2016年8月13日土曜日

地球平面説という神話

地球平面説という神話

「地球平面説」を表す著名なフラマリオン版画はしばしば15~16世紀頃の作品として紹介されるが著書『L'atmosphère: météorologie populaire』(1888; p. 163)が初出の、フラマリオン自身の手になる木版画である。

ゴーティエ・ド・メッツ『L'Image du monde』(1246年頃)の写本に収録された、地球球体説を表す模式図
地球平面説という神話(ちきゅうへいめんせつというしんわ)は、近代に生まれた誤解で、中世西欧では地球球体説ではなく地球平面説がはびこっていたという謬説である[1][2]。この説は20世紀前半に広範に流布されたとみられており、イギリスの歴史学協会の1945年の会報に以下のように述べられている:
「地球が平らだとコロンブスの時代の教養人が信じていたという説や、同時代人がそう信じていたことがコロンブスの障害となったがやがてコロンブスはそれに打ち勝っていったという説は、歴史教育において最も強固な間違いである」[3]。
中世初期には既に、元々古代ギリシア人たちが示した球体説をほとんど全ての学者が支持していた。教養人たちの間では14世紀までに地球平面説が完全に死滅した。ただし、ヒエロニムス・ボスによる著名な三連祭壇画『快楽の園』の外面が、ルネサンス時代における地球平面説の一例となっている。そこには透明な天球の中に浮かぶ円盤状の大地が描かれている[4]。
スティーヴン・ジェイ・グールドによると、「(古今の社会一般において私達の住む惑星がどのように概念化されたかはさておき)学者たちの間で『地球平面説が信じられた暗黒時代』など存在しない。古代ギリシア以来の地球が球体であるという知識が消え去ったことなどなく、中世の主だった学者は皆、宇宙論上確立された事実として地球が丸いことを支持していた[5]。」 科学史家のデイヴィッド・リンドバークとロナルド・ナンバーズも「中世のキリスト教徒の学者で〔地球が〕丸いことを認めず、地球の近似的周長を知らないものなどほとんどいなかった[6]」と指摘している。
歴史家のジェフリー・バートン・ラッセルは、中世に地球平面説が流行したという誤解は1870年から1920年にかけて蔓延り、また、進化論によって作り出されたイデオロギー的な状況とも関係したと述べている[7]。ラッセルは、「稀な例外を除けば、紀元前3世紀以降の西洋文明の歴史に連なる教養人で地球が平面だと信じたものなどいなかった」と主張し、ジョン・ウィリアム・ドレイパー、アンドリュー・ディクソン・ホワイト、ワシントン・アーヴィングらが地球平面説という神話を流布したのだと考えている[8][9]。
目次 [非表示] 
1 歴史
1.1 近世
1.2 19世紀
1.3 アーヴィングによるコロンブスの伝記
1.4 レトロンヌ、ヒューウェル、フラマリオン
1.5 20世紀
2 脚注
3 参考文献
4 関連項目
歴史[編集]
著書『地球平面説の発明』(英語: Inventing the Flat Earth)でジェフリー・バートン・ラッセルは、前近代文明、特に中世西欧を攻撃するための作り話として地球平面説が使われたのだと述べている[10]。
ジェームズ・ハンナムはこう書いている:
中世の人々が地球は平面状だと考えていたという神話は、プロテスタント達によるカトリック教会の教えを攻撃するキャンペーンとして17世紀ごろに現れた。しかしこの神話が広く信じられるようになったのは19世紀のことで、ジョン・ウィリアム・ドレイパーの『宗教と科学の衝突の歴史』(英:History of the Conflict Between Religion and Science、1874年)やアンドリュー・ディクソン・ホワイト『キリスト教国における科学と神学の争いの歴史』(英:History of the Warfare of Science with Theology in Christendom、1896年)によって流布された。無神論者や不可知論者はコンフリクト命題(英語版)を故意に擁護した[...][11]
近世[編集]
フランスの劇作家シラノ・ド・ベルジュラックは『別世界又は月世界諸国諸帝国』(死の2年後の1657年に発表)の第5章で、アウグスティヌスが「彼の時代には地球はストーヴのふたのごとく平らで、半分に切ったオレンジのように水面に浮かんでいた」と言っているのを引用している[12]。 ロバート・バートンは著書『憂鬱の解剖学』(英:The Anatomy of Melancholy)で[13]、以下のように書いている:
ザルツブルクの司教であった(アウェンティヌスの述べるところでは745年のこと)ヴァージルは、メンツの司教ボニファティウスから疑義を問い質された、というのは彼は対蹠地(その存在はキリストが死んだ理由について疑義を生じさせる)というものがあると考えており、地獄の地位を減じ、あるいは天国に釣り合わなくなるほどにまでそれを縮小させるために、地球は(アコスタや大衆があらかた反駁しているのだが)トレンチャーのように円いが球体のように丸くはないとしたオースティン〔聖アウグスティヌス〕、バジル〔バシリウス〕、ラクタンティウスの意見を否定したのである。
このように、地球平面説だという非難は、いくつかの珍しい(バートンは余談を以下のような聖アウグスティヌスの正当な引用で終えている:「不確かなものについて論争するよりも隠されたものや地獄の業火の存在を疑うことにアブラハムの意思はあった[13]」)例を除けば、19世紀よりも数世紀前の権威たちの信用を失わせるために行われたのである。文献中で言及されているもう一つの初期の例として、ルートヴィヒ・ホルベルクの喜劇『エラスムス・モンタヌス』(1723年)がある。その主人公エラスムス・モンタヌスは地球が丸いと主張した際に強い反論を受ける、というのも田舎者たちはみな地球が平らだと思っていたからである。彼は「地球はパンケーキのように平らだ」と叫んでからやっと婚約者との結婚を許された。トーマス・ジェファーソンの著書で、一連の問い (queries) に対する答えとして書かれた『バージニア覚書』(1784年)において、ジェファーソンは「Query」という語を、政府公認の宗教思想を攻撃するような宗教を扱うのに使っている。ある章では、権威によって人々に公的に強要された誤った考えについて彼は語っている。そのうちの一つがガリレオ・ガリレイの権威との戦いのエピソードであり、ジェファーソンは地球の形に関する問題をこのエピソードに帰しているがこれは間違いである:[14]
政府は物理学的体系を決定する際にも完全に無謬である。ガリレオは地球が球形であると主張したかどで宗教裁判にかけられた: 政府は地球がトレンチャーのように平らであると宣言し、トレンチャーの形状とガリレオは間違いを正すように強要された。この間違いは長い間優勢であったが、ようやく地球は球形になり、デカルトが地球は回転する球体でありその軸は渦動によるものだと述べた。
19世紀[編集]

オーランド・ファーガソンによる平面地球図、1893年。聖書の断章と、それに対する「球体説」側からの批判が書き込まれている。
19世紀には宗教と科学が相反するものだという感覚が非常に強くなった。ダーウィンの進化論にまつわる論争によってコンフリクト命題(宗教は科学と相いれないとする考え)が生まれた[15][16]。
アーヴィングによるコロンブスの伝記[編集]
1828年に、ワシントン・アーヴィングのロマン主義の色濃い伝記『クリストファー・コロンブスの生涯と航海』[17]が発表されたが、多くの人はこれを学術的な作品だと誤解した[18]。その伝記の第三巻第2章でアーヴィングは、スペインの君主がコロンブスの申し出を秤量するために行った会談に関して非常に虚構性の高い説明を行っている。アーヴィングの行った、さらに幻想的な脚色として、地球は丸いというコロンブスの主張に対してその会談に参加していた無知で頑迷固陋な人々が聖書の内容を引き合いに出して反論したというありそうもない話がある[19]。
実はアーヴィングも指摘してはいることだが、コロンブスの航海した1490年代に問題とされたことは地球の形状ではなく地球の大きさとアジア東岸の位置である。クラウディオス・プトレマイオス以降伝統的になされてきた見積もりでは、アジア東岸はカナリア諸島の180°東側に存在することになる[20]。コロンブスは以前に否定された225°という見積もりに(マルコ・ポーロの旅行に基づいて)28°加え、日本はさらに東に30°の位置にあると考えた。コロンブスはユーラシア大陸をポルトガルのサン・ヴィセンテ岬から始まるものとして283°にまで伸長させ、大西洋を77°ぶんの広さしかないものとみなした。(イベリア本土より9°西の)カナリア諸島から出発したため、68°ぶん航海するだけで日本につく算段であった[21]。
コロンブスはアラビア語の文献を読む際により長いアラビア・マイル(1マイルが2177メートルになる)ではなくより短いイタリア・マイル(1マイルが1480メートルになる)を想定して読むことで、誤って地球の周長を実際の4分の3ほどに思いなした[22]。これらの誤りが積み重なった結果、コロンブスは日本までの距離を、実際には20000 ㎞あるのにもかかわらず僅か5000 ㎞と見積もり、その結果カリブ諸島東端に到着することになった。当時のスペインの学者達もアジア東岸までの正確な距離は知らなかったようであるが、彼らはアジア東岸までの距離はコロンブスが見積もったよりもずっと大きいと考えていた。そしてこのことに基づいて、スペインやポルトガルで、学者や船乗りたちがコロンブスを批判したのである。
論点は地球の形状でも西に行くことで日本や中国に到着できるという考えでもなく、ヨーロッパの船が大洋での航海に耐えられるかという点であった。当時の小さな船(コロンブスの三艘の船は20.5 mから23.5 mの間、あるいは60から70フィートの間の大きさで、乗員は90人ほどであった)に日本に到着するまでの飲食料を積載するのは端的に不可能であった。コロンブスがカリブ諸島に到達できたのはかろうじてのことであった。乗員たちが反抗的になったのも「円盤状の地球の端から出てしまうこと」を恐れてのことではなく、飲食料を使い果たしてしまって補給する機会もないからであった。彼らは餓死寸前だったのである[23]。 コロンブスを救ったのはアメリカという未知の大陸であったが彼は自分が日本に到達したのだと思った。彼はカリブ諸島で飲食料を補給できたため安全にヨーロッパに帰ることができた。さもなければ彼のクルーは息絶え、船は沈没していただろう。彼の航海に反対した学者たちは正しかった。1492年当時の船では大洋を航海して西洋から日本に至るのは不可能であった、というのは日本に到着するはるか手前で水夫たちが死んでしまうからである。
レトロンヌ、ヒューウェル、フラマリオン[編集]
アーヴィングの著書が出版されてすぐの1834年に、強く反宗教的思想を持った学者のジャン・アントワーヌ・レトロンヌが、教父やそれに続く中世のキリスト教徒は地球平面説を信じていたという間違った説を著書『教父の宇宙論』で公にした[24]。また、1837年には、イギリスの科学哲学者 ウィリアム・ヒューウェルが著書『帰納的科学の歴史』(英:History of the Inductive Sciences)でラクタンティウス(245年-325年、コペルニクスにも『天球の回転について』で「地球は球形であると述べるものに対して子供のような反論の仕方をした」と嘲笑されている)およびコスマス・インディコプレウステース(547年から549年にかけて著書『キリスト教地誌』を書いた)という宇宙論史的に非常に重要度の低い二人に焦点を当てて持論を述べている。彼ら二人は中世に地球平面説が信じられた証拠であるとヒューウェルは主張し、ほかの歴史家もすぐに彼に従ったが、他に地球平面説が信じられた証拠を見つけ出すことはできなかった[25]。
神座を見るために大地を覆う天空を突き抜けて自分の頭をつついている男が書かれている、上掲の広範に流布された版画は16世紀の画風を模倣して制作されているが、実際にはカミーユ・フラマリオンの『L'atmosphère: météorologie populaire』(Paris, 1888, p. 163) で初めて発表されたものである[26]。この版画には「彼は大地と天空が交わる地平線に到達した」という中世の宣教師たちの教説が描かれている。元々はこの版画には装飾的な線が引かれており、その線から19世紀の作であることがわかる。しかし後に書かれた本では、この版画は16世紀にまでさかのぼるのだと主張する者もあらわれ、線は取り除かれた。逸話によれば、フラマリオンはこの版画を自分で注文したという。
20世紀[編集]
20世紀初頭から、地球平面説が中世に一般的に広まっていた膨大な数の間違いの一つとして無数の書籍や記事で紹介された。この、中世に地球平面説が広まっていたという誤解は、少なくとも1920年以降は歴史学界では全く流行らなかったが、大衆文化には残り続けたし、1960年代までいくつかの学校教科書にも載っていた。E・M・W・ティルヤード『エリザベス朝期の世界観』(英:The Elizabethan World Picture)およびC・S・ルイス『廃棄された宇宙像:中世・ルネッサンスへのプロレゴーメナ』ではルネサンスおよび中世に宇宙がどのようにみなされていたかを詳細に調べており、知識人層がどのように世界が丸いことを知ったのかをも広範にわたって調べている。地獄・煉獄・天国への旅を描いた叙事詩的作品であるダンテの『神曲』で地球が球体であり、地球の中心に向かって重力が働いていることが記されている点にルイスは注目する。『神曲』作中で、悪魔が地球の中心で氷づけにされているため、(登場人物の)ダンテとウェルギリウスは悪魔の頭から胴体にかけて下っていくが、腰から足にかけて登っていくことになるのである(腰が最も地球の中心にあたっている)。
アメリカで1919年に出版されたエマ・ミラー・ボレニウスによる教科書はコロンブス・デーの推奨図書に対する以下の序論から始まっている:
コロンブスの生きていた当時、人々は地球が平らだと考えていた。船を貪り食う巨大な怪物が大西洋に満ちていて、脆弱な船が落ちて壊れてしまう恐ろしい滝が大西洋の向こうにあると彼らは信じていた。コロンブスは船員を集めるためにこの愚かな思い込みと戦わなければいけなかった。彼は地球が丸いに違いないと考えていた[27]。
トマス・アンドリュー・ベイリーの『アメリカの野外劇』(英:The American Pageant)の以前の版では「迷信深い船乗り(コロンブスのクルー)は〔…〕どんどん反抗的になっていった〔…〕というのは彼らは世界の端っこへ到達するのを恐れたからである」と書かれていた。 しかし、この歴史学的根拠は存在しない[28]。1937年に発表されたジョージ・ガーシュウィンの流行歌『They All Laughed』には「コロンブスが地球は丸いと言うと/彼らはみな笑った」という連句がある。ワーナー・ブラザーズの『Merrie Melodies』アニメ『Hare We Go』(1951年)にはコロンブスと僧侶フェルディナンドが地球の形状について議論するシーンがある。ウォルト・ディズニーの1963年のアニメーション『王様の剣』には、魔法使いのマーリン(彼は未来へ旅行をしたことがある)が弟子に「ある日彼らは地球が丸いことを発見するだろう」と述べるシーンがある。ジェフリー・バートン・ラッセルは1991年や1997年において地球平面説が流行していたという説に反論している。ルイズ・ビショップ(2008年)は、紀元1000年ごろの中世の思想家・著述家は皆、実際は地球が球体であると確信していたと述べている[29]。
また、ドラえもんにおいて中世ヨーロッパの宇宙観は平面地球である描写がある他、高校世界史の教材が地球平面説神話に基づいた記述をしている[30]、西洋史と関係のない書籍でもたとえ話として中世西欧で地球平面説が信じられていたという話が紹介される[31]など、20~21世紀の日本においても地球平面説神話は広く知られている。https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%9C%B0%E7%90%83%E5%B9%B3%E9%9D%A2%E8%AA%AC%E3%81%A8%E3%81%84%E3%81%86%E7%A5%9E%E8%A9%B1

再生核研究所声明315(2016.08.08) 世界観を大きく変えた、ユークリッドと幾何学

今朝2016年8月6日,散歩中 目が眩むような大きな構想が閃いたのであるが、流石に直接表現とはいかず、先ずは世界史上の大きな事件を回想して、準備したい。紀元前の大きな事件についても触れたいが当分 保留したい。
ニュートン、ダーウィンの大きな影響を纏めたので(声明314)今回はユークリッド幾何学の影響について触れたい。
ユークリッド幾何学の建設について、ユークリッド自身(アレクサンドリアのエウクレイデス(古代ギリシャ語: Εὐκλείδης, Eukleídēs、ラテン語: Euclīdēs、英語: Euclid(ユークリッド)、紀元前3世紀? - )は、古代ギリシアの数学者、天文学者とされる。数学史上最も重要な著作の1つ『原論』(ユークリッド原論)の著者であり、「幾何学の父」と称される。プトレマイオス1世治世下(紀元前323年-283年)のアレクサンドリアで活動した。)が絶対的な幾何学の建設に努力した様は、『新しい幾何学の発見―ガウス ボヤイ ロバチェフスキー』リワノワ 著松野武 訳1961 東京図書 に見事に描かれており、ここでの考えはその著書に負うところが大きい。
ユークリッドは絶対的な幾何学を建設するためには、絶対的に正しい基礎、公準、公理に基づき、厳格な論理によって如何なる隙や曖昧さを残さず、打ち立てられなければならないとして、来る日も来る日も、アレクサンドリアの海岸を散歩しながら ユークリッド幾何学を建設した(『原論』は19世紀末から20世紀初頭まで数学(特に幾何学)の教科書として使われ続けた[1][2][3]。線の定義について、「線は幅のない長さである」、「線の端は点である」など述べられている。基本的にその中で今日ユークリッド幾何学と呼ばれている体系が少数の公理系から構築されている。エウクレイデスは他に光学、透視図法、円錐曲線論、球面天文学、誤謬推理論、図形分割論、天秤などについても著述を残したとされている。)。
ユークリッド幾何学、原論は2000年以上も越えて多くの人に学ばれ、あらゆる論理的な学術書の記述の模範、範として、現在でもその精神は少しも変わっていない、人類の超古典である。― 少し、厳密に述べると、ユークリッド幾何学の基礎、いわゆる第5公準、いわゆる平行線の公理は徹底的に検討され、2000年を経て公理系の考えについての考えは改められ― 公理系とは絶対的な真理という概念ではなく、矛盾のない仮定系である ― 、非ユークリッド幾何学が出現した。論理的な厳密性も徹底的に検討がなされ、ヒルベルトによってユークリッド幾何学は再構成されることになった。非ユークリッド幾何学の出現過程についても上記の著書に詳しい。
しかしながら、ユークリッド幾何学の実態は少しも変わらず、世に絶対的なものがあるとすれば、それは数学くらいではないだろうかと人類は考えているのではないだろうか。
数学の不可思議さに想いを致したい(しかしながら、数学について、そもそも数学とは何だろうかと問い、ユニバースと数学の関係に思いを致すのは大事ではないだろうか。この本質論については幸運にも相当に力を入れて書いたものがある:

No.81, May 2012(pdf 432kb)
19/03/2012
ここでは、数学とは何かについて考えながら、数学と人間に絡む問題などについて、幅.広く面白く触れたい。
)。
― 数学は公理系によって定まり、そこから、論理的に導かれる関係の全体が一つの数学の様 にみえる。いま予想されている関係は、そもそも人間には無関係に確定しているようにみえる。その数学の全体はすべて人間には無関係に存在して、確定しているようにみえる。すなわち、われわれが捉えた数学は、人間の要求や好みで発見された部分で、その全貌は分か らない。抽象的な関係の世界、それはものにも、時間にも、エネルギーにも無関係で、存在 している。それではどうして、存在して、数学は美しいと感動させるのであろうか。現代物理学は宇宙全体の存在した時を述べているが、それでは数学はどうして存在しているのであろうか。宇宙と数学は何か関係が有るのだろうか。不思議で 不思議で仕方がない。数学は絶対で、不変の様にみえる。時間にも無関係であるようにみえる。数学と人間の関係は何だ ろうか。―
数学によって、神の存在を予感する者は 世に多いのではないだろうか。

以 上


再生核研究所声明314(2016.08.08) 世界観を大きく変えた、ニュートンとダーウィンについて

今朝2016年8月6日,散歩中 目が眩むような大きな構想が閃いたのであるが、流石に直接表現とはいかず、先ずは世界史上の大きな事件を回想して、準備したい。紀元前の大きな事件についても触れたいが当分 保留したい。
そもそも、ニュートン、ダーウィンの時代とは 中世の名残を多く残し、宗教の存在は世界観そのものの基礎に有ったと言える。それで、アリストテレスの世界観や聖書に反して 天動説に対して地動説を唱えるには それこそ命を掛けなければ主張できないような時代背景が 存在していた。
そのような時に世の運動、地上も、天空も、万有を支配する法則が存在するとの考えは それこそ、世界観の大きな変更であり、人類に与えた影響は計り知れない。進化論 人類も動物や生物の進化によるものであるとの考えは、 人間そのものの考え方、捉え方の基本的な変更であり、運動法則とともに科学的な思考、捉え方が世界観を根本的に変えてきたと考えられる。勿論、自然科学などの基礎として果たしている役割の大きさを考えると、驚嘆すべきことである。
人生とは何か、人間とは何か、― 世の中には秩序と法則があり、人間は作られた存在で
その上に 存在している。如何に行くべきか、在るべきかの基本は その法則と作られた存在の元、原理を探し、それに従わざるを得ないとなるだろう。しかしながら、狭く捉えて 唯物史観などの思想も生んだが、それらは、心の問題、生命の神秘的な面を過小評価しておかしな世相も一時は蔓延ったが、自然消滅に向かっているように見える。
自然科学も生物学も目も眩むほどに発展してきている。しかしながら、人類未だ成長していないように感じられるのは、止むことのない抗争、紛争、戦争、医学などの驚異的な発展にも関わらず、人間存在についての掘り下げた発展と進化はどれほどかと考えさせられ、昔の人の方が余程人間らしい人間だったと思われることは 多いのではないだろうか。
上記二人の巨人の役割を、自然科学の基礎に大きな影響を与えた人と捉えれば、我々は一段と深く、巨人の拓いた世界を深めるべきではないだろうか。社会科学や人文社会、人生観や世界観にさらに深い影響を与えると、与えられると考える。
ニュートンの作用、反作用の運動法則などは、人間社会でも、人間の精神、心の世界でも成り立つ原理であり、公正の原則の基礎(再生核研究所声明 1 (2007/1/27): 美しい社会はどうしたら、できるか、美しい社会とは)にもなる。 自国の安全を願って軍備を強化すれば相手国がより、軍備を強化するのは道理、法則のようなものである。慣性の法則、急には何事でも変えられない、移行処置や時間的な猶予が必要なのも法則のようなものである。力の法則 変化には情熱、エネルギー,力が必要であり、変化は人間の本質的な要求である。それらはみな、社会や心の世界でも成り立つ原理であり、掘り下げて学ぶべきことが多い。ダーウィンの進化論については、人間はどのように作られ、どのような進化を目指しているのかと追求すべきであり、人間とは何者かと絶えず問うて行くべきである。根本を見失い、個別の結果の追求に明け暮れているのが、現在における科学の現状と言えるのではないだろうか。単に盲目的に夢中で進んでいる蟻の大群のような生態である。広い視点で見れば、経済の成長、成長と叫んでいるが、地球規模で生態系を環境の面から見れば、癌細胞の増殖のような様ではないだろうか。人間の心の喪失、哲学的精神の欠落している時代であると言える。

以 上

0 件のコメント:

コメントを投稿