SMAPの一部メンバー ジャニーズから独立検討
1月13日 12時02分
SMAPの一部メンバー ジャニーズから独立検討
国民的な人気を誇るアイドルグループ、SMAPの一部のメンバーが所属するジャニーズ事務所を辞め、独立を検討していることが分かりました。
これはSMAPが所属する芸能事務所、「ジャニーズ事務所」の代理人を務める弁護士が13日、NHKの取材に対し、明らかにしたものです。それによりますとSMAPのメンバー5人のうち一部のメンバーがジャニーズ事務所を辞めて独立することを検討していて現在、事務所側と協議を進めているということです。メンバーは現時点で事務所との契約期間が残っていて、代理人によりますと実際に独立するかどうか最終的な結論はまだ出ていないということです。
SMAPは国民的な人気を集める男性アイドルグループで、平成3年にCDデビューして以降、次々とヒット曲を出し、NHKの紅白歌合戦に通算で23回出場しています。親しみやすいキャラクターでテレビのバラエティー番組の出演も多く、メンバーそれぞれがドラマや映画などで俳優としても活躍しています。
これについてジャニーズ事務所は13日午後、報道各社に対し、コメントを発表しました。この中では「SMAPの一部メンバーの独立問題」として「たしかに、この件について協議・交渉がなされている事実は存しますが、そのような状況下であるため、詳細についてのお問い合わせについてはお答えできません」とコメントしました。http://www3.nhk.or.jp/news/html/20160113/k10010369551000.html
再生核研究所声明 274(2016.01.08): 間をとることの重要性、余裕を持とう
ここで述べたいことは、次に相当表れているので先ず、要点を復習したい:
再生核研究所声明234(2015.6.16)西行花伝 ― 辻邦生、新潮社を読んで – 雅について
まず、雅の語を確認して置こう: 雅(みやび、まさ〔名乗り〕)とは、上品で優雅なこと。宮廷風・都会風であること。風采の立派なこと。動詞形は「みやぶ」。(ウィキペディア)
本では、弓の名人、源重実が 西行(義清)に雅の意味を説明している。 大事な言葉を引用しよう(その辺の精読を勧めたい):
弓を射るとき、型があり、それから外れると、いかに矢が的を射ぬいても、それは雅の匂いを失う、的に当たるより、むしろ雅であるが大事、雅であることは、この世に花を楽しむ心である、余裕があったとき初めてこの世を楽しもうとする気持ちになる。この楽しもうとする心が雅なのだ、矢を射ること そのことが、好きな人、当たれば嬉しいが、当たらなくても好きな人 そういう人こそが 留まる人、つまり雅である人だ。―― しかしながら、雅とは拘らない、自由に楽しむ姿勢であるから、生や死に拘ることは既に 雅の心に反しているのであるから、相当に高い悟りを表していると言える。―― ガツガツしないで ゆったりと楽しむ心、超然とした心持ち、それが雅と表現できるだろう。 留まる心 だという。―― 世相で言えば、平安時代の貴族の生活は 雅すぎで、現代の世相は ガツガツしすぎているとは言えないだろうか。世相に落ち着きをとり戻したい。
現代の世相は 何か急かされているような状況はないだろうか、それゆえに 自分の世界や、家庭、生活に追われて視野が狭く、相手や他の世界をしっかり観る余裕が無くなっているような状況はないだろうか。もちろん、活動は生命の躍動の原理であるが、活動を質の高いものにするには、明に対して暗、間を、静をきちんと配慮するのが大事ではないだろうか。日本では、お茶の時間です、という良い習慣がある、大事にしたい。
ところで解析的な解とは、厳密解であり、一切の誤差を許さない、それに対して誤差を許す解、近似解を求めるチコノフ正則化法は神秘力を有し、そこからゼロ除算1/0=0を発見したが、解の誤差を許容することによって、良い近似解の構成を格段に簡明にする、哲学的な意義がある。これは何事余裕をもって考えようである。具体的な心得として、社会には何事期限や締め切りがあるものであるが、それらの期限以前に余裕をもって済ませてしまおうという、心得である。期限が迫れば、何かの事情で いろいろ期限のことで余計な気遣いがひとりでに湧いてきて、精神衛生上も 良くない状態に追い込まれるだろう。 もちろん、期限を守れないのは、世の約束、秩序の根幹に抵触することであるから、厳禁であることは 当然である。
急かされた生活、仕事について、先ず、精選、無駄なことや余計なことを排除して、余裕を持つ態度が大事ではないだろうか。精選良いものを少なく、選択するは、省エネの原理であり、間をとる、作る原理ではないだろうか。絶えず、心の整理、整頓に心がけることが 大事ではないだろうか。― ここで最も大事なことは 余計な想像をしないこと、気にしないことである。永遠の意味や宇宙回帰説:
再生核研究所声明262(2015.12.09) 宇宙回帰説 ― ゼロ除算の拓いた世界観
再生核研究所声明 264 (2015.12.23): 永遠とは何か ― 永遠から
などは、人生そのものに 余裕を与える 心持ちの原理になるだろう。それらは、人生の目標などが 未来にあるのではなくて、現在にあることを述べている。一歩踏み込めば、ものごとの結果、成果などは 大して意味はなく、活動している過程に意義があること知ることである。
以 上
再生核研究所声明 273(2016.01.06): つくられた人間 ― 人間とは何だろうか; 人生とは何か
つくられた人間、考えてみれば、人間は気づいたら生まれていた。いつもお腹が空くから、空腹を満たしたい、できれば美味しく気持良いものを頂きたい。寒さも暑すぎるのも嫌で 快適な環境で過ごしたい。これらの気持ちは 多くの動物と同じように 誰でも懐く基本的な要求ではないだろうか。人生の意義は 感動することにある と人生の基本定理で述べた。 しかし、何故、どうして、感動するかと問えば、実はそれらは既に 定められていると言える。空腹を満たしたい、いい感動をしたい、年頃になると恋に目覚めて、注目されたり、思われたりしたい という情念がひとりでに 湧いてくる。これらのほとんどが、定められていて、われわれは多くはそのような情念に動かされて生きていると言える。すなわち、われわれの道は、生きる道は、実は定まっていて、その道を歩まされていると言える。人は何故生きているのかと問えば、多くの人は、 死にたくないから、上記のように生物の本能を満たしたいから、と答えるだろう。もし人間が、生きたくない、死にたいと 本当にそのように感じる心がつくられていれば、人間は生きず、当然、生存できず、人間は滅んでしまうだろう。だから、人間をつくったものは、人間を生かすような仕組みをわれわれに備えているのは当然である。
われわれがつくられた存在であることは 歴然である。誰ひとりとして、自分をつくったものはいなく、基本的なものは与えられ、定められている。われわれが自分で、自分の自由意思で決めた、判断したと言っても、それは良い気持ちや、感動するためなど、天賦のものに従うように働いていると言える。
人間が自由といっても、そのような意味で、われわれはつくられたものの意思に従っているだけの存在であるとも言える。そのような意味で、われわれば だだ生かされているだけの存在だとも言える。少し、哀しくもなるが、良く生きるとは、帰するところ、われわれをつくったものの意思に忠実に従って生きる、ということになる。そこで、われわれが如何につくられているかを よく知ること、そして、それに良く従って生きるのが 良いということになる。
例えば、空腹を満たしたいは、相当に基本的な要求であるから、見方を変えれば、われわれは胃の要求に縛られ、終生胃の要求を満たすように働かされているとも言える。
恋の要求、愛されたい、仲間を増やしたい、友人が欲しい、家族が欲しい、真理を追求したい、などなどみな人間の存在の仕組みに織り込まれていて、我々はそれらに支配されて働かせられていると言える。
人間が、自分が どのようにつくられているかを問うことは、なんじ自らを知れの核心ではないだろうか。人生如何に行くべきかについて、私はどのようにつくられているかと問うのは 良い方法ではないだろうか。この観点では 相当に客観的に科学的な解明を進めることができるのではないだろうか。地についた考え方であると考える。
ここには、人間如何に生きるべきかの原理ばかりではなく、人間が自分をつくったものから完全に解放され、完全な自由を得る原理さえ確かにある。
以 上
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