京都市2年連続1位「世界の魅力的な都市」
7月8日 5時49分
京都市2年連続1位「世界の魅力的な都市」
世界的な影響力があるとされるアメリカの大手旅行雑誌が選ぶ、「世界の魅力的な都市」のことしのランキングで、京都市が去年に続き2年連続で1位に選ばれました。
アメリカの大手旅行雑誌「TRAVEL+LEISURE」は、発行部数およそ100万部の月刊誌です。アメリカの富裕層が主な読者ですが、世界的に影響力があるとされています。毎年この時期に、読者からの投票で選ばれた「世界の魅力的な都市」を10位までランキングで発表しています。
7日に発表されたことしのランキングでは、去年に引き続き、京都市が2年連続で1位に選ばれました。その理由について、雑誌のホームページでは「京都は1000年以上の間、天皇が住む都で、京都御所など皇室の歴史が残っている。市内には寺院や神社が2000か所以上も散在している」などと評価しています。
2位には、アメリカ、サウスカロライナ州で最古の都市チャールストン、3位に世界遺産のアンコールワット遺跡があるカンボジアのシェムリアップ、4位にはイタリアのフィレンツェ、5位はローマとなっています。
ことしのランキングは、「文化・芸術」や「レストラン・食べ物」など、6つの項目の総合評価で判断されました。
観光庁によりますと、この雑誌は海外からの観光客の動向に大きな影響を与えるとされ、今回、2年連続で1位に選ばれたことで、京都市が日本への観光のけん引役になることが期待されます。http://www3.nhk.or.jp/news/html/20150708/k10010142671000.html
再生核研究所声明34(2010/04/16):日本のビジネス―日本料理店の海外展開
日本製品として、国際的に高い評価を得て、世界の富を日本国にもたらしてきたものとして、家電、カメラ、半導体、自動車などが 顕著なものとして、想起される。しかしながら、諸外国の台頭によって、日本国の大きな目玉となる産業にかげりが見えてきており、 国内には失業者があふれ、経済不振と、慢性的な財政赤字に陥っている。 日本国の再生の基礎は、根本的には教育を正し、精神をきたえ直す必要があると考えるが 一つの戦略を具体的に提案したい。要旨は世界の多くの都市に、日本料理店を展開すること である。
先ず、食に対する関心の深さは いずこも同じで、生きることとは 食べること にも通じるものがあり、食に対する関心、経費は、人間存在と活動の大きな部分を占めるという事実から、認識を深める必要がある。 日本料理は健康食品であると同時に、際立った特徴を有し、幸い、日本料理に対する世界の人々の関心の深さは 驚くべきものであり、現状よりは遥かに大きなビジネスチャンスを有すると考える。多くの日本人に、海外の日本料理店で働く職場を広く開拓して、同時に日本の文化を海外に紹介し、また逆に、日本人は海外に出ることによって、国際的な広い視野をもつ機会が得られて、好ましい効果が期待される。
これらのことは、比較的簡単に 少ない投資と準備で実現でき、大きな経済的、文化的な効果が望めると考える。 一つの国家戦略にしようではありませんか。 世界の多くの都市に、日本国の象徴として、美しい日本料理店を展開し、日本の文化を世界に紹介する拠点にしようではありませんか。 若者の雇用や、経済、文化への波及効果は 大きいと考える。もちろん、世界の平和にも大きく貢献するものと考える。
具体的に 次のように提案したい:
経済産業省、外務省、農林水産省などの関係省庁の積極的な援助、
文部科学省は、料理学校などを充実、格あげし、合わせて関係教養教育の充実も図る、
外国人向け 観光関係機関の積極的な支援、
国防省の組織的な支援: たとえば、5000億の資金を兵器の購入にかけるより、そのような面で援助して、日本料理店を通して世界の情報を組織的に得るシステムを確立する、また平和のための戦略を進め、観光促進の拠点にもする。 これこそ、愚かな軍事費を美しい営みにまわしたいとの想いの 現実的な一つの提案になるのではないだろうか。
日本料理店を拠点に、先ずは、世界的の人々の関心が期待される花道、茶道などの組織的な教室の開講を意図する。 また、そのような関係組織との連携を図る。さらに、日本庭園などの文化的な輸出も展望する。
既に相当数、日本人のいない日本料理店が存在する状況を調べて、日本人の派遣による より日本的な料理を浸透させるのは、最も手短な第1歩になると考える。 また、日本料理店の評価機関の設置の検討なども、なされるべきであると考える。
美しい特徴をもつ日本文化を もっと世界で活かそうではありませんか。 関係者のご検討と積極的な取り組みを期待したい。
以上
再生核研究所声明233(2015.6.9)西行花伝 ― 辻邦生、新潮社を読んで
今回は精読、熟考した後での感想ではなく、通覧しての感じとして纏めたい。荘重な作品に対して軽薄な感想は畏れ多いことと感じられる面もあるが、夜明け前 ― よっちゃんの想い の中でも述べたように、― 私は、 専門家や知識をもっている人だけが良識や見識を持っているとは考えず、善良な市民の感覚のなかにこそ、大きな真実と良識があると思っています。 ― と述べ、素人の簡単な所見が ある種の価値を持つのではないかと思い、通読の感じを述べ、精読の後、各論にして できれば意見表明をしたいと考えている。これは、それだけ貴重で大きなものを感じたということである。
そこで、今回は 全体的な感じを纏めたい。
まず、どのようにして書かれたのかと考えると、その壮大な構想、深い考察、繊細な表現には 驚嘆に値すると著者に対して畏敬の念に駆られる。多分、歴史を学び、関係文献を整理して、 登場人物像を描き、特に西行については 著者の世界観も反映させ 人物像を描き、平安時代末期の時代背景を元に 当時の世界を 人物を織り込んで纏められている。 それゆえに、 その荘重さに 驚嘆させられる。人物像や社会、政治混乱の様子を 時代を 映画を見るように見事に描き出しているのであるから、実に凄いと感じてしまう。
そこで、実像と虚像、フィクションの関係で いろいろ警戒する必要もあるが、当時の世相、権力の現場、社会、人々の人生観を拝見出来て、とにかく得がたい経験、世界を覗いたように感じるだろう。当時の宮廷内部の様子も相当に深く触れられていて、感じるところが大きい。皇室の絶対の権力および、それが揺らいでいく状況もよく描かれている。大きな世界、時代に触れて、世界が大きく拓かれたように感じるだろう。世の多くの価値については、省察が求められるだろう。
宮廷内の権力争いの現実が 様子が相当事実的に描かれているので、歴史の真実の姿についても、大いに学べるのではないだろうか。源氏や平氏の様子なども全体的によくわかる。
勿論、西行の人物像の描写が 本の主題である。 それは西行の人物像、事実に基づいた著者の解釈とみたい。
西行とはどのような人物であろうか。
相当な教養と芸を身につけられた、領地をもつ(相当な豪族、朝廷の役人)出の武人であり、天皇の近くに衛士としてばかりではなく仕えた存在であったこと、宮廷内の権力闘争に相当に詳しく、仕えた天皇関係者のために尽くされた方である。主に歌人と僧侶として生き、僧侶としては道を求めたり、修行するというより、歌を作ることが生きる証で、目標として生涯をおくったことがよくわかる。僧侶としては深い仏教の教えや教義や修行するという立場ではなく、一般的な常識的な有り様であり、出家で生活の型が大きく影響を受けている くらいの関わりではないだろうか。人生の捉え方は、自然とともに存在して、自然のなかにとけていく存在として、相当に達観された精神で、しっかりと筋が入った人物であることがよくわかる。歌人としての西行は、画家が絵を書き、数学者が自分の数学の理論を建設するような 志、求道と同じように考えられる。自然を愛でて歌に表現することが 人生の目標であったように見える。歌に高い価値を見出した人物として、世に稀なる存在ではないだろうか。厳しい時代に生きて、超人的、悟りの境地に達せられ、深い、人生世界に対する認識を持たれていたことがよく分かる。― 生きるということがどのようなことか、結構明白に描かれていて、大いに学ぶべきことが多いのではないだろうか。また相当な人物と広い交流が有ったことも大いに注目されるが、歌をとうして社会で大きな存在であったことが よくわかる。書を読まれた方は 一様に西行に対して、尊崇の念を抱かれるのではないだろうか。醜い権力争い、産業経済的な貧しさとは別に、歌などの広い、深い文化、生き方の有り様など、 現代人よりある意味で ずっと高い精神的な文化を有していたと、大いに恥ずかしさが感じられる面は多い。
西行は相当に満足な気持ちをもって人生を閉じたと言える。そのような面でも読書後に、好感の印象を受けるのではないだろうか。多くの人が、生活におわれ, 育児家庭のことで心を悩まされるのが人生であるとも言えるのに対して、西行の場合、大きな豪族で生活の基礎がしっかりしていて、歌をとうして、広い交友関係を持ち、出家された僧侶として、家庭を持たなかったのであるから、自由な豊かな人生を楽しめたとも言える。その中心をしっかりと捉えたい。
再生核研究所声明234(2015.6.16)西行花伝 ― 辻邦生、新潮社を読んで – 雅について
著書の再読を始めたが、今回(前回声明233)は 雅について興味深い解釈が述べられているので、それについて印象を述べたい。まず、雅の語を確認して置こう:
雅(みやび、まさ〔名乗り〕)とは、上品で優雅なこと。宮廷風・都会風であること。風采の立派なこと。動詞形は「みやぶ」。(ウィキペディア)
本では、弓の名人、源重実が 西行(義清)に雅の意味を説明している。 大事な言葉を引用しよう(その辺の精読を勧めたい):
弓を射るとき、型があり、それから外れると、いかに矢が的を射ぬいても、それは雅の匂いを失う、
的に当たるより、むしろ雅であるが大事、
雅であることは、この世に花を楽しむ心である、
余裕があったとき初めてこの世を楽しもうとする気持ちになる。この楽しもうとする心が雅なのだ、
矢を射ること そのことが、好きな人、当たれば嬉しいが、当たらなくても好きな人 そういう人こそが 留まる人、つまり雅である人だ。
ところが西行は後に、矢が的に当たるも 外れるも同じように楽しいとする雅の心を、生きる楽しみと死ぬることの楽しみを同じように感じるにはどうしたらよいかと深く思索している。実際、そこから、生を喜ぶと同時に死を喜ばなくてはいけないんじゃないだろうか と発想している。ここに著者 辻 邦生氏の 西行を通しての 大きな人生における姿勢 が現れているのではないだろうか。すなわち、死からの開放である。しかしながら、雅とは拘らない、自由に楽しむ姿勢であるから、生や死に拘ることは既に 雅の心に反している のであるから、相当に高い悟りを表していると言える。 この辺の心境、世界観は再生核研究所声明の中でも述べて来たことであるが、さらに、ゼロ除算の世界観とも奇妙に通じていると感じられる。
ガツガツしないで ゆったりと楽しむ心、超然とした心持ち、それが雅と表現できるだろう。 留まる心 だという。
さらに次の言葉に 人生の在り様、志の方向が現れている: でも、歌が人々を支える大地になったとき、生と死を超えるあの何か大きなものも、きっと私に分かるようになるのではないだろうか。
そこで、反対の心に触れたい。ゲーテの達した活動して止まないことに人生、世界の意義がある、 アインシュタインの動いていなければ、自転車のように倒れてしまう、岡本太郎の芸術は爆発だ、どんどん爆発を続けること。そこで、それらの真理に照らし合わせて、いろいろ変化を持たせることの重要性を 雅の心は述べていると理解できるのではないだろうか。
世相で言えば、平安時代の貴族の生活は 雅すぎで、現代の世相は ガツガツしすぎているとは言えないだろうか。世相に落ち着きをとり戻したい。
生や死に拘ることは 既に 雅の心に反している という言葉であるが、年の功という諺があるように そのような一種の悟りは 実際はそう難しいことではないことを 特に若い人たちに述べておきたい。 実際、散歩の折り、座っていかないとよく誘ってくれる90-91歳の方が、周りの花のように穏やかに明るい表情で 人生、世界についてそのような心境を話されている。ある世代では、そのような心境は 相当に普遍的な心境であると言える。
以 上
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