2015年3月10日火曜日

complex analysis

complex analysis
2015年03月10日(火)
テーマ:数学
複素解析
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複素関数f(z)=(z2-1)(z-2-i)2/(z2+2+2i)のグラフ。色相は偏角を表し、明度(このグラフでは周期的に変化させている)は絶対値を表す。
数学の分科である複素解析(ふくそかいせき、complex analysis)とは、複素数の関数に関わる微分学、積分学、変分学、微分方程式論、積分方程式論、関数論などの総称である。初等教育で扱う実関数の解析に対比して複素解析というが、現代数学の基礎が複素数であることから、単に解析といっても複素解析を意味することが多い。複素解析の手法は応用数学を含む数学、理論物理学、工学などの多くの分野でもちいられている。
目次 [非表示]
1 複素関数
2 複素解析関数
2.1 特異点の分類
2.2 解析関数の分類
3 主な結果
4 他の分野への応用
5 歴史
6 関連項目
複素関数[編集]
複素関数とは自由変数と従属変数がともに複素数の範囲で与えられるようなものである。より正確に言えば複素平面の部分集合上で定義された複素数値の関数が複素関数とよばれる。複素関数に対し自由変数や従属変数を実部と虚部とにわけて考えることができる。
z = x + iy ,\, w = f(z) = u(z) + iv(z).\,
ここで x,y,u(z),v(z) \in \mathbb{R}.
従って複素関数の成分
u = u(x,y),~\,
v = v(x,y)\,
は2つの実変数 x, y についての実数値関数だと考えることができる。(学校教育などにおいて)複素解析の基本的な概念は、指数関数、対数関数、三角関数などの実関数を複素関数に拡張することにより与えられることが多い。
複素解析関数[編集]
複素解析関数とは、複素平面の開領域(平面全体でも可)で定義され、定義域の全体で解析的な複素関数をいう。複素関数については解析的(冪級数へ展開可能)であることと微分可能であることは同値であり、これを正則 (regular) であるという。複素関数が解析的でない点を特異点 (singularity) という。特異点における関数値は不定であったり正負の無限であったりすることが多いから、特異点は定義域の外にあると考える方が妥当であるが、当然に、定義域の外の点のうち、微分不可能な点を全て特異点というべきではない。特異点とは解析関数の定義域の閉包の開核に含まれる非解析的な点であると考えてもよい。ただし、究極的には、複素解析の対象となる関数が複素解析関数であり、複素解析の対象となる非解析的な点が特異点である。(何が複素解析の対象になるかについては主観の入る余地がある。)
特異点の分類[編集]
複素解析は解析的な領域を探求する分野であるが、複素関数に特異点(singularity)がある場合、特異点を含む領域全体に於ける大局的な挙動は特異点に支配される。従って、特異点の位置や性質を研究することは複素解析の範疇に含まれる。
特異点には孤立した特異点 (isolated -) と孤立していない特異点 (non-isolated -) とがあるが、複素解析の対象となるのは主に孤立した特異点である。孤立した特異点は、除去可能な特異点 (removable -)、有限次数の極 (pole)、真性特異点 (essential -) に分類される。除去可能な特異点とは、その点に適当な値を定義することにより、その近傍で解析的になるものをいう。極とは、f(z) の特異点 z = a であって、(z - a)nf(z) において除去可能な特異点となる自然数 n が存在するものをいう。真性特異点とは、除去可能でも極でもない孤立した特異点をいう。
孤立していない特異点とは、特異点が稠密に連なっているために、その近傍に必ず他の特異点を含んでしまう特異点をいう。例えば f(z)=1/\sin\left(\tfrac{1}{z}\right) は z = 0 に孤立していない特異点を持つ(z = ±1/nπ は0以外の、孤立していない真性特異点、ただしnは任意の自然数)。この他に、定義域の自然な境界(解析接続によって越えられない壁)や多価関数を一価関数として扱うために導入する分岐 (branch cut) も一種の特異点と考えられる。分岐の端点を分岐点 (branch point) というが、分岐が有るかぎり、分岐点は孤立した特異点になりえない。然し、分岐は何処に置いてもよいものであるから都合に合わせて分岐を動かせば、分岐点を恰も孤立した特異点であるかのように扱える。この発想はリーマン面に通ずる。分岐点は代数分岐点 (algebraic -) と対数分岐点 (logarithmic -) に分類されるが、代数特異点、対数特異点と呼ばれることもある。
解析関数の分類[編集]
複素関数が微分可能であるということは、実関数が微分可能であるということに比べて遥かに強い条件である。一階微分可能な複素関数は無限階微分可能であり、積分可能であり、解析的である。これらの事実により、複素関数が微分可能であれば正則であるという。定義域(若しくは考察の対象となっている領域)の全体で正則な関数を正則関数 (holomorphic function) といい、孤立する極を除いて正則な関数を有理型関数 (meromorphic function) という。複素平面全体を定義域とする正則関数を整関数 (entire function) という。(英語と日本語の不一致は同義語の取捨による。)
指数関数、正弦関数、余弦関数、多項式関数など、多くの初等関数は整関数であるが、正接関数などは極を持つから有理型であり、対数関数は負の実軸に分岐を持ち正則でない。ガンマ関数は負の整数に極を持つから有理型であるが、右半平面に限れば正則である。
主な結果[編集]
複素解析においてよくもちいられる道具立てに線積分がある。コーシーの積分定理によって、閉じた経路で囲まれた領域の内側全体で正則になっている関数を、その経路上線積分した値はかならず 0 になるということがわかる。もし正則関数が特定の点を極(特異点)にしているとき、つまりそこで関数の値が「爆発」し有限の値をとらないときには、その点での関数の留数を求めることで線積分の値を決定できる。各複素数における正則関数の値は、その点のまわりの円周上での(考えている正則関数に応じて構成される有理型関数の)線積分の値として求めることができる(コーシーの積分公式)。また、正則関数の線積分に関する留数の理論を用いることで複雑な実積分の値を決定することもできるようになる。
カゾラーティ・ワイエルシュトラスの定理によって真性特異点のまわりでの正則関数の挙動に関する驚くべき性質が導かれる。特異点のまわりでの関数の挙動はテイラー級数に類似のローラン級数によって記述される。
リウヴィルの定理によって複素平面全体で有界な正則関数は定数関数に限られることがわかるが、これをもちいて複素数体が代数的閉体であるという代数学の基本定理の自然で簡単な証明が与えられる。
正則関数の重要な性質に、正則な関数の連結な領域上全体での挙動が任意のより小さい領域上の挙動によって決定されてしまう(一致の原理)、というものがある。大きい領域全体でのもとの関数は小さい領域上に制限して考えたものの解析接続とよばれる。このような原理によってリーマンゼータ関数など、限られた領域上でしか収束しない級数によって定義されていた関数を複素平面全体に正則関数や有理型関数として拡張することが可能になる。場合によっては自然対数などのように複素平面内の単連結でない領域への解析接続が不可能なこともあるが、リーマン面とよばれる曲面を導入することでその上の正則関数としての「解析接続」を考えることができる。
上記の結果はすべて一変数に関する複素解析のものであるが、多次元の複素解析に関しても豊かな理論が存在し、ベキ級数展開などの解析的な性質が成立している。一方で共形性などの一変数正則関数が持つ幾何学的な性質は拡張されず、リーマンの写像定理が示すような複素平面の領域に関する共形関係性など一変数の理論における最も重要な結果が高次元においてはもはや成立しない。
他の分野への応用[編集]
伝統的に複素解析、特に等角写像の理論は工学・地図学に多くの応用があるが、解析的数論全般にわたっても応用されている。近年は複素力学系の勃興や正則関数の繰り返しによって与えられるフラクタル図形(有名な例としてマンデルブロ集合が挙げられる)などによって有名になっている。ほかの重要な応用として共形変換に対して作用が不変な場の量子論である共形場理論が挙げられる。また、複素解析は電気工学におけるフェーザ表示、固体力学における応力関数、流体力学における複素速度ポテンシャルなど、工学全体を通じてさまざまな題材にも応用されている。
歴史[編集]
複素解析は古くからある数学の分野であり、その起源は19世紀あるいはより以前にまでたどることができる。レオンハルト・オイラー、カール・フリードリッヒ・ガウス、ベルンハルト・リーマン、オーギュスタン=ルイ・コーシー、ワイエルシュトラスや多くの二十世紀数学者たちが複素解析の理論に貢献している。http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%A4%87%E7%B4%A0%E8%A7%A3%E6%9E%90

再生核研究所声明194(2015.1.2)大きなイプシロン(無限小)、創造性の不思議
ゼロで割る、ゼロ除算は 割り算を掛け算の逆と考えれば、不可能である事が簡単に証明されてしまう。しかるにゼロ除算は 自然な考え方でゼロになるということが発見されるや否や、ゼロ除算は除算の固有の意味から自明であるということと その一意性があっという間に証明されてしまった。ここでは創造性の実態、不思議な面に触れて、創造性の奇妙な観点をしっかり捉えて置きたい。― 背景の解説は 次を参照:
ゼロ除算の楽しい、易しい解説を次で行っている:
数学基礎学力研究会のホームページ
URLは
道脇裕・愛羽 父・娘 氏たちの意見は 割り算を除算の固有の意味から考えて、自明であると結論づけたものであるが、この文脈を追記すると:
そこで、100/0 を上記の精神で考えてみよう。 まず、
100 - 0 = 100,
であるが、0を引いても 100は減少しないから、何も引いたことにはならず、引いた回数(商)は、ゼロと解釈するのが自然ではないだろうか (ここはもちろん数学的に厳格に そう定義できる)。ゼロで割るとは、100を分けないこと、よって、分けられた数もない、ゼロであると考えられる。 この意味で、分数を定義すれば、分数の意味で、100割るゼロはゼロ、すなわち、100/0=0である。
さらに、
ところで、 除算を引き算の繰り返しで計算する方法自身は、除算の有効な計算法がなかったので、実際は日本ばかりではなく、中世ヨーロッパでも計算は引き算の繰り返しで計算していたばかりか、現在でも計算機で計算する方法になっている(吉田洋一;零の発見、岩波新書、34-43)。
さらに、道脇裕氏が、2014.12.14日付け文書で、上記除算の意味を複素数の場合にも拡張して ゼロ除算z/0=0を導いているのは、新しい結果であると考えられる。
吉田洋一氏は、上記著書で、ゼロ除算の方法を詳しく書かれているにも関わらず、ゼロ除算はゼロであるとの 結果に至っていない。道脇氏が見破ったセロ除算が出ていない。 吉田氏が書かれているように、中世ヨーロッパ、アジアでも、計算機内の計算法でも広範に、使われている方法の 小さな、小さな発想が出ていない。世界は広く、四則演算を習い、使用している人は それこそ膨大な人口なのに 皆道脇氏の発想が出ていないということは 何を意味するであろうか。 もちろん、数学や物理学の天才たちを回想しても 驚くべきことである。 しかも, 物理学には、ゼロ除算が自然に現れる公式が沢山存在して、ゼロ除算は 物理学の 不明な、曖昧な点であったという事実さえ存在していた。世間でもどうしてゼロで割れないかの疑問は 繰り返し問われてきていた、問われている。
この小さな、小さな発想の1歩が出なかった理由は、除算は乗算の逆であって、ゼロ除算は不可能であるという、数学の定説が ゆり動く事がなかったという、厳然とした事実ではないだろうか? 数学的に不可能性であることが証明されていることは、あたかも 絶対的な真理のように響いてきたのではないだろうか。― しかしながら、人類は非ユークリッド幾何学の出現で、数学的な真実は変わりうることを学んでいるはずである。 実際、平行線が無数に存在したり、全然、存在しない幾何学が現れ、現在それらが活用されている。
道脇愛羽さん(当時6歳)は 四則演算の定義、基本だけを知っていて、自由な発想の持ち主であるがゆえに、得られた感覚とも言えるが、無限が好きだとか、一般角の三等分を考えるなど、相当な数覚の持ち主のように感じられる。道脇裕氏は、自由人で、相当な整数論を独力で展開するなど多彩な才能の持ち主であるが、除算の理解にも深く、複素数でも除算の考えができるなど、全く新しい結果を得ていると考える。数学の定説など ものともしない、世界を観ているのが良く分かる。それらの故にこの偉大な1歩を踏み出すことができたと考えられる。
この1歩は偉大であり、小学校以上の割り算の考えを改め、ゼロ除算を 世界の常識にすべきであると考える。
我々は、この発見の契機から、人間の創造性について沢山の事を学べるのではないだろうか。
以 上

再生核研究所声明195(2015.1.3)ゼロ除算に於ける高橋の一意性定理について
ゼロで割る、ゼロ除算は 割り算が掛け算の逆と考えれば、不可能である事が簡単に証明されてしまう。しかるにゼロ除算はある自然な考え方でゼロになるということが発見されるや否や、ゼロ除算は除算の固有の意味から自明であるということと その一意性があっという間に証明されてしまった。ここでは創造性の実態、不思議な面に触れて、創造性の奇妙な観点をしっかり捉えて置きたい。― 背景の解説は 次を参照:
ゼロ除算の楽しい、易しい解説を次で行っている:
数学基礎学力研究会のホームページ
URLは
道脇裕・愛羽 父・娘 氏たちの自明であるという解釈は 再生核研究所声明194で纏めたので、ここでは高橋の一意性定理を確認して置きたい。
まず、山形大学の高橋眞映 名誉教授によって与えられた 定理とその完全な証明を述べよう:
定理 Rを実数全体として、 Fを R x R からRへの写像(2変数関数)で、全ての実数 a、b、c、d に対して
F (a, b)F (c, d)= F (ac, bd)
および b がゼロでない限り、
F (a, b) = a/b
とする。 このとき、 F (a, 0) = 0 が導かれる。
証明 実際、 F (a, 0) = F (a, 0)1 = F (a, 0)(2/2) = F (a, 0)F (2, 2) = F (ax 2, 0 x 2) = F (2a, 0) = F (2, 1)F (a, 0) = 2F (a, 0).。 よって F (a, 0) = 2F (a, 0)、ゆえに F (a, 0)=0。
この定理で、F (a, 0) を a/0 と定義するのは自然であり、実際、 そう定義する。 ここは大事な論点で、チコノフ正則化法や道脇方式で既にa/0が定義されていれば、もちろん、定理ではF (a, 0) =a/0 が導かれたとなる。
定理は 分数の積の性質 (a/b)(c/d) = (ac/bd) を持つもので、分数をゼロ除算に(分母がゼロの場合に)拡張する、如何なる拡張も ゼロに限る a/0=0 ことを示している。― これは、拡張分数の基本的な積の性質(a/b)(c/d) = (ac/bd)だけを仮定(要請)すると、ゼロ除算は ゼロに限る a/0=0ことを示しているので、その意義は 決定的であると考えられる。 この定理は千年以上の歴史を持つゼロ除算に 決定的な解を与えていると考えられる。
チコノフ正則化法や一般逆の方法では、一つの自然な考え方で導かれることを示しているだけで、いろいろな拡張の可能性を排除できない。道脇方式も同様である。 一意性定理とは、そもそも何、何で定まるとは、その、何、何が定める性質の本質を捉えていて、導いた性質の本質、そのものであると言える。高橋眞映教授の定理は 証明も簡潔、定理の意義は絶大であり、このような素晴らしい定理には、かつて会ったことがない。数学史上の異色の基本定理ではないだろうか。
ゼロ除算は、拡張分数が 直接、自明であるが、積の公式が成り立つと、積極的に性質を導いていることにも注目したい。(ゼロ除算は 新しい数学であるから、そのようなことまで、定義に従って検討する必要がある。)
ゼロ除算は 千年以上も、不可能であるという烙印のもとで, 世界史上でも人類は囚われていたことを述べていると考えられる。世界史の盲点であったと言えるのではないだろうか。 ある時代からの 未来人は 人類が 愚かな争いを続けていた事と同じように、人類の愚かさの象徴 と記録するだろう。 人は、我々の時代で、夜明けを迎えたいとは 志向しないであろうか。
数学では、加、減、そして、積は 何時でも自由にできた、しかしながら、ゼロで割れないという、例外が除法には存在したが、ゼロ除算の簡潔な導入によって、例外なく除算もできるという、例外のない美しい世界が実現できたと言える。
高橋の一意性定理だけで、数学はゼロ除算100/0=0,0/0=0を確定せしめていると言えると考える。 実はこの大事な定理自身は 論文にもそのまま記述されたにも関わらず、共著者名に高橋の名前が高橋教授の希望で載っていない:
M. Kuroda, H. Michiwaki, S. Saitoh, and M. Yamane,
New meanings of the division by zero and interpretations on $100/0=0$ and on $0/0=0$, Int. J. Appl. Math. Vol. 27, No 2 (2014), pp. 191-198, DOI: 10.12732/ijam.v27i2.9.
ところが、 高橋教授がゼロ除算の一意性を証明したと 当時 アヴェイロ大学にポスドクで来ていた、イタリアのM. Dalla Riva博士に伝えたところ、そんな馬鹿な、反例を作ると猛然と挑戦したのであるが次々と失敗を続けていたが、帰る頃、驚いて高橋の結果は正しいと独自に定理を発見、証明した。― そこで、いろいろ経緯があって、共著で論文を書こうと提案していたところ、ゼロ除算そのものの研究の意味がないとして、論文と研究には参加せず、彼の結果は、齋藤のものとして良いとなった。彼らのあるグループ間では ゼロ除算は意味がないということで、意見が一致したというのである。これは数学が正しくても意味が無いという、見解の人たちが存在するという事実を述べている。アヴェイロ大学でもそのような意見であったので、アヴェイロ大学では、ゼロ除算は研究できない状況になっていた。それらの思想、感覚は、アリストテレスの世界観が宗教のように深くしみわたっていて、universe は不連続なはずがないという事である。ゼロ除算における強力な不連続性は受け入れられない、ゼロ除算はまるで、恐ろしい魔物をみるように 議論しても、発表してもならないと 数学教室の責任者たちに念を押された事実を 真実の記録として、書き留めて置きたい。
独立に証明された、Riva氏と高橋教授は、自分たちの定理の重要性を認識していなかったように感じられる。 他方、齋藤は、最初から今もなお その素晴らしさに驚嘆して感銘させられている。
以 上
再生核研究所声明196(2015.1.4)ゼロ除算に於ける山根の解釈100= 0x0について
ゼロ除算 100/0=0 は 説明も不要で、記号を含めて 数学的に既に確定していると考える。 もちろん、そこでは100/0 の意味をきちんと捉え、確定させる必要がある。 100/0 は 割り算の自然な拡張として ある意味で定義されたが、 その正確な意味は微妙であり、いろいろな性質を調べることによって その意味を追求して行くことになる:
ゼロ除算の楽しい、易しい解説を次で行っている:
数学基礎学力研究会のホームページ
URLは
100/0=0 というのであるから、それは 100= 0 x0 というような意味を有するであろうかと 問うことは可能である。 もちろん、x を普通の掛け算とすると0x0 =0 となり、矛盾である。ところが山根正巳氏によって発見された解釈、物理的な解釈は絶妙に楽しく、深い喜びの情念を与えるのではないだろうか:
M. Kuroda, H. Michiwaki, S. Saitoh, and M. Yamane,
New meanings of the division by zero and interpretations on $100/0=0$ and on $0/0=0$, Int. J. Appl. Math. Vol. 27, No 2 (2014), pp. 191-198, DOI: 10.12732/ijam.v27i2.9.
等速で一直線上 異なる方向から、同じ一定の速さvで、同じ質量mの物体が近づいているとする。 その時、2つの物体の運動エネルギーの積は
\begin{equation}
\frac{1}{2}m{ v}^2 \times \frac{1}{2}m{(- v)^2} =E^2.
\end{equation}
で 一定E^2である。
ところが2つの物体が衝突して止まれば、vは ともにゼロになり、衝突の後では見かけ上
\begin{equation}
0 \times 0 =E^2.
\end{equation}
となるのではないだろうか。 その時はE^2 は 熱エネルギーなどに変わって、エネルギー保存の法則は成り立つが、ある意味での掛け算が、ゼロ掛けるゼロになっている現象を表していると考えられる。 ゼロ除算はこのような変化、不連続性を捉える数学になっているのではないだろうか。 意味深長な現象を記述していると考える。
運動エネルギー、物質は数式上から消えて、別のものに変化した。 逆に考えると、形式上ないものが変化して、物とエネルギーが現れる。これはビッグバンの現象を裏付けているように感じられる。 無から有が出てきたのではなくて、何かの大きな変化をビッグバンは示しているのではないだろうか?
以 上
再生核研究所声明202(2015.2.2)ゼロ除算100/0=0,0/0=0誕生1周年記念声明 ― ゼロ除算の現状と期待
ゼロ除算の発見、経過、解説などについては、結構な文献に記録されてきた:
再生核研究所声明148(2014.2.12)100/0=0, 0/0=0 - 割り算の考えを自然に拡張すると ― 神の意志
再生核研究所声明154(2014.4.22)新しい世界、ゼロで割る、奇妙な世界、考え方
再生核研究所声明157(2014.5.8) 知りたい 神の意志、ゼロで割る、どうして 無限遠点と原点が一致しているのか?
再生核研究所声明161(2014.5.30)ゼロ除算から学ぶ、数学の精神 と 真理の追究
再生核研究所声明163(2014.6.17)ゼロで割る(零除算)- 堪らなく楽しい数学、探そう零除算 ― 愛好サークルの提案
再生核研究所声明166(2014.6.20)ゼロで割る(ゼロ除算)から学ぶ 世界観
再生核研究所声明171(2014.7.30)掛け算の意味と割り算の意味 ― ゼロ除算100/0=0は自明である?
再生核研究所声明176(2014.8.9)ゼロ除算について、数学教育の変更を提案する
Announcement 179 (2014.8.25) Division by zero is clear as z/0=0 and it is fundamental in mathematics
Announcement 185: The importance of the division by zero $z/0=0$
再生核研究所声明188(2014.12.15)ゼロで割る(ゼロ除算)から観えてきた世界
再生核研究所声明190(2014.12.24)
再生核研究所からの贈り物 ― ゼロ除算100/0=0, 0/0=0
夜明け、新世界、再生核研究所 年頭声明
― 再生核研究所声明193(2015.1.1 ― 
再生核研究所声明194(2015.1.2)大きなイプシロン(無限小)、創造性の不思議
再生核研究所声明195(2015.1.3)ゼロ除算に於ける高橋の一意性定理について
再生核研究所声明196(2015.1.4)ゼロ除算に於ける山根の解釈100= 0x0について
再生核研究所声明199(2015.1.15)世界の数学界のおかしな間違い、世界の初等教育から学術書まで間違っていると言える ― ゼロ除算100/0=0,0/0=0
ゼロ除算100/0=0,0/0=0誕生1周年記念日に当たり、概観して共同研究者と共に夢を明るく 楽しく描きたい。まずは、ゼロ除算の意義を復習しておこう:
1)西暦628年インドでゼロが記録されて以来 ゼロで割るの問題 に 簡明で、決定的な解 ゼロで   何でも割れば ゼロ  z/0=0  である をもたらしたこと。
2)ゼロ除算の導入で、四則演算 加減乗除において ゼロでは 割れない の例外から、例外なく四則演算が可能である という 美しい四則演算の構造が確立されたこと。
3)2千年以上前に ユークリッドによって確立した、平面の概念に対して、おおよそ200年前に 非ユークリッド幾何学が出現し、特に楕円型非ユークリッド幾何学ではユークリッド平面に対して、無限遠点の概念がうまれ、特に立体射影で、原点上に球をおけば、 原点ゼロが 南極に、無限遠点が 北極に対応する点として 複素解析学では 100年以上も定説とされてきた。それが、無限遠点は 数では、無限ではなくて、実はゼロが対応するという驚嘆すべき世界観をもたらした。
4)ゼロ除算は ニュートンの万有引力の法則における、2点間の距離がゼロの場合における新しい解釈、独楽(コマ)の中心における角速度の不連続性の解釈、衝突などの不連続性を説明する数学になっている。ゼロ除算は アインシュタインの理論でも重要な問題になっていたとされている。数多く存在する物理法則を記述する方程式にゼロ除算が現れているが、それらに新解釈を与える道が拓かれた。
5)複素解析学では、1次変換の美しい性質が、ゼロ除算の導入によって、任意の1次変換は 全複素平面を全複素平面に1対1 onto に写すという美しい性質に変わるが、 極である1点において不連続性が現れ、ゼロ除算は、無限を 数から排除する数学になっている。
6)ゼロ除算は、不可能であるという立場であったから、ゼロで割る事を 本質的に考えてこなかったので、ゼロ除算で、分母がゼロである場合も考えるという、未知の新世界、新数学、研究課題が出現した。
7)複素解析学への影響は 未知の分野で、専門家の分野になるが、解析関数の孤立特異点での性質について新しいことが導かれる。典型的な結果は、どんな解析関数の孤立特異点でも、解析関数は 孤立特異点で、有限な確定値をとる という定理 である。佐藤の超関数の理論などへの応用がある。
8)特異積分におけるアダマールの有限部分や、コーシーの主値積分は、弾性体やクラック、破壊理論など広い世界で、自然現象を記述するのに用いられている。面白いのは 積分が、もともと有限部分と発散部分に分けられ、 極限は 無限たす、有限量の形になっていて、積分は 実は、普通の積分ではなく、そこに現れる有限量を便宜的に表わしている。ところが、その有限量が実は、 ゼロ除算にいう、 解析関数の孤立特異点での 確定値に成っていること。いわゆる、主値に対する解釈を与えている。これはゼロ除算の結果が、広く、自然現象を記述していることを示している。
9)中学生や高校生にも十分理解できる基本的な結果をもたらした:
基本的な関数y = 1/x のグラフは、原点で ゼロである;すなわち、 1/0=0 である。
10)既に述べてきたように 道脇方式は ゼロ除算の結果100/0=0, 0/0=0および分数の定義、割り算の定義に、小学生でも理解できる新しい概念を与えている。多くの教科書、学術書を変更させる大きな影響を与える。
11)ゼロ除算が可能であるか否かの議論について:
現在 インターネット上の情報でも 世間でも、ゼロ除算は 不可能であるとの情報が多い。それは、割り算は 掛け算の逆であるという、前提に議論しているからである。それは、そのような立場では、勿論 正しいことである。しかしながら、出来ないという議論では、できないから、更には考えられず、その議論は、不可能のゆえに 終わりになってしまう ― もはや 展開の道は閉ざされている。しかるに、ゼロ除算が 可能であるとの考え方は、それでは、どのような理論が 展開できるのかという未知の分野が望めて、大いに期待できる世界が拓かれる。
12)ゼロ除算は、数学ばかりではなく、 人生観、世界観や文化に大きな影響を与える。
次を参照:
再生核研究所声明166(2014.6.20)ゼロで割る(ゼロ除算)から学ぶ 世界観
再生核研究所声明188(2014.12.16)ゼロで割る(ゼロ除算)から観えてきた世界
ゼロ除算における新現象、驚きとは Aristotélēs の世界観、universe は連続である を否定して、強力な不連続性を universe の現象として表していることである。
ゼロ除算は 既に数学的に確定され、その意義も既に明らかであると考えられるが、声明199にも述べられているように、ゼロ除算が不可能であるとの世の常識、学術書、数学は 数学者の勝手な解釈による歴史的な間違いに当たる ことをしっかりと理解させ、世の教育書、学術書の変更を求めていきたい。― 誰が、真実を知って、偽りを教え、言い続けられるだろうか。― 教育に於ける除算、乗算の演算の意味を 道脇方式で回復させ、新しい結果 ゼロ除算を世に知らしめ、世の常識とさせたい。それは ちょうど天動説が地動説に変わったように 世界史の確かな進化と言えるだろう。
ゼロ除算の研究の進展は、数学的には 佐藤超関数の理論からの展開、発展、 物理学的には ゼロ除算の物理法則の解釈や、衝突現象における山根の面白い解釈の究明 などに興味が持たれる。しかしながら、ゼロ除算の本質的な解明とは、Aristotélēs の世界観、universe は連続である を否定して、強力な不連続性を universe の自然な現象として受け入れられることである。数学では、その強力な不連続性を自然なものとして説明され、解明されることが求められる。
以 上

ゼロ除算は、誰にもわかるが、みんな間違って理解している。
正しい結果は、驚嘆すべきもので、何でも0で割れば、0ということが最近発見された。


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