你看得懂的量子力学书终于来了!《量子力学(少年版)》导读
《量子力学(少年版)》
量子力学与相对论并称近代物理学的两大支柱。量子力学在20世纪是天才头脑中的智力风暴,在21世纪则必然要化为常识。本书循着量子力学发展的历史脉络,用关键的人物、物理事件与数学思想构筑量子力学的知识体系,引导读者在体会如何创造知识的愉悦中不知不觉走进量子力学的世界。这是一本科学家为自家少年撰写的严肃的量子力学入门书,其着眼点不止在于量子力学知识体系的介绍,更着重强调量子力学在经典物理的基础上被创建的过程细节。本书适于任何智识阶层的读者修习量子力学。
第一章 引子
1.1 宇宙如棋局
物理学的任务是认识这个我们存在于其间的宇宙,包括它的物质构成以及其中事物如何存在所应遵循的规律。这是怎样的一项事业呢?著名物理学家费曼 (Richard Feynman)在一期名为《发现的乐趣》访谈中把宇宙比喻成棋局,而物理学家研究宇宙好比是通过对棋盘上发生之现象的观察,逐步辨认出棋子的性质(种类、多少、大小、形状、颜色、味道、质量、电荷、自旋…),并猜出下棋的规则 (图1.1)。这个比喻当然不能完全反映宇宙和关于宇宙之研究的全部事实,但确实是一个非常形象的、深刻的比喻。回忆一下你在很小的时候—也许你还不认识字呢—开始几次看到下棋的情形。你很好奇,你看到有不同颜色、标记、数量的棋子,(忽略下棋人的存在)你看到棋子忽而走到这里,忽而又走到那里。你觉得很有趣,也感到很困惑:这些棋子叫什么名字?各有几个?它们是如何移动位置的?是按照什么样的策略决定应该这么走而不是那么走呢?如果没人来教你,而且你还保持着足够的好奇心的话,这些问题就会一直困扰着你。等到你看了足够多、思考了足够多以后,你会慢慢明白,这是一个两人的游戏,双方各有一将(帅)、一对士相(象)车马炮和五个小卒,马走日字象飞田,车走直线炮翻山,等等,于是你就猜透了这中国象棋的游戏玩法。人类中的物理学家理解宇宙的努力,大致也是这样的过程。
量子理论诞生于二十世纪初。它的发展过程,像极了费曼描述的通过观察棋盘上的现象从而得出游戏规则的努力。当然,量子物理学家们开始时观察的不是棋盘,而是发光现象。对,就是来自天空的星光还有炉膛里的火光。要探究的规则当然包括发光的规则,但却绝不仅局限于此。量子力学的发展,其所触及的和产出的,都远远超出物理学家们当初的想象。量子力学和相对论并称当代物理学的两大支柱。它们不仅是物理学家们的智力游戏,它们还彻底地改变了人类的生活方式。
此时刻,量子力学对于你不再是一片黑暗。你看那远方,有一丝亮光在向你发出召唤。请跟随本书,循着这亮光,开始理解量子力学。
图1.1. 宇宙如棋局,物理学家的工作是辨认宇宙这盘棋的物质基础和玩法。
1.2 绚丽的光谱
大约是1665年的某一天,伟大的牛顿 (Isaac Newton)得到了一块棱镜。在一个阳光灿烂的日子,牛顿,置身于剑桥大学一间拉上窗帘的房间里,向着一束自窗帘的破洞射入的阳光举起了他的棱镜。奇迹出现了,白色的阳光经过棱镜后,在对面的墙上映出了绚丽的光带-按着红橙黄绿蓝靛紫的顺序 (图1.2)。牛顿在1671年把这个现象命名为光谱 (spectrum,和spectre, 即幻影、幽灵,有关), 这可是歌德用来描述幽灵般的影像残留的一个词。想想看吧,本来似乎是白色的阳光,经过透明的棱镜,竟然变出了彩虹色,实在是透着诡异。彩虹,那可是天上的景象。
图1.2. 牛顿把棱镜放到阳光经过的路上,看到了绚丽的光谱。
看到了光谱的牛顿继续展示他的聪明。他让光谱落到一块有缝的木板上,这样就只有一种颜色,比如绿色,的光通过木板。让这绿色的光通过另一个棱镜,绿光仍然是绿光。但如果把所有颜色的光带都通过一个倒过来的、同样的棱镜,这些彩色的光带又聚集到了一起,呈现出原来的白色。这两个实验的结果说明什么?它们说明阳光里混合着不同颜色的光—那些彩色的光就藏在阳光的白色中。
关于阳光的另一个重大秘密,也将很快被揭晓。
1814年,德国,巴伐利亚,一家光学器件公司里,年轻的夫琅和费 (Joseph von Fraunhofer)那时已是磨制玻璃镜片的高手。公司里有的是磨制好的棱镜,估计比牛顿手里的棱镜要大而且有更高的光洁度。阳光经过夫琅和费的棱镜被分解成更宽大、更清晰的光带,从而泄露了一个重要的秘密:光带上看似不规则地布满了或粗或细的暗条纹(图1.3)。也就是说,在太阳光谱的一些特定位置上,阳光是弱的或者是缺失的。怎么回事?夫琅和费弄不明白这些暗线是怎么回事,但他做了一项了不起的工作.他测定了太阳光谱里所有576条暗线的波长,并作了标记。这些暗线条也被命名为夫琅和费线。
图1.3. 太阳光谱照片,明亮的背景上布满密密麻麻的暗线。最底下的一行德文字为“交夫琅和费处理。多谢。1814-1815”。
差不多45年后,德国科学家基尔霍夫 (Gustav Kirchhoff)和本生 (Robert Bunsen)发现一些夫琅和费线同一些元素的发射线(亮线)位置是重合的,从而判定太阳光谱上的暗线是阳光在传播路径上被吸收造成的。也就是说,如果一个元素能发射某些特定波长的光,也就一定会吸收那些特定波长的光。这个事实后来在发展量子力学的过程中起到过重要的作用。这个事实还告诉我们,元素会发射或吸收特定波长的光,则光谱线可以用来作元素分析。今天我们能够知道遥远星体的构成,比如太阳就是仅由氢和氦两种元素构成的,就是凭借光谱分析得到的。
物体在高温时会发光,这一点我们的老祖宗早就注意到了。不同的东西燃烧,可能会表现出不同的颜色,这是由燃烧物质中的元素决定的。 比如,用铁丝蘸上盐水在火苗上烧,火焰会发黄。这是因为钠元素会发射出强烈的黄光的原因 (今天我们知道是波长分别为5889.9Å和5895.9 Å的双线)。到了十九世纪,确切地说是在1860年前后,由于玻璃制造技术的进步,人们已经很容易地能用棱镜分辨出挨得很近的谱线。那么,面对如图1.4 那样的光谱, 你觉得它们有什么特征需要好好研究呢?
图1.4. 钠的黄色双线。
(很不)容易想到,以下几个方面的光谱特征是需要研究理解的:1)谱线的位置,即波长或者频率(它们俩成反比关系)。为什么某个元素只发射一些特定波长的谱线呢?2)谱线的相对强度; 3) 谱线的宽度。后两点可概括如下:为什么同样条件下一个元素的光谱线有强弱、宽窄的区别?4)后来我们还会发现,把发射体置于电场或者磁场中,其发射的谱线会发生不同方式的分裂。咦,怎么回事呢?我们会看到,就是为了回答上述问题的努力,主导了量子力学的发展。
发光谱线的位置、强弱、宽窄,以及在电磁场下如何分裂,这四个发光的特征是由什么样的物理决定的呢?带着这个疑问,让我们踏上量子力学的学习之旅。
量子力学(少年版)【目录】
作者序之一
作者序之二
补充说明
第1章 引子
1.1宇宙如棋局
1.2绚丽的光谱
1.3黑体辐射——从电灯到光量子
1.4能量量子——光电效应与固体比热
1.5康普顿效应
1.6弗兰克-赫兹实验
1.7巴尔末老师的数字游戏
第2章 氢原子模型与旧量子力学
2.1原子结构
2.2氢原子的发光与电子跃迁
2.3原子的行星模型
2.4量子化方案
第3章 什么是量子
3.1quantum的字面意义
3.2基本单位的重要性
3.3连续与分立
3.4生活中的量子智慧
3.5能量也是分立的
第4章 谱线强度与矩阵力学
4.1克拉默斯的努力
4.2海森堡的半截子论文
4.3矩阵与矩阵力学
4.4费米的黄金规则
第5章 波动力学与薛定谔方程
5.1德布罗意的物质波
5.2薛定谔方程
5.3量子力学是本征值问题
5.4波动力学与矩阵力学的等价性
5.5氢原子问题薛定谔方程的解
5.6算符、波函数与希尔伯特空间
5.7波函数的几率诠释
5.8量子力学动力学与守恒量
第6章 自旋
6.1塞曼效应
6.2斯特恩-盖拉赫实验
6.3自己转的电子
6.4自旋与泡利矩阵
6.5粒子的自旋标签
6.6选择定则
6.7量子力学的代数
第7章 量子的眼睛看化学
7.1量子数的组合
7.2构建原则
7.3元素周期表
第8章 量子态
8.1定态薛定谔方程与能量本征态
8.2共同本征态
8.3费米子与玻色子
8.4光的单缝衍射与双缝干涉
8.5量子态叠加
8.6量子测量假说
8.7薛定谔的猫
8.8警惕线性思维
第9章 定态薛定谔方程的解
9.1一维无限深势阱
9.2一维谐振子
9.3一维周期势场
9.4二维无限深圆势阱
第10章 固体能带论与量子限域效应
10.1能带理论与固体导电行为
10.2量子限域效应与纳米技术
第11章 量子隧穿现象
11.1崂山道士与火车
11.2量子隧穿效应
11.3看见原子
11.4超导隧道效应
第12章 量子电子学与激光
12.1光的吸收与发射
12.2受激辐射
12.3激光
第13章 相对论量子力学
13.1狭义相对论
13.2相对论量子力学的尝试
13.3狄拉克方程
13.4自旋是内禀自由度
13.5反粒子与反物质
外篇 量子力学关键人物与事件
附录A 矩阵的数学
附录B 微分与偏微分
附录C 复数、复函数与复变函数
后记
曹则贤研究员作品
来源:中国物理学会期刊网
编辑:Lixy
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再生核研究所声明314(2016.08.08) 世界観を大きく変えた、ニュートンとダーウィンについて
今朝2016年8月6日,散歩中 目が眩むような大きな構想が閃いたのであるが、流石に直接表現とはいかず、先ずは世界史上の大きな事件を回想して、準備したい。紀元前の大きな事件についても触れたいが当分 保留したい。
そもそも、ニュートン、ダーウィンの時代とは 中世の名残を多く残し、宗教の存在は世界観そのものの基礎に有ったと言える。それで、アリストテレスの世界観や聖書に反して 天動説に対して地動説を唱えるには それこそ命を掛けなければ主張できないような時代背景が 存在していた。
そのような時に世の運動、地上も、天空も、万有を支配する法則が存在するとの考えは それこそ、世界観の大きな変更であり、人類に与えた影響は計り知れない。進化論 人類も動物や生物の進化によるものであるとの考えは、 人間そのものの考え方、捉え方の基本的な変更であり、運動法則とともに科学的な思考、捉え方が世界観を根本的に変えてきたと考えられる。勿論、自然科学などの基礎として果たしている役割の大きさを考えると、驚嘆すべきことである。
人生とは何か、人間とは何か、― 世の中には秩序と法則があり、人間は作られた存在で
その上に 存在している。如何に行くべきか、在るべきかの基本は その法則と作られた存在の元、原理を探し、それに従わざるを得ないとなるだろう。しかしながら、狭く捉えて 唯物史観などの思想も生んだが、それらは、心の問題、生命の神秘的な面を過小評価しておかしな世相も一時は蔓延ったが、自然消滅に向かっているように見える。
自然科学も生物学も目も眩むほどに発展してきている。しかしながら、人類未だ成長していないように感じられるのは、止むことのない抗争、紛争、戦争、医学などの驚異的な発展にも関わらず、人間存在についての掘り下げた発展と進化はどれほどかと考えさせられ、昔の人の方が余程人間らしい人間だったと思われることは 多いのではないだろうか。
上記二人の巨人の役割を、自然科学の基礎に大きな影響を与えた人と捉えれば、我々は一段と深く、巨人の拓いた世界を深めるべきではないだろうか。社会科学や人文社会、人生観や世界観にさらに深い影響を与えると、与えられると考える。
ニュートンの作用、反作用の運動法則などは、人間社会でも、人間の精神、心の世界でも成り立つ原理であり、公正の原則の基礎(再生核研究所声明 1 (2007/1/27): 美しい社会はどうしたら、できるか、美しい社会とは)にもなる。 自国の安全を願って軍備を強化すれば相手国がより、軍備を強化するのは道理、法則のようなものである。慣性の法則、急には何事でも変えられない、移行処置や時間的な猶予が必要なのも法則のようなものである。力の法則 変化には情熱、エネルギー,力が必要であり、変化は人間の本質的な要求である。それらはみな、社会や心の世界でも成り立つ原理であり、掘り下げて学ぶべきことが多い。ダーウィンの進化論については、人間はどのように作られ、どのような進化を目指しているのかと追求すべきであり、人間とは何者かと絶えず問うて行くべきである。根本を見失い、個別の結果の追求に明け暮れているのが、現在における科学の現状と言えるのではないだろうか。単に盲目的に夢中で進んでいる蟻の大群のような生態である。広い視点で見れば、経済の成長、成長と叫んでいるが、地球規模で生態系を環境の面から見れば、癌細胞の増殖のような様ではないだろうか。人間の心の喪失、哲学的精神の欠落している時代であると言える。
以 上
再生核研究所声明315(2016.08.08) 世界観を大きく変えた、ユークリッドと幾何学
今朝2016年8月6日,散歩中 目が眩むような大きな構想が閃いたのであるが、流石に直接表現とはいかず、先ずは世界史上の大きな事件を回想して、準備したい。紀元前の大きな事件についても触れたいが当分 保留したい。
ニュートン、ダーウィンの大きな影響を纏めたので(声明314)今回はユークリッド幾何学の影響について触れたい。
ユークリッド幾何学の建設について、ユークリッド自身(アレクサンドリアのエウクレイデス(古代ギリシャ語: Εὐκλείδης, Eukleídēs、ラテン語: Euclīdēs、英語: Euclid(ユークリッド)、紀元前3世紀? - )は、古代ギリシアの数学者、天文学者とされる。数学史上最も重要な著作の1つ『原論』(ユークリッド原論)の著者であり、「幾何学の父」と称される。プトレマイオス1世治世下(紀元前323年-283年)のアレクサンドリアで活動した。)が絶対的な幾何学の建設に努力した様は、『新しい幾何学の発見―ガウス ボヤイ ロバチェフスキー』リワノワ 著松野武 訳1961 東京図書 に見事に描かれており、ここでの考えはその著書に負うところが大きい。
ユークリッドは絶対的な幾何学を建設するためには、絶対的に正しい基礎、公準、公理に基づき、厳格な論理によって如何なる隙や曖昧さを残さず、打ち立てられなければならないとして、来る日も来る日も、アレクサンドリアの海岸を散歩しながら ユークリッド幾何学を建設した(『原論』は19世紀末から20世紀初頭まで数学(特に幾何学)の教科書として使われ続けた[1][2][3]。線の定義について、「線は幅のない長さである」、「線の端は点である」など述べられている。基本的にその中で今日ユークリッド幾何学と呼ばれている体系が少数の公理系から構築されている。エウクレイデスは他に光学、透視図法、円錐曲線論、球面天文学、誤謬推理論、図形分割論、天秤などについても著述を残したとされている。)。
ユークリッド幾何学、原論は2000年以上も越えて多くの人に学ばれ、あらゆる論理的な学術書の記述の模範、範として、現在でもその精神は少しも変わっていない、人類の超古典である。― 少し、厳密に述べると、ユークリッド幾何学の基礎、いわゆる第5公準、いわゆる平行線の公理は徹底的に検討され、2000年を経て公理系の考えについての考えは改められ― 公理系とは絶対的な真理という概念ではなく、矛盾のない仮定系である ― 、非ユークリッド幾何学が出現した。論理的な厳密性も徹底的に検討がなされ、ヒルベルトによってユークリッド幾何学は再構成されることになった。非ユークリッド幾何学の出現過程についても上記の著書に詳しい。
しかしながら、ユークリッド幾何学の実態は少しも変わらず、世に絶対的なものがあるとすれば、それは数学くらいではないだろうかと人類は考えているのではないだろうか。
数学の不可思議さに想いを致したい(しかしながら、数学について、そもそも数学とは何だろうかと問い、ユニバースと数学の関係に思いを致すのは大事ではないだろうか。この本質論については幸運にも相当に力を入れて書いたものがある:
19/03/2012
ここでは、数学とは何かについて考えながら、数学と人間に絡む問題などについて、幅.広く面白く触れたい。
)。
― 数学は公理系によって定まり、そこから、論理的に導かれる関係の全体が一つの数学の様 にみえる。いま予想されている関係は、そもそも人間には無関係に確定しているようにみえる。その数学の全体はすべて人間には無関係に存在して、確定しているようにみえる。すなわち、われわれが捉えた数学は、人間の要求や好みで発見された部分で、その全貌は分か らない。抽象的な関係の世界、それはものにも、時間にも、エネルギーにも無関係で、存在 している。それではどうして、存在して、数学は美しいと感動させるのであろうか。現代物理学は宇宙全体の存在した時を述べているが、それでは数学はどうして存在しているのであろうか。宇宙と数学は何か関係が有るのだろうか。不思議で 不思議で仕方がない。数学は絶対で、不変の様にみえる。時間にも無関係であるようにみえる。数学と人間の関係は何だ ろうか。―
数学によって、神の存在を予感する者は 世に多いのではないだろうか。
以 上
再生核研究所声明353(2017.2.2) ゼロ除算 記念日
2014.2.2 に 一般の方から100/0 の意味を問われていた頃、偶然に執筆中の論文原稿にそれがゼロとなっているのを発見した。直ぐに結果に驚いて友人にメールしたり、同僚に話した。それ以来、ちょうど3年、相当詳しい記録と経過が記録されている。重要なものは再生核研究所声明として英文と和文で公表されている。最初のものは
再生核研究所声明 148(2014.2.12): 100/0=0, 0/0=0 - 割り算の考えを自然に拡張すると ― 神の意志
で、最新のは
Announcement 352 (2017.2.2): On the third birthday of the division by zero z/0=0
である。
アリストテレス、ブラーマグプタ、ニュートン、オイラー、アインシュタインなどが深く関与する ゼロ除算の神秘的な永い歴史上の発見であるから、その日をゼロ除算記念日として定めて、世界史を進化させる決意の日としたい。ゼロ除算は、ユークリッド幾何学の変更といわゆるリーマン球面の無限遠点の考え方の変更を求めている。― 実際、ゼロ除算の歴史は人類の闘争の歴史と共に 人類の愚かさの象徴であるとしている。
心すべき要点を纏めて置きたい。
1) ゼロの明確な発見と算術の確立者Brahmagupta (598 - 668 ?) は 既にそこで、0/0=0 と定義していたにも関わらず、言わば創業者の深い考察を理解できず、それは間違いであるとして、1300年以上も間違いを繰り返してきた。
2) 予断と偏見、慣習、習慣、思い込み、権威に盲従する人間の精神の弱さ、愚かさを自戒したい。我々は何時もそのように囚われていて、虚像を見ていると 真智を愛する心を大事にして行きたい。絶えず、それは真かと 問うていかなければならない。
3) ピタゴラス派では 無理数の発見をしていたが、なんと、無理数の存在は自分たちの世界観に合わないからという理由で、― その発見は都合が悪いので ― 、弟子を処刑にしてしまったという。真智への愛より、面子、権力争い、勢力争い、利害が大事という人間の浅ましさの典型的な例である。
4) この辺は、2000年以上も前に、既に世の聖人、賢人が諭されてきたのに いまだ人間は生物の本能レベルを越えておらず、愚かな世界史を続けている。人間が人間として生きる意義は 真智への愛にある と言える。
5) いわば創業者の偉大な精神が正確に、上手く伝えられず、ピタゴラス派のような対応をとっているのは、本末転倒で、そのようなことが世に溢れていると警戒していきたい。本来あるべきものが逆になっていて、社会をおかしくしている。
6) ゼロ除算の発見記念日に 繰り返し、人類の愚かさを反省して、明るい世界史を切り拓いて行きたい。
以 上
追記:
The division by zero is uniquely and reasonably determined as 1/0=0/0=z/0=0 in the natural extensions of fractions. We have to change our basic ideas for our space and world:
Division by Zero z/0 = 0 in Euclidean Spaces
Hiroshi Michiwaki, Hiroshi Okumura and Saburou Saitoh
International Journal of Mathematics and Computation Vol. 28(2017); Issue 1, 2017), 1-16.
http://www.scirp.org/journal/alamt http://dx.doi.org/10.4236/alamt.2016.62007
http://www.ijapm.org/show-63-504-1.html
http://www.diogenes.bg/ijam/contents/2014-27-2/9/9.pdf
http://www.ijapm.org/show-63-504-1.html
http://www.diogenes.bg/ijam/contents/2014-27-2/9/9.pdf
再生核研究所声明371(2017.6.27)ゼロ除算の講演― 国際会議 https://sites.google.com/site/sandrapinelas/icddea-2017 報告
http://ameblo.jp/syoshinoris/theme-10006253398.html
1/0=0、0/0=0、z/0=0
http://ameblo.jp/syoshinoris/entry-12276045402.html
1/0=0、0/0=0、z/0=0
http://ameblo.jp/syoshinoris/entry-12263708422.html
1/0=0、0/0=0、z/0=0
http://ameblo.jp/syoshinoris/entry-12272721615.html
再生核研究所声明368(2017.5.19)ゼロ除算の意義、本質
ゼロ除算の本質、意義について、既に述べているが、参照すると良くまとめられているので、初めに復習して、新しい視点を入れたい。
再生核研究所声明359(2017.3.20) ゼロ除算とは何か ― 本質、意義
ゼロ除算の理解を進めるために ゼロ除算とは何か の題名で、簡潔に表現して置きたい。 構想と情念、想いが湧いてきたためである。
基本的な関数y=1/x を考える。 これは直角双曲線関数で、原点以外は勿論、値、関数が定義されている。問題はこの関数が、x=0 で どうなっているかである。結論は、この関数の原点での値を ゼロと定義する ということである。 定義するのである。定義であるから勝手であり、従来の定義や理論に反しない限り、定義は勝手であると言える。原点での値を明確に定義した理論はないから、この定義は良いと考えられる。それを、y=1/0=0 と記述する。ゼロ除算は不可能であるという、数学の永い定説に従って、1/0 の表記は学術書、教科書にもないから、1/0=0 の記法は 形式不変の原理、原則 にも反しないと言える。― 多くの数学者は注意深いから、1/0=\infty の表記を避けてきたが、想像上では x が 0 に近づいたとき、限りなく 絶対値が大きくなるので、複素解析学では、表現1/0=\infty は避けても、1/0=\infty と考えている事は多い。(無限大の記号がない時代、アーベルなどもそのような記号を用いていて、オイラーは1/0=\inftyと述べ、それは間違いであると指摘されてきた。 しかしながら、無限大とは何か、数かとの疑問は 続いている。)。ここが大事な論点である。近づいていった極限値がそこでの値であろうと考えるのは、極めて自然な発想であるが、現代では、不連続性の概念 が十分確立されていて、極限値がそこでの値と違う例は、既にありふれている。― アリストテレスは 連続性の世界観をもち、特にアリストテレスの影響を深く受けている欧米の方は、この強力な不連続性を中々受け入れられないようである。無限にいくと考えられてきたのが突然、ゼロになるという定義になるからである。 しかしながら、関数y=1/xのグラフを書いて見れば、原点は双曲線のグラフの中心の点であり、美しい点で、この定義は魅力的に見えてくるだろう。
定義したことには、それに至るいろいろな考察、経過、動機、理由がある。― 分数、割り算の意味、意義、一意性問題、代数的な意味づけなどであるが、それらは既に数学的に確立しているので、ここでは触れない。
すると、定義したからには、それがどのような意味が存在して、世の中に、数学にどのような影響があるかが、問題になる。これについて、現在、初等数学の学部レベルの数学をゼロ除算の定義に従って、眺めると、ゼロ除算、すなわち、 分母がゼロになる場合が表現上現れる広範な場合に 新しい現象が発見され、ゼロ除算が関係する広範な場合に大きな影響が出て、数学は美しく統一的に補充,完全化されることが分かった。それらは現在、380件以上のメモにまとめられている。しかしながら、世界観の変更は特に重要であると考えられる:
複素解析学で無限遠点は その意味で1/0=0で、複素数0で表されること、アリストテレスの連続性の概念に反し、ユークリッド空間とも異なる新しい空間が 現れている。直線のコンパクト化の理想点は原点で、全ての直線が原点を含むと、超古典的な結果に反する。更に、ゼロと無限の関係が明らかにされてきた。
ゼロ除算は、現代数学の初等部分の相当な変革を要求していると考えられる。
以 上
ゼロ除算の代数的な意義は、山田体の概念で体にゼロ除算を含む構造の入れ方、一般に体にゼロ除算の概念が入れられるが、代数的な発展については 専門外で、触れられない。ただ、計算機科学でゼロ除算と代数的な構造について相当議論している研究者がいる。
ゼロ除算の解析学的な意義は、従来孤立特異点での研究とは、孤立点での近傍での研究であり、正確に述べれば 孤立特異点そのものでの研究はなされていないと考えられる。
なぜならば、特異点では、ゼロ分のとなり、分子がゼロの場合には ロピタルの定理や微分法の概念で 極限値で考えてきたが、ゼロ除算は、一般に分子がゼロでない場合にも意味を与え、極限値でなくて、特異点で 何時でも有限確定値を指定できる ― ゼロ除算算法。初めて、特異点そのものの世界に立ち入ったと言える。従来は孤立特異点を除いた世界で 数学を考えてきたと言える。その意味でゼロ除算は 全く新しい数学、世界であると言える。典型的な結果は tan(\pi/2) =0で、y軸の勾配がゼロであることである。
ゼロ除算の幾何学的な意義は、ユークリッド空間のアレクサンドロフの1点コンパクト化に、アリストテレスの連続性の概念でない、強力な不連続性が現れたことで、全く新しい空間の構造が現れ、幾何学の無限遠点に関係する部分に全く新規な世界が現れたことである。所謂無限遠点が数値ゼロで、表現される。
さらに、およそ無限量と考えられたものが、実は、数値ゼロで表現されるという新しい現象が発見された。tan(\pi/2) =0の意味を幾何学的に考えると、そのことを表している。これはいろいろな恒等式に新しい要素を、性質を顕にしている。ゼロが、不可能性を表現したり、基準を表すなど、ゼロの意義についても新しい概念が現れている。
以 上
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