2015年3月17日火曜日

「世界最古」13世紀の金属活字本、韓国人研究者が発見か

「世界最古」13世紀の金属活字本、韓国人研究者が発見か

「2012年に宝物指定された『証道歌』は、木版本ではなく金属活字本」
公認されれば世界出版史を書き直す画期的発見
「世界最古」13世紀の金属活字本、韓国人研究者が発見か
金属活字を用いた世界で最も古い印刷物とされる『直指心体要節』(1377年刊行)より138年も早い、13世紀初めの金属活字本が見つかったという主張が提起された。
韓国の代表的書誌学者、パク・サングク韓国文化遺産研究院長(69)は16日「2012年に『宝物第758-2号』に指定された『南明泉和尚頌(しょう)証道歌』は、木版本ではなく金属活字本。これは、現存する世界最古の金属活字印刷物『直指心体要節』より138年早い1239年に刊行された、最古の金属活字本」と発表した。学界で公認されれば、世界の出版史を書き直す画期的な発見となる。
■「金属活字本を木版本と評価」
『南明泉和尚頌証道歌』(以下『証道歌』)は、唐の僧侶、玄覚(665-713)が悟りの境地を歌った証道歌の文言の後に、宋の南明法泉禅師が「継頌(証道歌に付する詩)」を付けたもの。高麗の高宗26年(1239年)、当時の武臣政権で最高権力者だった崔怡(チェ・イ)が記した跋文(ばつぶん)が残っている。学界ではこれまで、この跋文を「前に鋳字本(金属活字本)として刊行した証道歌があったが、伝えられておらず、刻工を募集して木版本として刊行することにした」と解釈してきた。1984年、サムスン出版博物館が所蔵する木版本が宝物第758号に指定された。
その後2012年に、空印博物館(慶尚南道梁山)のキム・チャンホ館長が「『証道歌』の別の版本を所蔵している」として文化財指定申請を行い、文化財委員会は「サムスン出版博物館の所蔵本と同じく、1239年に鋳字本を翻刻した木版本」と判定し「宝物第758-2号」に指定した。これまで韓国では、この証道歌の金属活字本は残っていないと考えられていた。
許允僖(ホ・ユンヒ)記者
朝鮮日報/朝鮮日報日本語版

再生核研究所声明152(2014.3.21) 研究活動に現れた注目すべき現象、研究の現場
今回、100/0=0,0/0=0の発見と研究活動で いわば、研究のライブの状況が明瞭に現われたので、研究の現場の状況として纏めてみたい。多くはメールや文書で 時刻入れで 文書が保管されている。一般的に注目すべきことはゴシック体で記そう。
まず、発見現場であるが、偶然に 印刷された原稿を見て発見したと言うことである。思いがけないことに、気づいたということである。言われてみれば、当たり前のことで、気付かない方がおかしく、馬鹿みたいなことになるだろう。たわいもないものの類である。しかし、結果が尋常ではないので、大事だと 説明されても、原稿を見せても そんなものは駄目、全然価値が無いと結構多くの人が大きな批判を寄せてきたのは 大いに注目に値する。わざわざ複数の外国からメールがいわば上司にきて、批判して、研究内容について意見を求めるメールさえ するのを禁じられた程である。予断と偏見によるもの、が大部分であると判断できる。それから 価値観に本質的な違いがあること を露わに実感した。原稿を見て、これは 面白いと捉えて 研究を発展させて素晴しい論文を書かれた者がいる一方 そんなの 駄目だ で、ただ批判して傍観している者。これは 研究者の素養として、能力として極めて大きな問題ではないだろうか。研究内容の、良い、悪いが判断できない、興味、関心が無い。愛が無ければ見えない、進まないは 基本では? 研究において、最も大事なのは、愛が有るか、関心が有るか、価値を認められるか、好奇心が有るかではないだろうか。 これらが無ければ、幾ら宝のようなものに出会っても、探し出せないのではないだろうか。あることに 高い価値を見出し、情熱的に追及して行く精神は、研究者としての素養として大事ではないだろうか。良いか、悪いか評価できなければ、判断出来なければ、唯 夢中で何かの延長を 他を意識して進めるだけになってしまう。良いものを 良いと評価できる能力は、理解力、解決力、創造力などと共に大事な能力ではないだろうか。場合によっては、人格の高潔さにも依存する要素も多い。意図的に無視するは 世に多いからである。
それから、新しい考え、発想が無意識の内に湧いてくる ものであるという、事実である。目を覚ましたら解けていた、新しい考えで 突然目を覚ましたと繰り返して書いてきた。それから、それらは精神状態によるのであるが、コーヒー、茶、特にジャスミン茶で 大いに興奮して、どんどん考えが湧いて来るのを実感した。結構、そのようなものの影響も無視できない。
それから研究活動で大事な要素は 積極性である。今回、多くの人が 研究に参加されたが、意外な人が 意外な才能を発揮して、意外な視点を 指摘され、発展させてくれたという顕著な事実である。全然興味を懐かないような人でも 話すと興味を示し、大きな貢献をしてくれた。現在のように忙しく、論文を送られてきても読む暇も、関わる余裕も無いは 世に多い現象であるが、直接話すと 本質を理解されて、興味を懐くは 世に多い。直接交流の重要性を指摘しておきたい。メールなどでも、交信からいろいろな刺激を受け、考えが湧く素に成るのは多い、精神が鼓舞される場面も多い。それから、凄い発見を事実上していても、理解が難しい、あるいは批判を恐れて 追求を諦めてしまう、主張を避けて諦めてしまうのは 世に多いのではないかとも感じられる。良いものを発見しても、認められるまで、努力するのは そう簡単なことではないように感じられる。
最後に 研究の最も大事な心を 2014.3.11ブログに書いた記事を編集して記して置こう:
特異点解明の歩み100/0=0,0/0=0:関係者: 独断と偏見、人類の知能
ふと思い浮かんだ: 天才少年の質問(再生核研究所声明 9: 天才教育の必要性を訴える ):
0.999…. = 1 の意味は、何か
当時8歳の少年でした。私は だれをも納得させる明快な解答を与えたが、相当な、国内外の相当な数学者に尋ねたが これまで誰からも満足する解答を得なかった。これは 知識で、学んでいて 理解が薄っぺらなことを言っているのではないだろうか。少しも、真智を求めては来なかった:
― 哲学とは 真智への愛 であり、真智とは 神の意志 のことである。哲学することは、人間の本能であり、それは 神の意志 であると考えられる。愛の定義は 声明146で与えられ、神の定義は 声明122と132で与えられている。― 再生核研究所声明148.(もっとも何でも は 究められない)
それ故に、ゼロで割る考えが 思い浮かばなかったのでは。人類の知能は その程度である。真智を求めている者は 世に稀であり、多くは断片的な世界に閉じこもり、埋没し、自己さえ見失っている。また、日常生活に埋没していると言える。
以 上


再生核研究所声明161(2014.5.30)ゼロ除算から学ぶ、数学の精神 と 真理の追究
(5月28日、宿舎から研究室に向っているとき、芝生の先に 木立ちが有り、その先に 入り江が見える情景を見て、エデンの花園のように感じた. そして、この声明の原案とエデンの花園の声明構想が閃いた。)
ゼロで割るを グーグルで調べると、2014.5.28.13:35現在
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1. ゼロ除算 - Wikipedia
ja.wikipedia.org/wiki/ゼロ除算
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ゼロ除算(ゼロじょざん、division by zero)は、0 で除す割り算のことである。このような除算は除される数を a とするならば、形式上は a⁄0 と書くことができるが、数学において、この式と何らかの意味のある値とが結び付けられるかどうかは、数学的な設定に ...
‎算数的解釈 - ‎初期の試み - ‎代数学的解釈 - ‎ゼロ除算と極限
2. 数学で「A÷0」(ゼロで割る)がダメな理由を教えてください ...
detail.chiebukuro.yahoo.co.jp ›... › 数学
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14/05/2007 - maru_i_nekoさん. 答えが ないから。 たとえばー 5÷0=Bとしましょうか。B×0=いくつに なりますか。 ゼロですよね。 とゆーことは、Bはゼロ?と思っちゃいますが、それだったらゼロ×ゼロが 5になってしまいます。おかしいですよね。
となっていて、290万件あるが、非常に当たり前の議論が多く、いわば、常識的な議論が多く、考え方などが幼稚であると考えられる。なを、6番目に再生核研究所の最近の成果が述べられている:
1. 再生核研究所声明154(2014.4.22) 新しい世界、ゼロで割る ...
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YoshinoriSaito
21/04/2014 - 再生核研究所声明154(2014.4.22) 新しい世界、ゼロで割る、奇妙な世界、考え方 再生核研究所声明148で 結構詳しい状況について説明し、特異点解明:100/0 =0,0/0=0 として 詳しい状況はブログなどでも公開、関係文書は保管されている。2月2日考えを抱い ...
そこで、 その問題から、 数学的な考え方と、創造的な精神について触れたい。
まず、どうしてゼロで割れないのか、という疑問が、繰り返し問われているが、これは世に問われている多くの問題、神の問題などと同様に、論理的に 発想そのものが 相当おかしな議論と言える。
これは、割り算の定義をしっかりさせないで、ふらふら議論している、神の定義もしないで、神のことについていろいろ議論を繰り返している。問題にしている、問題の意味を理解しないで、論じている訳であるから、まことに奇妙な議論であるが、世に多いと言える。注意したい。( 逆に言えば、難しい問題とは、問題の意味さえ分からないとも言える)。
次に、真面目に議論して、割り算、分数の定義に基づいて、 不可能である という議論が多い。それは、それで正しいが、ここで、重要な数学の考え方を指摘したい。
数学で不可能である、できないということは、数学のそういっている数学の理論体系では不可能であるといっている事実である。 数学上の不可能は、そういっている理論体系では 不可能であることをいっている。これは、裏からみれば、それを可能にする理論体系、数学が、考え方が、有るかも知れない という発想に繋がる。上記、グーグル、あるいは人類の歴史上、そのように発想しなかったのは、人類の愚かさであり、永い間の盲点であったと言える。― 実際、数学者が、可能にする考えは無いか と問うのは当たり前のことであるが、ゼロ除算は できないという、 先入観で考えなかったのではないだろうか。 しかし、 その問題は、物理学では ブラックホール現象や、ニュートンの万有引力の法則に 深刻な問題を提起してきている、事実もある。― 実際に、自然に割り算の定義を拡張して、簡潔な結果、ゼロで割れば、何時でもゼロであるという結果が導かれた。それらは、高校生レベルの数学で十分であった:
再生核研究所声明148(2014.2.12)100/0=0, 0/0=0 - 割り算の考えを自然に拡張すると ― 神の意志
再生核研究所声明154(2014.4.22)新しい世界、ゼロで割る、奇妙な世界、考え方
再生核研究所声明157(2014.5.8)知りたい 神の意志、ゼロで割る、どうして 無限遠点と原点が一致しているのか?
数学については、上記声明の中で、発見の詳しい状況、位置づけなどについても触れているが、 新しい結果は、予想できない、驚嘆すべき結果を述べている。複素解析学では、1/0 は無限遠点、無限と考えられており、実数でも ゼロを小さな正か、 負の数でゼロに近づくと考えれば、正の無限大や、負の無限大に発散すると考えるのが、世の常識である。 それが突然、ゼロであるとして、強力な不連続性を示しているからである。 上記声明の中で、世に有る爆発や接触などの強力な不連続性を示す、 基本的な現象の型を与えるのではないかとの明るい、予想を展開している。 ここで、触れたいのは、全く、新規な現象が現れたときの 我々の取り組む姿勢、精神の問題である。
まず、人間とは何者であるかを確認したい:
― 哲学とは 真智への愛 であり、真智とは 神の意志 のことである。哲学することは、人間の本能であり、それは 神の意志 であると考えられる。愛の定義は 声明146で与えられ、神の定義は 声明122と132で与えられている。―
人間は何でも知りたい、究めたい、それが本能である。 しかしながら、そんなのはつまらない現象であると理解して、考えない英明な方は、それも もちろん良いのであるが、いろいろ考えると楽しいと想像するのが、真理を追究する人間の姿勢に合っているのではないだろうか。ユニバースには 何でもありで、いろいろ裏があると考える方が、人生や研究を豊かにするのではないだろうか。 ユニバースと数学は どのように成っているのか、知りたいと考える。
新しい割り算の意味の位置づけ、評価は 世界史が明らかにするわけであるから、どのような影響を 世界史に与えるかは、もちろん、直ぐには分らない(再生核研究所声明 41:  世界史、大義、評価、神、最後の審判)。
以 上
文献:
M. Kuroda, H. Michiwaki, S. Saitoh, and M.Yamane,
New meanings of the division by zero andinterpretations on 100/0=0 and on 0/0=0, Int. J. Appl. Math. Vol. 27, No 2 (2014), pp. 191-198, DOI:10.12732/ijam.v27i2.9.
S. Saitoh, Generalizedinversions of Hadamard and tensor products for matrices, Advances in LinearAlgebra & Matrix Theory. Vol.4 No.2 2014 (2014), 87-95.http://www.scirp.org/journal/ALAMT/
以 上

再生核研究所声明176(2014.8.9) ゼロ除算について、数学教育の変更を提案する


実数の世界でも、複素数の世界でも ゼロで割ることは考えないのが 世界の常識である。しかしながら、ゼロで割れば、ゼロであるは もはや 数学的に確定している と言える:


特に声明154で、 まず結果は、分数を拡張して、自然に100割るゼロを考えると、何でもゼロで割れば、ゼロで、面白いのは、どの様に考えを一般化しても、それに限ると言うことが証明されたことである。導入、動機、一意性、すなわち、それ以外の考えが無いこと、それらが、高校レベルの数学で、簡単に証明されたと言う事実である。出版された論文は、高校生にも十分理解できる内容である。具体的な結果は、
関数 y = 1/x のグラフは、原点で ゼロである。 さらに、道脇裕氏は ゼロ除算が不可能であるとの世の誤解の原因が 除法が乗法の逆であるとの考えにあると考えられ、ゼロ除算は、除法の固有の意味からも自明であると述べられている(再生核研究所声明171)。詳しい経過などは 一連の声明を参照:


再生核研究所声明148(2014.2.12)100/0=0, 0/0=0 - 割り算の考えを自然に拡張すると ― 神の意志
再生核研究所声明154(2014.4.22)新しい世界、ゼロで割る、奇妙な世界、考え方
再生核研究所声明157(2014.5.8)知りたい 神の意志、ゼロで割る、どうして 無限遠点と原点が一致しているのか?
再生核研究所声明161(2014.5.30)ゼロ除算から学ぶ、数学の精神 と 真理の追究
再生核研究所声明163(2014.6.17)ゼロで割る(零除算)- 堪らなく楽しい数学、探そう零除算 ― 愛好サークルの提案
再生核研究所声明166(2014.6.20)ゼロで割る(ゼロ除算)から学ぶ 世界観
再生核研究所声明171(2014.7.30)掛け算の意味と割り算の意味 ― ゼロ除算100/0=0は自明である?


グーグルの検索でも膨大な情報が有る:
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1. Division by zero - Wikipedia, the free encyclopedia
en.wikipedia.org/wiki/Division_by_zero
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In mathematics, division by zero is division where the divisor (denominator) is zero. Such a division can be formally expressed as a/0 where a is the dividend ...
‎Indeterminate form - ‎Riemann sphere - ‎USS Yorktown (CG-48) - ‎Zero divisor
(2014:7:30:5:45)
が、不適切なものが大部分で、世の教科書、学術書、研究著書など 広範な記述が 真実に反している と言える。

再生核研究所声明199(2015.1.15) 世界の数学界のおかしな間違い、世界の初等教育から学術書まで間違っていると言える ― ゼロ除算100/0=0,0/0=0
ゼロ除算は 西暦628年インドでゼロが文献に記録されて以来、問題とされてきた。ゼロ除算とは、ゼロで割ることを考えることである。これは数学の基本である、四則演算、加法、減法、乗法、除法において、除法以外は何時でも自由にできるのに、除法の場合だけ、ゼロで割ることができないという理由で、さらに物理法則を表す多くの公式にゼロ除算が自然に現れていることもあって、世界各地で、今でも絶えず、問題にされていると考えられる。― 小学生でも どうしてゼロで割れないのかと毎年、いろいろな教室で問われ続いているのではないだろうか.
これについては、近代数学が確立された以後でも、何百年を越えて 永い間の定説として、ゼロ除算は 不可能であり、ゼロで割ってはいけないことは、初等教育から、中等、高校、大学そして学術界、すなわち、世界の全ての文献と理解はそうなっている。変えることのできない不変的な法則のように理解されていると考えられる。
しかるに2014年2月2日 ゼロ除算は、可能であり、ゼロで割ればゼロであることが、偶然発見された。その後の経過、背景や意味付け等を纏めてきた:
再生核研究所声明 148(2014.2.12) 100/0=0, 0/0=0 - 割り算の考えを自然に拡張すると ― 神の意志
再生核研究所声明154(2014.4.22) 新しい世界、ゼロで割る、奇妙な世界、考え方
再生核研究所声明157(2014.5.8) 知りたい 神の意志、ゼロで割る、どうして 無限遠点と原点が一致しているのか?
再生核研究所声明161(2014.5.30)ゼロ除算から学ぶ、数学の精神 と 真理の追究
再生核研究所声明163(2014.6.17)ゼロで割る(零除算)- 堪らなく楽しい数学、探そう零除算 ― 愛好サークルの提案
再生核研究所声明166(2014.6.20)ゼロで割る(ゼロ除算)から学ぶ 世界観
再生核研究所声明171(2014.7.30)掛け算の意味と割り算の意味 ― ゼロ除算100/0=0は自明である?
再生核研究所声明176(2014.8.9) ゼロ除算について、数学教育の変更を提案する
Announcement 179 (2014.8.25): Division by zero is clear as z/0=0 and it is fundamental in mathematics
Announcement 185 : The importance of the division by zero $z/0=0$
再生核研究所声明188(2014.12.15)ゼロで割る(ゼロ除算)から観えてきた世界
再生核研究所声明190(2014.12.24)
再生核研究所からの贈り物 ― ゼロ除算100/0=0, 0/0=0
夜明け、新世界、再生核研究所 年頭声明
― 再生核研究所声明193(2015.1.1)― 
再生核研究所声明194(2015.1.2)大きなイプシロン(無限小)、創造性の不思議
再生核研究所声明195(2015.1.3)ゼロ除算に於ける高橋の一意性定理について
再生核研究所声明196(2015.1.4)ゼロ除算に於ける山根の解釈100= 0x0について
ところが、気づいてみると、ゼロ除算は当たり前なのに、数学者たちが勝手に、割り算は掛け算の逆と思い込み、ゼロ除算は不可能であると 絶対的な真理であるかのように 烙印を押して、世界の人々も盲信してきた。それで、物理学者が そのために基本的な公式における曖昧さに困ってきた事情は ニュートンの万有引力の法則にさえ見られる。
さらに、誠に奇妙なことには、除算はその言葉が表すように、掛算とは無関係に考えられ、日本ばかりではなく西欧でも中世から除算は引き算の繰り返しで計算されてきた、古い、永い伝統がある。その考え方から、ゼロ除算は自明であると道脇裕氏と道脇愛羽さん6歳が(四則演算を学習して間もないときに)理解を示した ― ゼロ除算は除算の固有の意味から自明であり、ゼロで割ればゼロであるは数学的な真実であると言える(声明194)。数学、物理、文化への影響も甚大であると考えられる。
数学者は 数学の自由な精神で 好きなことで、考えられることは何でも考え、不可能を可能にし、分からないことを究め、真智を求めるのが 数学者の精神である。非ユークリッド幾何学の出現で 絶対は変わり得ることを学び、いろいろな考え方があることを学んできたはずである。そのような観点から ゼロ除算の解明の遅れは 奇妙な歴史的な事件である と言えるのではないだろうか。
これは、数学を超えた、真実であり、ゼロ除算は不可能であるとの 世の理解は間違っている と言える。そこで、真実を世界に広めて、人類の歴史を進化させるべきであると考える。特に声明176と声明185を参照。ゼロ除算は 堪らなく楽しい 新世界 を拓いていると考える。
以 上


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