「コロンブスの卵」と「ブルネレスキの卵」
「コロンブスの卵」
日本人がよく耳にする「コロンブスの卵」(Columbus's Egg)は、欧米人にとってはあまり耳慣れない言葉らしい。
*以下に「現代英語教育」(大修館:1993年5月号)という本に鈴木 哲 氏(当時、伊藤機工株式会社に勤務)が寄稿された「Columbus's Eggの秘密」から一部を抜粋、加筆して紹介しています。(2004.09.02追加)
1.「Columbus's Egg」の収録について
「Columbus's Egg」という英語表現は、「Brewer's Dictionary of Phrase and Fable」のほかにも「The Facts On
File Encyclopedia of Word and Phrase Origins」に見ることができる。しかし、以外にもこの2種類のほかには
「Columbus's Egg」はいかなる大冊の英米辞書にも見出すことができなかった。
32種類の主要辞書を挙げ、このような慣用表現がどの辞書に収録されているかを示す「Idioms & Phrases
Index」も、先のBrewer'sのみを示すにとどまっている。
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2.「コロンブスの卵」の収録について
一方、日本語の「コロンブスの卵」は、わずか2万3千語収録の福武書店(現 ベネッセ コーポレーション)「チャ
レンジ小学国語辞典」をはじめとする児童用国語辞典がよく収録し、「玉川児童百科大辞典」第16巻にも説明
がある。
また、児童向き伝記に「コロンブスの卵」が挿絵入りで紹介されていることも特徴的である。
例えば、ポプラ社「コロンブス」(柴野民三 著:1969年)には挿絵入りの「コロンブスのたまご」という章があり、
解説で川崎芳隆 氏が「コロンブスの卵」は第1回目の航海後の1493年春、バルセロナのことである、としてい
る。
日本の辞書で「コロンブスの卵」に「Columbus's Egg」をあてているのは、「学研カラー図解英語百科辞典」のほ
かに、「外来語辞典 第2版」(角川書店)、「広辞林 第6版」(三省堂)、「コンサイス外来語辞典 第4版」(三省
堂)などがあったが、根拠は不明である。
ちなみに、「新和英中辞典」(研究社)で「コロンブスの卵」を引くと、内容から「生卵」となっているが、我が国で
紹介される逸話としては「ゆで卵」が多い。また、「最新日米口語辞典」(朝日出版:サイデンステッカー・松本
道弘 編)には、「Columbus's Eggといっても欧米人にはピンとこない」と記している。
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3.尋常小学国語読本の「コロンブスの卵」
我が国の「コロンブスの卵」の説話は、戦前の1921年発行の第3期「尋常小学国語読本」第8巻 第19章に
4年生用教材として登場し、1933年からの第4期にも第8巻 第22章に収録されたが、1941年からの第5期
には削除されている。
下表に1928年版での記載内容を示します。(一部、表記を変更しています)
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おそらくは、この70年ほど前の国語読本が元で、子供向け伝記作家が「コロンブスの卵」を再生産し、辞書編
集者の目にとまり、項目に加えるようになったのではないかと考えられる。
第十九 コロンブスの卵 (「尋常小学国語読本」より)
コロンブスがアメリカを発見して帰った時、イスパニヤ人の喜んだことは非常なものでした。
一日祝賀会の席上で、人々がかはるがはる立つて、コロンブスの成功を祝しますと、一人
の男が「大洋を西へ西へと航海して、陸地に出あったのが、それ程の手がらだらうか」とい
つて冷笑しました。
之を聞いたコロンブスは、つと立つて、食卓の上の「うで卵」(ゆで卵)を取り、「諸君、こころ
みに此の卵を卓上に立ててごらんなさい」といひました。
人々は何の為にこんなことをいひ出したのかと思ひながら、やつて見ましたが、もとより立
たうはずはございません。
此の時コロンブスは、こつんと卵のはしを食卓にうちつけ、何の苦もなく立てて申しました。
「諸君、これも人のした後では、何のざうさもない事でございませう」
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4.「コロンブスの卵」の「コロンブスの卵」
物理の世界における「コロンブスの卵」には、1960年8月号の「文藝春秋」に丹羽小弥太 氏による「コロンブスの
卵」と題する一文のほか、中谷宇吉郎 博士(1900~1962:雪の結晶を発見した学者)の「立春の卵」(1947)
が興味深い。
中谷氏は、1947年2月5日の「立春の日」に中央気象台で成功した10個の卵を立てる実験などを紹介した上、
卵は立春に限らず、生卵でもゆで卵でも「もともと立つような形であるのを」、「世界じゅうの人間がコロンブス以前
の時代からこんにちまで」立たないものと思っていた、と説いた。
卵を立てる実験については、1947年2月5日と6日付けの朝日新聞に紹介されている。ちなみに、最近では、津
野正郎 氏という「立卵家」がいて、100個以上の卵を同時に立てるといい、また、集中力を高める「コロンブスの
卵」という名の玩具も市販されている。
5.「Columbus's Egg」は慣用表現か (一部のみを抜粋)
筆者(鈴木 哲 氏)が「コロンブスの卵」について42人の日本人成人に尋ねたところ、39人が「耳にしたことがあ
る」と答え、一方、7人の英米人に「Columbus's Egg」について尋ねたところ、1人の英国人が「聞いたことがある
ような気がする」と答えたほかは、「表現もエピソードも耳にしたことがない」と回答した。
新大陸到達500年を越えた今日、英語「Columbus's Egg」は、日本語の「ブルネレスキの卵」に近い通用性しか
持っていないのかもしれない、と筆者(鈴木 哲 氏)は感じている。
「コロンブスの卵」と「ブルネレスキの卵」
・ここでは、「コロンブスの卵」以前からあった話とされる「ブルネレスキの卵」について掲載しています。もしかしたら「コロンブスの卵」話のルーツかもしれません。ただし、この話も実話かどうかは疑わしいものとされています。(*2004.09.02追加)
コロンブスの卵
「コロンブスの卵」は、「誰にできることでも、最初にするのが難しい」という意味で使われる。
1492年にアメリカ大陸(西インド諸島のサンサルバドル島といわれている)を発見したことで有名なコロンブス。
その功績を祝う晩餐会で、ある男が言った「西へ西へと航海して陸地に出会っただけではないか」と言った皮肉に
対して、コロンブスは卵を取り上げ、「この卵を卓の上に立ててごらんなさい」と言った
だれも立てられないのを確認するとコロンブスは、卵のおしり(気室のある鈍端部と思われる)を食卓でコツンとた
たいて立てて言った。「人がした後では何事も簡単です」
日本でも、戦前の小学校の教科書に取り上げられ、「コロンブスの卵」が定着した。ただし、これは16世紀ごろに
作られた話らしいとされている。(この話は、後にイタリアのベンゾーニがコロンブスの偉業を脚色するために自身
の著書に書いた作り話といわれている)
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ブルネレスキの卵
「コロンブスの卵」の話は16世紀ごろ、イタリアのベンゾーニがコロンブスの偉業を脚色するために自身の著書に
書いた作り話とされている。さらにこの話の元になったのが、コロンブスと同時代のイタリアの建築家フィリッポ・ブ
ルネレスキの話である。
ある寺院を建築するにあたって、彼は図面も模型も見せずに「私に建築させてください」と提案したが、他の建築
家たちが大反対。そこで彼は「大理石の上に卵を立てた人に任せてはどうか」と提案する。他の全員立てられな
かったが彼は卵の底を潰して立てたのである。
当然批判されたが、「最初にやるのが難しい、もし図面を見せたらあなた達は真似をするでしょ」と言い返したので
ある。
再生核研究所声明171(2014.7.30)
掛け算の意味と割り算の意味 ― ゼロ除算100/0=0は自明である?
(2014.7.11小柴誠一、山根正巳氏との会合で、道脇裕氏の 割り算と掛け算は別であり、ゼロ除算100/0=0は自明であるとの考えを分析して得た考えを纏めたものである。)
ゼロ除算100/0=0は2014.2.2 偶然に論文出筆中に 原稿の中で発見したものである。チコノフ正則化法の応用として、自然に分数、割り算を拡張して得られたものであるが、歴史上不可能であるとされていること、結果がゼロであると言う意味で、驚嘆すべきことであること、さらに、高校生から小学生にも分る内容であると言う意味で、極めて面白い歴史的な事件と言える。そればかりか、物理学など世界の理解に大きな影響を与えることも注目される。詳しい経過などは 一連の声明を参照:
再生核研究所声明148(2014.2.12)100/0=0, 0/0=0 - 割り算の考えを自然に拡張すると ― 神の意志
再生核研究所声明154(2014.4.22)新しい世界、ゼロで割る、奇妙な世界、考え方
再生核研究所声明157(2014.5.8)知りたい 神の意志、ゼロで割る、どうして 無限遠点と原点が一致しているのか?
再生核研究所声明161(2014.5.30)ゼロ除算から学ぶ、数学の精神 と 真理の追究
再生核研究所声明163(2014.6.17)ゼロで割る(零除算)- 堪らなく楽しい数学、探そう零除算 ― 愛好サークルの提案
再生核研究所声明166(2014.6.20)ゼロで割る(ゼロ除算)から学ぶ 世界観
しかるに いろいろな人たちと広く議論しているところであるが、世界の指導的な数学者でさえ、高校生でも理解できる発表済みの論文 その後の結果について、現代数学の常識を変えるものであり、受け入れられない、と言ってきている。まことに不思議なことであり、如何に驚くべき結果であるかを示していると言える。
多くの数学者は、内容を理解せず、100/0=0 は100=0 x 0 =0 で矛盾であると即断している。しかるに論文は 100/0 は 割り算の意味を自然に拡張するとゼロの結果を得るのであって、ゼロ除算の結果は 100=0 x 0 =0を意味しないと説明している。 逆に、無限大、無限遠点は数と言えるかと問うている。
ところが面白いことに 既に3月18日付文書で、道脇裕氏は 掛け算と割り算は別であり、ゼロ除算100/0は 自明であると述べていた。しかし、その文書は、一見すると
矛盾や間違いに満ちていたので、詳しく分析してこなかった。しかるに上記7月11日の会合で、詳しい状況を聞いて、道脇氏の文書を解読して、始めて道脇氏の偉大な考えに気づいた。結論は、ゼロ除算100/0は分数、割り算の固有の意味から、自明であると言うことである。これはチコノフ正則化法や一般逆とは関係なく、分数、割り算の意味から、自明であるというのであるから、驚嘆すべき結果である。千年を越えて、未明であった真実を明らかにした意味で、極めて面白い知見である。またそれは、割り算が掛け算の逆であり、ゼロ除算は不可能であるという長い囚われた考えから、解放した考えであると評価できる。
原理は日本語の表現にあるという、掛け算は 足し算で定義され、割り算は 引き算で定義されるという。割り算を考えるのに 掛け算の考えは不要であるという。
実際、2 x3 は 2+2+2=6と繰り返して加法を用いて計算され、定義もできる。
割り算は、問題になっているので、少し詳しく触れよう。
声明は一般向きであるから、本質を分かり易く説明しよう。 そのため、ゼロ以上の数の世界で考え、まず、100/2を次のように考えよう:
100-2-2-2-,...,-2.
ここで、2 を何回引けるかと考え、いまは 50 回引いてゼロになるから分数は50であると考える。100を2つに分ければ50である。
次に 3/2 を考えよう。まず、
3 - 2 = 1
で、余り1である。そこで、余り1を10倍して、 同様に
10-2-2-2-2-2=0
であるから、10/2=5 となり
3/2 =1+0.5= 1.5
とする。3を2つに分ければ、1.5である。
これは筆算で割り算を行うことを 減法の繰り返しで考える方法を示している。a がゼロでなければ、分数b/aは 現代数学の定義と同じに定義される。
そこで、100/0 を上記の精神で考えてみよう。 まず、
100 - 0 = 100,
であるが、0を引いても 100は減少しないから、何も引いたことにはならず、引いた回数は、ゼロと解釈するのが自然ではないだろうか (ここはもちろん数学的に厳格に そう定義できる)。ゼロで割るとは、100を分けないこと、よって、分けられた数もない、ゼロであると考えられる。 この意味で、分数を定義すれば、分数の意味で、
100割るゼロはゼロ、すなわち、100/0=0である。(ここに、絶妙に面白い状況がある、0をどんどん引いても変わらないから、無限回引けると解釈すると、無限とも解釈でき、ゼロ除算は 0と無限の不思議な関係を長く尾を引いている。)
同様に0割る0は ゼロであること0/0=0が簡単に分かる。
上記が千年以上も掛かったゼロ除算の解明であり、 ニュートンやアインシュタインを悩ましてきたゼロ除算の簡単な解決であると 世の人は、受けいれられるであろうか?
いずれにしても、ゼロ除算z/0=0は 既に数学的に確定している と考えられる。そこで、結果の 世への影響 に関心が移っている。
以 上
文献:
M. Kuroda, H. Michiwaki, S. Saitoh, and M. Yamane,
New meanings of the division by zero and interpretations on 100/0=0 and on 0/0=0,
Int. J. Appl. Math. Vol. 27, No 2 (2014), pp. 191-198, DOI: 10.12732/ijam.v27i2.9.
S. Saitoh, Generalized inversions of Hadamard and tensor products for matrices, Advances in Linear Algebra \& Matrix Theory. Vol.4 No.2 (2014), 87-95.http://www.scirp.org/journal/ALAMT/
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