2016年8月31日水曜日

和算の始まり―そろばん伝来

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第1章 江戸時代初期

江戸時代は、1603年から1867年までのおよそ270年間をいいます。この間、偶然ではありますが、日本独自の数学である和算が江戸時代初頭に成立し、明治になった直後に西洋数学に置き換わります。和算の歴史はすなわち江戸時代の歴史と完全に一致した期間にまたがっていたのです。
最初に江戸時代初頭、すなわち1600年代から1660年代ぐらいまでの和算の状況を説明します。

(1) 和算の始まり―そろばん伝来―

江戸時代以前の数学については、ほとんど史料が残っていないことから、概要程度のことしかわかりません。日常的な計算術(四則演算)を、そろばんが伝来する以前の計算道具である算木によって運算していたことが知られています。このそろばんが日本に伝来したことから、日本の江戸時代の数学の歴史は始まります。
そろばんは日本で発明されたものではありません。中国大陸のどこかで、諸説ありますが、14世紀前後に発明されました。それが瞬く間に中国大陸で普及し、海を越えた日本にも伝来していきます。日中を行き来した貿易商人たちがその仲介に大きな役割を果たしたものと想像されます。1590年代に刊行された『日葡辞書』には"Soroban"という項目があり、計算道具としての記述がまとめられています。この頃には国内に流通し始めていたことがわかります。
そろばんは当時としては非常に簡便な計算道具でした。それ以前の算木に比べると、手の上で弾いて計算することができ、迅速でした。貿易の現場では重宝されたでしょうし、野外での測量や土木工事などでも威力を発揮したはずです。江戸時代初期に築城の現場を描いたとされる屏風絵(名古屋市博物館所蔵「築城図屏風」)には、そろばんを弾いている人物が描写されています。いわゆる鎖国以前の日本における海外貿易関係者、土木工事や開墾にあたった人々に必需品となったのがこのそろばんでした。
1650年代に記された河内国(現在の大阪府)の人の日記では、自分たちの世代はそろばんを使っているが、古老たちは算木で計算をしていたらしい、これは全く想像できない、という趣旨のことを述べています(『河内屋可正旧記』)。つまり、一世代ぐらいの間にそろばんの知識は日本社会に広く浸透していたことがうかがえるのです。算木と盤

(2) 『塵劫記』以後―四則演算から高度な数学まで―

このそろばんの知識の普及に大きく貢献したのが、そろばんのマニュアルとして刊行された吉田光由(1598-1673)の『塵劫記』(1627年初版)でした。著者の吉田は京都の豪商・角倉一族の出自で、そろばんを若い頃から学んでいたと述べています。『塵劫記』にはそろばんによる四則演算の計算法の他に、田畑の面積計算、簡単な測量術の方法といった実用重視の内容がまとめられていると共に、継子立てやねずみ算といった数学遊戯のような問題まで幅広く収録していたために、好評を博しました。吉田の死後も『塵劫記』の類似本が数多く刊行され、江戸時代の日本人に初等的な算術知識の基礎を与えました。折しも、徳川幕府による治世は安定し、国内では農地開発を伴う土木事業が各地で行われました。そのような事業を監督する役人層としては、従来のように槍や刀で武功を挙げて出世するのではなく、民政を担当することで頭角を現す新しいタイプの侍身分が期待されました。各地でそのような能力を持った人物が登用され、中には数学書を刊行する人々も現れました。江戸時代初期、磐城平藩に採用された今村知商は『豎亥録』の著者として知られますが、民政担当の郡奉行を務めました。会津藩の安藤有益(1624-1708)もそのような数学者の一人でした。
吉田の『塵劫記』は実用的な問題の解法を日本人に示しただけではなく、当時の数学好きの興味関心をも掘り起こす役割を担いました。その中でパズルのようにして出題された問題(遺題)は読者の知的好奇心を喚起し、『塵劫記』に続けとばかりに、新しいタイプの問題が競うようにして後発する書籍の中に紹介されました。『童介抄』、『算法闕疑抄』、『古今算法記』といった算数書に数多くの難問が収録されるようになりました。『塵劫記』のようにそろばんの四則演算だけで解けるような問題ではなく、それよりも遥かに高度な、現代ならば代数の方程式を扱わねば解けないような問題がそれらの書の中で提示されました。
例えていえば、『塵劫記』の教える四則演算は小学校の算数を集大成したような内容で、その後に提示された遺題の難問は、高校・大学初年級レベルの数学の問題にも相当しました。全く質的に異なる数学が必要となったのですが、当時の日本には、それに対応するための手立てが実はありませんでした。
しかし、幸運なことに、『算学啓蒙』という13世紀末に中国で刊行された数学書が江戸時代の日本に伝来していたことが知られるようになり、そこに紹介されていた一つの数学の技法「天元術」が注目を集めることになりました。この天元術とは、現代数学の言葉でいえば、算木を用いて2次方程式や3次方程式を立てるテクニックのことになります。これを活用できれば、当時の数学の難問にはかなりの程度応用が利きました。『算学啓蒙』の天元術に関する記述はごく僅かでしたが、『古今算法記』(1671年)の著者・沢口一之などといった和算家は、この術をよく理解し、解答に応用していました。他にも、福岡藩の学者で貝原益軒(1630-1714)の弟子としても知られる竹田定直といった人も『算学啓蒙』を深く探究しました。この天元術を日本風にアレンジしてさらに応用の道を広げたのが、和算家としては有名な関孝和(?-1708)ですが、彼については次章で述べます。http://www.ndl.go.jp/math/s1/1.html

和算はゼロ除算はやっていない:

再生核研究所声明316(2016.08.19) ゼロ除算における誤解
(2016年8月16日夜,風呂で、ゼロ除算の理解の遅れについて 理由を纏める考えが独りでに湧いた。)

6歳の道脇愛羽さんたち親娘が3週間くらいで ゼロ除算は自明であるとの理解を示したのに、近い人や指導的な数学者たちが1年や2年を経過してもスッキリ理解できない状況は 世にも稀なる事件であると考えられる。ゼロ除算の理解を進めるために その原因について、掘り下げて纏めて置きたい。
まず、結果を聞いて、とても信じられないと発想する人は極めて多い。割り算の意味を自然に拡張すると1/0=0/0=z/0 となる、関数y=1/xの原点における値がゼロであると結果を表現するのであるが、これらは信じられない、このような結果はダメだと始めから拒否する理由である。
先ずは、ゼロでは割れない、割ったことがない、は全ての人の経験で、ゼロの記録Brahmagupta(598– 668?) 以来の定説である。しかも、ゼロ除算について天才、オイラーの1/0を無限大とする間違いや、不可能性についてはライプニッツ、ハルナックなどの言明があり、厳格な近代数学において確立した定説である。さらに、ゼロ除算についてはアインシュタインが最も深く受け止めていたと言える:(George Gamow (1904-1968) Russian-born American nuclear physicist and cosmologist remarked that "it is well known to students of high school algebra" that division by zero is not valid; and Einstein admitted it as {\bf the biggest blunder of his life} :Gamow, G., My World Line (Viking, New York). p 44, 1970.)。
一様に思われるのは、割り算は掛け算の逆であり、直ぐに不可能性が証明されてしまうことである。ところが、上記道脇親娘は 割り算と掛け算は別であり、割り算は、等分の考えから、掛け算ではなく、引き算の繰り返し、除算で定義されるという、考えで、このような発想から良き理解に達したと言える。
ゼロで割ったためしがないので、ゼロ除算は興味も、関心もないと言明される人も多い。
また、割り算の(分数の)拡張として得られた。この意味は結構難しく、何と、1/0=0/0=z/0 の正確な意味は分からないというのが 真実である。論文ではこの辺の記述は大事なので、注意して書いているが 真面目に論文を読む者は多いとは言えないないから、とんでもない誤解をして、矛盾だと言ってきている。1/0=0/0=z/0 らが、普通の分数のように掛け算に結びつけると矛盾は直ぐに得られてしまう。したがって、定義された経緯、意味を正確に理解するのが 大事である。数学では、定義をしっかりさせる事は基本である。― ゼロ除算について、情熱をかけて研究している者で、ゼロ除算の定義をしっかりさせないで混乱している者が多い。
次に関数y=1/xの原点における値がゼロである は 実は定義であるが、それについて、面白い見解は世に多い。アリストテレス(Aristotelēs、前384年 - 前322年3月7日)の世界観の強い影響である。ゼロ除算の歴史を詳しく調べている研究者の意見では、ゼロ除算を初めて考えたのはアリストテレスで真空、ゼロの比を考え、それは考えられないとしているという。ゼロ除算の不可能性を述べ、アリストテレスは 真空、ゼロと無限の存在を嫌い、物理的な世界は連続であると考えたという。西欧では アリストテレスの影響は大きく、聖書にも反映し、ゼロ除算ばかりではなく、ゼロ自身も受け入れるのに1000年以上もかかったという、歴史解説書がある。ゼロ除算について、始めから国際的に議論しているが、ゼロ除算について異様な様子の背景にはこのようなところにあると考えられる。関数y=1/xの原点における値が無限に行くと考えるのは自然であるが、それがx=0で突然ゼロであるという、強力な不連続性が、感覚的に受け入れられない状況である。解析学における基本概念は 極限の概念であり、連続性の概念である。ゼロ除算は新規な現象であり、なかなか受け入れられない。
ゼロ除算について初期から交流、意見を交わしてきた20年来の友人との交流から、極めて基本的な誤解がある事が、2年半を越えて判明した。勿論、繰り返して述べてきたことである。ゼロ除算の運用、応用についての注意である。
具体例で注意したい。例えば簡単な関数 y=x/(x -1) において x=1 の値は 形式的にそれを代入して 1/0=0 と考えがちであるが、そのような考えは良くなく、y = 1 + 1/(x -1) からx=1 の値は1であると考える。関数にゼロ除算を適用するときは注意が必要で、ゼロ除算算法に従う必要があるということである。分子がゼロでなくて、分母がゼロである場合でも意味のある広い世界が現れてきた。現在、ゼロ除算算法は広い分野で意味のある算法を提起しているが、詳しい解説はここでは述べないことにしたい。注意だけを指摘して置きたい。
ゼロ除算は アリストテレス以来、あるいは西暦628年インドにおけるゼロの記録と、算術の確立以来、またアインシュタインの人生最大の懸案の問題とされてきた、ゼロで割る問題 ゼロ除算は、本質的に新しい局面を迎え、数学における基礎的な部分の欠落が明瞭になってきた。ここ70年を越えても教科書や学術書における数学の基礎的な部分の変更 かつて無かった事である。と述べ、大きな数学の改革を提案している:
再生核研究所声明312(2016.07.14) ゼロ除算による 平成の数学改革を提案する

以 上

再生核研究所声明311(2016.07.05) ゼロ0とは何だろうか
ここ2年半、ゼロで割ること、ゼロ除算を考えているが、ゼロそのものについてひとりでに湧いた想いがあるので、その想いを表現して置きたい。
数字のゼロとは、実数体あるいは複素数体におけるゼロであり、四則演算で、加法における単位元(基準元)で、和を考える場合、何にゼロを加えても変わらない元として定義される。積を考えて変わらない元が数字の1である:

Wikipedia:ウィキペディア:
初等代数学[編集]
数の 0 は最小の非負整数である。0 の後続の自然数は 1 であり、0 より前に自然数は存在しない。数 0 を自然数に含めることも含めないこともあるが、0 は整数であり、有理数であり、実数(あるいは代数的数、複素数)である。
数 0 は正でも負でもなく、素数でも合成数でも単数でもない。しかし、0は偶数である。
以下は数 0 を扱う上での初等的な決まりごとである。これらの決まりはxを任意の実数あるいは複素数として適用して構わないが、それ以外の場合については何も言及していないということについては理解されなければならない。
加法:x + 0 = 0 +x=x. つまり 0 は加法に関する単位元である。
減法: x− 0 =x, 0 −x= −x.
乗法:x 0 = 0 ·x= 0.
除法:xが 0 でなければ0x= 0 である。しかしx0は、0 が乗法に関する逆元を持たないために、(従前の規則の帰結としては)定義されない(ゼロ除算を参照)。

実数の場合には、数直線で、複素数の場合には複素平面を考えて、すべての実数や複素数は直線や平面上の点で表現される。すなわち、座標系の導入である。
これらの座標系が無ければ、直線や平面はただ伸びたり、拡がったりする空間、位相的な点集合であると考えられるだろう。― 厳密に言えば、混沌、幻のようなものである。単に伸びたり、広がった空間にゼロ、原点を対応させるということは 位置の基準点を定めること と考えられるだろう。基準点は直線や平面上の勝手な点にとれることに注意して置こう。原点だけでは、方向の概念がないから、方向の基準を勝手に決める必要がある。直線の場合には、直線は点で2つの部分に分けられるので、一方が正方向で、他が負方向である。平面の場合には、原点から出る勝手な半直線を基準、正方向として定めて、原点を回る方向を定めて、普通は時計の回りの反対方向を 正方向と定める。これで、直線や平面に方向の概念が導入されたが、さらに、距離(長さ)の単位を定めるため、原点から、正方向の点(これも勝手に指定できる)を1として定める。実数の場合にも複素数の場合にも数字の1をその点で表す。以上で、位置、方向、距離の概念が導入されたので、あとはそれらを基礎に数直線や複素平面(座標)を考える、すなわち、直線と実数、平面と複素数を1対1に対応させる。これで、実数も複素数も秩序づけられ、明瞭に表現されたと言える。ゼロとは何だろうか、それは基準の位置を定めることと発想できるだろう。
― 国家とは何だろうか。国家意思を定める権力機構を定め、国家を動かす基本的な秩序を定めることであると原理を述べることができるだろう。
数直線や複素平面では 基準点、0と1が存在する。これから数学を展開する原理を下記で述べている:

しかしながら、数学について、そもそも数学とは何だろうかと問い、ユニバースと数学の関係に思いを致すのは大事ではないだろうか。この本質論については幸運にも相当に力を入れて書いたものがある:

19/03/2012
ここでは、数学とは何かについて考えながら、数学と人間に絡む問題などについて、幅.広く面白く触れたい。

複素平面ではさらに大事な点として、純虚数i が存在するが、ゼロ除算の発見で、最近、明確に認識された意外な点は、実数の場合にも、複素数の場合にも、ゼロに対応する点が存在するという発見である。ゼロに対応する点とは何だろうか?
直線や平面で実数や複素数で表されない点が存在するであろうか? 無理して探せば、いずれの場合にも、原点から無限に遠ざかった先が気になるのではないだろうか? そうである立体射影した場合における無限遠点が正しくゼロに対応する点ではないかと発想するだろう。その美しい点は無限遠点としてその美しさと自然さ故に100年を超えて数学界の定説として揺るぐことはなかった。ゼロに対応する点は無限遠点で、1/0=∞ と考えられてきた。オイラー、アーベル、リーマンの流れである。
ところが、ゼロ除算は1/0=0 で、実は無限遠点はゼロに対応していることが確認された。
直線を原点から、どこまでも どこまでも遠ざかって行くと、どこまでも行くが、その先まで行くと(無限遠点)突然、ゼロに戻ることを示している。これが数学であり、我々の空間であると考えられる。この発見で、我々の数学の結構な部分が修正、補充されることが分かりつつある。
ゼロ除算は可能であり、我々の空間の認識を変える必要がある。ゼロで割る多くの公式である意味のある世界が広がってきた。それらが 幾何学、解析学、代数学などと調和して数学が一層美しい世界であることが分かってきた。

全ての直線はある意味で、原点、基準点を通ることが示されるが、これは無限遠点の影が投影されていると解釈され、原点はこの意味で2重性を有している、無限遠点と原点が重なっている現象を表している。この2重性は 基本的な指数関数y=e^x が原点で、0 と1 の2つの値をとると表現される。このことは、今後大きな意味を持ってくるだろう。

古来、ゼロと無限の関係は何か通じていると感じられてきたが、その意味が、明らかになってきていると言える。

2点から無限に遠い点 無限遠点は異なり、無限遠点は基準点原点の指定で定まるとの認識は面白く、大事ではないだろうか。
以 上

再生核研究所声明310(2016.06.29) ゼロ除算の自明さについて
人間の感性の観点から、ゼロ除算の自明さについて触れて置きたい。ゼロ除算の発見は誠に奇妙な事件である。まずは、近似の方法から自然に導かれた結果であるが、結果が全然予想されたことのない、とんでもないことであったので、これは何だと衝撃を受け、相当にその衝撃は続いた。まずは、数学的な論理に間違いがないか、厳重に点検を行い、それでも信じられなかったので、多くの友人、知人に意見を求めた。高橋眞映山形大学名誉教授のゼロ除算の一意性定理は大事だったので、特に厳重に検討した。多くの友人も厳重に時間をかけて検討した経過がよく思い出される。その他、いろいろな導入が発見されても、信じられない心境は1年を超えて続いたと言える。数学的に厳格に、論理的に確立しても 心情的に受け入れられない感情 が永く続いた。そのような心境を相当な人たちが抱いたことが国際的な交流でも良く分かる。中々受け入れらない、ゼロ除算の結果はそうだと受け入れられない、認められない空気であった。ゼロ除算の発展は世界史上の事件であるから、経過など出来るだけ記録するように努めてきた。
要するに、世界中の教科書、学術書、定説と全く違う結果が 世に現れたのである。慎重に、慎重に畏れを抱いて研究を進めたのは 当然である。
そこで、証拠のような具体例の発見に努めた。明確な確信を抱くために沢山の例を発見することとした。最初の2,3件の発見が特に難しかった。内容は次の論文に、招待され、出版された: http://www.ijapm.org/show-63-504-1.html :
ゼロ除算を含む、山田体の発見、
原点の鏡像が(原点に中心をもつ円に関する)無限遠点でなく ゼロであること、
x,y直角座標系で y軸の勾配がゼロであること、
同軸2輪回転からの、ゼロ除算の物理的な意味付け、

これらの成果を日本数学会代数学分科会で発表し、また、ゼロ除算の解説(2015.1.14)を1000部印刷広く配布してきた。2年間の時間の経過とともに我々の数学として、実在感が確立してきた。その後、広範にゼロ除算がいろいろなところに現れていることが沢山発見され、やがて、ゼロ除算は自明であり数学の初歩的な欠落部分であるとの確信を深めるようになってきている。
単に数学の理論だけでなく、いろいろな具体例が認識の有り様を、感性を変えることが分かる。そこで、何もかも分かったという心境に至るには、素朴な具体例で、何もかも当たり前であるという心理状況に至ることが大事であるが、それは、環境で心自体が変わる様をしめしている。本来1つの論文であった原稿は 招待されたため次の2つの論文に出版される:
(2016) Matrices and Division by Zero z/0 = 0. Advances in Linear Algebra
& Matrix Theory, 6, 51-58.
Division by Zero z/0 = 0 in Euclidean Spaces:
International Journal of Mathematics and Computation 9 Vol. 28; Issue  1, 2017)

沢山の具体例が述べられていて、ゼロ除算が基本的な数学であることは、既に確立していると考えられる。沢山の具体例が、そのような心境に至らしめている。
ゼロ除算の自明さを論理ではなく、簡単に 直感的な説明として述べたい。
基本的な関数y=1/xを考え、そのグラフを見よう。原点の値は考えないとしているが、考えるとすれば、値は何だろうか? ゼロではないか と 思えば、ゼロ除算は正解である。それで十分である。その定義から、応用や意味付けを検討すれば良い。― 誰でも値は ゼロであると考えるのではないだろうか。中心だから、真ん中だから。あるいは平均値だからと考えるのではないだろうか。それで良い。
0/0=0 には違う説明が必要である。条件付き確率を考えよう。 A が起きたという条件の下で、B が起きる条件付き確率を考えよう。 その確率P(B|A) は AとBの共通事象ABの確率P(AB) と A が起きる確率P(A)との比 P(B|A)=P(AB)/P(A) で与えられる。もし、Aが起きなければ、すなわち、P(A) =0 ならば、もちろん、P(AB) =0. 意味を考えても分かるようにその時当然、P(B|A) =0である。 すなわち、0/0=0は 当たり前である。

以 上

再生核研究所声明313(2016.08.01)  良い数学教育の推進を

最近の世情は良いとは言えない。各地に続発するテロの発生、誹謗、中傷合戦の選挙戦、嫌いな者に対する殺傷事件、自己中心的な対外批判の高まりなど、など。これを大局的に見れば、人類未だ生物レベルを越えておらず依然として、万人の万人に対する争いの混沌たる状況にあると言える。これは、生命の共感、共生、哀しい定めを説かれたお釈迦様の教えも未だ実現できない野蛮な歴史を続けていると見られる。
そもそも、再生核研究所声明は、より良い社会を目指して、どのようにすれば美しい社会を築けるかと志向して、公正の原則を掲げて始められた:

再生核研究所声明 1 (2007/1/27): 美しい社会はどうしたら、できるか、 
美しい社会とは

最近の世相として、不景気・政界・財界・官界・大学の不振、教育の混迷、さらにニューヨークのテロ事件、アフガン紛争、パレスチナ問題と心痛めることが多いことです.どうしたら美しい社会を築けるでしょうか。
一年半も前に纏めた次の手記はそれらのすべての解決の基礎になると思いますが、如何でしょうか。

平成12年9月21日早朝、公正とは何かについて次のような考えがひらめいて目を覚ました。

1) 法律、規則、慣習、約束に合っているか。
2) 逆の立場に立ってみてそれは受け入れられるか。
3) それはみんなに受け入れられるか。 
4) それは安定的に実現可能か。

これらの「公正の判定条件」の視点から一つの行為を確認して諒となれば、それは公正といえる。

現在、社会の規範が混乱し、不透明になっているように思うが、公正の原則を確認して、行動していけば ―― これは容易なことではないが ―― 世の中ははるかに明るくなり、多くの混乱は少なくなると思いますが如何でしょうか。― 以下略。

これは 大事な原理になると考える。― 我々の存在を批判、否定するならば、我々は逆にあなたの存在が良いとは考えず、我々はあなたを批判し、応分に反撃するだろう。これは道理である。作用と反作用のようなものである。国防と安全のために国防軍を増長すれば、相手国がさらに軍備を拡充するのも道理である。
ここでは、上記お釈迦様の教えではなくて、数学の教育を通して、良い社会を築く基礎を広範に確立したいという考えを纏めたい。提案したい。
国際社会の秩序を整えるには、共通の言語と基礎が必要である。民族がバラバラの言語と異なる文化基盤を持てば、国際的な秩序の確立は困難で、秩序の確立には力や資金に頼らざるを得ないとなりかねない。今でも力、暴力が頼れると間違った考えが万延していると言える。
世の秩序の根幹は 世には道理というものがある人々はその道理に従うべきだとなれば、
国際的に強力な基礎ができると考えられる。世の道理である。我々は有史以来、本質的に変更されたことのない数学、ユークリッド幾何学に人類共通の言語を見出すことができるだろう。数学はさらに人類も越えた、universeの、世の秩序を美しく表現している(――数学について、そもそも数学とは何だろうかと問い、ユニバースと数学の関係に思いを致すのは大事ではないだろうか。この本質論については幸運にも相当に力を入れて書いたものがある:

www.jams.or.jp/kaiho/kaiho-81.pdf
19/03/2012 - ここでは、数学とは何かについて考えながら、数学と人間に絡む問題などについて、幅. 広く 面白く触れたい。

簡潔に述べれば、数学は 時間にも、エネルギーにもよらずに存在する神秘的な 関係の論理体系であるが、ユニバースは 数学を言語として構成されているという、信仰のような信念を抱いている。基本的な数学はユニバースの基本的な様を表現しているのではないだろうか。)

数学を通して、人類が交流でき、世には道理、秩序が 存在すると理解できるだろう。分かり易いスポーツを通して、ドラマを見て、芸術を通して理解するは 世に多いが、数学の効用をここでは強調したい。道理、秩序に対する認識には 数学の効用は大きく、上記 公正の原則の理解にも 大きく寄与するのではないだろうか。数学教育の充実を国際的な視点で提案したい。
その留意点を纏めて置きたい:
1) 世には共通の論理があることを理解し、論理的な思考を学習する。
2) 数学の論理的な面には、美しさとuniverseの、世の秩序を述べていることを学ぶ。
3) 非ユークリッド幾何学の出現過程を良く学び、真理を追求する精神感情と論理の関係を学ぶ。批判精神、理性、客観性について学ぶ。予断と偏見、思い込み、囚われやすい人間の精神を掘り下げる。
ここで、数学教育の充実とは、いわゆる数学の学力、問題解決に重点を置いた従来の学習ではなく、上記のような数学教育をとうして身に付く数学の精神に重点を置いた教育である。数学の学力を付けることに偏りすぎたり、学力を競争させたりして 世に多くの数学嫌いな人たちを育てていることを大いに反省したい。数学の美しさ、楽しさを教えることが第一であると心がけなければならない。
数学愛好者の増大は かつて和算が広く民衆に普及していたように、環境にも優しく、人間の修行にも、精神衛生上も、また創造性を養い、考える力を育成するにも大いに貢献するのではないだろうか。囲碁や将棋、歌会、俳句会など良い趣味集団を構成しているが、数学愛好者クラブなど大いに進められるべきではないだろうか。新聞やテレビ、マスコミ、週刊誌などでもどんどん話題を取り上げ、また奨励されるべきではないだろうか。社会の浄化と低俗化防止にも貢献するのではないだろうか。
念のため次を付記するが、数学愛好者は好感を持たれる存在と言えるのではないだろうか:

再生核研究所声明285(2016.02.10)  数学者の性格、素性について
以 上

ブラックホール生成で、地球全体が吸い込まれ人類はスパゲティに!? 未来がヤバすぎる!

2016.08.29


9月5日(月)トカナアカデミー開催決定!
 脳インプラント、頭部移植、脅威のアンチエイジング治療……医療技術の異常な進歩は、もはやSF化しているといえる。それだけではない。ホバーボードやVR技術、ドローン、AIなど、急激に進化する科学技術にも注目であるし、ブラックホールの生成や重力波の発見など、最新物理学はもはやオカルトの域に達している。毎日不思議を追っているトカナ編集部も、現実の世界がオカルトに近づき、そして抜き去り始めたことを実感しているのである。では、果たして今最も我々の心を刺激するものとは何だろうか? それは、最新科学・理論化学・理論物理の世界と、超常現象の間を追い、未来を考えることなのだ。そう、9月5日のイベントは、“オカルト新時代”の幕開けでもあるのだ――。

【出演】
ヘルドクターくられ(「アリエナイ理科ノ教科書」の著者、サイエンスライター。公演やテレビ出演など多数/トカナ執筆記事
山崎詩郎物理学者/2016年日本物理学会若手奨励賞受賞受賞)
宮本道人(科学文化評論家/東大理物理)
司会
川口友万(サイエンスライター「サイエンスニュース」編集部/トカナ執筆記事
TOCANA編集部

生命とは何か? 宇宙人はいるのか? 地球は滅亡するのか? パラレルワールドはあるのか? 最凶のウイルスは何か!?
 真面目な科学誌では語られない「未科学(まだ科学的に立証されていないが、研究はされている)」分野で考察されている事象についてトカナが切り込み、有識者が徹底解説! 表に出てこない“最凶”のバイオテクノロジーや、宇宙技術、食品化学の嘘、そしてブラックホール生成の今や、人類スパゲッティ化の可能性まで、まだニュースになっていない(扱われることもない)論文ベースのヤバすぎる新情報を明らかにする! 未科学が、あなたの固定概念を完全に覆す!!
【場所】
LOFT9 Shibuya(ロフトナイン渋谷)渋谷区円山町1-5 KINOHAUS 1F
【日時】
9月5日(月)
OPEN 18:30 / START 19:30
前売¥2,300 / 当日¥2,700(税込・要1オーダー500円以上)
前売券ローソンチケットにて発売【Lコード:35729】
【ネットでのチケット購入はコチラから】
(会場・お問い合わせ)LOFT9 Shibuya(ロフトナイン渋谷)
渋谷区円山町1-5 KINOHAUS(キノハウス)1F TEL 03-5784-1239
http://www.loft-prj.co.jp/loft9/






\documentclass[12pt]{article}
\usepackage{latexsym,amsmath,amssymb,amsfonts,amstext,amsthm}
\numberwithin{equation}{section}
\begin{document}
\title{\bf Announcement 179: Division by zero is clear as z/0=0 and it is fundamental in mathematics\\
}
\author{{\it Institute of Reproducing Kernels}\\
Kawauchi-cho, 5-1648-16,\\
Kiryu 376-0041, Japan\\
\date{\today}
\maketitle
{\bf Abstract: } In this announcement, we shall introduce the zero division $z/0=0$. The result is a definite one and it is fundamental in mathematics.
\bigskip
\section{Introduction}
%\label{sect1}
By a natural extension of the fractions
\begin{equation}
\frac{b}{a}
\end{equation}
for any complex numbers $a$ and $b$, we, recently, found the surprising result, for any complex number $b$
\begin{equation}
\frac{b}{0}=0,
\end{equation}
incidentally in \cite{s} by the Tikhonov regularization for the Hadamard product inversions for matrices, and we discussed their properties and gave several physical interpretations on the general fractions in \cite{kmsy} for the case of real numbers. The result is a very special case for general fractional functions in \cite{cs}. 
The division by zero has a long and mysterious story over the world (see, for example, google site with division by zero) with its physical viewpoints since the document of zero in India on AD 628, however,
Sin-Ei, Takahasi (\cite{taka}) (see also \cite{kmsy}) established a simple and decisive interpretation (1.2) by analyzing some full extensions of fractions and by showing the complete characterization for the property (1.2). His result will show that our mathematics says that the result (1.2) should be accepted as a natural one:
\bigskip
{\bf Proposition. }{\it Let F be a function from ${\bf C }\times {\bf C }$ to ${\bf C }$ such that
$$
F (b, a)F (c, d)= F (bc, ad)
$$
for all
$$
a, b, c, d \in {\bf C }
$$
and
$$
F (b, a) = \frac {b}{a }, \quad a, b \in {\bf C }, a \ne 0.
$$
Then, we obtain, for any $b \in {\bf C } $
$$
F (b, 0) = 0.
$$
}
\medskip
\section{What are the fractions $ b/a$?}
For many mathematicians, the division $b/a$ will be considered as the inverse of product;
that is, the fraction
\begin{equation}
\frac{b}{a}
\end{equation}
is defined as the solution of the equation
\begin{equation}
a\cdot x= b.
\end{equation}
The idea and the equation (2.2) show that the division by zero is impossible, with a strong conclusion. Meanwhile, the problem has been a long and old question:
As a typical example of the division by zero, we shall recall the fundamental law by Newton:
\begin{equation}
F = G \frac{m_1 m_2}{r^2}
\end{equation}
for two masses $m_1, m_2$ with a distance $r$ and for a constant $G$. Of course,
\begin{equation}
\lim_{r \to +0} F =\infty,
\end{equation}
however, in our fraction
\begin{equation}
F = G \frac{m_1 m_2}{0} = 0.
\end{equation}
\medskip


Now, we shall introduce an another approach. The division $b/a$ may be defined {\bf independently of the product}. Indeed, in Japan, the division $b/a$ ; $b$ {\bf raru} $a$ ({\bf jozan}) is defined as how many $a$ exists in $b$, this idea comes from subtraction $a$ repeatedly. (Meanwhile, product comes from addition).
In Japanese language for "division", there exists such a concept independently of product.
H. Michiwaki and his 6 years old girl said for the result $ 100/0=0$ that the result is clear, from the meaning of the fractions independently the concept of product and they said:
$100/0=0$ does not mean that $100= 0 \times 0$. Meanwhile, many mathematicians had a confusion for the result.
Her understanding is reasonable and may be acceptable:
$100/2=50 \quad$ will mean that we divide 100 by 2, then each will have 50.
$100/10=10 \quad$ will mean that we divide 100 by10, then each will have 10.
$100/0=0 \quad$ will mean that we do not divide 100, and then nobody will have at all and so 0.
Furthermore, she said then the rest is 100; that is, mathematically;
$$
100 = 0\cdot 0 + 100.
$$
Now, all the mathematicians may accept the division by zero $100/0=0$ with natural feelings as a trivial one?
\medskip
For simplicity, we shall consider the numbers on non-negative real numbers. We wish to define the division (or fraction) $b/a$ following the usual procedure for its calculation, however, we have to take care for the division by zero:
The first principle, for example, for $100/2 $ we shall consider it as follows:
$$
100-2-2-2-,...,-2.
$$
How may times can we subtract $2$? At this case, it is 50 times and so, the fraction is $50$.
The second case, for example, for $3/2$ we shall consider it as follows:
$$
3 - 2 = 1
$$
and the rest (remainder) is $1$, and for the rest $1$, we multiple $10$,
then we consider similarly as follows:
$$
10-2-2-2-2-2=0.
$$
Therefore $10/2=5$ and so we define as follows:
$$
\frac{3}{2} =1 + 0.5 = 1.5.
$$
By these procedures, for $a \ne 0$ we can define the fraction $b/a$, usually. Here we do not need the concept of product. Except the zero division, all the results for fractions are valid and accepted.
Now, we shall consider the zero division, for example, $100/0$. Since
$$
100 - 0 = 100,
$$
that is, by the subtraction $100 - 0$, 100 does not decrease, so we can not say we subtract any from $100$. Therefore, the subtract number should be understood as zero; that is,
$$
\frac{100}{0} = 0.
$$
We can understand this: the division by $0$ means that it does not divide $100$ and so, the result is $0$.
Similarly, we can see that
$$
\frac{0}{0} =0.
$$
As a conclusion, we should define the zero divison as, for any $b$
$$
\frac{b}{0} =0.
$$
See \cite{kmsy} for the details.
\medskip

\section{In complex analysis}
We thus should consider, for any complex number $b$, as (1.2);
that is, for the mapping
\begin{equation}
w = \frac{1}{z},
\end{equation}
the image of $z=0$ is $w=0$. This fact seems to be a curious one in connection with our well-established popular image for the point at infinity on the Riemann sphere.
However, we shall recall the elementary function
\begin{equation}
W(z) = \exp \frac{1}{z}
\end{equation}
$$
= 1 + \frac{1}{1! z} + \frac{1}{2! z^2} + \frac{1}{3! z^3} + \cdot \cdot \cdot .
$$
The function has an essential singularity around the origin. When we consider (1.2), meanwhile, surprisingly enough, we have:
\begin{equation}
W(0) = 1.
\end{equation}
{\bf The point at infinity is not a number} and so we will not be able to consider the function (3.2) at the zero point $z = 0$, meanwhile, we can consider the value $1$ as in (3.3) at the zero point $z = 0$. How do we consider these situations?
In the famous standard textbook on Complex Analysis, L. V. Ahlfors (\cite{ahlfors}) introduced the point at infinity as a number and the Riemann sphere model as well known, however, our interpretation will be suitable as a number. We will not be able to accept the point at infinity as a number.
As a typical result, we can derive the surprising result: {\it At an isolated singular point of an analytic function, it takes a definite value }{\bf with a natural meaning.} As the important applications for this result, the extension formula of functions with analytic parameters may be obtained and singular integrals may be interpretated with the division by zero, naturally (\cite{msty}).
\bigskip
\section{Conclusion}
The division by zero $b/0=0$ is possible and the result is naturally determined, uniquely.
The result does not contradict with the present mathematics - however, in complex analysis, we need only to change a little presentation for the pole; not essentially, because we did not consider the division by zero, essentially.
The common understanding that the division by zero is impossible should be changed with many text books and mathematical science books. The definition of the fractions may be introduced by {\it the method of Michiwaki} in the elementary school, even.
Should we teach the beautiful fact, widely?:
For the elementary graph of the fundamental function
$$
y = f(x) = \frac{1}{x},
$$
$$
f(0) = 0.
$$
The result is applicable widely and will give a new understanding for the universe ({\bf Announcement 166}).
\medskip
If the division by zero $b/0=0$ is not introduced, then it seems that mathematics is incomplete in a sense, and by the intoduction of the division by zero, mathematics will become complete in a sense and perfectly beautiful.
\bigskip


section{Remarks}
For the procedure of the developing of the division by zero and for some general ideas on the division by zero, we presented the following announcements in Japanese:
\medskip
{\bf Announcement 148} (2014.2.12):  $100/0=0, 0/0=0$  --  by a natural extension of fractions -- A wish of the God
\medskip
{\bf Announcement 154} (2014.4.22): A new world: division by zero, a curious world, a new idea
\medskip
{\bf Announcement 157} (2014.5.8): We wish to know the idea of the God for the division by zero; why the infinity and zero point are coincident?
\medskip
{\bf Announcement 161} (2014.5.30): Learning from the division by zero, sprits of mathematics and of looking for the truth
\medskip
{\bf Announcement 163} (2014.6.17): The division by zero, an extremely pleasant mathematics - shall we look for the pleasant division by zero: a proposal for a fun club looking for the division by zero.
\medskip
{\bf Announcement 166} (2014.6.29): New general ideas for the universe from the viewpoint of the division by zero
\medskip
{\bf Announcement 171} (2014.7.30): The meanings of product and division -- The division by zero is trivial from the own sense of the division independently of the concept of product
\medskip
{\bf Announcement 176} (2014.8.9):  Should be changed the education of the division by zero
\bigskip
\bibliographystyle{plain}
\begin{thebibliography}{10}
\bibitem{ahlfors}
L. V. Ahlfors, Complex Analysis, McGraw-Hill Book Company, 1966.
\bibitem{cs}
L. P. Castro and S.Saitoh, Fractional functions and their representations, Complex Anal. Oper. Theory {\bf7} (2013), no. 4, 1049-1063.
\bibitem{kmsy}
S. Koshiba, H. Michiwaki, S. Saitoh and M. Yamane,
An interpretation of the division by zero z/0=0 without the concept of product
(note).
\bibitem{kmsy}
M. Kuroda, H. Michiwaki, S. Saitoh, and M. Yamane,
New meanings of the division by zero and interpretations on $100/0=0$ and on $0/0=0$,
Int. J. Appl. Math. Vol. 27, No 2 (2014), pp. 191-198, DOI: 10.12732/ijam.v27i2.9.
\bibitem{msty}
H. Michiwaki, S. Saitoh, M. Takagi and M. Yamada,
A new concept for the point at infinity and the division by zero z/0=0
(note).
\bibitem{s}
S. Saitoh, Generalized inversions of Hadamard and tensor products for matrices, Advances in Linear Algebra \& Matrix Theory. Vol.4 No.2 (2014), 87-95. http://www.scirp.org/journal/ALAMT/
\bibitem{taka}
S.-E. Takahasi,
{On the identities $100/0=0$ and $ 0/0=0$}
(note).
\bibitem{ttk}
S.-E. Takahasi, M. Tsukada and Y. Kobayashi, Classification of continuous fractional binary operators on the real and complex fields. (submitted)
\end{thebibliography}
\end{document}
Title page of Leonhard Euler, Vollständige Anleitung zur Algebra, Vol. 1 (edition of 1771, first published in 1770), and p. 34 from Article 83, where Euler explains why a number divided by zero gives infinity.
私は数学を信じない。 アルバート・アインシュタイン / I don't believe in mathematics. Albert Einstein→ゼロ除算ができなかったからではないでしょうか。
1423793753.460.341866474681

Einstein's Only Mistake: Division by Zero


№173

NEW !
テーマ:
173  極限でなくて、分母にゼロをいれた値が、具体的に意味のある世界が現れた、 ゼロ除算 算法:

The division by zero is uniquely and reasonably determined as 1/0=0/0=z/0=0 in the natural extensions of fractions. We have to change our basic ideas for our space and world:



2016年8月30日火曜日

463-172: 関数の連続性、微分可能性、それにゼロ除算の拡張の関係を述べている。
ゼロ除算の強い不連続性を示している。

The division by zero is uniquely and reasonably determined as 1/0=0/0=z/0=0 in the natural extensions of fractions. We have to change our basic idea for our space and world:



让孩子爱上数学:从数学家的故事开

让孩子爱上数学:从数学家的故事开始

  很多伟大的数学家有一些传奇的故事,在这些故事中,不是无意义的琐碎,也不是一些让人盲目追求的癖好。而且一些高贵的品质和令人称艳的能力,让我们对其敬仰,这些伟人也会因此成为我们的偶像,让孩子有一个追逐的目标。如果孩子认为数学是枯燥的,对数学没兴趣。就让他看看数学家的故事吧:
  Top1:伽利略质疑权威
  伽利略17岁那年,考进了比萨大学医科专业。
  有一次上课,比罗教授讲胚胎学。他讲道:“母亲生男孩还是生女孩,是由父亲的强弱决定的。父亲身体强壮,母亲就生男孩;父亲身体衰弱,母亲就生女孩。”
  比罗教授的话音刚落,伽利略就举手说道:“老师,我有疑问。我的邻居,男的身体非常强壮,可他的妻子一连生了5个女儿。这与老师讲的正好相反,这该怎么解释?”
  “我是根据古希腊著名学者亚里士多德的观点讲的,不会错!”比罗教授想压服他。
  伽利略继续说:“难道亚里士多德讲的不符合事实,也要硬说是对的吗?科学一定要与事实符合,否则就不是真正的科学。”比罗教授被问倒了,下不了台。
  后来,伽利略果然受到了校方的批评,但是,他勇于坚持、好学善问、追求真理的精神却丝毫没有改变。正因为这样,他才最终成为一代科学巨匠
  Top2:小欧拉怀疑上帝
  小欧拉在一个教会学校里读书。有次,他向老师提问,天上有多少颗星星。老师是个神学的信徒,他不知道天上究竟有多少颗星,圣经上也没有回答过。这个老师不懂装懂,回答欧拉说:"天有有多少颗星星,这无关紧要,只要知道天上的星星是上帝镶嵌上去的就够了。"
  欧拉感到很奇怪:”天那么大,那么高,地上没有扶梯,上帝是怎么把星星一颗一颗镶嵌到一在幕上的呢?上帝亲自把它们一颗一颗地放在天幕,他为什么忘记了星星的数目呢?上帝会不会太粗心了呢?”
  老师又一次被问住了。心中顿时升起一股怒气,这不仅是因为孩的问题使老师下不了台,更主要的是,老师把上帝看得高于一切。小欧拉居然责怪上帝为什么没有记住星星的数目,言外之意是对万能的上帝提出了怀疑。
  在欧拉的年代,对上帝是绝对不能怀疑的。小欧拉没有与教会、与上帝"保持一致",老师就让他离开学校回家。但是,在小欧拉心中,上帝神圣的光环消失了。他想,上帝是个窝囊废,他怎么连天上的星星也记不住?他又想,上帝是个独裁者,连提出问题都成了罪。上帝也许是个别人编造出来的家伙,根本就不存在。
  Top 3:小欧拉机智改羊圈
  小欧拉帮助爸爸放羊,成了一个牧童。他一面放羊,一面读书。
  爸爸的羊群渐渐增多了,达到了100只。原来的羊圈有点小了,爸爸决定建造一个新的羊圈。他用尺量出了一块长方形的土地,长40米,宽15米,他一算,面积正好是600平方米,平均每一头羊占地6平方米。他发现他的材料只够围100米的篱笆。若要围成长40米,宽15米的羊圈,其周长将是110米(15+15+40+40=110)父亲感到很为难。
  小欧拉却向父亲说,不用缩小羊圈,他有办法。父亲不相信小欧拉会有办法。心想:"世界上哪有这样便宜的事情?"但是,小欧拉却坚持说,他一定能两全齐美。父亲终于同意让儿子试试看。
  小欧拉见父亲同意了,站起身来,跑到准备动工的羊圈旁。他以一个木桩为中心,将原来的40米边长截短,缩短到25米。跑到另一条边上,将原来15米的边长延长,又增加了10米,变成了25米。经这样一改,原来计划中的羊圈变成了一个25米边长的正方形。
  父亲照着小欧拉设计的羊圈扎上了篱笆,100米长的篱笆真的够了,不多不少,全部用光。面积也足够了,而且还稍稍大了一些。
  父亲感到,让这么聪明的孩子放羊实在是及可惜了。后来,他想办法让小欧拉认识了一个大数学家伯努利。通过这位数学家的推荐,1720年,小欧拉成了巴塞尔大学的大学生。这一年,小欧拉13岁,是这所大学最年轻的大学生。
  Top 4:8岁高斯发现了数学定理
  德国著名大科学家高斯(1777~1855)出生在一个贫穷的家庭。高斯在还不会讲话就自己学计算,在三岁时有一天晚上他看着父亲在算工钱时,还纠正父亲计算的错误。
  有一天高斯的数学教师情绪低落的一天。对同学们说:“你们今天替我算从1加2加3一直到100的和。谁算不出来就罚他不能回家吃午饭。”
  结果不到半个小时,小高斯拿起了他的石板走上前去。“老师,答案是不是这样?”
  老师头也不抬,挥着那肥厚的手,说:“去,回去再算!错了。”
  高斯却站着不动,把石板伸向老师面前:“老师!我想这个答案是对的。”
  数学老师本来想怒吼起来,可是一看石板上写了这样的数:5050,他惊奇起来,这个8岁的小鬼怎么这样快就得到了答案呢?
  高斯解释他发现的一个方法,这个方法就是古时希腊人和中国人用来计算级数1+2+3+…+n的方法。高斯的发现使老师觉得羞愧,觉得自己以前目空一切和轻视穷人家的孩子的观点是不对的。他以后也认真教起书来,并且还常从城里买些数学书自己进修并借给高斯看。在他的鼓励下,高斯以后便在数学上作了一些重要的研究了。
  Top 5:陈景润攻克歌德巴赫猜想
  陈景润一个家喻户晓的数学家,在攻克歌德巴赫猜想方面作出了重大贡献,创立了著名的“陈氏定理”,所以有许多人亲切地称他为“数学王子”。但有谁会想到,他的成就源于一个故事。
  1937年,勤奋的陈景润考上了福州英华书院,此时正值抗日战争时期,清华大学航空工程系主任留英博士沈元教授回福建奔丧,不想因战事被滞留家乡。几所大学得知消息,都想邀请沈教授前进去讲学,他谢绝了邀请。由于他是英华的校友,为了报达母校,他来到了这所中学为同学们讲授数学课。
  一天,沈元老师在数学课上给大家讲了一故事:“200年前有个法国人发现了一个有趣的现象:6=3+3,8=5+3,10=5+5,12=5+7,28= 5+23,100=11+89。每个大于4的偶数都可以表示为两个奇数之和。因为这个结论没有得到证明,所以还是一个猜想。大数学欧拉说过:虽然我不能证明它,但是我确信这个结论是正确的。
  它像一个美丽的光环,在我们不远的前方闪耀着眩目的光辉。……”陈景润瞪着眼睛,听得入神。
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とてもためになりました:
\documentclass[12pt]{article}
\usepackage{latexsym,amsmath,amssymb,amsfonts,amstext,amsthm}
\numberwithin{equation}{section}
\begin{document}
\title{\bf  Announcement 300:  New challenges on the division by zero z/0=0\\
(2016.05.22)}
\author{{\it Institute of Reproducing Kernels}\\
Kawauchi-cho, 5-1648-16,\\
Kiryu 376-0041, Japan\\

%\date{\today}
\maketitle
{\bf Abstract: } In this announcement, for its importance we would like to state the
situation on the division by zero and propose basic new challenges.

\bigskip
\section{Introduction}
%\label{sect1}
By a {\bf natural extension} of the fractions
\begin{equation}
\frac{b}{a}
\end{equation}
for any complex numbers $a$ and $b$, we found the simple and beautiful result, for any complex number $b$
\begin{equation}
\frac{b}{0}=0,
\end{equation}
incidentally in \cite{s} by the Tikhonov regularization for the Hadamard product inversions for matrices and we discussed their properties and gave several physical interpretations on the general fractions in \cite{kmsy} for the  case of real numbers.

 The division by zero has a long and mysterious story over the world (see, for example, Google site with the division by zero) with its physical viewpoints since the document of zero in India on AD 628,  however,
  Sin-Ei Takahasi (\cite{kmsy}) established a simple and decisive interpretation (1.2) by analyzing the extensions of fractions and by showing the complete characterization for the property (1.2):

 \bigskip

 {\bf  Proposition 1. }{\it Let F be a function from  ${\bf C }\times {\bf C }$  to ${\bf C }$ satisfying
$$
F (b, a)F (c, d)= F (bc, ad) 
$$
for all
$$
a, b, c, d  \in {\bf C }
$$
and
$$
F (b, a) = \frac {b}{a },  \quad   a, b  \in  {\bf C }, a \ne 0.
$$
Then, we obtain, for any $b \in {\bf C } $
$$
F (b, 0) = 0.
$$
}

 Note that the complete proof of this proposition is simply given by  2 or 3 lines.

\medskip
We thus should consider, for any complex number $b$, as  (1.2);
that is, for the mapping
\begin{equation}
w = \frac{1}{z},
\end{equation}
the image of $z=0$ is $w=0$ ({\bf should be defined}). This fact seems to be a curious one in connection with our well-established popular image for the  point at infinity on the Riemann sphere. Therefore, the division by zero will give great impacts to complex analysis and to our ideas for the space and universe.

However, the division by zero (1.2) is now clear, indeed, for the introduction of (1.2), we have several independent approaches as in:

\medskip
1) by the generalization of the fractions by the Tikhonov regularization or by the Moore-Penrose generalized inverse,

\medskip
2) by the intuitive meaning of the fractions (division) by H. Michiwaki,

\medskip
3) by the unique extension of the fractions by S. Takahasi,   as in the above,

\medskip
4) by the extension of the fundamental function $W = 1/z$ from ${\bf C} \setminus \{0\}$ into ${\bf C}$ such that $W =1/z$ is a one to one and onto mapping from $ {\bf C} \setminus \{0\} $ onto ${\bf C} \setminus \{0\}$ and the division by zero $1/0=0$ is a one to one and onto mapping extension of the function $W =1/z $ from  ${\bf C}$ onto ${\bf C}$,

\medskip
and

\medskip

5) by considering the values of functions with the mean values of functions.
\medskip

Furthermore, in (\cite{msy}) we gave the results in order to show the reality of the division by zero in our world:

\medskip

\medskip
A) a field structure  containing the division by zero --- the Yamada field ${\bf Y}$,

\medskip
B)  by the gradient of the $y$ axis on the $(x,y)$ plane --- $\tan \frac{\pi}{2} =0$,
\medskip

C) by the reflection $W =1/\overline{z}$ of $W= z$ with respect to the unit circle with center at the origin on the complex $z$ plane --- the reflection point of zero is zero,
\medskip

and
\medskip

D) by considering rotation of a right circular cone having some very interesting
phenomenon  from some practical and physical problem.

\medskip

In (\cite{mos}),  many division by zero results in Euclidean spaces are given and  the basic idea at the point at infinity should be changed. In (\cite{ms}), we gave beautiful geometrical interpretations of determinants from the viewpoint of the division by zero. The results show that the division by zero is our basic and elementary mathematics in our world.

\medskip

See  J. A. Bergstra, Y. Hirshfeld and J. V. Tucker \cite{bht} for the relationship between fields and the division by zero, and the importance of the division by zero for computer science. It seems that the relationship of the division by zero and field structures are abstract in their paper.

Meanwhile,  J. P.  Barukcic and I.  Barukcic (\cite{bb}) discussed recently the relation between the divisions $0/0$, $1/0$ and special relative theory of Einstein. However, their logic seems to be curious and their results contradict with ours.

 Furthermore,  T. S. Reis and J.A.D.W. Anderson (\cite{ra,ra2}) extend the system of the real numbers by introducing an ideal number for the division by zero $0/0$.

 Meanwhile, we should refer to up-to-date information:

{\it Riemann Hypothesis Addendum - Breakthrough

Kurt Arbenz
https://www.researchgate.net/publication/272022137 Riemann Hypothesis Addendum -   Breakthrough.}

\medskip

Here, we recall Albert Einstein's words on mathematics:
Blackholes are where God divided by zero.
I don't believe in mathematics.
George Gamow (1904-1968) Russian-born American nuclear physicist and cosmologist remarked that "it is well known to students of high school algebra" that division by zero is not valid; and Einstein admitted it as {\bf the biggest blunder of his life} [1]:
1. Gamow, G., My World Line (Viking, New York). p 44, 1970.

 For our ideas on the division by zero, see the survey style announcements 179,185,237,246,247,250 and 252 of the Institute of Reproducing Kernels (\cite{ann179,ann185,ann237,ann246,ann247,ann250,ann252,ann293}).

\section{On mathematics}
Apparently, the division by zero is a great missing in our mathematics and the result (1.2) is definitely determined as our basic mathematics, as we see from Proposition 1.  Note  its very general assumptions and  many fundamental evidences in our world in (\cite{kmsy,msy,mos}). The results will give great impacts  on Euclidean spaces, analytic geometry, calculus, differential equations, complex analysis and  physical problems. See our announcements for the details.

The mysterious history of the division by zero over one thousand years is a great shame of  mathematicians and human race on the world history, like the Ptolemaic system (geocentric theory). The division by zero will become a typical  symbol of foolish human race with long and unceasing struggles. Future people will realize this fact as a definite common sense.

We should check and fill our mathematics, globally and beautifully, from the viewpoint of the division by zero. Our mathematics will be more perfect and beautiful,  and will give great impacts to our basic ideas on the universe.

\section{Albert Einstein's biggest blunder}
The division by zero is directly related to the Einstein's theory and various
physical problems
containing the division by zero.  Now we should check the theory and the problems by the concept of the RIGHT and DEFINITE division by zero. Now is the best time since 100 years from Albert Einstein. It seems that the background knowledge is timely fruitful.

\section{Computer systems}
The above Professors listed are wishing the contributions in order to avoid the zero division trouble in computers. Now,  we should arrange  new computer systems in order not to meet the division by zero trouble in computer systems.

\section{General  ideas on the universe}
The division by zero may be related to religion,  philosophy and the ideas on the universe, and it will creat a new world. Look the new world.

\bigskip

We are standing on a new  generation and in front of the new world, as in the discovery of the Americas.

 \bigskip

\bibliographystyle{plain}
\begin{thebibliography}{10}

\bibitem{bb}
J. P.  Barukcic and I.  Barukcic, Anti Aristotle—The Division of Zero by Zero. Journal of Applied Mathematics and Physics,  {\bf 4}(2016), 749-761.
doi: 10.4236/jamp.2016.44085.

\bibitem{bht}
J. A. Bergstra, Y. Hirshfeld and J. V. Tucker,
Meadows and the equational specification of division (arXiv:0901.0823v1[math.RA] 7 Jan 2009).

\bibitem{cs}
L. P.  Castro and S. Saitoh,  Fractional functions and their representations,  Complex Anal. Oper. Theory {\bf7} (2013), no. 4, 1049-1063.

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M. Kuroda, H. Michiwaki, S. Saitoh, and M. Yamane,
New meanings of the division by zero and interpretations on $100/0=0$ and on $0/0=0$,
Int. J. Appl. Math.  {\bf 27} (2014), no 2, pp. 191-198,  DOI: 10.12732/ijam.v27i2.9.

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Linear Algebra \& Matrix Theory (ALAMT)(to appear).

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H. Michiwaki, S. Saitoh,  and  M.Yamada,
Reality of the division by zero $z/0=0$.  IJAPM  International J. of Applied Physics and Math. {\bf 6}(2015), 1--8. http://www.ijapm.org/show-63-504-1.html

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H.  Michiwaki, H. Okumura, and S. Saitoh,
Division by Zero $z/0 = 0$ in Euclidean Spaces.
 International Journal of Mathematics and Computation
 (in press).

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