2016年8月17日水曜日

アインシュタインの手紙(西岡真由美)

アインシュタインの手紙(西岡真由美)

 
[2016/08/15]

 「今の文明においてもっとも大事だと思われる事柄を、いちばん意見を交換したい相手と書簡を交わしてください」

 これは1932年、国際連盟がアインシュタインに出した依頼です。
文明(人類ともとれます)にとって、最も大事だと思うことについて、最もふさわしいと思う相手と往復の手紙でやりとりしてください、という依頼です。

 当時のアインシュタインは、どのようなテーマを選び出したのか、それだけでも興味をそそります。
 実際にはどうだったのでしょうか、皆さんはどう想像しますか?

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 ライバルと言われたニールス・ボーアと量子力学について意見を戦わせるのでは?
 フォン・ブラウンと宇宙開発の未来について語り合うのでは?

 実際にアインシュタインの選んだテーマは、こうでした。

 「人間を戦争というくびき(縛り)から解き放つことはできるのか?」
 言いかえると、「ひとはなぜ戦争をするのか」というものでした。

 そして、往復書簡の相手はフロイト。言わずと知れた、精神医学の大家です。

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 科学好きの間では、有名な話かも知れませんが、つい最近この往復書簡を見つけたとき、衝撃が走りました。

 物理学という普遍の摂理を追究する研究者が、最も関心を寄せ、かつ文明にとって、人類にとって、最も重要と考えた主題、それが精神、そして戦争。

 1932年と言えば、第一次世界大戦の敗戦から10年以上がたち、一時は安定したドイツも世界恐慌で再び混乱、ナチスの台頭を許したころです(翌33年に政権をとります)。こうした時代背景もあったのかもしれません。戦争という国と国との争いをテーマに、当時は国をもたなかったユダヤ人であるアインシュタインが、同じくユダヤの流れをくむフロイトを相手に選んだのも興味深い点です。

 アインシュタインはフロイトへの手紙に、攻撃性という人間の心の動きに対する考察、争いをなくすために必要な社会システムの提案などをしたためています。その上で、精神医学の創設者であるフロイトに、このテーマについて意見を求めるとともに、集中的に取り組んでほしいと提案しています。

 対するフロイトはまず、アインシュタインの意見を全面的に肯定します。その上で、心理学的な観点から、アインシュタインの意見を補うような分析を返信の書簡として送っています。

 ここでは内容の詳細に触れません。
 ご興味のある方は、手頃な価格の文庫本になっていますので、ぜひ全文をお読みください。(下記、引用文献参照)

 この書簡には、非常に興味深い点があります。フロイトの返信は、争いの歯止めになり得るもの、それは「文化の発展」である、と締めくくられています。そしてそれが、文化の価値を高らかと謳うものとは少し違うように読み取れることも、触れておきたいところです。

 フロイトは、文化の発展は、人間の心と体に変化をもたらすとしています。
 文化は人間の知性を強め、その知性が欲動をコントロールする。さらに、むき出しの攻撃本能はそのまま外に(他者に)向けられるのではなく、内に(自分の内面に)向かうようになる、とも分析しています。フロイトは同時に、文化の発展を危険視する記述もしています。先進国の出生率の低下を例に、文化の発展が人類を消滅させる危険を述べています。この先、文化の発展がどのように人間の心と体に影響を与え、どのような世界観が形作られるというのか、フロイトも述べるに至っていません。
 しかし、「文化の発展が生み出した心のあり方と将来の戦争がもたらすとてつもない惨禍への不安」が戦争をなくす方向に人間を動かしていくと期待できるのではないか、としています。この著述からは、醸成された文化が、戦争を凌駕する新しい価値観を生むというポジティブさより、戦争という事象が文化の発展(人の体と心のあり方の変化)を背景に廃れていく...というどうしようもない必然的な流れである、という印象を受けます。文化の発展に安易に明るい未来を描くのではなく、最後まで精神分析家の視点で書かれたこの書簡には、強く迫ってくるものがあります。

 そしてこの「文化」というキーワードは、未来館で科学を語るときにも重要なキーワードです。

 日本科学未来館は、科学を文化ととらえ、多くの人と共有し、未来について考える場です。私自身もこの点に共感を持ち、未来館で科学を伝える仕事をしています。

 ここで、そもそも文化とは何か?
 当たり前に使っていますが、ふと考えるとつかみ所がない言葉に感じます。
 未来館では、文化とは「人類がこれまで育み伝承してきた知恵の総体」と考えています。その中には芸術やスポーツの他に、政治や経済、宗教、そして科学と科学技術も含まれます。

 フロイトほど深い洞察ができているとは思いませんが、私も文化の発展は人の心と体を変えうるものだと考えています。文化のひとつである科学、科学技術が心と体に与える影響を考えると明白だと思います。
 言うまでもなく、科学技術の発展により、私たちは便利で快適な生活を手に入れています。
 同時に、私たちが手放そうとしている能力や価値観があるというのは事実だと思います。

 科学技術は間違いなく、私たちの生活を変え、さらに心と体の両方に、少しずつ変化をもたらしていると言えます。私たちは、そのことを認識し、変化に主体的に関われているか、ということを大事にしなければならないと私は考えています。変化を受け入れる前に、選択、判断するプロセスがあるはずですが、現代の社会ではその部分が見えづらくなっています。
 でも実は、とても身近なことなのではないかとも思います。

 例えばスマートホン。誰とでもすぐに連絡がつき、仕事も効率的に進む。なくなるなんて考えられない。ですが少し違う見方をしてみます。同時に、待つことに耐えがたい苦痛を感じるようになっていませんか?時にはすべての電子機器をオフにして、リラックスしたいと感じることはありませんか?心のあり方が、すでに変わってきているということです。またそれに気づいたとき、どんな判断、行動をとりますか?
 今以上の機能は要らないと考える人もいるかも知れません、逆に今以上の機能でそれを補うことを求める人もいるでしょう。
 科学技術の利用の方向性は、消費者のニーズがあってこそのものです。この先、今以上に利便性を追求することは、本当に必要なのだろうか。立ち止まって考え、出した消費者の選択が、科学技術発展の方向性を決める最大の要因になるはずです。

 私たちがどのように文化を形成していくのか、それは日々の選択、生き方の積み重ねに他ならないことです。科学技術で言えば、どんな技術を選び、どのように活用していくのか。その選択はやがて、私たちの心と体に変化をもたらすものになり得ます。そして、長い年月かけて醸成されていく文化は、人の心を理性的にコントロールし、フロイトの言うように、争うという生き物の本能にも、働きかけるくびきになるのか。個人的に、追い続けたいテーマでもあります。

 今回は、アインシュタインとフロイトの往復書簡をきっかけに、科学や文化、そして戦争について触れました。8月になる度に、戦争と科学の関係に思いを巡らせ、何らかの形で共有したいと思ってきました。私の能力では及ばない、この大きなテーマの入り口に、アインシュタインとフロイトのやり取りの力を借りました。

 今から約80年前の偉大な科学者の関心事であった戦争。科学社会に生きる現代の私たちにこそ、向き合う必要があるものだと思います。さらに、科学技術そのものが戦争の手段になることからも、科学技術における私たちの選択や判断は戦争と直結します。科学の恩恵にあずかる私たちの責任は、今後ますます高まっていくでしょう。科学という文化のひとつを、人類全体のよりよい未来のために育んでいけることを目指して、私も日々の科学コミュニケーション活動に取り組もうと思っています。


引用文献:
ひとはなぜ戦争をするのか 講談社学術文庫 アインシュタイン/フロイト 浅見昇吾 訳http://news.mynavi.jp/news/2016/08/15/499/

再生核研究所声明301 (2016.05.23) 人間の愚かさ―人間の賢さ

再生核研究所では、もちろん、人間、社会、人生についていろいろな視点から意見表明をしてきている:
再生核研究所声明172(2014.8.5) 人間の愚かさについて
再生核研究所声明 180(2014.11.24) 人類の愚かさ ― 7つの視点
再生核研究所声明 273 (2016.01.06): つくられた人間 ― 人間とは何だろうか; 人生とは何か
作られた人間が、相当に運命づけられているのは歴然である。しかしながら、作られた存在で、定められていても それらに従う、 自分の様を反省して、やがて自分たちの存在、営みそのそのものが 愚かしいことと気づくようになるだろう。人間の基本的な有り様とは、本能原理によって、生きること、家族をもち、育児を行うこと、などが基本であるが、それらを可能にして、保証するために、健康維持の観点から、食、住、環境の整備、恋の問題や、愛の問題、社会内存在を安定させるために仕事や地位を確保、生活を軌道にのせるなど基本的なことに追われる生活を余儀なくされる。自由の存在であると言える状況は 中々難しく、人生で束縛された生活が永く続いているのではないだろうか。現在でも、自由な存在よりも、生きることに精一杯の状況が多いと言える。
円熟期に入って、退職などすれば、相当に生活環境が変わり、関心の対象も大きな変化を受ける。言わば夢中で環境の中で生きてきた過去が、ただ夢中な存在で、何をしていたのかと反省させられる。しかしながら、一途に真面目に生きてきた者は自らをいじらしい存在として、評価もでき、回想できる余裕が出てくるのではないだろうか。
恋も、仕事も、志も 思えば、愚かしいこと、人間の営みと表現しようとしたが、書き始めるや、そのような発想は良くなく、表現を変える必要性を感じてきた。作られた人間が、造物主の意思に逆らえず、造物主の意思に従って生きざるを得ない自らの定めを自覚して、人間は人生の大部分を夢中で生きるだろう。しかし、やがて、そのような存在に飽き飽きして、造物主の意思を超えて、自らの存在、本能をも否定できるようになれば、それは一種の解脱、超越、悟りのレヴェルに至る完成の域に達していると言えるのではないだろうか。人生を諒として、超越して行けるからである。そのときは、本能や人間存在の本質さえ、返上できる心境だからである。神と自然を超えた存在の域に達していると言える。
そもそも生物とは遺伝子の乗り物であるという現実を知って、生物は真剣にその使命を果たすように運命づけられている切ない存在であるが、それを知って、定めにしたがっている存在が人間の賢さであると言える。
この声明は始めに意図したものとは全然違う趣旨のものに ひとりでになってしまった。
以 上


再生核研究所声明180(2014.11.24) 人類の愚かさ ― 7つの視点

ここでは、反省の意味を込めて、あるいは教訓として 人類の愚かさについて、ふれたい。 この辺は間もなく克服されて、人類は少し、進化できるのではないだろうか。

1)死の問題、死を恐れる気持ち: これはきちんと死を捉えれば、死は母なる古里に帰る様なもの、また、生まれる前のようであるから、本来、一切の感覚の離れた存在であり、恐れる存在ではなく、人生で、別次元の問題であり、生きるのも良く、終末も良い が在るべき在り様である。これで、人間は相当に自由になり、人生は明るいものになるだろう。 2000年以上前のソクラテスの弁明には 既にそのような観点が述べられていることに注目したい(再生核研究所声明19: 超越への道、悟りへの道; 再生核研究所声明47:  肯定死; 再生核研究所声明63: 解脱、神、自由、不死への道 - 安らかに終末を迎える心得; 再生核研究所声明68: 生物の本質 ― 生きること、死ぬること; 再生核研究所声明99: 死の肯定、在りよう、儀式、将来への提案; 再生核研究所声明118: 馬鹿馬鹿しい人生、命失う者は 幸いである、と言える面もある ― ; 再生核研究所声明175:人間の擁く 大きな虚像)。
2)神、宗教の問題: 神も、宗教も本来、自分の心の有り様にあるのに、いろいろ歪められた、教義などにこだわり、多くは虚像を求めたり、虚像に頼ったりしている愚かさ(再生核研究所声明175: 人間の擁く 大きな虚像)。その辺の理解には、さらに多少の時間が掛かるのではないだろうか。― 愛の定義は 声明146で与えられ、神の定義は 声明122と132で与えられている。― しかしながら、神や宗教が祭りや文化、習慣に強い影響を与えているので、そのような観点からも、古い概念も尊重、大事にして行きたい。
3)争いと競争: 世には、スポーツ界などのように、競争など古い生物的な本能に基づくものは確かにあるが、世界史に見られる多くの戦争や、紛争、争いの多くは、あまりにも馬鹿げていて、和や共存,共生で 賢明な有り様が多く、このまま世界史を閉じれば、世界史は 人類の恥の歴史と見える程ではないだろうか。しかしながら、賢明な有り様に目覚めるのは 時間の問題ではないだろうか。これは人間関係についても言える(再生核研究所声明53: 世界の軍隊を 地球防衛軍 に; 再生核研究所声明4: 競争社会から個性を活かす社会に)。
4)民主主義: 多様な意見を出して、いろいろな視点から、在るべき姿を考えるのは、物事を考える基本であるが、多数決での決定は、根本的な間違いである。進化した数学界などでは考えられないことである。数学界では一人の意見でも議論して、討論して、検証して、相当に少数でも、正しいと判断されれば、それは受け入れられるだろう。 政治の有り様に どんどん科学的な決定方法が導入され、いわゆる多数決による政治的な決定は どんどん小さくなって行くだろう。多数の決定は 本末転倒の衆愚政治や 無責任政治を蔓延させている(再生核研究所声明33: 民主主義と衆愚政治)。例えば、安倍政権は経済政策の是非を問う、解散、総選挙だと言っているが、経済政策の有り様など 国民には判断できず、真面目にそう受け止めるならば 投票はでたらめになってしまうだろう。これは、何か大事なことを隠しているとしか理解できないのではないだろうか。
5)天動説が地動説に変わる時の愚かさ: 新しい学説、地動説に対して、大きな反対が出たのは、世界史の恥ではないだろうか。 真面目にきちんと考えれば、簡単に受け入れられる事実ではなかったろうか(再生核研究所声明105: 人間の愚かさ、弱点について)。
6)非ユークリッド幾何学の出現に対する拒否反応: これは 5)と同じように モデルなど真面目に考えれば、ほとんど明らかな数学であるにもかかわらず、根強い反対に会った、苦い歴史から、人間の思い込みに対する愚かさに反省、教訓を学びたい。
7)ゼロ除算の理解: ゼロ除算は 千年以上も、不可能であるという烙印のもとで, 世界史上でも人類は囚われていたことを述べていると考えられる。世界史の盲点であったと言えるのではないだろうか。 ある時代からの 未来人は 人類が 愚かな争いを続けていた事と同じように、人類の愚かさの象徴 と記録するだろう。
数学では、加、減、そして、積は 何時でも自由にできた、しかしながら、ゼロで割れないという、例外が除法には存在したが、ゼロ除算の簡潔な導入によって、例外なく除算もできるという、例外のない美しい世界が実現できたと言える。
ゼロ除算100/0=0,0/0=0 については 5),6)と同じような過ちをおかしていると考える。何時、5)、6)のように ゼロ除算は 世界の常識になるだろうか:
数学基礎学力研究会のホームページ:http://www.mirun.sctv.jp/~suugaku

この声明は、次と相当に重なる部分も有しているので、参照: 再生核研究所声明172: 人間の愚かさについて
以 上
安倍首相がアメリカから5年で30兆の武器買う約束してることが判明 (1年で6兆円) 
http://foreignpolicy.com/2015/07/16/japans-expanding-military-role-could-be-good-news-for-the-pentagon-and-its-contractors/ 

米国の2016年度国防予算、日本が安保法制を制定することが前提に組まれている 
Published: May 13, 2015 
US defense budget already counting on Japan self-defense plan 
http://www.stripes.com/news/pacific/us-defense-budget-already-counting-on-japan-self-defense-plan-1.346012 

再生核研究所声明181(2014.11.25) 人類の素晴らしさ ― 7つの視点

ここでは、人生、世界の賛歌の形で、人類の明るい面、素晴らしさに焦点を合わせてふれて,  生命の、人生の素晴らしさを確認し、希望と勇気を奮い立たせたい。

1)神、信仰: 人間がユニバースの創造者の概念を懐き、神の概念を得て信仰のレベルに達したのは素晴らしく、人間の根源的な才能であると評価したい:― 哲学とは 真智への愛 であり、真智とは 神の意志 のことである。哲学することは、人間の本能であり、それは 神の意志 であると考えられる。愛の定義は 声明146で与えられ、神の定義は 声明122と132で与えられている。―
2)求道: 人間が 己が何ゆえに存在しているのか、私は何者かと問い、存在の意味を求めて、修行し、在るべき有り様を真摯に追求している姿は、真に人間として尊いと言える。
3)愛: 愛とは共生感に基づく喜びの感情であるが (声明146)、多くの愛は人間社会の喜びの源泉と生きる力である(再生核研究所声明134: 私の命よりも 大事な 私 ― 人間の崇高さ、素晴らしきかな 人間)。
4)言語: 言語を使用して、交流でき、意思疏通ができ、あらゆる生命活動について、共感、共鳴できる人間の素晴らしさ。愛の基礎ばかりではなく、精神面での生命の伝播、記録、共有さえ可能にしている。
5)芸術: これは、絵画、音楽、歌、文学、スポーツ、技巧、あらゆる人間の創造的な活動の文化活動の営みを挙げることができる。これには、いわゆる名人芸、技術、芸能など、 芸術で捉えられる分野は広く、深く広がっている。
6)科学: ニュートン力学やアインシュタインの理論、電磁波の発見や応用、数学ではオイラーの公式や微積分学の発見など、近代科学の素晴しさはそれこそ、神の意思を真摯に追求しているものとして高く評価される。これは医学や工業技術など近代科学などを広く捉えることができる。
7)義: これは世界史に多く記録される、大義のための自己犠牲の精神であり、個人を超えた大きな存在に対する帰依の精神である。この大義は、実に様々に捉えることができるが、己の命を超えた存在に対する、自己犠牲の精神である。

人間の素晴らしさは 全て、 感動にすること に結びつくだろう(再生核研究所声明 12: 人生、世界の存在していることの意味について )。
以 上

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