2050年の人口は90億人…世界中で食料を奪い合う時代に!?
2016.01.01 ニュース
もうすでに手遅れなのか? それとも、今ならまだ間に合うのだろうか? 人類滅亡につながりかねない、人為的に引き起こされている“危機”の現状をリポートする!!
【食料危機】2050年の人口は90億人。世界中で食料を奪い合う時代に!?
干ばつ 独立行政法人 国際協力機構
独立行政法人 国際協力機構より
人口増や温暖化の進行、水不足などで、極めて厳しい状況になりそうなのが「食料危機」だ。農業ジャーナリストで、『日刊ベリタ』編集長として国際情勢にも詳しい大野和興氏は「’50年には、世界中で食料を奪い合う時代になります」と語る。
「今年6月、英ロイズ銀行のシンクタンクが発表した研究報告によると、’50年までに世界の人口は約90億人に達し、穀物価格が高騰。世界各国で食料を奪い合う暴動や騒乱が日常的に起こり、核保有国であるインドとパキスタンの緊張が高まる。各国でクーデターや内乱が起きるとも予測されています」
そして、すでにその兆候はあると大野氏は言う。
「’08年に投機マネーによる穀物価格高騰があり、中東やアフリカ諸国では貧困層が食料を買えなくなり、暴動が起きました。その後ISのような過激派が勢力を伸ばした地域は、暴動が起きた地域と重なる。食料危機への人々の憤りが政情不安に直結しているのです」
温暖化対策を求めるNGO「気候ネットワーク」の桃井貴子氏も「シリア内戦も、’06~’10年の大干ばつによる食料危機が遠因だとの研究報告がある」と指摘する。食料をめぐる火種は今後ますます深刻なものとなりそうだ。
「FAO(国際連合食糧農業機関)は世界人口の増加に対応するため、’50年までに食料生産を60%アップさせる必要があるとしていますが、大増産は難しいでしょう」(大野氏)
1人あたりの耕地面積は低下し(グラフ参照)、経済のグローバル化で農地が現地の人々の食料生産の場ではなく、輸出用農産物生産の場に切り替わっているという。
⇒【グラフ】はコチラ http://nikkan-spa.jp/?attachment_id=1012867
1人当たりの耕地面積の推移
1人当たりの耕地面積の推移
「例えば東南アジアの豊かな農業地帯であるメコン川流域では、今までコメや野菜が作られていた農地が、自動車のタイヤの素材になる天然ゴムプランテーションになってしまいました。さらに、中国をはじめとする肉食の普及で、大量の穀物が家畜飼料として使われるようになりました。トウモロコシなどのバイオ燃料としての利用も、穀物価格の高騰や食料不足に拍車をかけています」(大野氏)
地球温暖化、テロのリスクやパンデミック、食料や水……人類が直面するリスクはそれぞれつながっている。総合的な視点と対策が必要とされているのだろう。
取材・文・撮影/志葉 玲 横田 一
― このままでは[人類滅亡]の危機 ―http://nikkan-spa.jp/1012748
再生核研究所声明 21 (2009/01/04): 人口問題についての考察
再生核研究所は より良い社会を作るためには 政治が重要であるとの考えから、時の政治について評価、批評 あるいは あるべき姿を提言、表明してきた。また絶対的な世界の平和のために 具体的な在り様についても提案してきた(声明10)。そして、より良い社会の実現のためには 公正の原則 に基づくべきである(声明1)と述べてきた。また、地球の有限性に対する人類の自覚(声明13)をも促してきた。
しかしながら 世に混乱が増大する大きな要因として、地球の人口の急激な増加を考えなければならない。既に人類が良い社会生活を営む為には、エネルギー、食糧、自然環境などの基本的な条件から判断しても、人口が多すぎる時代を迎えていることを, 冷静に受けとめる必要がある。もし、人口問題、特に人口の抑制にうまく対応できなければ、何れ万人の万人に対する戦いが始まり、公正の原則で社会は動かず、結果として人類絶滅の主因に成りかねないと考える。よって人口抑制の視点が無ければ、如何なる思想といえども いずれ行き詰まるものと考えます。ゆえに、世界の在り様の基本として、人口抑制の視点を強める事を提案します。
この難しい問題の基本を、あらゆる生物の繁茂と衰退から学ぶべきであると考えます。生物の本能原理を超えて、人口を抑制する原理は、声明19-超越への道、悟りへの道 に求めることができると考えます。人間はただ本能的に 人口、子孫を増加すれば良いという考えを改め、負の人生もあり得る と考えて、自ら人口の抑制を図る必要があると考えます。生まれてくる子供には何の罪もないのであるから、子供達が人生を肯定できるような人生を歩ませる展望が無ければ、親は無責任に子供をもうけるべきではない、という見解が出てくると考えられますが、如何でしょうか。あらゆる宗教は このような見解をとって来なかったと理解していますが、如何でしょうか。主な宗教は、地球の有限性が露になる以前に生まれたという事実を 重く受け止める必要があると考えます。再生核研究所は 生命、文化、社会の再生を目指している研究所です。然るに それらの目的の為には、人口の抑制が必要であると述べているのです。 これらの見解と具体的な対応、提案については、当分世の意見を伺いたいと考えます。
この問題を国家レベルで見れば、日本国のように、急激な人口減に陥り、国家や社会が人口減を食い止めようとする政策をとっている国々があるが、これは当然の政策として理解できるものである。しかしながら他方、人口の増加によって、国が上手く行かない状況に陥っている国々もある。これを無批判、無条件に援助によって、結果的に人口を増加させている状況があるとすれば、それは はなはだ問題であると考える。人口問題は各国家で責任をもって進め、他国に援助や影響を与えてはならないという事(縄張りを侵さないということ)は、あらゆる生物を支配している原理であると考える。もしこれを曖昧にすれば、国際紛争は避けられず、何れ万人の万人に対する戦いが始まり、公正の原則で社会は動かず、結果として人類絶滅の大きな要因に成りかねないと考える。また、日本国で考えられているように、多くの失業者を自国に抱えながら、単に経済な効率の視点から 安い労働者を海外から招こうしているが、これは国家とは何か、民族とは何かという視点、個性ある国家と文化の視点ばかりではなく、世界の人口の抑制の観点からも はなはだ問題であると考えます。
世界の人口 70億人を突破
http://www3.nhk.or.jp/news/html/20111031/t10013612051000.html
以上
再生核研究所声明 11 (2007/09/14): 国の構成について
まず 国家の意味について、フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』より引用しておこう http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%9B%BD%E5%AE%B6:
法学・政治学においては、以下の「国家の三要素」を持つものを「国家」とする。これは、ドイツの法学者・国家学者であるゲオルク・イェリネックの学説に基づくものであるが、今日では、一般に国際法上の「国家」の承認要件として認められている。国家の三要素:
領域(Staatsgebiet:領土、領海、領空)- 一定に区画されている。
人民(Staatsvolk:国民、住民)- 恒久的に属し、一時の好悪で脱したり復したりはしない。
権力(Staatsgewalt)ないし主権 - 正統な物理的実力のことである。この実力は、対外的・対内的に排他的に行使できなければ、つまり、主権的で(souverän)なければならない。
このモデルにおいては、国家とは、権力が領域と人民を内外の干渉を許さず統治する存在であると捉えられているのである。領域に対する権力を領土高権(Gebietshoheit)、人民に対する権力を対人高権(Personalhoheit)という。国際法上、これらの三要素を有するものは国家として認められるが、満たさないものは国家として認められない。この場合、認めるか認めないかを実際に判断するのは他の国家なので、他国からの承認を第四の要素に挙げる場合もある。
声明10において、絶対的な世界の平和が実現したとき、いわば世界が全体として1つの国のような存在になるから、そのときには国の構成はそれほど重要な意味を為さない時代を迎えることになる。そのときの国とは、その構成員たる人民の自由な意志によって、国が構成され、如何なる国といえども、その力によって強制されるべきではなく、また強制すべきではない。これを保証することは地球防衛軍の基本的な任務であり、目的である。すなわち国家とは、全ての人民のために存在するのであって、如何なる人民も犠牲にしたり、強制したりしてはならないのであって、人民は国家に対して不満を有するときには自由に望む国家を構成できるものと考えよう。歴史上武力によって成し遂げられた所謂独立戦争は、平和な民主的な自由な意志によって、今後は自由に独立を認めていくべきである。国際機関が このように自由な国家を構成する権利を 全ての人間に基本的な人権として生存権ともに保障することを求めます。みなさん、これは決して難しいことではなくて、世界全体が日本国のようになり、国々が日本国の都道府県のようになればよいのです。このような世界を実現させ、暴力のない世界をつくり、世界の愚かな軍事費を 美しい世界の営みにまわそうではありませんか。
以 上
再生核研究所声明 266(2015.12.25): 地球上に繁茂する 愚かな人類
世界史を振り返れば、 世界史が 如何に恥ずかしい人間の営みかを まざまざと見ることができるだろう。本能むき出しの過剰な争いの歴史を 愚かな争い と自覚することもできず、蟻の大群のように 盲目的に安全保障、安保、安保、集団的自衛権などとわめいている。
積極的平和主義などと言っては、危機を意図的に煽り、軍拡競争を進め、自滅したいと願望しているかのように 実際 進んでいる。
アメリカ、フランスの大統領は テロの攻撃に、これは戦争であると公言して、復讐爆撃を始め、破壊活動を拡大させ、難民の増大や殺戮を拡大している。相手の気持ちを汲むは 公正の原則の基本精神 であるにも関わらず、命を掛けて犠牲になった人たちの気持ちを理解しようともせず、抹殺を始めから意図していることは歴然である。これは、西欧文化を支える 聖書の精神 に背馳 しているのは明白である:
再生核研究所声明263 (2015.12.11) テロや武闘の終焉を願って
(『新約聖書』マタイによる福音書第五章・ルカによる福音書第六章にあることば。汝の敵を愛せよ、は 自分の敵は憎むものだという世間の常識に対して、イエス・キリストは「自分を愛してくれる人を愛することは、誰にでもできる。悪意をもって自分を迫害する者にこそ、慈愛をもって接しなければならない」と戒めた(故事ことわざ辞典) この解説以上に 聖書の言葉は 真実そのもの であることを ゼロ除算は述べている。)
仏教が単に人類だけではなく、大きな生命を考え、共感、共鳴、共生、共存を志向して 自らの生命を深く掘り下げ、森羅万象との調和を説いた偉大なる教えにも関わらず、それらを活かせず、盲目的な動物以下の歴史を描いてきたのは いま一歩の道 を踏み出せなかった 知恵の足りなさを実証しているのではないだろうか。いま一歩の道とは 夜明けを迎える心の変化のことである。偶然に1300年を越える歴史上で ゼロ除算が発見されたが、ちょうどそれと同じで 気づけば、実は それは簡単であった となるだろう。
聖書の言葉 汝の敵を愛せよ とは真実そのものであるが、相手の立場を考えよ、相手の立場に思いを寄せよ、で 世の有り様の原理は解決でき、確かな夜明けを迎えられるだろう。実は簡単であった。 世界史の進化を志向しようではないか。
かけがいの地球を見てみよ。 人類の繁茂によって 自然が破壊され、地球が傷ついているではないか。生態系を破壊して、人類は我が物のように野生動物、植物を虐待していると言える。これは人類が 地球上の生態系を破壊する まるで癌細胞 のような存在であることを自戒する必要がある。豊かな生態系無くして、人類の生存が有り得ないことは歴然である。科学が進歩したと言っても、蚊一匹作ることのできない人類の能力をしっかりと自覚する必要がある。
このまま暗い歴史を続ければ、人口増大、自然破壊、闘争で 人類の自滅は 時間の問題ではないだろうか。
国際機関は 人類の愚かさを自戒して、上記 聖書の言葉やお釈迦様など 世の賢人、聖人の教えに従って、また善良な庶民の自由な意見を取り入れて、人類を統一して、夜明けを迎え、輝かしい人類の世界史を展開すべきである。
以 上
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