2015年3月27日金曜日

1300年で成功者は2人だけ! 1000日間48kmを歩き続け、脱落者は即切腹…過酷すぎる「大峯千日回峰行」を終えた僧の言葉

1300年で成功者は2人だけ! 1000日間48kmを歩き続け、脱落者は即切腹…過酷すぎる「大峯千日回峰行」を終えた僧の言葉
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2015.03.20
1300年で成功者は2人だけ! 1000日間48kmを歩き続け、脱落者は即切腹…過酷すぎる「大峯千日回峰行」を終えた僧の言葉
1,300年間でわずか1人しか達成していなかった修行、「大峯千日回峰行」の2人目の成功者となった、慈眼寺住職・塩沼亮潤氏のスピーチ。奈良県・大峯山の山道を1日48km、1,000日間歩き続ける極限状態の中で綴った自らの手記を振り返り、命がけの修行の先に学び得た「人間として大切なもの」について語りました。(TEDxTohoku 2014より)
【スピーカー】
大峯千日回峰行大行満大阿闍梨 慈眼寺住職 塩沼亮潤 氏
【動画もぜひご覧ください】
3 Mindsets that Connect the World | Ryojun Shionuma | TEDxTohoku
1,000日間歩き続ける「千日回峰行」
塩沼亮潤氏:人と人、心と心が通い合っている時、私たちはこの上もない幸せを感じるものです。そのために、私は「感謝の心」、常に自己を省みる「反省の心」、そして相手を思いやる「敬意の心」、この3つがとても大切だと思います。
なぜ私がこういう考え方に至ったかというと、昔「大峯千日回峰行」という修行を通じて得た世界観なのだと思います。
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「千日回峰行」では、1日48kmの山道を1,000日間歩き続け、その行が終わると、今度は9日間「飲まない」「食べない」「寝ない」「横にならない」という修行を続けます。私は幼い頃、この修行をある日テレビで知りました。
とても純粋な気持ちで「この修行に挑戦したい」と思いました。なぜ10代の子供でこのような修行に挑戦したいと思ったのか分かりませんが、小さい頃から「みんなが仲良くするためにはどうしたらいいんだろう」、そして「どうして人と人とは争うのだろう」、「それを解決するには一体どうしたらいいんだろう」ということにとても興味を持っていたからかも知れません。
私が挑んだ「千日回峰行」をお話しする前に、少しだけ日本人が持つ宗教観について説明したいと思います。この日本という国には、昔から日本人が信じてきた「神道」という民族の宗教がありました。
そこに、538年、大陸から「仏教」が伝わり、この2つは共に排他性と独善性が少ないことから、日本において結びつきました。
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大自然に対する共存や感謝の気持ちを大切にする「神道」と、人間がよりよく生きていくための生き方を提示してくれる「仏教」がこの日本という国において深く融合し、やがて(日本人は)「和」の精神を大切にするようになりました。
そして、「大自然に生かされている」という、世界でも珍しい考え方をするようになったのです。例えば、2011年3月11日、この東北という地域を大きな地震と津波が襲いました。私たちは大きな苦しみと多くの困難を抱えました。
深い悲しみの中でも、人々は互いに助け合い、食料を分け合い、「和」の精神を大切にして精いっぱい生きていました。その姿が世界中に発信され、「日本人は素晴らしい」と多くの賞賛を得たと聞いております。
震災からしばらくすると、ある海外のメディアが、「この日本という国の人たちは大自然に生かされているという考え方を持っていて、いつまでも自然を恨んではいない。これには驚きです」とコメントしたことが(私には)とても印象的でした。
そういう信仰観を持つ日本ならではの修行である、まさに大自然と向き合う「大峯千日回峰行」に挑戦するため、私は奈良の吉野山・金峯山寺に向かいました。
「修行の中断=死」という掟
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この行に入ると、1日48kmの山道を16時間かけて毎日歩き続けなければなりません。そして、5月3日から9月3日までの4ヶ月間を行の期間と定め、その間は雨が降ろうが、嵐が来ようが、どんなに体調が悪かろうが、途中で止めることはできません。
もし万が一、自分で止めなければならないと判断したならば、その場で腹を短刀で切って行を終えるという厳しい掟があります。
なぜ、そこまで厳しいかというと、たった1日でも48kmは大変なこと、これを1,000回も続けるということは「死ぬくらいの覚悟がなければ、この行には入ってはいけません」という強い戒めの掟であるからです。命を軽んじている考え方ではありません。
行に入ると、毎日23時30分に起床します。そして滝に入り、装束を整え、おにぎり2つと500mlの水を持って、午前0時半、目指す山頂が24km先にある1719mの大峯山山頂を目指します。
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途中、急な斜面や断崖絶壁のような悪路もあり、まさに一瞬一瞬が命がけです。山頂到着が朝の8時30分。そこでおにぎりと水を補給し、また来た道をたどって帰ってくると夕方の3時半。そこから掃除、洗濯、次の日の用意をして、また4時間半ほどの睡眠(の繰り返し)で、この4ヶ月を通します。
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1日のほとんどをおにぎりと水で生活するため、1ヶ月ほどで栄養失調により、ボロボロと爪が割れてきます。3ヶ月目になると、40度を超える気温の中歩きますので血尿が出てしまいます。山では熊、猪、マムシがいつ襲ってくるか分かりません。
そういった中を、日々精いっぱい前を向いて歯を食いしばって修行をします。行の中で、私は心に思ったことを日記に書き綴っていました。それを拝読してみたいと思います。
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「17日目。行者なんて次の一歩が分からないんだ。行くか、行かないかじゃない。行くだけなんだ。理屈なんか通りゃしない。もし行かなけりゃ、短刀で腹を切るしかない。そう、次の一歩が分からないんだ」
苦行中に書き綴った手記
行に入ると、肉体的・精神的に非常な極限状態に日々追い込まれます。しかし、心の中はいつも潤っていました。それはなぜかというと、自分がこの行を通じ、精いっぱい努力をして、いつも心の中で強く「世界の人たちのために何かお役に立てるような人間になりたい」と(いう)夢や希望に満ちあふれていたからかも知れません。しかし、1,300年の中でまだ1人しか達成していないというこの修行は困難を極めました。
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(行の最中に)最低3回は生きるか死ぬかの試練があるといわれております。まず1回目は、大きながけ崩れに巻き込まれそうになったこと。2回目は、熊に襲われかけたこと。そして3回目は、(行に入って)488日目から10日で11kgもやせてしまうという体調不良でした。
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「489日。腹痛い。たまらん。体中の節々が痛くてたまらん。道端に倒れ、木に寄りかかり、涙と汗と鼻水を垂れ流し、でも人前では毅然と(している)。俺は人に希望を与えさせていただく仕事。
人の同情を買うようでは行者失格だと言い聞かせ、やっと蔵王堂に帰ってきた。なんで48km歩けたんだろう。さっき、近所のおばちゃんが『軽い足取りやねえ、元気そうやねえ』と(言ってきた)。
俺は『はい、ありがとうございます』と答えたが、本当は違うんだよ。俺の舞台裏を誰も知る人はいないだろう。いや、知ってくれなくていい。誰に見られることを意識しない。野に咲く一輪の花のごとく、御仏に対し、ただ清く正しくありたい」
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何日も高熱が出て何も食べることができず、そして私は495日目にとうとう山の中で力尽き、闇の中に倒れてしまいました。その時の心境はというと、辛いとか苦しいとかいう感覚はまったくありませんでした。何かに包まれているような、そういう感覚です。
そして朝になったら、自分はここで死を迎えると感じておりました。すると、幼い頃からの記憶が蘇り、色んな人にお世話になったことを思い出し、「こんなところで倒れてはいけない」と強く前に進んだため、自分は今ここにいます。人間は生死をさまようような体験をすると人生観が変わるといいますが、その後に書き綴った日記を読んでみましょう。
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「563日。人間は皆平等であると思います。この地球に生まれ、空気も水も光も平等に与えられていることを感謝しなければならないと思います。夜空の星の数は人間が一生かかっても数え切れないといいます。
それを考えたならば、もっと心豊かに生きていかなければならないと思いました。自分の胸に手をやれば心臓が動いています。
しかし永遠に動いていることはないと思えば、人生という与えられし限られた時間を大切に生きられるはずです。自分を大切にするように、人をも尊重するということも忘れてはいけないと思います。
思いやりの心が私たちに幸せをもたらす道です。朝起きる、歩く、食べる、寝る。人間生活の原点に返り、たった1人お山にいるとこんなことを考えてしまいます」
極限の世界で気付いた「人間として大切な物」
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今から2,500年前、釈尊は「同じことを同じように繰り返して、情熱を持って毎日を過ごしていると悟る可能性がある」と言われました。ここに行の意味があります。日々、汗し、涙し、そして歯を食いしばって歩いていると、「人間として大切な物は何か」ということに気が付き始めます。
その極限の世界で感じたことが「感謝の心」であり、「反省の心」であり、相手を思いやる「敬意の心」だと(いうことです)。しかし、こういうことは日常ではとても当たり前であり、小さい頃に家庭で教わるようなことです。
けれども、自分自身が本当に生きるか死ぬかの瀬戸際になった時、「こういうことが大事だったんだ」ということが心の奥底で実感できるようになるのであります。
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大切なのは、あらゆる存在との調和だと思います。我々1人ひとりはかけがえのない存在であります。誰でも自分が可愛くて、自分が大切です。だからこそ、自分を大切にするように、人も尊重するということを第一に考えなければなりません。
心から相手を思いやる心、言葉や行動が人と人とをつなぎ合わせ、その功徳が回り回って心を潤し、そして我々を光ある人生へと導いていくことでしょう。
争いや対立からは心の喜びは生まれません。今、与えられたこの環境を真摯に受け入れ、向き合ってみることも大切です。向き合うことによって、初めて何かが生まれ、絆が深まります。もちろん、さまざまな問題や困難を抱えてしまうかもしれません。
しかし、互いに尊重し合い、敬意を払い、話し合うことによって、新しい方向性が見えてくる場合もあるのです。私たち東北人も大きな困難と向き合い、そして(互いに)絆を深めてきたからこそ、今ここまで復興してまいりました。
日本人の持つ「和」の精神
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日本人はよくあいまいだと言われますけれども、決してそんなことはありません。多岐にわたる選択肢の中から、人と人とをつなげ、良き方向に考えられる民族です。この「和」の精神を、日本の東北から発信していかなければならないと私は思います。
世界中の人と人、国と国、そして宗教や文化が敬意の心を持ってお互いを尊重し、そして素晴らしい世界が実現することを心から深く願います。世界の平和や我々1人ひとりの人生に幸あれとみんなで祈りましょう。
そして今日も世界のどこかで食料がなく大変な思いをしている人たち、こういう人たちのために、何かできる範囲内で私たちが行動を起こさなければならない時期(に来ているの)だと思います。心を広く持ってみましょう。
この大自然は微妙かつ素晴らしいバランスで包み込まれています。人間がどのような技術をもってしても作れない、素晴らしい世界に包まれているのです。ここにいることだけでも感謝だと思います。
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そして、人と人、心と心が通い合った時、私たちはこの上もない幸せを感じるものだと思います。私たちはそのためにこの地球に生まれてきたんだと思います。皆さんの人生に幸あれと心から願います。ありがとうございました。http://logmi.jp/41508
やり過ぎはよくないのではないでしょうか。

再生核研究所声明85(2012.4.24)食欲から人間を考える ― 飽きること
あらゆる生物の最も基本的な本能は、外部から取り入れるという、食の本能である。生きている顕著な営みであると言える。 この基本的な本能から、人間の基本的な要素を分析、考察し、人生の基本を理解したい。 
認識できる人間は 自己の生命が求めていることを、欲求や欲望、求める、欲しいという感覚で自覚するが、求める、欲しいの 最も基本的なものは、空腹を満たし、食べたいという、欲求である。もちろん、苦痛からの解放など、生存を脅かす状況からの解放は当然である。
このことから 既に、人間が有限の存在であることを知る。食欲といえども食を無限に頂くことはできず、どんな好物でも やがて、飽きるだろう。有限のものを取り入れている存在であると言える。何を頂くか、何を頂きたいかは、我々の生命が何を要求しているかの 要求の自然な表現として現れていると考えられる。基本的には 好きなものを好きなだけ頂くのが 健康にも良いと考えられよう。 その原理は多様な食から、変化を持たせて、適度に頂くが基本ではないだろうか。すなわち、多様性の原理とそれを実現させる 飽きるという重要な感覚がある。 飽きるという感覚が無ければ、食に偏りを生じ、複雑な生命活動を維持するのに支障が生じるだろう。
この声明の趣旨は、ちょうど食欲の状況のように、外部からの情報を取り入れて 豊かな精神活動を展開しようという観点に思いを至らしむことにある:
1) 我々は有限のものしか受け入れられない、制限があること
2) 我々の生命が 心が何を求めているかを 注意深く絶えず、己が心に尋ねること;
生きたい、死にたくない、良く暮らしたい、それらを越えて、生きるということは どのようなことか、自らに問うて行きたい。
3) 何事集中しすぎると飽きてくるので、間を考え、適度に変化を持たせること
4) 生命作用は複雑な存在だから、幅広い世界、情報に接するように配慮すること
5) 年齢、健康状態、環境などに影響をうけること
6) 慣れる、習慣、学習効果などにも配慮すること。
近年、インターネットの普及で、名曲や名画、映画の名場面など繰り返し、繰り返し楽しむことができる時代を迎えている。また、知識や情報が幾らでも入り、友人、知人、友達など幾らでも増やせる自由な時代を迎えている。それゆえに逆に、自己の世界をきちんと整理、制御して、取捨選択をきちんとして行かないと、いたずらに情報に振り回されて、適切でない食生活が健康を害するように、我々の精神を害することになるだろう。大いに気を付け、配慮して行きたい。
食も、飽きるものと、飽きないで、基本的に続けられるものが在ることにも注目したい。確かに定食など永く続けていても 適当な間隔で頂けば、飽きないで永続できるものがある。水やエネルギー源などは 基本的に必要であり、精神活動でも適度な刺激、変化、発見など、同様に基本的に心がけなければならないものが有り、また、いくら続けても、求道、芸術や研究活動などの創造活動のように 続けられる分野 が有ることに注目したい。
したがって、そのような永続するものを しっかりと受け止めて、適当に揺らぎを取り入れた生き方が、人生を豊かにする秘訣であると言えるだろう。
個人にはそれぞれの才に器が有り、生命作用は内部から、湧いている。教育の原理は その生命作用を補助することにある。 日本の公教育の現状は 個人の食欲を弁えず、一方的に強制して与えすぎで、消化不良と分裂、混乱させ、不健康な人間を大量育成している状況が有るのではないかと危惧している。これは、2500年も前に 中国古代で、既に注意されている事実である(再生核研究所声明2:教育方法では、学生の過誤を未発のうちに防止することを予という。学生の学習状況に応じて、ちょうど好い時に教えることを時という。学生の(受容能力の)程度を越えぬようにして授業することを孫(順当)という。 学生が互いに注意して言行を善美にしてゆくように指導すること、これを摩(磨)という。 これらの四事は、教育の効果を大きくする善法である。)。
美しいものをみたい、聞きたい、義に生きたい、人生の意味を知りたい、真相を知りたい、世の法則を知りたい、道を究めたい などなどは、食欲と同様、我々の生命が求めているのである。 実際、我が生命は 何を求めているのか と 絶えず、自らに問うべきである。 これは 人生の基本定理 を内から表したものである(再生核研究所声明 12:人生、世界の存在していることの意味について)。
以 上

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