STEM〔科学・テクノロジー・工学・数学〕教育の将来は12歳女子の教育にかかっている
2016年1月06日 by ゲストライター
ERIN SAWYER
CRUNCH NETWORKの寄稿メンバー
長年にわたる自動車テクノロジーのエグゼクティブであり、現在テスラ・モーター ズで部品購入とサプライチェーン管理を担当。
最近、OECD(Organisation for Economic Co-operation and Development)のジェンダーが生徒の学業成績およびライフスタイルに与える影響を詳細に調査した結果を発表している。この調査は15歳の生徒を対象としており、学業成績にはその年齢で受験したテストの結果を用いている。
このレポートによれば、全体的には学校に滞在する時間、読書の成績など多くの面で女子生徒の成績は男子を上まっていたものの、成績上位同士を比較すると女子は依然として科学と数学で男子に大きく差をつけられていることが明らかとなった。OECDはこの理由を検討しているが、中でも重要なのは、数学能力に対する自信の自己報告に現れているが、男子に比べて女子が自信のなさが目立つことだろう。女子は男子に比較して、数学に関連する課題の解決に不安を強く抱く傾向が見られる。
「数学の問題を解こうとするときとても不安になります」、 「数学で悪い点を取りそうで心配です」というような文章に対する同意の率が女子は男子より高い。こうした科学、数学に対する自信のなさが、学業成績に影響を与え、最終的には女性がSTEM(科学・テクノロジー・工学・数学)系の職に就く機会を奪っていると考えられる。
女子がこうした不安を抱くようになるのはいつごろからだろうか? Verizonがジェンダー差別撤廃のために製作したビデオはこの点についてたいへんよい資料だ。女性はきわめて幼い頃からSTEM分野を追求することを妨げるような圧力を受ける。ある調査によれば、女性は12歳を境として数学や科学を嫌うようになり、この分野で男子と同等の成績を挙げることを期待しなくなる。そして成績の不振をその分野における自己の能力の欠如に求めるようになるという。
全米学力テスト(NAEP=National Assessment of Educational Progress)の結果によれば、科学と数学における女子と男子の成績の年齢と共に広がる傾向を見sている。そしてこの傾向が顕著に現れ始めるのが9歳から10歳までの間だ。
国際教育到達度評価学会(International Association for the Evaluation of Educational Achievementfound)などによって実施された標準化されたアチーブメント・テストでも同様の結果が現れている。科学と数学における男子と女子の成績は第4学年から差が開き始め、高校の最終学年まで女子は男子に離されていく一方だ。
こうした結果から、9歳から12歳までの教育はその後の女性の一生に非常に大きな影響を与えていることが分かる。高校では女性は化学、物理、数学などで高等教育を受ける道を自ら放棄するようになる。STEM系課程への進学を放棄することはSTEM関連の職に就くチャンスを放棄することに等しい。この点に関しては自分の体験から説明することができる―私は高校時代、科学と数学の上級科目を選択した数少ない女性の1人だった(私は微積分、物理、科学の上級コースを取っていた)。
小学生の女子にSTEM科目への興味を抱かせるには?
重要な問題は、女子の科学、数学分野での成績の低下と自信の喪失を防ぐために小学校教育でわれわれは何ができるのかだ。 9歳から12歳という決定的な時期に教育者はどういう努力を払うべきなのか?
女性のSTEM分野への進出を特に妨げて3つの要因がある思う。
肯定的コネクションを増やす: 神経精神医学の研究によれば、女子生徒が科学や数学を学ぶことに対して幼い頃から多数の否定的なコネクションが植え付けられており、これが女性のSTEM分野への進出を妨害している。
しかしSTEM系職種の雇用者は、採用にあたっていわゆる「ソフト・スキル」、つまりコミュニケーションやネットワークの効果的な利用の技術を重視する。こうした分野は実は女性がもともと強い。こうしたコミュニケーション能力、ソーシャル能力を活かすような肯定的コネクションを増やす強力なロール・モデルは女子をSTEM系エンジニアの道に進ませるために大きな効果があるだろう。チームのメンバーとして活動すること、所属するコミュニティーのために積極的に役立つこと、環境に敏感であること、これらをリーダーシップと結びつけることなども女性が優越する分野だ。
教育者はSTEM系職種が本質的に必要とする能力を女性が高いレベルで備えていることを強調することによって、女性が科学技術職を選び、成功することを助けねばならない。
リーダーシップに関する固定観念を打破する: STEM系科目を選択する(あるいはしない)上で女子が抱く自己イメージは非常に重要だ。 自己の成長を信じる成長的マインドセットの持ち主は固定的なマインドセットの持ち主よりも好成績を残すこと知られている。
スタンフォード大学の教授、Jo Boalerは、調査結果に基いて、成長的マインドセットを発達させた子どもたちは知性は習得することが可能であり、練習によって向上させることができると信じていることを発見した。こういう子どもたちは「努力は重要だ」という思考を身につける。また、課題に挑戦することを好み、失敗にもめげない。周囲からのフィードバックを自己改善のために役立て、他者の経験から学ぶことができる。
残念なことに、われわれの現行の教育システムは、生徒の能力についてきわめて固定的な見方をしている。教育者のマインドセットは最終的には生徒たちへのメッセージとして伝わっていく。われわれはょり多くの女子に、小学生の間に成長的マインドセットとリーダーシップ技術をを培わねばならない。そうすることによって中学、高校で適切な能力を身につける準備となる。
STEM職は他の分野に比べて急成長しており、失業率もはるかに低い
サンフランシスコを本拠とするグループ、Technovationはこうした課題に正面から取り組み、女子学生にSTEM職のクリエーティブな分野を紹介するだけでなく、起業家としてのマインドセットや技術を教えようとしている。
STEMの日常的、実用的な応用面を紹介する: 女子の数学に対するイメージは「複雑で分かりにくく、現実から遊離した退屈なもの」という方向に向きがちだ。こうしたイメージが結局女性をSTEM分野から遠ざけている。そこで数学や科学の日常における応用例を分かりやすく紹介することが重要になってくる。
教育者にはこの面でやることが多いだろう。女子に対し、ハイテク企業のイノベーションが日常生活をどれほど便利にしてきたが、学校で習う数学のコンセプトがやがてSTEM企業に就職する上でどれほど役立つかを詳しく紹介していく必要がある。こうした努力を助けるさまざまな補習ないし課外プログラムがデザインされている。ベイエリアを本拠とするNPO、Kids’ Visionは女子生徒がSTEMに対して否定的な自己イメージを抱くようになる前に、科学やテクノロジーに興味を抱かせるよう多様な努力をしている。
Kids’ Visionでは3年生から6年生までの小学生女子にシリコンバレーのテクノロジー企業を案内している。子どもたちはそこで働くエンジニア女性からSTEM職に就くためにはどういうキャリアパスがあるかを直接説明してもらうが、この生きたロールモデル教育も大いに効果がある。
女性は全米の職の約半分近くを占めるようになった。しかしSTEM職についてみると、女性はわずか25%にすぎない。 STEM労働者は長期的かつ維持可能な経済発展にとって決定的な要因の一つだ。経済はSTEM教育を受けた労働者を必要としている。STEM職の成長は急速なので他分野に比べて給与は高く、失業率も低い。
STEMへの女性の進出は女性にとっても経済にとっても重要だ.
第二に、STEM職の給与レベルは他分野より高い。アメリカ商務省の統計によれば、同学歴の場合、STEM職の女性は非STEM職の女性より20%も高い給与を得ている。.アメリカ商工会議所財団の年次給与調査によれば、アメリカにおけるすべての職の平均給与は3万4570ドルであるところ、STEMプロフェッショナルの給与の平均は7万6270ドルだった。またコンピューター科学者の給与は10万2190ドルだった。STEMへの就職は女性にとって経済にとっても win-winの関係であることが明白だ。
#ILookLikeAnEngineer運動は一つの出発点として非常に役立つだろう。 科学者、エンジニアは「こうあるべき」という固定観念に対して、多様なさまざまな人々が声を上げる、特に差別やハラスメントに直面している女性プロフェッショナルが声を上げることには大きな意味がある。この面では、TechnovationやKid’s Visionなどのグループや運動も女性をSTEMに引き付ける上で有意義だ。
STEM〔科学・テクノロジー・工学・数学〕分野の職に将来もっと女性が就けるようにすることは、人権の擁護や性差別の撤廃という意味で重要であるだけでなく、世界の中のアメリカ経済にとってもきわめて重要な課題だ。われわれは女性の地位改善のためにもっと努力を払うべきだろう。
画像: TATYANA VYC/SHUTTERSTOCK
http://jp.techcrunch.com/2016/01/06/20160105why-stems-future-rests-in-the-hands-of-12-year-old-girls/
再生核研究所声明 272(2016.01.05): ゼロ除算の研究の推進を
ゼロ除算1/0=0は、西暦628年インドでゼロが記録され、既に問題とされ、それ以来の発見で、未知の新しい数学、新世界である。すなわち、ゼロで割ることは 不可能であるがゆえに 考えてはいけないとされてきたが、ゼロで割ることができるとなったのであるから、未知の世界を探検できる。既に数学的には確立され、物理的、幾何学的にも実証されている。最近、素人にも分かるような面白い例が結構沢山発見されてきたので、広く そのような面白い新しい現象の発見を呼びかけている。結果は、分数を拡張して (ゼロ除算は普通の意味での割り算ではなく、ある意味での割り算である)、何でも0で割るとゼロで、面白いのは、どの様に考えを一般化しても、それに限ることが証明されたことである。導入、動機、一意性、すなわち、それ以外の考えが無いこと、それらが、高校レベルの数学で、簡単に証明された。出版された論文は、高校生にも理解できる内容である。具体的な結果は、関数y = 1/x のグラフは、原点で ゼロであると述べている。すなわち、 1/0=0 である。それらは 既に 数の実体である と言える。
― 要点は、上記直角双曲線は、原点で猛烈な不連続性を有し、爆発や衝突、コマで言えば、中心の特異性などの現象を記述している。複素解析学では、1/0として、無限遠点が存在して、美しい世界であるが、無限遠点は 数値としては ゼロが対応する。現在までに発見されたゼロ除算の実現例を簡単に列挙する:
万有引力の法則で、2つの質点が一致すれば、引力はゼロである;一定の角速度で回転している回転体の中心で、角速度はゼロで、中心で不連続性を有している;光の輝度は光源でゼロであること:円の中心の鏡像は 無限遠点ではなくて、中心そのものであるという強力な不連続性;電柱の微小な左右の揺れから、真っ直ぐに立った電柱の勾配はゼロであり、左右からマイナス無限とプラス無限の傾きの一致として、傾きゼロが存在している; これは複素解析における極の概念を変える;代数的には ゼロ除算z/0=0を含む体の構造が明らかにされ、数体系として自然な体系である複素数体より ゼロ除算z/0=0を含むY体 の方が自然であること;点の曲率がゼロであること、などである。
さらに、原始的なテコの原理にもゼロ除算は明確に現れ、初等幾何学にもいろいろ現れ、例えば、半径Rの円をどんどん大きくすると、円の面積はいくらでも大きくなるが、半径が無限になると突然、その面積はゼロになることが認識された。Rが無限になると円は直線になり、円は壊れて半空間になるからである。このことの明確な意味が数学的に捉えられ、一般に図形が壊れる現象をゼロ除算は表していることが分かった。これらの現象は ゼロ除算が 普遍的に存在する現象を説明するもの と考えられる。
また、ゼロ除算において 無限遠点が 数値では ゼロで表されることは 驚嘆すべきことであり、それではuniverse は一体どうなっているのかと、真智への愛の 激しい情念が湧いてくるのではないだろうか。ゼロ除算は、数学ばかりではなく、物理学や世界観や文化にも大きな影響を与える:
再生核研究所声明166(2014.6.20): ゼロで割る(ゼロ除算)から学ぶ 世界観
再生核研究所声明188(2014.12.16): ゼロで割る(ゼロ除算)から観えてきた世界
ゼロ除算の最も関与している研究は 第1に複素解析学への影響、複素解析学の研究である。実際、ゼロ除算は、ローラン展開そのものの見方から始まり、それは佐藤の超関数や特異積分などに関係している。
第2は、ゼロ除算の物理学への影響である。ニュートンの万有引力の法則など多くの物理法則の公式に、ゼロ除算が現れるので、それらに対する新しい結果の解釈、影響である。
第3は ゼロ除算の代数的な、あるいは作用素論的な研究である。これらも始まったばかりであり、出版が確定している論文:
S.-E. Takahasi, M. Tsukada and Y.Kobayashi, Classificationof continuous fractional binary operators on the realand complex fields, TokyoJournal of Mathematics {\bf 8}(2015), no.2 (in press).
がそれらの最先端である。
これらの分野では、誰でも先頭に立てる新しい研究分野であると言える。
新しい研究分野となると、若い人がやみくもに挑戦するのは危険だと考えるのは、理解できるが、ある程度自己の研究課題が確立していて、多少の余裕がみいだせる人は、新しい世界を自分の研究課題と比較しながら、ちょっと覗いてみるかは、面白いのではないだろうか。思わぬ関連が出てくるのが、数学の研究の楽しさである。アメリカ新大陸に初めて移った人たちの想い、ピッツバーグの地域に初めて移住した人たちの想いを想像してみたい。ゼロ除算は 新しい数学で専門家はいないから、多くの人が面白い現象を発見できる機会があると考えられる。次も参考:
再生核研究所声明189(2014.12.233): ゼロ除算の研究の勧め
再生核研究所声明222(2015.4.8): 日本の代表的な数学として ゼロ除算の研究の推進を求める
再生核研究所声明253(2015.10.28): 私も探そう ― ゼロ除算z/0=0 の現象
再生核研究所声明259 (2015.12.04): 数学の生態、旬の数学 ― ゼロ除算の勧め
再生核研究所声明262 (2015.12.09): 宇宙回帰説 ― ゼロ除算の拓いた世界観
ゼロ除算は下記のように述べられる世界史上の事件であると考えられる:
地球平面説→地球球体説
天動説→地動説
1/0=∞若しくは未定義 →1/0=0
そこで、ゼロ除算の研究の推進を 広く呼びかけたい。研究を推進させるために、研究への参加や、研究活動へのいろいろな協力や応援を求めたい。
以 上
再生核研究所声明187(2014.12.8)工科系における数学教育について
30余年 工科系で数学の教育に携わって来た者として、それらを回想して今後同じような経験をされる人たちの参考になるように省察して置きたい。
まず、工科系における数学教育の目標を抑えて置こう:
1) 工科系全般における表現の立場から、数学上の述語、概念、記号などは工科系を表現する言語として必要であるから、関係数学の習得は必要である。典型的な概念として、微積分の概念、行列の概念、微分方程式、ベクトル解析(勾配、回転、発散)、解析関数の概念などは必須の概念と考えられよう。
2) 計算機の普及、応用を待つまでもなく、論理の学習; 論理的に考え、推論して纏め、表現できるような精神の涵養に 数学教育の重要性があると考えられる。
3)高級に表現すれば、数学について、そもそも数学とは何だろうかと問い、ユニバースと数学の関係に思いを致すのは大事ではないだろうか。この本質論については次を参照:
No.81, May 2012(pdf 432kb)
19/03/2012 -ここでは、数学とは何かについて考えながら、数学と人間に絡む問題などについて、幅. 広く 面白く触れたい。
簡潔に述べれば、数学は 時間にも、エネルギーにもよらずに存在する神秘的な 関係の論理体系であるが、ユニバースは 数学を言語として構成されている という、信仰のような信念を抱いている。基本的な数学は ユニバースの基本的な様を表現しているのではないだろうか。すなわち、真理を追求する真摯な精神の涵養である。
それゆえに、工科系における数学教育の必要性は明らかである、それで、その明確な動機のもとで、数学教育に携われる工科系に属する数学の教師は、誠に充実感のする 社会的な使命を果たせる幸せな存在である。
担当の基本は、線形代数、微積分学、微分方程式、ベクトル解析、複素解析であろうが、それらは、理工科系の基本カリキュラムで、それらは、重要な概念を有していると考えられる。教える立場でも、ここをきちんと教えたいという、項目が多々存在する、楽しい数学である。
工科系で、生じる問題の基本は、工学 各学科の、期待、要請と 数学の専門家の担当する講義の仕方、カリキュラム内容との乖離で、しばしば問題が顕になる。上記、工科系における数学教育の目標について 科の先生方の反対意見は出ないと思われるが、近年、学生の基礎学力の大きな落ち込みの中で、科で直接必要、必須の言わば 1)の基本が疎かになり、科の教育に大きな障害が起きて、1)の強化、補充を数学教室に求めたり、科自身で補充の授業を準備する事態さえ招いている。数学教室で、科の要求する数学の内容を聞くと、相当に高級な現代的な数学の内容が広範に出てきて、対応できないような状況は よく見られる。体系的に見れば ちぐはぐ、また科の教員でも要求がバラバラな感じさえ受ける。もしそれらの要求を満たすようにするならば、辞書の項目の解説調になってしまい、数学者の好みである2)、3)項の要素が失われて、講義に熱が入らない気持ちになるのではないだろうか。― この観点が工科系における数学教育における問題の中心であると考えられる。
数学の教師の立場から見れば、自分の専門の研究に集中しすぎで、視野が狭く、工科系全般にわたる素養の貧しさを招き、しばしば独善的な講義スタイルになる傾向があるので、気をつけたい.
学科への対応の精神は、数学に分け与えられる時間数が極めて限られていて、しかも、要求される内容の豊富さを考えれば、講義内容を精選して、基礎の基礎、基本の基本をきちんと学習させ、多くの内容については、学生が必要に応じて、自分で学習できるようなるように教授するのが良いのではないだろうか。それには、まず、数学が楽しい、大いに有効であると 学生が感じられるような、そのような講義が望まれる。講義は全人格をかけた、交流の場であり、真理を追求する研究者の尊い姿が 学生への愛とともに 反映されるものでなくてはならない。学生による評価の問題で、教師が講義の有り様などいろいろ気遣い、板書やPDファイルなどの作成など講義の技術面などに関心が移っているような世相があるが、それらの営みの空虚さを指摘したい。そうではなくて、学生は、教師の学問に取り組む姿勢や、人生や社会に取り組む姿勢、全人格をみて教師を評価していることが分かるだろう。技術面のことよりは、研究者として、人間としての精進が肝要ではないだろうか。
人生とは何か、生きるということは どのようなことか、そのような問を忘れて久しいように感じられる世相ではないだろうか。学生は、いろいろな情報、勉学、就職関係の将来構想などなどで時間に追われ、教員も研究、教育に専念できず、さらに教育、研究の環境を悪化させる要務で忙しすぎて、何事じっくり取り組み、考察を深めるような貴重な時間を失っているように見える。学生時代には全人生を思考できるように 学生に自由を保証する精神が 大学教育の基本な配慮でなければならないと考える。― 学生時代は良かった、良い環境で、たっぷり自由な時間がとれた。
インターネットの普及で、いわゆる知識、単なる情報は、簡単にどこでも利用できる時代の到来は、カリキュラム、教育内容の精選と講義の有り様の変革をもたらし、自由の保証に明るい展望をもたらすのではないだろうか。その骨格として、講義、教育時間の縮小、休暇の増大、そのために一般教職員の大学の年間、1ヶ月間閉鎖、学生の休暇2ヶ月間を考えるのは良い出発点ではないだろうか。これらは既に、欧米の大学では相当に確立していて習慣になっていることも大いに参考にすべきではないだろうか。― 5年間ポルトガルのアヴェイロ大学で研究員として過ごしたが、何と8月は 大学の暦に 無かった。完全休暇である。土、日の休暇は当然で、水曜日は講義が無く、水曜日と金曜日は 昔の日本の土曜日のような調子で、金曜日午後には 多くの学生が、帰省するような情景であった。年中仕事に追われている 異常な日本の大学の有り様を見るにつけて、我々は大いに学び、大学の有り様を変革すべきだと考える。
そのような大幅な自由の下で、自主学習する風潮と日本のように 相当に学力などを気にして、詰み込み式授業の風潮のどちらが、長期的に見て優れているか、考えてみる必要があるのではないだろうか。ただし、自由の代償に 試験は相当に期間と時間を掛けて厳しくする風潮がある。
工科系に属する教員の担当学生数は、数学の所属部署で、最も多い状況にあり、ある意味で、数学を現実社会に活かす立場で それだけ大きな役割が有ると考えられる。教育ばかりではなく、入試に関与する部分も極めて大きく、入試業務は年中 心を傷めさせられる負担になっている場合が多いのではないだろうか。そもそも入試の有り様そのものの見直しを提案、問題提起しているが(再生核研究所声明20:大学入試センター試験の見直しを提案する),ポルトガルの制度を紹介して、関係者の検討を要望して置きたい:
有り様は簡単で、そもそも大学は入試業務を殆どせず、作成された資料を元に、選択するだけである。入試問題作成は国の機関が行い、入試は高校を会場に高校が期間を掛けて行なう。― このような入試で、個々の数学教員や、大学で膨大な仕事を課せられている日本の状況と比べて、唖然とさせられた。大きな仕事からの開放である。― 勿論、これは国立大学の場合であるが、私立大学などでも上記資料を参考にしているのではないだろうか。
さらに、女性数学者の割合が、殆ど自然に男女、同数であることは 数学の研究、教育、そして教室の雰囲気を日本のそれらとは相当に違ったものにしている。それらは、家庭と大学の仕事が両立出来る基礎があることを示しており、ポルトガルの大学は、相当に優雅であると表現されるだろう。7年目には 日曜日が週に有るように サバーティカルライトで1年間大学の仕事から解放される。それは、何を意味するだろうか。
以 上
再生核研究所声明253(2015.10.28) 私も探そう ―ゼロ除算z/0=0 の現象
(再生核研究所は ゼロ除算の研究を推進している。特に研究は初期段階にあるので ゼロ除算の実在感の観点からの考察を進めている。 最近、素晴らしい事実の発見が寄せられてきたので、 広く世にそのような現象の発見を呼びかけたい。)
ゼロ除算1/0=0については 次で、解説したり、再生核研究所声明でも いろいろ取り上げている: 数学基礎学力研究会のホームページ
URLは
http://www.mirun.sctv.jp/~suugaku
最近、いろいろな具体例が しかも素人にも分かるような例が発見されてきたので、 広く 世にそのような面白い新しい現象の発見を呼びかけたい。まず結果は、分数を拡張して、自然に100割るゼロを考えると、何でもゼロで割れば、ゼロで、面白いのは、どの様に考えを一般化しても、それに限ると言うことが証明されたことである。導入、動機、一意性、すなわち、それ以外の考えが無いこと、それらが、高校レベルの数学で、簡単に証明されたと言う事実である。出版された論文は、高校生にも十分理解できる内容である。具体的な結果は、関数 y = 1/x のグラフは、原点で ゼロであると述べている。すなわち、 1/0=0 である。それらは 既に 数の実体である と言える。
― 要点は、上記双曲線は、原点で猛烈な不連続性を有し、爆発や衝突、コマで言えば、 中心の特異性などの現象を記述していることである。複素解析学では、1/0として、無限遠点が存在して、美しい世界であるが、無限遠点は 数値としては ゼロが対応する。
現在までに発見されたゼロ除算の実現例を簡単に列挙して置こう:
万有引力の法則で、2つの質点が一致すれば、引力はゼロである;一定の角速度で回転している回転体の中心で、角速度はゼロで、中心で不連続性を有している;光の輝度は 光源でゼロであること:円の中心の鏡像は 無限遠点ではなくて、中心そのものであるという強力な不連続性;電柱の微小な左右の揺れから、真っ直ぐに立った電柱の勾配はゼロであり、左右からマイナス無限とプラス無限の傾きの一致として、傾きゼロが存在している; 代数的には ゼロ除算z/0=0を含む簡単な体の構造が明らかにされ、数体系として自然な体系である複素数体より ゼロ除算z/0=0を含むY体 の方が自然であると考えられること; 点の曲率がゼロであること、などである。これらの現象は ゼロ除算が 普遍的に存在する現象を説明するもの と考えられる。
そこで、広く いろいろな世界に現れる ゼロ除算の現象の発見 を提案し、ゼロ除算の意味を深く理解したい:
― 哲学とは 真智への愛 であり、真智とは 神の意志 のことである。哲学することは、人間の本能であり、それは 神の意志 であると考えられる。愛の定義は 声明146で与えられ、神の定義は 声明122と132で与えられている。―
良い具体例は 再生核研究所声明で取り上げ、永年の記録にしたい。
例:
再生核研究所声明194(2015.1.2)大きなイプシロン(無限小)、創造性の不思議(道脇裕・愛羽 父・娘 氏たち)
再生核研究所声明195(2015.1.3)ゼロ除算に於ける高橋の一意性定理について
再生核研究所声明196(2015.1.4)ゼロ除算に於ける山根の解釈100= 0x0について
Announcement 237(2015.6.18): A reality of the division by zero $z/0=0$ by geometrical optics
Announcement 246: An interpretation of the division by zero $1/0=0$ by the gradients of lines
Announcement 250(2015.10.20): What are numbers? - the Yamada field containing the division by zero $z/0=0$
再生核研究所声明251(2015.10.27) 円と曲率 ―ゼロ除算z/0=0から導かれる道脇裕氏の解釈
もちろん、内容は論文その他で、積極的に取り上げ、状況によっては共著としての参加や論文出版を勧めたい。
学術的な観点については、次を参照:
再生核研究所声明189(2014.12.23) ゼロ除算の研究の勧め
以 上
以 上
再生核研究所声明257 (2015.11.05) 無限大とは何か、 無限遠点とは何か ー 新しい視点
(道脇さんたちの、和算の伝統を感じさせるような、何とも 言えない魅力 がありますね。 添付のように完成させたい。例の専門家たち、驚いて対応を検討しているのでは?どんどん、事情がみえてきました. 今朝の疑問も きれいに散歩中 8時15分 ころ、解決できました.成文化したい。2015.11.1.9:7
無限遠点の値の意味を 約1年半ぶりに 神は関数値を平均値として認識する で 理解できました。今、気になるのは,どうして、正の無限 負の無限、および ゼロが近いのかです。その近いという意味を、 正確に理解できない。 近い事実は 添付する 電柱の左右の傾きに現れている。
log 0=0
と定義するのが 自然ですが、それには、 ゼロと マイナス無限大 が一致しているとも言える。 そのところが 不明、何か新しい概念、考え 哲学が 求められている???
2015.11.1.05:50)
ローラン展開の正則部の値の解釈のように(再生核研究所声明255 (2015.11.03) 神は、平均値として関数値を認識する)、実は当たり前だったのに、認識がおかしかったことに気づいたので、正確に表現したい。
まず、正の無限大とは何だろうか。 1,2,3,…… といけば、正の整数は 正の無限大に収束、あるいは発散すると表現するだろう。 この正確な意味は イプシロン、デルタ論法という表現で厳格に表現される。すなわち、 どんなに大きな 整数 n をとっても、あるN を取れば(存在して)、N より大の 全ての整数 m に対して、n < m が成り立つと定義できる。 いろいろな設定で、このようにして、無限は定義できる。 どんなに大きな数に対しても、より大の整数が存在する。 それでは、+∞ とは何だろうか。 限りなく大きな数の先を表す概念であることが分かる。 大事な視点は +∞は 定まった数ではなくて、極限で考えられたもので、近づいていく先を表した状況で考えられていることである。 これらの概念は極限の概念として、現代数学で厳格に定義され、その概念は新しいゼロ除算の世界でも、全て適切で、もちろん正しい。
簡単な具体例で説明しよう。 関数y=1/x のグラフはよく知られているように、正の実軸からゼロに近づけば、+∞に発散し、負からゼロに近づけば、-∞に発散する。 ところが、原点では、既に述べてきたように、その関数値はゼロである。 この状況を見て、0、+∞、-∞ らが近い、あるいは 一致していると誤解してはならない。+∞、-∞ らは数ではなく、どんどん大きくなる極限値や、どんどん小さくなる極限値を表しているのであって、それらの先、原点では突然にゼロにとんでいる 強力な不連続性を示しているのである。
複素解析における無限遠点も同様であって、立体射影で複素平面はリーマン球面に射影されるが、無限遠点とは あらゆる方向で原点から限りなく遠ざかった時に、想像上の点が存在するとして、その射影としてりーマン球面上の北極を対応させる。 関数W=1/z は原点でその点が対応すると、解析関数論では考え、原点で一位の極をとると表現してきた。
しかしながら、新しく発見されたゼロ除算では、1/0=0 であり 原点には、ゼロが対応すると言っている。 これは矛盾ではなくて、上記、一位の極とは、原点に近づけは、限りなく無限遠点に近づく、あるいは発散するという、従来の厳格議論はそのままであるが、ゼロ除算は、原点自身では、数としてゼロの値をきちんとして取っているということである。 この区別をきちんとすれば、従来の概念とゼロ除算はしっかりとした位置づけができる。 近づく値とそこにおける値の区別である。
以 上









2016年1月06日 by ゲストライター
ERIN SAWYER
CRUNCH NETWORKの寄稿メンバー
長年にわたる自動車テクノロジーのエグゼクティブであり、現在テスラ・モーター ズで部品購入とサプライチェーン管理を担当。
最近、OECD(Organisation for Economic Co-operation and Development)のジェンダーが生徒の学業成績およびライフスタイルに与える影響を詳細に調査した結果を発表している。この調査は15歳の生徒を対象としており、学業成績にはその年齢で受験したテストの結果を用いている。
このレポートによれば、全体的には学校に滞在する時間、読書の成績など多くの面で女子生徒の成績は男子を上まっていたものの、成績上位同士を比較すると女子は依然として科学と数学で男子に大きく差をつけられていることが明らかとなった。OECDはこの理由を検討しているが、中でも重要なのは、数学能力に対する自信の自己報告に現れているが、男子に比べて女子が自信のなさが目立つことだろう。女子は男子に比較して、数学に関連する課題の解決に不安を強く抱く傾向が見られる。
「数学の問題を解こうとするときとても不安になります」、 「数学で悪い点を取りそうで心配です」というような文章に対する同意の率が女子は男子より高い。こうした科学、数学に対する自信のなさが、学業成績に影響を与え、最終的には女性がSTEM(科学・テクノロジー・工学・数学)系の職に就く機会を奪っていると考えられる。
女子がこうした不安を抱くようになるのはいつごろからだろうか? Verizonがジェンダー差別撤廃のために製作したビデオはこの点についてたいへんよい資料だ。女性はきわめて幼い頃からSTEM分野を追求することを妨げるような圧力を受ける。ある調査によれば、女性は12歳を境として数学や科学を嫌うようになり、この分野で男子と同等の成績を挙げることを期待しなくなる。そして成績の不振をその分野における自己の能力の欠如に求めるようになるという。
全米学力テスト(NAEP=National Assessment of Educational Progress)の結果によれば、科学と数学における女子と男子の成績の年齢と共に広がる傾向を見sている。そしてこの傾向が顕著に現れ始めるのが9歳から10歳までの間だ。
国際教育到達度評価学会(International Association for the Evaluation of Educational Achievementfound)などによって実施された標準化されたアチーブメント・テストでも同様の結果が現れている。科学と数学における男子と女子の成績は第4学年から差が開き始め、高校の最終学年まで女子は男子に離されていく一方だ。
こうした結果から、9歳から12歳までの教育はその後の女性の一生に非常に大きな影響を与えていることが分かる。高校では女性は化学、物理、数学などで高等教育を受ける道を自ら放棄するようになる。STEM系課程への進学を放棄することはSTEM関連の職に就くチャンスを放棄することに等しい。この点に関しては自分の体験から説明することができる―私は高校時代、科学と数学の上級科目を選択した数少ない女性の1人だった(私は微積分、物理、科学の上級コースを取っていた)。
小学生の女子にSTEM科目への興味を抱かせるには?
重要な問題は、女子の科学、数学分野での成績の低下と自信の喪失を防ぐために小学校教育でわれわれは何ができるのかだ。 9歳から12歳という決定的な時期に教育者はどういう努力を払うべきなのか?
女性のSTEM分野への進出を特に妨げて3つの要因がある思う。
肯定的コネクションを増やす: 神経精神医学の研究によれば、女子生徒が科学や数学を学ぶことに対して幼い頃から多数の否定的なコネクションが植え付けられており、これが女性のSTEM分野への進出を妨害している。
しかしSTEM系職種の雇用者は、採用にあたっていわゆる「ソフト・スキル」、つまりコミュニケーションやネットワークの効果的な利用の技術を重視する。こうした分野は実は女性がもともと強い。こうしたコミュニケーション能力、ソーシャル能力を活かすような肯定的コネクションを増やす強力なロール・モデルは女子をSTEM系エンジニアの道に進ませるために大きな効果があるだろう。チームのメンバーとして活動すること、所属するコミュニティーのために積極的に役立つこと、環境に敏感であること、これらをリーダーシップと結びつけることなども女性が優越する分野だ。
教育者はSTEM系職種が本質的に必要とする能力を女性が高いレベルで備えていることを強調することによって、女性が科学技術職を選び、成功することを助けねばならない。
リーダーシップに関する固定観念を打破する: STEM系科目を選択する(あるいはしない)上で女子が抱く自己イメージは非常に重要だ。 自己の成長を信じる成長的マインドセットの持ち主は固定的なマインドセットの持ち主よりも好成績を残すこと知られている。
スタンフォード大学の教授、Jo Boalerは、調査結果に基いて、成長的マインドセットを発達させた子どもたちは知性は習得することが可能であり、練習によって向上させることができると信じていることを発見した。こういう子どもたちは「努力は重要だ」という思考を身につける。また、課題に挑戦することを好み、失敗にもめげない。周囲からのフィードバックを自己改善のために役立て、他者の経験から学ぶことができる。
残念なことに、われわれの現行の教育システムは、生徒の能力についてきわめて固定的な見方をしている。教育者のマインドセットは最終的には生徒たちへのメッセージとして伝わっていく。われわれはょり多くの女子に、小学生の間に成長的マインドセットとリーダーシップ技術をを培わねばならない。そうすることによって中学、高校で適切な能力を身につける準備となる。
STEM職は他の分野に比べて急成長しており、失業率もはるかに低い
サンフランシスコを本拠とするグループ、Technovationはこうした課題に正面から取り組み、女子学生にSTEM職のクリエーティブな分野を紹介するだけでなく、起業家としてのマインドセットや技術を教えようとしている。
STEMの日常的、実用的な応用面を紹介する: 女子の数学に対するイメージは「複雑で分かりにくく、現実から遊離した退屈なもの」という方向に向きがちだ。こうしたイメージが結局女性をSTEM分野から遠ざけている。そこで数学や科学の日常における応用例を分かりやすく紹介することが重要になってくる。
教育者にはこの面でやることが多いだろう。女子に対し、ハイテク企業のイノベーションが日常生活をどれほど便利にしてきたが、学校で習う数学のコンセプトがやがてSTEM企業に就職する上でどれほど役立つかを詳しく紹介していく必要がある。こうした努力を助けるさまざまな補習ないし課外プログラムがデザインされている。ベイエリアを本拠とするNPO、Kids’ Visionは女子生徒がSTEMに対して否定的な自己イメージを抱くようになる前に、科学やテクノロジーに興味を抱かせるよう多様な努力をしている。
Kids’ Visionでは3年生から6年生までの小学生女子にシリコンバレーのテクノロジー企業を案内している。子どもたちはそこで働くエンジニア女性からSTEM職に就くためにはどういうキャリアパスがあるかを直接説明してもらうが、この生きたロールモデル教育も大いに効果がある。
女性は全米の職の約半分近くを占めるようになった。しかしSTEM職についてみると、女性はわずか25%にすぎない。 STEM労働者は長期的かつ維持可能な経済発展にとって決定的な要因の一つだ。経済はSTEM教育を受けた労働者を必要としている。STEM職の成長は急速なので他分野に比べて給与は高く、失業率も低い。
STEMへの女性の進出は女性にとっても経済にとっても重要だ.
第二に、STEM職の給与レベルは他分野より高い。アメリカ商務省の統計によれば、同学歴の場合、STEM職の女性は非STEM職の女性より20%も高い給与を得ている。.アメリカ商工会議所財団の年次給与調査によれば、アメリカにおけるすべての職の平均給与は3万4570ドルであるところ、STEMプロフェッショナルの給与の平均は7万6270ドルだった。またコンピューター科学者の給与は10万2190ドルだった。STEMへの就職は女性にとって経済にとっても win-winの関係であることが明白だ。
#ILookLikeAnEngineer運動は一つの出発点として非常に役立つだろう。 科学者、エンジニアは「こうあるべき」という固定観念に対して、多様なさまざまな人々が声を上げる、特に差別やハラスメントに直面している女性プロフェッショナルが声を上げることには大きな意味がある。この面では、TechnovationやKid’s Visionなどのグループや運動も女性をSTEMに引き付ける上で有意義だ。
STEM〔科学・テクノロジー・工学・数学〕分野の職に将来もっと女性が就けるようにすることは、人権の擁護や性差別の撤廃という意味で重要であるだけでなく、世界の中のアメリカ経済にとってもきわめて重要な課題だ。われわれは女性の地位改善のためにもっと努力を払うべきだろう。
画像: TATYANA VYC/SHUTTERSTOCK
http://jp.techcrunch.com/2016/01/06/20160105why-stems-future-rests-in-the-hands-of-12-year-old-girls/
再生核研究所声明 272(2016.01.05): ゼロ除算の研究の推進を
ゼロ除算1/0=0は、西暦628年インドでゼロが記録され、既に問題とされ、それ以来の発見で、未知の新しい数学、新世界である。すなわち、ゼロで割ることは 不可能であるがゆえに 考えてはいけないとされてきたが、ゼロで割ることができるとなったのであるから、未知の世界を探検できる。既に数学的には確立され、物理的、幾何学的にも実証されている。最近、素人にも分かるような面白い例が結構沢山発見されてきたので、広く そのような面白い新しい現象の発見を呼びかけている。結果は、分数を拡張して (ゼロ除算は普通の意味での割り算ではなく、ある意味での割り算である)、何でも0で割るとゼロで、面白いのは、どの様に考えを一般化しても、それに限ることが証明されたことである。導入、動機、一意性、すなわち、それ以外の考えが無いこと、それらが、高校レベルの数学で、簡単に証明された。出版された論文は、高校生にも理解できる内容である。具体的な結果は、関数y = 1/x のグラフは、原点で ゼロであると述べている。すなわち、 1/0=0 である。それらは 既に 数の実体である と言える。
― 要点は、上記直角双曲線は、原点で猛烈な不連続性を有し、爆発や衝突、コマで言えば、中心の特異性などの現象を記述している。複素解析学では、1/0として、無限遠点が存在して、美しい世界であるが、無限遠点は 数値としては ゼロが対応する。現在までに発見されたゼロ除算の実現例を簡単に列挙する:
万有引力の法則で、2つの質点が一致すれば、引力はゼロである;一定の角速度で回転している回転体の中心で、角速度はゼロで、中心で不連続性を有している;光の輝度は光源でゼロであること:円の中心の鏡像は 無限遠点ではなくて、中心そのものであるという強力な不連続性;電柱の微小な左右の揺れから、真っ直ぐに立った電柱の勾配はゼロであり、左右からマイナス無限とプラス無限の傾きの一致として、傾きゼロが存在している; これは複素解析における極の概念を変える;代数的には ゼロ除算z/0=0を含む体の構造が明らかにされ、数体系として自然な体系である複素数体より ゼロ除算z/0=0を含むY体 の方が自然であること;点の曲率がゼロであること、などである。
さらに、原始的なテコの原理にもゼロ除算は明確に現れ、初等幾何学にもいろいろ現れ、例えば、半径Rの円をどんどん大きくすると、円の面積はいくらでも大きくなるが、半径が無限になると突然、その面積はゼロになることが認識された。Rが無限になると円は直線になり、円は壊れて半空間になるからである。このことの明確な意味が数学的に捉えられ、一般に図形が壊れる現象をゼロ除算は表していることが分かった。これらの現象は ゼロ除算が 普遍的に存在する現象を説明するもの と考えられる。
また、ゼロ除算において 無限遠点が 数値では ゼロで表されることは 驚嘆すべきことであり、それではuniverse は一体どうなっているのかと、真智への愛の 激しい情念が湧いてくるのではないだろうか。ゼロ除算は、数学ばかりではなく、物理学や世界観や文化にも大きな影響を与える:
再生核研究所声明166(2014.6.20): ゼロで割る(ゼロ除算)から学ぶ 世界観
再生核研究所声明188(2014.12.16): ゼロで割る(ゼロ除算)から観えてきた世界
ゼロ除算の最も関与している研究は 第1に複素解析学への影響、複素解析学の研究である。実際、ゼロ除算は、ローラン展開そのものの見方から始まり、それは佐藤の超関数や特異積分などに関係している。
第2は、ゼロ除算の物理学への影響である。ニュートンの万有引力の法則など多くの物理法則の公式に、ゼロ除算が現れるので、それらに対する新しい結果の解釈、影響である。
第3は ゼロ除算の代数的な、あるいは作用素論的な研究である。これらも始まったばかりであり、出版が確定している論文:
S.-E. Takahasi, M. Tsukada and Y.Kobayashi, Classificationof continuous fractional binary operators on the realand complex fields, TokyoJournal of Mathematics {\bf 8}(2015), no.2 (in press).
がそれらの最先端である。
これらの分野では、誰でも先頭に立てる新しい研究分野であると言える。
新しい研究分野となると、若い人がやみくもに挑戦するのは危険だと考えるのは、理解できるが、ある程度自己の研究課題が確立していて、多少の余裕がみいだせる人は、新しい世界を自分の研究課題と比較しながら、ちょっと覗いてみるかは、面白いのではないだろうか。思わぬ関連が出てくるのが、数学の研究の楽しさである。アメリカ新大陸に初めて移った人たちの想い、ピッツバーグの地域に初めて移住した人たちの想いを想像してみたい。ゼロ除算は 新しい数学で専門家はいないから、多くの人が面白い現象を発見できる機会があると考えられる。次も参考:
再生核研究所声明189(2014.12.233): ゼロ除算の研究の勧め
再生核研究所声明222(2015.4.8): 日本の代表的な数学として ゼロ除算の研究の推進を求める
再生核研究所声明253(2015.10.28): 私も探そう ― ゼロ除算z/0=0 の現象
再生核研究所声明259 (2015.12.04): 数学の生態、旬の数学 ― ゼロ除算の勧め
再生核研究所声明262 (2015.12.09): 宇宙回帰説 ― ゼロ除算の拓いた世界観
ゼロ除算は下記のように述べられる世界史上の事件であると考えられる:
地球平面説→地球球体説
天動説→地動説
1/0=∞若しくは未定義 →1/0=0
そこで、ゼロ除算の研究の推進を 広く呼びかけたい。研究を推進させるために、研究への参加や、研究活動へのいろいろな協力や応援を求めたい。
以 上
再生核研究所声明187(2014.12.8)工科系における数学教育について
30余年 工科系で数学の教育に携わって来た者として、それらを回想して今後同じような経験をされる人たちの参考になるように省察して置きたい。
まず、工科系における数学教育の目標を抑えて置こう:
1) 工科系全般における表現の立場から、数学上の述語、概念、記号などは工科系を表現する言語として必要であるから、関係数学の習得は必要である。典型的な概念として、微積分の概念、行列の概念、微分方程式、ベクトル解析(勾配、回転、発散)、解析関数の概念などは必須の概念と考えられよう。
2) 計算機の普及、応用を待つまでもなく、論理の学習; 論理的に考え、推論して纏め、表現できるような精神の涵養に 数学教育の重要性があると考えられる。
3)高級に表現すれば、数学について、そもそも数学とは何だろうかと問い、ユニバースと数学の関係に思いを致すのは大事ではないだろうか。この本質論については次を参照:
No.81, May 2012(pdf 432kb)
19/03/2012 -ここでは、数学とは何かについて考えながら、数学と人間に絡む問題などについて、幅. 広く 面白く触れたい。
簡潔に述べれば、数学は 時間にも、エネルギーにもよらずに存在する神秘的な 関係の論理体系であるが、ユニバースは 数学を言語として構成されている という、信仰のような信念を抱いている。基本的な数学は ユニバースの基本的な様を表現しているのではないだろうか。すなわち、真理を追求する真摯な精神の涵養である。
それゆえに、工科系における数学教育の必要性は明らかである、それで、その明確な動機のもとで、数学教育に携われる工科系に属する数学の教師は、誠に充実感のする 社会的な使命を果たせる幸せな存在である。
担当の基本は、線形代数、微積分学、微分方程式、ベクトル解析、複素解析であろうが、それらは、理工科系の基本カリキュラムで、それらは、重要な概念を有していると考えられる。教える立場でも、ここをきちんと教えたいという、項目が多々存在する、楽しい数学である。
工科系で、生じる問題の基本は、工学 各学科の、期待、要請と 数学の専門家の担当する講義の仕方、カリキュラム内容との乖離で、しばしば問題が顕になる。上記、工科系における数学教育の目標について 科の先生方の反対意見は出ないと思われるが、近年、学生の基礎学力の大きな落ち込みの中で、科で直接必要、必須の言わば 1)の基本が疎かになり、科の教育に大きな障害が起きて、1)の強化、補充を数学教室に求めたり、科自身で補充の授業を準備する事態さえ招いている。数学教室で、科の要求する数学の内容を聞くと、相当に高級な現代的な数学の内容が広範に出てきて、対応できないような状況は よく見られる。体系的に見れば ちぐはぐ、また科の教員でも要求がバラバラな感じさえ受ける。もしそれらの要求を満たすようにするならば、辞書の項目の解説調になってしまい、数学者の好みである2)、3)項の要素が失われて、講義に熱が入らない気持ちになるのではないだろうか。― この観点が工科系における数学教育における問題の中心であると考えられる。
数学の教師の立場から見れば、自分の専門の研究に集中しすぎで、視野が狭く、工科系全般にわたる素養の貧しさを招き、しばしば独善的な講義スタイルになる傾向があるので、気をつけたい.
学科への対応の精神は、数学に分け与えられる時間数が極めて限られていて、しかも、要求される内容の豊富さを考えれば、講義内容を精選して、基礎の基礎、基本の基本をきちんと学習させ、多くの内容については、学生が必要に応じて、自分で学習できるようなるように教授するのが良いのではないだろうか。それには、まず、数学が楽しい、大いに有効であると 学生が感じられるような、そのような講義が望まれる。講義は全人格をかけた、交流の場であり、真理を追求する研究者の尊い姿が 学生への愛とともに 反映されるものでなくてはならない。学生による評価の問題で、教師が講義の有り様などいろいろ気遣い、板書やPDファイルなどの作成など講義の技術面などに関心が移っているような世相があるが、それらの営みの空虚さを指摘したい。そうではなくて、学生は、教師の学問に取り組む姿勢や、人生や社会に取り組む姿勢、全人格をみて教師を評価していることが分かるだろう。技術面のことよりは、研究者として、人間としての精進が肝要ではないだろうか。
人生とは何か、生きるということは どのようなことか、そのような問を忘れて久しいように感じられる世相ではないだろうか。学生は、いろいろな情報、勉学、就職関係の将来構想などなどで時間に追われ、教員も研究、教育に専念できず、さらに教育、研究の環境を悪化させる要務で忙しすぎて、何事じっくり取り組み、考察を深めるような貴重な時間を失っているように見える。学生時代には全人生を思考できるように 学生に自由を保証する精神が 大学教育の基本な配慮でなければならないと考える。― 学生時代は良かった、良い環境で、たっぷり自由な時間がとれた。
インターネットの普及で、いわゆる知識、単なる情報は、簡単にどこでも利用できる時代の到来は、カリキュラム、教育内容の精選と講義の有り様の変革をもたらし、自由の保証に明るい展望をもたらすのではないだろうか。その骨格として、講義、教育時間の縮小、休暇の増大、そのために一般教職員の大学の年間、1ヶ月間閉鎖、学生の休暇2ヶ月間を考えるのは良い出発点ではないだろうか。これらは既に、欧米の大学では相当に確立していて習慣になっていることも大いに参考にすべきではないだろうか。― 5年間ポルトガルのアヴェイロ大学で研究員として過ごしたが、何と8月は 大学の暦に 無かった。完全休暇である。土、日の休暇は当然で、水曜日は講義が無く、水曜日と金曜日は 昔の日本の土曜日のような調子で、金曜日午後には 多くの学生が、帰省するような情景であった。年中仕事に追われている 異常な日本の大学の有り様を見るにつけて、我々は大いに学び、大学の有り様を変革すべきだと考える。
そのような大幅な自由の下で、自主学習する風潮と日本のように 相当に学力などを気にして、詰み込み式授業の風潮のどちらが、長期的に見て優れているか、考えてみる必要があるのではないだろうか。ただし、自由の代償に 試験は相当に期間と時間を掛けて厳しくする風潮がある。
工科系に属する教員の担当学生数は、数学の所属部署で、最も多い状況にあり、ある意味で、数学を現実社会に活かす立場で それだけ大きな役割が有ると考えられる。教育ばかりではなく、入試に関与する部分も極めて大きく、入試業務は年中 心を傷めさせられる負担になっている場合が多いのではないだろうか。そもそも入試の有り様そのものの見直しを提案、問題提起しているが(再生核研究所声明20:大学入試センター試験の見直しを提案する),ポルトガルの制度を紹介して、関係者の検討を要望して置きたい:
有り様は簡単で、そもそも大学は入試業務を殆どせず、作成された資料を元に、選択するだけである。入試問題作成は国の機関が行い、入試は高校を会場に高校が期間を掛けて行なう。― このような入試で、個々の数学教員や、大学で膨大な仕事を課せられている日本の状況と比べて、唖然とさせられた。大きな仕事からの開放である。― 勿論、これは国立大学の場合であるが、私立大学などでも上記資料を参考にしているのではないだろうか。
さらに、女性数学者の割合が、殆ど自然に男女、同数であることは 数学の研究、教育、そして教室の雰囲気を日本のそれらとは相当に違ったものにしている。それらは、家庭と大学の仕事が両立出来る基礎があることを示しており、ポルトガルの大学は、相当に優雅であると表現されるだろう。7年目には 日曜日が週に有るように サバーティカルライトで1年間大学の仕事から解放される。それは、何を意味するだろうか。
以 上
再生核研究所声明253(2015.10.28) 私も探そう ―ゼロ除算z/0=0 の現象
(再生核研究所は ゼロ除算の研究を推進している。特に研究は初期段階にあるので ゼロ除算の実在感の観点からの考察を進めている。 最近、素晴らしい事実の発見が寄せられてきたので、 広く世にそのような現象の発見を呼びかけたい。)
ゼロ除算1/0=0については 次で、解説したり、再生核研究所声明でも いろいろ取り上げている: 数学基礎学力研究会のホームページ
URLは
http://www.mirun.sctv.jp/~suugaku
最近、いろいろな具体例が しかも素人にも分かるような例が発見されてきたので、 広く 世にそのような面白い新しい現象の発見を呼びかけたい。まず結果は、分数を拡張して、自然に100割るゼロを考えると、何でもゼロで割れば、ゼロで、面白いのは、どの様に考えを一般化しても、それに限ると言うことが証明されたことである。導入、動機、一意性、すなわち、それ以外の考えが無いこと、それらが、高校レベルの数学で、簡単に証明されたと言う事実である。出版された論文は、高校生にも十分理解できる内容である。具体的な結果は、関数 y = 1/x のグラフは、原点で ゼロであると述べている。すなわち、 1/0=0 である。それらは 既に 数の実体である と言える。
― 要点は、上記双曲線は、原点で猛烈な不連続性を有し、爆発や衝突、コマで言えば、 中心の特異性などの現象を記述していることである。複素解析学では、1/0として、無限遠点が存在して、美しい世界であるが、無限遠点は 数値としては ゼロが対応する。
現在までに発見されたゼロ除算の実現例を簡単に列挙して置こう:
万有引力の法則で、2つの質点が一致すれば、引力はゼロである;一定の角速度で回転している回転体の中心で、角速度はゼロで、中心で不連続性を有している;光の輝度は 光源でゼロであること:円の中心の鏡像は 無限遠点ではなくて、中心そのものであるという強力な不連続性;電柱の微小な左右の揺れから、真っ直ぐに立った電柱の勾配はゼロであり、左右からマイナス無限とプラス無限の傾きの一致として、傾きゼロが存在している; 代数的には ゼロ除算z/0=0を含む簡単な体の構造が明らかにされ、数体系として自然な体系である複素数体より ゼロ除算z/0=0を含むY体 の方が自然であると考えられること; 点の曲率がゼロであること、などである。これらの現象は ゼロ除算が 普遍的に存在する現象を説明するもの と考えられる。
そこで、広く いろいろな世界に現れる ゼロ除算の現象の発見 を提案し、ゼロ除算の意味を深く理解したい:
― 哲学とは 真智への愛 であり、真智とは 神の意志 のことである。哲学することは、人間の本能であり、それは 神の意志 であると考えられる。愛の定義は 声明146で与えられ、神の定義は 声明122と132で与えられている。―
良い具体例は 再生核研究所声明で取り上げ、永年の記録にしたい。
例:
再生核研究所声明194(2015.1.2)大きなイプシロン(無限小)、創造性の不思議(道脇裕・愛羽 父・娘 氏たち)
再生核研究所声明195(2015.1.3)ゼロ除算に於ける高橋の一意性定理について
再生核研究所声明196(2015.1.4)ゼロ除算に於ける山根の解釈100= 0x0について
Announcement 237(2015.6.18): A reality of the division by zero $z/0=0$ by geometrical optics
Announcement 246: An interpretation of the division by zero $1/0=0$ by the gradients of lines
Announcement 250(2015.10.20): What are numbers? - the Yamada field containing the division by zero $z/0=0$
再生核研究所声明251(2015.10.27) 円と曲率 ―ゼロ除算z/0=0から導かれる道脇裕氏の解釈
もちろん、内容は論文その他で、積極的に取り上げ、状況によっては共著としての参加や論文出版を勧めたい。
学術的な観点については、次を参照:
再生核研究所声明189(2014.12.23) ゼロ除算の研究の勧め
以 上
以 上
再生核研究所声明257 (2015.11.05) 無限大とは何か、 無限遠点とは何か ー 新しい視点
(道脇さんたちの、和算の伝統を感じさせるような、何とも 言えない魅力 がありますね。 添付のように完成させたい。例の専門家たち、驚いて対応を検討しているのでは?どんどん、事情がみえてきました. 今朝の疑問も きれいに散歩中 8時15分 ころ、解決できました.成文化したい。2015.11.1.9:7
無限遠点の値の意味を 約1年半ぶりに 神は関数値を平均値として認識する で 理解できました。今、気になるのは,どうして、正の無限 負の無限、および ゼロが近いのかです。その近いという意味を、 正確に理解できない。 近い事実は 添付する 電柱の左右の傾きに現れている。
log 0=0
と定義するのが 自然ですが、それには、 ゼロと マイナス無限大 が一致しているとも言える。 そのところが 不明、何か新しい概念、考え 哲学が 求められている???
2015.11.1.05:50)
ローラン展開の正則部の値の解釈のように(再生核研究所声明255 (2015.11.03) 神は、平均値として関数値を認識する)、実は当たり前だったのに、認識がおかしかったことに気づいたので、正確に表現したい。
まず、正の無限大とは何だろうか。 1,2,3,…… といけば、正の整数は 正の無限大に収束、あるいは発散すると表現するだろう。 この正確な意味は イプシロン、デルタ論法という表現で厳格に表現される。すなわち、 どんなに大きな 整数 n をとっても、あるN を取れば(存在して)、N より大の 全ての整数 m に対して、n < m が成り立つと定義できる。 いろいろな設定で、このようにして、無限は定義できる。 どんなに大きな数に対しても、より大の整数が存在する。 それでは、+∞ とは何だろうか。 限りなく大きな数の先を表す概念であることが分かる。 大事な視点は +∞は 定まった数ではなくて、極限で考えられたもので、近づいていく先を表した状況で考えられていることである。 これらの概念は極限の概念として、現代数学で厳格に定義され、その概念は新しいゼロ除算の世界でも、全て適切で、もちろん正しい。
簡単な具体例で説明しよう。 関数y=1/x のグラフはよく知られているように、正の実軸からゼロに近づけば、+∞に発散し、負からゼロに近づけば、-∞に発散する。 ところが、原点では、既に述べてきたように、その関数値はゼロである。 この状況を見て、0、+∞、-∞ らが近い、あるいは 一致していると誤解してはならない。+∞、-∞ らは数ではなく、どんどん大きくなる極限値や、どんどん小さくなる極限値を表しているのであって、それらの先、原点では突然にゼロにとんでいる 強力な不連続性を示しているのである。
複素解析における無限遠点も同様であって、立体射影で複素平面はリーマン球面に射影されるが、無限遠点とは あらゆる方向で原点から限りなく遠ざかった時に、想像上の点が存在するとして、その射影としてりーマン球面上の北極を対応させる。 関数W=1/z は原点でその点が対応すると、解析関数論では考え、原点で一位の極をとると表現してきた。
しかしながら、新しく発見されたゼロ除算では、1/0=0 であり 原点には、ゼロが対応すると言っている。 これは矛盾ではなくて、上記、一位の極とは、原点に近づけは、限りなく無限遠点に近づく、あるいは発散するという、従来の厳格議論はそのままであるが、ゼロ除算は、原点自身では、数としてゼロの値をきちんとして取っているということである。 この区別をきちんとすれば、従来の概念とゼロ除算はしっかりとした位置づけができる。 近づく値とそこにおける値の区別である。
以 上









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