2015年7月4日土曜日

星空を超えて 現代天文学の技術と意義

星空を超えて 現代天文学の技術と意義
2015.07.04 Sat posted at 09:30 JST

ハッブル宇宙望遠鏡=NASA提供
(CNN) 夕暮れ時の空を見上げて、とても明るい星を見つけたことはあるだろうか。もしあれば、それはきっと金星だ。金星はこれまで数多くの探査機の目的地となり、宇宙に浮かぶハッブル宇宙望遠鏡もその姿を観察してきた。
天文学は、太陽や月の動きを追い、星座の形から神話が生まれた大昔から人類の想像力をかき立てた最古の科学の1つだ。天文の不思議に驚く感性は現代でも衰えておらず、子どもから大人まで多くの人が、天文台やプラネタリウムを訪れたり、宇宙探査機が撮影した画像をダウンロードしたり、機会があれば望遠鏡で夜空を観察したりする。
そして、技術を極限まで高め、かすかな信号をとらえ、複雑な手法を用いて、われわれが決して行くことはないであろう世界、星、銀河団のモデルを構築するのが天文学だ。
だが、その学問を構築し実証していくのは相当の困難を伴う。その一例が、米国の天文学者エドウィン・ハッブルにちなんで名付けられたハッブル宇宙望遠鏡だ。
ハッブル宇宙望遠鏡の建設は1970年代末に始まり、米航空宇宙局(NASA)のスペースシャトルで宇宙に輸送する準備が進められた。チャレンジャー号の爆発事故で打ち上げが遅れたが、1990年にようやく運用が開始。打ち上げ直後に天体の光を集める鏡にゆがみが見つかり、3年後に別のスペースシャトルの乗組員が修正装置を設置し、この欠陥を修理した。この4月には25周年を迎えた。http://www.cnn.co.jp/fringe/35065740.html?tag=top;topStories

このようにさまざまな困難に見舞われハッブル望遠鏡だが、その後天文学に変革をもたらした。地球から望遠鏡で宇宙を見ると大気の影響でぼやけて見えるが、ハッブル望遠鏡は大気圏外にあるため鮮明な画像の撮影が可能だ。
いまだ謎に包まれている「暗黒エネルギー」により、宇宙の膨張が加速していることの解明がハッブル望遠鏡での観察で進んだ。また、太陽以外の恒星で惑星が形成されている画像を送ったり、ほぼすべての銀河の中心に巨大なブラックホールが存在することも示してきた。
そして今、ここで利用された技術はわれわれの日常生活のさまざまな面に影響を与えている。
ハッブル望遠鏡にはCCD(電荷結合素子)と呼ばれるデジタルセンサーが搭載されている。このCCDは、写真乾板よりもはるかに高い感光性を持つ。天文学者はCCDの「初期導入者」だが、今や歯科医やがん専門医も同様のセンサーを利用している。さらに、携帯電話に搭載されているカメラのほぼすべてにCCDが使用されている。
また、このCCDを搭載した新たな検出器は、膨大な量のデータを生み出すため、広範な分析が必要となる。例えば、チリのVISTA望遠鏡が一晩に生み出すデータ量は300GB以上と、音楽CD約600枚分に相当する。http://www.cnn.co.jp/fringe/35065740-2.html


この規模の「ビッグデータ」の処理は、ボランティアの「市民科学者」の支援で行われている。最も有名な例の1つがGalaxy Zoo(銀河動物園)だ。このプロジェクトでは、数十万人の協力を得て、銀河の形状を分類している。
このような分析で使われた技術も医療分野で生かされている。ケンブリッジ大学天文学研究所と腫瘍(しゅよう)学、病理学の研究者との共同プロジェクト「PathGrid」では、天文学向けに開発された高度な画像分析・データ処理技術を医療分野に応用。病院のX線技師による悪性腫瘍の発見を支援し、腫瘍除去手術の容易化、迅速化を図っている。
電波天文学の分野では、電波望遠鏡「スクエア・キロメートル・アレイ(SKA)」の数千個のパラボラアンテナと数十万個の検出器がオーストラリアとアフリカ南部に設置される。今後、この超高感度望遠鏡を使って、暗黒エネルギーの調査やアインシュタインの相対性理論のテストなど、天文学のより大きな疑問の解明に向けた取り組みが行われる。
このSKA向けに開発された技術が、世界に変革をもたらすほどの斬新な技術であることは想像に難くない。この望遠鏡を機能させるには、現代世界のインターネット通信量の100倍に相当する膨大なデータフローを処理するネットワークの構築と、遠隔の砂漠でほとんど保守・管理を必要としない電源開発が必要になるだろう。http://www.cnn.co.jp/fringe/35065740-3.html


これが実現すれば、インターネットへの接続性の飛躍的な向上や、今日のエネルギー消費型のインフラも不要につながる可能性もある。1990年代には、電波天文学者がWi-Fiネットワークを発展させた実績もある。
天文学者の多くは生活に役立つ技術の開発に直接取り組んでいるわけではないが、このように天文学の技術はわれわれの日常生活のさまざまな場面で役立っている。
そして天文学は、われわれに日常の事柄を忘れさせ、自分たちが巨大な世界のほんの小さな一部であることを思い出させてくれる。これこそが天文学のような学問の存在を正当化する最良の理由かもしれない。天文学にまつわる大きな疑問に触れたり、美しい夜空を見て、科学全体について、これまでよりほんの少し深く考えてみることは悪くないだろう。

本記事は英王立天文学会のロバート・マッシー氏によるものです。記事における意見や見解はすべてマッシー氏個人のものです。http://www.cnn.co.jp/fringe/35065740-4.html


再生核研究所声明150(2014.3.18) 大宇宙論、宇宙など小さい、小さい、the universe について

(この声明は、最近の特異点解明: 100/0=0, 0/0=0 の研究の進展に伴って 自然に湧いた構想である)

この声明の趣旨は、いわゆる物理学者が考えている宇宙、― 宇宙はビッグバンによって、誕生したという宇宙論を ニュートン力学と同様、幼き断片論と位置づけ、はるかに大きな the universe を志向し、アインシュタインを越えた世界、さらに 古代から続いてきた暗い人類の歴史に 明るい光を灯し、夜明けを迎える時代を切り拓きたいということである。 既に裏付ける思想は 一連の再生核研究所声明で確立していると考える。 ニュ-トン、アインシュタイン、数学の天才たちも、特異点の基本的な性質さえ捉えていなかったことは、明らかである。
簡単な基本、100/0=0,0/0=0 を発見した、精神、魂からすれば、新しい世界史を開拓する思想を語る資格があることの、十分な証拠になると考える。 実際、 - 古来から 続いてきた、人生、世界の難問、人生の意義、生と死の問題、人間社会の在り様の根本問題、基本概念 愛の定義、また、世界の宗教を統一すべく 神の定義さえ きちんと与えている。
The universe について語るとき、最も大事な精神は、神の概念を きちんと理解することである:

そもそも神とは何だろうか、人間とは何だろうか。 動物たちが美しい月をぼんやりと眺めている。 意識はもうろうとしていて、ほんにぼんやりとしか とらえられない。 自らの存在や、ものごとの存在すら明瞭ではない。
人間も、殆ど 同じような存在ではないだろうか。 人類よ、人間の能力など 殆ど動物たちと変わらず、 ぼんやりと世界を眺めているような存在ではないだろうか。 神も、一切の存在も観えず、ただかすかに感じているような存在である。 それゆえに、人間は あらゆる生物たちのレべルに戻って 生物たちから学び、 また原始人に戻って、また子供たちのように 存在すれば 良いと言えるのではないだろうか(再生核研究所声明 122: 神の存在と究極の信仰 - 人間よ 想い煩うことはない。 神は存在して、一切の存在と非存在を しっかりと支えられておられる、 人は必要なときに必要なだけ、 念じるだけで良い; 再生核研究所声明 132 神を如何に感じるか - 神を如何に観るか)。
すなわち、人間よ おごるなかれ、人類の知能など 大したことはなく、内乱や環境汚染で自滅するだろう、と危惧される。
昨年は 数学の存在と物理学が矛盾し、数学とは何かと問うてきた。

数学とは何か ― 数学と人間について
国際数理科学協会会報、No. 81/2012.5, 7―15 

No.81, May 2012(pdf 432kb)

に公刊したが、そこで触れた、数学の神秘性については さらにその存念を深め、次のように問うている:
誰が数学を作ったのか? (再生核研究所声明 128: 数学の危機、末期数学について)

時間にもよらず、エネルギーにもよらない世界、それは、宇宙があるとき始まったという考えに 矛盾するものである。 無から世界が創造されたということも 受け入れがたい言明であろう。さらに、the universe には、物理学が未だに近づけない、生命や生命活動、人間の精神活動も歴然として有ることは 否定できない。音楽、芸術に感動している人間の精神は the universe の中に歴然と有るではないか。
ビッグバンで ゼロから、正の量と負の量が生じたとしても、どうしてビッグバンが生じたのか、何が生じせしめたかは 大きな課題として残っている。 数学の多くの等式は 数学を越えて、the universe で論じる場合には、その意味を,解釈をきちんとする必要がある。 The universe には 情報や精神など、まだまだ未知のものが多く存在しているのは当然で、それらが、我々の知らない法則で ものや、エネルギーを動かしているのは 当然である。
そこで、100/0=0,0/0=0 の発見を期に、今やガリレオ・ガリレイの時代、天動説が 地動説に代わる新しい時代に入ったと宣言している。The universe は 知らないことばかりで、満ちている。

以 上
天動説・・・・・・∞
地動説・・・・・・0



再生核研究所声明 116(2013.5.1): 宇宙空間、星間交流から人間を考える 

(1200光年先にようやく生物の存在可能な天体が3つ見つかったという。孤独な地球。かけがいの地球。そこで、何とか地球外生物と交信したいものである。どうしたら、できるだろうか。2013.4.20.16:20 その方法に気づく。慎重に検討して、いずれ提案したい。)
まず、広い宇宙空間において、地球だけが例外で、生物や人間のような知的な生物が存在すると考えるのは 無理があるのではないだろうか。広い宇宙には 人間を越えた知的な生物が存在すると考える。そう感じる。
しかしながら、現代物理学の定説によれば、光より 電波より、早く伝達する手段は無いから、地球上の生物が 人間存在の原理に基づいて(再生核研究所声明 32 : 夜明け ― ノアの方舟)、宇宙空間に進出し、人間の存在領域を拡大しようとしても 広大な宇宙からみれば、それは限られ、地球外生物との直接的な交信、交流は当分、厳しい状況にあると言える。
そこで、発想を逆転させ、宇宙空間交流を意図するには、宇宙空間全体を この地球上に実現すればよいということになる。すなわち あらゆる生命の原理を究明し、一般原理、普遍原理によって、あらゆる可能性を究明して、対応することが出来ると考える。
地球は 宇宙の小さな部分であるが、しかしながら、地球は宇宙全体を 人間の知的な活動によって 包み込むことができると考える。これは一つも矛盾ではなく、部分が全体に等価であるは、数学の世界でも 無限な世界や、解析関数の概念にも存在する。― すなわち、 解析関数の全体の情報は、解析的な どんな点の小さな部分にも、反映されていて、そこから、全体の情報を取り出すことも出来る と なっている。また、エルゴート性の概念も同じような思想になっていると考えられる。
そもそも、対話、交流、愛とは何か と問えば、世界とは、自己の世界に映ったすべて であるとも言い得る。さらに、個々の人間の話題、知識、認識は 狭く限られ、実際多くの考えられるすべての対話は、この地球上に生存する、生物、何十億の人間との対話で、十分可能であると考えられる。さらに、論理的な思考を働かせれば、普遍的な原理によって 人間のあらゆる対話に対する反響は、宇宙空間に問うまでもなく、十分な反響を得ることが出来るだろう。そもそも対話とは、自問自答であるとも言える。実際、自己の内部も 広大な宇宙と同じように無限に広がり、それは全宇宙さえも包み込む存在であるとも考えられる。人間の存在とは、内なる広大な世界と 外なる広大な世界のはざまに存在する、ふらふらした曖昧な 心に代表されるような存在であると言える。
それ故に、この地球上に 生体系を豊かにして、個性を 重んじた多様な世界を築くことによって、実際には 宇宙空間における交流の困難性は 克服できると考える。
結論は、あらゆる生命の存在と存在の可能性を明らかにすることによって この地球上に宇宙を取り組むことによって、宇宙空間交流は 実現できると考える。
そのとき、宇宙間交流の手段とは、もはや光でも電波でもなく、時間にも、空間にも、宇宙にも、エネルギーにも無関係な 数学である と言える。数学こそが 生命の客観的な表現であると言える ― (数学とは何か ― 数学と人間について 国際数理科学協会会報、No. 81/2012.5, 7―15   No.81, May 2012(pdf 432kb))。

以 上


再生核研究所声明181(2014.11.25) 人類の素晴らしさ ― 7つの視点

ここでは、人生、世界の賛歌の形で、人類の明るい面、素晴らしさに焦点を合わせてふれて,  生命の、人生の素晴らしさを確認し、希望と勇気を奮い立たせたい。

1)神、信仰: 人間がユニバースの創造者の概念を懐き、神の概念を得て信仰のレベルに達したのは素晴らしく、人間の根源的な才能であると評価したい:― 哲学とは 真智への愛 であり、真智とは 神の意志 のことである。哲学することは、人間の本能であり、それは 神の意志 であると考えられる。愛の定義は 声明146で与えられ、神の定義は 声明122と132で与えられている。―
2)求道: 人間が 己が何ゆえに存在しているのか、私は何者かと問い、存在の意味を求めて、修行し、在るべき有り様を真摯に追求している姿は、真に人間として尊いと言える。
3)愛: 愛とは共生感に基づく喜びの感情であるが (声明146)、多くの愛は人間社会の喜びの源泉と生きる力である(再生核研究所声明134: 私の命よりも 大事な 私 ― 人間の崇高さ、素晴らしきかな 人間)。
4)言語: 言語を使用して、交流でき、意思疏通ができ、あらゆる生命活動について、共感、共鳴できる人間の素晴らしさ。愛の基礎ばかりではなく、精神面での生命の伝播、記録、共有さえ可能にしている。
5)芸術: これは、絵画、音楽、歌、文学、スポーツ、技巧、あらゆる人間の創造的な活動の文化活動の営みを挙げることができる。これには、いわゆる名人芸、技術、芸能など、 芸術で捉えられる分野は広く、深く広がっている。
6)科学: ニュートン力学やアインシュタインの理論、電磁波の発見や応用、数学ではオイラーの公式や微積分学の発見など、近代科学の素晴しさはそれこそ、神の意思を真摯に追求しているものとして高く評価される。これは医学や工業技術など近代科学などを広く捉えることができる。
7)義: これは世界史に多く記録される、大義のための自己犠牲の精神であり、個人を超えた大きな存在に対する帰依の精神である。この大義は、実に様々に捉えることができるが、己の命を超えた存在に対する、自己犠牲の精神である。

人間の素晴らしさは 全て、 感動にすること に結びつくだろう(再生核研究所声明 12: 人生、世界の存在していることの意味について )。
以 上








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