2015年3月25日水曜日

「世界最大」の隕石衝突跡、オーストラリアで発見

「世界最大」の隕石衝突跡、オーストラリアで発見
2015.03.25 Wed posted at 11:03 JST

これまで発見されたなかでは最大とされる隕石の衝突跡が見つかった
(CNN) オーストラリア中部の地中から、数億年前に地球に落下した巨大隕石(いんせき)の衝突跡が見つかった。地球上でこれまでに見つかった衝突跡の中では最大だという。オーストラリア国立大学の研究チームが地殻物理学会誌に発表した。
衝突跡は南オーストラリア、クイーンズランド、北部準州の州境に近い地殻内部の深さ2キロ強の地点で見つかった。クレーターは長い年月を経て消滅していたが、地熱調査のための発掘作業中に衝突跡を発見したという。
巨大隕石は地球に衝突する直前に2つに割れ、衝突跡は幅400キロの範囲に及んでいた。2つの隕石はそれぞれ直径10キロ以上の大きさがあったと研究チームは推定している。
地殻内には、すさまじい衝撃で地殻が跳ね上がり、地底の岩盤がマントルから持ち上がってできた2つの巨大ドームがあった。
隕石が衝突した時期はまだ特定できていない。周辺の岩石は3億~6億年前のものだったが、他の巨大隕石衝突が残したような痕跡がまだ見つかっていないという。
恐竜を絶滅させたといわれる6600万年前の巨大隕石の衝突では大量の粉塵が舞い上がり、その痕跡が岩石の中の堆積層として残っている。
しかし3億年前についてはそうした堆積層が見つからないという。「不思議なことに、(恐竜を絶滅させた)隕石衝突の時と同じように生物が絶滅した痕跡は見つかっていない。衝突が起きたのは3億年以上前だった可能性もある」と研究者は指摘。
もし巨大隕石の影響が明らかになれば、地球の歴史を解明する新たな手がかりになるかもしれないと話している。http://www.cnn.co.jp/fringe/35062244.html?tag=top;topStories

再生核研究所声明216(2015.3.12) 死について、死からの解放について
この問題は 宗教の大きな問題ばかりではなく、死を畏れるは 知恵の始めなりと言われるように、人間にとっては 相当大事な問題ではないだろうか。 再生研究所声明でも相当に触れられてきている:
再生核研究所声明19: 超越への道、悟りへの道
再生核研究所声明 47: 肯定死
再生核研究所声明 63  解脱; 神、自由、不死への道 - 安らかに終末を迎える心得
再生核研究所声明 68: 生物の本質 ― 生きること、死ぬること
再生核研究所声明 99(2012.9.24) 死の肯定、在りよう、儀式、将来への提案
再生核研究所声明 118(2013.5.16): 馬鹿馬鹿しい人生、命失う者は 幸いである、 と言える面もある ― 
再生核研究所声明 120(2013.5.24): 終末の在りようについての 総合的な検討を、遅れている面での 文化を進めよう ― 個人の自由意志の尊重に基づく  肯定死の保証 と 方法の確立を
再生核研究所声明 122(2013.8.1): 神の存在と究極の信仰 - 人間よ 想い煩うことはない。 神は存在して、一切の存在と非存在を しっかりと支えられておられる、 人は必要なときに必要なだけ、 念じるだけで良い。
再生核研究所声明 141(2013.11.14): 結局、人間とは、人生とは 何だろうか、どの様なものか
再生核研究所声明145(2013.12.14): 生きること、人間として在ることの 究極の意義 についての考察
再生核研究所声明149(2014.3.4): 生きること、生命の本質、活動して止まないもの
再生核研究所声明192(2014.12.27): 無限遠点から観る、人生、世界
再生核研究所声明203(2015.2.4): 人間とは何か、人生とは何か
再生核研究所声明205(2015.2.11): 宿命論
上記からも分かるように、人生の問題は 相当に死の問題に関わっていることが分かる。多くの人は 死からの解放、自由になれることを望んでいるのではないだろうか。そこで、そのような視点から、その心得を率直に纏めてみたい。
まず、死の実体であるが、死によって我々の精神活動は停止して、何も分からない状態に陥り、一切の感覚を失い、意識を失ったような状態に至ると考えるのが 妥当である。これらは、至るところで経験する事実である。これは 死後の世界が生まれてくる前のようであると 楽しく想像するのが良いと考えられる。 死とは解放であり、全ては言わば天国への道であると考えられる。
およそこの世の全てのことは 必然である地球の絶滅と共に 滅亡し、世界史は消え、上記のように、地球の誕生以前のような状態に至ると考えれば、心持ちとして、この世の問題は 大したものではなく、もっと気を楽にして、楽しく志向するが良いと思われる。
しかしながら、人生では 始めも分からず、先も分からず、現世もよく分からない人間の実態をしっかりと捉えれば、我々の存在と意識を超えた大いなるものをしっかりと捉えられ、われわれは 意識薄い、幼き頃 母親に抱かれていて、すっかり何もかも任せて安らかにしていた時のように 私たちは愛されている という 信仰をしっかりと確立できれば、人生の切なさから解放されるのでは ないだろうか。 信仰の問題は 個人の心の問題であるから、大いなるものの存在は自明であるとしても、捉え方は 個人の 心の状態によるものと考えられる。しっかりとした信仰を持てる者は まこと幸せであると言える。
しかしながら、意識しようが、しまいが、生けとし生けるものは 死によって すべて解放され、救われることは、歴然であると考えられる。
しかしながら、生命の基本定理、生きて存在しなければ 始まらない。人間存在の原理,存在、智、愛 をしっかりと捉えて置きたい。
以 上

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