2015年7月3日金曜日

地震はどこで起こっている?

地震はどこで起こっている?

2013/1/19 掲載
 柴 正博



はじめに

  実際に地震はどこで起こっているのか.地震学者からは,日本列島周辺の地震はプレート(岩盤)の境界とプレート内部で起こっていると解説されている.しかしそれは事実であろうか.

 ここでは,気象庁一元化震源データと山形大学の川辺孝幸教授から提供を受けた震源分布作成ソフトScat3Dを用いて,実際に日本列島周辺の震源がどこにあり,どのような分布の特徴があるかを検討したいと思う.震源データは気象庁一元化震源データのうち,日本周辺で1997年10月1日~2011年8月28日までに起こったマグニチュード0.1~9までの地震の震源を用いた.震源分布図は,この震源データを使用し,Scat3Dソフトでを作成した.震源の深さは円の色で,規模は円の半径の大きさで示してあるが,ここでは震源の位置に注目するため,それらの凡例を省略する.

日本列島周辺の地震分布の特徴

  第1図はすべての震源の分布を示したもので,これを見ると,日本列島周辺では海溝と島弧に沿って多くの地震が発生していて,まさに日本列島は地震の巣のように見える.しかし,これらの地震の震源をその深度ごとに見ると,いくつかの深度の範囲により異なった分布の特徴が認められる.


 第1図 日本周辺の深度0~681kmの震央分布.

深度300km~最深(681km)で発生している地震(第2図)

 この深さの震源は,小笠原諸島の南から伊勢湾,若狭湾を通り日本海の大和堆付近で終わる北北西-南南東方向で西に傾斜した深発地震の分布がある.また,千島海盆の北部から北海道の稚内付近まで伸びる東北東-西南西方向で北に傾斜した分布があり,これら2つの分布の間の日本海盆にも震源の分布があり,全体に「く」の字型に直交するように見える.この深度範囲の震源分布はいわゆる深発地震面の下部に当たり,上部の分布とは不連続で,異なった分布を示す.


第2図 日本周辺の深度300~681kmの震央分布.
 
深度50~300kmの地震(第3図)

 この深さの地震は,いわゆる深発地震面上部を形成する震源の分布を示すが,伊勢湾から豊後水道の間の太平洋側(南海トラフ)では深発地震面に相当するものが見られない.このことは,深発地震面に相当するプレート境界がないということになるのではないだろうか.ただし,紀伊半島と熊野灘南東側,室戸岬南方に震源の小規模な分布が見られる.



第3図 日本周辺の深度50~300kmの震央分布.南海トラフに沿って地震がない.

深度20~50kmの地震(第4図)

 この深さの地震は,島弧の太平洋側の大陸斜面に分布するものと,東北地方の日本海側大陸斜面と稚内付近に分布するものがある.島弧の脊梁部にはこの深さの地震がほとんどなく,西南日本の日本海側にも多くは分布しない.この深度範囲の下部のものについては,深発地震面の最上部の地震も含まれていると思われる.また,小笠原諸島より南側では地震がほとんどなく,千島弧では深さ25~40kmに集中する.この深度範囲は島弧の下では大陸地殻下部に相当することから,そこでは地震が発生していないということになる.

 日本列島の下でこの深さの地震がないということは,そこが破壊しない塑性体(固体)でない可能性があり,地震波の低速度層や火山帯の分布と関連があるかもしれない.また,水色の震源は超低周波地震で,それらは火山帯の下にあるようにも見える.



第4図 日本周辺の深度20~50kmの震央分布.日本列島の下で地震がない.
水色は超低周波地震で,それらは火山帯の下にあるようにも見える.

深度0~20kmの地震(第5図)

 この深さの地震は,島弧の脊梁部とその周辺の大陸斜面に分布する.深さ10km以浅のもの特に陸域といくつかの地域に集中して分布し,10~20kmのものは大陸斜面に分布する.また,海岸線に沿っていくつかの地域で地震の空白域が認められる.小笠原諸島より南側ではこの深度の地震がほとんどなく,北海道と千島弧との間に空白域があり,千島弧では深さ15km付近に大きな地震が分布する.10km以浅の地震が島弧の陸域に分布することは,島弧の大陸地殻上部に地震が起こっていることになる.
 


第5図 日本周辺の深度0~20kmの震央分布.日本列島の下に特に集中する.

地震はどこで起こる

 地震には,海溝型巨大地震と阪神・淡路大震災を引き起こした1995年に起こった兵庫県南部地震(M7.3)のような内陸直下型地震,それと群発地震という3つのタイプがあると言われている(島村,2011).海溝型地震は,いわゆるプレート境界型で,他の2つはプレート内地震などと言われている.しかし,プレート内地震とはどのように起こるのであろうか.プレート内地震の地震発生メカニズムについては,プレート境界型のようにわかり易い説明がされていない.

 第6図に東北地方の三陸沖を切る東西断面を示す.ここでは深発地震面は上下2列(二重深発面)をなし,上面の上方端は海溝ではなく,深海平坦面の西縁付近に延長される.東北地方太平洋沖地震の本震は深発地震面上面の上方延長よりも海溝側に分布し(第6図の矢印の深度24km),海洋プレートが沈み込んでいるとされる日本海溝はさらにその東側100km以上のところにある.



第6図 東北地方の三陸沖(北緯38°)を切る東西断面での震源分布.
矢印の深さ24kmが東北地方太平洋沖地震の本震の震源.
日本海溝はその東側100km以上のところにある.

 深発地震面上面の上方延長が海溝より陸側にあることは東北日本弧だけでなく,伊豆-小笠原弧や琉球弧でも見られる事実である.深発地震面上面が海溝から沈み込んでいないのに,海洋プレートは海溝から沈み込んでいるのであろうか.海洋プレートの沈み込み帯と深発地震面が一致しないのに,海溝型地震の発生機構はどのように説明されるのであろうか.

 また,東海地震や大規模地震が想定されている南海トラフには,上述したように深発地震面が存在しない(第3図).海溝型地震は海洋プレートが沈み込むときに起こるとされているので,海洋プレートの沈み込み帯に相当する深発地震面が存在しないことは,海溝型地震が発生しないということになるのではないか.

 兵庫県南部地震のような内陸直下型地震と呼ばれる地震は,都市の発達する平野や盆地と隆起する山地との境界付近で発生する.その規模は海溝型に及ばないが,震源が都市直下のために大きな被害が発生する.このような地震は,日本全国の平野や盆地でしばしば起こっていて,静岡平野で言えば1935年に有度丘陵の南西部の平野との境界で起こった静岡地震(M6.4),清水平野では1965年に北部山地と平野との境界で起こった静岡地震(M6.1)がある.2009年8月に起こった駿河湾地震は海域であるが,石花海海盆の北縁で起こったものである(柴ほか,2010).

 このような地震は,平野や盆地の規模が小さければその地震の規模も小さく,大きければ地震の規模も大きいと考えられる.ただし,このような地震は,周期的に同じ盆地の同じところに起こるとは限らないと言われている(島村,2011).因みに,兵庫県南部地震と同様な地震は,1596年に六甲-淡路島断層帯で発生したとされる慶長伏見地震と言われ,両地震の間隔は約400年になる.

 第7図に南海トラフ沿いの0~30kmの震央分布と第8図に深度0~50kmの震央分布を,また第9図に南海トラフを横切る4つの南北断面における深度0~50kmの震源分布を示した.第9図を見ると前述したように深発地震面は存在せず,深度20~40kmに見られる震源の分布もその上方端は海岸線付近に延長され,トラフ軸とは一致しない.

 第7図と第8図から東海から紀伊半島の陸域では,深度30km以浅の地震の空白域が赤石山地と紀伊山地にあり,その山地の南部に深度30~50kmの地震が集中している.またその海域では,深度30km以浅の地震の空白域は遠州灘から熊野灘にかけてあるが,深度30~50kmの地震が集中しているのは熊野灘南部にあり,遠州灘には存在しない.すなわち,この地域において深度30~50kmの地震の集中は隆起地塊の南部縁辺に見られる(第8図).



第7図 南海トラフに沿う深度0~30kmの地震の震央分布.
陸上では中国山地,四国山地,紀伊山地,赤石山地に地震の空白域がある.



第8図 南海トラフに沿う深度0~50kmの地震の震央分布.
30~50kmの地震が豊後水道,紀伊水道,熊野灘深海平坦面の東南部,赤石山地の
西南部に集中している.四角で囲った枠内A-A’等は第16図の断面地域にあたる.



第9図 南海トラフに沿う震源の断面分布.
Troughはトラフ軸付近.Coastは海岸線付近を示す.トラフ軸からの深発地震面はなく,
大陸斜面上部から陸側に傾斜する地震面とトラフの下に震源の集中域が見られるところがある.

 山地は隆起し,盆地はそれに対して相対的に沈降しているところであり,たとえば大阪湾から大阪平野の地域と隆起する六甲山地との境界では,第四紀のある時期から六甲変動(藤田,1990)と呼ばれる隆起と沈降の相反する動きが継続してきた.同様に,赤石山地や紀伊山地,さらに深海平坦面(前弧海盆)を形成した海溝陸側の外縁隆起帯およびその陸側の大陸斜面上部も,第四紀以降隆起しつづけてきたところと思われる.このような盆地に対する山地や大陸斜面の隆起運動のメカニズムが,地震の発生と密接に関係していると思われる.

 なお,島弧-海溝系の特徴は,島弧の隆起と火山活動,海溝および地震の発生である.島弧は後期新第三紀以降,特に第四紀後半の隆起によって形成されていると考えられ,火山活動と地震活動もそれにともなった活動と考えれば,海溝もジュラ紀以前からある地形ではなく,後期新第三紀以降,特に第四紀後半の島弧の隆起にともなって形成されたと考えるべきであろう.したがって,プレートの沈み込みのみを地震の原因と考えるのではなく,島弧を形成した隆起運動と地震との関係から地震の性質をより詳細に検討する必要があると考えられる.

まとめ

  このように見てくると,地震は沈み込む海洋プレートに押されて陸側のプレートにひずみが蓄積して陸側が跳ね上がって起こるという単純なメカニズムで発生しているのではなく,地域ごとの隆起帯と盆地との相互の関係と,隆起や沈降を引き起こしているであろう地殻内やその下のマントル上部内での応力の上昇や変化などに関係していると思われる.そのため,地震を理解するためには,地域ごとの隆起帯と盆地との相互の関係を個別に検討していくことが必要であると考える.

 地震は何が原因となって,どのように発生しているのか,筆者にはまだ明確にわからない.しかし,地震の多くが隆起帯と盆地との境界で起こることから,地殻の隆起を起こしている何か,おそらく地殻下部またはマントル上部での低速度層とされるものや,マグマの活動などと密接に関連していると思われる.

 地震の起こる原因や地震の周期については,現在のところ十分にわかっていない.また,これまで3,000億円もの国家予算を投入してきた前兆現象に頼る地震予知の可能性もない(Geller,2011).したがって,地震がいつどのようなところに起こるかは,誰も断言できない.そのため,地震予知の期待から設置された「大規模地震対策特別措置法」を早期に廃止して,もっと地質学的研究も含めた科学的な地震研究と防災研究が行われることを強く望みたい.

 そして,地震がいつどのようなところに起こるかわからない以上,私たちは地震に対して自分自身でその備えを常に心がけておく必要がある.

引用文献

Geller,R.(2011)日本人の知らない「地震予知」の正体.双葉社,東京,185p.

星野通平(1969)震央の分布と海底地形・地質との関連について.東海大学海洋学部紀要,3,1-10.

藤田和夫(1990)満池谷不整合と六甲変動-近畿における中期更新世の断層ブロック運動と海水準上昇.第四紀研究,29,337-349.

柴 正博・増田祐輝・柴 博志・駿河湾地震被害調査グループ(2010)2009年8月11日駿河湾地震の被害分布の特徴と地形・地質との関連.「海・人・自然」東海大学博物館研究報告,10,1-16.

島村英紀(2011)巨大地震はなぜ起こる-これだけは知っておこう.花伝社,東京,303p.http://www.dino.or.jp/shiba/eqdist.html


再生核研究所声明200(2015.1.16) ゼロ除算と複素解析の現状 ―佐藤超関数論との関係が鍵か?

正確に次のように公開して複素解析とゼロ除算の研究を開始した:
特異点解明の歩み100/0=0,0/0=0 関係者:
複素解析学では、1/0として、無限遠点が存在して、美しい世界です。しかしながら、1/0=0 は 動かせない真実です。それで、勇気をもって進まざるを得ない:― 哲学とは 真智への愛 であり、真智とは 神の意志 のことである。哲学することは、人間の本能であり、それは 神の意志 であると考えられる。愛の定義は 声明146で与えられ、神の定義は 声明122と132で与えられている。― 再生核研究所声明148.
私には 無理かと思いますが、世の秀才の方々に 挑戦して頂きたい。空論に付き合うのはまっぴらだ と考える方も多いかと思いますが、面白いと考えられる方で、楽しく交流できれば幸いです。宜しくお願い致します。 添付 物語を続けたい。敬具 齋藤三郎
2014.4.1.11:10

上記で、予想された難問、 解析関数は、孤立特異点で確定値をとる、が 自分でも予想しない形で解決でき、ある種の実体を捉えていると考えたのであるが、この結果自体、世のすべての教科書の内容を変える事件であるばかりではなく、確立されている無限遠点の概念に 新しい解釈を与えるもので、1次変換の美しい性質が、ゼロ除算の導入によって、任意の1次変換は 全複素平面を全複素平面に1対1 onto に写すという美しい性質に変わるが、 極である1点において不連続性が現れ、ゼロ除算は、無限を 数から排除する数学になっている。
6月、帰国後、気に成っていた、金子晃先生の 30年以上前に購入した超函数入門の本に 極めて面白い記述があり、佐藤超関数とゼロ除算の面白い関係が出てきた。さらに 特異積分におけるアダマールの有限部分や、コーシーの主値積分は、弾性体やクラック、破壊理論など広い世界で、自然現象を記述するのに用いられているが、面白いのは 積分が、もともと有限部分と発散部分に分けられ、 極限は 無限たす、有限量の形になっていて、積分は 実は、普通の積分ではなく、そこに現れる有限量を便宜的に表わしている。ところが、その有限量が実は、 ゼロ除算にいう、 解析関数の孤立特異点での 確定値に成っていることが分かった。これはゼロ除算の結果が、広く、自然現象を記述していることを示している。
現在まで、添付21ページの論文原稿について 慎重に総合的に検討してきた。
そこで、問題の核心、ゼロ除算の発展の基礎は、次の論点に有るように感じられてきた:
We can find many applicable examples, for example, as a typical example in A. Kaneko (\cite{kaneko}, page 11) in the theory of hyperfunction theory: for non-integers $\lambda$, we have
\begin{equation}
x_+^{\lambda} = \left[ \frac{-(-z)^{\lambda}}{2i \sin \pi \lambda}\right] =\frac{1}{2i \sin \pi \lambda}\{(-x + i0)^{\lambda}- (-x - i0)^{\lambda}\}
\end{equation}
where the left hand side is a Sato hyperfunction and the middle term is the representative analytic function whose meaning is given by the last term. For an integer $n$, Kaneko derived that
\begin{equation}
x_+^{n} = \left[- \frac{z^n}{2\pi i} \log (-z) \right],
\end{equation}
where $\log$ is a principal value: $ \{ - \pi < \arg z < +\pi \}$. Kaneko stated there that by taking a finite part of the Laurent expansion, the formula is derived. 
Indeed, we have the expansion, for around $ n$, integer
$$
\frac{-(-z)^{\lambda}}{2i \sin \pi \lambda}
$$
\begin{equation}
= \frac{- z^n}{2\pi i} \frac{1}{\lambda -n} - \frac{z^n}{2\pi i} \log (-z )
- \left( \frac{\log^2 (-z) z^n}{2\pi i\cdot 2!} + \frac{\pi z^n}{2i\cdot 3!}
\right)(\lambda - n) + ... 
\end{equation}
(\cite{kaneko}, page 220).
By our Theorem 2, however, we can derive this result (4.3) from the Laurant expansion (4.4), immediately.
上記ローラン展開で、\lambda に n を代入したのが ちょうど n に対する佐藤の超関数になっている。それは、ゼロ除算に言う、 孤立特異点における解析関数の極における確定値である。これはゼロ除算そのものと殆ど等価であるから、ローラン展開に \lambda = n を代入した意味を、上記の佐藤超関数の理論は述べているので 上記の結果を分析すれば、ゼロ除算のある本質を捉えることができるのではないかと考えられる。
佐藤超関数は 日本で生まれた、基本的な数学で 優秀な人材を有している。また、それだけ高級、高度化しているが、このような初歩的、基本的な問題に関係がある事が明らかになってきた。そこで、佐藤超関数論の専門家の方々の研究参加が望まれ、期待される。また、関係者の助言やご意見をお願いしたい。
ゼロ除算における新現象、驚きとは Aristotélēs の世界観、universe は連続である を否定して、強力な不連続性を universe の現象として示していることである。
以 上
7歳の少女が、当たり前であると言っているゼロ除算を 多くの大学教授が、信じられない結果と言っているのは、まことに奇妙な事件と言えるのではないでしょうか。


再生核研究所声明154(2014.4.22) 新しい世界、ゼロで割る、奇妙な世界、考え方

再生核研究所声明148で 結構詳しい状況について説明し、特異点解明:100/0 =0,0/0=0 として 詳しい状況はブログなどでも公開、関係文書は保管されている。2月2日考えを抱いた日としているので、まだ、3か月足らずである。
簡潔に回想して、問題点と今後について、考察し、今後を構想したい。
まず、あまりにも基本的な問題で、全く予期しない それこそ驚嘆すべき結果なので、茫然としてこれは何だと、あたかも憑かれたかのように夢中で取り組み、相当な研究者、共同研究者と交流し、相当なメールと印刷部が溜まっている。経過、成果などきちんとしておくべきと考えて、2か月で、2つの論文の出版を確定させて、ちょうど良いタイミングもあって、一つは4月早々に既に出版されている。
まず結果は、分数を拡張して、自然に100割るゼロを考えると、何でもゼロで割れば、ゼロで、面白いのは、どの様に考えを一般化しても、それに限ると言うことが証明されたことである。導入、動機、一意性、すなわち、それ以外の考えが無いこと、それらが、高校レベルの数学で、簡単に証明されたと言う事実である。 出版された論文は、高校生にも十分理解できる内容である。具体的な結果は、
関数 y = 1/x のグラフは、原点で ゼロである
と宣言している。すなわち、 1/0=0 である。
グラフを想像して、そんな馬鹿な、信じられない、そのようなことは考えるべきではないとは、結構な数学者の真面目な意見であった。 そこで、
その実態を追及して、ムーア・ペンローズ一般逆の考えがあることを認識して、いわば奇妙な、変な逆として、分数を拡張しているが、永年研究してきた チコノフ正則化法の神秘力 によってそれらは 数の実体である と認識した。
との信念を持って研究を進め、共同研究者には、割り算の意味から、当たり前だとか、計算機は(:アルゴリズムは)そのように解釈する、物理的な楽しい説明さえ現れて、実数の場合には 論文も出版されたこともあり、既に当たり前で 今後 物理的な応用などに関心が移っている。― 要点は、上記双曲線は、原点で猛烈な非連続性を有し、爆発や衝突、駒で言えば、 中心の特異性などの現象を記述していることが分った。
上記2件の論文出版の確定をみて、4月1日:
複素解析学では、1/0として、無限遠点が存在して、美しい世界です。しかしながら、1/0=0 は 動かせない真実です。それで、勇気をもって進まざるを得ない:― 哲学とは 真智への愛 であり、真智とは 神の意志 のことである。哲学することは、人間の本能であり、それは 神の意志 であると考えられる。愛の定義は 声明146で与えられ、神の定義は 声明122と132で与えられている。― 再生核研究所声明148.

私には 無理かと思いますが、世の秀才の方々に 挑戦して頂きたい。空論に付き合うのはまっぴらだ と考える方も多いかと思いますが、面白いと考えられる方で、楽しく交流できれば幸いです。
として、公表して 複素解析に取り掛かった。
上記で、予想された難問、 解析関数は、孤立特異点で確定値をとる、が 自分でも予想しない形で解決でき、ある種の実体を捉えていると考えたのであるが、この結果自体、世のすべての教科書の内容を変える事件であるばかりではなく、確立されている無限遠点の概念に 新しい解釈を与えるもので、容易に進められる状況ではない。
念をおしたいのは、 ゼロで割る新しい結果は、従来の数学に 何ら矛盾するものでは、なく、従来ゼロで割るときに避けてきたところに、ある種の新しい結果が得られるということである (複素解析学では、無限遠点が有るので、少し意味あいが変わる)。 すなわち、 従来の数学に、新しい数学が加わると言うことである。その新しい数学が、実が有って、物理的な意味や、従来の数学に好ましい影響を与えるかは、多くは、今後の問題である。ある変な島を発見した。つまらなそうだから、関心ないは 当然有り得る態度である。
そこで、今後の姿勢は、世界観の問題に大きく影響されるのではないだろうか。ゼロで割ればゼロになり、割り算を自然に拡張すれば、それに限るという、何か裏に大きな、凄い世界が有るのではないだろうか、と構想している。― 1/0 は 無限大、無限遠点である、それは良く分る、しかしながら、無限大、無限遠点は 数ではないではないか、矛盾ではないか?  他方、数学は 1/0=0と一意に定めている、何か有るのではないだろうか? どうして、南極と北極がくっ付いているのか? どうして、原点と無限遠点がくっ付いているのか? 神の 人類に対する意地悪、隠しごと? 人類の知能検査か?

以 上

文献:

M. Kuroda, H. Michiwaki, S. Saitoh, and M. Yamane,
New meanings of the division by zero and interpretations on 100/0=0 and on 0/0=0,
Int. J. Appl. Math. Vol. 27, No 2 (2014), pp. 191-198, DOI: 10.12732/ijam.v27i2.9.

S. Saitoh, Generalized inversions of Hadamard and tensor products for matrices, Advances in Linear Algebra & Matrix Theory.(in press).



再生核研究所声明 148(2014.2.12) 100/0=0, 0/0=0 - 割り算の考えを自然に拡張すると ― 神の意志

100割る0 の意味を質問されたが(なぜ 100÷0は100ではないのか? なぜ 100÷1は100なのか… 0とは何...aitaitokidakenimoさん)、これは、定義によれば、その解、答えが有るとして、a と仮に置けば、 100=a x0 = 0 で矛盾、すなわち、解は、答えは存在しないとなる。
方程式 a x0= b は b=0 でなければ 解は無く、答えが求まらない。(特に、bが0ならば、解 a は 何でも良いと言うことに成る。)
解が、存在しなかったり、沢山の解が有ったりすると言う、状況である。
そこで、何時でも解が存在するように、しかも唯一つに定まるように、さらに 従来成り立っていた結果が そのまま成り立つように(形式不変の原理)、割り算の考えを拡張できないかと考えるのは、数学では よくやることである。数学の世界を 美しくしたいからである。
実際、文献の論文で 任意関数で割る概念を導入している。
現在の状況では、b 割るa の意味を ax – b の2乗を最小にする x で、しかも x の2乗を最小にする数 x で定義する。後半の部分が無いと、a が0の場合 x が定まらない。後半が有ると0として、唯一つに定まる。この意味で割り算の意味を考えれば、100割る0は 0 であるとなる。 
上記で もちろん、2乗を最小にする の最小値が0である場合が、 普通の割り算の解、
b 割るa を与える。
もちろん、我々の意味で、0割る0は 曖昧なく、解は唯一つに定まって、0となる。
f 割る g を ロシアの著名な数学者 チコノフの考えた正則化法 と 再生核の理論 を併用すると 一般的な割り算を 任意関数g で定義できて、上記の場合は、100割る0は 0 という解に成る。
すなわち、解が存在しなかった場合に、割り算の意味を 自然に拡張すると 唯一つに解は存在して それは0であると言う、結果である。
上記で、ax – b の2乗を最小にする x で、と考えるのは、近似の考え方から、極めて自然と考えられるが、さらに、x の2乗を最小にする数 x とは、神は、最も簡単なものを選択する、これはエネルギー最小のもの、できれば横着したい という 世に普遍的に存在する 神の意志 が現れていると考えられる(光は、最短時間で到達するような経路で進むという ― フェルマーの原理)、神が2を愛している、好きだ とは 繰り返し述べてきた(神は 2を愛し給う)(http://www.jams.or.jp/kaiho/kaiho-81.pdf)。
これで、0で割るときの心配が無くなった。この考えの 実のある展開と応用は多い。
― 哲学とは 真智への愛 であり、真智とは 神の意志 のことである。哲学することは、人間の本能であり、それは 神の意志 であると考えられる。愛の定義は 声明146で与えられ、神の定義は 声明122と132で与えられている。―

以 上
文献:
Castro, L.P.; Saitoh, S. Fractional functions and their representations. Complex Anal. Oper. Theory 7, No. 4, 1049-1063 (2013).

ゼロ除算(1/0=0)は、ピタゴラスの定理(a2 + b2 = c2 )を超えた基本的な結果であると考えられる。


再生核研究所声明171(2014.7.30)掛け算の意味と割り算の意味 ― ゼロ除算100/0=0は自明である?

(2014.7.11小柴誠一、山根正巳氏との会合で、道脇裕氏の 割り算と掛け算は別であり、ゼロ除算100/0=0は自明であるとの考えを分析して得た考えを纏めたものである。)

ゼロ除算100/0=0は2014.2.2 偶然に論文出筆中に 原稿の中で発見したものである。チコノフ正則化法の応用として、自然に分数、割り算を拡張して得られたものであるが、歴史上不可能であるとされていること、結果がゼロであると言う意味で、驚嘆すべきことであること、さらに、高校生から小学生にも分る内容であると言う意味で、極めて面白い歴史的な事件と言える。そればかりか、物理学など世界の理解に大きな影響を与えることも注目される。詳しい経過などは 一連の声明を参照:



再生核研究所声明148(2014.2.12)100/0=0, 0/0=0 - 割り算の考えを自然に拡張すると ― 神の意志
再生核研究所声明154(2014.4.22)新しい世界、ゼロで割る、奇妙な世界、考え方

再生核研究所声明157(2014.5.8)知りたい 神の意志、ゼロで割る、どうして 無限遠点と原点が一致しているのか?

再生核研究所声明161(2014.5.30)ゼロ除算から学ぶ、数学の精神 と 真理の追究

再生核研究所声明163(2014.6.17)ゼロで割る(零除算)- 堪らなく楽しい数学、探そう零除算 ― 愛好サークルの提案

再生核研究所声明166(2014.6.20)ゼロで割る(ゼロ除算)から学ぶ 世界観



しかるに いろいろな人たちと広く議論しているところであるが、世界の指導的な数学者でさえ、高校生でも理解できる発表済みの論文 その後の結果について、現代数学の常識を変えるものであり、受け入れられない、と言ってきている。まことに不思議なことであり、如何に驚くべき結果であるかを示していると言える。

多くの数学者は、内容を理解せず、100/0=0 は100=0 x 0 =0 で矛盾であると即断している。しかるに論文は 100/0 は 割り算の意味を自然に拡張するとゼロの結果を得るのであって、ゼロ除算の結果は 100=0 x 0 =0を意味しないと説明している。 逆に、無限大、無限遠点は数と言えるかと問うている。

ところが面白いことに 既に3月18日付文書で、道脇裕氏は 掛け算と割り算は別であり、ゼロ除算100/0は 自明であると述べていた。しかし、その文書は、一見すると

矛盾や間違いに満ちていたので、詳しく分析してこなかった。しかるに上記7月11日の会合で、詳しい状況を聞いて、道脇氏の文書を解読して、始めて道脇氏の偉大な考えに気づいた。結論は、ゼロ除算100/0は分数、割り算の固有の意味から、自明であると言うことである。これはチコノフ正則化法や一般逆とは関係なく、分数、割り算の意味から、自明であるというのであるから、驚嘆すべき結果である。千年を越えて、未明であった真実を明らかにした意味で、極めて面白い知見である。またそれは、割り算が掛け算の逆であり、ゼロ除算は不可能であるという長い囚われた考えから、解放した考えであると評価できる。



再生核研究所声明196(2015.1.4)ゼロ除算に於ける山根の解釈100= 0x0について

ゼロ除算 100/0=0 は 説明も不要で、記号を含めて 数学的に既に確定していると考える。 もちろん、そこでは100/0 の意味をきちんと捉え、確定させる必要がある。 100/0 は 割り算の自然な拡張として ある意味で定義されたが、 その正確な意味は微妙であり、いろいろな性質を調べることによって その意味を追求して行くことになる:

ゼロ除算の楽しい、易しい解説を次で行っている:
数学基礎学力研究会のホームページ
URLは
http://www.mirun.sctv.jp/~suugaku
100/0=0 というのであるから、それは 100= 0 x0 というような意味を有するであろうかと 問うことは可能である。 もちろん、x を普通の掛け算とすると0x0 =0 となり、矛盾である。ところが山根正巳氏によって発見された解釈、物理的な解釈は絶妙に楽しく、深い喜びの情念を与えるのではないだろうか:

M. Kuroda, H. Michiwaki, S. Saitoh, and M. Yamane,
New meanings of the division by zero and interpretations on $100/0=0$ and on $0/0=0$, Int. J. Appl. Math. Vol. 27, No 2 (2014), pp. 191-198, DOI: 10.12732/ijam.v27i2.9.

等速で一直線上 異なる方向から、同じ一定の速さvで、同じ質量mの物体が近づいているとする。 その時、2つの物体の運動エネルギーの積は

\begin{equation}
\frac{1}{2}m{ v}^2 \times \frac{1}{2}m{(- v)^2} =E^2.
\end{equation}
で 一定E^2である。
ところが2つの物体が衝突して止まれば、vは ともにゼロになり、衝突の後では見かけ上
\begin{equation}
0 \times 0 =E^2.
\end{equation}
となるのではないだろうか。 その時はE^2 は 熱エネルギーなどに変わって、エネルギー保存の法則は成り立つが、ある意味での掛け算が、ゼロ掛けるゼロになっている現象を表していると考えられる。 ゼロ除算はこのような変化、不連続性を捉える数学になっているのではないだろうか。 意味深長な現象を記述していると考える。
運動エネルギー、物質は数式上から消えて、別のものに変化した。 逆に考えると、形式上ないものが変化して、物とエネルギーが現れる。これはビッグバンの現象を裏付けているように感じられる。 無から有が出てきたのではなくて、何かの大きな変化をビッグバンは示しているのではないだろうか?
以 上










0 件のコメント:

コメントを投稿