2018年5月10日木曜日

聖書は「不要な」本 米誌「GQ」が選定 2018年5月11日

聖書は「不要な」本 米誌「GQ」が選定 2018年5月11日

米誌「GQ」が、聖書は過大評価されており、必ずしも「読む必要のない21冊」に選出した、と全国紙「USAトゥデー」が4月23日伝えている。同誌編集部は、「キリスト教の聖書は馬鹿げていて、くどく、矛盾しているから『読む必要のない21冊』に入れた」という。「聖書が非常に高く評価されるのは、聖書に基づいて生きているとは言うものの、実際には読んだことのない人が皆支持しているからだ」と、作家・詩人ジェス・ボールは述べている。
「名著」にはレイシスト的、性差別的なものもある。だが大半は単に、非常に、非常に退屈だ」と指摘する。聖書のほかに「読む必要のない」作品にはJ・R・R・トールキンの『指輪物語』、アーネスト・ヘミングウェイの『老人と海』と『武器よさらば』、J・D・サリンジャーの『ライ麦畑でつかまえて』、マーク・トウェインの『ハックルベリー・フィンの冒険』などが選ばれた。
聖書の代わりに、同誌は第2次世界大戦中の2人の兄弟の人生を語ったアゴタ・クリストフの『悪童日記』を読むよう勧めている。「聖書が神の霊感によっていると信じなくても、この50年間で39億人が読んでいる」としてフォックス・ニュースの宗教担当ジョナサン・モリス神父(ニューヨーク大司教区)は4月22日、テレビ番組「フォックス・アンド・フレンズ」で聖書をリストに入れたこと自体が「馬鹿げており、恥ずかしい」と語った。(CJC)
 
再生核研究所声明 427(2018.5.8): 神の数式、神の意志 そしてゼロ除算

NHKスペシャル 神の数式番組を繰り返し拝見して感銘を受けている。素晴らしい映像ばかりではなく、内容の的確さ、正確さに、ただただ驚嘆している。素晴らしい。
ある物理学の本質的な流れを理解し易く表現していて、物理学の着実な発展が良く分かる。
原爆を作ったり、素粒子を追求していたり、宇宙の生成を研究したり、物理学者はまるで、現代の神官のように感じられる。素粒子の世界と宇宙を記述するアインシュタインの方程式を融合させるなど、正に神の数式と呼ぶにふさわしいものと考えられる。流れを拝見すると物理学は適切な方向で着実に進化していると感じられる。神の数式に近づいているのに 野蛮なことを繰り返している国際政治社会には残念な気持ちが湧いて来る。ロシアの天才物理学者の終末などあまりにも酷いのではないだろうか。世界史の進化を願わざるを得ない。
アインシュタインの相対性理論は世界観の変更をもたらしたが、それに比べられるオイラーの公式は数学全般に大きな変革をもたらした: 

With this estimation, we stated that the Euler formula
$$
e^{\pi i} = -1
$$
is the best result in mathematics in details in: No.81, May 2012 (pdf 432kb)
余りにも神秘的な数式のために、アインシュタインの公式 E= mc^2 と並べて考えられる 神の意志 が感じられるだろう。 ところで、素粒子を記述する方程式とアインシュタインの方程式を融合したら、 至る所に1/0 が現れて 至る所無限大が現れて計算できないと繰り返して述べられている。しかしながら、数学は既に進化して、1/0=0 で無限大は 実はゼロだった。 驚嘆すべき世界が現れた。しかしながら、数学でも依然として、rがゼロに近づくと 無限大に発散する事実が有るので、弦の理論は否定できず、問題が存在する。さらに、形式的に発散している場合でも、ゼロ除算算法で、有限値を与え、特異点でも微分方程式を満たすという新しい概念が現れ、局面が拓かれたので、数学者ばかりではなく、物理学者の注意を喚起して置きたい。
物理学者は、素粒子の世界と巨大宇宙空間の方程式を融合させて神の方程式を目指して研究を進めている。数学者はユークリッド以来現れたゼロ除算1/0と空間の新しい構造の中から、神の意志を追求して 新しい世界の究明に乗り出して欲しいと願っている。いみじくもゼロ除算は、ゼロと無限大の関係を述べていて、素粒子と宇宙論の類似を思わせる。
人の生きるは、真智への愛にある、すなわち、事実を知りたい、本当のことを知りたい、高級に言えば 神の意志 を知りたいということである。 そこで、我々のゼロ除算についての考えは真実か否か、広く内外の関係者に意見を求めている。関係情報はどんどん公開している。 ゼロ除算の研究状況は、
数学基礎学力研究会 サイトで解説が続けられている:http://www.mirun.sctv.jp/~suugaku/
また、ohttp://okmr.yamatoblog.net/ に 関連情報がある。
以 上


再生核研究所声明 394(2017.11.4):  ゼロで割れるか ― ゼロで割ったらユークリッド以来の新世界が現れた

ゼロで割る問題は、ゼロ除算は Brahmagupta (598 -668 ?)以来で、彼は Brhmasphuasiddhnta(628)で 0/0=0 と定義していた。ゼロ除算は古くから物理、哲学の問題とも絡み、アリストテレスはゼロ除算の不可能性を述べていたという。現在に至っても、アインシュタイン自身の深い関心とともに相対性理論との関連で相当研究がなされていて、他方、ゼロ除算の計算機障害の実害から、論理や計算機上のアルゴリズムの観点からも相当な研究が続けられている。さらに、数学界の定説、ゼロ除算の不可能性(不定性)に挑戦しようとする相当な素人の関心を集めている。現在に至ってもいろいろな説が存在し、また間違った意見が出回り世間では混乱している。しかるに、 我々は、ゼロ除算は自明であり、ゼロ除算算法とその応用が大事であると述べている。
まずゼロで割れるか否かの問題を論じるとき、その定義をしっかりすることが大事である。 定義をきちんとしないために空回りの議論をしている文献が大部分である。何十年も超えて空回りをしている者が多い。割れるとはどのような意味かと問題にしなければならない。 数学界の常識、割り算は掛け算の逆であり、az =b の解をb割るaと定義し、分数b/a を定義すると考えれば、直ちにa=0の場合には、一般に考えられないと結論される。それで、ゼロ除算は神でもできないとか神秘的な議論が世に氾濫している。しかしながら、この基本的な方程式の解が何時でも一意に存在するように定義するいろいろな考え方が存在する。有名で相当な歴史を有する考え方が、Moore-Penrose一般逆である。その解はa=0 のとき、ただ一つの解z=0 を定める。よって、この意味で方程式の解を定義すれば、ゼロ除算 b/0, b割るゼロはゼロであると言える。そこで、このような発想、定義は自然であるから、発見の動機、経緯は違うが、ゼロ除算は可能で、b/0=0 であると言明した。Moore-Penrose一般逆の自然性を認識して、ゼロ除算は自明であり、b/0=0 であるとした。
それゆえに、神秘的な歴史を持つ、ゼロ除算は 実は当たり前であったが、現在でもそうは認識されず混乱が続いている。その理由は、関数 W = 1/z の原点での値をゼロとする考えに発展、適用するとユークリッド以来、アリストテレス以来の世界観の変更に繋がるからである。1/0は無限大、無限と発想しているからである。実際、原点の近くは限りなく原点から遠ざかり、限りなく遠くの点、無限の彼方に写っている歴然とした現象か存在する。しかるに 原点が原点に写るというのであるから、これらの世界観は ユークリッド空間、アリストテレスの世界観に反することになる。それゆえに Moore-Penrose一般逆は一元一次方程式の場合、意味がないものとして思考が封じられてきたと考えられる。
そこで、この新しい数学、世界観が、我々の数学や世界に合っているか否かを広範囲に調べてみることにした。その結果、ユークリッドやアリストテレスの世界観は違っていて、広範な修正が必要であることが分った。

そこで、次のように表現して、広く内外に意見を求めている:

 Dear the leading mathematicians and colleagues:
 Apparently, the common sense on the division by zero with a long and mysterious history is wrong and our basic idea on the space around the point at infinity is also wrong since Euclid. On the gradient or on derivatives we have a great missing since $\tan (\pi/2) = 0$. Our mathematics is also wrong in elementary mathematics on the division by zero.
I wrote a simple draft on our division by zero. The contents are elementary and have wide connections to various fields beyond mathematics. I expect you write some philosophy, papers and essays on the division by zero from the attached source.
____________
The division by zero is uniquely and reasonably determined as 1/0=0/0=z/0=0 in the natural extensions of fractions. We have to change our basic ideas for our space and world
Division by Zero z/0 = 0 in Euclidean Spaces
Hiroshi Michiwaki, Hiroshi Okumura and Saburou Saitoh
International Journal of Mathematics and Computation Vol. 28(2017); Issue  1, 2017), 1
-16.  
Relations of 0 and infinity
Hiroshi Okumura, Saburou Saitoh and Tsutomu Matsuura:
http://www.e-jikei.org/…/Camera%20ready%20manuscript_JTSS_A…
国内の方には次の文も加えている:
我々の初等数学には 間違いと欠陥がある。 学部程度の数学は 相当に変更されるべきである。しかしながら、ゼロ除算の真実を知れば、人間は 人間の愚かさ、人間が如何に予断と偏見、思い込みに囚われた存在であるかを知ることが出来るだろう。この意味で、ゼロ除算は 人間開放に寄与するだろう。世界、社会が混乱を続けているのは、人間の無智の故であると言える。
 三角関数や2次曲線論でも理解は不完全で、無限の彼方の概念は、ユークリッド以来 捉えられていないと言える。(2017.8.23.06:30 昨夜 風呂でそのような想いが、新鮮な感覚で湧いて来た。)
ゼロ除算の優秀性、位置づけ : 要するに孤立特異点以外は すべて従来数学である。 ゼロ除算は、孤立特異点 そのもので、新しいことが言えるとなっている。従来、考えなかったこと、できなかったこと ができるようになったのであるから、ゼロ除算の優秀性は歴然である。 優秀性の大きさは、新しい発見の影響の大きさによる(2017.8.24.05:40) 
思えば、我々は未だ微分係数、勾配、傾きの概念さえ、正しく理解されていないと言える。 目覚めた時そのような考えが独りでに湧いた。
典型的な反響は 次の物理学者の言葉に現れている:
Here is how I see the problem with prohibition on division by zero, which is the biggest scandal in modern mathematics as you rightly pointed out(2017.10.14.8:55).
現代数学には間違いがあり、欠陥がある、我々の空間の認識はユークリッド、アリストテレス以来 間違っていると述べている。
ゼロ除算の混乱は、世界史上に於ける数学界の恥である。そこで、数学関係者のゼロ除算の解明による数学の修正を、ゼロ除算の動かぬ、数学の真実にしたがって求めたい。詳しい解説を 3年を超えて素人向きに行っている:

数学基礎学力研究会公式サイト 楽しい数学

www.mirun.sctv.jp/~suugaku/
以 上


再生核研究所声明231(2015.5.22)本を書く人の気持ち、読む人の気持ち ― 本とは何か

最近、立て続けに良い本を紹介されて 読書して、何のために読書するのだろうかと考え、そもそも本とは何だろうかと想った。そこで、本について思いのままに述べたい。

まず、本とは何のために存在するのだろうか。本とは何だろうか。まず、定義をウィキペディアで確かめて置こう:
(ほん、: book)は書物の一種であり、書籍雑誌などの印刷製本された出版物である。
狭義では、複数枚の紙が一方の端を綴じられた状態になっているもの。この状態で紙の片面をページという。本を読む場合はページをめくる事によって次々と情報を得る事が出来る。つまり、狭義の本には巻物は含まれない。端から順を追ってしかみられない巻物を伸ばして蛇腹に折り、任意のページを開ける体裁としたものを折り本といい、折本の背面(文字の書かれていない側)で綴じたものが狭義の「本」といえる。本文が縦書きなら右綴じ、本文が横書きなら左綴じにする。また、1964年ユネスコ総会で採択された国際的基準は、「本とは、表紙はページ数に入れず、本文が少なくとも49ページ以上から成る、印刷された非定期刊行物」と、定義している。5ページ以上49ページ未満は小冊子として分類している[1]
本には伝えるべき情報が入っていて、人に伝える働きがあることは認められるだろう。そこで、本を書く立場と本を読んで情報を得る立場が 存在する。この声明の主旨は本の体裁や形式ではなく 本質的なことに関心がある。
何故本を書くか? 記録を残して伝えたい、これは生命の根源である共感、共鳴を求める人間存在の原理に根ざしていると考えられるが、伝えたい内容は、心情的な面と相当に客観性のある情報、記録、事実の表現にゆるく分けられるのではないだろうか。事実の記録、記述として ユークリッド原論のように数学的な事実、理論を 感情を入れずに客観的に述べているのは典型的な例ではないだろうか。様々な記録が本になっている場合は多い。マニュアルや辞書なども、そう言えるのではないだろうか。他方、多くの小説や物語、手記、論説、学術書、回想記などは 相当な主観や感情が表現されていて、いわば自己表現の性格の強いものが 世に多い。ここでは、主として、後者に属する本を想定している。
このような状況で、書く人の立場と、それを読む立場について、考察したい。
書く人は書きたい存念が湧いて書く訳であるが、共感、共鳴を求めて、いわば生命の表現として 絵描きが絵を描くように、作曲家が作曲するように 書くと考えられる。意見表明などは明確な内容を有し、主張を理解できる場合は多いが、詩や短歌などは より情感が強く現れる。この部分で最も言いたいことは、我々の感性も 心もどんどん時間と共に環境とともに 変化していくという事実である。従って著者がシリーズや 複数の本を出版しても、著者の書いた状況によって、相当に変化して行くということである。 若い時代に 恋愛小説を書いたり、人生についての想いを書いたものが、後になっては、とても読めない心情になる事は 相当に普遍的な状況のようにみえる。作者の心情、感性、心がどんどん変化していることをしっかりと捉えたい。
しかしながら、本は多く宣言されているように 永年保存を基本とするような、何時までも残る性格が有り、それゆえに書く者にとっては、後悔しないような、慎重さが要求されるのは 当然である。
次に如何に本を読むべきかの視点である。これは共感、共鳴したい、あるいは価値ある知識を入れたい、情報を得たい等、しっかりとした動機があるのは確かである。教科書や専門書、旅行案内書、辞書など、明確な動機を持つものは世に多く、そのような本の選択は多くの場合、易しいと言える。
ここで、特に触れたいのは、文芸書や小説、随筆など、著者の心情が現れている本などの選択の問題である。 現在、 本の種類はそれこそ、星の数ほどあり、本の選択は重大な問題になる。本には情報といろいろな世界が反映されているから、個人にとって価値あるものとは何かと真剣に、己に、心に尋ねる必要がある。いわゆる、物知りになっても いろいろな世界に触れても それが 私にとって 何になるのか と深く絶えず、問うべきである。知識や情報に振り回されないことは 大事ではないだろうか。
我々の時間には限りがあり、 我々の吸収できる情報も、触れられる世界にも大きな制限がある。
そこで、選択が重要な問題である。
本声明の結論は 簡単である。 本の選択をしっかりして、吸収するということである。
これは、自分に合ったものを探し、精選するということである。自分に合った著者のちょうど良い精神状態における本が良いのではないだろうか。社会にはいろいろな人間がいるから、自分に合った人を探し、そこを中心に考えれば 良いのではないだろうか。この文、自分に合った人を探し、そこを中心に考えれば 良いのではないだろうか は広く一般的な人間関係やいろいろな組織に加わる場合にでも大事な心得ではないだろうか。選択の重要性を言っている。上手い本に出会えれば、それだけ人生を豊かにできるだろう。
それらは、原則であるが、そうは言っても自分の好きなものばかりでは,  視野と世界を狭めることにもなるから、時には積極的に新規な世界に触れる重要性は 変化を持たせ、気持ちの転換をして、新規な感動をよびさますためにも大事ではないだろうか。 この点、次の声明が参考になるであろう:
再生核研究所声明85(2012.4.24):  食欲から人間を考える ― 飽きること。

以 上

ソクラテス・プラトン・アリストテレス その他


テーマ:
The null set is conceptually similar to the role of the number ``zero'' as it is used in quantum field theory. In quantum field theory, one can take the empty set, the vacuum, and generate all possible physical configurations of the Universe being modelled by acting on it with creation operators, and one can similarly change from one thing to another by applying mixtures of creation and anihillation operators to suitably filled or empty states. The anihillation operator applied to the vacuum, however, yields zero.

Zero in this case is the null set - it stands, quite literally, for no physical state in the Universe. The important point is that it is not possible to act on zero with a creation operator to create something; creation operators only act on the vacuum which is empty but not zero. Physicists are consequently fairly comfortable with the existence of operations that result in ``nothing'' and don't even require that those operations be contradictions, only operationally non-invertible.

It is also far from unknown in mathematics. When considering the set of all real numbers as quantities and the operations of ordinary arithmetic, the ``empty set'' is algebraically the number zero (absence of any quantity, positive or negative). However, when one performs a division operation algebraically, one has to be careful to exclude division by zero from the set of permitted operations! The result of division by zero isn't zero, it is ``not a number'' or ``undefined'' and is not in the Universe of real numbers.

Just as one can easily ``prove'' that 1 = 2 if one does algebra on this set of numbers as if one can divide by zero legitimately3.34, so in logic one gets into trouble if one assumes that the set of all things that are in no set including the empty set is a set within the algebra, if one tries to form the set of all sets that do not include themselves, if one asserts a Universal Set of Men exists containing a set of men wherein a male barber shaves all men that do not shave themselves3.35.

It is not - it is the null set, not the empty set, as there can be no male barbers in a non-empty set of men (containing at least one barber) that shave all men in that set that do not shave themselves at a deeper level than a mere empty list. It is not an empty set that could be filled by some algebraic operation performed on Real Male Barbers Presumed to Need Shaving in trial Universes of Unshaven Males as you can very easily see by considering any particular barber, perhaps one named ``Socrates'', in any particular Universe of Men to see if any of the sets of that Universe fit this predicate criterion with Socrates as the barber. Take the empty set (no men at all). Well then there are no barbers, including Socrates, so this cannot be the set we are trying to specify as it clearly must contain at least one barber and we've agreed to call its relevant barber Socrates. (and if it contains more than one, the rest of them are out of work at the moment).

Suppose a trial set contains Socrates alone. In the classical rendition we ask, does he shave himself? If we answer ``no'', then he is a member of this class of men who do not shave themselves and therefore must shave himself. Oops. Well, fine, he must shave himself. However, if he does shave himself, according to the rules he can only shave men who don't shave themselves and so he doesn't shave himself. Oops again. Paradox. When we try to apply the rule to a potential Socrates to generate the set, we get into trouble, as we cannot decide whether or not Socrates should shave himself.

Note that there is no problem at all in the existential set theory being proposed. In that set theory either Socrates must shave himself as All Men Must Be Shaven and he's the only man around. Or perhaps he has a beard, and all men do not in fact need shaving. Either way the set with just Socrates does not contain a barber that shaves all men because Socrates either shaves himself or he doesn't, so we shrug and continue searching for a set that satisfies our description pulled from an actual Universe of males including barbers. We immediately discover that adding more men doesn't matter. As long as those men, barbers or not, either shave themselves or Socrates shaves them they are consistent with our set description (although in many possible sets we find that hey, other barbers exist and shave other men who do not shave themselves), but in no case can Socrates (as our proposed single barber that shaves all men that do not shave themselves) be such a barber because he either shaves himself (violating the rule) or he doesn't (violating the rule). Instead of concluding that there is a paradox, we observe that the criterion simply doesn't describe any subset of any possible Universal Set of Men with no barbers, including the empty set with no men at all, or any subset that contains at least Socrates for any possible permutation of shaving patterns including ones that leave at least some men unshaven altogether.

https://webhome.phy.duke.edu/.../axioms/axioms/Null_Set.html

 I understand your note as if you are saying the limit is infinity but nothing is equal to infinity, but you concluded corretly infinity is undefined. Your example of getting the denominator smaller and smalser the result of the division is a very large number that approches infinity. This is the intuitive mathematical argument that plunged philosophy into mathematics. at that level abstraction mathematics, as well as phyisics become the realm of philosophi. The notion of infinity is more a philosopy question than it is mathamatical. The reason we cannot devide by zero is simply axiomatic as Plato pointed out. The underlying reason for the axiom is because sero is nothing and deviding something by nothing is undefined. That axiom agrees with the notion of limit infinity, i.e. undefined. There are more phiplosphy books and thoughts about infinity in philosophy books than than there are discussions on infinity in math books.

http://mathhelpforum.com/algebra/223130-dividing-zero.html


ゼロ除算の歴史:ゼロ除算はゼロで割ることを考えるであるが、アリストテレス以来問題とされ、ゼロの記録がインドで初めて628年になされているが、既にそのとき、正解1/0が期待されていたと言う。しかし、理論づけられず、その後1300年を超えて、不可能である、あるいは無限、無限大、無限遠点とされてきたものである。

An Early Reference to Division by Zero C. B. Boyer
http://www.fen.bilkent.edu.tr/~franz/M300/zero.pdf

ダ・ヴィンチの名言 格言|無こそ最も素晴らしい存在


ゼロ除算の発見はどうでしょうか:
Black holes are where God divided by zero:

再生核研究所声明371(2017.6.27)ゼロ除算の講演― 国際会議 
https://ameblo.jp/syoshinoris/entry-12287338180.html

1/0=0、0/0=0、z/0=0 
http://ameblo.jp/syoshinoris/entry-12276045402.html
1/0=0、0/0=0、z/0=0 

http://ameblo.jp/syoshinoris/entry-12263708422.html
1/0=0、0/0=0、z/0=0 

http://ameblo.jp/syoshinoris/entry-12272721615.html 


ソクラテス・プラトン・アリストテレス その他 
https://ameblo.jp/syoshinoris/entry-12328488611.html 


ドキュメンタリー 2017: 神の数式 第2回 宇宙はなぜ生まれたのか
https://www.youtube.com/watch?v=iQld9cnDli4
〔NHKスペシャル〕神の数式 完全版 第3回 宇宙はなぜ始まったのか
https://www.youtube.com/watch?v=DvyAB8yTSjs&t=3318s
〔NHKスペシャル〕神の数式 完全版 第1回 この世は何からできているのか
https://www.youtube.com/watch?v=KjvFdzhn7Dc
NHKスペシャル 神の数式 完全版 第4回 異次元宇宙は存在するか
https://www.youtube.com/watch?v=fWVv9puoTSs

再生核研究所声明 411(2018.02.02):  ゼロ除算発見4周年を迎えて
https://ameblo.jp/syoshinoris/entry-12348847166.html

再生核研究所声明 416(2018.2.20):  ゼロ除算をやってどういう意味が有りますか。何か意味が有りますか。何になるのですか - 回答
再生核研究所声明 417(2018.2.23):  ゼロ除算って何ですか - 中学生、高校生向き 回答
再生核研究所声明 418(2018.2.24):  割り算とは何ですか? ゼロ除算って何ですか - 小学生、中学生向き 回答
再生核研究所声明 420(2018.3.2): ゼロ除算は正しいですか,合っていますか、信用できますか - 回答

2018.3.18.午前中 最後の講演: 日本数学会 東大駒場、函数方程式論分科会 講演書画カメラ用 原稿
The Japanese Mathematical Society, Annual Meeting at the University of Tokyo. 2018.3.18.
https://ameblo.jp/syoshinoris/entry-12361744016.html より
再生核研究所声明 424(2018.3.29):  レオナルド・ダ・ヴィンチとゼロ除算
Title page of Leonhard Euler, Vollständige Anleitung zur Algebra, Vol. 1 (edition of 1771, first published in 1770), and p. 34 from Article 83, where Euler explains why a number divided by zero gives infinity.
私は数学を信じない。 アルバート・アインシュタイン / I don't believe in mathematics. Albert Einstein→ゼロ除算ができなかったからではないでしょうか。
1423793753.460.341866474681

Einstein's Only Mistake: Division by Zero


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