急増中!遺骨を「ゆうパック」でお寺に配送
「ゼロ葬」時代はここまで来た葬儀不要、墓もなくていい。あなたはどう思いますか?賢者の知恵週刊現代コラム一覧
葬儀不要、墓もなくていい。そんな風に考える人が急増するいま、さらに新しい潮流が巻き起こりつつある。なんと遺骨を宅配便で寺院に送り、供養を依頼する人が増えているという。実情を追った。
基本料金は3万円
埼玉県・熊谷市にある曹洞宗の寺院・見性院。敷地約4000坪。創建から400年以上の歴史があるこの禅寺に、平均して月に3回ほど、郵便局などが取り扱う宅配便「ゆうパック」で送られてくるものがある。
品名は、「遺骨」。扱いは「こわれもの」。梱包に納められている陶器の骨壺に配慮してのことだ。
「送骨サービス」としてゆうパックでの焼骨の受け入れを始めた、同院の橋本英樹住職(49歳)は、こう語る。
「これまでに、中の骨甕(骨壺)が割れたり、お骨が飛び出したりといった事故もありませんし、郵送中の紛失事故も一度もありません」
家族が亡くなれば親族や故人の友人、職場の関係者などを呼んで通夜・本葬を行い、四十九日の法要を経て、先祖代々の墓に納める—。それがかつての日本の「弔い」のイメージだった。
だがここ数年、葬儀は大げさにせず、ごく近しい人だけ呼べばよいとか、いわゆる「何々家の墓」を建てても、子供たちには迷惑だと考える人が急増している。
さらには、「葬儀は不要、墓もなくてよい」とし、「ゼロ葬」と呼ばれる送られ方を希望する人も多くいる。すぐに遺体を火葬場で焼き(直葬)、焼骨は山野や海に散骨するなどして、「手間もおカネも最小限で『さようなら』」しようとする人々だ。http://gendai.ismedia.jp/articles/-/43960
再生核研究所声明215(2015.3.11) ゼロ除算の教え
ゼロ除算は、数学ばかりではなく、 人生観、世界観や文化に大きな影響を与える:
再生核研究所声明166(2014.6.20)ゼロで割る(ゼロ除算)から学ぶ 世界観
再生核研究所声明188(2014.12.16)ゼロで割る(ゼロ除算)から観えてきた世界
ゼロ除算における新現象、驚きとは Aristotélēs の世界観、universe は連続である を否定して、強力な不連続性を universe の現象として受け入れることである。
と述べた。
ゼロ除算は 無限遠点(無限)が 実はゼロ点(ゼロ)と一致していたという 驚嘆すべきことを言っているが、それらは対立するものの奇妙な一致を述べている。
食物連鎖の厳しい現実は、食べるものと食べられるものの一致、生と死の一致、愛と憎しみ、愛と性など 一見反するものの微妙な調和、同等性、一致はそれこそ universe に普遍的に見られる現象ではないだろうか。 そのような視点は universeの理解、概念に新しい感覚と世界を拓くだろう。またそのような事実、世界を肯定できなければ、universe を肯定できないのではないだろうか。
富める者は貧しき者であり、貧しき者は富める者である。強いものは弱いものであり、弱いものは強いものである。敵は味方であり、味方は敵である。幸せな者は不幸であり、不幸な者は幸せ者である。
一般に考えられているのとは逆に、長命なものは不幸であり、短命なものこそ幸せであるとは言えないだろうか。
進化は退化であり、退化は進化であり、美しいものは醜く、醜いものは美しいものである。
賢い者は愚かな者であり、愚かな者は賢い者である。優れるものは劣るものであり、劣るものは優れたものである。正義は悪であり、悪は正義である。明は暗であり、暗は明である。動は静であり、静は動である。
それらは、ゼロ除算のように惹きつけるものがあるのではないだろうか。
ゼロ除算の研究とは、哲学であり(哲学とは 真智への愛 であり、真智とは 神の意志 のことである。哲学することは、人間の本能であり、それは 神の意志 であると考えられる。愛の定義は 声明146で与えられ、神の定義は 声明122と132で与えられている。)修行であり、信仰であるとも言える。 信仰こそは ゼロ除算の典型であると言える。実際、ゼロ除算は ゼロから無限へのワープであり、信仰とは 心の中心から 神へのワープである。
以 上
ゼロ除算は、不可能であると誰が最初に言ったのでしょうか・・・・
再生核研究所声明216(2015.3.12) 死について、死からの解放について
この問題は 宗教の大きな問題ばかりではなく、死を畏れるは 知恵の始めなりと言われるように、人間にとっては 相当大事な問題ではないだろうか。 再生研究所声明でも相当に触れられてきている:
再生核研究所声明19: 超越への道、悟りへの道
再生核研究所声明 47: 肯定死
再生核研究所声明 63 解脱; 神、自由、不死への道 - 安らかに終末を迎える心得
再生核研究所声明 68: 生物の本質 ― 生きること、死ぬること
再生核研究所声明 99(2012.9.24) 死の肯定、在りよう、儀式、将来への提案
再生核研究所声明 118(2013.5.16): 馬鹿馬鹿しい人生、命失う者は 幸いである、 と言える面もある ―
再生核研究所声明 120(2013.5.24): 終末の在りようについての 総合的な検討を、遅れている面での 文化を進めよう ― 個人の自由意志の尊重に基づく 肯定死の保証 と 方法の確立を
再生核研究所声明 122(2013.8.1): 神の存在と究極の信仰 - 人間よ 想い煩うことはない。 神は存在して、一切の存在と非存在を しっかりと支えられておられる、 人は必要なときに必要なだけ、 念じるだけで良い。
再生核研究所声明 141(2013.11.14): 結局、人間とは、人生とは 何だろうか、どの様なものか
再生核研究所声明145(2013.12.14): 生きること、人間として在ることの 究極の意義 についての考察
再生核研究所声明149(2014.3.4): 生きること、生命の本質、活動して止まないもの
再生核研究所声明192(2014.12.27): 無限遠点から観る、人生、世界
再生核研究所声明203(2015.2.4): 人間とは何か、人生とは何か
再生核研究所声明205(2015.2.11): 宿命論
上記からも分かるように、人生の問題は 相当に死の問題に関わっていることが分かる。多くの人は 死からの解放、自由になれることを望んでいるのではないだろうか。そこで、そのような視点から、その心得を率直に纏めてみたい。
まず、死の実体であるが、死によって我々の精神活動は停止して、何も分からない状態に陥り、一切の感覚を失い、意識を失ったような状態に至ると考えるのが 妥当である。これらは、至るところで経験する事実である。これは 死後の世界が生まれてくる前のようであると 楽しく想像するのが良いと考えられる。 死とは解放であり、全ては言わば天国への道であると考えられる。
およそこの世の全てのことは 必然である地球の絶滅と共に 滅亡し、世界史は消え、上記のように、地球の誕生以前のような状態に至ると考えれば、心持ちとして、この世の問題は 大したものではなく、もっと気を楽にして、楽しく志向するが良いと思われる。
しかしながら、人生では 始めも分からず、先も分からず、現世もよく分からない人間の実態をしっかりと捉えれば、我々の存在と意識を超えた大いなるものをしっかりと捉えられ、われわれは 意識薄い、幼き頃 母親に抱かれていて、すっかり何もかも任せて安らかにしていた時のように 私たちは愛されている という 信仰をしっかりと確立できれば、人生の切なさから解放されるのでは ないだろうか。 信仰の問題は 個人の心の問題であるから、大いなるものの存在は自明であるとしても、捉え方は 個人の 心の状態によるものと考えられる。しっかりとした信仰を持てる者は まこと幸せであると言える。
しかしながら、意識しようが、しまいが、生けとし生けるものは 死によって すべて解放され、救われることは、歴然であると考えられる。
しかしながら、生命の基本定理、生きて存在しなければ 始まらない。人間存在の原理,存在、智、愛 をしっかりと捉えて置きたい。
以 上
再生核研究所声明225(2015.4.23)偉大な数ゼロ ―ゼロの教え
(最近、急に気に成り出した心境で、本声明は 1種の悟りの心得に通じるので、概ね退職された人向きと言える。)
ゼロ除算の結果は、直角双曲線関数 y=1/x の原点における値が ゼロであると言っている。それは、まるで、原点でゼロが正の量と負の量に 爆発して双方に広がっているようである。その様は現代物理学の学説、ビッグバン、すなわち、宇宙はあるとき、無から爆発によって突然現れ、その爆発の続きが続いているという。 無からの発生は、プラス、マイナス、とで合わせてゼロで、無からの発生はおかしいとも言えないという。これは、全体としてゼロとして釣り合っていることを意味する。universe が全体として ゼロとして釣り合っているということは 奇妙にも我々の心に響くものがある。
苦労しただけ、喜びが湧くのでは?
明るい面があるだけ、暗い面があるのでは?
ゼロは基準値であり、長命な生物も短命な生物も、 長命な人生も、短命な人生も同じようなものではないだろうか?
幼いころ、麦畑の上でひばりのさえずる情景を見たのを想い出す。 飛び立っては天高くまい上がり、やがて巣に戻る。 地平ゼロから始まって地平ゼロに帰する。永くさえずっていても、短くても結局同じではないか。 人間も誕生して、結局は元に戻る。結局、みんな同じようではないだろうか。 人生の長短など本質的には問題では無くて、みんな同じようではないだろうか。 ゼロから始まってゼロに帰する、ゼロとは そのようなものではないだろうか。
他方、ゼロ除算の複素版は、平面上では どのような方向でも どんどん原点から遠ざかれば、無限遠点の1点に行くが、 その無限遠点は、突然、原点に戻っている ことを述べている。これは結局のところ、ゼロから始まってゼロに帰すること、すなわち、元に戻る universe の原理を教えているのではないだろうか。
本声明は、ゼロの心境が大事なこと を述べている。
また、始めが大事であること を述べている。
以 上
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