2018年5月25日金曜日

文協図書便り 小林秀雄、岡潔『人間の建設』 2018年5月24日

文協図書便り 小林秀雄、岡潔『人間の建設』

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 この対談は、1960年(昭和35年)10月の「新潮」に掲載され、その後、小林秀雄作品集に収められていたものが、2010年(平成22年)に文庫化されて出版されたものである。「人間の建設」という大げさな題名がついているが、特に決まった主題はなく、主題は著しく転回していくので、対談というよりは雑談といったほうがよい。知的水準が高く、幅広く奥の深い雑談である。
 小林秀雄(1902~83)は近代日本の文芸批評を確立した人物。岡潔(1901~78)は、世界中の数学者が挫折した多変数解析関数論の「3つの大問題」を1人ですべて解決した大数学者である。ノーベル物理学賞を受賞した湯川秀樹や朝永振一郎も岡の講義を受けて影響を受けている。
 恥ずかしながら、筆者は岡潔の名前を中沢新一の著作を通じて最近知ったばかりで、数ある著作の中から、若いころから親しんでいた小林秀雄との対談を選択して初めて読んだ次第である。
 この対談が行われたのは50年以上も前のことだが、まったく古びず衰えない洞察や、深く鋭い指摘が散見し、浮ついた流行に左右さないものである。岡潔の発言に特に興味深いものが多かったので、そのうちいくつか挙げてご紹介したいと思う。
 例えば、ピカソについてこう述べている。
 「~ああいう人がいてくれたら、無明のあることがよくわかって、倫理的効果があるから有意義だとしか思っておりません。ピカソ自身は、無明を美だと思い違いしてかいているのだろうと思います。~」
 また、現代文明に対する批判はこうだ。
 「~西洋の歴史だってローマ時代は明らかに暗黒時代であって、あの時の思想は功利主義だったと思います。人は政治を重んじ、軍事を重んじ、土木工事を求める。そういうものしか認めない。現在もそういう時代になってきています。ローマの暗黒時代そっくりそのままになってきていると思います。これは知力が下がったためで、ローマの暗黒時代は2千年続くのですが、こんどはもうほうっておくと、すでに水爆などできていますから、この調子で2千年続くとはとうてい考えられない。~」
 「~いまの人類文化というものは、一口に言えば、内容は生存競争だと思います。生存競争が内容である間は、人類時代とはいえない、獣類時代である。しかも獣類時代のうちで最も生存競争の熾烈な時代だと思います。ここでみずからを滅ぼさずにすんだら、人類時代の第一ページが始まると思います。~」
 さらに、自然科学には鋭い批判を加える。
 「何しろいまの理論物理学のようなものが実在するということを信じさせる最大のものは、原子爆弾とか水素爆弾をつくれたということでしょうか。あれは破壊なんです。ところが、破壊というものは、いろいろな仮説それ自体がまったく正しくなくても、それに頼ってやったほうが幾分利益があればできるものです。もし建設が1つでもできるというなら認めてもよいのですが、建設は何もしていない。しているのは破壊と機械的操作だけなんです。~」
 50年を経ても、そのまま現在に通じる鋭い洞察ではないだろうか。
 前述したように、この対談では主題が目まぐるしく変わり、ここに挙げたような文明批判だけではなく、数学、物理学、西洋文学、日本文学、詩、哲学などについても語られている。
 何度読んでも、読むたびに新しい発見があるだろうと思う。
 さて、去る4月15日に行われた「文協・秋の古本市」では700人近い来場者がありました。ご来場下さった皆さまに御礼申し上げます。
 文協図書館では随時書籍の寄贈を受け付けています。お気兼ねなくご連絡下さい(電話11・3208・1755、図書館(BIBLIOTECA)につないでもらって下さい)。
 文協図書館の開館時間は火曜日から土曜日まで、午前9時から午後5時半までです。(川原崎隆一郎)

ゼロ除算の発見は日本です:

∞???
∞は定まった数ではない・
人工知能はゼロ除算ができるでしょうか:

とても興味深く読みました:
ゼロ除算の発見と重要性を指摘した:日本、再生核研究所

ゼロ除算関係論文・本

再生核研究所声明 419(2018.2.26):『天才を育てた女房~世界が認めた数学者と妻の愛~』 - 読売テレビ・日本テレビ系 読売テレビ開局60年記念ドラマ(2018年2月23日(金)) から
岡先生のドラマがテレビで放映されるという案内を頂いて、どのようなドラマになるか、どのような表現になるのか、大いに気に成っていた。 表現は極めて難しいからである。今回は第一回目として印象を概観して、ドラマに現れた各論の問題について、順次考察を進めたい。
まずは、全体の印象として、素晴らしい構成、映像の作成、要点の表現全て素晴らしく、感銘を受け、どうしてあのような素晴らしいドラマができたのか、不思議で不思議で仕方がない。 最近のドラマ作成能力の素晴らしさは、 行われていたオリンピック競技におけるいろいろな競技に現われた素晴らしさ同様 感銘を受けてきたが、今回のドラマの素晴らしさには、驚嘆している。 関係者すべての方に賞賛と謝辞を送りたい。
少し要点を振り返りたい。まず岡先生の研究に対する純粋でひたむきな姿勢、それが良く表されているが、それらは、それこそ天才としか表現できない才能から出ていると感じられる。岡先生の熱情を上司の教授を越えて信じて励まされた奥様の理解は普通の女性を越えていたと評価される。ご両親 親族の方々の励ましも大きな力になったことが良く表れている。- 奥様の病院から実家への転居の考えは素晴らしい判断ではなかったかと高く評価される。 両親、実家、自然の中での生活は大きな癒しになり、研究を大成させる基礎になったのではないだろうか。しかしながら、難問に挑戦している天才数学者を孤高にさせて置いた状況は 誠に残念な状況と言わなければならない。 現在ならば、いろいろな研究職、研究員職、公募などが有って、才能が有れば、幾らでも優遇され、良い環境ではるかに広い世界を望めたのは歴然である。 ドラマでは、当時の雰囲気なども良く表現されていて当時の世相、情景も 良く表現されていたと高く評価したい。
岡先生や奥様、関係者は今回のドラマが、真実や実像から相当ずれて居たとしても、大いに喜ばれ、高く評価されると想像でき、拝見された数学者たちもこのような素晴らしいドラマに感銘を受けて、一様に喜んでいるのではないだろうか。一般論としては、
数学者とは何者か、
研究の評価、人物の評価の問題、
研究環境、体制の問題、
テレビドラマとは何か。 実像と虚像の問題。
等の問題をドラマから掘り下げて考察を深めて行きたい。 次も参照:
再生核研究所声明285(2016.02.10) 数学者の性格、素性について
再生核研究所声明 391(2017.11.1): いろいろな数学者数学者の心
以 上


再生核研究所声明 428(2018.5.18):  心の存在するところ ― 人間とは何か?
散歩中 2018.5.11.09:05 突然、全構想が湧いたものである。 ひとりでに突然湧いたものは 創造性の観点からも興味深い。
もちろん、心の存在するところは 大体 頭の中に在って、心臓や胸に感じるのは精神の働きなどが血液などに影響を与え、その影響を感じることから、心臓や胸に心があるとの思いがするのだろう。
心は 脳の中に存在して、それは全身からの影響を強く受けているということである。
心は身体に浮かんだような存在であり、楽器から出て来る音楽のような微妙な存在である。もちろん、その在りようは神秘的で殆ど分からない状態である。
ところが心は目やその他の器官を通して身体外からの情報に対しても強い影響を受ける。美しい自然に感動したり、芸術作品、音楽などに感動したり、異性に会って強い影響を受けたり、教育や友情をとうして強い影響を受けるものである。これらは広く取り巻く環境に影響をうけていて我々の心はふらふら揺らいでいるような存在であると言える。心は、身体、環境、情報などによって影響される環境の生み出した存在だと言える。 もちろん、生命は3つ子の魂百までもの例えのように生命の生まれながらのものが芽になって環境に左右されてふらふら変動、成長、発展している存在である。
人間も心も、環境の所産であると言いたい直感が その時湧いた考えの元であった。
― そう多くの考え、思いは 個々の人間は単細胞のような存在で、大きな環境の流れの中で左右され流されている存在ではないだろうか。時代や世相に大きな影響を受けていて、自律的な存在は甚だ疑わしいものである。人は立場によって、環境によって左右され、同じような環境、立場になれば、人間は大方同じような存在では ないだろうか。
生まれながらの資質、それが環境に影響されながら発展、成長していくのが人間であり、心であると言える。
生命の原理は意外に簡単でいくつかの要素に纏められるのではないだろうか。 その原理は生物の生態の原理から相当導かれるのではないだろうか。それに環境を考え、環境の影響を分析して行けば、人間の生態、人格さえ相当に客観的に理解されるのではないだろうか。― 将来、人工知能の発展で、人間を相当理解できるようになるだろう。
NHK神の数式で、物理学者は神の数式に近づいていると述べているが、その原理と巨大な構想は 神の数式と表現しても感銘して素直に受け入れられるだろう。 しかしながら、実は生命の原理、生体の原理、人間の心さえとらえる法則にまで立ち入らなければ、未だ、幼稚なレヴェルにあると謙虚にならざるを得ない。野生生物の生態には巨大宇宙論や極小素粒子の世界を越えて神秘に満ちているとも言える。 人間社会未だ生命の原理さえ理解できず、野蛮性を有した未発達な存在で 野生生物にも劣った存在であるとの自覚がまずは大事ではないだろうか。
野生動物にも劣る 人間の進化 を志したい。
人間や心について触れたので、曖昧にならざるを得ないが、以上で気に成るのは、一つの情報、事実に対して、個性で捉え方が大きく異なる。環境の影響は2元論が示しているかのように極めて複雑で、まるで環境の影響を受けない生命の、心の複雑さに言及して置かなければならない。心が心を動かし、共感し、共鳴する微妙な私たちの存在、それはものとどのように関わっているのか、全然分からない。
創造活動で、ひとりでに新しいことが生み出される、新しい考え、概念が思い付く過程、事実など極めて面白い、それこそ生命の原理、心の原理には興味は尽きない。
生命とは心とは何かは分からない神秘的な存在であるが、それは、環境に影響を強く受けているという観点の強調がこの声明の趣旨である。時代的や世相の背景は宗教、文化背景とともに人間に強い影響を与える。
以 上
ゼロ除算の論文が2編、出版になりました:

ICDDEA: International Conference on Differential & Difference Equations and Applications
Differential and Difference Equations with Applications
ICDDEA, Amadora, Portugal, June 2017
• Editors

• (view affiliations)
• Sandra Pinelas
• Tomás Caraballo
• Peter Kloeden
• John R. Graef
Conference proceedingsICDDEA 2017

log0=log∞=0log⁡0=log⁡∞=0 and Applications
Hiroshi Michiwaki, Tsutomu Matuura, Saburou Saitoh
Pages 293-305

Division by Zero Calculus and Differential Equations
Sandra Pinelas, Saburou Saitoh
Pages 399-418


再生核研究所声明 411(2018.02.02):  ゼロ除算発見4周年を迎えて
ゼロ除算100/0=0を発見して、4周年を迎える。 相当夢中でひたすらに その真相を求めてきたが、一応の全貌が見渡せ、その基礎と展開、相当先も展望できる状況になった。論文や日本数学会、全体講演者として招待された大きな国際会議などでも発表、著書原案154ページも纏め(http://okmr.yamatoblog.net/)基礎はしっかりと確立していると考える。数学の基礎はすっかり当たり前で、具体例は700件を超え、初等数学全般への影響は思いもよらない程に甚大であると考える: 空間、初等幾何学は ユークリッド以来の基本的な変更で、無限の彼方や無限が絡む数学は全般的な修正が求められる。何とユークリッドの平行線の公理は成り立たず、すべての直線は原点を通るというが我々の数学、世界であった。y軸の勾配はゼロであり、\tan(\pi/2) =0 である。 初等数学全般の修正が求められている。
数学は、人間を超えたしっかりとした論理で組み立てられており、数学が確立しているのに今でもおかしな議論が世に横行し、世の常識が間違っているにも拘わらず、論文発表や研究がおかしな方向で行われているのは 誠に奇妙な現象であると言える。ゼロ除算から見ると数学は相当おかしく、年々間違った数学やおかしな数学が教育されている現状を思うと、研究者として良心の呵責さえ覚える。
複素解析学では、無限遠点はゼロで表されること、円の中心の鏡像は無限遠点では なくて中心自身であること、ローラン展開は孤立特異点で意味のある、有限確定値を取ることなど、基本的な間違いが存在する。微分方程式などは欠陥だらけで、誠に恥ずかしい教科書であふれていると言える。 超古典的な高木貞治氏の解析概論にも確かな欠陥が出てきた。勾配や曲率、ローラン展開、コーシーの平均値定理さえ進化できる。
ゼロ除算の歴史は、数学界の避けられない世界史上の汚点に成るばかりか、人類の愚かさの典型的な事実として、世界史上に記録されるだろう。この自覚によって、人類は大きく進化できるのではないだろうか。
そこで、我々は、これらの認知、真相の究明によって、数学界の汚点を解消、世界の文化への貢献を期待したい。
ゼロ除算の真相を明らかにして、基礎数学全般の修正を行い、ここから、人類への教育を進め、世界に貢献することを願っている。
ゼロ除算の発展には 世界史がかかっており、数学界の、社会への対応をも 世界史は見ていると感じられる。 恥の上塗りは世に多いが、数学界がそのような汚点を繰り返さないように願っている。
人の生きるは、真智への愛にある、すなわち、事実を知りたい、本当のことを知りたい、高級に言えば神の意志を知りたいということである。そこで、我々のゼロ除算についての考えは真実か否か、広く内外の関係者に意見を求めている。関係情報はどんどん公開している。
4周年、思えば、世の理解の遅れも反映して、大丈夫か、大丈夫かと自らに問い、ゼロ除算の発展よりも基礎に、基礎にと向かい、基礎固めに集中してきたと言える。それで、著書原案ができたことは、楽しく充実した時代であったと喜びに満ちて回想される。
以 上


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