百鸡术:鸡在数学历史上的浓重一笔
鸡是常见的家禽,也是十二生肖之一。中国古代数学历史悠久,有很强的实用性,许多数学题来自生活实践,其中有不少题与鸡有关,例如人们熟知的“鸡兔同笼”问题。而在所有这些题中,最值得一说的其实是南北朝时期数学书——《张丘建算经》的最后一题。此题即是世界数学史上著名的“百鸡问题”,其影响贯穿古今中外。
《张丘建算经》中的百鸡问题
中国古代数学题中有很多与鸡有关。例如,南北朝时期的一本数学书——《张丘建算经》最后一题是世界数学史上著名的“百鸡问题”,其影响贯穿古今中外。其题为:
今有鸡翁一直钱五,鸡母一直钱三,鸡雏三直钱一。百钱买百鸡,问鸡翁、鸡母、鸡雏各几何?
宋刻本《张丘建算经》百鸡问题
这就是说公鸡5钱1只、母鸡3钱1只、小鸡1钱3只,现在100钱买100只鸡,求公鸡、母鸡、小鸡各几只。显然,如果设公、母、小鸡各为x、y、z只,那么这是一道三个未知数、两个方程的不定问题:
。但是,由于有了x、y、z都必须是自然数的约束条件,实际上只有有限组解。
《张丘建算经》给出了这道题的全部三组自然数解,分别是:其一,公鸡4只20钱、母鸡18只54钱、小鸡78只26钱;其二,公鸡8只40钱、母鸡11只33钱、小鸡81只27钱;其三,公鸡12只60钱、母鸡4只12钱、小鸡84只28钱。
《张丘建算经》接着给出的“术”表明了各组解之间的关系:
鸡翁每增四、鸡母每减七、鸡雏每益三,即得。
这就说公鸡每增加4个(即增加20钱),母鸡就要减去7个(即减少21钱),小鸡就要增加3个(即增加1钱)。这一增减关系也是正确的,但是仅凭此无法得到全部解。现代数学解答此类不定方程问题,需要先求得一组特解,而后依据解之间的增减关系求得全部解,其形式大概是
(t为自然数,x0,y0,z0为方程的一组特解)。因此,我们可以说《张丘建算经》给出了正确解答及其之间的增减关系,但却没有给出求特解和增减关系的方法。后世对此问题的探讨沿着改进算题、求特解和求增减关系三条路线进行。
算题的变种
北周时期甄鸾所撰的《数术记遗》记载了另外两道百鸡问题,只是把鸡价稍微改变。分别是:公鸡5文1只、母鸡4文1只、小鸡1文4只,以及公鸡4文1只、母鸡3文1只、小鸡1文4只,均百文买百鸡。甄鸾给出的答案不完整,也没有给出解法,认为这种题只需要心算就可以了,“即舍数术,宜从心计”。
南宋的杨辉在《续古摘奇算法》中又搜集了两道百鸡类问题,不仅价格改变,而且物品种类也发生了变化。一题引《辩古通源》说温柑7文1只、绿橘3文1只、匾橘1文3只,百文买橘百只;一题说醇酒7贯1斗、行酒3贯1斗、醨酒1贯3斗,十贯买酒十斗。因为是三个未知数连动求解,杨辉认为此类问题是“三率分身”,后世称为“三色差分”。
明代中期吴敬在《九章算法比类大全》((1450年))中记载了一道类似的问题:“九文买个桃,二文买个梨,一文六个杏。百文买百枚。”程大位《算法统综》(1592年)对原百鸡问题稍加修改:“今有千文买百鸡,五十雄价不差池。草鸡每个三十足,小者十文三个只。”程氏还给出两道有三个和四个未知数的算题,分别是:“今有钱五十五两五钱,共买铜、锡、铁八万三千零五十…每银一钱买铜一百三十两,每银一钱买锡一百五十两,每银一钱买铁一百五十两”;“今有绫、罗、纱、绢一百六十尺,共价九十三两。绫每尺价九钱,罗每尺价七钱,纱每尺价五钱,绢每尺价三钱。”
现代学者李继闵(1938-1993)注意到上述时期的算题往往都有“百钱买百鸡,鸡母若干钱一只、鸡雏一钱若干只”的特点,把这一时期称为“百鸡术的古典时期”。
解法的演进
最早给出《张丘建算经》百鸡问题求特解方法的是唐宋之际的学者谢察微。他说考虑到小鸡1钱3只,那么把100÷9得到11余1,11就是母鸡数。第二步用9减去余数1,得到8为公鸡数。第三步100-11-8=81为小鸡数。最后依据增减率得到其他解答。合理化这种解法,大概可以说是先取100钱的三分之一33钱为母鸡价,除以3得到母鸡数。不过第二、第三步无论如何是说不过去的。谢氏的做法可以说是不切实际的算法浪漫主义。南宋杨辉沿用并改进了这种方法,先用试算的方法确定一个未知数,然后求得另两个未知数。其后吴敬、程大位等人解法都是沿用杨辉的思路。
明嘉靖三年(1524年),布衣数学家王文素完成《算学宝鉴》,对百鸡术有较大的推进。他的解法相当于先消去一个未知数,化为二元一次不定方程,然后通过试算求得一组解。王文素进而通过鸡值损益给出增减关系的正确算法。除此之外,王文素不满足“三率分身”,探讨了最高达七个未知数两个方程的“众率分身”的问题。虽然其算法仍然具有试算的性质,但王氏对百鸡问题的研究已经远超古人。为此,他得意地说:“愚乃玩之既久,得此拙法。虽十率以上亦可求之,岂止三率乎!”
布衣数学家王文素雕像
清乾嘉年间,百鸡术获得了进一步突破。中国古代一次不定分析的形式主要有三:第一,百鸡问题的三元一次方程组;第二,历法调日法求强弱之术中二元一次方程;第三,《孙子算经》“物不知数”和历法求上元积年的一次同余方程组。从现代数学角度看,三者是相通的。不过在历史上认识到三者的关联却非易事。南宋秦九韶在《数书九章》(1247年)用大衍术解决了求同余方程组的问题,被世人称为“中国剩余定理”。李锐最先在《日法朔余强弱考》(1799年)中把调日法求强弱之术转化为同余方程问题。骆腾凤继而在《艺游录》(1815年)中也把百鸡问题转化为同余方程问题,用剩余定理求得一组特解,最后根据增减关系求得全部解答。由此,百鸡问题可以说获得了通解。
清末丁取忠《数学拾遗》(1851年)先设一物为零,继而求解。受此影响,时日醇《百鸡术衍》(1861年)对百鸡问题进行了极致的探讨。时氏全书共28问,每一问给出两种解法。一种解法是对杨辉、程大位、丁取忠等人三色差分术的发展;另一种解法则把百鸡问题转化为同余问题求解,实际与骆腾凤相同。
1859年李善兰翻译了棣莫甘的《代数学》,现代代数方法开始为中国学者所熟悉。1876年知弥出版《一次不定方程解法》,是中国现代数论的先驱。此后,又有何维槔《百鸡术演代》、陈贤佑《增补百鸡术衍》(1899年)、陈志坚《演无定方程》(1904年)、张世尧《无定方程细草》(1910年)和《百鸡演代》(1911年)等相关著作,对百鸡问题的探讨逐渐融入现代数学。
中外交流
值得一提的是,百鸡问题可视为中外数学交流的典范。印度、阿拉伯数学中都有一次不定问题。1202年,意大利数学家斐波那契在《计算之书》(Liber Abaci)中给出了一道“30钱买30鸟”的问题。其解法是用“合金法”,即相当于把1只公鸡和5只小鸡组合为6钱6鸡,把1只母鸡和3只小鸡组合为4钱4鸡,进而配比求解。这种解法思路与中国传统算法并不相同。不过,我们在清初李长茂所著的《算海说详》中看到了类似的思路。明末,西方传教士来华。李之藻与利玛窦合作编译《同文算指》(1614年),其中涉及到多道百鸡类问题。其解法是通过未知数的比率关系来求解不定方程,而不考虑其答数需要整数。这一做法也非中国传统思路。
西方学者Ulrich Libbrech和Jens Høyrup认为,古代世界数学的交流,往往只是传播算题,而非算法。这一看法很有道理。通过丝绸之路,一个数学问题往往容易以趣题或谜语的形式从一处传播到另一处,但是根植于整个数学系统的算法却不易理解和传播。因此,当地人往往会创造出足够的方法来解答传入的数学问题。百鸡问题大概就是这么一种情况。古代世界还常有一种“买马问题”。Jens教授认为柏拉图《理想国》(Republic)中似乎隐含有三人买马的问题;在丢番图《算术》(Arithmetic)中无疑已经有了此类问题。另一方面,类似的算题和算法也出现在中国古代数学经典——《九章算术》之中。
《张丘建算经》百鸡问题的解算主旨未明似是一种遗憾,但正是对其算法原意的探求,导致后世百鸡术之研究绵垣不断,众多奇异算法精彩叠现。一道数学趣题最终成为世界数学史上的华采篇章。作者朱一文,上海交通大学科学技术史硕士(硕士论文:《百鸡术的历史研究》),中国科学院自然科学史研究所科学技术史博士,法国国家科研中心博士后,中山大学哲学系讲师,主要研究数学史与象棋文化。文章观点不代表主办机构立场。
数学の歴史は古い:大変興味深く読みました。
再生核研究所声明306(2016.06.21) 平行線公理、非ユークリッド幾何学、そしてゼロ除算
表題について、山間部を散歩している折り新鮮な感覚で、想いが湧いて来た。新しい幾何学の発見で、ボーヤイ・ヤーノシュが父に言われた 平行線の公理を証明できたら、地球の大きさ程のダイヤモンドほどの値打ちがあると言われて、敢然と証明に取り掛かった姿とその帰結である。また、ユークリッドが海岸を散歩しながら幾何学を建設していく情景が鮮やかに想い出された(Liwanovaの『新しい幾何学の発見』(のちに『ロバチェフスキーの世界』と改題)(東京図書刊行)。この件、既に声明に述べているので、まずは確認したい:
再生核研究所声明292(2016.03.25) ユークリッド幾何学、非ユークリッド幾何学、平行線公理、そしてゼロ除算(2016.3.23 朝、目を覚まして、情念と構想が閃いたものである。)
まず基本語をウイキペデアで確認して置こう:
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A8%E3%82%A6%E3%82%AF%E3%83%AC%E3%82%A4%E3%83%87%E3%82%B9
アレクサンドリアのエウクレイデス(古代ギリシャ語: Εὐκλείδης, Eukleídēs、ラテン語: Euclīdēs、英語: Euclid(ユークリッド)、紀元前3世紀? - )は、古代ギリシアの数学者、天文学者とされる。数学史上最も重要な著作の1つ『原論』(ユークリッド原論)の著者であり、「幾何学の父」と称される。プトレマイオス1世治世下(紀元前323年-283年)のアレクサンドリアで活動した。『原論』は19世紀末から20世紀初頭まで数学(特に幾何学)の教科書として使われ続けた。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%9D%9E%E3%83%A6%E3%83%BC%E3%82%AF%E3%83%AA%E3%83%83%E3%83%89%E5%
非ユークリッド幾何学の成立: ニコライ・イワノビッチ・ロバチェフスキーは「幾何学の新原理並びに平行線の完全な理論」(1829年)において、「虚幾何学」と名付けられた幾何学を構成して見せた。これは、鋭角仮定を含む幾何学であった。ボーヤイ・ヤーノシュは父・ボーヤイ・ファルカシュの研究を引き継いで、1832年、「空間論」を出版した。「空間論」では、平行線公準を仮定した幾何学(Σ)、および平行線公準の否定を仮定した幾何学(S)を論じた。更に、1835年「ユークリッド第 11 公準を証明または反駁することの不可能性の証明」において、Σ と S のどちらが現実に成立するかは、如何なる論理的推論によっても決定されないと証明した。
ユークリッド幾何学は 2000年を超えて数学及び論理と あらゆる科学の記述の基礎になってきた。その幾何学を支える平行線の公理については、非ユークリッド幾何学の成立過程で徹底的に検討、議論され、逆に 平行線の公理がユークリッド幾何学の特徴的な仮定(仮説)で証明できない公理であることが明らかにされた。それとともに 数学とは何かに対する認識が根本的に変わり、数学とは公理系(仮説系)の上に建設された理論体系であって、絶対的な真理という概念を失った。
ここで焦点を当てたいのは 平行線の概念である。ユークリッド幾何学における平行線とは 任意の直線に対して、直線上以外の点を通って、それと交わらない直線のことで、平行線がただ1つ存在するというのがユークリッドの公理である。非ユークリッド幾何学では、そのような平行線が全然存在しなかったり、沢山存在する幾何学になっており、そのような幾何学は 実在し、現在も盛んに利用されている。
この平行線の問題が、ゼロ除算の発見1/0=0、台頭によって 驚嘆すべき、形相を帯びてきた。
ユークリッド自身、また、非ユークリッド幾何学の上記発見者たち、それに自ら深い研究をしていた天才ガウスにとっても驚嘆すべき事件であると考えられる。
何と ユークリッド空間で 平行線は ある意味で全て原点で交わっている という、現象が明らかにされた。
もちろん、ここで交わっていることの意味を 従来の意味にとれば、馬鹿馬鹿しいことになる。
そこで、その意味をまず、正確に述べよう。まずは、 イメージから述べる。リーマン球面に立体射影させると 全ユークリッド平面は 球面から北極点を除いた球面上に一対一に写される。そのとき、球面の北極点に対応する点が平面上になく、想像上の点として無限遠点を付け加えて対応させれば、立体射影における円、円対応を考えれば、平面上の平行線は無限遠点で交わっているとして、すっきりと説明され、複素解析学における基本的な世界観を与えている。平行線は無限遠点で 角ゼロ(度)で交わっている(接している)も立体射影における等角性で保証される。あまりの美しさのため、100年を超えて疑われることはなく、世の全ての文献はそのような扱いになっていて数学界の定説である。
ところがゼロ除算1/0=0では 無限遠点は空間の想像上の点として、存在していても、その点、無限遠点は数値では ゼロ(原点)に対応していることが明らかにされた。 すなわち、北極(無限遠点)は南極(原点)と一致している。そのために、平行線は原点で交わっていると解釈できる。もちろん、全ての直線は原点を通っている。
この現象はユークリッド空間の考えを改めるもので、このような性質は解析幾何学、微積分学、複素解析学、物理学など広範に影響を与え、統一的に新しい秩序ある世界を構成していることが明らかにされた。2200年を超えて、ユークリッド幾何学に全く新しい局面が現れたと言える。
平行線の交わりを考えてみる。交わる異なる2直線を1次方程式で書いて、交点の座標を求めて置く。その座標は、平行のとき、分母がゼロになって、交点の座標が求まらないと従来ではなっていたが、ゼロ除算では、それは可能で、原点(0,0)が対応すると解釈できる。ゼロ除算と解析幾何学からの帰結である。上記幾何学的な説明が、ゼロ除算で解析幾何学的にも導かれる。
一般の円の方程式を2次関数で表現すれば、(x^2+y^2) の係数がゼロの場合、直線の一般式になるが、ゼロ除算を用いると、それが保証されるばかりか、直線の中心は 原点である、直線も点円も曲率がゼロであることが導かれる。もちろん、ゼロ除算の世界では、全ての直線は原点を通っている。このとき、原点を無限遠点の映った影ともみなせ、原点はこのような意味で もともとの原点とこの意味での点としての、2重性を有し、この概念は今後大きな意味を有することになるだろう。
ゼロ除算1/0=0は ユークリッド幾何学においても、大きな変革を求めている。
以上
上記で、数学的に大事な観点は、ユークリッド自身そうであったが、平行線公理は真理で、証明されるべきもの、幾何学は絶対的な真理であると非ユークリッド幾何学の出現まで、考えられてきたということである。2000年を超える世界観であった事実である。そこで、平行線の公理を証明しようと多くの人が挑戦してきたが、非ユークリッド幾何学の出現まで不可能であった。実は、証明できない命題であったという全く意外な帰結であった。真に新しい、概念、世界観であった。証明できない命題の存在である。それこそ、世界観を変える、驚嘆すべき世界史上の事件であったと言える。
この事件に関してゼロ除算の発見は、全く異なる世界観を明らかにしている。ユークリッドそして、非ユークリッド幾何学の3人の発見者にとって、全く想像ができなかった、新しい事実である。平行線が 無限の先で交わっているとは ユークリッドは考えなかったと思われるが、近代では、無限の先で交わっていると考えられて来ている。― これには、アーベル、オイラー、リーマンなどの考えが存在する。このような考えは、ここ100年以上、世界の常識、定説になっている。ところがゼロ除算では、無限遠点は 数ではゼロが対応していて、平行線は代数的に原点で交わっている、すべての直線は代数的に原点を通っているという解釈が成り立つことを示している。
ユークリッドの幾何学の建設時の想い、ボーヤイ・ヤーノシュの激しい挑戦の様を、 想い を 深く、いろいろ想像している。
以 上
Matrices and Division by Zero z/0 = 0
表題について、山間部を散歩している折り新鮮な感覚で、想いが湧いて来た。新しい幾何学の発見で、ボーヤイ・ヤーノシュが父に言われた 平行線の公理を証明できたら、地球の大きさ程のダイヤモンドほどの値打ちがあると言われて、敢然と証明に取り掛かった姿とその帰結である。また、ユークリッドが海岸を散歩しながら幾何学を建設していく情景が鮮やかに想い出された(Liwanovaの『新しい幾何学の発見』(のちに『ロバチェフスキーの世界』と改題)(東京図書刊行)。この件、既に声明に述べているので、まずは確認したい:
再生核研究所声明292(2016.03.25) ユークリッド幾何学、非ユークリッド幾何学、平行線公理、そしてゼロ除算(2016.3.23 朝、目を覚まして、情念と構想が閃いたものである。)
まず基本語をウイキペデアで確認して置こう:
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A8%E3%82%A6%E3%82%AF%E3%83%AC%E3%82%A4%E3%83%87%E3%82%B9
アレクサンドリアのエウクレイデス(古代ギリシャ語: Εὐκλείδης, Eukleídēs、ラテン語: Euclīdēs、英語: Euclid(ユークリッド)、紀元前3世紀? - )は、古代ギリシアの数学者、天文学者とされる。数学史上最も重要な著作の1つ『原論』(ユークリッド原論)の著者であり、「幾何学の父」と称される。プトレマイオス1世治世下(紀元前323年-283年)のアレクサンドリアで活動した。『原論』は19世紀末から20世紀初頭まで数学(特に幾何学)の教科書として使われ続けた。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%9D%9E%E3%83%A6%E3%83%BC%E3%82%AF%E3%83%AA%E3%83%83%E3%83%89%E5%
非ユークリッド幾何学の成立: ニコライ・イワノビッチ・ロバチェフスキーは「幾何学の新原理並びに平行線の完全な理論」(1829年)において、「虚幾何学」と名付けられた幾何学を構成して見せた。これは、鋭角仮定を含む幾何学であった。ボーヤイ・ヤーノシュは父・ボーヤイ・ファルカシュの研究を引き継いで、1832年、「空間論」を出版した。「空間論」では、平行線公準を仮定した幾何学(Σ)、および平行線公準の否定を仮定した幾何学(S)を論じた。更に、1835年「ユークリッド第 11 公準を証明または反駁することの不可能性の証明」において、Σ と S のどちらが現実に成立するかは、如何なる論理的推論によっても決定されないと証明した。
ユークリッド幾何学は 2000年を超えて数学及び論理と あらゆる科学の記述の基礎になってきた。その幾何学を支える平行線の公理については、非ユークリッド幾何学の成立過程で徹底的に検討、議論され、逆に 平行線の公理がユークリッド幾何学の特徴的な仮定(仮説)で証明できない公理であることが明らかにされた。それとともに 数学とは何かに対する認識が根本的に変わり、数学とは公理系(仮説系)の上に建設された理論体系であって、絶対的な真理という概念を失った。
ここで焦点を当てたいのは 平行線の概念である。ユークリッド幾何学における平行線とは 任意の直線に対して、直線上以外の点を通って、それと交わらない直線のことで、平行線がただ1つ存在するというのがユークリッドの公理である。非ユークリッド幾何学では、そのような平行線が全然存在しなかったり、沢山存在する幾何学になっており、そのような幾何学は 実在し、現在も盛んに利用されている。
この平行線の問題が、ゼロ除算の発見1/0=0、台頭によって 驚嘆すべき、形相を帯びてきた。
ユークリッド自身、また、非ユークリッド幾何学の上記発見者たち、それに自ら深い研究をしていた天才ガウスにとっても驚嘆すべき事件であると考えられる。
何と ユークリッド空間で 平行線は ある意味で全て原点で交わっている という、現象が明らかにされた。
もちろん、ここで交わっていることの意味を 従来の意味にとれば、馬鹿馬鹿しいことになる。
そこで、その意味をまず、正確に述べよう。まずは、 イメージから述べる。リーマン球面に立体射影させると 全ユークリッド平面は 球面から北極点を除いた球面上に一対一に写される。そのとき、球面の北極点に対応する点が平面上になく、想像上の点として無限遠点を付け加えて対応させれば、立体射影における円、円対応を考えれば、平面上の平行線は無限遠点で交わっているとして、すっきりと説明され、複素解析学における基本的な世界観を与えている。平行線は無限遠点で 角ゼロ(度)で交わっている(接している)も立体射影における等角性で保証される。あまりの美しさのため、100年を超えて疑われることはなく、世の全ての文献はそのような扱いになっていて数学界の定説である。
ところがゼロ除算1/0=0では 無限遠点は空間の想像上の点として、存在していても、その点、無限遠点は数値では ゼロ(原点)に対応していることが明らかにされた。 すなわち、北極(無限遠点)は南極(原点)と一致している。そのために、平行線は原点で交わっていると解釈できる。もちろん、全ての直線は原点を通っている。
この現象はユークリッド空間の考えを改めるもので、このような性質は解析幾何学、微積分学、複素解析学、物理学など広範に影響を与え、統一的に新しい秩序ある世界を構成していることが明らかにされた。2200年を超えて、ユークリッド幾何学に全く新しい局面が現れたと言える。
平行線の交わりを考えてみる。交わる異なる2直線を1次方程式で書いて、交点の座標を求めて置く。その座標は、平行のとき、分母がゼロになって、交点の座標が求まらないと従来ではなっていたが、ゼロ除算では、それは可能で、原点(0,0)が対応すると解釈できる。ゼロ除算と解析幾何学からの帰結である。上記幾何学的な説明が、ゼロ除算で解析幾何学的にも導かれる。
一般の円の方程式を2次関数で表現すれば、(x^2+y^2) の係数がゼロの場合、直線の一般式になるが、ゼロ除算を用いると、それが保証されるばかりか、直線の中心は 原点である、直線も点円も曲率がゼロであることが導かれる。もちろん、ゼロ除算の世界では、全ての直線は原点を通っている。このとき、原点を無限遠点の映った影ともみなせ、原点はこのような意味で もともとの原点とこの意味での点としての、2重性を有し、この概念は今後大きな意味を有することになるだろう。
ゼロ除算1/0=0は ユークリッド幾何学においても、大きな変革を求めている。
以上
上記で、数学的に大事な観点は、ユークリッド自身そうであったが、平行線公理は真理で、証明されるべきもの、幾何学は絶対的な真理であると非ユークリッド幾何学の出現まで、考えられてきたということである。2000年を超える世界観であった事実である。そこで、平行線の公理を証明しようと多くの人が挑戦してきたが、非ユークリッド幾何学の出現まで不可能であった。実は、証明できない命題であったという全く意外な帰結であった。真に新しい、概念、世界観であった。証明できない命題の存在である。それこそ、世界観を変える、驚嘆すべき世界史上の事件であったと言える。
この事件に関してゼロ除算の発見は、全く異なる世界観を明らかにしている。ユークリッドそして、非ユークリッド幾何学の3人の発見者にとって、全く想像ができなかった、新しい事実である。平行線が 無限の先で交わっているとは ユークリッドは考えなかったと思われるが、近代では、無限の先で交わっていると考えられて来ている。― これには、アーベル、オイラー、リーマンなどの考えが存在する。このような考えは、ここ100年以上、世界の常識、定説になっている。ところがゼロ除算では、無限遠点は 数ではゼロが対応していて、平行線は代数的に原点で交わっている、すべての直線は代数的に原点を通っているという解釈が成り立つことを示している。
ユークリッドの幾何学の建設時の想い、ボーヤイ・ヤーノシュの激しい挑戦の様を、 想い を 深く、いろいろ想像している。
以 上
Matrices and Division by Zero z/0 = 0
再生核研究所声明316(2016.08.19) ゼロ除算における誤解
(2016年8月16日夜,風呂で、ゼロ除算の理解の遅れについて 理由を纏める考えが独りでに湧いた。)
6歳の道脇愛羽さんたち親娘が3週間くらいで ゼロ除算は自明であるとの理解を示したのに、近い人や指導的な数学者たちが1年や2年を経過してもスッキリ理解できない状況は 世にも稀なる事件であると考えられる。ゼロ除算の理解を進めるために その原因について、掘り下げて纏めて置きたい。
まず、結果を聞いて、とても信じられないと発想する人は極めて多い。割り算の意味を自然に拡張すると1/0=0/0=z/0 となる、関数y=1/xの原点における値がゼロであると結果を表現するのであるが、これらは信じられない、このような結果はダメだと始めから拒否する理由である。
先ずは、ゼロでは割れない、割ったことがない、は全ての人の経験で、ゼロの記録Brahmagupta(598– 668?) 以来の定説である。しかも、ゼロ除算について天才、オイラーの1/0を無限大とする間違いや、不可能性についてはライプニッツ、ハルナックなどの言明があり、厳格な近代数学において確立した定説である。さらに、ゼロ除算についてはアインシュタインが最も深く受け止めていたと言える:(George Gamow (1904-1968) Russian-born American nuclear physicist and cosmologist remarked that "it is well known to students of high school algebra" that division by zero is not valid; and Einstein admitted it as {\bf the biggest blunder of his life} :Gamow, G., My World Line (Viking, New York). p 44, 1970.)。
一様に思われるのは、割り算は掛け算の逆であり、直ぐに不可能性が証明されてしまうことである。ところが、上記道脇親娘は 割り算と掛け算は別であり、割り算は、等分の考えから、掛け算ではなく、引き算の繰り返し、除算で定義されるという、考えで、このような発想から良き理解に達したと言える。
ゼロで割ったためしがないので、ゼロ除算は興味も、関心もないと言明される人も多い。
また、割り算の(分数の)拡張として得られた。この意味は結構難しく、何と、1/0=0/0=z/0 の正確な意味は分からないというのが 真実である。論文ではこの辺の記述は大事なので、注意して書いているが 真面目に論文を読む者は多いとは言えないないから、とんでもない誤解をして、矛盾だと言ってきている。1/0=0/0=z/0 らが、普通の分数のように掛け算に結びつけると矛盾は直ぐに得られてしまう。したがって、定義された経緯、意味を正確に理解するのが 大事である。数学では、定義をしっかりさせる事は基本である。― ゼロ除算について、情熱をかけて研究している者で、ゼロ除算の定義をしっかりさせないで混乱している者が多い。
次に関数y=1/xの原点における値がゼロである は 実は定義であるが、それについて、面白い見解は世に多い。アリストテレス(Aristotelēs、前384年 - 前322年3月7日)の世界観の強い影響である。ゼロ除算の歴史を詳しく調べている研究者の意見では、ゼロ除算を初めて考えたのはアリストテレスで真空、ゼロの比を考え、それは考えられないとしているという。ゼロ除算の不可能性を述べ、アリストテレスは 真空、ゼロと無限の存在を嫌い、物理的な世界は連続であると考えたという。西欧では アリストテレスの影響は大きく、聖書にも反映し、ゼロ除算ばかりではなく、ゼロ自身も受け入れるのに1000年以上もかかったという、歴史解説書がある。ゼロ除算について、始めから国際的に議論しているが、ゼロ除算について異様な様子の背景にはこのようなところにあると考えられる。関数y=1/xの原点における値が無限に行くと考えるのは自然であるが、それがx=0で突然ゼロであるという、強力な不連続性が、感覚的に受け入れられない状況である。解析学における基本概念は 極限の概念であり、連続性の概念である。ゼロ除算は新規な現象であり、なかなか受け入れられない。
ゼロ除算について初期から交流、意見を交わしてきた20年来の友人との交流から、極めて基本的な誤解がある事が、2年半を越えて判明した。勿論、繰り返して述べてきたことである。ゼロ除算の運用、応用についての注意である。
具体例で注意したい。例えば簡単な関数 y=x/(x -1) において x=1 の値は 形式的にそれを代入して 1/0=0 と考えがちであるが、そのような考えは良くなく、y = 1 + 1/(x -1) からx=1 の値は1であると考える。関数にゼロ除算を適用するときは注意が必要で、ゼロ除算算法に従う必要があるということである。分子がゼロでなくて、分母がゼロである場合でも意味のある広い世界が現れてきた。現在、ゼロ除算算法は広い分野で意味のある算法を提起しているが、詳しい解説はここでは述べないことにしたい。注意だけを指摘して置きたい。
ゼロ除算は アリストテレス以来、あるいは西暦628年インドにおけるゼロの記録と、算術の確立以来、またアインシュタインの人生最大の懸案の問題とされてきた、ゼロで割る問題 ゼロ除算は、本質的に新しい局面を迎え、数学における基礎的な部分の欠落が明瞭になってきた。ここ70年を越えても教科書や学術書における数学の基礎的な部分の変更は かつて無かった事である。と述べ、大きな数学の改革を提案している:
再生核研究所声明312(2016.07.14) ゼロ除算による 平成の数学改革を提案する
以 上
再生核研究所声明353(2017.2.2) ゼロ除算 記念日
2014.2.2 に 一般の方から100/0 の意味を問われていた頃、偶然に執筆中の論文原稿にそれがゼロとなっているのを発見した。直ぐに結果に驚いて友人にメールしたり、同僚に話した。それ以来、ちょうど3年、相当詳しい記録と経過が記録されている。重要なものは再生核研究所声明として英文と和文で公表されている。最初のものは
再生核研究所声明 148(2014.2.12): 100/0=0, 0/0=0 - 割り算の考えを自然に拡張すると ― 神の意志
で、最新のは
Announcement 352 (2017.2.2): On the third birthday of the division by zero z/0=0
である。
アリストテレス、ブラーマグプタ、ニュートン、オイラー、アインシュタインなどが深く関与する ゼロ除算の神秘的な永い歴史上の発見であるから、その日をゼロ除算記念日として定めて、世界史を進化させる決意の日としたい。ゼロ除算は、ユークリッド幾何学の変更といわゆるリーマン球面の無限遠点の考え方の変更を求めている。― 実際、ゼロ除算の歴史は人類の闘争の歴史と共に 人類の愚かさの象徴であるとしている。
心すべき要点を纏めて置きたい。
1) ゼロの明確な発見と算術の確立者Brahmagupta (598 - 668 ?) は 既にそこで、0/0=0 と定義していたにも関わらず、言わば創業者の深い考察を理解できず、それは間違いであるとして、1300年以上も間違いを繰り返してきた。
2) 予断と偏見、慣習、習慣、思い込み、権威に盲従する人間の精神の弱さ、愚かさを自戒したい。我々は何時もそのように囚われていて、虚像を見ていると 真智を愛する心を大事にして行きたい。絶えず、それは真かと 問うていかなければならない。
3) ピタゴラス派では 無理数の発見をしていたが、なんと、無理数の存在は自分たちの世界観に合わないからという理由で、― その発見は都合が悪いので ― 、弟子を処刑にしてしまったという。真智への愛より、面子、権力争い、勢力争い、利害が大事という人間の浅ましさの典型的な例である。
4) この辺は、2000年以上も前に、既に世の聖人、賢人が諭されてきたのに いまだ人間は生物の本能レベルを越えておらず、愚かな世界史を続けている。人間が人間として生きる意義は 真智への愛にある と言える。
5) いわば創業者の偉大な精神が正確に、上手く伝えられず、ピタゴラス派のような対応をとっているのは、本末転倒で、そのようなことが世に溢れていると警戒していきたい。本来あるべきものが逆になっていて、社会をおかしくしている。
6) ゼロ除算の発見記念日に 繰り返し、人類の愚かさを反省して、明るい世界史を切り拓いて行きたい。
以 上
追記:
The division by zero is uniquely and reasonably determined as 1/0=0/0=z/0=0 in the natural extensions of fractions. We have to change our basic ideas for our space and world:
Division by Zero z/0 = 0 in Euclidean Spaces
Hiroshi Michiwaki, Hiroshi Okumura and Saburou Saitoh
International Journal of Mathematics and Computation Vol. 28(2017); Issue 1, 2017), 1-16.
http://www.scirp.org/journal/alamt http://dx.doi.org/10.4236/alamt.2016.62007
http://www.ijapm.org/show-63-504-1.html
http://www.diogenes.bg/ijam/contents/2014-27-2/9/9.pdf
http://www.ijapm.org/show-63-504-1.html
http://www.diogenes.bg/ijam/contents/2014-27-2/9/9.pdf
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