性善説と性悪説について…。
30代男です。
自分は完全に「性悪説」採用者です。
「性善説」の方は、その思想を貫くために多くの人達に大迷惑をかけることもしばしばですし…。
みなさまは、どうお考えになりますか?
人間のどうしようもない本質として「他者のモノを奪って、自分の欲求を埋める」という部分が否定出来ないと思います。
それは、命を運営していくという面でも、我儘な欲求を満たすという面でもです。
自分の両親はそろって「性善説」論者です。
しかし私は5歳にもなった頃から、スカートめくり・気に入らないと友達を殴る・モノを盗む…という性質があり、やはり「道徳の教育」が必要な 人間だったのですが…
両親はそんな私を「教育」する事も出来ず…単に理解に苦しみ、あり得ない事だと嘆き悲しみ、私を日々殴っていました…。
私は思春期あたりまで、親に殴られていた意味が分かりませんでした。
親の怒りは…「性善説」を崩された怒りと戸惑いと、心の中の「性善説」を保つためだったと、後に語っています…。
しかし私は、小学校に入る前から自然と…「他人のモノを盗めば楽が出来る」や「好きな女の子がパンツを見せてくれなかったら、殴れば見せてくれるだろう」という風に考えていました…。
なので、学校に入って運動部に所属して、心身共に鍛えれてようやく…
まともな人間になれたと思っています。
「したいと思っても、してはいけない事」を、しっかり学んで。
社会に出ても、個人や企業が利益を上げるという事は、少なからずどこかの誰かを陥れなければいけません…。
「性悪説」に基づく…「あわよくば会社やクライアントは、下のものを安く多く働かせようとしている」という本質を認めなければ、仕事の交渉も駆け引きもまるで出来ません…。
しかし…性善説の人は…「会社やクライアントは私たちの生活の事まで当然考えてくださる」なんてお花畑発想で信じこみ、当の本人はともかくとして…従業員や仕事仲間を露頭に迷わす事すらあります。
最近でも「性善説」の知人がものの半年で、仕事のクライアントに数百万の貯金を根こそぎ盗られた上…(情に訴えられ)その上「性善説」を振り回して金策に走り、会社も奪われてネカフェ暮らしをしています…。
その影には、半年ただ働きの従業員が借金をせざるを得なくなったり、風俗に堕ちたりしてます…。
こうして「性善説」の方は「優しさという毒」を振りまき、他人に淡夢を見させて
補足
見させて叩き落とす…
という事を、無意識でしたりもします。
みなさまは、どうお考えになりますか?http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q14140082589
悪いことをして、本当に良い気持ちがするでしょうか?
嫌な気持ちがしないでしょうか。 逆に良いことをして、気持ちが良かったはないでしょうか?
再生核研究所声明41(2010/06/10):世界史、大義、評価、神、最後の審判
声明36(恋の原理と心得)で、元祖生命体(本来の生命、生物界全体)は 永遠の生命を有し、人間的な意識と自由意志を有し、存在すること、知ること、美を求めることなどを目標に生命活動を続けている。 人類の発展の先は いまだ不明である。 確かに言えることは、生存を続けること、知ることを求めること、感動することを希求しているということである。
と述べて、人類は 人間存在の原理(人間である限り否定できない、不変的な原理を述べているもので、人間である限り、存在していること、そして、存在していることを知っていること、そして、求めているという三位一体の、デカルトのコギトエルゴスム(我れ思う、故にわれ在り)を基礎に置いた考え方: 夜明け前 よっちゃんの想い:211ページ)によって、世界の歴史を発展、拡大、深化させていくであろう。
ここで、世界史とは 人類が得たあらゆる知識、情報を意味するが、世界史は過去の一切のことについても真相の究明を続けていくであろう。これは真実を知りたいという人間存在の原理に他ならないからである。
個々の人間の目標は、 人生における基本定理 (声明12) に述べられているように 生きること、感動できるように生きることであるが、人間は同じ元祖生命体の分身であり、個々の人間は1個の細胞のような存在であり、個々の人間の存在は 元祖生命体の雄大な存在からみれば 大河の一滴 (五木 寛之) と考えられるが、しかしながら、それは同時に全体に関係し、全体を内包しているから、限りなく貴い存在である (声明36)。
そこで、人間にとって真に価値あることとは、人類の目標のために貢献することではないだろうか。 人類の営みは世界史によって、表現されるから、世界史のため、人類のため、元祖生命体のために貢献することこそが、真の意味における大義と言えよう。 人類が、世界史が進化していけば、過去の元祖生命体の営みの総体を次第に明らかにして、物事の真相と評価、位置づけ、位置関係を明瞭にしていくであろう。- すでに、グーグルの世界に それらの初歩を見ることができる。
神とは全知、全能の存在とされるが、世界の全体を捉えられるのは現在、人類以外に存在せず、未来において、進化した元祖生命体こそが、神に相当する存在ではないであろうか。
進化した未来人は 現代人の能力のレべルを あたかも幼稚園生くらいとみ、現在のコンピュータのレベルを 手動計算機程度くらいとみるだろう。
そのとき、世界の歴史は、個々の人間の存在の関係 (評価) をきちんと明らかにするであろう。
この声明の趣旨は、先ずは 世界の政治家の皆さんに、世界史に耐えられるような上記大義に基づいて、行動して頂きたいと要請しているのです。 小さな自分たちの立場ではなくて、より大きな世界のために高い志の基に、行動して頂きたいということです。 同時に、不正や不義は 歴史的に明らかにされ、真実は必ず、明らかにされるということに注意を喚起することにある。 研究者や芸術家たちは 近視眼的なことに拘らず、己が道を進めばいいのであって、適切な評価は必ず下されると考えるべきです。 マスコミ関係者や解説者の皆さん、思想家たちの皆さん、世界史の評価に耐えられるような高い視点と志で、重要な職務を果たして頂きたいと考えます。 人間にとって価値あることとは、小さな自己の世界に閉じこもらず、上記大義の基に努力することではないであろうか。
将来、世界史が明らかにする、世界史の全体における個々の関係こそが、最後の審判ではないだろうか。 それは同時に 未来ではなく、現在、いまの 個々の人間の 深奥に普遍的に存在する神性と良心 に通じていると考える。 それらを捉え、それらに調和し 忠実に生きることこそ、良く生きることに他ならない。 悪いことは苦しいことである。必ず、良心の呵責として、その深奥から湧いてくるからである。他方、大義に生きることは 上記永遠の生命の中に生きることを意味するから、楽しいことである。 滅ぶことも消えることもない。
以上
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