2017年2月2日木曜日

「CMは偏差値40の人にも理解できるようにする」 はあちゅうが電通の先輩に言われた言葉が物議 

「CMは偏差値40の人にも理解できるようにする」 はあちゅうが電通の先輩に言われた言葉が物議 

電通社員でブロガー・作家として人気のはあちゅうさん。1月30日に電通の先輩から聞いたという傲慢な「教え」をツイートし、炎上している。
「電通の先輩が、『CMは偏差値40の人にも理解できるものじゃなきゃダメ。この会社にいる時点で普通ではないと自覚しろ。世間にはおそるべき量のおそるべきバカがいる。そしてそれが日本の「普通の人」だ』って言ってたの、一番役に立ってる教えの一つだ」
「日本の普通の人は馬鹿だって言い切れる考えが怖いよね」

電通の就職倍率は100倍以上に上る。高倍率の選考を突破したエリート社員たちが彼らの基準でCM作りをしても、多くの人に届かないということなのだろう。
この投稿に対しては、ネット上で反発の声が続出することとなった。
「日本の普通の人は馬鹿だって言い切れる考えが怖いよね」
「電通ってろくでもない会社だな」
「電通はかわいそうな労働環境なので、働いているうちに馬鹿になってくのは仕方のないこと」
はあちゅうさんの先輩は確かに言葉が悪かったかも知れないが、こうした考え方は、メディアや広告代理店に勤務する人にとってはごく普通のことなのかもしれない。元NHKディレクターで、経済学者の池田信夫さんも過去に同様の書き込みをしていたことがある。
「私がNHKに勤務していたころ教わったのは、『典型的な視聴者は、50歳の専業主婦で高卒だと思え』ということだった」
「偏差値40」や「高卒」という表現が気に食わない人も多いかもしれない。ただ、やはりテレビ番組や広告は、不特定多数の人に届くように、誰でもわかりやすいものにしなければならない。そのことを端的に表しているのだろう。
ネット上にも、「はあちゅうが言ってるのは正しいだろ。偏差値60以上を狙うと全人口の1割しか市場がないんだよ。40以上でよければ9割が市場になる」と書き込む人がいた。
「偏差値40以上の人々はテレビを見るのをやめてしまったとさ」
一方で、多くの人に理解してもらおうと番組の水準を下げた結果、テレビ番組が面白くなくなっていると指摘する人もいた。
「偏差値40でも楽しめる番組を作り続けたテレビ局は、偏差値40以上の番組の作り方を忘れてしまい、偏差値40以上の人々はテレビを見るのをやめてしまったとさ」
「そこばかりにターゲットを絞っていった結果が、例えば『楽天ショップ』デザインとか『ひな段芸人とテロップなぞり/めくり』等の安易な番組の横行」
とはいえ、はあちゅうさんの真意は「偏差値」とは別のところにあるようだ。件のツイートに続けて、「高偏差値の人ほど自分と違う人を『バカ』といって切り捨てるけど、君たちがバカと見下し、相手にしない人も『普通の人』、普通はそれぞれに違う、普通なんて存在しない、って意味になってる」と投稿した。
「普通はそれぞれに違う」というところに真意があるにもかかわらず、あえて炎上しそうな「偏差値40」の部分を切り取って話題を作るとはさすがではある。はてなブックマークには
「さすがはあちゅう。そんじょそこらの炎上芸人とはわけが違う」
という投稿もあったが、筆者(編集部N)も大きく頷かざるをえなかった。はあちゅうさんの動向を引き続き注視していきたいところだ。
 
再生核研究所声明 502011.2.24):  日本における 民主主義の脆さ、危うさ
                     
民主主義は 衆愚政治に近いものであり(声明 33:民主主義と衆愚政治)、日本は既に衆愚政治の状態ではないか との危惧を表明している(声明 49:アジアの愚か者、アジアの野蛮性)。しからば、どうして、このような状態に至ったかを考察して、日本国の弱点を克服して、少しでも歴史を進化させるように努力したい。
はじめに、民主主義は 日本の国民性に合っておらず、本質的な問題を抱えていると言えるのではないだろうか。 先ず、大多数を占める一般庶民を見ると、

1)政治に興味が無い、関心が無い、政治に嫌気がさしている、政争を好まない、政治論争も嫌いである、あるいは政治に絶望している。
2)政治を語ると 変な偏った思想の持ち主であるかのように感じられる風土、文化、和の精神で、表に出さず、内緒に政治に関与したい。 みんなで連なっていたい文化背景を有しているように考えられる。
3)日本のあるべき形や、組織のあるべき姿など 真剣に考える余裕も無く、認識が、理解が薄いので、多分に感じやムード、評判などで、判断内容の質は 相当に悪く、あれも霞と民主主義 のレべル を越えているようには見えない。
4)公の選挙でも、地縁、など まるで、ある勢力の争いのような雰囲気で、政策や政治理念、政策以外で、選挙に参加するのは よく見られる情景である。多くの場合、社会を良くするには、国を良くするには の観点より、勢力争いに費やしている方が主になっている。
5)本質的な問題としては、日本では、個、個人が確立しておらず、ふらふら仲間のムードで動いている、生きている、意思表示しているような背景がある。
近年に見られる背景は、
1)真面目に社会や、国の在りようについて考える、時間的な、精神的な余裕が無い、国防や税の問題、経済、福祉など、難しすぎて、真面目に検討できない
2)政治社会は あまりにも大きな世界のために、個人の空しさを感じて、絶望的になってしまう。 諦めてしまう
3)醜い政争、あるいは公約違反などを見て、うんざりして、諦めてしまう、信じられる政党も、政治家も、人物もいない
などの理由で、政治に無関心な層が増加していると考えられる。
それらのために 投票しても、質が低く、変な投票結果すら、出していると考えられる。これこそ、衆愚政治に陥っている ということの、その背景ではないだろうか。
多くの人が政治に関心を持ち、日ごろ議論などして 高い見識を維持することは 不可能である。 そこで、言論界やマスコミなどが 建設的な意見や、あるべき姿について見識ある見解を表明して、多くの国民がそれらを参考にして、選択するというのが、民主主義のあるべき実体である、 実相であると考える。 そこで、マスコミや言論界がしっかりしていれば、民主主義は 国民が最終的な、総合的な判断をするという意味で、うまく機能すると、民主主義制度を高く評価できる。ところが、日本で重大な問題が起きていると危惧している。日本の言論界、マスコミが誠に低級で、偏っているという、判断である。そのために、国民は混乱させられ、政局は混乱し、全体として衆愚政治に陥っているという、判断である。
マスコミが 不偏不党、法と社会正義を守り、客観的な報道を行なうのは、当然であると考えられてきたが、公然と偏向報道を行い、法や道理を自ら破ぶっているように見える。 国家の在り様についての見識も、低級であると判断される。具体例を挙げると、検察が徹底的に調べて、不起訴処分を決定している者を、あたかも有罪判決を受けた者のように、大騒ぎさせて、日本の指導的な政治家を 政治的に抹殺しようとしている事実は 顕著ではないだろうか。推定無罪の原則など、法治国家の常識ではないだろうか。ようやく実現した政権交代を散々攻撃して、政権交代を空中分解させている。 健全にマスコミが機能していれば、このように混乱した状況は 起きなかったものと考えられ、誠に残念である。更に、国家の在るべき姿に対しても アジアに緊張を起こし、軍拡を煽り、アジアの愚か者を 扇動する浅ましさが目立つ。
更に信じられない事件は、検察の政治介入である。これには繰り返し述べてきたところであるが、公然と与党幹事長や首相になろうという人に 政治的な弾圧を加えていると理解されるということである。 これは、民主主義に対する官憲による政治介入に繋がるので、極めて重要な問題を含んでいる。 関係声明を参照して頂きたい:

再生核研究所声明 23: 秘書の逮捕、起訴事件における検察庁の対応と公正の原則
再生核研究所声明 30:  検察庁の暴走と民主主義の危機 - 広い視点
再生核研究所声明 31: 法の精神と - 罪と罰
再生核研究所声明 41: 世界史、大義、評価、神、最後の審判

マスコミも検察も終戦に当たって、大きな反省をした筈であるが、何を学習したのだろうか。 国民のレベルも戦前以下であり、日本国の民主主義に危うさ、危惧の念を抱いている。 それらは、平和の問題に直結している、日本国の大事であると考える。
                                    以 上

欧米では時間を越えて、真理・真実を追求しようとする文化がある(これは神の前に出るときには 清い心で望みたいという宗教が背後にあるように感じられる)のに比べて、日本には誤魔化したり、隠蔽したり、曖昧にする文化があることに深く根ざしているとも言える。 


小沢氏「既存メディア」不信? フリー記者らに積極露出

小沢氏だけでなく、多くの人が、日本のマスコミが、法を尊重せず、公正でもなく、不偏不党でもないとは感じておられると思います。
政治に関心のない・真面目な研究者が、日本のマスコミは外国誌のようだ、小沢氏をたたいている、おかしいと言っていたのは、日本の常識を言っていると思います。首相になろうという人に疑いをかけて、さんざん騒ぎ、政治家失脚のように追い詰めて、結局不起訴を決めた、検察の重大な過失、その事実だけで、検察の責任は、民主主義への本質的な挑戦ではないでしょうか。 
健全なマスコミならば、そのような経過を許さず、また検察の責任を追及するのが正義と法を守り、民主主義を守るマスコミの使命ではないでしょうか。 マスコミ・検察・政治家が団結して、小沢氏をいじめているように見えますね。 おかしな日本。 法も道理も義もないのかと怒りを覚えます。

何故マスコミは乗っ取られたのか?

何時の世にも宣伝は大事であり、権力者ばかりではなく、多くの人が、マスコミを利用しようとするのは、普遍的な事実ではないでしょうか。
そこで、そのような圧力に対して、社会正義や世界のための大きな視点を失って、圧力で動いていれば、それはマスコミの役割を放棄し、信頼を失い結局衰退するのではないでしょうか。 
いつでも信頼の上に成り立つものは世に多いですね。
マスコミは、公器なので、社会正義や不偏不党などの条件が有ると考えますが、アメリカ流の考えによれば、いまや電波や情報は広く拡散できますので、新聞社は、勝手に商業紙の様に自由に書いても良いという考え方があるようです。 ですから、新聞内容を丸呑みしないで、いろいろな情報と比較したりして 批判的・理解する態度が必要ではないでしょうか。
日本の新聞など、外国の圧力で書いているようなところが多く、商業紙のようで、論説記事なども批判的に見る態度が大事ではないでしょうか。 実際、日本のマスコミには、日本を衆愚政治に導いていて、法や道理を無視しているようなところがありますね。 小沢氏の問題などに顕著に現れていると思います。 検察が小沢氏の問題について、不起訴処分を決定したという、重い事実など無視して、政治と金などのキャンペーンを繰り返していますね。 検察の政治介入の巨悪を追及すべきところ、検察とマスコミの癒着では、マスコミの腐敗は深刻ではないでしょうか
平成暗黒時代の演出者として、やがて世界史の厳しい批判を受けるのではないでしょうか。

再生核研究所声明41(2010/06/10):世界史、大義、評価、神、最後の審判

日本のマスコミは、どの部分を改善したら、素晴らしくなるでしょうか

日本のマスコミについて、果たして自分たちの良心と社会正義観から、政治問題や防衛問題を 真面目に考えているようには見えず、外圧によって、偏向報道をやっているように思われ、報道の信頼が揺らいでいるのは根本的な問題ではないでしょうか。 
編集者の責任は、重大ではないでしょうか。
政治以外の文化面その他の多くの記事が素晴らしくても、大事な政治で偏向・社会正義について信頼を失えば、新聞全体の評価は、著しく下がるのは当然ですから、関係者が内部から、絶えず、社会正義を追求すべきでは。 特にいろいろな意見や反対意見を幅広く取り上げ、いろいろな視点から、幅広く読者が判断できるように、情報を提供すべきではないでしょうか。 
良い意見を広く採択でき、紹介するためには、編集者の高い能力と公正な判断能力が求められるのではないでしょうか。


GHQから「日本の将棋は取った相手の駒を自分の兵隊として使用するので、これは捕虜の虐待ではないか」と問われた升田は次のように反論する。
「冗談をいわれては困る。チェスで取った駒をつかわんのこそ、捕虜の虐殺である。そこへ行くと日本の将棋は、捕虜を虐待も虐殺もしない。常に全部の駒が生きておる。これは能力を尊重し、それぞれに仕事場を与えようという思想である。しかも敵から味方に移ってきても、金は金、飛車は飛車と元の官位のままで仕事をさせる。これこそ本当の民主主義ではないか」。チェスは取った駒を殺すが、これこそ捕虜の虐待ではないか。キングは危なくなるとクイーンを盾にしてまで逃げるが、これは貴殿の民主主義レディーファーストの思想に反するではないか」と反論した。
格好良すぎるぞ。升田幸三!

名人に香車を引いた男升田幸三自伝 (中公文庫) [文庫]
天野宗歩


日本の政党は「腐敗している」80%(独NGO調査)
「政治家信用せず」80%、17、18歳に政治家不信の傾向浮き彫り

国の借金1000兆円を突破 6月末時点
高学歴エリートが沢山いるのになんで財政難なんだよ?
 (;_; )( ;_;) シクシク・(-。-;)・(◎_◎)・(^_-)db(-_^) 指切りげんまん


自民が勝つ
民主が負ける
俺たちが笑う
日本が元気になる

それでおk 

惜しい 途中までは合ってるけど最後が少し間違ってる

自民が勝つ

民主が負ける

お前らが笑う

自民が日本を終わらす

お前らが騙されたと気づく 


五輪決定圧勝劇の裏 北朝鮮が「4票」に協力 - 東スポWeb
http://www.tokyo-sports.co.jp/nonsec/social/181725/

再生核研究所声明324(2016.10:01)  日本国民の初歩的な誤解―真相を知らされていない

日本人は間違った情報、真相を知らされず、勝手に誤解、日本の大事な状況を全然知らされずに日本の置かれている状況を判断していると危惧される。ここに述べる認識が間違っているならば、このような議論は大事だから、真相を追求して行くのは 大事ではないだろうか。
懸案の尖閣諸島問題と北朝鮮の拉致問題を取り上げたい。
尖閣諸島問題は、既に詳しく論じて来たので、表現は明瞭であると考える。中国の尖閣諸島周辺への出軍は道理であり、尖閣諸島の軍事占領すら、驚くに値しないということである。同じような状況に対して、サッチャー首相のフォークランド諸島への軍の派遣の実例が存在する:

尖閣諸島の国有化宣言をしてわざわざ緊張関係を日本が作っている。尖閣諸島問題は、阿吽の呼吸でうまくやっていたのに 日本がブチ壊した、それが最大の問題である。日本、中国その他の国々が領有権を主張している現実がある。また日中国交回復の際、その問題は棚上げして、仲良くしましょうとして仲良くしてきた。それを、相手の隙をみて、侮辱するような態度で、 一方的に領有権を宣言してしまった。このようなときは、サッチャー首相がしたように 軍事占領するのが 道理である。 政権交代期、直ぐに行動できなかった。さらに 中国は、おびき出して叩く考えを持つ者がいると 察していると考えられる。 アジアに内乱を起こして、漁夫の利を得ようと考える人は いつでもいるものである。 そこで、中国は困っていると考えられる。
なぜ尖閣諸島問題が起きたのか、相手の立場を考えるべきである。 少なくても 民主党政権前まで、大きな混乱が無かった事実は 大事ではないだろうか:

再生核研究所声明156(2014.5.1) 尖閣諸島、簡単な算数と 愚かで卑劣な日本国
再生核研究所声明153(2014.3.26) 日本国の危機 と 祖国救済の戦略
再生核研究所声明109(2013.2.8) 中国の出軍は、道理であり、日本の出軍は憲法違反である - 公正と法とは何か、おかしな日本のNHKと世相

拉致問題が進まなくなった直接の原因は、日本が北朝鮮との約束を守らず、約束を破ったのであるから、拉致問題は頓挫、進まないのが当然である。それなのに、拉致問題を解決したいなど言うことは、相当におかしな発言ではないだろうか。詳しい経過、分析、説明などは 良心的な政治家 加藤氏が詳しく述べられている:

20080707 北朝鮮拉致に対する加藤紘一の発言

上記2件は、こともあろうに 我が美しい日本国が と信じられないのではないだろうか。しかしながら、真相を知れば多くの人は 中国の尖閣諸島周辺に対する対応や、拉致問題の頓挫もよく理解できるのではないだろうか。日本に明確な非があるということである。大いに問題なのは、NHKを始め、日本のマスコミ、言論界が物事の本質を隠して、触れないで、独善的に自分たちの主張を宣伝し、相手国への批判の世相を作っていると考えられることである。

これらは、戦前、欧米批判を展開し、開戦に導いた体質そのものではないかと危惧される。

国民はマスコミや言論界の論調を批判的に見て、真実を求め、絶えず、日本国の在るべき姿を求めていきたい。独善的な精神は公正の原則に反する、世の秩序の根幹を崩すものであると考える。相手を批判するのは簡単である。己に非はないか、相手の立場に思いを致したい。

国民は殆ど盲目的に映像に感化され、まともな批判精神など存在しない、集団的な存在であると考えられる、世相の悪化は 概ね映像の影響だと評価しているが如何であろうか。映像を作り、流す者の責任は大きいと考えられる。お互いに、みんなで気を付けたい。より良い社会にするように志し、努力して行きたい。

以 上

再生核研究所声明318(2016.08.31) 映像の危険性 ― テレビの弊害

声明317 完成の折りに 2016.8.29.06:00 完成、公表、NHK の愚かさについての考えが湧いた。の考えの先を進めよう。 まず、3年前の声明を復習して置きたい:
再生核研究所声明109(2013.2.8) 中国の出軍は、道理であり、日本の出軍は憲法違反である - 公正と法とは何か、おかしな日本のNHKと世相:

― 趣旨:それで、尖閣諸島の領有権を巡って緊張関係が 続いている:
沢山の艦船が 永く尖閣諸島でにらみ合いを続ける可能性もある。西部戦線異状なし、十字軍遠征のように。日・中とも 艦船の派遣、警護などで 大変な出費が嵩み、さらに、両国の緊張関係で、経済的な損失は 甚大、島を買い上げた20数億円などの損失どころではない。 - 領有権問題の法則:勝っても、負けても、対峙しても、騒いでも損するだけ。得する人は 悪い政治屋、高級軍人、軍需産業、馬鹿騒ぎが好きなマスコミ関係者 くらいである。― 再生核研究所声明103

このような事態を憂慮して、一貫した考え方を発表してきた: 略
島の領有権問題には 慣習と総合的な意味での力の均衡が大事である。したがって、関与する国々の諒解と、和が決定的に大事である。しかるに、一方的に 安定していた諒解事項を破った日本に 非が有るのは歴然であり、権利保持の立場から、中国や台湾など領有権を主張する国々が 軍を派遣するのは道理であり、実際、そうしなければ 一方的に領土を失ったことになるから、いかなる国の政権も危ういことに成るだろう。 論理的には 軍事対立になるが、日本は憲法の精神で、国際紛争の解決のためには武力を行使しない、交戦権も放棄しているから、日本国憲法によって、日本軍が出動できないのは明らかである。さらに、軍備を増大させることも 憲法の精神に著しく反しているのは 明らかである。
どうして、このような奇妙な状況に追い込まれたのか。そもそも 日本国憲法の精神とは、世界の平和を希求して、和によって 世界の進化を図ろうとするところにあって、武力での考えを放棄したはず である。そのような高邁な精神に逆らって、 微妙な領土問題に 藪蛇的に侵略的行為を行い、国際関係を意図的に、軍事的にも緊張させているのは、世に驚くべき、不祥事である。しかるに総選挙の結果、最高責任者 野田首相の退陣は 当然としても、島問題に姑息で、陰気なちょっかいを出した石原氏など いわゆる右傾化勢力が拡大したのは、誠に遺憾である。
再生核研究所声明1において、社会の、国家の規範は 公正の原則に基づくべきだ としているが、日本の一方的な国有化宣言は 戦後体制や、安定していた諒解事項を破った侵略的な行為であり、日本国憲法の精神に著しく反していることを確認して置きたい。しかるに、NHK放送でも,世論も 中国の軍事増強の脅威や、領海侵犯などとして、繰り返し報道し、軍事的緊張を扇動しているのは、真実を歪めた、全くあべこべの実状であると批判せざるを得ない。日本が侵略的な行為に出たので、やむを得ず、軍を出しているのである。中国などの軍の出動は 当然である。― 常に逆の立場を考え、相手の立場に想いを致すは、 公正の原則の基本である。また、相手を知るは 軍略の基本であるはずである。― 逆に、中国の自制には、大いに敬意を表したい。アジアに緊張をもたらしても何も良いことが無いこと(再生核研究所声明 49: アジアの愚か者、アジアの野蛮性)を、日本以上に冷静に 高い見識と良識、自制心を以て 耐えていると見るべきである。今や国力ばかりではなく、世界の在りようについての見識においても、中国は、 集団的自衛権や、軍拡、憲法改正などを志向している 日本の見識を凌いでいるように見える。
実際、日本は実に、情けない。上記のような大それたことを アメリカの諒解も無く進められるはずもなく、アメリカ従属の姿勢を深め、軍事費の増大すら図っている。
EUや世界は進化しているのに、日本は東西冷戦時代や戦前のような 集団防衛構想など、全般的に古い時代を志向しているように見える。アメリカの傘の中での、国防安全を志向したり、いまさらの軍備増強の風潮である。日本は 高い文化力、経済力で、和の精神を基本に 平和憲法の精神で、世界に展開できると考える。世界は大きく開かれているのだから、優秀な人材を育成し、世界と世界史に誇れる日本国憲法の精神に回帰し、世界に貢献できる国家を志向しようではないか。(この声明はヨーロッパの田舎で暮らしている時に書かれたものであるが、感性に違いがあるだろうか? 少し事情も変わってきている?)。

百聞は一見にしかず の諺のように 映像の影響は大である。中国の出軍或いは尖閣の占領も驚くべきことでは 上記のようにないのに、その理由を明らかにせず、まるで一方的に 中国が侵略を企てているように 中国の戦艦や漁船の映像を流せば、中国の侵略と誤解し、世に保守化の影響を与え、実際,そのような世相になっていると考えられる。なぜ中国の漁船や戦艦が出没しているかの原因を隠して、表面的な映像を繰り返し報道しているのは、国民を欺き、真相を隠して、変な世相の素を作っていると考えざるを得ない。
なるほど、 平和,平和の貴さを訴える番組、戦争の悲惨さを訴える番組は多い。しかしながら、如何にしたら、どうしたら、平和な世界が築けるかの、どうしたら、具体的に平和な世界を築けるかの道を探らなければ、何のための 番組かと問われかねない。
現状に置ける平和運動全般についても、悲観的に見ざるを得ない。戦争反対、平和が大事は自明のことである。それらを求めて、運動するのは意味が無く、平和のためには具体的にどうすれば良いかの 具体的な問題を問題にすべきである。
何か日本の平和を脅かすのか、何か危険なのかを明らかにして、問題をしぼり、具体的に提案すべきである。 再生核研究所は下記のように提案している:

再生核研究所声明317(2016.08.29) 尖閣、竹島、北朝鮮のロケット問題についての提言:
みんな 賢くなって、仲良くし、EUのように、漢字圏 文化国家地域を築こう。
上記、島の扱いについては 関係国共同の管理区域と定め、基本的にその地域に立ち入りを禁じ、自然保護区域として運用しよう。 人間がそのような区域に立ち入らなければ、豊かな自然は 周辺に豊かな幸をもたらすだろう。
軍艦などを無粋にも美しい海に駆り出して、警戒したり、沢山兵器を購入したり、兵隊さんたちに無用な仕事をさせる必要のない、 最も賢明な在り様であると考える。 逆を考えれば、如何に愚かなことをしているかが 良く分かるだろう。
このような在り様に反対する者として、虚栄を張ったり、強がりを言ったりして、人気を得ようとしたり、自分の保身のために、人々を煽る悪い政治家が 民主体制国家では現れがちであるから、大いに警戒する必要がある。

北朝鮮のロケット発射の報道も大げさであり、わざわざ危機を煽っている状況が見える。
具体的には声明317を参照。
テレビが普及し始めた時代、テレビが総白痴化を招くとの危惧の念が起きたが、根本的にそのように危惧される要素はあり、映像は断片的,局所的,単細胞的である。扱いが軽薄に成りやすいので、映像を流すものはその影響など慎重に検討して、世相の軽薄化に陥らないように絶えず、自戒して精進して欲しい。討論番組などでも時間が限られ、薄っぺらな議論に成りがちであり、テレビの影響が大きいだけに、それだけ大きな役割について省察を深めて欲しい。番組の選択も大いに問題である。長々長時間放映が必要かと思われる番組も多いように感じられる。番組の内容などの検討ももちろん大事である。映像は虚像に成りやすく、人間は環境に影響されるから、映像を作るものも、見るものも大いに気を付けたい。
以 上

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