2018年5月22日火曜日

その音声は「ローレル」なのか「ヤニー」なのか──真相を理解するための理論と哲学

その音声は「ローレル」なのか「ヤニー」なのか──真相を理解するための理論と哲学

ある短い音声が、人によって「ヤニー」と「ローレル」のどちらかに聞こえる──。ネット上で一気に拡散したこの話題。真相を理解するためには、人間の知覚に関する理論、そして哲学について知っておく必要がある。
IMAGE BY ALYSSA FOOTE
ネット上で、ある短い音声クリップが話題になっている。ある単語を読み上げる音が流れるだけなのだが、それが「ローレル(laurel)」と聞こえる人もいれば「ヤニー(yanny)」だと思っている人もいる。これは究極的には、人間は誰もが孤独に死んでいく──という話につながってくる。
話の真相はどうだったのか。『WIRED』US版の調べによると、これを録音した人は「ローレル」と言っていたことが明らかになっている。
だが実際のところ「何が録音されていたか」は、ここではあまり重要ではない。人々が実際に「何を聞いたのか」という本質的な問題とは、肝心なところでずれてしまうからだ。
What do you hear?! Yanny or Laurel

その音声が「ローレル」と「ヤニー」のどちらに聞こえるのかを問うツイート。

現実と“幻覚”の世界の狭間

別の例を挙げよう。3年ほど前に、あるドレスの写真がネットで有名になった。それが青く見えた人もいれば、白く見えた人もいたからだ。色覚について研究する科学者たちが慌てて謎を解明しようとしたが、なぜこんなことが起きるのか、はっきりとした理由はいまだにわかっていない。
科学の世界では、脳がものの色を判断するときに明かりの効果をどのように勘案しているのか、人は黄色味を帯びた色と青味を帯びた色をどのように識別するかといったことについて、研究が進められている。しかしここでのポイントは、ドレスが実際に何色だったかはまったく問題になっていないという点だ(参考までに、それは青いドレスだった)。
人間の周りには、ひとつの世界が存在する。無数の素粒子が互いにぶつかり合う世界だ。
そして、わたしたちが知覚する、もうひとつの世界がある。頭蓋骨に囲まれた、片方で重さ約1.5ポンド(約680グラム)の肉の固まりが発する電気信号によって生み出される幻覚の世界である。
この2つの世界を接続すること、言い換えれば、頭のなかの幻覚を他人に正確に伝えることが、人間であることの根幹をなす。誰の脳も知覚のインプットによる小さな世界をつくり上げており、その世界はどれもほんの少しずつ違っている。

「におい」というメタファー

ドレスとローレルから離れて、食べ物について考えてみよう。
あなたが何か(例えばリンゴ)をかじると、噛むという行為によって、リンゴに含まれる香りの化学物質が口内に広がる。その一定量は唾液に溶け込み、舌の受容体が数種類の分子を感知する。
酸からの陽イオンが「酸っぱい」と感じる受容体を刺激し、糖類があれば「甘い」と感じる。ほかにも「苦い」や「塩辛い」や、タンパク質の「うま味」など、すべてが特定の神経の伝達を引き起こす。
さらに複雑なのが、嗅覚への刺激だ。においは篩骨(しこつ)と呼ばれる鼻の裏にある骨の穴を通ってぶらさがる数々の末梢神経に伝達されるが、これはどの分子が何に対応するといった1対1の関係ではない。
ヒトが理論上、感知できるとされる1兆種類ほどのにおいについて、それぞれに受容体が存在するわけではない。脳の特定の場所を刺激する分子の組み合わせや、分子がどれだけあるかによって、脳の嗅覚皮質が何らかのかたちでそれを特定のにおいに変換するのだ。そして、例えば松と月桂樹の匂いの違いが生まれる。
しかし、その仕組みがどうなっているのか、本当のところはわかっていない。分子が何らかの方法で脳の特定の部分に触れるまでのプロセスのどこかで、活動電位のネットワークが「におい」というメタファーを生み出すのだ。

「ローレル」と「ヤニー」に聞こえる理由

これと同様に言語学者は、言葉がどんな音で構成されるのかを説明できる。また耳鼻科医に聞けば、鼓膜に作用する空気圧の波がその奥にある小骨を振動させ、それが一次聴覚野やブローカ野へと続く神経活動の流れを引き起こすといったことを、詳しく解説してくれるだろう。
しかし、人に何かを伝えるのに、これほどルーブ・ゴールドバーグ・マシン[編註:単純な作業をあえて多くの手順を通して複雑に行う装置]的なやり方があるだろうか。
まず思考を口から音声として発し、その音声が空気中の分子を振動させて、その震えが頭のなかのどこだかの膜に伝わって骨がカタカタ音を立て、そこから電気信号の波が起こってまた思考につながる? いったい何の話をしているのかさっぱりわからない。
それでも、いまはこれが理解の限界である。
ローレルの例に関しては、認知処理をうまく抽象化して考えることができる。空気の振動は物理的には誰にとっても同じだが、それが個人の内耳や脳に到達すると少しばかり違うことが起きる。そして「ローレル」と「ヤニー」になるのだ。

「青」の見え方は人によって異なる

ドレスを巡る騒ぎが示すように、色彩は知覚と言語と思考のつながりを研究するうえで非常に優れたツールだ。色は光子や光の波長、反射といった観点からは客観的にとらえられるが、同時に文化的な要素も含んでいる。
ドレスの話から1年後の記事でも書いたが、アリストテレスからアイザック・ニュートン、最近ではC.L.ハーディンまで、多くの著名な哲学者がこの問題に挑戦してきた。参考までに、スコットランドの哲学者デイヴィッド・ヒュームの論を紹介しておこう。
ヒュームは1738年に出版された『人間本性論』のなかで、人間は自らが経験したことしか理解できない、という持論を展開した。だが、色は例外としている。人間は黒に近いような青や非常に明るい青まで、見たこともないような色調の青色を想像できるだろうと、ヒュームは考えたのだ。
科学的には正常な視覚をもつとされる人でも、特定のものがまったく同じように見えるわけではない。ドレスの話でさらに難しいのは、わたしの青があなたの青と同じだという保証はない、という点だ。
専門誌『Journal of Vision』に掲載されたある研究によると、被験者は黄色を選ぶように言われると、ほぼ同じ波長の色を選ぶ。だが、青と緑に関しては、波長にして80ナノメートル相当の差異が生まれた(専門家の間では、この青と緑にまたがる色領域は、blueとgreenを合わせて「grue」と呼ばれている)。

わたしたちは頭のなかでは「独り」である

こうしたことは、光受容体の機能の仕方と関係あるのかもしれない。しかし、そうではない可能性もある。繰り返しになるが、本当のところは誰にもわからないのだ。
だからといって、差異を理解してもらおうという努力が無意味なわけではない。隣の人に自分の頭のなかで何が起きているのか、自分の「幻覚」はどんなものなのか伝えようとする。「つながりを見つける」というのは、そういうことなのではないだろうか。互いにとって意味のあるものをつくりあげるのだ。
もしかしたら、そんなことは不可能なのかもしれない。わたしたちは結局のところ、頭のなかでは独りぼっちなのだ。それなら、独りぼっちである状態を一緒に研究すればいいのではないだろうかhttps://wired.jp/2018/05/21/yanny-vs-laurel/

ゼロ除算の発見は日本です:

∞???
∞は定まった数ではない・
人工知能はゼロ除算ができるでしょうか:

とても興味深く読みました:
ゼロ除算の発見と重要性を指摘した:日本、再生核研究所

ゼロ除算関係論文・本


再生核研究所声明312(2016.07.14) ゼロ除算による 平成の数学改革を提案する
アリストテレス以来、あるいは西暦628年インドにおけるゼロの記録と、算術の確立以来、またアインシュタインの人生最大の懸案の問題とされてきた、ゼロで割る問題 ゼロ除算は、本質的に新しい局面を迎え、数学における基礎的な部分の欠落が明瞭になってきた。ここ70年を越えても教科書や学術書における数学の基礎的な部分の変更 かつて無かった事である。
そこで、最近の成果を基に現状における学術書、教科書の変更すべき大勢を外観して置きたい。特に、大学学部までの初等数学において、日本人の寄与は皆無であると言えるから、日本人が数学の基礎に貢献できる稀なる好機にもなるので、数学者、教育者など関係者の注意を換気したい。― この文脈では稀なる日本人数学者 関孝和の業績が世界の数学に活かせなかったことは 誠に残念に思われる。
先ず、数学の基礎である四則演算において ゼロでは割れない との世の定説を改め、自然に拡張された分数、割り算で、いつでも四則演算は例外なく、可能であるとする。山田体の導入。その際、小学生から割り算や分数の定義を除算の意味で 繰り返し減法(道脇方式)で定義し、ゼロ除算は自明であるとし 計算機が割り算を行うような算法で 計算方法も指導する。― この方法は割り算の簡明な算法として児童に歓迎されるだろう。
反比例の法則や関数y=1/xの出現の際には、その原点での値はゼロであると 定義する。その広範な応用は 学習過程の進展に従って どんどん触れて行くこととする。
いわゆるユークリッド幾何学の学習においては、立体射影の概念に早期に触れ、ゼロ除算が拓いた新しい空間像を指導する。無限、無限の彼方の概念、平行線の概念、勾配の概念を変える必要がある。どのように、如何に、カリキュラムに取り組むかは、もちろん、慎重な検討が必要で、数学界、教育界などの関係者による国家的取り組み、協議が必要である。重要項目は、直角座標系で y軸の勾配はゼロであること。真無限における破壊現象接線などの新しい性質解析幾何学との美しい関係と調和すべての直線が原点を代数的に通り、平行な2直線は原点で代数的に交わっていること行列式と破壊現象の美しい関係など。
大学レベルになれば、微積分、線形代数、微分方程式、複素解析をゼロ除算の成果で修正、補充して行く。複素解析学におけるローラン展開の学習以前でも形式的なローラン展開(負べき項を含む展開)の中心の値をゼロ除算で定義し、広範な応用を展開する。特に微分係数が正や負の無限大の時微分係数をゼロと修正することによって、微分法の多くの公式や定理の表現が簡素化され、教科書の結構な記述の変更が要求される。媒介変数を含む多くの関数族は、ゼロ除算 算法統一的な視点が与えられる。多くの公式の記述が簡単になり、修正される。
複素解析学においては 無限遠点はゼロで表現されると、コペルニクス的変更(無限とされていたのが実はゼロだった)を行い、極の概念を次のように変更する。極、特異点の定義は そのままであるが、それらの点の近傍で、限りなく無限の値に近づく値を位数まで込めて取るが、特異点では、ゼロ除算に言う、有限確定値をとるとする。その有限確定値のいろいろ幾何学な意味を学ぶ。古典的な鏡像の定説;原点の 原点を中心とする円の鏡像は無限遠点であるは、誤りであり、修正し、ゼロであると いろいろな根拠によって説明する。これら、無限遠点の考えの修正は、ユークリッド以来、我々の空間に対する認識の世界史上に置ける大きな変更であり、数学を越えた世界観の変更を意味している。― この文脈では天動説が地動説に変わった歴史上の事件が想起される。
ゼロ除算は 物理学を始め、広く自然科学や計算機科学への大きな影響が期待される。しかしながら、ゼロ除算の研究成果を教科書、学術書に遅滞なく取り入れていくことは、真智への愛、真理の追究の表現であり、四則演算が自由にできないとなれば、人類の名誉にも関わることである。ゼロ除算の発見は 日本の世界に置ける顕著な貢献として世界史に記録されるだろう。研究と活用の推進を 大きな夢を懐きながら 要請したい。
以 上
追記:
(2016) Matrices and Division by Zero z/0 = 0. Advances in Linear Algebra & Matrix Theory6, 51-58.


再生核研究所声明 382 (2017.9.11)  ニュートンを越える天才たちに-育成する立場の人に

次のような文書を残した: いま思いついたこと:ニュートンは偉く、ガウス、オイラーなども 遥かに及ばないと 何かに書いてあると言うのです。それで、考え、思いついた。 ガウス、オイラーの業績は とても想像も出来なく、如何に基本的で、深く、いろいろな結果がどうして得られたのか、思いもよらない。まさに天才である。数学界にはそのような天才が、結構多いと言える。しかるに、ニュートンの業績は 万有引力の法則、運動の法則、微積分学さえ、理解は常人でも出来き、多くの数学上の結果もそうである。しかるにその偉大さは 比べることも出来ない程であると表現されると言う。それは、どうしてであろうか。確かに世界への甚大な影響として 納得できる面がある。- 初めて スタンフォード大学を訪れた時、確かにニュートンの肖像画が 別格高く掲げられていたことが、鮮明に想い出されてくる。- 今でもそうであろうか?(2017.9.8.10:42)。

万物の運動を支配する法則、力、エネルギーの原理、長さ、面積、体積を捉え、傾き、勾配等の概念を捉えたのであるから、森羅万象のある基礎部分をとらえたものとして、世界史における影響が甚大であると考えれば その業績の大きさに驚かされる。

世界史における甚大な影響として、科学上ではないが、それらを越える、宗教家の大きな存在に まず、注意を喚起して置きたい。数学者、天文学者では ゼロを数として明確に導入し、負の数も考え、算術の法則(四則演算)を確立し、ゼロ除算0/0=0を宣言したBrahmagupta (598 -668 ?) の 偉大な影響 にも特に注意したい。

そのように偉大なるニュートンを発想すれば、それを越える偉大なる歴史上の存在の可能性を考えたくなるのは人情であろう。そこで、天才たちやそれを育成したいと考える人たちに 如何に考えるべきかを述べて置きたい。

万人にとって近い存在で、甚大な貢献をするであろう、科学的な分野への志向である。鍵は 生命情報ではないだろうか。偉大なる発見、貢献であるから具体的に言及できるはずがない。しかしながら、科学が未だ十分に達しておらず、しかも万人に甚大な影響を与える科学の未知の分野として、生命と情報分野における飛躍的な発見は ニュートンを越える発見に繋がるのではないだろうか。
生物とは何者か、どのように作られ、どのように活動しているか、本能と環境への対応の原理を支配する科学的な体系、説明である。生命の誕生と終末の後、人間精神の在り様と物理的な世界の関係、殆ど未知の雄大な分野である。
情報とは何か、情報と人間の関係、影響、発展する人工知能の方向性とそれらを統一する原理と理論。情報と物の関係。情報が物を動かしている実例が存在する。
それらの分野における画期的な成果は ニュートンを越える世界史上の発見として出現するのではないだろうか。
これらの難解な課題においてニュ-トンの場合の様に常人でも理解できるような簡明な法則が発見されるのではないだろうか。 
人類未だ猿や動物にも劣る存在であるとして、世界史を恥ずかしい歴史として、未来人は考え、評価するだろう。世の天才たちの志向について、またそのような偉大なる人材を育成する立場の方々の注意を喚起させたい。偉大なる楽しい夢である。
それにはまずは、世界史を視野に、人間とは何者かと問い、神の意思を捉えようとする真智への愛を大事に育てて行こうではないか。

以 上

再生核研究所声明 411(2018.02.02):  ゼロ除算発見4周年を迎えて
ゼロ除算100/0=0を発見して、4周年を迎える。 相当夢中でひたすらに その真相を求めてきたが、一応の全貌が見渡せ、その基礎と展開、相当先も展望できる状況になった。論文や日本数学会、全体講演者として招待された大きな国際会議などでも発表、著書原案154ページも纏め(http://okmr.yamatoblog.net/)基礎はしっかりと確立していると考える。数学の基礎はすっかり当たり前で、具体例は700件を超え、初等数学全般への影響は思いもよらない程に甚大であると考える: 空間、初等幾何学は ユークリッド以来の基本的な変更で、無限の彼方や無限が絡む数学は全般的な修正が求められる。何とユークリッドの平行線の公理は成り立たず、すべての直線は原点を通るというが我々の数学、世界であった。y軸の勾配はゼロであり、\tan(\pi/2) =0 である。 初等数学全般の修正が求められている。
数学は、人間を超えたしっかりとした論理で組み立てられており、数学が確立しているのに今でもおかしな議論が世に横行し、世の常識が間違っているにも拘わらず、論文発表や研究がおかしな方向で行われているのは 誠に奇妙な現象であると言える。ゼロ除算から見ると数学は相当おかしく、年々間違った数学やおかしな数学が教育されている現状を思うと、研究者として良心の呵責さえ覚える。
複素解析学では、無限遠点はゼロで表されること、円の中心の鏡像は無限遠点では なくて中心自身であること、ローラン展開は孤立特異点で意味のある、有限確定値を取ることなど、基本的な間違いが存在する。微分方程式などは欠陥だらけで、誠に恥ずかしい教科書であふれていると言える。 超古典的な高木貞治氏の解析概論にも確かな欠陥が出てきた。勾配や曲率、ローラン展開、コーシーの平均値定理さえ進化できる。
ゼロ除算の歴史は、数学界の避けられない世界史上の汚点に成るばかりか、人類の愚かさの典型的な事実として、世界史上に記録されるだろう。この自覚によって、人類は大きく進化できるのではないだろうか。
そこで、我々は、これらの認知、真相の究明によって、数学界の汚点を解消、世界の文化への貢献を期待したい。
ゼロ除算の真相を明らかにして、基礎数学全般の修正を行い、ここから、人類への教育を進め、世界に貢献することを願っている。
ゼロ除算の発展には 世界史がかかっており、数学界の、社会への対応をも 世界史は見ていると感じられる。 恥の上塗りは世に多いが、数学界がそのような汚点を繰り返さないように願っている。
人の生きるは、真智への愛にある、すなわち、事実を知りたい、本当のことを知りたい、高級に言えば神の意志を知りたいということである。そこで、我々のゼロ除算についての考えは真実か否か、広く内外の関係者に意見を求めている。関係情報はどんどん公開している。
4周年、思えば、世の理解の遅れも反映して、大丈夫か、大丈夫かと自らに問い、ゼロ除算の発展よりも基礎に、基礎にと向かい、基礎固めに集中してきたと言える。それで、著書原案ができたことは、楽しく充実した時代であったと喜びに満ちて回想される。
以 上

再生核研究所声明 428(2018.5.18):  心の存在するところ ― 人間とは何か?
散歩中 2018.5.11.09:05 突然、全構想が湧いたものである。 ひとりでに突然湧いたものは 創造性の観点からも興味深い。
もちろん、心の存在するところは 大体 頭の中に在って、心臓や胸に感じるのは精神の働きなどが血液などに影響を与え、その影響を感じることから、心臓や胸に心があるとの思いがするのだろう。
心は 脳の中に存在して、それは全身からの影響を強く受けているということである。
心は身体に浮かんだような存在であり、楽器から出て来る音楽のような微妙な存在である。もちろん、その在りようは神秘的で殆ど分からない状態である。
ところが心は目やその他の器官を通して身体外からの情報に対しても強い影響を受ける。美しい自然に感動したり、芸術作品、音楽などに感動したり、異性に会って強い影響を受けたり、教育や友情をとうして強い影響を受けるものである。これらは広く取り巻く環境に影響をうけていて我々の心はふらふら揺らいでいるような存在であると言える。心は、身体、環境、情報などによって影響される環境の生み出した存在だと言える。 もちろん、生命は3つ子の魂百までもの例えのように生命の生まれながらのものが芽になって環境に左右されてふらふら変動、成長、発展している存在である。
人間も心も、環境の所産であると言いたい直感が その時湧いた考えの元であった。
― そう多くの考え、思いは 個々の人間は単細胞のような存在で、大きな環境の流れの中で左右され流されている存在ではないだろうか。時代や世相に大きな影響を受けていて、自律的な存在は甚だ疑わしいものである。人は立場によって、環境によって左右され、同じような環境、立場になれば、人間は大方同じような存在では ないだろうか。
生まれながらの資質、それが環境に影響されながら発展、成長していくのが人間であり、心であると言える。
生命の原理は意外に簡単でいくつかの要素に纏められるのではないだろうか。 その原理は生物の生態の原理から相当導かれるのではないだろうか。それに環境を考え、環境の影響を分析して行けば、人間の生態、人格さえ相当に客観的に理解されるのではないだろうか。― 将来、人工知能の発展で、人間を相当理解できるようになるだろう。
NHK神の数式で、物理学者は神の数式に近づいていると述べているが、その原理と巨大な構想は 神の数式と表現しても感銘して素直に受け入れられるだろう。 しかしながら、実は生命の原理、生体の原理、人間の心さえとらえる法則にまで立ち入らなければ、未だ、幼稚なレヴェルにあると謙虚にならざるを得ない。野生生物の生態には巨大宇宙論や極小素粒子の世界を越えて神秘に満ちているとも言える。 人間社会未だ生命の原理さえ理解できず、野蛮性を有した未発達な存在で 野生生物にも劣った存在であるとの自覚がまずは大事ではないだろうか。
野生動物にも劣る 人間の進化 を志したい。
人間や心について触れたので、曖昧にならざるを得ないが、以上で気に成るのは、一つの情報、事実に対して、個性で捉え方が大きく異なる。環境の影響は2元論が示しているかのように極めて複雑で、まるで環境の影響を受けない生命の、心の複雑さに言及して置かなければならない。心が心を動かし、共感し、共鳴する微妙な私たちの存在、それはものとどのように関わっているのか、全然分からない。
創造活動で、ひとりでに新しいことが生み出される、新しい考え、概念が思い付く過程、事実など極めて面白い、それこそ生命の原理、心の原理には興味は尽きない。
生命とは心とは何かは分からない神秘的な存在であるが、それは、環境に影響を強く受けているという観点の強調がこの声明の趣旨である。時代的や世相の背景は宗教、文化背景とともに人間に強い影響を与える。
以 上
ゼロ除算の論文が2編、出版になりました:

ICDDEA: International Conference on Differential & Difference Equations and Applications
Differential and Difference Equations with Applications
ICDDEA, Amadora, Portugal, June 2017
• Editors

• (view affiliations)
• Sandra Pinelas
• Tomás Caraballo
• Peter Kloeden
• John R. Graef
Conference proceedingsICDDEA 2017

log0=log∞=0log⁡0=log⁡∞=0 and Applications
Hiroshi Michiwaki, Tsutomu Matuura, Saburou Saitoh
Pages 293-305

Division by Zero Calculus and Differential Equations
Sandra Pinelas, Saburou Saitoh
Pages 399-418

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