2016年8月18日木曜日

ガリレオと異なり火炙りの刑に処された人物が遺した言葉の意

ガリレオと異なり火炙りの刑に処された人物が遺した言葉の意


2016年08月12日 16時00分 NEWSポストセブン
ガリレオと異なり火炙りの刑に処された人物が遺した言葉の意
医師・僧侶の田中雅博氏
 2014年10月に最も進んだステージのすい臓がんが発見され、余命数か月であることを自覚している医師・僧侶の田中雅博氏による『週刊ポスト』での連載 「いのちの苦しみが消える古典のことば」から、宗教裁判で異端と判決され、火炙りの刑にされたジョルダーノ・ブルーノの「私を裁くあなた達が、真理の前に恐怖に震えている」という言葉の意味を紹介する。

 * * *
 ローマの話は今回で2回目です。ローマ教皇庁のあるバチカンと、古代ローマの遺跡フォーラムのほぼ中間にカンポ・ディ・フィオーリ(花の広場)があります。バチカンから歩いて10数分ですが、ここにバチカンを睨む形でジョルダーノ・ブルーノの銅像が立っています。

 ブルーノは、バチカンからカンポ・ディ・フィオーリまで歩くほぼ中間にあるサンタンジェロ城の牢獄に7年間投獄された後、宗教裁判で異端と判決され、1600年にカンポ・ディ・フィオーリで火炙りの刑に処せられました。処刑の執行官に対して「私を裁くあなた達が、真理の前に恐怖に震えている」と言ったことが伝えられています。

 ブルーノはコペルニクスに続いて近代科学に通じる宇宙論を提唱した人として有名ですが、ブルーノもコペルニクスも科学者ではなくウマニスタです。ルネッサンスのウマニスタはギリシャ・ローマの古典を研究した人々で、これが現代語のヒューマニズム(人文学)という言葉のもとになりました。

 ブルーノの著作『無限、宇宙と諸世界について』等に書かれている内容は、ガリレオが行なったような実験や観察の結果ではなく、アリストテレスの批判などからなる、近代科学が捨ててしまった思弁です。ブルーノはカトリックのドミニコ会修道士でしたが、カトリックとプロテスタントのどちらにもつかず、さらにグローバルな立場から両者を批判しました。

 ガリレオは、ブルーノの火刑の10年後に『星界の報告』を出版しました。この著作は望遠鏡による詳細な観察記録であり、コペルニクスやブルーノの著作とは違って、近代科学の特徴を具えています。

 ガリレオも宗教裁判を受けましたが、同じ大学の教授選を競ったこともあるブルーノの火刑を知っていたので、ガリレオは自説を撤回しました。「間違っていました」と言って自己の命の価値を優先したことは、「間違いを検証する」そして「価値を捨てる」という近代科学の誕生を象徴したできごとです。

 ブルーノは、ガリレオと違って、火刑を恐れずに自説を撤回しませんでした。前に書いたソクラテスの裁判の場合との共通点が認められます。ソクラテスは、彼が戦場で命の危険が迫っても持ち場を離れなかったように、「死刑になるからといって哲学をやめることはない」と言いました。

 彼の哲学は、彼にとって「自己の命を超えた価値」、すなわち宗教だったのです。 ブルーノにとっても、ブルーノの宇宙論に基づく哲学は、彼自身の命を超えた価値、宗教だったのです。

 1979年にローマ教皇ヨハネ・パウロ2世が、過去の教皇庁の誤りを正すという目的で、ブルーノ裁判も再検討し、ブルーノの異端宣告は取り消されました。

●たなか・まさひろ/1946年、栃木県益子町の西明寺に生まれる。東京慈恵医科大学卒業後、国立がんセンターで研究所室長・病院内科医として勤務。1990年に西明寺境内に入院・緩和ケアも行なう普門院診療所を建設、内科医、僧侶として患者と向き合う。2014年10月に最も進んだステージのすい臓がんが発見され、余命数か月と自覚している。

※週刊ポスト2016年8月19・26日号https://news.nifty.com/article/item/neta/12180-436748/


再生核研究所声明315(2016.08.08) 世界観を大きく変えた、ユークリッドと幾何学
今朝2016年8月6日,散歩中 目が眩むような大きな構想が閃いたのであるが、流石に直接表現とはいかず、先ずは世界史上の大きな事件を回想して、準備したい。紀元前の大きな事件についても触れたいが当分 保留したい。
ニュートン、ダーウィンの大きな影響を纏めたので(声明314)今回はユークリッド幾何学の影響について触れたい。
ユークリッド幾何学の建設について、ユークリッド自身(アレクサンドリアのエウクレイデス(古代ギリシャ語: Εὐκλείδης, Eukleídēs、ラテン語: Euclīdēs、英語: Euclid(ユークリッド)、紀元前3世紀? - )は、古代ギリシアの数学者、天文学者とされる。数学史上最も重要な著作の1つ『原論』(ユークリッド原論)の著者であり、「幾何学の父」と称される。プトレマイオス1世治世下(紀元前323年-283年)のアレクサンドリアで活動した。)が絶対的な幾何学の建設に努力した様は、『新しい幾何学の発見―ガウス ボヤイ ロバチェフスキー』リワノワ 著松野武 訳1961 東京図書 に見事に描かれており、ここでの考えはその著書に負うところが大きい。
ユークリッドは絶対的な幾何学を建設するためには、絶対的に正しい基礎、公準、公理に基づき、厳格な論理によって如何なる隙や曖昧さを残さず、打ち立てられなければならないとして、来る日も来る日も、アレクサンドリアの海岸を散歩しながら ユークリッド幾何学を建設した(『原論』は19世紀末から20世紀初頭まで数学(特に幾何学)の教科書として使われ続けた[1][2][3]。線の定義について、「線は幅のない長さである」、「線の端は点である」など述べられている。基本的にその中で今日ユークリッド幾何学と呼ばれている体系が少数の公理系から構築されている。エウクレイデスは他に光学、透視図法、円錐曲線論、球面天文学、誤謬推理論、図形分割論、天秤などについても著述を残したとされている。)。
ユークリッド幾何学、原論は2000年以上も越えて多くの人に学ばれ、あらゆる論理的な学術書の記述の模範、範として、現在でもその精神は少しも変わっていない、人類の超古典である。― 少し、厳密に述べると、ユークリッド幾何学の基礎、いわゆる第5公準、いわゆる平行線の公理は徹底的に検討され、2000年を経て公理系の考えについての考えは改められ― 公理系とは絶対的な真理という概念ではなく、矛盾のない仮定系である ― 、非ユークリッド幾何学が出現した。論理的な厳密性も徹底的に検討がなされ、ヒルベルトによってユークリッド幾何学は再構成されることになった。非ユークリッド幾何学の出現過程についても上記の著書に詳しい。
しかしながら、ユークリッド幾何学の実態は少しも変わらず、世に絶対的なものがあるとすれば、それは数学くらいではないだろうかと人類は考えているのではないだろうか。
数学の不可思議さに想いを致したい(しかしながら、数学について、そもそも数学とは何だろうかと問い、ユニバースと数学の関係に思いを致すのは大事ではないだろうか。この本質論については幸運にも相当に力を入れて書いたものがある:

No.81, May 2012(pdf 432kb)
19/03/2012
ここでは、数学とは何かについて考えながら、数学と人間に絡む問題などについて、幅.広く面白く触れたい。
)。
― 数学は公理系によって定まり、そこから、論理的に導かれる関係の全体が一つの数学の様 にみえる。いま予想されている関係は、そもそも人間には無関係に確定しているようにみえる。その数学の全体はすべて人間には無関係に存在して、確定しているようにみえる。すなわち、われわれが捉えた数学は、人間の要求や好みで発見された部分で、その全貌は分か らない。抽象的な関係の世界、それはものにも、時間にも、エネルギーにも無関係で、存在 している。それではどうして、存在して、数学は美しいと感動させるのであろうか。現代物理学は宇宙全体の存在した時を述べているが、それでは数学はどうして存在しているのであろうか。宇宙と数学は何か関係が有るのだろうか。不思議で 不思議で仕方がない。数学は絶対で、不変の様にみえる。時間にも無関係であるようにみえる。数学と人間の関係は何だ ろうか。―
数学によって、神の存在を予感する者は 世に多いのではないだろうか。

以 上

再生核研究所声明314(2016.08.08) 世界観を大きく変えた、ニュートンとダーウィンについて
今朝2016年8月6日,散歩中 目が眩むような大きな構想が閃いたのであるが、流石に直接表現とはいかず、先ずは世界史上の大きな事件を回想して、準備したい。紀元前の大きな事件についても触れたいが当分 保留したい。
そもそも、ニュートン、ダーウィンの時代とは 中世の名残を多く残し、宗教の存在は世界観そのものの基礎に有ったと言える。それで、アリストテレスの世界観や聖書に反して 天動説に対して地動説を唱えるには それこそ命を掛けなければ主張できないような時代背景が 存在していた。
そのような時に世の運動、地上も、天空も、万有を支配する法則が存在するとの考えは それこそ、世界観の大きな変更であり、人類に与えた影響は計り知れない。進化論 人類も動物や生物の進化によるものであるとの考えは、 人間そのものの考え方、捉え方の基本的な変更であり、運動法則とともに科学的な思考、捉え方が世界観を根本的に変えてきたと考えられる。勿論、自然科学などの基礎として果たしている役割の大きさを考えると、驚嘆すべきことである。
人生とは何か、人間とは何か、― 世の中には秩序と法則があり、人間は作られた存在で
その上に 存在している。如何に行くべきか、在るべきかの基本は その法則と作られた存在の元、原理を探し、それに従わざるを得ないとなるだろう。しかしながら、狭く捉えて 唯物史観などの思想も生んだが、それらは、心の問題、生命の神秘的な面を過小評価しておかしな世相も一時は蔓延ったが、自然消滅に向かっているように見える。
自然科学も生物学も目も眩むほどに発展してきている。しかしながら、人類未だ成長していないように感じられるのは、止むことのない抗争、紛争、戦争、医学などの驚異的な発展にも関わらず、人間存在についての掘り下げた発展と進化はどれほどかと考えさせられ、昔の人の方が余程人間らしい人間だったと思われることは 多いのではないだろうか。
上記二人の巨人の役割を、自然科学の基礎に大きな影響を与えた人と捉えれば、我々は一段と深く、巨人の拓いた世界を深めるべきではないだろうか。社会科学や人文社会、人生観や世界観にさらに深い影響を与えると、与えられると考える。
ニュートンの作用、反作用の運動法則などは、人間社会でも、人間の精神、心の世界でも成り立つ原理であり、公正の原則の基礎(再生核研究所声明 1 (2007/1/27): 美しい社会はどうしたら、できるか、美しい社会とは)にもなる。 自国の安全を願って軍備を強化すれば相手国がより、軍備を強化するのは道理、法則のようなものである。慣性の法則、急には何事でも変えられない、移行処置や時間的な猶予が必要なのも法則のようなものである。力の法則 変化には情熱、エネルギー,力が必要であり、変化は人間の本質的な要求である。それらはみな、社会や心の世界でも成り立つ原理であり、掘り下げて学ぶべきことが多い。ダーウィンの進化論については、人間はどのように作られ、どのような進化を目指しているのかと追求すべきであり、人間とは何者かと絶えず問うて行くべきである。根本を見失い、個別の結果の追求に明け暮れているのが、現在における科学の現状と言えるのではないだろうか。単に盲目的に夢中で進んでいる蟻の大群のような生態である。広い視点で見れば、経済の成長、成長と叫んでいるが、地球規模で生態系を環境の面から見れば、癌細胞の増殖のような様ではないだろうか。人間の心の喪失、哲学的精神の欠落している時代であると言える。

以 上

再生核研究所声明312(2016.07.14) ゼロ除算による 平成の数学改革を提案する
アリストテレス以来、あるいは西暦628年インドにおけるゼロの記録と、算術の確立以来、またアインシュタインの人生最大の懸案の問題とされてきた、ゼロで割る問題 ゼロ除算は、本質的に新しい局面を迎え、数学における基礎的な部分の欠落が明瞭になってきた。ここ70年を越えても教科書や学術書における数学の基礎的な部分の変更は かつて無かった事である。
そこで、最近の成果を基に現状における学術書、教科書の変更すべき大勢を外観して置きたい。特に、大学学部までの初等数学において、日本人の寄与は皆無であると言えるから、日本人が数学の基礎に貢献できる稀なる好機にもなるので、数学者、教育者など関係者の注意を換気したい。― この文脈では稀なる日本人数学者 関孝和の業績が世界の数学に活かせなかったことは 誠に残念に思われる。
先ず、数学の基礎である四則演算において ゼロでは割れない との世の定説を改め、自然に拡張された分数、割り算で、いつでも四則演算は例外なく、可能であるとする。山田体の導入。その際、小学生から割り算や分数の定義を除算の意味で 繰り返し減法(道脇方式)で定義し、ゼロ除算は自明であるとし 計算機が割り算を行うような算法で 計算方法も指導する。― この方法は割り算の簡明な算法として児童に歓迎されるだろう。
反比例の法則や関数y=1/xの出現の際には、その原点での値はゼロであると 定義する。その広範な応用は 学習過程の進展に従って どんどん触れて行くこととする。
いわゆるユークリッド幾何学の学習においては、立体射影の概念に早期に触れ、ゼロ除算が拓いた新しい空間像を指導する。無限、無限の彼方の概念、平行線の概念、勾配の概念を変える必要がある。どのように、如何に、カリキュラムに取り組むかは、もちろん、慎重な検討が必要で、数学界、教育界などの関係者による国家的取り組み、協議が必要である。重要項目は、直角座標系で y軸の勾配はゼロであること。真無限における破壊現象、接線などの新しい性質、解析幾何学との美しい関係と調和。すべての直線が原点を代数的に通り、平行な2直線は原点で代数的に交わっていること。行列式と破壊現象の美しい関係など。
大学レベルになれば、微積分、線形代数、微分方程式、複素解析をゼロ除算の成果で修正、補充して行く。複素解析学におけるローラン展開の学習以前でも形式的なローラン展開(負べき項を含む展開)の中心の値をゼロ除算で定義し、広範な応用を展開する。特に微分係数が正や負の無限大の時、微分係数をゼロと修正することによって、微分法の多くの公式や定理の表現が簡素化され、教科書の結構な記述の変更が要求される。媒介変数を含む多くの関数族は、ゼロ除算 算法で統一的な視点が与えられる。多くの公式の記述が簡単になり、修正される。
複素解析学においては 無限遠点はゼロで表現されると、コペルニクス的変更(無限とされていたのが実はゼロだった)を行い、極の概念を次のように変更する。極、特異点の定義は そのままであるが、それらの点の近傍で、限りなく無限の値に近づく値を位数まで込めて取るが、特異点では、ゼロ除算に言う、有限確定値をとるとする。その有限確定値のいろいろ幾何学な意味を学ぶ。古典的な鏡像の定説;原点の 原点を中心とする円の鏡像は無限遠点であるは、誤りであり、修正し、ゼロであると いろいろな根拠によって説明する。これら、無限遠点の考えの修正は、ユークリッド以来、我々の空間に対する認識の世界史上に置ける大きな変更であり、数学を越えた世界観の変更を意味している。― この文脈では天動説が地動説に変わった歴史上の事件が想起される。
ゼロ除算は 物理学を始め、広く自然科学や計算機科学への大きな影響が期待される。しかしながら、ゼロ除算の研究成果を教科書、学術書に遅滞なく取り入れていくことは、真智への愛、真理の追究の表現であり、四則演算が自由にできないとなれば、人類の名誉にも関わることである。ゼロ除算の発見は 日本の世界に置ける顕著な貢献として世界史に記録されるだろう。研究と活用の推進を 大きな夢を懐きながら 要請したい。
以 上
追記:
(2016) Matrices and Division by Zero z/0 = 0. Advances in Linear Algebra & Matrix Theory, 6, 51-58. 
http://www.scirp.org/journal/alamt   http://dx.doi.org/10.4236/alamt.2016.62007
http://www.ijapm.org/show-63-504-1.html
http://www.diogenes.bg/ijam/contents/2014-27-2/9/9.pdf DOI:10.12732/ijam.v27i2.9.

0 件のコメント:

コメントを投稿