2015年1月10日土曜日

親と暮らせない子どもについて知りたい人が、これさえ読めば概要を理解できる記事

親と暮らせない子どもについて知りたい人が、これさえ読めば概要を理解できる記事
先日、G1サミットに参加している知事・市長ら10人に「日本の社会的養護、特に児童養護施設についてデータに基づいたマクロの議論を15分で話す」というお題を頂いた。ただでさえ起業で忙しいうえに荷が勝つテーマではあったけど、子どもたちの状況がこれで良くなるのなら、と一生懸命に資料を用意した。せっかくだから、ここでその概要をお伝えしたい。人間のモノを読むスピードは聞くよりはるかに早いので、さっと読む分には10分あれば足りると思う。時間が無い人は、スライドの写真だけを読めば大体概要が分かるようになっている(これならざっと見るだけなら3分)。
では、まずは議論の概要を。児童養護施設について、よく語られるのは、その出身者らの現状だ。20%が高校中退をする、低い就業率、生活保護受給など、とにかくこういった現象面が目立つ。しかし、その背景はもっと複雑であって、それを敢えて3つに分けると、(1)貧困を背景とした虐待増加、(2)施設のヒト・モノ・カネが不十分な現状、(3)そもそも社会の関心が低いため、日本の子ども・教育向け支出が先進国最低レベル、という3つに分けられると思う。これらの課題を踏まえると、この課題解決にはそもそも国がもっと子どもにお金を使うべきではないかと僕は思う。

では、以下、順を追って話していこう。
格差・貧困・児童虐待
そもそもの話をすると、児童養護施設とは、何らかの事情で親と育つことができない子どもが生活する施設だ。後述するように、そういう事情にある子どもが育つ環境として里親家庭もあるが、日本ではそれは20%程度に留まっている。昔は、戦災孤児を引き受けることが多かったため、「孤児院」という名前で知られていた。
その施設に子どもが入所する理由はこの30年で様変わりした。1978年に入所理由トップだった親の離婚・不和・死亡・行方不明は、2008年には5位・6位になり、一方で元々少数派だった親の虐待・就労・経済的理由(要は親の貧困)が今や1位・2位になっている。
日本の貧困がどんな状況かを改めて確認しておこう。僕たちの実質所得は、1990年代末にピークを迎えた後には下落を続け、30年前の水準に戻っている。一方で、相対的貧困率は着実に伸び続け、現在一人あたりの等価可処分所得(家計所得を家計人数の平方根で割ったもの)が110万円以下の貧困家庭は16%となっている。特に貧困率が深刻なのは母子家庭で、3分の2の母子家庭では世帯収入が300万円以下だ。
日本が一億総中流の国であるというのは今や完全なる幻想であって、その貧困率は世界的にも高い。貧困家庭にある子どもの比率、すなわち子ども貧困率は、OECD各国の中で、日本よりはるかにまずい状況にありそうなイメージのある国とほぼ同じレベルにある。特に、ひとり親家庭子ども貧困率は、OECD加盟国のワースト1位になっている。その大きな理由は、シングルマザーが働き口を探すのが難しいことにある。
物質的貧困は、家庭にも着実にストレスを与える。もちろん、物質的に恵まれている家庭でも児童虐待は起きるが、実態として児童虐待で通報される家庭の多くが経済的に問題を抱えていることが多い。その児童虐待相談件数は、ここ数年も増加の一途をたどっている(ただし、通報の増加が問題の深刻化と一致しない可能性があることには注意が必要だ)。
虐待子どもの精神状態に明確な影響をもたらす。その影響のあり方は様々だが、過去20年で児童養護施設に入所する子どものうち、なんらかの障害をかかえる子どもの数は2倍になっている。

日本の社会的養護の状況について
こうった貧困や虐待などが原因で親と一緒に暮らすことができな子どものために、社会が用意する養育環境を社会的養護という。
子どもたちがどのような過程を経て児童養護施設に行くようになるのかというと、次のようになる。まず通報などがあり、特にまずいケースだと判断された場合、その子どもは一時保護所に預けられる。そのうち、家庭に戻ったり、裁判になったり、入所したりする子どもは約6割。家庭復帰が難しいと判断された子どもたちは、親と離れて暮らすことになる。
そのうち、現在8割くらいの子どもは施設で暮らすことになり、2割が里親家庭で暮らす。施設には様々な類型があるが、この中でもっとも多くの子どもがいるのが児童養護施設だ。日本ではとにかく里親の比率が低く、その理由としては(1)社会の認知が低い、(2)子ども里親に預けられるのを実親が拒否する(子ども里親にとられるのではないかと警戒するらしい)、(3)児童相談所子ども対応に忙しすぎて元々からよく知っている施設にとりあえず預けてしまう、など様々だ。子どもにとってベストな選択肢が常に提供されている状態が理想だが、現状はその理想とは遠いところにある。
一般化はできないが、児童相談所子ども里親に預けるか、施設に預けるかの選択に直面したとき、被虐待児で複雑な状況にある子どもであるほど施設に預けられることが多い。それは、(本人のせいではないのだけど)こういう子どもはトラブルを起こしやすく、里親家庭では子どもに何かがあったときに対処するのが難しい一方で、施設であれば専門性の高い職員もいるため対応できる可能性が高いだろうという計算があってのことだ。里親家庭で引き受ける子どもとのマッチングがうまくいかないと、場合によっては里親家庭そのものが壊れてしまうことすらある。施設であれば、児童指導員との相性が悪くても生活のユニットを変えるなどして対応することもできるし、専門の心理療法士もついている。
児童養護施設の建物は、一つの生活単位(食事・風呂など)に何人の子どもがいるかによってタイプが分かれる。最も多くの子どもがいるのが大舎で、これは合宿所のようなイメージだ。一方で、小舎はひとり親で子どもが6人いる家庭というイメージになる。大舎は大勢の子どもを見るのに「効率的」という理由から、戦後間もない頃に建てられた施設の多くが大舎に属していた。しかし、より家庭的な養育環境を子どもに準備するために、小舎を増やしていくべきというのが時代の要請だ。
過去4年の間に大舎は減り、小舎の建物は増えている傾向にある。しかしながら、まだ人数ベースでいえば多くの子どもが合宿所のような場所で生活をしている(なお、下記グラフでは、1施設で小舎の区画と大舎の区画がある場合には、小舎1、大舎1とカウントされるため、合計しても全国の施設数とならないことに留意されたい)。
小舎への移行が早く進まない最大の理由は、施設を小舎にするための資金を十分に積み立てている児童養護施設が多くなく、施設新設のために借入をしようとしても返済原資がないということで却下されてしまうからだ。社会的養護の建前は「家庭で育つことができない子どもに、社会が養育環境を準備する」というものなのに、施設側の資金不足が理由で建て替えが進まないのは随分と変な話だ。
次に、ヒトの話に移ろう。子どもの親代わりとなるケア職員(保育士や児童指導員)の配置基準は2013年までは40年間変わっていなかった。例えば、配置基準が6対1の場合、受け入れている子どもの数が6人であれば、ケア職員1人を雇うだけのお金(措置費)が、国や地方公共団体から支払われることになる。直近の配置基準は学童以上の子どもで5.5対1、3歳~学童以前で3対1、それ以下で1.6対1となっている。
5.5対1ということは、11人の子どもに対して職員が2人つくということだ。一人の職員が24時間子どもの対応をしているわけではないので、ケア職員1人あたりの子どもの数は平均すると10人になる(なお、これは一つ以前の配置基準の時のデータなので若干改善はしているものの、ほぼ変化はない)。
この、一人の職員で10人の子どもの対応をするというのはとんでもないことだ。一度経験してみると分かるが、普通に家事を回すだけで一日が怒涛のように過ぎていく。しかも、相手とするのは、多くが虐待を受けたり様々な家庭の事情で複雑な心持ちを抱えている子どもたちで、本当ならば一人ひとりが手厚いケアを必要としているにもかかわらず、だ。
人間が育っていくためには、誰か特定の人と愛着関係を結び、「ああ、自分はこの人から存在を望まれているんだ」という確信を得ることが必要不可欠だ。そうしてこそ、僕たちは世界が自分たちを受け入れていると信じることができるし、生きる希望も努力する元気も湧いてくる。しかし、今の児童養護施設の現状では、そういった愛着関係をケア職員と子どもが結ぶのは非常に難しい(無理とはいわないけれど)。
それで職員もヘトヘトになり、燃え尽き症候群(バーンナウト)になる職員は後を絶たない。突然出勤できなくなり、退職する職員は多くの施設で毎年のように出てくる。結果として、児童養護施設の職員の勤続年数は長くない。本当にケア職員が親代わりになるのであれば、子どもが施設を出て行った後も、施設に戻れば顔なじみの職員がいるべきなのだが、現状はそこから遠い場所にある。
この退職率の高さ、勤務環境の厳しさを背景にして、今は児童養護施設内では、「職員にきちんとした労働環境を準備してこそ子どものケアができる」という派と、「現状の配置基準で職員の労働環境なんかを気にしていたら、子どものケアなんてできっこない」という派で、意見対立が起きている。
そもそも国から出るお金が少なすぎる
ただ、この児童養護施設内の意見対立は、そもそも国から十分な資金が子ども向けに払われていたら生じないのではないかと個人的には思う。
次の図は、日本の子ども・家族向け支出と高齢者向け支出のGDP比を1とした時の、各国の支出の国際比較だ(各国の年齢構成の違いも調整している)。日本の子ども・家族向け支出はGDPの0.7%であり、これは国際的には非常に低い。比較対象としたいわゆる先進国の中では、韓国アメリカに次いで低い数字だ。なお、高齢者向け支出は8%で、これは他国と比べても一般的な水準だ。要は、この国は年金のみならず、公的支出においても高齢者に優しく、子どもやそれを養う家族に厳しい国だということだ。
社会的養護の直面する問題のそもそもの背景にあった子ども貧困率は、国がその対策にどれくらいのお金を割くかによって明確に異なってくるようだ(下図)。そして、日本の教育向け支出・家族向け支出は国際的に少なすぎると言って差し支えないだろう。

この期間、アドボカシー活動をしていると、多くの人から、「この国にはそんなに子どもにつける予算は無いのだから、限られた予算の中からどうやって賢く意味のある支出を行っていくのかを考えるべきである」という意見が返ってくる。
確かに、難易度も低くかつ「廉価」で、ある程度の効果が生まれる打ち手は存在する。例えば、里親を増やし施設の統廃合を行っていくこと、一軒家の賃貸などによる養育環境を提供していくことなどは、多少時間がかかっても是非に進めていくべきだと思う。
一方で、課題を深層まで分析することで見えてくるのは、この国の格差の広がり、経済の停滞、子どもらへの所得再配分の少なさ等のより根本的な問題だ。こうした本質的な問題については、本気でリソースを割かないと解決できないケースが大半だ。
特にいま、社会的養護においては、各要素が複合的に負の連鎖をつくっている状況にある。企業のターンアラウンドの時も全くそうなのだけど、負の連鎖は、リーダーが「よく考えられた力技」で押し切らないと解消されない。
「どんな家庭に生まれた子どもに対しても、社会が一般家庭に見劣りしない養育環境を用意すること」に対する本気度が問われているのではないだろうか、と僕は思う。
それで、Living in Peaceができることとしては何をしているのか、ということについては、ここで記事を書くと焦点がブレるので、また記事を改めて紹介したい。
リンク:月1,000円からの寄付で、子どもの状況を変えることができる仕組み
誰も自分の子供を虐待したいとは、思わないのではないでしょうか。
子供を虐待するということは、親が、余裕が無いとか、生活苦などによって、疲れている為ではないでしょうか。従って、虐待の増加は、調査が詳しく明らかになったという事と共に、社会環境の厳しさが、影響していると理解すべきではないでしょうか。
そこで、子供を守る立場からも、憲法25条の精神を各地方公共団体ごと、点検し、不幸な状況に追い込まないような対策が求められていると思います。
こういう厳しい時は、道路の整備などは、多少は遅らせても、民生を重視すべきではないでしょうか。大きな無駄にメスをいれ、民生を豊かにし、不幸な事態に陥らないように、したいと思います。
この様なことは、古代中国でも、配慮されたことですし、いつの時代でも、気を遣ってきたと思います。

3.10 悲しいニュース、心中(2007/7/21): 
4歳の子を道連れに 夫婦と3人で 川の字になって 練炭で心中したというニュースが流れました。 親族や友達に祝福されて、6,7年で人生を閉じた事になります。 悲しいニュースです。 実は心情として理解できる事があり、少し私の考えはおかしいのではないかと家族にも、友達にも言われているのですが、それは今夜は触れない事にして、一般的なことを触れておきたいと思います。先ずご夫婦の追い込まれた心情、そのご両親、ご親族の嘆きは如何程かと思うと心が痛みます。- 祖父の長兄は 母が生きているうちは 悲しませないように病気になるな、頑張れと叔父、叔母達によく言っているということです。- 現実に上手くいかなかったとき、助けを求めてはといっても、人間には誇りも名誉もあるので、素直になれないことがあるのではないでしょうか。 よって具体的には、事業などで失敗した場合に何か上手く、援助できるような在り様を考える必要があるのではないでしょうか。憲法25条の精神を如何にして、実現させ、失敗しても立ち上がれる機会を如何に作っていくかです。昔の話ですが、祖父の友人が実業家で、 何度も失敗を繰り返して、実業は面白いといっていたというのを思い出します。燕の生涯について思いをしていますが、人生苦労が多く、休憩している時が幸せな時とも言えます。 ー 楽することだけが人生ならば、早く閉じた方が幸せとも言えるのではと昔から、疑問に考えてきました。 しかし、人生はそうではなくて、人生とは何かを人生の基本定理で述べてきました。ー 人生には失敗はつきものですから、今回は失敗として、気分をかえ、素直に援助を求め、再挑戦して頂きたく思います。 失敗は恥ずかしい事ではないという風潮を、文化を広めたいと思います。
再生核研究所声明 15 (2008/05/24): 空虚な日本の社会
バブル崩壊後の日本の社会とは、いたるところに現れた借金財政、無責任な責任者の態度とそれを許している社会、経済の停滞、精神の空白と無気力、教育の空洞化などである。これらは空虚な社会と表現されよう。もし日本国の再生がならず、このまま衰退を続ければ、世界の歴史には、かつてアジアに栄えた、ユニークな文化を持った日本国が存在したが、戦後の教育を誤ったために衰退して、かつての日本国をしのぶような国は いまや世界のどこにも無い と記録される時代を迎えるだろう。
何と、国、地方合わせて1000兆円を越える借金を抱えても、政治家マスコミも危機感が足りないと言えよう。国防の最高責任者が接待漬けで、大臣がどこの国の国防大臣か分からないような発言をしていたのである。町まちはシャッター通りと称されて、衰退を続け、農村も荒廃を続け、若者は派遣社員として不安定な状況に追い込まれている。教育はただ勉強して良い大学に入る事を考えればよいという 受験勉強に退化したり、無気力に陥ったりしていて、本来の教育の理念さえ失っている時代とも言える。これらは氷山の一角で、象徴的な状況と言えよう。そこに現れた社会とは、中身の薄い空虚な社会である。評価といって評価を考えようとすれば、よくやっているように見せかける為の書類作りや講演会などのセレモニーである。パンフレットや報告書が 社会にあふれた時代とも言えるだろう。評価されるべき元のもの、本務に取り組む時間と資金をそのために浪費しているような状況がいたるところに現れた、奇妙な時代を迎えていると言える。公務員はいわゆる親方日の丸で 税金がひとりでに入ってくるように感じている風潮で、貴重な税金といった考えが足りないと言えるだろう。
これでは、約5兆円もの防衛費をかけていても、日本国は外国軍の侵略を受ける前に、自滅、衰退してしまう状況ではないでしょうか。橋本大阪府知事のように、地方を、国を立て直す気迫ある若者達の立ち上がりと国民的な奮起を期待したい。
それには先ず大きなマイナスの仕事を減らし、公務員の財政意識を高め、綱紀を引き締め、公僕たる精神を初心として、国、地方の建て直しに取り掛かるように要請したい。危機意識を国民が共有して立ち上がる必要があると考えます。国、地方の豊かさはすべての基礎になるものであるから、おのおのの立場で、地域ごと経済再建にも努力して行きたい。教育問題にも抜本的な取り組みと検討が加えられなければならない。教育界も無気力、無責任な状態と言えよう。教育にも何か魂を入れる必要があるのと考える。江戸時代幕末明治政府には しっかりしないと外国の侵略を受けてしまうという危機感と連帯感があったと考える。今しっかりしないと 国が衰退してしまうという危機感と連帯感をもって国民が立ち上がるべき時である。
それらを展開する基本は 有能な人材を要所に配して、各級の人事を大幅に刷新することである。活力ある人材によって沈滞した社会を再生させる必要があると考えます。
国家は 大戦や地震など災害によって滅ぶことがあるが、多くの場合には、戦後50年を越えて内部から衰退するものである、という世界の歴史を想起したい。 以上。
国の借金1000兆円を突破 6月末時点
国の借金、3月末に過去最大の1024兆円に
高学歴エリートが沢山いるのになんで財政難なんだよ?
(;_; )( ;_;) シクシク・(-。-;)・(◎_◎)・(^_-)db(-_^) 指切りげんまん

日本の財政を考える  より
日本の借金時計
財部 誠一  財部 誠一ジャーナルより
全国都道府県の借金時計 より
日本の借金時計   (数字はうそをつかない)より
新政策機構「チームニッポン」 より http://www.team-nippon.com/
日本経済が破綻するまで動きつづけるリアルタイム財政赤字カウンタより
リアルタイム財政赤字カウンターより
U.S. National Debt Clock : Real Time http://www.usdebtclock.org/
社会保障給付、100兆円に迫る 09年度、失業手当急増http://www.47news.jp/CN/201110/CN2011102801000608.html
65歳以上、総人口の23.3%=過去最高を更新―高齢社会白書http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20120615-00000026-jij-pol

国が衰退したら、勝ち組負け組みも、公務員も、もちろん、検察庁も、マスコミ関係者も みんな困るのでは? 1代自分だけうまく行っても、2代、3代 お孫さんたちは?日本人には、必ず愛国心が湧いて来ると信じています。
注:
衆愚政治(しゅうぐせいじ、Ochlocracy)とは、多数の愚民による政治の意で、民主政を揶揄して用いられる言葉。有権者の大半が知的訓練を受けずに参政権を得ている状況で、その愚かさゆえに互いに譲り合い(互譲)や合意形成ができず、政策が停滞してしまったり、愚かな合意が得られたりする状況をさす。 また有権者がおのおののエゴイズムを追求して意思決定する政治状況を指す。知的訓練を受けない民が意思決定に参加することで、議論が低廻したり、扇動者の詭弁に誘導されて誤った意思決定をおこない、 誤った政策執行に至る場合などをさす。また知的訓練を受けた僭主による利益誘導や、地縁・血縁からくる心理的な同調、刹那的で深い考えにもとづかない怒りや恐怖、嫉妬、見せかけの正しさや大義、あるいは利己的な欲求などさまざまな誘引に導かれ意思決定をおこなうことで、コミュニティ全体が不利益をこうむる政治状況をさす。 また場の空気を忖度することで構成員の誰もが望んでいないことを合意することがある(アビリーンのパラドックス)。出典: フリー百科事典ウィキペディアWikipedia)』。

欧米では時間を越えて、真理・真実を追求しようとする文化がある(これは神の前に出るときには 清い心で望みたいという宗教が背後にあるように感じられる)のに比べて、日本には誤魔化したり、隠蔽したり、曖昧にする文化があることに深く根ざしているとも言える。 
I AM NOT MOVING - Short Film - Occupy Wall Street
次のような侮辱されたレポートに対して、石破氏はどの様にして、国の財政を建直すのかを国民に説明し、内部から崩壊しかねない日本国を建直す為、国家の安全の基本を説明していただきたいと思います。
国の財政が破綻すれば、援助や防衛、安全どころではありません。
これは2001年9月にIMF(国際通貨基金)に近い筋のアメリカ専門家により作成されたというレポートで、その内容は国家財政の破綻をきたした国(レポートでは特に特定はされていないが想定しているのは日本)を如何にIMFが管理するかを記したアクションプログラムです。仮に、日本の国家財政が破綻し、IMF管理国になり「ネバダレポート」が実施されるとどのようになるかと言えば、下記に記した要点の内容が実施されると書かれています。
ネバダレポートの要旨)
1. 公務員の総数および給料の30%カット。ボーナスは全てカット。
2. 公務員退職金は100%カット。
3. 年金は一律30%カット。
4. 国債の利払いは5~10年間停止。
5. 消費税は15%引き上げて20%へ。
6. 課税最低額を年収100万円まで引き下げ。
7. 資産税を導入し、不動産に対しては公示価格の5%を課税。債券社債につい
   ては、5~15%の課税。株式は取得金額の1%課税。
8. 預金は一律ペイオフを実施するとともに、第2段階として預金額を30~40%カットする。
まさかこんな事態は来ないと考えているのは日本の国民だけなのかもしれません。今や日本国債の価値はG7国の中で最低、さらに言えば人口170万人ながらも多くのダイヤモンド鉱脈を持つというアフリカボツワナ共和国国債よりも低い格付けになっています。そんな価値の日本国債を所有するのは、その40.3%を公的機関が所有し、33.7%を民間の金融機関が所有しています。つまり全体の74%が国民の個人資産を預けたお金で所有されていることになります。
更には、日本円の発券銀行である日本銀行が15%も所有している事をご存知でしょうか?
日銀法律により国債を直接購入(政府財務省よりの購入)する事は禁じられているので、市場で国債を購入しています。つまり、自分でお金を刷ってそのお金を基にせっせと国の借金の肩代わりをしている訳です。ここまでで、既に日本の国債発行残高の内89%は内国で消化されている事になります。
では、内国以外の外国人による所有の率はと見てみれば全体の3.3%しかない事が判ります。
つまり残り7.7%は、今度は個人向け国債と称される国民個人による国債購入によりカバーされている訳です。簡単に言ってしまえば、日本国の借金の内、約97%は国民が国にお金を貸している状態ということになります。ここで、この率を他の国と比較すると日本の特殊性が見えてきます。アメリカ国債は、その39.9%が海外所有者で、ドイツ国債は40.3%が海外所有です。
借金の殆どを国民からしているのだから、仮に国家が倒産したとしてもIMF管理国になる事はないであろうと思うのは早計です。日本の現在の状況を貸借対照表においてみれば、資産765.31兆円、負債992.71兆円、差引き227.4兆円の赤字となります。要は、日本株式会社は、その所有する国内の土地、有価証券、機械設備等を全て売却してもなお227.4兆円の借金が残る事になります。
一方、昨今の日本では景気上昇により明るい未来が来ているように思われていますが、景気が良くなれば当然税収増は期待できます。しかし一方で金利も上昇、金利が上がれば国債の利払いも増加します。更に、低金利で発行された国債の価値は下がり、これは国債の大量売りに繋がり国債価格の暴落という事態を引き起こします。このような状況の後にくるのは結果的に財政破綻です。仮に、政府が国民の個人資産を全て巻き上げて借金を棒引きにしたところで、先の貸借対照表で見るとおり明らかなように、それでも227.4兆円の赤字が残る訳です。この赤字を解消する為には外国(国際通貨基金=IMF=アメリカの管理下にある)からお金を借りざるを得ない訳です。そしてIMF管理下国になれば、前記したレポートが実施されるという筋書きになります。仮にこのレポートが実施されれば、経済的に日本はアメリカ植民地にならざるを得なくなります。以下略

ウイキペディアより:
マッチポンプとは、偽善的な自作自演の手法・行為を意味する和製外来語である。マッチ(match)は元は英語、ポンプ(pomp)は元はオランダ語である(英語ではpump)。
「マッチで自ら火事を起こして煽り、それを自らポンプで消す」などと喩えられるように、問題や騒動について、自身でわざわざ作り出しておきながら、あるいは自身の行為がその根源であるにもかかわらず、そ知らぬ顔で巧妙に立ち回り、その解決・収拾の立役者役も自ら担って賞賛や利益を得ようとする、その様な行為を指して用いられる表現である。
日本の国会会議録にマッチポンプを用いた発言が残っている。1961(昭和36)年4月11日の衆議院本会議において、松井誠衆議院議員は「銃砲刀剣類等所持取締法の一部を改正する法律案」への質問の中で以下のように発言している。
世に、いわゆるマッチ・ポンプ方式といわれるものがあります。右手のマッチで、公共料金を上げて、もって物価値上げに火をつけながら、左手のポンプでは、物価値上げを抑制するがごとき矛盾したゼスチュアを示すのをいうのでございましょう。
— 松井誠、「第38回国会 衆議院本会議 1961(昭和36)年4月11日」[1]
1966年黒い霧事件第1弾の田中彰代議士事件で初めて使われ、元々は金品を巻き上げるという意味で使われた。1974年刊の「現代流行語辞典[2]」では「デスク日記3[3]」1966年8月5日の項にマッチポンプの記述があると紹介している。
日本人はインドのことよりも、日本のなかで貧しい人々への配慮を優先して考えるべきです。愛はまず手近なところから始まります - マザー・テレサ
児童虐待、7万件超 23年連続で過去最多更新 厚労省

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