた人だったが、江戸の自治については、このように高く評価していた。勝海舟と一緒だったというわけである。
たった166人の役人で切り盛りしていた江戸時代の驚くべき自治の仕組み
では、その江戸の自治とはどんなものだったのかということだ。まず質問だが、江戸の町は北町奉行と南町奉行による月番制、すなわち月ごとの交代で治められていたが、それぞれの奉行所の役人の数は、どれくらいだったと思うだろうか。今日で言えば、東京都に当たる組織の職員数がどれくらいだったかということだ。
江戸時代には、旗本8万騎と言われて、かなりの数の武士が幕府にはいた。ちなみに、東京都の現在の職員数は16万5000人あまりだ。もっとも、高等学校の先生などが入っているから、そういった職員を除いた知事部局などの職員数に限ると、3万8000人弱である。
答えは、166名だ。奉行1人、与力25人、同心140人の計166名。たった166人の人数で、今日で言えば東京都の一般行政、警察、裁判所などの業務の元締めを行っていた。何故、そんな少人数で、そんなことができたのかといえば、ほとんどの問題が地域の自治で処理されて、奉行所という「お上」の出番が極めて少なかったからだ。住民生活において生じる様々な問題は、基本的に地域の寄り合いで話し合われ、処理されていた。そこで処理できない、ごく少数の案件だけが「お上」のお世話になっていたのだ。
最近はあまり放映されなくなったが、かつて時代劇全盛の時代に、ドラマ『遠山の金さん』という作品があったが、ドラマの最後に「北町奉行、遠山左衛門尉様、ご出座ァ……」となって「お裁き」が行われ、ハッピーエンドになるというパターンだった。しかしながら、そのようなことが行われるのは、ごく稀だったということだ。ほとんどの実務は、末端の自治で行われて完結していた。そのようなシステムの下に、歌舞伎や浮世絵、お祭りといった江戸の町人文化が花開いていた。地域が活性化していたというわけだ。
それにしても、地域の統治が最終的に「お裁き」という裁判システムで行われていたと言われると、「江戸の自治は随分と特殊な制度だったのだ」と思われるかもしれないが、実はかつての英国や米国の自治も、同様の裁判システムで行われていた。
英国には治安判事という仕組みがあって、地域の自治で納まらない案件を治安判事が裁いていた。米国では巡回裁判所という仕組みがあって、地域の自治で治まらない案件が裁かれていた。自治と言っても、そこでまとまらない話は、最後の元締めがいないと全体がうまくいかないというわけだ。
ちなみに、そのように実質的に行政を司る場合の裁判は、判決までに半年も1年もかかるという今日のそれとは異なり、即決を旨としていた。『遠山の金さん』が登場して啖呵を切れば、ドラマはクライマックスで、もうすぐ最後のコマーシャル。解決に半年や1年もかかるというのでは、とても統治のシステムとしては成り立たない、1時間のドラマにも収まらないというものだったのだ。
江戸時代の「役人」は何らかの役についている民間人だった
さて、それにしても、最後には即決の「お裁き」になる、その根底にあった江戸の自治は、どのようなものだったのかを説明しないと、「そんな話は信じられない」と言われそうだ。江戸の町で自治を担っていたのは、町役人と呼ばれた町年寄、町名主、それに家主たちだった。ここで「町役人」と言ったが、今日では役人とは公務員のことであるが、当時の役人とは「何らかの役についている民間人」が多かった。後で、村の自治について説明するときに「村役人」という言葉が出て来るが、それは村で村人のとりまとめをしていた名主や庄屋のことだ。
ということで、そのような江戸の町役人の数は、町方の人口が53.5万人だった寛政3年(1791年)で2万人余だった。一番上にいたのが、月番制をとる3人の町年寄(樽屋、奈良屋、喜多村)。その下に300名弱の町名主(享保8年、268名)がいたが、なんと言っても主役は、一番末端にいた家主たちだった。
家主たちのイメージは、落語に出てくる御隠居さんの現役時代の姿と思えばいい。その家主たちを5人ずつにした5人組が、実際の実務を行っていた。勝海舟が『氷川清話』で触れていた「5人組」だ。戸籍(人別帳)の管理、婚姻、養子、遺言、相続廃嫡の立ち会い、幼年者の後見、火消し人足の世話、夜廻、町内の道造りなどを行っていた。5人の家主たちは、寄り合いということで集まって、地域のことを全て決めると同時に、「町入用」という今日で言えば町民税の収納の連帯責任を負っていた。
それに対して、一般町人である地借人や店家人(たながりにん)はどうしていたかというと、町入用という税金も納めなければ、寄り合いにも参加しない。地域自治のことはすべて大家にお任せだった。実はこの点が、この後説明する村の寄り合いとは違う点だ。村では、地主だけでなく小作人も、村入用、今日でいうところの村民税を負担し、寄り合いにも参加して、地域のことの相談に与かっていた。
江戸の地借人や店借人は、荻生徂徠によれば「江戸は諸国の掃溜」と言われていた人たち、農村で食いつめてきた移住者たちが多かった。九尺二間というから、約3坪の裏店(うらだな)住いというのが一般的だった。両国の江戸東京博物館に行けば、当時の長屋が復元されているので、その模様をご覧いただけるが、そのような長屋に住んでいた地借人や店借人、落語で言えば、熊さん八っつあんに、町入用の負担を求めたり、地域のことに責任を持てというのは無理だったということだ。
彼らも、店5人組といったものを設けて、それなりの自治を行ってはいたが、それは自分たちに関することだけで、地域のことは家主たちの寄り合いで決めてもらっていたというわけである。
江戸の自治は、業界ごとにも行われていた。旅籠(はたご)、両替、質屋、札差(ふださし)、飛脚、呉服といった業界ごとに寄り合いがあった。また地方においては、「若衆宿」といった若者の自治が行われていた。さらには、「牢名主」という言葉があるように、監獄でも自治が行われていた。
ねずみ小僧次郎吉が屋根伝いに逃げた理由
江戸の自治がどれだけ幅広く行われていたかに関しては、権力行政の代表とも言える警察も自治で行われていたということをお話すれば、よりイメージがわくだろう。読者諸氏は、ねずみ小僧次郎吉というのをご存じかと思う。かつての時代劇のヒーローの1人だ。18世紀後半の化政期(文化、文政)に、もっぱら大名屋敷を荒らした盗賊だが、その次郎吉が映画などで捕り物の役人に追われて逃げる際には、必ず屋根伝いに逃げていた。
筆者は、「ねずみが屋根裏を這い回るからなのか」「それにしても不思議だな」と思っていたのだが、実はねずみ小僧には、そうする合理的な理由があった。それは、江戸時代には、夜には町ごとの木戸を閉めることになっていたので、夜は道が袋小路になっていたということだ。そんな道を逃げたのでは、たちまち捕り方に追い詰められて御用となってしまうので、次郎吉は屋根伝いに逃げたというわけだったのだ。そして、夜になって町ごとの木戸を閉めていたのが、町方や武家方の自治で置かれていた自身番や辻番という人たちだった。勝海舟が言っていた自身番である。
江戸の町方の自身番は、嘉永3年に990箇所あったが、そこにはその地域の住民が週番で詰めていて、夜の10時には大木戸を閉めた。その後は左右の小木戸を通る通行人を監視していた。そのようなシステムの下で、江戸の長屋住まいの住民は鍵などとは縁のない生活を営んでいたというわけだ。町方の自身番は、今日で言えば、町内会の役員という感じで、その番所は町内の会合や相談所としても利用されていたということなので、警察というのとはちょっと違う感じもするが、武家地に置かれていた辻番は、まさに今日の警察だった。昼は2ないし4名が、夜は4ないし6名が、地域の武家屋敷などから詰めていて、大木戸の開閉といったことだけでなく、所管区域の見廻り、挙動不審者の留置、喧嘩辻斬りの報告、行倒れや泥酔者の介抱などを行っていたのだ(天和3年)。
江戸以外の地方自治は?実は透明性が高かった村民税
それでは、江戸以外の地方の自治はどうだったのか。江戸時代の300諸侯は、今日の感覚で言えば「独立国」だったから、今日の県の自治などよりも、よほど高度な自治が行われていた。幕府からは、大きな河川の改修や幹線街道維持などのための負担を求められることはあっても、定常的な財政負担を求められることはなかった。
また、特にひどい一揆でも起こらない限り、幕府から指図されたり資金援助を受けたりすることもなかった。藩は独自の軍隊(藩士)を持ち、藩札という独自の通貨を発行していた。また、綿や藍玉の専売といった独自の産業政策(勧業奨励)を行っていた。そのような当時の日本の国の形は通貨統合前のEU諸国だったと考えれば、わかりやすい。そして村では、幕府の領地(天領)であるか、300諸侯の領地であるかを問わず、村の住民による自治が行われていた。
さて、そこで江戸時代の村の自治である。江戸時代は農業が主体の経済なので、ほとんどの人は村に住んでいた。よって江戸の自治の基本は、村の自治だった。藤田武夫という地方財政学者が昭和16年に出した本を見ると、その江戸時代の村の自治の様子が紹介されている。
「経常的な入用は村役人これを立替へて支出し、臨時的なものは高持百姓集合相談の上これを支弁し、年末に総入用を割付ける際に高持百姓立会ってこれを改め、且惣百姓得心の上これを割賦した。白紙帳に一切の入用を詳細に記入し、毎年春支配役所の検閲を受ける」というのである。
かいつまんで説明すると、村で毎年必要になる費用(「経常的な入用」)は、村役人(庄屋や名主といった人たち)が立て替えて支出する。臨時的なものは高持百姓(土地をたくさん持っているという意味で資力がある村民)が集まって相談の上、立て替えて支弁した。そして年末になると、秋の収穫後なので、土地をあまり持っていない百姓も相応の負担ができるようになっており、総入用、つまりそれまでに村役人や高持百姓たちが立て替えていた費用の全額をみんなに割り付けることになる。その際には、高持百姓が立ち会って白紙帳に詳細に記載されている一切の支弁額が正しいかどうかを確認し(改め)、惣(村民全員が参加する自治組織のこと)の百姓みんなが納得(得心)の上、これを割り付けた(割賦した)のである。
そして、白紙帳に記入されている支出(入用)については、毎年春に代官所など(支配役所)の検閲を受けていた。それは、内容に不審な点があれば、村人なら誰でも代官所などに訴え出ることができることになっていたからだった。当時の村民税(村入用)は、このような透明な手続きで、毎年毎年、課税が行われていたのである。
フランスでも日本でも行なわれていた単年度課税制度
このように、毎年毎年、課税が行われることを、単年度課税制度という。今日のわが国では、税は一度決められると、その後は毎年、国会や町村会で審議されなくても、決められた税を税務署などに納めなければならない。その感覚からすると、ちょっとびっくりするような仕組みだが、フランスでは今日でも行われている仕組みだ。実は、わが国でも、先の戦争までは行われていた仕組みだった。実は、この仕組みは、税が民主主義の基本だということを考えれば、ごく自然に理解できる制度なのだ。
フランス革命につながったフランスの3部会というのがあったが、基本的に、王が戦争などで必要になった費用を、貴族や商人に、新たな課税で出してもらおうという目的で集めたものだった。原理としては、村役人が支出した村の臨時の村入用を、高持百姓を集めて出してもらったのと同じだ。英国のマグナカルタも、王が戦争のための費用を賄うために、新たな税を貴族たちに賦課する際には、「税を負担させられる貴族たちの同意を得なければならない」といったことを定めていたものだ。
米国のケースで言えば、アメリカ独立戦争時に、ボストン・ティーパーティー事件というのがあった。英国が、当時自分の植民地だった米国において、お茶などに英国議会で決めた税をかけていたが、英国議会には植民地からの代表は送られていなかった。「それはけしからん」と言うので「代表なきところに課税なし」というスローガンを掲げた。つまり、フランスの3部会でも、英国のマグナカルタでも、米国のティーパーティーでも、納税者の代表が税金を決めるのだということが言われていたわけで、それが近代的な議会制民主主義の原点だった。
そのような観点からすると、自分たちの税金を自分たちで決めていた江戸時代の村の仕組みは、近代的な議会制民主主義の原理と同じものだった。納税者集会だったと言えば、わかりやすいかもしれない。
実は、そのような江戸の自治の伝統を受け継いだ制度を地方議会に導入しようとしたのが、山縣有朋だった。そのことは、山縣が明治20年代に導入した地方議会の複雑な選挙制度を見ると、よくわかる。ここではまず、山縣が町村会の選挙に導入した町村の等級選挙について、ご紹介したい。一等級、二等級という等級に分けた選挙制度である。http://www.msn.com/ja-jp/news/national/%E5%A5%89%E8%A1%8C%E6%89%80%E3%81%AE%E5%BD%B9%E4%BA%BA%E3%81%AF%E3%82%8F%E3%81%9A%E3%81%8B166%E5%90%8D-%E8%B6%85%E5%85%88%E9%80%B2%E7%9A%84%E3%81%A0%E3%81%A3%E3%81%9F%E6%B1%9F%E6%88%B8%E3%81%AE%E8%87%AA%E6%B2%BB%E4%BA%8B%E6%83%85%EF%BC%88%E4%B8%8A%EF%BC%89/ar-CCml2Z?ocid=UP97DHP#page=2
再生核研究所声明 15 (2008/05/24): 空虚な日本の社会
バブル崩壊後の日本の社会とは、いたるところに現れた借金財政、無責任な責任者の態度とそれを許している社会、経済の停滞、精神の空白と無気力、教育の空洞化などである。これらは空虚な社会と表現されよう。もし日本国の再生がならず、このまま衰退を続ければ、世界の歴史には、かつてアジアに栄えた、ユニークな文化を持った日本国が存在したが、戦後の教育を誤ったために衰退して、かつての日本国をしのぶような国は いまや世界のどこにも無い と記録される時代を迎えるだろう。
何と、国、地方合わせて1000兆円を越える借金を抱えても、政治家もマスコミも危機感が足りないと言えよう。国防の最高責任者が接待漬けで、大臣がどこの国の国防大臣か分からないような発言をしていたのである。町まちはシャッター通りと称されて、衰退を続け、農村も荒廃を続け、若者は派遣社員として不安定な状況に追い込まれている。教育はただ勉強して良い大学に入る事を考えればよいという 受験勉強に退化したり、無気力に陥ったりしていて、本来の教育の理念さえ失っている時代とも言える。これらは氷山の一角で、象徴的な状況と言えよう。そこに現れた社会とは、中身の薄い空虚な社会である。評価といって評価を考えようとすれば、よくやっているように見せかける為の書類作りや講演会などのセレモニーである。パンフレットや報告書が 社会にあふれた時代とも言えるだろう。評価されるべき元のもの、本務に取り組む時間と資金をそのために浪費しているような状況がいたるところに現れた、奇妙な時代を迎えていると言える。公務員はいわゆる親方日の丸で 税金がひとりでに入ってくるように感じている風潮で、貴重な税金といった考えが足りないと言えるだろう。
これでは、約5兆円もの防衛費をかけていても、日本国は外国軍の侵略を受ける前に、自滅、衰退してしまう状況ではないでしょうか。橋本大阪府知事のように、地方を、国を立て直す気迫ある若者達の立ち上がりと国民的な奮起を期待したい。
それには先ず大きなマイナスの仕事を減らし、公務員の財政意識を高め、綱紀を引き締め、公僕たる精神を初心として、国、地方の建て直しに取り掛かるように要請したい。危機意識を国民が共有して立ち上がる必要があると考えます。国、地方の豊かさはすべての基礎になるものであるから、おのおのの立場で、地域ごと経済再建にも努力して行きたい。教育問題にも抜本的な取り組みと検討が加えられなければならない。教育界も無気力、無責任な状態と言えよう。教育にも何か魂を入れる必要があるのと考える。江戸時代の幕末や明治政府には しっかりしないと外国の侵略を受けてしまうという危機感と連帯感があったと考える。今しっかりしないと 国が衰退してしまうという危機感と連帯感をもって国民が立ち上がるべき時である。
それらを展開する基本は 有能な人材を要所に配して、各級の人事を大幅に刷新することである。活力ある人材によって沈滞した社会を再生させる必要があると考えます。
国家は 大戦や地震など災害によって滅ぶことがあるが、多くの場合には、戦後50年を越えて内部から衰退するものである、という世界の歴史を想起したい。 以上。
国の借金1000兆円を突破 6月末時点
http://www.cnn.co.jp/business/35035799.html
国の借金、3月末に過去最大の1024兆円に
http://www.yomiuri.co.jp/atmoney/news/20111028-OYT1T01333.htm
高学歴エリートが沢山いるのになんで財政難なんだよ?
(;_; )( ;_;) シクシク・(-。-;)・(◎_◎)・(^_-)db(-_^) 指切りげんまん
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q10114138890
日本の財政を考える より
http://www.zaisei.mof.go.jp/
日本の借金時計
財部 誠一 財部 誠一ジャーナルより
http://www.takarabe-hrj.co.jp/clockabout.html
全国都道府県の借金時計 より
http://www.geocities.jp/mkqdj167/map.htm
日本の借金時計 (数字はうそをつかない)より
http://www.geocities.jp/mkqdj167/japan.htm
新政策機構「チームニッポン」 より http://www.team-nippon.com/
日本経済が破綻するまで動きつづけるリアルタイム財政赤字カウンタより
http://ueno.cool.ne.jp/gakuten/network/fin.html
リアルタイム財政赤字カウンターより
http://www.plaza-e.net/tz-time.html
日本経済復活の会 http://www.tek.co.jp/p/debt_time.html
U.S. National Debt Clock : Real Time http://www.usdebtclock.org/
社会保障給付、100兆円に迫る 09年度、失業手当急増http://www.47news.jp/CN/201110/CN2011102801000608.html
65歳以上、総人口の23.3%=過去最高を更新―高齢社会白書http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20120615-00000026-jij-pol
国が衰退したら、勝ち組も負け組みも、公務員も、もちろん、検察庁も、マスコミ関係者も みんな困るのでは? 1代自分だけうまく行っても、2代、3代 お孫さんたちは?日本人には、必ず愛国心が湧いて来ると信じています。
注:
衆愚政治(しゅうぐせいじ、Ochlocracy)とは、多数の愚民による政治の意で、民主政を揶揄して用いられる言葉。有権者の大半が知的訓練を受けずに参政権を得ている状況で、その愚かさゆえに互いに譲り合い(互譲)や合意形成ができず、政策が停滞してしまったり、愚かな合意が得られたりする状況をさす。 また有権者がおのおののエゴイズムを追求して意思決定する政治状況を指す。知的訓練を受けない民が意思決定に参加することで、議論が低廻したり、扇動者の詭弁に誘導されて誤った意思決定をおこない、 誤った政策執行に至る場合などをさす。また知的訓練を受けた僭主による利益誘導や、地縁・血縁からくる心理的な同調、刹那的で深い考えにもとづかない怒りや恐怖、嫉妬、見せかけの正しさや大義、あるいは利己的な欲求などさまざまな誘引に導かれ意思決定をおこなうことで、コミュニティ全体が不利益をこうむる政治状況をさす。 また場の空気を忖度することで構成員の誰もが望んでいないことを合意することがある(アビリーンのパラドックス)。出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』。
欧米では時間を越えて、真理・真実を追求しようとする文化がある(これは神の前に出るときには 清い心で望みたいという宗教が背後にあるように感じられる)のに比べて、日本には誤魔化したり、隠蔽したり、曖昧にする文化があることに深く根ざしているとも言える。
I AM NOT MOVING - Short Film - Occupy Wall Street
http://www.youtube.com/watch?v=RGRXCgMdz9A&feature=related
次のような侮辱されたレポートに対して、石破氏はどの様にして、国の財政を建直すのかを国民に説明し、内部から崩壊しかねない日本国を建直す為、国家の安全の基本を説明していただきたいと思います。
国の財政が破綻すれば、援助や防衛、安全どころではありません。
http://k1fighter2.hp.infoseek.co.jp/Shakin/NevadaReport.htm
http://www.kikuchigroup.com/melmaga/bn150.phpから
これは2001年9月にIMF(国際通貨基金)に近い筋のアメリカの専門家により作成されたというレポートで、その内容は国家財政の破綻をきたした国(レポートでは特に特定はされていないが想定しているのは日本)を如何にIMFが管理するかを記したアクションプログラムです。仮に、日本の国家財政が破綻し、IMF管理国になり「ネバダレポート」が実施されるとどのようになるかと言えば、下記に記した要点の内容が実施されると書かれています。
(ネバダレポートの要旨)
1. 公務員の総数および給料の30%カット。ボーナスは全てカット。
2. 公務員の退職金は100%カット。
3. 年金は一律30%カット。
4. 国債の利払いは5~10年間停止。
5. 消費税は15%引き上げて20%へ。
6. 課税最低額を年収100万円まで引き下げ。
7. 資産税を導入し、不動産に対しては公示価格の5%を課税。債券/社債につい
ては、5~15%の課税。株式は取得金額の1%課税。
8. 預金は一律ペイオフを実施するとともに、第2段階として預金額を30~40%カットする。
まさかこんな事態は来ないと考えているのは日本の国民だけなのかもしれません。今や日本国債の価値はG7国の中で最低、さらに言えば人口170万人ながらも多くのダイヤモンド鉱脈を持つというアフリカのボツワナ共和国の国債よりも低い格付けになっています。そんな価値の日本国債を所有するのは、その40.3%を公的機関が所有し、33.7%を民間の金融機関が所有しています。つまり全体の74%が国民の個人資産を預けたお金で所有されていることになります。
更には、日本円の発券銀行である日本銀行が15%も所有している事をご存知でしょうか?
日銀は法律により国債を直接購入(政府=財務省よりの購入)する事は禁じられているので、市場で国債を購入しています。つまり、自分でお金を刷ってそのお金を基にせっせと国の借金の肩代わりをしている訳です。ここまでで、既に日本の国債発行残高の内89%は内国で消化されている事になります。
では、内国以外の外国人による所有の率はと見てみれば全体の3.3%しかない事が判ります。
つまり残り7.7%は、今度は個人向け国債と称される国民個人による国債購入によりカバーされている訳です。簡単に言ってしまえば、日本国の借金の内、約97%は国民が国にお金を貸している状態ということになります。ここで、この率を他の国と比較すると日本の特殊性が見えてきます。アメリカ国債は、その39.9%が海外所有者で、ドイツ国債は40.3%が海外所有です。
借金の殆どを国民からしているのだから、仮に国家が倒産したとしてもIMF管理国になる事はないであろうと思うのは早計です。日本の現在の状況を貸借対照表においてみれば、資産765.31兆円、負債992.71兆円、差引き227.4兆円の赤字となります。要は、日本株式会社は、その所有する国内の土地、有価証券、機械設備等を全て売却してもなお227.4兆円の借金が残る事になります。
一方、昨今の日本では景気上昇により明るい未来が来ているように思われていますが、景気が良くなれば当然税収増は期待できます。しかし一方で金利も上昇、金利が上がれば国債の利払いも増加します。更に、低金利で発行された国債の価値は下がり、これは国債の大量売りに繋がり国債価格の暴落という事態を引き起こします。このような状況の後にくるのは結果的に財政破綻です。仮に、政府が国民の個人資産を全て巻き上げて借金を棒引きにしたところで、先の貸借対照表で見るとおり明らかなように、それでも227.4兆円の赤字が残る訳です。この赤字を解消する為には外国(国際通貨基金=IMF=アメリカの管理下にある)からお金を借りざるを得ない訳です。そしてIMF管理下国になれば、前記したレポートが実施されるという筋書きになります。仮にこのレポートが実施されれば、経済的に日本はアメリカの植民地にならざるを得なくなります。以下略
ウイキペディアより:
マッチポンプとは、偽善的な自作自演の手法・行為を意味する和製外来語である。マッチ(match)は元は英語、ポンプ(pomp)は元はオランダ語である(英語ではpump)。
「マッチで自ら火事を起こして煽り、それを自らポンプで消す」などと喩えられるように、問題や騒動について、自身でわざわざ作り出しておきながら、あるいは自身の行為がその根源であるにもかかわらず、そ知らぬ顔で巧妙に立ち回り、その解決・収拾の立役者役も自ら担って賞賛や利益を得ようとする、その様な行為を指して用いられる表現である。
日本の国会会議録にマッチポンプを用いた発言が残っている。1961(昭和36)年4月11日の衆議院本会議において、松井誠衆議院議員は「銃砲刀剣類等所持取締法の一部を改正する法律案」への質問の中で以下のように発言している。
世に、いわゆるマッチ・ポンプ方式といわれるものがあります。右手のマッチで、公共料金を上げて、もって物価値上げに火をつけながら、左手のポンプでは、物価値上げを抑制するがごとき矛盾したゼスチュアを示すのをいうのでございましょう。
— 松井誠、「第38回国会 衆議院本会議 1961(昭和36)年4月11日」[1]
1966年、黒い霧事件第1弾の田中彰治代議士事件で初めて使われ、元々は金品を巻き上げるという意味で使われた。1974年刊の「現代流行語辞典[2]」では「デスク日記3[3]」1966年8月5日の項にマッチポンプの記述があると紹介している。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9E%E3%83%83%E3%83%81%E3%83%9D%E3%83%B3%E3%83%97 より
日本人はインドのことよりも、日本のなかで貧しい人々への配慮を優先して考えるべきです。愛はまず手近なところから始まります - マザー・テレサ
再生核研究所声明 65 (2011.06.02) :
公務員の給与の段階的な引き下げ と 管理手当てなどの大幅引き下げを
ただでも厳しいところ、3月11日の 東日本大震災、福島原発事故は 国の財政を根本的に危うくしている。 日本国はかつて体験したことの無い 国家的な危機を迎えていることを真摯に、真正面から受け止める必要がある。
先ず国は、全力を挙げて、原発事故の鎮圧に努力すべきである。 日本軍が対応できないのであれば、国連をはじめ国際社会に救援、援助を人類の名において発するべきである。 まこと原発事故は、人類の地球環境破壊、生態系に対する重大な過ちである。次に放射能対策について、正確な汚染状況を掌握して、医学的な評価をきちんと行い、疎開などの行動を速やかに行うべきである。これらは国家的な危機、新しい型の戦争そのものであると理解して、軍の指揮下で 厳格に速やかに行うべきである。
軍の貢献を評価して、4兆円を超える軍事費は 適切に評価されるべきである。
しかしながら、どのような状況であっても、財政難、資金難に陥るのは 明白である。そこで、先ずは、公僕である公務員が範を示すのが 第一に必要である。 これは天災であることを認め、国家として災難を共有して行くことが 基本であると考える。 人災などの部分は 応分の責任と処罰が与えられるのは当然である。 しかし、今尚 戦時であることを肝に銘じるべきである。 原発の是非などは 今後の問題である。
公僕である公務員が範を示すには、先ずは 一律10%の給与引き下げ、各種管理手当ての20%の引き下げなどを速やかに行い 姿勢を示すことは 各種増税の第1歩になると考える。
東電の在り様に見えてきた、官僚の天下り、社会の上層部における妙な癒着構造などで 多額の税金が浪費されている実体が顕になってきている。支配者階級における、権力とお金にまみれたドロドロとした実体である。これこそ空虚な日本社会を覆っている腐敗している大きな部分である(再生核研究所声明15: 空虚な日本の社会)。
そこで、公務員の給与体系の在り様について、下記のような視点を述べたいと考える。
公務員は公僕で、国民に尽くす立場である。 日本は 公正の原則に基づく、自由市場を範としている。
そこで、これを真摯に実現、実践するために、公務員の給与を次第に引き下げて、公務員は安月給だから、ならないという世相になるまで、引き下げていく。 ― 実際、戦後目覚ましい復興を成し遂げた、戦後相当な期間は そうであった事実を思い出したい ― 権力や安定性、福利厚生面で、公務員は相当に恵まれている事実を、人事院などは 公正に評価していないと考えざるを得ない。いわば、仲間として、お手盛り政策を採っていると考えられる。
次はより大事な視点である。 役職手当や管理手当てなどである。 このために、公務員は必要以上に役職につきたがり、また、役職手当や管理手当ての大きさが、財政さえ圧迫している。それは大学においてさえそうである。 ある名誉教授の言葉が想い出される - 大学をまるで営業会社の感覚で、多額の役職手当を支払い、研究費を圧迫していると。
法人化後、事務長は副学長として理事に就任して、文科省の天下り先を沢山増やしている。 各省庁でも同じように天下り先や役職を増やし、国の財政を圧迫している状況はないであろうか。 そこで、役職は、名誉職的に考え、手当てを減額し、探さなければ、なり手がいないようなボランティアの精神でやるような 空気になれば、財政的にも、人材的にも良いのではないであろうか。 地方公務員、議員、いろいろな役所の手当てなどを減額して、使命感を抱く人が 積極的に働けるように考えると良いのではないだろうか。 多くの名誉職的な役職、仕事は、名ばかりで、税金が活かされていない状況はないであろうか。
行きすぎた年功序列制度の問題点も含めて、給与体系のそのような 視点での漸次見直しを提案する。
しかしながら、公務員は公僕であり、国家を、地方を導くものであるとの自覚が根本になければならない。その誇りこそが、公務員の生きがいでなければならない。その生活は社会の上流階級のものであってはならず、質素でなければならない。 政治が適切に機能しなければ、官僚機構とは 税金を搾取する集団に成り下がるのは 何時の世でもそうではないだろうか。
以 上
再生核研究所声明 104(2012.10.28) 人事採用、昇任について
(この声明は、再生核研究所声明に興味を抱く人からの 要望によるものである。難しい課題である。)
人事とは、人物評価、人物の能力、問題となる職種との関係で、実に難しい、重い課題である、総合的に論じると 難しいと考える。 そこで、 軽く、経験から、気づいたことを纏めてみたい。いろいろな観点があるので、一面的な見方と柔軟に考えられたい。ここで、人事とは 添付のウィキペディアの: 企業その他の団体・組織における職員の処遇などの決定に関する業務(本項において解説)を意味する。
まず、公務員など 公的な職種は、採用に当たって、公正、平等、機会均等 の原則 があると考えられる。 他方、私的な企業等は、 経営者の自由に 相当なると考えられる。しかし、 企業といえども 大きな社会的な存在になればなるほど、公務員等と 同様に 公正、平等の原則が 強まると考えられる。
次に 職に合った 適任者を採用するのは いずこも 当然の要求である。
これらを行うために、公募による、客観的な試験 (これには書類選考を含めることが出来る) と 責任ある者たちの総合的な面接 で 総合判定されるのが 世に多いと考えられる。客観的な試験、多くはペーパ―テストで点数化されて 採用の決定に大きな比重を占めるのは、公務員などで多いのではないだろうか。 多数の採用を行う企業などでも 実際、面接を適切に行う余裕も、面接で判断する能力と信頼に自信がないために、 客観的な試験に頼るは 世に多い。 大学受験などの大部分がそうであるような現象が 世に多いとみられる。
ここで、 客観的な 試験で、判定する弊害を 次のように 指摘したい:
1) 試験で、 大事な、複雑な 人間の能力を判定できるかという問題。
2) 試験内容が、あるいは その結果で、職種に合った、 適材適所になる人材を選べるかという観点から、非常に疑わしい面があること。
3) 職場には いろいろ多様な人物がいた方が 良いのに 偏り、同じような 人物を集めがちである。
などである。
― ここで、何十年も前に NHKラジオで聞いた、 適正試験の結果と 適任者として求める才能が 逆であったということが判明した、との話しが 何時も気に成る。 逆の評価で採用していたという、有りそうな現象である。
また、元群馬大学名誉教授 道脇義正先生の言葉: 数学の教科書を出筆するような人は数学が好きで、できる人が書く、それで、数学が嫌いで できない人の 気持ちが分かる筈がない。また、教育関係のいろいろな諮問員会の先生たち、優秀な方ばかりで 議論していて、いわゆる おちこぼれ組の生徒の気持が分る筈がない。という視点は 大いに参考にすべきではないだろうか。ノーベル賞受賞者の意見を尊重すると、ノ-ベル賞級の世界観を示される危険性が有る。 いろいろな視点や、多様性は 大事ではないだろうか。
逆に、 面接を重視すると
1) 公正でなく、場合によっては、責任者の私的な 都合の良い人事に走りがちである。 公募などを行っても、自分の都合の良い人を集めるは 世に多い現象である。公のポストを 私的のように行っている人事は 世に多い。
2) 面接を受ける者は 真剣勝負で臨むので、中々、人物評価は 実際には難しい点がある。 一緒に食事をとったり、日ごろの様子を観察したり、友人や知人の意見を参考にしたり、 いろいろ工夫していると考えられる。
3) 多くの労力を必要とする。
などである。
私的な企業や、伝統的な職業などは 縁故関係で 採用を決める傾向が強いは 一概には否定できず、 良い面が多々あると評価すべきである。 それぞれ、伝統と文化的、背景を活かせるからである。 世襲的政治家など 批判的に捉えがちであるが、政治社会は大きく 偉大で 人間関係や背景を強固にするには 一代ではできず、 世襲的な政治家もおおいに育て、 優秀な人材を輩出すべき基礎を、基盤を整えるのが 良いのではないだろうか。 国家の指導的な人たちを育てる ある階層が有っても良いと考える。 学問、芸術でも 伝統に基づいた基礎に配慮するのは 是と考え、同時にいろいろな分野からの 人材の補充、登用もいろいろ配慮するのが、 良いのではないだろうか。 多様な、自由な余地を考えることである。
人材の登用はいわば、 王たる者の 最も大事な能力のひとつであるから、それは、国や社会の 総合的な文化力を反映させるものである。 帰するところ、 文化力の問題であると、自覚し、文化力の向上に日ごろ大いに努力すべきである。
以 上
付記:
ウィキペディア:
人事(じんじ)とは、以下のような意味がある。
(自然に対して)人間に関することがら、出来事
人間としてなし得るまたはなすべきことがら(例:人事を尽くして天命を待つ。)
企業その他の団体・組織における職員の処遇などの決定に関する業務(本項において解説)
人事異動の略
意識(例:人事不省)
法律用語として、人の身分や能力、住所など、そのうち特に身分に関すること(例:人事法、人事訴訟)
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