科学者が本気で避ける「物理学7大タブー」を博士が解説! 現代物理学は実は“つじつまの合わないことだらけ”だった!(インタビュー)
科学者はいつもわかったようなことを言う。3.11で福島第一原発が吹っ飛び、除染費用が消費税と相殺しようというとんでもない状況で、まだ原発を止めない。絶対に安全だからだという。ウソをつけ。絶対に安全なものなどこの世にはない。
科学者の言うことを今一つ信用できないのは、彼らだってなんにもわかってないくせに、わかったようなことを言うからだ。わからないって言ってくれりゃいいのに、宇宙はこうなっていると見てきたように言う。
『言ってはいけない宇宙論』(幻冬舎新書)は、そんな科学者の小理屈がいかなる空論を生み出してきたのか、実にシンプルにわかりやすく説明する。ブラックホールと簡単に言うが、あれが何なのかわかっていないし、家電製品の中に入っている半導体やトランジスタの仕組みも本当の意味ではわかっていない。物理学の根本は、仮説とわからないことで出来上がっているのだ。
同書の著者、X線天文学の研究者でもある小谷太郎氏に話を聞く。
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■量子力学は不完全?
物理学の一分野である量子力学によれば、原子や素粒子などは波動関数によって表される「波」だという。これは実態とは違うイメージを呼び起こす。人は細胞でできていて、その細胞は原子からできている。それなら原子が波動なら人間も波動なのか、みたいな。そして人間が波動なら、音楽の平均律のように正しい波動と不協和音のような汚れた波動があって、汚れた波動が病気や不幸の原因で……とインチキ霊媒師の戯言のような話になる。
実は、科学者も原子や素粒子などを正しくイメージできないと言ったら驚くだろうか。量子力学は不完全な物理学体系で、そのことは量子力学の創成期からアインシュタインたちによって指摘されていた。
「アインシュタイン、ポドルスキー、ローゼンの3人が出した論文(頭文字から「EPR問題」と呼ばれる)があって、これは量子力学が不完全だという指摘なんです。2つの粒子の状態を1つの波動関数で表すことができるんですが、その時に一方の粒子を観測してその状態が決まると、もう一方の状態も決まってしまう」
量子力学では2つセットの粒子の状態を、1つの波動関数で表すことができる。すると、遠く離れた2つの粒子のうち片方を観測すると、同じ波動関数で表されるもう一方の状態も決定される。たとえそれが無限遠に離れていても、宇宙の端と端に粒子があっても、片方の状態が決まればもう一方の状態が同時に決まることになる。数式上はそうだが、ということは光速を超えて情報が伝わることになる。それはおかしいというのが、この論文の主旨だ。
だから量子力学は根本的な間違いを含んでいる、というのがアインシュタインらの考えだった。量子力学は不完全な体系なのだ。
■100年間、アンタッチャブルだった観測問題
量子力学では、観測することによって粒子の状態が定まることを「波動関数が収束する」という。例えば光を二重スリットに通すと、スリットの向こう側に縞模様ができる。光は波なので、波と波が干渉するためだ。
ところで光は光子という粒子の集まりでもある。では発射した光子がどちらのスリットを通るのか、片方のスリットにセンサーをとりつけて観測するとどうなるか? センサーは1個の光子を検出し、その位置を教える。観測の瞬間、広がっていた波(波動関数)が収束し、1個の光子が1点に出現するのだ。そしてスリットのどちらを通ったかわかると、干渉も消え、縞模様もなくなってしまう。
こうした波動関数の収束はどんなメカニズムで起きるのか? 粒子が人間に見られたから収束するのか? これは観測問題と呼ばれる問題で、長らく量子力学の謎とされてきた。
「波動関数が収束する時は物理的な変化が起きているのか、それともこちらの見方が変化しているだけなのか、意見がいろいろ分かれてました。ところが最近は量子コンピュータの研究が盛んになって、それとともに観測問題の研究も進展があった。量子コンピュータの実用化は、観測問題を避けて通れないんです。ここ最近の成果ですが、波動関数は見ている人の知識を表すものじゃないか? という考えが主流になりつつあります」
知識?
「観測された波動関数が収束するのは、物体がどういう状態にあるのか、観測者の持っている情報が変化するということです。その情報の変化を数式化すると、波動関数の収束としてあらわされる」
????? じゃあ、じゃあ知識のある人とない人が見るのでは、状態が違う?
「その通り」
マジですか。
■観測者によって異なる波動関数
「同じ物体を観測しても、すでにある観測をした人と、その観測をしてない人が見ると2人の見た波動関数は同じ物体でも違うんですよ」
AさんとBさんでは同じものが違う状態に見えるってこと? なぜ?
「だから波動関数を実在と考えるとマズい」
ちょっと待て。波動関数って粒子の状態を表す数式ですよね? それが実在ではない? じゃあ粒子って何? 粒子って概念? 概念が観測できるの?
「私たちが行なっていることは、観測結果を元にして次の観測結果を予想することの積み重ねです。それまでの観測結果を観測者は波動関数として持っているんですよ」
……どこに?
「観測者の知識の状態を数式で表すと、波動関数になりますよということです」
??
「二重スリットの実験でも、観測する人に光子がどちらのスリットを通るかわからない(=測定器をつけていない)状態だと縞模様ができるわけですよ。ところがスリットのどちらかに検出器を置いて、どちらのスリットを通ったかを知ってしまうと、波動関数が収束してしまう」
なんで?
「どちらのスリットを通るか観測をすると、観測者はその知識を得るわけですよ」
波動関数が収束する時は、物理的に何かが変化するわけではなく、知識が変化するのだという。
「これはたとえ話ですが、サイコロの波動関数を誰も知らないとします。でも僕がサイコロを振った後にチラッと見て、偶数だと知ったとします。僕にとってはサイコロの波動関数は偶数に収束したんですよ。でも他の人にはわからない。そしてふたを開けたら6の目が出ていたと。その瞬間、僕以外の人の波動関数は6に収束したわけです。しかし、僕は偶数だと知っていたので、2・4・6のうちどれか、つまり3分の1の確率に収束するんですよ。つまり僕と他の人では、結果は同じでも違う波動関数が収束したように見えるんですよ」
■エヴェレットの多世界解釈
観測問題に奇想天外な提案をしたのがエヴェレットである。
「誰かが何かを観測するたびに宇宙がバッと分かれてしまう、というのがエヴェレットの考えた多世界解釈です。非常にすっきりした考え方です」
すっきりします?
「この瞬間にも無数の粒子が観測結果を出しているので、ものすごい勢いで世界は増えていることになるんですよ、エヴェレットさんが正しければ」
正しいんですか、それ? 感覚的にまったく受け入れられない。
■答え一発、量子重力論
「重力を量子力学に取り込もうという研究が何十年もされているんですが、いまだにできません。数学的に非常に難しいんです。量子力学の難問を解くのに“繰り込み”というテクニックがあるんですが、重力にはそれが使えないんですよ。別な手法が必要で、まだ誰も成功していない」
原子は原子核の周りを電子が回っている。これを量子力学を使わず、電磁気学だけで考えると、電子は原子の周りを回っている間に電磁波を放出してエネルギーを失い、原子核まで落ち込んでしまう。
「原子が存在できないことになるんですね」
でも原子は存在している。だから電磁気学ではない別の数式、別の考え方に基づいた別の数式が必要になった。
「新しく生まれた物理、量子力学を使うことで問題は解決したんです」
同じことが今、宇宙理論にも起きている。ひとつはブラックホール。
「ブラックホールの中心は既存の相対性理論では説明できないんですね」
ブラックホールの中心では時間と空間のゆがみが無限大になってしまい、物理法則が通用しないのだ。だから特異点と呼ばれる。宇宙の始まりも特異点であるため、ブラックホールの内部がわからなければ宇宙の始まりもわからない。つまり今の宇宙論は、ブラックホールがわからない現在、ただの未完成理論でしかないのだ。
「なぜビッグバンが起きたのか、誰も説明できない」
これを説明できるのが量子重力論なのだ。
■塗り替わり始めた宇宙の姿
「今までの物理理論ではわからない宇宙のことを説明する理論を、量子重力論と名付けようということです」
今の物理の問題を解決する理論を量子重力と名付けたのだから、量子重力論で説明できない現象はない! ということらしいが、安易だ。量子重力論がいまだ完成していない理由の一つは、実験が非常に難しいからだ。ブラックホールまで行けば、実験はできるが……。
「100年前の人たちが原子に囲まれていても原子のことを知るすべがなかったように、私たちもこれまで重力のことを知るすべがなかったんです」
状況が変わったのは重力波望遠鏡が完成し、重力波の観測に成功したためだ。
「2015年に重力波が検出されました。予想外にもブラックホールが放射する重力波がびゅんびゅん飛んでいたんですよ。ブラックホールは重力の実験装置みたいなもので、我々は重力の実験データをいきなり手に入れたんです」
今後、データが集まれば重力の性質がわかり、量子重力論が完成するかもしれない。夢のある話ですね。
■変な小理屈、ゴット推定
未来を予測するにはさまざまな方法がある。中でもユニークなのが、ジョン・リチャード・ゴット三世のゴット推定だ。
「人類の寿命があとどのくらいあるのか? そういう、知りようがないことを推定する方法です。冷戦時代のことですが、ゴットさんはベルリンの壁を見たんです。その時、ベルリンの壁ができて8年が経っていました」
ベルリンの壁ができてから崩壊するまで、何年かかるのか、当時は誰も知らなかった。そこでゴットは次のように考えた。
・ ベルリンの壁を見る人の4分の1の人はベルリンの壁ができた直後、最初の4分の1の期間に観測する。
・ ベルリンの壁を見る人の4分の1の人はベルリンの壁がなくなる直前、最後の4分の1の期間に観測する。
・ 残りの4分の2、つまり半分の人は、その間の期間に観測する。
・ ベルリンの壁を見る人の4分の1の人はベルリンの壁がなくなる直前、最後の4分の1の期間に観測する。
・ 残りの4分の2、つまり半分の人は、その間の期間に観測する。
ゴットは、真ん中の集団、つまりベルリンの壁ができてから壊れるまでの真ん中2分の1の集団に、2分の1の確率で、自分がいると想定した。できてから8年の壁が、もしもなくなる直前なら、残りの期間は4分の1なので、壁の存在する期間は3分の32年で11年。もしもできた直後なら、これまで4分の1が過ぎたので、壁の存在する期間は32年。
つまり2分の1の確率で、ベルリンの壁はできてから11年から32年の間に崩壊する!
「28年目にベルリンの壁は壊れました。だからゴット推定は正しいとゴット先生は言うんですが、ベルリンの壁がもっとずれた時期に壊れていたら、ゴット先生は果たして発表したかどうか」
これを使うと人類の寿命はあと300億人が生まれた時に終わるか、3000億人が生まれた時に終わることになるという。
■地球外生命体は……たくさんいる!
誰もが気になる宇宙の問題は、地球以外に生命はあるのか? である。
「大勢いると思いますよ」
大勢ですか!
「生きている間に他惑星に生命が発見されるかもしれません」
おお!
「20年ぐらい前まで、他の星に生命がいると思うか? と聞くと、いないだろうと答える人も多かったと思います。しかしこの20年間で見方がガラッと変わりました。太陽系以外の他の星系の惑星がどんどん見つかったんです。昔は『きっとあるだろう』という予想でしかなかったんですが、今は何千個も見つかっているんです」
惑星があるかどうかさえわからなかったのか。どうりで今まで科学界が宇宙人に否定的だったわけだ。宇宙がビッグバンから始まって、今も膨張しているという膨張宇宙論も、物理学者が全員認めているわけではない。
「宇宙の膨張によって、遠ざかる星の光の波長が延びるドップラーシフトが膨張宇宙論の証拠とされるんですが、ドップラーシフトは宇宙の膨張ではなく別の原因であるという人もいます。もう亡くなったアープさんという人は、銀河が3つ連なって、互いに相互作用している奇妙な例をいくつも見つけているんです。3つの銀河のドップラーシフトがバラバラだというんです」
つまり、3つの銀河は別々の速度で動いている。これは宇宙の膨張では説明がつかない。全然違う場所にある銀河がどうやって相互作用するのか?
「宇宙は膨張しているが、真空の中で物質が生成しているという説もあります」
もっと極端な宇宙論もある。
「素粒子の愛が物質を作っている。天文学会の予稿集を開くと『電子のラブ』と書いてある」
あはは。
「その方とお話したことあるんですが、その方以外、誰にもよくわかりませんね」
■宇宙を知ることは、自分自身の正体を知ること
超弦理論が宇宙すべてを説明する究極の理論ではないか? と考えられた時期もあった。
「最近、超弦理論も限界が見えてきたんじゃないかと考える研究者もいます」
仮定ばかりで、実験で確認できる事実が何もないのだ。
「現実との整合性がとれない、超弦理論のピークは過ぎた気と言う人も」
重力波の発見から始まった重力波理論がすべての物理の謎を解き明かすのか?
「コンピュータの基礎理論を作ったフォン・ノイマンの『量子力学の数学的基礎』という論文には、量子力学の数学的な扱いが延々と書いてあるのですが、その中で何が波動関数を収束させているのかについてたった1カ所、“自我である”と書いてあるんです」
宇宙を知ることとは、まさに人間を知ること。すべての宇宙論が実は人間とは何かを知ろうとする試みであると量子重力論は予言するのである。
(聞き手・文=川口友万)
※画像は、小谷太郎氏(撮影:TOCANA編集部)http://news.nicovideo.jp/watch/nw3410592
とても興味深く読みました:
ゼロ除算の発見と重要性を指摘した:日本、再生核研究所
再生核研究所声明 427(2018.5.8): 神の数式、神の意志 そしてゼロ除算
NHKスペシャル 神の数式番組を繰り返し拝見して感銘を受けている。素晴らしい映像ばかりではなく、内容の的確さ、正確さに、ただただ驚嘆している。素晴らしい。
ある物理学の本質的な流れを理解し易く表現していて、物理学の着実な発展が良く分かる。
原爆を作ったり、素粒子を追求していたり、宇宙の生成を研究したり、物理学者はまるで、現代の神官のように感じられる。素粒子の世界と宇宙を記述するアインシュタインの方程式を融合させるなど、正に神の数式と呼ぶにふさわしいものと考えられる。流れを拝見すると物理学は適切な方向で着実に進化していると感じられる。神の数式に近づいているのに 野蛮なことを繰り返している国際政治社会には残念な気持ちが湧いて来る。ロシアの天才物理学者の終末などあまりにも酷いのではないだろうか。世界史の進化を願わざるを得ない。
アインシュタインの相対性理論は世界観の変更をもたらしたが、それに比べられるオイラーの公式は数学全般に大きな変革をもたらした:
With this estimation, we stated that the Euler formula
$$
e^{\pi i} = -1
$$
is the best result in mathematics in details in: No.81, May 2012 (pdf 432kb)
余りにも神秘的な数式のために、アインシュタインの公式 E= mc^2 と並べて考えられる 神の意志 が感じられるだろう。 ところで、素粒子を記述する方程式とアインシュタインの方程式を融合したら、 至る所に1/0 が現れて 至る所無限大が現れて計算できないと繰り返して述べられている。しかしながら、数学は既に進化して、1/0=0 で無限大は 実はゼロだった。 驚嘆すべき世界が現れた。しかしながら、数学でも依然として、rがゼロに近づくと 無限大に発散する事実が有るので、弦の理論は否定できず、問題が存在する。さらに、形式的に発散している場合でも、ゼロ除算算法で、有限値を与え、特異点でも微分方程式を満たすという新しい概念が現れ、局面が拓かれたので、数学者ばかりではなく、物理学者の注意を喚起して置きたい。
物理学者は、素粒子の世界と巨大宇宙空間の方程式を融合させて神の方程式を目指して研究を進めている。数学者はユークリッド以来現れたゼロ除算1/0と空間の新しい構造の中から、神の意志を追求して 新しい世界の究明に乗り出して欲しいと願っている。いみじくもゼロ除算は、ゼロと無限大の関係を述べていて、素粒子と宇宙論の類似を思わせる。
人の生きるは、真智への愛にある、すなわち、事実を知りたい、本当のことを知りたい、高級に言えば 神の意志 を知りたいということである。 そこで、我々のゼロ除算についての考えは真実か否か、広く内外の関係者に意見を求めている。関係情報はどんどん公開している。 ゼロ除算の研究状況は、
数学基礎学力研究会 サイトで解説が続けられている:http://www.mirun.sctv.jp/~suugaku/
また、ohttp://okmr.yamatoblog.net/ に 関連情報がある。
以 上
再生核研究所声明 394(2017.11.4): ゼロで割れるか ― ゼロで割ったらユークリッド以来の新世界が現れた
ゼロで割る問題は、ゼロ除算は Brahmagupta (598 -668 ?)以来で、彼は Brhmasphuasiddhnta(628)で 0/0=0 と定義していた。ゼロ除算は古くから物理、哲学の問題とも絡み、アリストテレスはゼロ除算の不可能性を述べていたという。現在に至っても、アインシュタイン自身の深い関心とともに相対性理論との関連で相当研究がなされていて、他方、ゼロ除算の計算機障害の実害から、論理や計算機上のアルゴリズムの観点からも相当な研究が続けられている。さらに、数学界の定説、ゼロ除算の不可能性(不定性)に挑戦しようとする相当な素人の関心を集めている。現在に至ってもいろいろな説が存在し、また間違った意見が出回り世間では混乱している。しかるに、 我々は、ゼロ除算は自明であり、ゼロ除算算法とその応用が大事であると述べている。
まずゼロで割れるか否かの問題を論じるとき、その定義をしっかりすることが大事である。 定義をきちんとしないために空回りの議論をしている文献が大部分である。何十年も超えて空回りをしている者が多い。割れるとはどのような意味かと問題にしなければならない。 数学界の常識、割り算は掛け算の逆であり、az =b の解をb割るaと定義し、分数b/a を定義すると考えれば、直ちにa=0の場合には、一般に考えられないと結論される。それで、ゼロ除算は神でもできないとか神秘的な議論が世に氾濫している。しかしながら、この基本的な方程式の解が何時でも一意に存在するように定義するいろいろな考え方が存在する。有名で相当な歴史を有する考え方が、Moore-Penrose一般逆である。その解はa=0 のとき、ただ一つの解z=0 を定める。よって、この意味で方程式の解を定義すれば、ゼロ除算 b/0, b割るゼロはゼロであると言える。そこで、このような発想、定義は自然であるから、発見の動機、経緯は違うが、ゼロ除算は可能で、b/0=0 であると言明した。Moore-Penrose一般逆の自然性を認識して、ゼロ除算は自明であり、b/0=0 であるとした。
それゆえに、神秘的な歴史を持つ、ゼロ除算は 実は当たり前であったが、現在でもそうは認識されず混乱が続いている。その理由は、関数 W = 1/z の原点での値をゼロとする考えに発展、適用するとユークリッド以来、アリストテレス以来の世界観の変更に繋がるからである。1/0は無限大、無限と発想しているからである。実際、原点の近くは限りなく原点から遠ざかり、限りなく遠くの点、無限の彼方に写っている歴然とした現象か存在する。しかるに 原点が原点に写るというのであるから、これらの世界観は ユークリッド空間、アリストテレスの世界観に反することになる。それゆえに Moore-Penrose一般逆は一元一次方程式の場合、意味がないものとして思考が封じられてきたと考えられる。
そこで、この新しい数学、世界観が、我々の数学や世界に合っているか否かを広範囲に調べてみることにした。その結果、ユークリッドやアリストテレスの世界観は違っていて、広範な修正が必要であることが分った。
そこで、次のように表現して、広く内外に意見を求めている:
Dear the leading mathematicians and colleagues:
Apparently, the common sense on the division by zero with a long and mysterious history is wrong and our basic idea on the space around the point at infinity is also wrong since Euclid. On the gradient or on derivatives we have a great missing since $\tan (\pi/2) = 0$. Our mathematics is also wrong in elementary mathematics on the division by zero.
I wrote a simple draft on our division by zero. The contents are elementary and have wide connections to various fields beyond mathematics. I expect you write some philosophy, papers and essays on the division by zero from the attached source.
____________
The division by zero is uniquely and reasonably determined as 1/0=0/0=z/0=0 in the natural extensions of fractions. We have to change our basic ideas for our space and world
Division by Zero z/0 = 0 in Euclidean Spaces
Hiroshi Michiwaki, Hiroshi Okumura and Saburou Saitoh
International Journal of Mathematics and Computation Vol. 28(2017); Issue 1, 2017), 1
-16.
http://www.scirp.org/journal/alamt http://dx.doi.org/10.4236/alamt.2016.62007
http://www.ijapm.org/show-63-504-1.html
http://www.diogenes.bg/ijam/contents/2014-27-2/9/9.pdf
http://www.ijapm.org/show-63-504-1.html
http://www.diogenes.bg/ijam/contents/2014-27-2/9/9.pdf
Relations of 0 and infinity
Hiroshi Okumura, Saburou Saitoh and Tsutomu Matsuura:
http://www.e-jikei.org/…/Camera%20ready%20manuscript_JTSS_A…
http://www.e-jikei.org/…/Camera%20ready%20manuscript_JTSS_A…
国内の方には次の文も加えている:
我々の初等数学には 間違いと欠陥がある。 学部程度の数学は 相当に変更されるべきである。しかしながら、ゼロ除算の真実を知れば、人間は 人間の愚かさ、人間が如何に予断と偏見、思い込みに囚われた存在であるかを知ることが出来るだろう。この意味で、ゼロ除算は 人間開放に寄与するだろう。世界、社会が混乱を続けているのは、人間の無智の故であると言える。
三角関数や2次曲線論でも理解は不完全で、無限の彼方の概念は、ユークリッド以来 捉えられていないと言える。(2017.8.23.06:30 昨夜 風呂でそのような想いが、新鮮な感覚で湧いて来た。)
ゼロ除算の優秀性、位置づけ : 要するに孤立特異点以外は すべて従来数学である。 ゼロ除算は、孤立特異点 そのもので、新しいことが言えるとなっている。従来、考えなかったこと、できなかったこと ができるようになったのであるから、ゼロ除算の優秀性は歴然である。 優秀性の大きさは、新しい発見の影響の大きさによる(2017.8.24.05:40)
思えば、我々は未だ微分係数、勾配、傾きの概念さえ、正しく理解されていないと言える。 目覚めた時そのような考えが独りでに湧いた。
典型的な反響は 次の物理学者の言葉に現れている:
Here is how I see the problem with prohibition on division by zero, which is the biggest scandal in modern mathematics as you rightly pointed out(2017.10.14.8:55).
現代数学には間違いがあり、欠陥がある、我々の空間の認識はユークリッド、アリストテレス以来 間違っていると述べている。
ゼロ除算の混乱は、世界史上に於ける数学界の恥である。そこで、数学関係者のゼロ除算の解明による数学の修正を、ゼロ除算の動かぬ、数学の真実にしたがって求めたい。詳しい解説を 3年を超えて素人向きに行っている:
数学基礎学力研究会公式サイト 楽しい数学
www.mirun.sctv.jp/~suugaku/
以 上
再生核研究所声明316(2016.08.19) ゼロ除算における誤解
(2016年8月16日夜,風呂で、ゼロ除算の理解の遅れについて 理由を纏める考えが独りでに湧いた。)
6歳の道脇愛羽さんたち親娘が3週間くらいで ゼロ除算は自明であるとの理解を示したのに、近い人や指導的な数学者たちが1年や2年を経過してもスッキリ理解できない状況は 世にも稀なる事件であると考えられる。ゼロ除算の理解を進めるために その原因について、掘り下げて纏めて置きたい。
まず、結果を聞いて、とても信じられないと発想する人は極めて多い。割り算の意味を自然に拡張すると1/0=0/0=z/0 となる、関数y=1/xの原点における値がゼロであると結果を表現するのであるが、これらは信じられない、このような結果はダメだと始めから拒否する理由である。
先ずは、ゼロでは割れない、割ったことがない、は全ての人の経験で、ゼロの記録Brahmagupta(598– 668?) 以来の定説である。しかも、ゼロ除算について天才、オイラーの1/0を無限大とする間違いや、不可能性についてはライプニッツ、ハルナックなどの言明があり、厳格な近代数学において確立した定説である。さらに、ゼロ除算についてはアインシュタインが最も深く受け止めていたと言える:(George Gamow (1904-1968) Russian-born American nuclear physicist and cosmologist remarked that "it is well known to students of high school algebra" that division by zero is not valid; and Einstein admitted it as {\bf the biggest blunder of his life} :Gamow, G., My World Line (Viking, New York). p 44, 1970.)。
一様に思われるのは、割り算は掛け算の逆であり、直ぐに不可能性が証明されてしまうことである。ところが、上記道脇親娘は 割り算と掛け算は別であり、割り算は、等分の考えから、掛け算ではなく、引き算の繰り返し、除算で定義されるという、考えで、このような発想から良き理解に達したと言える。
ゼロで割ったためしがないので、ゼロ除算は興味も、関心もないと言明される人も多い。
また、割り算の(分数の)拡張として得られた。この意味は結構難しく、何と、1/0=0/0=z/0 の正確な意味は分からないというのが 真実である。論文ではこの辺の記述は大事なので、注意して書いているが 真面目に論文を読む者は多いとは言えないないから、とんでもない誤解をして、矛盾だと言ってきている。1/0=0/0=z/0 らが、普通の分数のように掛け算に結びつけると矛盾は直ぐに得られてしまう。したがって、定義された経緯、意味を正確に理解するのが 大事である。数学では、定義をしっかりさせる事は基本である。― ゼロ除算について、情熱をかけて研究している者で、ゼロ除算の定義をしっかりさせないで混乱している者が多い。
次に関数y=1/xの原点における値がゼロである は 実は定義であるが、それについて、面白い見解は世に多い。アリストテレス(Aristotelēs、前384年 - 前322年3月7日)の世界観の強い影響である。ゼロ除算の歴史を詳しく調べている研究者の意見では、ゼロ除算を初めて考えたのはアリストテレスで真空、ゼロの比を考え、それは考えられないとしているという。ゼロ除算の不可能性を述べ、アリストテレスは 真空、ゼロと無限の存在を嫌い、物理的な世界は連続であると考えたという。西欧では アリストテレスの影響は大きく、聖書にも反映し、ゼロ除算ばかりではなく、ゼロ自身も受け入れるのに1000年以上もかかったという、歴史解説書がある。ゼロ除算について、始めから国際的に議論しているが、ゼロ除算について異様な様子の背景にはこのようなところにあると考えられる。関数y=1/xの原点における値が無限に行くと考えるのは自然であるが、それがx=0で突然ゼロであるという、強力な不連続性が、感覚的に受け入れられない状況である。解析学における基本概念は 極限の概念であり、連続性の概念である。ゼロ除算は新規な現象であり、なかなか受け入れられない。
ゼロ除算について初期から交流、意見を交わしてきた20年来の友人との交流から、極めて基本的な誤解がある事が、2年半を越えて判明した。勿論、繰り返して述べてきたことである。ゼロ除算の運用、応用についての注意である。
具体例で注意したい。例えば簡単な関数 y=x/(x -1) において x=1 の値は 形式的にそれを代入して 1/0=0 と考えがちであるが、そのような考えは良くなく、y = 1 + 1/(x -1) からx=1 の値は1であると考える。関数にゼロ除算を適用するときは注意が必要で、ゼロ除算算法に従う必要があるということである。分子がゼロでなくて、分母がゼロである場合でも意味のある広い世界が現れてきた。現在、ゼロ除算算法は広い分野で意味のある算法を提起しているが、詳しい解説はここでは述べないことにしたい。注意だけを指摘して置きたい。
ゼロ除算は アリストテレス以来、あるいは西暦628年インドにおけるゼロの記録と、算術の確立以来、またアインシュタインの人生最大の懸案の問題とされてきた、ゼロで割る問題 ゼロ除算は、本質的に新しい局面を迎え、数学における基礎的な部分の欠落が明瞭になってきた。ここ70年を越えても教科書や学術書における数学の基礎的な部分の変更は かつて無かった事である。と述べ、大きな数学の改革を提案している:
再生核研究所声明312(2016.07.14) ゼロ除算による 平成の数学改革を提案する
以 上
再生核研究所声明343(2017.1.10)オイラーとアインシュタイン
世界史に大きな影響を与えた人物と業績について
再生核研究所声明314(2016.08.08) 世界観を大きく変えた、ニュートンとダーウィンについて
再生核研究所声明315(2016.08.08) 世界観を大きく変えた、ユークリッドと幾何学
再生核研究所声明339(2016.12.26)インドの偉大な文化遺産、ゼロ及び算術の発見と仏教
で 触れてきたが、興味深いとして 続けて欲しいとの希望が寄せられた。そこで、ここでは、数学界と物理学界の巨人 オイラーとアインシュタインについて触れたい。
オイラーが膨大な基本的な業績を残され、まるでモーツァルトのように 次から次へと数学を発展させたのは驚嘆すべきことであるが、ここでは典型的で、顕著な結果であるいわゆるオイラーの公式 e^{\pi i} = -1 を挙げたい。これについては相当深く纏められた記録があるので参照して欲しい(
)。この公式は最も基本的な数、-1,\pi, e,i の簡潔な関係を確立しており、複素解析や数学そのものの骨格の中枢の関係を与えているので、世界史への甚大なる影響は歴然である ― オイラーの公式 (e ^{ix} = cos x + isin x) を一般化として紹介できます。 そのとき、数と角の大きさの単位の関係で、神は角度を数で測っていることに気付く。左辺の x は数で、右辺の x は角度を表している。それらが矛盾なく意味を持つためには角は、角の 単位は数の単位でなければならない。これは角の単位を 60 進法や 10 進法などと勝手に決められないことを述べている。ラジアンなどの用語は不要であることが分かる。これが神様方式による角の単位です。角の単位が数ですから、そして、数とは複素数ですから、複素数 の三角関数が考えられます。cos i も明確な意味を持ちます。このとき、たとえば、純虚数の 角の余弦関数が電線をぶらりとたらした時に描かれる、けんすい線として、実際に物理的に 意味のある美しい関数を表現します。そこで、複素関数として意味のある雄大な複素解析学 の世界が広がることになる。そしてそれらは、数学そのものの基本的な世界を構成すること になる。自然の背後には、神の設計図と神の意思が隠されていますから、神様の気持ちを理解し、 また神に近付くためにも、数学の研究は避けられないとなると思います。数学は神学そのものであると私は考える。オイラーの公式の魅力は千年や万年考えても飽きることはなく、数学は美しいとつぶやき続けられる。― 特にオイラーの公式は、言わば神秘的な数、虚数i、―1, e、\pi などの明確な意味を与えた意義は 凄いこととであると驚嘆させられる。
次に アインシュタインであるが、いわゆる相対性理論として、物理学界の最高峰に存在するが、アインシュタインの公式 E=mc^2 は素人でもびっくりする 簡潔で深い結果である。何と物質はエネルギーと等式で結ばれるという。このような公式の発見は人類の名誉に関わる基本的な結果と考えられる。アインシュタインが、時間、空間、物質、エネルギー、光速の基本的な関係を確立し、現代物理学の基礎を確立している。
ところで、上記巨人に共通する面白い話題が存在する。 オイラーがゼロ除算を記録に残し 1/0=\infty と記録し、広く間違いとして指摘されている。 他方、 アインシュタインは次のように述べている:
Blackholes are where God divided by zero. I don't believe in mathematics.
George Gamow (1904-1968) Russian-born American nuclear physicist and cosmologist remarked that "it is well known to students of high school algebra" that division by zero is not valid; and Einstein admitted it as {\bf the biggest blunder of his life} (
Gamow, G., My World Line (Viking, New York). p 44, 1970).
今でも、この先を、特に特殊相対性理論との関係で 0/0=1 であると頑強に主張したり、想像上の数と考えたり、ゼロ除算についていろいろな説が存在して、混乱が続いている。
しかしながら、ゼロ除算については、決定的な結果を得た と公表している。すなわち、分数、割り算は自然に一意に拡張されて、 1/0=0/0=z/0=0 である。無限遠点は 実はゼロで表される:
The division by zero is uniquely and reasonably determined as 1/0=0/0=z/0=0 in the natural extensions of fractions. We have to change our basic ideas for our space and world:
Division by Zero z/0 = 0 in Euclidean Spaces
Hiroshi Michiwaki, Hiroshi Okumura and Saburou Saitoh
International Journal of Mathematics and Computation Vol. 28(2017); Issue 1, 2017), 1-16.
http://www.scirp.org/journal/alamt http://dx.doi.org/10.4236/alamt.2016.62007
http://www.ijapm.org/show-63-504-1.html
http://www.diogenes.bg/ijam/contents/2014-27-2/9/9.pdf
http://www.ijapm.org/show-63-504-1.html
http://www.diogenes.bg/ijam/contents/2014-27-2/9/9.pdf
Announcement 326: The division by zero z/0=0/0=0 - its impact to human beings through education and research
以 上
再生核研究所声明357(2017.2.17)Brahmagupta の名誉回復と賞賛を求める。
再生核研究所声明 339で 次のように述べている:
世界史と人類の精神の基礎に想いを致したい。ピタゴラスは 万物は数で出来ている、表されるとして、数学の重要性を述べているが、数学は科学の基礎的な言語である。ユークリッド幾何学の大きな意味にも触れている(再生核研究所声明315(2016.08.08) 世界観を大きく変えた、ユークリッドと幾何学)。しかしながら、数体系がなければ、空間も幾何学も厳密には 表現することもできないであろう。この数体系の基礎はブラーマグプタ(Brahmagupta、598年 – 668年?)インドの数学者・天文学者によって、628年に、総合的な数理天文書『ブラーマ・スプタ・シッダーンタ』(ब्राह्मस्फुटसिद्धान्त Brāhmasphuṭasiddhānta)の中で与えられ、ゼロの導入と共に四則演算が確立されていた。ゼロの導入、負の数の導入は数学の基礎中の基礎で、西欧世界がゼロの導入を永い間嫌っていた状況を見れば、これらは世界史上でも顕著な事実であると考えられる。最近ゼロ除算は、拡張された割り算、分数の意味で可能で、ゼロで割ればゼロであることが、その大きな影響とともに明らかにされてきた。しかしながら、 ブラーマグプタは その中で 0 ÷ 0 = 0 と定義していたが、奇妙にも1300年を越えて、現在に至っても 永く間違いであるとされている。現在でも0 ÷ 0について、幾つかの説が存在していて、現代数学でもそれは、定説として 不定であるとしている。最近の研究の成果で、ブラーマグプタの考えは 実は正しかった ということになる。 しかしながら、一般の ゼロ除算については触れられておらず、永い間の懸案の問題として、世界を賑わしてきた。現在でも議論されている。ゼロ除算の永い歴史と問題は、次のアインシュタインの言葉に象徴される:
Blackholes are where God divided by zero. I don't believe in mathematics. George Gamow (1904-1968) Russian-born American nuclear physicist and cosmologist re-
marked that "it is well known to students of high school algebra" that division by zero is not valid; and Einstein admitted it as the biggest blunder of his life [1] 1. Gamow, G., My World Line (Viking, New York). p 44, 1970.
物理学や計算機科学で ゼロ除算は大事な課題であるにも関わらず、創始者の考えを無視し、割り算は 掛け算の逆との 貧しい発想で 間違いを1300年以上も、繰り返してきたのは 実に残念で、不名誉なことである。創始者は ゼロの深い意味、ゼロが 単純な算数・数学における意味を越えて、ゼロが基準を表す、不可能性を表現する、神が最も簡単なものを選択する、神の最小エネルギーの原理、すなわち、神もできれば横着したいなどの世界観を感じていて、0/0=0 を自明なもの と捉えていたものと考えられる。実際、巷で、ゼロ除算の結果や、適用例を語ると 結構な 素人の人々が 率直に理解されることが多い。
1300年間も 創始者の結果が間違いであるとする 世界史は修正されるべきである、間違いであるとの不名誉を回復、数学の基礎の基礎である算術の確立者として、世界史上でも高く評価されるべきである。 真智の愛、良心から、厚い想いが湧いてくる。
以 上
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