2015年5月3日日曜日

記事 藤田憲彦2015年04月29日 10:00テレビのやらせ問題もそうだけど

記事
藤田憲彦2015年04月29日 10:00テレビのやらせ問題もそうだけど




昨年5月放送のクローズアップ現代の放送内容の一部に「やらせ」があったとして、NHKの調査委員会は最終報告を公表するとの方針ですが、「過剰な演出」はあったものの意図的な「やらせ」はなかったとの認識とのこと。

最近流行っている「ラッスンゴレライ」級に意味が分かりません。「過剰な演出」というのがつまるところ「やらせ」なのではないのですか?やらせの明確な定義は分かりませんが、ドキュメンタリーや報道で事実を伝えることを前提にしているものなのに、過剰に脚色、つまり「盛る」ことをしたら、視聴者には意図された印象が伝わるわけで、本質的には変わらない、つまりアウトだと思うのです。

「やらせ」とまではいかないのでご勘弁をという内部調査だったら、調査する意味ないのでは?と率直に思ってしまいますがどうでしょうか?以前テレ朝の問題でBPOに付託すればとコメントしたことがありましたが、BPOが大岡越前の役割を果たせるのかどうかはともかく、客観的な評価を早急にくだすべきだと思います。

もっとも、テレビのやらせについては諸々指摘される一方で、新聞の偏向報道には全く裁きの場がないことがかねてより不思議でなりません。新聞にはいわゆる「やらせ」はありませんが、明らかに報道ではなく意図した意見誘導、オピニオン形成と思われるものは枚挙に暇がありません。

取材されて記事を見るとビックリすることもしばしばです。先日産経新聞に取材された記事はほぼ答えた通りの意図が掲載されていましたが、どの新聞とは言いませんが、取材された記事を見て唖然とすることは一度や二度ではありません。政治家ならみんな体験していることだと思います。しかし、記者に文句を言っても「いやー、デスクの方針なので~」とはぐらかされる始末で、まさに始末が悪いです。

テレビにはBPO、そして広告にはJAROと、それぞれストッパーがありますが、新聞にはなくて良いのでしょうか?

こう書くと、「新聞協会があることすら知らないの?」と言われること請け合いです。当然知ってます。そこには「新聞倫理要項」というものもちゃんと掲載されています。しかし、新聞協会の主張で私が今までに聞いたことがあるのは「新聞は消費税軽減税率対象にせよ」のみ。ホームページを見てみてください。

業界の権益を守ることが第一の団体では実効性が足りません。まさにこの辺は、ソーシャルな団体などが勝手連的に大岡裁きを行うしかないのかもしれません。http://blogos.com/article/111147/


報道や常識を疑うことこそ大事では? 

再生核研究所声明226(2015.5.1) 真実のともし火を消してはならない ― 中丸薫著 を読んで

(これは上記 本 サンマーク出版(2012)を 近くの80歳を超えた意欲ある素敵なご婦人 久保田様に勧められて通読して感じたものを纏めたものである。)
本書は世にも希な著書と言える。まず、著者の中丸氏であるが、明治天皇の孫と自称され(公認?)、コロンビア大学政治学部を出られた 国際政治評論家で、1973年ニューズウイーク誌テレビ特集でインタービアー世界No.1の評価を受けるほど世界の指導者達と直接会見されてきている異色の人物である。世界の財閥の代表 ロスチャイルド氏との交流やカダヒィー大佐との会見など極めて興味深い。北朝鮮訪問の様子も大変興味深い。世界186各国も訪問され、164人の国家元首に会われ、世界の政治家、財界人、文化人、映画スターなどにも会われてきたという。凄い経験であると驚嘆させられる。裏付けある著者の著書には それだけ、大きな実体が表現されていると考えられる。
近代の世界を動かしている 闇の力 を、相当に具体的に指摘していて、歴史の動きが良く理解されるようなことが、真摯に描かれ、全般的にもそうであるが、そのようなことまで具体的に書いて、著書として出版できるものか と考えてしまうほどである。 2001年3月11日のニューヨークの世界貿易センターへのテロ事件、アメリカ大統領選挙やリンカーンや、ケネディー大統領の暗殺の背景と真相、日本のバブル崩壊の裏側や経済の動きの裏側について具体的に人物を挙げて触れている。 このように触れると あやしき人物 による あやしき著書 とみなしがちであるが、真面目な文章と素晴らしい人物観が 真実を冷静に述べていて、素直に理解されてしまう。 レーニンのロシア革命や明治維新の背景など歴史の背景を広く述べられていて、相当世界が見えてくるように感じるだろう。
後半になると、人生、世界はどうあるべきか、 幸せとはどのようなものか等について、仏教の精神やキリスト教の神の概念に触れながら、深く触れていて、素晴らしい世界観に至っていることが良く分かる。 再生核研究所声明の中の世界観とちょうど合っていて、共感、共鳴できるものである。 実に素晴らしい。 最も 心に残った言葉は、神から与えられた三つの心として、良心、感動する心、そして 創造する心  を挙げられていること。 ここで、良心とは 人間の内に存在する 神性 のことであると表現できよう。
日本国の在るべき姿として、 平和憲法の擁護、自主独立の精神、仏教や神道の精神で世界を救い、日本こそ、世界を導くべきであるとの高い志が現れている。 実に素晴らしい。
著書は世界史の背後の力に配慮して、世界を向かわしめる思想 を全体的に示しており、 素晴らしい著書として、高く評価したい。
このように素晴らしい著書が 世界に出回らないのは、マスコミ批判や体制批判に繋がるためであろうか? 著者が明治天皇の孫と自称されているように、著者は真実愛国者であり、国を憂い、世界を憂いていることが 良く分かる。 極めて、好ましい人物である。
良い価値ある本は 世に出回らず、あまり良くない本が世に溢れ、 価値ある情報や、ニュースも同様、おかしく歪められたものが 世に溢れているのが 現状であり、真実であると 注意したい。 
以 上




再生核研究所声明 70(2011/09/28) 本末転倒、あべこべ ― 初心忘れるべからず

現代の世相を見ると、余りにも奇妙な現象が起きていて、まるで本末転倒、あべこべになっているのではないかと考えられることが多いので、それらの事象を考察して、初心を尊重して本来あるべき姿について反省を求めたい。しかしながら、時代の趨勢で、初心が本質的に変化を求められ、変遷の止む無きこともあるので、その辺の考察も行なって置きたい。

まずマスコミの現状を見てみたい。 マスコミの在るべき姿については 例えば新聞社においては、自ら天下にこうありたいと宣言している 新聞倫理綱領 を参照して頂きたい(添付資料1)。 現状は 如何でしょうか。鍵となる用語を抜粋したので、現状を考えて頂きたい:

あらゆる権力から独立したメディアが存在して初めて保障される
新聞の責務は、正確で公正な記事と責任ある論評によって
言論・表現の自由を守り抜くと同時に、自らを厳しく律し、品格を重んじ
正確と公正 新聞は歴史の記録者であり、記者の任務は真実の追究である
報道は正確かつ公正でなければならず、記者個人の立場や信条に左右されてはならない
あらゆる勢力からの干渉を排するとともに、利用されないよう自戒しなければならない
他方、新聞は、自らと異なる意見であっても、正確・公正で責任ある言論には、すすんで紙面を提供する
人権の尊重 新聞は人間の尊厳に最高の敬意を払い、個人の名誉を重んじプライバシーに配慮する。

教育の在り様については、 教育の目標を教育基本法に定めている。 その最初の部分を添付資料に付けたが、あまりに素晴らしく、また、あまりにも現状がかけ離れていて、驚いてしまう。
教育の基本精神を忘れて、知識偏重、受験のための技術学習に陥ってはいないだろうか。そのような教育が 空虚な日本を作っている根本原因ではないだろうか (再生核研究所声明15: 空虚な日本の社会)。さらに、日本の公教育が 才能ある子供たちの才能を大抵、活かさず、逆に駄目にしている事実を憂慮している(再生核研究所声明9: 天才教育の必要性を訴える)。

添付資料3 日本国憲法第9条 については、第二次世界大戦における敗戦で、再び戦争を起こさないとの固い決意のもと、発足したものであるが、朝鮮動乱、東西冷戦下の厳しい国際環境の下、繰り返し、国の最高機関で問題を議論し、司法界の一連の判断を経ながら、今日に至ったものであるから、現状を諒として受け入れる必要がある。しかしながら、その理念については 絶えず、真摯な態度で臨むべきであると考える(再生核研究所声明6: 憲法問題に対する提案 参照)。

上記のように、世には、始めの目標や理念が段々ずれて、何時の間にか逆転している様なことは多い、普遍的な現象ではないだろうか。 研究なども始めの素朴な動機や目標からかけ離れて、研究課題の中の展開のみが目的になってしまい、孤立化して、末期的な現象に陥っている場合が多い。 評価なども 本来は成果や、業績を評価すべきことが、逆転して、見掛け上の評価を良く飾るために 意や努力を重ね、本来期待された業績の展開を阻害している状況さえ多い(再生核研究所声明15: 空虚な日本の社会)。世界の軍事情勢なども侵略や防衛など軍事よりも、政治力の影響やビジネスの要素が強く、戦よりも商、政の性格を強くしていると言えるだろう。 多くの宗教なども、本来の救い、道、に対して、儀式や教団の業の性格を強くしていると言える。 変遷はすべて それなりの理由と歴史が有るのだから、否定的に見るよりも、初期の理念、目標と変遷を吟味するのが良いのではないだろうか。 混乱が生じたら、それらの経過をはじめから検証するのは、数学では日常行っている基本的な態度である。

以 上


添付資料1:
新聞倫理綱領
2000(平成12)年6月21日制定
21世紀を迎え、日本新聞協会の加盟社はあらためて新聞の使命を認識し、豊かで平和な未来のために力を尽くすことを誓い、新しい倫理綱領を定める。
国民の「知る権利」は民主主義社会をささえる普遍の原理である。この権利は、言論・表現の自由のもと、高い倫理意識を備え、あらゆる権力から独立したメディアが存在して初めて保障される。新聞はそれにもっともふさわしい担い手であり続けたい。
おびただしい量の情報が飛びかう社会では、なにが真実か、どれを選ぶべきか、的確で迅速な判断が強く求められている。新聞の責務は、正確で公正な記事と責任ある論評によってこうした要望にこたえ、公共的、文化的使命を果たすことである。
編集、制作、広告、販売などすべての新聞人は、その責務をまっとうするため、また読者との信頼関係をゆるぎないものにするため、言論・表現の自由を守り抜くと同時に、自らを厳しく律し、品格を重んじなければならない。
自由と責任 表現の自由は人間の基本的権利であり、新聞は報道・論評の完全な自由を有する。それだけに行使にあたっては重い責任を自覚し、公共の利益を害することのないよう、十分に配慮しなければならない。
正確と公正 新聞は歴史の記録者であり、記者の任務は真実の追究である。報道は正確かつ公正でなければならず、記者個人の立場や信条に左右されてはならない。論評は世におもねらず、所信を貫くべきである。
独立と寛容 新聞は公正な言論のために独立を確保する。あらゆる勢力からの干渉を排するとともに、利用されないよう自戒しなければならない。他方、新聞は、自らと異なる意見であっても、正確・公正で責任ある言論には、すすんで紙面を提供する。
人権の尊重 新聞は人間の尊厳に最高の敬意を払い、個人の名誉を重んじプライバシーに配慮する。報道を誤ったときはすみやかに訂正し、正当な理由もなく相手の名誉を傷つけたと判断したときは、反論の機会を提供するなど、適切な措置を講じる。
品格と節度 公共的、文化的使命を果たすべき新聞は、いつでも、どこでも、だれもが、等しく読めるものでなければならない。記事、広告とも表現には品格を保つことが必要である。また、販売にあたっては節度と良識をもって人びとと接すべきである。


添付資料2:
教育基本法
(平成十八年十二月二十二日法律第百二十号)

教育基本法(昭和二十二年法律第二十五号)の全部を改正する。我々日本国民は、たゆまぬ努力によって築いてきた民主的で文化的な国家を更に発展させるとともに、世界の平和と人類の福祉の向上に貢献することを願うものである。我々は、この理想を実現するため、個人の尊厳を重んじ、真理と正義を希求し、公共の精神を尊び、豊かな人間性と創造性を備えた人間の育成を期するとともに、伝統を継承し、新しい文化の創造を目指す教育を推進する。ここに、我々は、日本国憲法 の精神にのっとり、我が国の未来を切り拓く教育の基本を確立し、その振興を図るため、この法律を制定する。
 前文
 第一章 教育の目的及び理念(第一条―第四条) 
 第二章 教育の実施に関する基本(第五条―第十五条) 
 第三章 教育行政(第十六条・第十七条) 
 第四章 法令の制定(第十八条) 
 附則 
第一章 教育の目的及び理念
(教育の目的)
第一条  教育は、人格の完成を目指し、平和で民主的な国家及び社会の形成者として必要な資質を備えた心身ともに健康な国民の育成を期して行われなければならない。
(教育の目標)
第二条  教育は、その目的を実現するため、学問の自由を尊重しつつ、次に掲げる目標を達成するよう行われるものとする。
一  幅広い知識と教養を身に付け、真理を求める態度を養い、豊かな情操と道徳心を培うとともに、健やかな身体を養うこと。
二  個人の価値を尊重して、その能力を伸ばし、創造性を培い、自主及び自律の精神を養うとともに、職業及び生活との関連を重視し、勤労を重んずる態度を養うこと。
三  正義と責任、男女の平等、自他の敬愛と協力を重んずるとともに、公共の精神に基づき、主体的に社会の形成に参画し、その発展に寄与する態度を養うこと。
四  生命を尊び、自然を大切にし、環境の保全に寄与する態度を養うこと。
五  伝統と文化を尊重し、それらをはぐくんできた我が国と郷土を愛するとともに、他国を尊重し、国際社会の平和と発展に寄与する態度を養うこと。
(生涯学習の理念)
第三条  国民一人一人が、自己の人格を磨き、豊かな人生を送ることができるよう、その生涯にわたって、あらゆる機会に、あらゆる場所において学習することができ、その成果を適切に生かすことのできる社会の実現が図られなければならない。


添付資料3:
日本国憲法第9条

1日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。

2前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。

以 上

ウイキペディアより:

マッチポンプとは、偽善的な自作自演の手法・行為を意味する和製外来語である。マッチ(match)は元は英語、ポンプ(pomp)は元はオランダ語である(英語ではpump)。

「マッチで自ら火事を起こして煽り、それを自らポンプで消す」などと喩えられるように、問題や騒動について、自身でわざわざ作り出しておきながら、あるいは自身の行為がその根源であるにもかかわらず、そ知らぬ顔で巧妙に立ち回り、その解決・収拾の立役者役も自ら担って賞賛や利益を得ようとする、その様な行為を指して用いられる表現である。
日本の国会会議録にマッチポンプを用いた発言が残っている。1961(昭和36)年4月11日の衆議院本会議において、松井誠衆議院議員は「銃砲刀剣類等所持取締法の一部を改正する法律案」への質問の中で以下のように発言している。
世に、いわゆるマッチ・ポンプ方式といわれるものがあります。右手のマッチで、公共料金を上げて、もって物価値上げに火をつけながら、左手のポンプでは、物価値上げを抑制するがごとき矛盾したゼスチュアを示すのをいうのでございましょう。
— 松井誠、「第38回国会 衆議院本会議 1961(昭和36)年4月11日」[1]
1966年、黒い霧事件第1弾の田中彰治代議士事件で初めて使われ、元々は金品を巻き上げるという意味で使われた。1974年刊の「現代流行語辞典[2]」では「デスク日記3[3]」1966年8月5日の項にマッチポンプの記述があると紹介している。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9E%E3%83%83%E3%83%81%E3%83%9D%E3%83%B3%E3%83%97 より

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