2015年3月27日金曜日

17世紀に出現した謎の天体、星の衝突だった 残骸を分析し『nature』誌で発表

17世紀に出現した謎の天体、星の衝突だった
残骸を分析し『nature』誌で発表
2015.03.26

こぎつね座CK。これまでごく普通の新星爆発の残骸と考えられていた。(Photograph by ESO/T. Kamiński)
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17世紀にヨーロッパ各地の空で観測された激しい爆発は、どうやら「新星」ではなく、めったに見られない星の衝突だったとする研究成果が23日、学術誌『nature』に発表された。
天文学者たちは長い間、この天体を新星と考えていた。新星とは恒星の表面に起こる爆発のこと。恒星が一生を終える際の超新星爆発に比べると規模は小さい。
ところが発表された論文によると、17世紀の爆発の残骸である「こぎつね座CK」を詳細に調べたところ、二つの星が激しく衝突する際に起こる「レッド・トランジェント(高輝度赤色新星)」と呼ばれる現象であることがわかった。
レッド・トランジェントは比較的珍しいタイプの星の衝突とされる。今回の論文を執筆したヨーロッパ南天天文台のトマシュ・カミンスキー氏によると、衝突の際に生じた元素から、このときの衝撃がきわめて激しいもので、星同士が互いに正面から衝突した可能性もあるという。
はくちょう座に出現した謎の星
1670年、新しい星が空に現れた。はくちょう座の頭付近でこの星が初めて観測されたのは6月。夏の間はずっと見えていたが、秋になって消えていった。
1671年3月、この星は再び姿を現し、その年の夏にはかつてないほど明るく輝いた。月面図を作成したヘヴェリウスやジョバンニ・カッシーニ(土星探査機カッシーニの名前の由来となった人物)といった当時の天文学者らは、この星が同年10月に消えるまで観測を続けた。1672年にもう一度だけかすかに輝いたものの、その後は二度と現れなかった。

ポーランドの天文学者ヘヴェリウスは、1670年にはくちょう座の頭付近に現れた新星を観測した。図はヘヴェリウスが作成し、英王立協会を通じて公表された。(PHOTOGRAPH BY ROYAL SOCIETY)
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 それから300年以上が経っても、爆発の詳細は謎に包まれたままだった。こぎつね座CKはこの間ずっと、記録に残る最古の新星と考えられてきた。
1980年代になって、アメリカ自然史博物館のマイケル・シャラ氏らが一帯を詳しく観察し、ダンベルのような形をした暗い星雲を発見した。
そして2014年、カミンスキー氏らが3台の望遠鏡を使ってこぎつね座CKの観測を行った。数カ月後、彼らの手元に集められたデータは不可解なものだった。「こぎつね座CKは間違いなく特別な天体だという確信がありました」とカミンスキー氏は言う。
南米チリのアタカマ砂漠にあるAPEX望遠鏡による観測結果は、こぎつね座CKの残骸に存在する化学物質に奇妙な点があることを示していた。とくに目を引いたのは驚くほど大量の重窒素(窒素の同位体)。また通常は新星の残骸には見られない荷電された分子も存在し、それはこの場所が「分子にとって厳しい」環境であることを意味していた。
こうして研究チームは、謎の天体が新星ではなかったと確信した。集まった手がかりから考えられる結論は、これがレッド・トランジェントと呼ばれる、めったに観測されない星の衝突であるということだった。
最近の衝突とも異なる
二つの星が衝突して起こるレッド・トランジェントの明るさは、新星と超新星の中間くらいだ。カミンスキー氏によると、こぎつね座CKの残骸のそばで確認された荷電分子の中には、最近見つかったほかのレッド・トランジェントの残骸とは一致しないものもあるという。
原因は、爆発の残骸が古いことにあるのかもしれない。ほかのレッド・トランジェントが発生したのはここ数十年の間だが、こぎつね座CKが現在の状態になるまでには300年もかかっているのだ。レッド・トランジェントは近年、銀河系でも観測されている。2002年に出現したいっかくじゅう座V838や、さそり座V1309などがその例だ。カミンスキー氏らは今回、さそり座V1309を参照しながら、こぎつね座CKに含まれる分子の種類を解析した。
2002年、銀河系にいっかくじゅう座V838が出現した。これは1670年に起こった星の衝突と同じ、レッド・トランジェントと呼ばれる現象だ。(PHOTOGRAPH BY NASA, ESA AND H.E. BOND)http://natgeo.nikkeibp.co.jp/atcl/news/15/032500016/

再生核研究所声明216(2015.3.12) 死について、死からの解放について
この問題は 宗教の大きな問題ばかりではなく、死を畏れるは 知恵の始めなりと言われるように、人間にとっては 相当大事な問題ではないだろうか。 再生研究所声明でも相当に触れられてきている:
再生核研究所声明19: 超越への道、悟りへの道
再生核研究所声明 47: 肯定死
再生核研究所声明 63  解脱; 神、自由、不死への道 - 安らかに終末を迎える心得
再生核研究所声明 68: 生物の本質 ― 生きること、死ぬること
再生核研究所声明 99(2012.9.24) 死の肯定、在りよう、儀式、将来への提案
再生核研究所声明 118(2013.5.16): 馬鹿馬鹿しい人生、命失う者は 幸いである、 と言える面もある ― 
再生核研究所声明 120(2013.5.24): 終末の在りようについての 総合的な検討を、遅れている面での 文化を進めよう ― 個人の自由意志の尊重に基づく  肯定死の保証 と 方法の確立を
再生核研究所声明 122(2013.8.1): 神の存在と究極の信仰 - 人間よ 想い煩うことはない。 神は存在して、一切の存在と非存在を しっかりと支えられておられる、 人は必要なときに必要なだけ、 念じるだけで良い。
再生核研究所声明 141(2013.11.14): 結局、人間とは、人生とは 何だろうか、どの様なものか
再生核研究所声明145(2013.12.14): 生きること、人間として在ることの 究極の意義 についての考察
再生核研究所声明149(2014.3.4): 生きること、生命の本質、活動して止まないもの
再生核研究所声明192(2014.12.27): 無限遠点から観る、人生、世界
再生核研究所声明203(2015.2.4): 人間とは何か、人生とは何か
再生核研究所声明205(2015.2.11): 宿命論
上記からも分かるように、人生の問題は 相当に死の問題に関わっていることが分かる。多くの人は 死からの解放、自由になれることを望んでいるのではないだろうか。そこで、そのような視点から、その心得を率直に纏めてみたい。
まず、死の実体であるが、死によって我々の精神活動は停止して、何も分からない状態に陥り、一切の感覚を失い、意識を失ったような状態に至ると考えるのが 妥当である。これらは、至るところで経験する事実である。これは 死後の世界が生まれてくる前のようであると 楽しく想像するのが良いと考えられる。 死とは解放であり、全ては言わば天国への道であると考えられる。
およそこの世の全てのことは 必然である地球の絶滅と共に 滅亡し、世界史は消え、上記のように、地球の誕生以前のような状態に至ると考えれば、心持ちとして、この世の問題は 大したものではなく、もっと気を楽にして、楽しく志向するが良いと思われる。
しかしながら、人生では 始めも分からず、先も分からず、現世もよく分からない人間の実態をしっかりと捉えれば、我々の存在と意識を超えた大いなるものをしっかりと捉えられ、われわれは 意識薄い、幼き頃 母親に抱かれていて、すっかり何もかも任せて安らかにしていた時のように 私たちは愛されている という 信仰をしっかりと確立できれば、人生の切なさから解放されるのでは ないだろうか。 信仰の問題は 個人の心の問題であるから、大いなるものの存在は自明であるとしても、捉え方は 個人の 心の状態によるものと考えられる。しっかりとした信仰を持てる者は まこと幸せであると言える。
しかしながら、意識しようが、しまいが、生けとし生けるものは 死によって すべて解放され、救われることは、歴然であると考えられる。
しかしながら、生命の基本定理、生きて存在しなければ 始まらない。人間存在の原理,存在、智、愛 をしっかりと捉えて置きたい。
以 上


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