東京大空襲から70年 遺族らが祈り
3月10日 11時51分
東京大空襲から70年 遺族らが祈り
およそ10万人が犠牲となった東京大空襲から10日で70年となり、東京・墨田区の東京都慰霊堂では、遺族らが犠牲者に祈りをささげました。
東京・墨田区などの下町一帯は、昭和20年3月10日未明、アメリカのB29爆撃機による空襲を受け、下町を中心に26万戸以上の建物が焼け、およそ10万人が犠牲となりました。
70年となる10日、東京都慰霊堂で行われた式典には秋篠宮ご夫妻も参列され、安倍総理大臣や東京都の舛添知事、東京大空襲で家族を失った遺族などおよそ350人が焼香して犠牲者を追悼しました。
慰霊堂には、名前が判明していない多くの遺骨が納められていて、式典のあとも、多くの遺族らが訪れ、静かに手を合わせて祈りをささげていました。
また、慰霊堂脇の施設には、遺族の申し出などをもとに東京都が作成したおよそ8万人の犠牲者の名簿が納められていて、ことしは、新たに174人の名前が追加されました。
東京大空襲で両親や兄弟の家族5人を亡くした81歳の男性は、「70年たった今もやり切れない気持ちになります。同じ思いを2度と誰にもしてほしくないです」と話していました。
また、家族や親類の8人を亡くした91歳の女性は、「年齢を重ね、毎年、今回が最後だと思ってお参りに来ています。戦争は絶対にしてはいけないと思います」と話していました。
小学校で体験者招き特別授業
東京大空襲で周囲が焼け野原になった東京・墨田区の言問小学校では、70年の節目に全校児童が地域のお年寄りの体験を聞く特別授業が行われました。
東京・墨田区の言問小学校は、東京大空襲で奇跡的に焼け残り、今も昭和12年の開校当時の校舎で児童が学んでいますが、周囲は焼け野原になりました。
空襲から70年となる10日、学校では地域のお年寄りの体験を聞く特別授業が行われ、全校児童およそ210人が出席しました。
招かれたのは、この学校の卒業生で、3歳のとき自宅で空襲を体験した横井正男さん(73)で、当時の様子について、「祖父は警防団にかり出され、祖母と母親と1歳になる弟と一緒に防空ごうに避難しました。炎が迫り、体の震えが止まらなかったことと、近くの言問橋で多くの人が亡くなったことを覚えています」と語りました。そのうえで、「当時の私と同じ年頃の子どもたちが、戦争で両親を亡くし、上野駅近くの路上で寝起きしているのを見て、戦争の悲惨さを感じました」と話しました。
話を聞いた6年生の男の子は、「今、住んでいるところで戦争があり、多くの人が犠牲になったことを改めて知りました。二度と戦争は起きてほしくないと思います」と話していました。http://www3.nhk.or.jp/news/html/20150310/k10010010141000.html
2.7 第二次世界大戦と日本の良心(2007/4/12):
この感想は、私と同じ年代の人たちには、圧倒的に支持される自信があります。
「声明」は、軽い現代の常識的立場の整理だと思いました。この程度の見解が「第2次世界大戦について、十分な反省」をした結果だかどうか、頼りないようにおもいました。この声明案の基本的な問題は、「第二次世界大戦をどう考えるか」「いわゆる戦犯をどう考えるか」の二つに絞られると思います。 小学校入学が満州事変、中学入学の時が日中戦争、4年の時に第二次大戦、高専卒業の時に終戦。正に戦争とともに大きくなりました。戦中派として「第二次世界大戦をどう考えるか」という問題についての回答は、「声明」が考えている現代の一般的常識とはかなり違います。
話を進めるために、是非「世界史」を勉強してください。といっても、私の勉強の中心は、
次の資料を折に触れ、繰り返し見て、私の若き日の記憶と照らし合わせるだけです。「総合世界史図表(第一学習社)1987」「総合日本史図表」「コンサイス世界史年表」「世界年表(河出書房)」それに高校の教科書です。今日もこの返事を書くために世界史図表をめくりなおしました。
世界史はまさに戦争の歴史です。とったりとられたり、栄枯衰盛、食うか食われるかの争いです。この図表(全240頁)の半分ほどの120頁以降、欧米各国の世界侵略のすさまじさが記録されています。スペイン、イギリス、オランダ、フランス、アメリカ、それにロシアなどいわゆる当時の先進諸国が、インド、アフリカ、カナダ、アメリカ、南米、中央アジア、シベリア、にむけた目に余る身勝手な侵略戦争の歴史です。中国だってその渦のなかで、周辺諸国を侵し、欧米からは侵される、不思議なお混乱のなかにありました。これらの大国は、17世紀から20世紀にわたって、世界各地を恐るべき勢いで、傍若無人に侵略しまくって、植民地にしてしまいました。
20世紀に入った頃、スペインはフィリッピンを、オランダはインドネシアを、イギリスはインド、ビルマ、マレー半島、それにオーストラリアを、フランスはベトナム、カンボジャ、ラオスを、つまり東南アジアの全域を侵略しつくしていました。アメリカも遅ればせながら、スペインからフィリッピンを奪っています。太平洋の島々もイギリス、フランス、アメリカの領地にくみこまれてしまいました。その上、勢いをつけたイギリス、ドイツ、フランス、ロシアなどが、競って中国侵略を着々と実行していました。日本に対しても、中国に対する侵略と同じ手法で、治外法権の外人居留地をもうけたり、不平等条約を押しつけたり、で明治維新以来、侵略の初期段階にあったと思っています。ロシアと中国の清朝も、中国東北地区から韓国へと勢力を拡大すべく圧力を強めていました。
このような欧米諸外国からの侵略に対する危機感や対抗意識が、私の若い頃の日本の底流にあったと思っています。諸外国はみんなお行儀がよいのに、日本だけが侵略者でした、などとはどのようにひっくり返っても言えません。第二次世界大戦の本質は、世界列強の世界侵略に対する日本の切ない反逆です。
次に「いわゆる戦犯をどう考えるか」です。第二次大戦を前述のように考えているから、戦争裁判がまともなものであったとはとても考えられません。国際紛争には常に二つの正義が存在します。
どちらがより悪い侵略者だったかを考えるべきです。非は明らかに諸外国にあると私は思っています。 どちらがより悪い侵略者だったかを純客観的に考えられる人はいません。非はいつも相手側にあるものです。しかも勝敗がつけば、必ず敗者側に押しつけられるものです。それが正しいなどというわけにはいきません。たった1回の東京大空襲で非戦闘員の一般市民を徹底的に殺戮して10万人の死者を出し、同じ非人道的な殺戮をあちこちの都市でおこないました。その上、1発の原爆で広島20万人の非戦闘員を殺戮したことも許せません。このような桁外れの悪逆非道を犯した犯人を裁かないで、戦争裁判の正当性を主張することなどはとても承伏できません。戦犯問題は茶番です。
戦中派の私の第二次世界大戦と戦犯についての基本的な考え方です。靖国問題などは、わたくしにとって、どうでもいいことです。うまく処理してくれることを願うだけです。
第二次世界大戦と日本の良心の返事
どうも歴史的事実とズレているようです。
第一次大戦終了以降の国際社会は日本も締結した不戦条約に見られるような自衛以外の戦争の違法化に進んでいました。
そもそも1920・30年代の日本は、すでに世界有数の軍事力を持った国家であり、1932年の脱退まで国際連盟の常任理事国でした。
欧米の侵略におびえた幕末期と同じ危機感で国際情勢を語るのは明らかにおかしいと思います。
中国に対する主権侵害を禁じた九カ国条約も締結されており、帝国主義の時代は終焉していました。
このような時代に第一次大戦以前の感覚で中国への侵略を行った日本は残念ながら時代錯誤であったとしか言いようがありません。
また、太平洋戦争の主な発端は中国への侵略によって経済制裁を受けた日本が、戦争継続のため資源を南方に求めたことです。
「ABCD包囲網」というのは日本の自業自得です。
1943年の大東亜政略指導大綱では占領地の「マライ」「スマトラ」「ジャワ」「ボルネオ」「セレベス」を帝国領土に編入することが
決定されるなど「アジア解放」の大義名分とはまったく異なる実態を見ることができます。
要するに太平洋戦争は、東南アジアの欧米植民地を日本の統治下に置き、重要資源産出地にいたっては日本領土とするための侵略戦争であり、
そうした意味での「大東亜の新秩序」の樹立です。
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