重返数学史的黄金时代,由数学推动诞生的人工智能,一部人类智慧形成的历史
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来源:YaK芽课
作者:Immanuel
【新智元导读】数学,特别是西方数学,起源于非常实际的目的,从土地测量到灌溉系统再到推理演绎体系,数学至少在认知、测量、记录和预测四个方面满足了人类的需求。现在的人工智能在测量和记录上取得极大的成就,而在认知和预测上被限制。
人类社会逐渐从自然届中抽象出数学的过程令人感动,本身认识到年月这些历法的知识就是一个奇迹,从埃及到巴比伦最后到希腊,毕达哥拉斯亚里士多德柏拉图阿基米德到欧几里得,都是奇迹,
公理体系一旦建立,人类的意识水平都上升到一个高度了。
随着计算机的逐步强大,人们把人类文明形成的公理体系赋予给计算机,创造和演化出人工智能。今天我们所看到的人工智能,从某个程度上就是人类几千年文明的结晶。
这个BBC的一部纪录片:the story of math .
非常向往巴比伦和希腊的那种态度,崇尚科学,让文明绽放。
数学的作用
数学——特别是西方数学——起源于非常实际的目的,从土地测量到灌溉系统再到推理演绎体系,数学至少在四个方面满足了人类的需求:
- 认知——认识物质世界的构成;
- 测量——分配和调配资源,制定各种标准;
- 记录——数据和财富积累;
- 预测——改进生活条件。
现在的人工智能 2,3上取得极大的成就,而在1,4上被限制。
无论是哪个人种,哪个文明,对科学都有类似的领悟能力,这和个体的领悟能力类似,非常的神奇。
越抽象,越接近本质,应用越广泛。这就是智能科学的推动力。
http://bbc.in/Um4ik6
精确是不平凡的开始,牛顿利用数学这个工具来精确的描述物理世界的规律,取得了非凡的成就,类似的数学是万能的工具,在任何一个行业都是,缺少的是发现模式的心灵。
最强的数学家,思考的是还是存在的哲学问题,采用数学作为解释世界的工具而已(无论是数字的产生欧式几何代数数形结合,实分析,复分析,变分还是,非欧几何,黎曼几何等).这是高斯黎曼这类人的高度.
人工智能,为解决复杂性问题为其核心功能。他需要具备更高纬度的数学思维。智慧因为他的思考维度的不同,而有不同的力量和色彩。
从图形到数目,从几何论证到代数消解,从特殊求解到寻找通式,……
你可能无法感受每一次飞跃带给发现者的惊喜,但想想你从Cantor那学来的对无穷的理解,那就是古人发现零时的心情。
透过三角学,几何被翻译成了代数;
透过映射,我们在无穷间看出了大小;
透过群,方程变得像某种对称结构般美妙……
每每一把利剑撕开未知的阴霾,那片少有人知的黑白就被抹上了色彩。
虽然自求解高次方程之后我就变成了过客,可我知道了:数学真的源于自然,源于生活,就好像n^2-(n+1)(n-1) = 1不是来自代数变换,而是源于某个染缸前的起舞。
人类历史上有几次系统的回顾,1900年的数学大会就是一个。
文明的发展,来自个体的思想突破,比如对无穷的理解,高维空间,相对论,量子力学,弦论。
每打开一扇门,就会收获许许多多的精神果实,比如对无穷的理解,比如伽利略的望远镜,比如Wolfram的元胞自动机,比如对分类理解产生的支持向量机。
康托的一生很惨淡,和许多其它穷困潦倒的数学家一样,思想超出这个时代,就要懂得等待和放弃,像高斯,自知之明的把非欧几何封藏起来。
http://bbc.in/PywPON
庞加莱针对n体问题的探索,简介导致了混沌的发现,一想到混沌,就感到无奈。混沌,不确定性正式西方理性发展到困境时的一个闪现的曙光。
了解一门学科的未来,就要从这门学科的历史和现状入手。对待任何一个知识体系,都必须有这种意识。比如计算机科学,只有了解了动机,初生和逐步发展的过程,才能更好的理解现在的一切,才能更好的把握未来的发展动向,把有限的精力,投入到无尽的推动中去。
数学的故事是一个生动的数学史教材,把许多书上看到的文字和图片变成了实在的影响,这种真实淡化了数学的神秘,更贴近现实的生活。历史不仅仅是一个童话故事,每一个人都身在其中。
理解人工智能就要去理解人类的智慧形成的历史,理性发展的历史,理性带来的困境,现代性语义的突破。数学早已深入到生活之中,只是没有足够的修养和慧眼,无法看的到看的清而已。数学源自实际问题,得到更高级的抽象,用来作为解决更复杂实际问题的武器,拓扑学就是一个例子,从简单的七桥问题开始,欧拉启动了这次飞跃。提到拓扑学,就提到了庞加莱猜想,然后就提到了俄罗斯的传奇数学家佩尔曼,这个解决了百年难题却拒菲尔兹奖的奇才,就想到了,国人的闹剧。
找到佩尔曼和理解他的证明一样困难,很喜欢这句话,真正的数学家,就是要纯粹才能走的更远,中国的数学界,逐渐被感染的失去希望了。
希尔伯特是一个有雄心壮志的数学家,和牛顿欧几里得高斯类似,坚信通过自己的努力,可以解开一切谜题。
We must know, we will know.
提到希尔伯特公理体系,就不得不提到哥德尔,提到不确定性,我至今仍有阅读其证明的兴趣。结合图灵停机问题,可计算性,混沌,自由意识,人工智能和决定论,无穷大和超越是一个迷人的论题。
哥德尔在获得最大突破之后,不久精神出了问题,就像牛顿晚年寄托与神学类似,即便是坚定的唯物论者,最终也不得不承认,无论是数学物理还是哲学,都不可能获得终极答案。这个身处的世界,归根结底,是不可知的。
"在奥地利和德国,数学即将死亡",很喜欢这一句,我一直这么认为,即便是数学这种可能是柏拉图实在的理论体系,也不是永恒的。
希尔伯特和欧洲的主导地位和500年的世界数学中心,悲剧的离开了。想起希尔伯特的失落绝望和无奈,不禁一阵酸楚,眼眶湿润。
科恩对康托连续统假设的研究成果震撼了我一下,在所有人怀疑的时候,哥德尔投了赞成票,再然后,人们普遍的接受了,有两个不同的数学世界,同一个命题的真假可以是不同的。这是再一次的对数学本身的一次反省,就像对存在的反思。
迄今为止,数学依旧是探寻世界本质的最有力工具,正如毕达哥拉斯说信仰的,上帝使用数学创造了这个世界。到这里,我似乎有了一个感悟,对我所渴望的,有了更进一步的认识,并不是研究和推动数学,而是了解,借助这个工具来武装自己求索的心。
古典数学为计算机装载了大脑,
近代数学为计算机增加了智能,
现代数学给计算机赋予了灵魂,
这就是数学赋予计算机的智能。
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再生核研究所声明314(2016.08.08) 世界観を大きく変えた、ニュートンとダーウィンについて
今朝2016年8月6日,散歩中 目が眩むような大きな構想が閃いたのであるが、流石に直接表現とはいかず、先ずは世界史上の大きな事件を回想して、準備したい。紀元前の大きな事件についても触れたいが当分 保留したい。
そもそも、ニュートン、ダーウィンの時代とは 中世の名残を多く残し、宗教の存在は世界観そのものの基礎に有ったと言える。それで、アリストテレスの世界観や聖書に反して 天動説に対して地動説を唱えるには それこそ命を掛けなければ主張できないような時代背景が 存在していた。
そのような時に世の運動、地上も、天空も、万有を支配する法則が存在するとの考えは それこそ、世界観の大きな変更であり、人類に与えた影響は計り知れない。進化論 人類も動物や生物の進化によるものであるとの考えは、 人間そのものの考え方、捉え方の基本的な変更であり、運動法則とともに科学的な思考、捉え方が世界観を根本的に変えてきたと考えられる。勿論、自然科学などの基礎として果たしている役割の大きさを考えると、驚嘆すべきことである。
人生とは何か、人間とは何か、― 世の中には秩序と法則があり、人間は作られた存在で
その上に 存在している。如何に行くべきか、在るべきかの基本は その法則と作られた存在の元、原理を探し、それに従わざるを得ないとなるだろう。しかしながら、狭く捉えて 唯物史観などの思想も生んだが、それらは、心の問題、生命の神秘的な面を過小評価しておかしな世相も一時は蔓延ったが、自然消滅に向かっているように見える。
自然科学も生物学も目も眩むほどに発展してきている。しかしながら、人類未だ成長していないように感じられるのは、止むことのない抗争、紛争、戦争、医学などの驚異的な発展にも関わらず、人間存在についての掘り下げた発展と進化はどれほどかと考えさせられ、昔の人の方が余程人間らしい人間だったと思われることは 多いのではないだろうか。
上記二人の巨人の役割を、自然科学の基礎に大きな影響を与えた人と捉えれば、我々は一段と深く、巨人の拓いた世界を深めるべきではないだろうか。社会科学や人文社会、人生観や世界観にさらに深い影響を与えると、与えられると考える。
ニュートンの作用、反作用の運動法則などは、人間社会でも、人間の精神、心の世界でも成り立つ原理であり、公正の原則の基礎(再生核研究所声明 1 (2007/1/27): 美しい社会はどうしたら、できるか、美しい社会とは)にもなる。 自国の安全を願って軍備を強化すれば相手国がより、軍備を強化するのは道理、法則のようなものである。慣性の法則、急には何事でも変えられない、移行処置や時間的な猶予が必要なのも法則のようなものである。力の法則 変化には情熱、エネルギー,力が必要であり、変化は人間の本質的な要求である。それらはみな、社会や心の世界でも成り立つ原理であり、掘り下げて学ぶべきことが多い。ダーウィンの進化論については、人間はどのように作られ、どのような進化を目指しているのかと追求すべきであり、人間とは何者かと絶えず問うて行くべきである。根本を見失い、個別の結果の追求に明け暮れているのが、現在における科学の現状と言えるのではないだろうか。単に盲目的に夢中で進んでいる蟻の大群のような生態である。広い視点で見れば、経済の成長、成長と叫んでいるが、地球規模で生態系を環境の面から見れば、癌細胞の増殖のような様ではないだろうか。人間の心の喪失、哲学的精神の欠落している時代であると言える。
以 上
再生核研究所声明315(2016.08.08) 世界観を大きく変えた、ユークリッドと幾何学
今朝2016年8月6日,散歩中 目が眩むような大きな構想が閃いたのであるが、流石に直接表現とはいかず、先ずは世界史上の大きな事件を回想して、準備したい。紀元前の大きな事件についても触れたいが当分 保留したい。
ニュートン、ダーウィンの大きな影響を纏めたので(声明314)今回はユークリッド幾何学の影響について触れたい。
ユークリッド幾何学の建設について、ユークリッド自身(アレクサンドリアのエウクレイデス(古代ギリシャ語: Εὐκλείδης, Eukleídēs、ラテン語: Euclīdēs、英語: Euclid(ユークリッド)、紀元前3世紀? - )は、古代ギリシアの数学者、天文学者とされる。数学史上最も重要な著作の1つ『原論』(ユークリッド原論)の著者であり、「幾何学の父」と称される。プトレマイオス1世治世下(紀元前323年-283年)のアレクサンドリアで活動した。)が絶対的な幾何学の建設に努力した様は、『新しい幾何学の発見―ガウス ボヤイ ロバチェフスキー』リワノワ 著松野武 訳1961 東京図書 に見事に描かれており、ここでの考えはその著書に負うところが大きい。
ユークリッドは絶対的な幾何学を建設するためには、絶対的に正しい基礎、公準、公理に基づき、厳格な論理によって如何なる隙や曖昧さを残さず、打ち立てられなければならないとして、来る日も来る日も、アレクサンドリアの海岸を散歩しながら ユークリッド幾何学を建設した(『原論』は19世紀末から20世紀初頭まで数学(特に幾何学)の教科書として使われ続けた[1][2][3]。線の定義について、「線は幅のない長さである」、「線の端は点である」など述べられている。基本的にその中で今日ユークリッド幾何学と呼ばれている体系が少数の公理系から構築されている。エウクレイデスは他に光学、透視図法、円錐曲線論、球面天文学、誤謬推理論、図形分割論、天秤などについても著述を残したとされている。)。
ユークリッド幾何学、原論は2000年以上も越えて多くの人に学ばれ、あらゆる論理的な学術書の記述の模範、範として、現在でもその精神は少しも変わっていない、人類の超古典である。― 少し、厳密に述べると、ユークリッド幾何学の基礎、いわゆる第5公準、いわゆる平行線の公理は徹底的に検討され、2000年を経て公理系の考えについての考えは改められ― 公理系とは絶対的な真理という概念ではなく、矛盾のない仮定系である ― 、非ユークリッド幾何学が出現した。論理的な厳密性も徹底的に検討がなされ、ヒルベルトによってユークリッド幾何学は再構成されることになった。非ユークリッド幾何学の出現過程についても上記の著書に詳しい。
しかしながら、ユークリッド幾何学の実態は少しも変わらず、世に絶対的なものがあるとすれば、それは数学くらいではないだろうかと人類は考えているのではないだろうか。
数学の不可思議さに想いを致したい(しかしながら、数学について、そもそも数学とは何だろうかと問い、ユニバースと数学の関係に思いを致すのは大事ではないだろうか。この本質論については幸運にも相当に力を入れて書いたものがある:
19/03/2012
ここでは、数学とは何かについて考えながら、数学と人間に絡む問題などについて、幅.広く面白く触れたい。
)。
― 数学は公理系によって定まり、そこから、論理的に導かれる関係の全体が一つの数学の様 にみえる。いま予想されている関係は、そもそも人間には無関係に確定しているようにみえる。その数学の全体はすべて人間には無関係に存在して、確定しているようにみえる。すなわち、われわれが捉えた数学は、人間の要求や好みで発見された部分で、その全貌は分か らない。抽象的な関係の世界、それはものにも、時間にも、エネルギーにも無関係で、存在 している。それではどうして、存在して、数学は美しいと感動させるのであろうか。現代物理学は宇宙全体の存在した時を述べているが、それでは数学はどうして存在しているのであろうか。宇宙と数学は何か関係が有るのだろうか。不思議で 不思議で仕方がない。数学は絶対で、不変の様にみえる。時間にも無関係であるようにみえる。数学と人間の関係は何だ ろうか。―
数学によって、神の存在を予感する者は 世に多いのではないだろうか。
以 上
再生核研究所声明343(2017.1.10)オイラーとアインシュタイン
世界史に大きな影響を与えた人物と業績について
再生核研究所声明314(2016.08.08) 世界観を大きく変えた、ニュートンとダーウィンについて
再生核研究所声明315(2016.08.08) 世界観を大きく変えた、ユークリッドと幾何学
再生核研究所声明339(2016.12.26)インドの偉大な文化遺産、ゼロ及び算術の発見と仏教
で 触れてきたが、興味深いとして 続けて欲しいとの希望が寄せられた。そこで、ここでは、数学界と物理学界の巨人 オイラーとアインシュタインについて触れたい。
オイラーが膨大な基本的な業績を残され、まるでモーツァルトのように 次から次へと数学を発展させたのは驚嘆すべきことであるが、ここでは典型的で、顕著な結果であるいわゆるオイラーの公式 e^{\pi i} = -1 を挙げたい。これについては相当深く纏められた記録があるので参照して欲しい(
)。この公式は最も基本的な数、-1,\pi, e,i の簡潔な関係を確立しており、複素解析や数学そのものの骨格の中枢の関係を与えているので、世界史への甚大なる影響は歴然である ― オイラーの公式 (e ^{ix} = cos x + isin x) を一般化として紹介できます。 そのとき、数と角の大きさの単位の関係で、神は角度を数で測っていることに気付く。左辺の x は数で、右辺の x は角度を表している。それらが矛盾なく意味を持つためには角は、角の 単位は数の単位でなければならない。これは角の単位を 60 進法や 10 進法などと勝手に決められないことを述べている。ラジアンなどの用語は不要であることが分かる。これが神様方式による角の単位です。角の単位が数ですから、そして、数とは複素数ですから、複素数 の三角関数が考えられます。cos i も明確な意味を持ちます。このとき、たとえば、純虚数の 角の余弦関数が電線をぶらりとたらした時に描かれる、けんすい線として、実際に物理的に 意味のある美しい関数を表現します。そこで、複素関数として意味のある雄大な複素解析学 の世界が広がることになる。そしてそれらは、数学そのものの基本的な世界を構成すること になる。自然の背後には、神の設計図と神の意思が隠されていますから、神様の気持ちを理解し、 また神に近付くためにも、数学の研究は避けられないとなると思います。数学は神学そのものであると私は考える。オイラーの公式の魅力は千年や万年考えても飽きることはなく、数学は美しいとつぶやき続けられる。― 特にオイラーの公式は、言わば神秘的な数、虚数i、―1, e、\pi などの明確な意味を与えた意義は 凄いこととであると驚嘆させられる。
次に アインシュタインであるが、いわゆる相対性理論として、物理学界の最高峰に存在するが、アインシュタインの公式 E=mc^2 は素人でもびっくりする 簡潔で深い結果である。何と物質はエネルギーと等式で結ばれるという。このような公式の発見は人類の名誉に関わる基本的な結果と考えられる。アインシュタインが、時間、空間、物質、エネルギー、光速の基本的な関係を確立し、現代物理学の基礎を確立している。
ところで、上記巨人に共通する面白い話題が存在する。 オイラーがゼロ除算を記録に残し 1/0=\infty と記録し、広く間違いとして指摘されている。 他方、 アインシュタインは次のように述べている:
Blackholes are where God divided by zero. I don't believe in mathematics.
George Gamow (1904-1968) Russian-born American nuclear physicist and cosmologist remarked that "it is well known to students of high school algebra" that division by zero is not valid; and Einstein admitted it as {\bf the biggest blunder of his life} (
Gamow, G., My World Line (Viking, New York). p 44, 1970).
今でも、この先を、特に特殊相対性理論との関係で 0/0=1 であると頑強に主張したり、想像上の数と考えたり、ゼロ除算についていろいろな説が存在して、混乱が続いている。
しかしながら、ゼロ除算については、決定的な結果を得た と公表している。すなわち、分数、割り算は自然に一意に拡張されて、 1/0=0/0=z/0=0 である。無限遠点は 実はゼロで表される:
The division by zero is uniquely and reasonably determined as 1/0=0/0=z/0=0 in the natural extensions of fractions. We have to change our basic ideas for our space and world:
Division by Zero z/0 = 0 in Euclidean Spaces
Hiroshi Michiwaki, Hiroshi Okumura and Saburou Saitoh
International Journal of Mathematics and Computation Vol. 28(2017); Issue 1, 2017), 1-16.
http://www.scirp.org/journal/alamt http://dx.doi.org/10.4236/alamt.2016.62007
http://www.ijapm.org/show-63-504-1.html
http://www.diogenes.bg/ijam/contents/2014-27-2/9/9.pdf
http://www.ijapm.org/show-63-504-1.html
http://www.diogenes.bg/ijam/contents/2014-27-2/9/9.pdf
Announcement 326: The division by zero z/0=0/0=0 - its impact to human beings through education and research
以 上
再生核研究所声明353(2017.2.2) ゼロ除算 記念日
2014.2.2 に 一般の方から100/0 の意味を問われていた頃、偶然に執筆中の論文原稿にそれがゼロとなっているのを発見した。直ぐに結果に驚いて友人にメールしたり、同僚に話した。それ以来、ちょうど3年、相当詳しい記録と経過が記録されている。重要なものは再生核研究所声明として英文と和文で公表されている。最初のものは
再生核研究所声明 148(2014.2.12): 100/0=0, 0/0=0 - 割り算の考えを自然に拡張すると ― 神の意志
で、最新のは
Announcement 352 (2017.2.2): On the third birthday of the division by zero z/0=0
である。
アリストテレス、ブラーマグプタ、ニュートン、オイラー、アインシュタインなどが深く関与する ゼロ除算の神秘的な永い歴史上の発見であるから、その日をゼロ除算記念日として定めて、世界史を進化させる決意の日としたい。ゼロ除算は、ユークリッド幾何学の変更といわゆるリーマン球面の無限遠点の考え方の変更を求めている。― 実際、ゼロ除算の歴史は人類の闘争の歴史と共に 人類の愚かさの象徴であるとしている。
心すべき要点を纏めて置きたい。
1) ゼロの明確な発見と算術の確立者Brahmagupta (598 - 668 ?) は 既にそこで、0/0=0 と定義していたにも関わらず、言わば創業者の深い考察を理解できず、それは間違いであるとして、1300年以上も間違いを繰り返してきた。
2) 予断と偏見、慣習、習慣、思い込み、権威に盲従する人間の精神の弱さ、愚かさを自戒したい。我々は何時もそのように囚われていて、虚像を見ていると 真智を愛する心を大事にして行きたい。絶えず、それは真かと 問うていかなければならない。
3) ピタゴラス派では 無理数の発見をしていたが、なんと、無理数の存在は自分たちの世界観に合わないからという理由で、― その発見は都合が悪いので ― 、弟子を処刑にしてしまったという。真智への愛より、面子、権力争い、勢力争い、利害が大事という人間の浅ましさの典型的な例である。
4) この辺は、2000年以上も前に、既に世の聖人、賢人が諭されてきたのに いまだ人間は生物の本能レベルを越えておらず、愚かな世界史を続けている。人間が人間として生きる意義は 真智への愛にある と言える。
5) いわば創業者の偉大な精神が正確に、上手く伝えられず、ピタゴラス派のような対応をとっているのは、本末転倒で、そのようなことが世に溢れていると警戒していきたい。本来あるべきものが逆になっていて、社会をおかしくしている。
6) ゼロ除算の発見記念日に 繰り返し、人類の愚かさを反省して、明るい世界史を切り拓いて行きたい。
以 上
追記:
The division by zero is uniquely and reasonably determined as 1/0=0/0=z/0=0 in the natural extensions of fractions. We have to change our basic ideas for our space and world:
Division by Zero z/0 = 0 in Euclidean Spaces
Hiroshi Michiwaki, Hiroshi Okumura and Saburou Saitoh
International Journal of Mathematics and Computation Vol. 28(2017); Issue 1, 2017), 1-16.
http://www.scirp.org/journal/alamt http://dx.doi.org/10.4236/alamt.2016.62007
http://www.ijapm.org/show-63-504-1.html
http://www.diogenes.bg/ijam/contents/2014-27-2/9/9.pdf
http://www.ijapm.org/show-63-504-1.html
http://www.diogenes.bg/ijam/contents/2014-27-2/9/9.pdf
再生核研究所声明371(2017.6.27)ゼロ除算の講演― 国際会議 https://sites.google.com/site/sandrapinelas/icddea-2017 報告
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http://ameblo.jp/syoshinoris/entry-12272721615.html
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