2016年8月26日金曜日

氷バケツ運動で「難病研究に大成果」は誤報 科学報道の課題浮き彫りに

氷バケツ運動で「難病研究に大成果」は誤報 科学報道の課題浮き彫りに

アイス・バケツ・チャレンジ」がソーシャルメディアで大流行してから2年。この運動は、難病である筋萎縮性側索硬化症(ALS)の新治療法発見に向けた研究に1億ドル(約100億円)以上の寄付をもたらした。

メディア各社は先月、この寄付金が「ブレークスルー(突破口)」となる発見につながったと報じた。この情報の基になったのは、ALS治療の道を開く可能性があるNEK1という「新しい」遺伝子が見つかったという米国ALS協会のメディア向け声明だった。

だが、これは本当に画期的な発見だったのだろうか?

医療関連ニュースを検証するウェブサイト「ヘルスニュースレビュー」によると、NEK1は新しい遺伝子でもなければ、ほとんどのALS患者にとって有効な治療にはつながらない見込みだという。

同サイトのエディターらは、ALS協会のリリースが言及している研究論文の執筆者らに連絡を取り、多くのメディアが報じた内容が誤りであったことを確認するのに「ほんの一瞬」しかかからなかったと述べている。

米オレゴン健康科学大学のビナイ・プラサド助教授はこう厳しく指摘する。「執筆者らは『新しい』遺伝子を特定したわけではない。この遺伝子は既に(ALSとの)関連が指摘されていた。また該当論文の中でさえも、この遺伝子がALS患者の3%以下にしか現れていないことが示唆されている。この発見と患者の症状改善との間にある隔たりは、地球から冥王星までの距離に等しい」

米国立衛生研究所の元研究員、スーザン・モルチャンも同様の見解を示した上で、ヘルスニュースレビューに対し、ある遺伝子と特定の病気との関連性が明らかになったとしても、その遺伝子が病気を引き起こしていることにはならないと指摘。

さらに、こうした発見が新薬の開発につながるには数十年を要する上に、失敗に終わる場合も多いことにも留意すべきだと述べている。モルチャンは「『ブレークスルー』との言葉にはノーと言うように」と助言している。

ALS協会の肩を持てば、この「ブレークスルー」という禁断の言葉は、過熱報道の基となった同協会のプレスリリースには使われていなかった。リリースには、アイス・バケツ・チャレンジから得られた寄付により、ALS患者1万5,000人のゲノム解析を行う国際的取り組み「プロジェクトMinE」への出資が可能となったと書かれていた。

リリースではさらに、NEK1の役割に関する知見を説明し、さらなる研究によって「治療法の開発に向けた重要な新指標が提供されるだろう」と述べている。

研究結果がプレスリリースにまとめられて発表された際には、常に基になった資料(今回の場合は科学誌ネイチャー・ジェネティクスの記事)を参照し、発見の具体的内容を確認することが大切だ。アイス・バケツ・チャレンジがもたらした「突破口」をめぐる報道は、研究結果が拡大解釈して伝えられ炎上した事例の一つとなった。http://blogos.com/article/188172/

再生核研究所声明 269(2015.12.30): テレビ、新聞の報道内容について

(これは あるテレビを見ていて そのような内容、誰に向かって報道しているか と疑問を感じたので、マスメディアの報道内容について、考察して置きたい)

関係する声明をまず確認したい:

再生核研究所声明219(2015.3.20)報道における理系関係の充実を
再生核研究所声明201(2015.1.23)ドラマ、言論、文芸、世相、関心を 近未来志向にしよう
再生核研究所声明186(2014.12.6)ニュースの価値について
再生核研究所声明170(2014.7.25)NHK連続テレビ小説「花子とアン」― 蓮子様の気持ち
再生核研究所声明 109(2013.2.8)中国の出軍は、道理であり、日本の出軍は憲法違反である - 公正と法とは何か、おかしな日本のNHKと世相

新聞でもテレビでも 内容が豊富すぎて 極く一部しか 普通は見られないという現実、しかしながら、膨大な情報を広く公開しているという事実が大事である。愛が無ければ見えないで、関心を懐かない部分は 普通は無視、目にもしないから、害がないとも言えるが、問題はテレビでは 黄金時間帯、新聞でも大きな文字は自然に目が止まる。いわゆる大きなニュース、題材が適当かという観点である。題材の、素材の価値評価を 精選する形で、放映、報じて欲しいということである。具体例を挙げたいが、挙げれば 逆にいろいろ反論、批判、問題が生じると思うので、抽象的に、それはそのように報道し、放映する必要が有るかと 絶えず考察、検討、内容の精選に精進して欲しい。 それらが マスメディアの質と信頼を高めることに繋がるだろう。
情報が多すぎる時代、精選と扱いの強弱は 大事ではないだろうか。
いわゆる政治性や、国際問題などでは、絶えず対立する意見を載せて、公正と社会正義を求め、くれぐれも偏向しないように努力すること、新聞報道倫理綱領など繰り返し参考にしながら、自戒して精進して欲しい。多様な意見や少数意見の発見、掘り起こしも大事ではないだろうか。善良な庶民の 自由な意見も 積極的に取り上げて欲しい。
人間とは何か、世界史的な視点を欠いて、情報を流していれば、結局、雑な情報を流していたと 軽薄な事実が、記録に残ることになるだろう。
以 上
追記:
新聞倫理綱領
 21世紀を迎え、日本新聞協会の加盟社はあらためて新聞の使命を認識し、豊かで平和な未来のために力を尽くすことを誓い、新しい倫理綱領を定める。
 国民の「知る権利」は民主主義社会をささえる普遍の原理である。この権利は、言論・表現の自由のもと、高い倫理意識を備え、あらゆる権力から独立したメディアが存在して初めて保障される。新聞はそれにもっともふさわしい担い手であり続けたい。
おびただしい量の情報が飛びかう社会では、なにが真実か、どれを選ぶべきか、的確で迅速な判断が強く求められている。新聞の責務は、正確で公正な記事と責任ある論評によってこうした要望にこたえ、公共的、文化的使命を果たすことである。
  編集、制作、広告、販売などすべての新聞人は、その責務をまっとうするため、また読者との信頼関係をゆるぎないものにするため、言論・表現の自由を守り抜くと同時に、自らを厳しく律し、品格を重んじなければならない。
自由と責任
 表現の自由は人間の基本的権利であり、新聞は報道・論評の完全な自由を有する。それだけに行使にあたっては重い責任を自覚し、公共の利益を害することのないよう、十分に配慮しなければならない。
正確と公正
 新聞は歴史の記録者であり、記者の任務は真実の追究である。報道は正確かつ公正でなければならず、記者個人の立場や信条に左右されてはならない。論評は世におもねらず、所信を貫くべきである。
独立と寛容
 新聞は公正な言論のために独立を確保する。あらゆる勢力からの干渉を排するとともに、利用されないよう自戒しなければならない。他方、新聞は、自らと異なる意見であっても、正確・公正で責任ある言論には、すすんで紙面を提供する。
人権の尊重
 新聞は人間の尊厳に最高の敬意を払い、個人の名誉を重んじプライバシーに配慮する。報道を誤ったときはすみやかに訂正し、正当な理由もなく相手の名誉を傷つけたと判断したときは、反論の機会を提供するなど、適切な措置を講じる。
品格と節度
 公共的、文化的使命を果たすべき新聞は、いつでも、どこでも、だれもが、等しく読めるものでなければならない。記事、広告とも表現には品格を保つことが必要である。また、販売にあたっては節度と良識をもって人びとと接すべきである。
新聞倫理綱領は昭和21年7月23日、日本新聞協会の創立に当たって制定されたもので、社会・メディア状況が激変するなか、旧綱領の基本精神を継承し、21世紀にふさわしいものとして、平成12年に現在の新聞倫理綱領が制定されました。

再生核研究所声明186(2014.12.6) ニュースの価値について

まず、ニュースについて、wikipediaに従って、用語を確認して置こう:

ニュース:news)とは、最新の情報や出来事の報道のことである。あるいは、そうした事件や、出来事も指す。具体的には、最近発生した政治事件事故スポーツ・地域情報などの出来事などを伝えること。メディアとしては、新聞テレビラジオ電光掲示板インターネット(特にWWW、ニュースサイト)が使われる。テレビが普及する以前には、映画(ニュース映画)も使われた。
1990年代以降、インターネットの普及で個人などでもニュースを発信することができるようになった。この場合は専門的な情報のみのニュースが多い。
メディア市場調査会社ピュー・リサーチセンターの2008年12月の調査によれば、ネットを媒体としてニュースを知る人の割合が、ついに新聞を上回った。調査は2008年12月上旬に米国内1,489名の成人に対して行われたもので、40%がインターネットから国内外のニュースを得ることが多いと回答し、一方、新聞からという者は35%にとどまった。新聞をニュースソースとしている人の率は2005年からほぼ横ばいだが、インターネットを情報源としている者の率が高くなっており、2007年9月の前回調査では24%であった。 一方、テレビは70%の人がニュース情報源としていると回答しており、依然インターネットと新聞を上回っている。30歳以下の若年成人層に限定すれば、インターネットはすでにニュース情報源としてテレビに追いつき、ともに59%となった。ちなみに2007年はテレビ68%、インターネット34%であり、急速にインターネットのシェアが延びている。

そもそもニュースとは何かの議論をきちんとすべきである。上記説明では 本質がみえず、物事の本質が空虚になっていることを知るだろう。最新の情報、出来事とは何か。いずれにしても、それらは、メディア、インターネットを通して、伝えられ、広がって行くものである。問題は、情報、出来事でもほとんど無限に存在するものから、それらから、選択されて伝えられるということである。すなわち、情報、出来事は、関与する人間によって、価値判断がなされて、ニュースの価値の大小が判断され、それによって、新聞なら、どのような面に、どのくらいのスペースをもって扱われるか、テレビなどでは、画面や時間、扱われる順序などの問題が、ニュースの重要性、価値判断によって定められる。どのような価値を与え、どのように扱うは、それぞれの責任部署で判断されるだろう。
そこで、 この声明の趣旨は まさに、このニュースの重要性、価値判断について、考察することである。
まず、大事な事実は、ニュースの重要性、価値判断によっては、社会的な価値評価、判断が大きく影響を受けることである。例をあげれば、日本ではノーベル賞受賞関係は ニュースで大きく扱われるので、ノーベル賞は 相当に価値ある事として、社会で定着し、評価され、賞について付加価値がどんどん増加している事実がある。他方、数学界の最高の賞、フィールズ賞などは、相当に価値ある世界の賞であるにも関わらず、それほどのニュースにならない現実が存在する。いろいろなスポーツにおける優勝者の報道の有り様も このような観点から、興味深い。これらは、社会における影響の大小で、世の関心の大小で、そのような扱いは止むを得ない現状があると考えられる。問題は、ニュースの重要性、価値判断をする者によって、意図的に社会的な評価が定まる要素が存在するということである。結局、ニュースの重要性、価値判断は 社会の関心、価値観、文化、習慣などから判断されて、そしてニュースを流す人の価値判断が加味されて流されるという、観点である。そこで、個人的な、あるいは仲間の利益、政治的な、あるいはもろもろの圧力で、大きくニュースの扱いが、歪められる危険性が、何時でも大きいと言える。さらに、ニュースを扱う者の基礎的な知識や素養、教養、学識、見識に大きく左右される現実がある。このことは、次の観点を思い起こさせる:

再生核研究所声明165(2014.6.19) 世論について 
― まず、世論とは何かについて、議論して置きたい。世論は国民の意見、大勢の意見とするならば、その大勢の意見は何かと問題にすべきである。厳格に全国民の意見の調査の結果としても、それは多くは不可能であるが、そのような単純な結果は、実体ある世論とは言えないだろう。世論とは、国や政治を動かす力の総称であり、マスコミや言論界、政界の力を強く反映したものであると考えるのが妥当である。それらの背景にはもちろん、国民の相当な意見や、文化的な背景を反映しているが、狭義には マスコミや言論界の意見であると考えるのが妥当である。この意味では、世論はそれを作る一部の階層の意見であると考えるべきである。選挙における世論調査は 厳密にはサンプリングによる統計的な結果であるべきものが、意図的にマスコミなどに誘導される要素が有るが、そのような要素は 否定されるべきだとは言えない。文化的背景や国民の意見を加味した、マスコミや言論界には、国民を導く要素すら立派に存在すると考える。

― これを簡単に述べれば、国民の意見や文化を背景に、マスコミや言論界が世論を構成し、国民と政治家を啓蒙し、政治を動かして行くべき と考える。マスコミや言論界が 大きな実際的な力、影響力を有するのは当然である。この意味でもマスコミや言論界の役割は大きく、逆に責任も大きいと 絶えず、精進、自戒していくことが求められる。これはまた、国民には マスコミを絶えず、批判的にみていくような態度 が 求められることを意味する。― 
 
というように、ニュースの重要性、価値判断は 多くは、上記のようにマスメディアを操作している人たちによって定められるという観点である。インターネットの普及で、個人たちが社会への影響を志向して、いろいろ積極的な働きかけがなされるようになってきているが、当分、新聞やテレビ、ラジオの影響の大きさは 続くのではないだろうか。
そこで、そのような関係者は、文化を支え、社会的な価値判断をしている現実を真摯に受け止め、声明165に有るように、責任も大きいと 絶えず、精進、自戒していくことが求められる。
特に、この声明の発想は、ニュースとして扱われる重要性をきちんと評価され、適切に扱い、伝えられることを 要望したいということである。
卑小な犯罪や、つまらないニュースを繰り返し、繰り返し扱い、伝えられているようなことはないだろうか。ニュースの低俗化などはないだろうか。(最近のある会合で、テレビを持たないという高貴な方から、そのようなニ-ハに興味があるのかという、話しを珍しくお聞きした。)他方、伝えられるべき 価値あるニュースで、無視されているようなことはないだろうか。新しい価値を見い出したり世相を高め、浄化するような視点にも配慮し、より良い社会を築くために ニュースの質、扱いの妥当性を検討するように 精進、また見識を高められるように、関係者に要請したい。
本声明は、報道関係者に マスメディア社会における重要な役割を 思い起こさせることにある。
                                     以 上

0 件のコメント:

コメントを投稿