2017年7月3日月曜日

物理学者湯川秀樹博士、卓越した<文明論者> 文学愛した日本人初のノーベル賞受賞者 高崎 哲郎

物理学者湯川秀樹博士、卓越した<文明論者>

文学愛した日本人初のノーベル賞受賞者

高崎 哲郎
高崎 哲郎
1948年、栃木県生まれ、NHK政治記者などを経て帝京大学教授(マスコミ論、時事英語)となる。この間、自然災害(水害・土石流・津波など)のノンフィクションや人物評伝等を刊行、著作数は30冊にのぼる。うち3冊が英訳された。東工大、東北大などの非常勤講師を務め、明治期以降の優れた土木技師の人生哲学を講義し、各地で講演を行う。現在は著述に専念。
日本人初のノーベル賞受賞者、湯川秀樹博士は文学を愛した(出典:Wikipedia)

博士の読書遍歴

今回はリスク対策とは直接関係ない話題である。日本人初のノーベル賞受賞者である物理学者の故・湯川秀樹博士の人生哲学を考えてみたい。
近年、日本人研究者がノーベル物理学賞や同化学賞を相次いで受賞している。政界や官界の相も変らぬスキャンダルや一般社会での殺伐な事件・事故が相次いでいる昨今、心なごみ背筋の伸びる明るいニュースである。私には、国際的な物理学会における素粒子研究などの最前線を語る資格はない。だが、つくばの国立研究機関など内外の代表的研究所を見学した経験から、世界の「頭脳」たちが新たな研究成果をめざし寸暇を惜しんで、しのぎを削っていることは容易に想像できる。世界のトップを目指しているのである。
日本人初のノーベル物理学賞・受賞者が、京都大学理学部教授・湯川秀樹博士(当時、1907~81)である。70年ほど前の昭和24年(1949年)のことで、敗戦国日本の暗い世相に希望の光を与える快挙であった。私は、博士の中間子理論(原子核内部で働く力の根源を明らかにした28歳からの論文)を論じられる自信はない。だが氏の<文明論者><文芸批評家>としての傑出した才能には心から敬服しており、物理学者湯川博士の哲学や文学的精神の営為を語ってみたい。
「私は学者として生きている限り、見知らぬ土地の遍歴者であり、荒野の開拓者でありたいという希望は、昔も今も持っている。一度開拓された土地が、しばらくは豊かな収穫をもたらすにしても、やがてまた見棄てられてしまうこともないではない。今日の真理が、明日否定されるかもしれない。それだからこそ、私どもは、明日進むべき道をさがし出すために、時々、昨日まであるいてきたあとを、ふり返ってみることも必要なのである」(「湯川秀樹自選集5」より)。私の好きな言葉である。「自然は曲線を創り、人間は直線を創る」。博士の名言である。
博士は紀州藩(和歌山藩)を代表する儒学者の家系に生まれた。実父は京都帝国大学文学部中国文学教授であった。学問を愛する家系に生まれ育ち、幼少の頃から中学(旧制、以下同じ)を終えるまで、祖父の薫陶を直接受けて中国の古典を素読させられた。「荘子」「墨子」「論語」「孟子」「唐詩選」「史記」「十八史略」「水滸伝」…。博士の知的な精神的風土を形成した原点である。
博士の兄弟には著名な中国文学・中国史研究家がいる。人格形成期の中学生から高校生にかけて乱読の時期を迎える。言語芸術を存分に吸収できる博士の若い柔軟な感性と知識欲には驚くしかない。日本文学の古典はもとより、西洋の古典や近現代文学なども幅広く読破している。英訳の西洋文学も読んでいる。石川啄木の短歌はほぼすべて暗誦できた。文学青年は孤独に陥りがちな秀才でもあった。その一方で、数学の「美しさ」を愛し物理学者への夢も持ち続けた。

とても興味深く読みました:

再生核研究所声明3532017.2.2) ゼロ除算 記念日

2014.2.2 に 一般の方から100/0 の意味を問われていた頃、偶然に執筆中の論文原稿にそれがゼロとなっているのを発見した。直ぐに結果に驚いて友人にメールしたり、同僚に話した。それ以来、ちょうど3年、相当詳しい記録と経過が記録されている。重要なものは再生核研究所声明として英文と和文で公表されている。最初のものは

再生核研究所声明 148(2014.2.12): 100/0=0,  0/0=0 - 割り算の考えを自然に拡張すると ― 神の意志

で、最新のは

Announcement 352 (2017.2.2):  On the third birthday of the division by zero z/0=0 

である。
アリストテレス、ブラーマグプタ、ニュートン、オイラー、アインシュタインなどが深く関与する ゼロ除算の神秘的な永い歴史上の発見であるから、その日をゼロ除算記念日として定めて、世界史を進化させる決意の日としたい。ゼロ除算は、ユークリッド幾何学の変更といわゆるリーマン球面の無限遠点の考え方の変更を求めている。― 実際、ゼロ除算の歴史は人類の闘争の歴史と共に 人類の愚かさの象徴であるとしている。
心すべき要点を纏めて置きたい。

1)     ゼロの明確な発見と算術の確立者Brahmagupta (598 - 668 ?) は 既にそこで、0/0=0 と定義していたにも関わらず、言わば創業者の深い考察を理解できず、それは間違いであるとして、1300年以上も間違いを繰り返してきた。
2)     予断と偏見、慣習、習慣、思い込み、権威に盲従する人間の精神の弱さ、愚かさを自戒したい。我々は何時もそのように囚われていて、虚像を見ていると 真智を愛する心を大事にして行きたい。絶えず、それは真かと 問うていかなければならない。
3)     ピタゴラス派では 無理数の発見をしていたが、なんと、無理数の存在は自分たちの世界観に合わないからという理由で、― その発見は都合が悪いので ― 、弟子を処刑にしてしまったという。真智への愛より、面子、権力争い、勢力争い、利害が大事という人間の浅ましさの典型的な例である。
4)     この辺は、2000年以上も前に、既に世の聖人、賢人が諭されてきたのに いまだ人間は生物の本能レベルを越えておらず、愚かな世界史を続けている。人間が人間として生きる意義は 真智への愛にある と言える。
5)     いわば創業者の偉大な精神が正確に、上手く伝えられず、ピタゴラス派のような対応をとっているのは、本末転倒で、そのようなことが世に溢れていると警戒していきたい。本来あるべきものが逆になっていて、社会をおかしくしている。
6)     ゼロ除算の発見記念日に 繰り返し、人類の愚かさを反省して、明るい世界史を切り拓いて行きたい。
以 上

追記:

The division by zero is uniquely and reasonably determined as 1/0=0/0=z/0=0 in the natural extensions of fractions. We have to change our basic ideas for our space and world:

Division by Zero z/0 = 0 in Euclidean Spaces
Hiroshi Michiwaki, Hiroshi Okumura and Saburou Saitoh
International Journal of Mathematics and Computation Vol. 28(2017); Issue  1, 2017), 1-16. 
http://www.scirp.org/journal/alamt   http://dx.doi.org/10.4236/alamt.2016.62007
http://www.ijapm.org/show-63-504-1.html

http://www.diogenes.bg/ijam/contents/2014-27-2/9/9.pdf


再生核研究所声明371(2017.6.27)ゼロ除算の講演― 国際会議 https://sites.google.com/site/sandrapinelas/icddea-2017 報告

http://ameblo.jp/syoshinoris/theme-10006253398.html

1/0=0、0/0=0、z/0=0
http://ameblo.jp/syoshinoris/entry-12276045402.html

1/0=0、0/0=0、z/0=0
http://ameblo.jp/syoshinoris/entry-12263708422.html

1/0=0、0/0=0、z/0=0
http://ameblo.jp/syoshinoris/entry-12272721615.html


再生核研究所声明3712017.6.27)ゼロ除算の講演― 国際会議 https://sites.google.com/site/sandrapinelas/icddea-2017 報告

ゼロ除算については、既に相当な世界を拓いていると考えるが、世の理解を求めている状況下で、理解と評価、反響にも関心がある:

ゼロ除算は 物理学を始め、広く自然科学や計算機科学への大きな影響があり、さらに哲学、宗教、文化への大きな影響がある。しかしながら、ゼロ除算の研究成果を教科書、学術書に遅滞なく取り入れていくことは、真智への愛、真理の追究の表現であり、四則演算が自由にできないとなれば、数学者ばかりではなく、人類の名誉にも関わることである。実際、ゼロ除算の歴史は 止むことのない闘争の歴史とともに人類の恥ずべき人類の愚かさの象徴となるだろう。世間ではゼロ除算について不適切な情報が溢れていて 今尚奇怪で抽象的な議論によって混乱していると言える。― 美しい世界が拓けているのに、誰がそれを閉ざそうと、隠したいと、無視したいと考えられるだろうか。我々は間違いを含む、不適切な数学を教えていると言える: ― 再生核研究所声明 41: 世界史、大義、評価、神、最後の審判 ―。
地動説のように真実は、実体は既に明らかである。 ― 研究と研究成果の活用の推進を 大きな夢を懐きながら 要請したい。 研究課題は基礎的で関与する分野は広い、いろいろな方の研究・教育活動への参加を求めたい。素人でも数学の研究に参加できる新しい初歩的な数学を沢山含んでいる。ゼロ除算は発展中の世界史上の事件、問題であると言える (再生核研究所声明325(2016.10.14) ゼロ除算の状況について ー 研究・教育活動への参加を求めて)

そのような折り、ISAAC マカオ国際会議では、招待、全体講演を行い、ゼロ除算について、触れ、 論文も発表したものの(Qian,T./Rodino,L.(eds.): Mathematical Analysis, Probability and Applications -Plenary Lectures: Isaac 2015, Macau, China.  (Springer Proceedings in Mathematics and Statistics, Vol. 177) Sep. 2016  305pp.(Springer)  
今回頭記の200名を超える大きな国際会議で、ゼロ除算と微分方程式について真正面からゼロ除算の成果を発表することができた。
ゼロ除算には、世界史と世界観がかかっているとの認識で、この国際会議を記念すべきものとするようにとの密かな望みを抱いて出席した。そこで、簡単に印象など記録として纏めて置きたい。
まずは、3日目 正規の晩餐会が開かれる恵まれた日に 最初に全体講演を行った。主催者の学生が多数出席されたり、軍の専属カメラマンが講演模様を沢山写真に収めていた。図版を用意し、大事な点はOHPで講演中図示していた。用意した原稿は良く見えるように配慮したので、全貌の理解は得られたものと考えられる。 結びには次のように述べ、示した。宣言文の性格を持たせるとの意思表示である:
{\bf The division by zero is uniquely and reasonably determined as $$1/0=0/0=z/0=0$$ in the natural extensions of fractions. \\
We have to change our basic ideas for our space and world.\\
We have to change our textbooks and scientific books on the division by zero.\\
Thank you for your attention.}

講演に対して、アラブ首長国の教授が、現代数学を破壊するので、全て認められないとの発言があった。後で、送迎中のバスの中で、とんちんかんな誤解をしている教授がいることが分かった。過去にも経験済みであるが、相当に二人共 感情的に見えた ― それはとんでもないという感じである。閉会式に参加者を代表して謝辞を述べられたギリシャの教授が、画期的な発見で、今回の国際会議の最大の話題であったと述べられたが、要点について話したところ、要点の全てについて深い理解をしていることが確認された。さらにゼロ除算の著書出版の具体的な計画を進めたいという、時宜を得た計画が相談の上、出来た。
そこで、講演原稿と図版を出席者たちにメールし、助言と意見を広く求めている。理解できないと述べられた人にも 要求に応じて送っているが、現在までのところ連絡、返答がない。
主催者から、50カ国以上から200名以上の出席者があったと述べられたが、そのような国際会議で、招待、全体講演を行うことができたのは 凄く記念すべきこととして、出版される会議録、論文集の出版に最善をつくし、交流ができた人々との交流を積極的に進めていきたい。尚、正規の日本人参加者は8名であった。
ゼロの発見国インドからは6名参加していたので、1300年も前に0/0=0が四則演算の創始者によって主張されていた事実を重要視してその状況を説明し、特に対話を深め、創始者に関する情報の収集についての協力をお願いした。ゼロ除算について理解した、分かったと繰り返し述べていたが、どうも感情が伴わず、心もとない感じであった。若いカナダの女性に印象を伺ったところ、沢山の具体例を挙げられたので、認めざるを得ない、内容や意義より驚きの感じで、それが講演に対する全体的な反響の状況を表していると考えられる。
歴史は未来によって作られる。今回の国際会議の意義は 今後の研究の進展で左右されるものと考える。しかしながら十分な記録は既に残されていると考えている。

以 上
The division by zero is uniquely and reasonably determined as 1/0=0/0=z/0=0 in the natural extensions of fractions. We have to change our basic ideas for our space and world

Division by Zero z/0 = 0 in Euclidean Spaces
Hiroshi Michiwaki, Hiroshi Okumura and Saburou Saitoh
International Journal of Mathematics and Computation Vol. 28(2017); Issue  1, 2017), 1
-16. 
http://www.scirp.org/journal/alamt   http://dx.doi.org/10.4236/alamt.2016.62007
http://www.ijapm.org/show-63-504-1.html

http://www.diogenes.bg/ijam/contents/2014-27-2/9/9.pdf

Relations of 0 and infinity
Hiroshi Okumura, Saburou Saitoh and Tsutomu Matsuura:
http://www.e-jikei.org/…/Camera%20ready%20manuscript_JTSS_A…
再生核研究所声明3702017.5.30) 細胞のような存在、個人 ― 生態系、環境

人間の存在について、個人の存在について、ふと思うことがある。人生とは結局 如何なるものであろうか。雄大な人間社会において、個人の存在はあまりにも小さく、それはまるで生体における細胞のような存在に感じられる。個人は知識、視野、思考の幅や深さにおいても貧しく 大きな社会で、ほんの一部しか見えず、感じられない。そこで、個人の世界、世界観は 周辺の環境に大きく左右され、雑草の中の一つの植物のようである。 思えば、生まれて生きてきた、心持ちなど みな周りの人々や得た情報、環境によって形成され、それは雑草のなかの一つの植物のようである。大事な就職、結婚など みなその折り折りに環境によって 相当に定められてきたのではないだろうか。― ふと思う、本質的には、個性はあっても 相当に人間は共通に作られていて、多くの違いは 生い立ちや環境で相当に定められてきたと言えるのではないだろうか。― このことは 人間は誰でも同じようで、環境、生い立ちでそうなっていると思えば、相手の立場に思いを致し、全面的否定や絶対的な正義をかざすことを躊躇させるだろう。最近の世相は、全面的な否定と独善的な姿勢が目立ち、是か非、白黒の判断が多いのではないだろうか。
人間の社会は 実際は、そうは単純ではなく、微妙なバランスの上に成り立っていることに気を付けたい。
典型的な実例は 開発と自然環境の保護である。山地を開拓して美しい街を作ろうとすれば、永く続いてきた自然環境を破壊することになる。豊かな食生活を営もうと魚をとりすぎれば、魚の保護が難しく、勝手に振る舞えば、やがて魚は絶滅しかねない。 このような例はいたるところに有って、我々の存在の基本的な在ようの問題に繋がるだろう。
― 原罪とは何か。
我々個人の存在は 大河の中の一滴のようであるから、大きな流れには逆らえず、 多くは運命づけられていることを認め、受け入れざるを得ない。そこで、謙虚さを持って周辺に気遣い、できるだけ、大きな視野に立って、内なる世界と外なる世界の中で 調和のとれた存在でありたいと考える。
放し飼いになっている猫や犬をみる。人間の生き様も猫や犬と本質的には同じではないかと感じられる。いや雑草たちとも人間の在りようは本質的に同じようで、草木たち、動物たちの存在の方が逆に完全であるように見える。結局、人生、動物や植物たちと同じようであった となるだろう。
犬がよく通りをぼんやりと眺めている。人間も本質的には、そのような存在ではないだろうか。この世に生をうけて、結局は、ぼんやりと過ぎ去っていくだろう。

以 上

再生核研究所声明3652017.5.12目も眩むほど素晴らしい研究課題 ― ゼロ除算

(2017.5.11.4:45 頃 目を覚ましたら、突然表題とその構想が情念として湧いてきたので、そのまま 書き留めて置きたい。)
そもそもゼロ除算とは、ゼロで割る問題であるが、ゼロの発見者、算術の確立者が既に 当時、0/0=0としていたにも関わらず(Brahmagupta (598 - 668 ?). defined as $0/0=0$ in Brāhmasphuṭasiddhānta (628))、1300年以上もそれは間違いであるとして、現在に至っている。最近の知見によれば、それは 実は当たり前で、現代数学の初歩的な部分における大きな欠落で、現代数学の初歩部分は相当な修正、補充が要求されている。問題は、無限の彼方に対する概念が 無限と考えられていたのが 実はゼロであったとなり、ユークリッド幾何学の欠落部分が存在し、強力な不連続性が現れて、アリストテレスの世界観に反する世界が現れてきたことである。超古典的結果の修正、補完、新しい世界の出現である。
初等数学は 無限の概念や勾配が関係する部分で大きな変更が必要であり、2次曲線論ですら 修正が要求される。多くの物理学や数理科学に現れる公式において 分母がゼロのところで、新しい知見を探す、考えることができる。

ところで、数学とは何だろうかと問い、その中で、良い結果とは、

基本的であること、
美しいこと、
世の中に良い影響を与えること、


上記の観点で、想い出されるのは、ピタゴラスの定理、アインシュタインの公式、ニュートンの万有引力の公式や運動の法則、少し、高級であるが 神秘律 オイラーの公式 などである。
この観点で ゼロ除算の公式

1/0=0/0=z/0=0

を掲げれば、その初歩的な意味とともに 神秘的に深い意味 を知って、慄然とするのではないだろうか。それゆえにゼロ除算の研究は 世界史的な事件であり、世界観に大きな影響を与える。ゼロ除算は初等部分から 神秘律に至る雄大な研究分野であると言える。

探そうゼロ除算、究めようゼロ除算の意義。神の意思を追求しよう。

ゼロ除算は、中学生からはおろか、小学生にも分かって 楽しめる数学である。実際、道脇愛羽さん(当時6歳)は、ゼロ除算の発見後3週間くらいで、ゼロ除算は当たり前と理由を付けて、述べていた。他方、多くの大学教授は 1年を遥かに越えても、理解できず、誤解を繰り返している面白い数学である。世界の教科書、学術書は大きく変更されると考えられる。多くの人に理解され、影響を与える研究課題は、世に稀であると言える。

以 上

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