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山本直人2015年03月04日 11:10ベネッセの戦略は「ファスト教育」なんだろうか?
ここしばらく家で仕事をしている日が多いので、昼や夕方は料理をつくったりしながらテレビを見ているんだけど、何が目立つってベネッセのCMが多いこと。この時間帯にテレビ見ている社会人は少ないのだろうけど、ホントに多い。子どもとその親は相当にCMのシャワーを浴びているんだろう。
ベネッセの個人情報流出が発覚したのが、昨年の7月。11月頃から「人は一生育つ」というメッセージの企業広告をスタートさせた。
ただ、この表現はちょっと「高いところ」からの物言いでもある。あの事件から間もないこともあって、「ほほう、では御社はどう成長されるのですか」と突っ込んでみたくなるような感じもしたんだけど。
で、ここに来ていろいろと出てきた。
コンビニでプリペイドカードを販売して、誰でもすぐに参加できる「BenePa」は顧客情報の登録なしというまったく新しいシステムで話題になった。
で、ここに来て進研ゼミのデジサプリというCMがガンガン増えてきた。これはipad対応のようなんだけど、一方でチャレンジパッドという専用タブレットの無料キャンペーンもある。一方で、少し前から本田圭祐も登場している。
後から後から、どんどん手を打っているのはわかるんだけど、全体としてどこに行くのか?というのがいま一つわからないなあ、と思いつつ、この感じ何かに似てるなあ、とずっと気になっていた。
で、ふと思ったんだけど、どこかマクドナルドとかのファストフードに似ていないか?
いや、社長がそっちから来たからとかじゃないとは思うんだけど、ファストフードの方法はある意味一貫性がないことを強みにしてきた。コーヒーを100円に、どころかある時期はタダにしたこともあったし、その一方で高価格のハンバーガーを売ったり、オペレーションを変えたりと、とにかくトライしてみることが大切なのはよくわかる。
そして、ファストフードの客は匿名性が高い。腹が空いた時に食べたいものを食べる。その日の気分で、行きたい店に行く。ケータイクーポンとかあるけど、刹那的な関係が基本の「点」の関係だ。
これはベネッセのような教育ビジネスとはまったく逆だ。「人は一生育つ」のだからこそ、その人の「線」を共有して伴走する。そして、教育以外の「面」に広げて老人ホームなどにも進出してきた。
そういう意味では今の取り組みは「ファスト教育」という試みに思える。そして、ライバルも変化する。「受験サプリ」で成果を上げたリクルートは小中学生向けに「勉強サプリ」というサービスのCMを始めていて、夕方のテレビとか見ていると相当の大混戦だ。
人口推移のグラフを見てもらえればわかるように。これからの教育市場は一段と厳しくなっていく。デジタルデバイスの普及で「ファスト教育」的な試みは、どんどん増えていくだろう。一方でZ会の東大個別指導教室のような方向性も注目されてる。
それにしても「受験サプリ」が先行する中で、「デジサプリ」とは、思い切り正面からぶつけてきたなぁと思ったんだけど、この辺もファストフードの商品ネーミングと似ているのかもしれない。
いずれにせよ、2015年は、教育ビジネスの大転換点だったなあ、という年になるんじゃないかと思う。http://blogos.com/article/106990/
確かに教育とは何か、原点に戻って考える必要があるのでは。先ばかり、技術ばかりがあって心が無いでは。
再生核研究所声明 17 (2008/7/25) 教育界の改革を求める
大分県の教育界における不祥事は、いくら日本国が 空虚な日本の社会(再生核研究所声15)といっても 流石に健全な批判が湧いてきたのは当然である。身近な点から問題点を考察すると、試験がたとえ公正にできたとしても、全然問題は解決しないのではないでしょうか。 第一に、試験問題が適切であるかどうか、広く日本中で検討してみる必要があるのではないでしょうか。さらに、面接試験という大事な場面を迎えますが あのような体質で、より良い学生を公正に選ぶことができるか 検討する必要があると考えます。
試験内容について、例えば、数学専攻で、教育学部長をされた ある先生の嘆きを思い出します。大学でいくら専門の数学を熱心に勉強しても 専門の数学は採用試験には出題されず、大学受験や高校程度の数学の問題しか出題されず、それで、大学で熱心に勉学している学生よりも、家庭教師や塾でアルバイトをしている学生の方が有利になってしまい、実際、合格率も高いという嘆きです。これでは数学教育界が、数学の本当の精神や深い専門的な内容などよりは 受験勉強に代表されるような問題解きの技術の勉強になってしまうのではないでしょうか。 実際、入学して来る多くの大学生は 数学は問題解きであり、多くの技術を学ぶのが数学だと思っているのが現状ではないでしょうか。これでは創造性豊かな教育や本来の数学教育の目標からは ほど遠いのではないでしょうか。
一般に試験について、何十年も前に あるラジオ ニュースで聴いたことが なぜか何時も気になります: ネジの検査で、良いものを落とし、悪いものをわざわざ選んでいたというのです。わざわざ数学嫌いな生徒を育てたり、悪い教育を行っているような事は 至る所に見られる現象ではないでしょうか。
他方、教育には善良な市民を育成するという大事な面があるはずです。その大事な考えの一つには個性を活かし、公正な社会を実現することにあるのではないかと考えます。しかし、教育委員会の指導的な人達が 自ら信じられないような不正を行っていて、そのような方々が面接したり、教員を指導しているという事は如何なものでしょうか。大分で起きた事件は 大分県の特殊性から出てきたものではない以上、日本中で同じような状況ではないでしょうか。人事の刷新を行い、教育改革を進めるように訴えます。
このような状況で、教員更新性の導入を行えば、教育界はますます混乱し、よい事は何もないと考えます。マイナス要素を挙げてみたいと思います。
(1)教員の忙しい状況の中で、さらに時間と余計な気遣いの負担を増加させる。
(2)財政難で国がおかしくなるような状況の中で、さらに大きな資金と労力をかける事になる。
(3)更新講習は形式的になり、効果が望めず、逆効果が考えられる。また講習で改善されるような教員は初めから、問題が無いと考えられる。
(4)更新されなかった教員の生活や身分の問題が解決できなければ、結局更新の問題は解決できず、いわば余計なことをすることになる。
(5)このような制度の導入そのものが、教員の身分を不安定にし、教育上良くない効果を生むと考えられる。
などなどですが、そのようなことに 時間とお金 をかけるくらいならば、
忙しい先生に休暇とお手当てを配布した方が 遙かに効果的ではないでしょうか。
日本国の再生のために、試験問題の作成委員や面接する人を 見識ある人物に代えるばかりではなく、教育界の全般的な改革と刷新を行うように 多くの関係者に求めます。またマスコミの積極的な取り組みを要請致します。 以上。
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