体 (数学)
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代数学において体(たい、英: field, 独: Körper, 仏: corps)は、四則演算の自由にできる代数的構造を備えた集合のことである。
たとえば、自然数(の全体の成す集合)からはじめて、その中で四則演算が自由にできるように数を拡張することで有理数(の全体の成す集合)が得られる。他に、実数や複素数の全体が成す集合などが体の代表的な例である。
体をアルファベットで表すときは、K (続いて L, M 等)を用いる慣例がある。これは体がドイツ語で "Körper" だからである。英語の "field" の頭文字をとって F が用いられることもある。F の次の文字 G は群と紛らわしいから、前の文字 E も用いられる。
目次 [非表示]
1 定義
2 例
3 諸概念
4 関連項目
5 外部リンク
定義[編集]
「斜体 (数学)」も参照
(必ずしも可換でない)体とは、以下の条件を満たす加法と乗法と呼ばれる 2 つの二項演算によって定まる代数的構造のことである。以下、台集合 K に加法 "+" と乗法 "×" が定められているとし、乗法の結果(積) a × b は ab と略記する。
K は加法に関してアーベル群である:
a, b, c を K の任意の元とするとき、結合法則 a + (b + c) = (a + b) + c が成り立つ。
a + 0K = 0K + a = a が K の元 a の取り方に依らずに満たされる零元と呼ばれる特別な元 0K が存在する。
a が K の元ならばそれに対して a + (-a) = (-a) + a = 0K を満たす、マイナス元と呼ばれる元 -a が常に存在する。
交換法則が成り立つ。つまり K のどんな元 a, b についても、 a + b = b + a となる。
K は乗法に関してモノイドであって、0 以外の元が群をなす:
a, b, c を K の任意の元とするとき、結合法則 a(bc) = (ab)c が成り立つ。
a1K = 1Ka = a が K の零元 0K でない元 a の取り方に依らずに満たされる単位元と呼ばれる特別な元 1K が存在する。
a が零元 0K でない K の元ならばそれに対して aa-1 = a-1a = 1K を満たす、逆元と呼ばれる元 a-1 が常に存在する。
乗法は加法に対して分配的である: a, b, c を K の任意の元とするとき、a(b + c) = ab + ac, (a + b)c = ac + bc が成り立つ。
また、この条件を満たす代数的構造を備えた代数系 (K, +, 0K, ×, 1K) あるいは省略して単に集合 K は「体を成す」という。零元のみからなる集合 {0} は 1 = 0 と見れば上記の条件を満たし、自明な体と呼ばれるが往々理論的な障害となるため通常は除外して考える。つまり、体の定義に通常は
1 ≠ 0, すなわち乗法は零元でない単位元を持つ。
なる条件を加える。さらにもう一つ、乗法の可換性に関する条件
K のどんな元 a, b についても、 ab = ba が満たされる。
を加えるとき K を可換体と呼び、可換性が満たされない元を K が持つとき非可換体と呼ぶ。また一つの代数系 K に対してではなく、代数的構造の分類としてもこれらの用語を用いる。分類としての明確化のために、可換体・非可換体の両者をあわせて「必ずしも可換でない体」という用語を用いることがある。本項では便宜上「必ずしも可換でない体」を単に「体」と呼称する。一方、「体論」「体の理論」などと呼ぶときの「体」は多くは可換体を意味すると思って差し支えない。
単に「体」とよぶとき、その意味するものにはいくつかの流儀が存在する。たとえば、可換である体を単に「体」 (field) と呼び、非可換なものを含めてよぶときは多元体あるいは可除環(かじょかん、division ring, division algebra)あるいは斜体(しゃたい、skew field)と呼ぶのはイギリス流(英語圏)である。一方(ヨーロッパ)大陸流(ドイツ、フランス語圏)では、必ずしも可換でない体を単に「体」 (Körper, corps) とよび、可換であるときを特に可換体 (kommutativ Körper, corps commutatif) とよぶ。ただし、歴史的経緯はどうあれ時代が下るにつれ英語圏の流儀に合わせる傾向は見られる。
またいずれの流儀においても、文脈に応じて「可換」「必ずしも可換とは限らない」「非可換」などを冠することで明示的にこれらの概念を区別することがある。これらの区分のうち「非可換」なものの指すべき範疇は文脈にまったく依存するものであることには留意が必要である。たとえば「斜体」と呼ぶとき、それが可換体を含むのか含まないのかは文脈を踏まえなければ定かではないし、「非可換体」が可換体を含む意味で用いられることもある。
例[編集]
F2 = {0,1} の演算表
加法
+ 0 1
0 0 1
1 1 0
乗法
× 0 1
0 0 0
1 0 1
有理数の全体 Q は可換体である。
実数の全体 R や複素数の全体 C も可換体である。
四元数の全体 H は非可換体である。
{0, 1} に右のように演算を定義すると、これは体になっている。この体を F2 と書く。一見つまらない例のように見えるかもしれないが、この体は符号理論などに応用を持っている。
より一般に、p を素数とするとき、集合 {0, 1, ..., p - 1} に演算を定義して体にすることが出来る。この体を Fp , Z/pZ または GF(p) などと書く。
可換体 k 上の有理関数の全体 k(x1, ..., xn) も可換体である。
既約加群の自己準同型環は斜体である(シューアの補題)。
諸概念[編集]
「体論用語一覧」も参照
体 K が与えられたとき、その乗法構造を忘れて加法に関するアーベル群とみたときの代数系 (K, +) を体 K の加法群と呼ぶ。加法群を K+ や Ga(K) と記す場合もある。また乗法構造のみに注目して、0 を除く K の元の全体 K* に乗法を与えて得られる代数系 (K*, ×) は群であり、乗法群と呼ばれる。K の乗法群をしばしば K× とも記し、Gm(K) と記されることもある。体 K の乗法群の任意の有限部分群は巡回群である。
体の元の濃度を位数といい、有限な位数を持つ体を有限体と呼び、そうでない体を無限体と呼ぶ。有限体は常に可換体である(ウェダバーンの定理)。
n1 で単位元 1 を n 回足したものを表すとき、n1 = 0 となるような正の整数 n のうち最も小さなものをその体の標数という。ただし、そのような n が存在しないとき標数は 0 であると決める。体の標数は 0 または素数である。
体は 0 以外の元が全て可逆となる単位的環である。したがって、そのイデアルや部分環の概念を考えることができるが、体は自明でない両側イデアルを持たない(これを体は単純環であるという)。体の単位的環としての部分環がふたたび体をなすとき、部分体という。
体 K, L とその間の写像 f: K → L が与えられたとき、f が体の準同型であるとは、単位的環としての準同型であることをいう。つまり、体準同型 f は K の任意の元 a, b および、K, L それぞれの単位元 1K, 1L に対して
f(a + b) = f(a) + f(b)
f(ab) = f(a)f(b)
f(1_K) = 1_L
を全て満たす。また、その像 Im(f) = {f(x) | x ∈ K} は L の部分体となり、核 Ker(f) = {x ∈ K | f(x) = 0L} は K の両側イデアルとなるが、体が単純環であることと単位元が零元にうつることはないことから、体の準同型は必ず単射になる。したがって、体の準同型 f: K → L の像 Im(f) は K に体として同型である。これを中への同型とよび、さらに f が全射であるとき上への同型であるという。https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BD%93_(%E6%95%B0%E5%AD%A6)
再生核研究所声明249(2015.10.20)数とは何か ― ゼロ除算z/0=0を含む
(数とは、ゼロ除算z/0=0を含む 山田正人 体の元のことである:
2015.10.16.07:30 小雨の中、興奮しながら散歩していた。 その時、 上記のような直観が確信をもって、熱く閃いた。複素数体に対して、山田体を広く用いるべきである。 そこでは、例外なく逆数が定義され、言わば完備化空間のように完全になり、ゼロ除算の世界が拓かれてくる。
2015.10.16.08:12)
ゼロ除算z/0=0は 分数の自然な拡張として既に1+1=2のように自明であり、しかもそれは、我々の数学そのものであり、自然現象もきちんと表している。しかしながら、永い間の偏見の世界史、それも千年を超える偏見であり、天才的な数学者たちの足跡を省みて、中々世の中で理解されない状況があるのは、世の関係サイトを見ても良く分かる。それらには、そもそもゼロに対する恐怖心とゼロ除算にからむ、不可思議で奇妙な論調を見ることができる。
ゼロ除算のこのような歴史は、やがて人類の愚かさの象徴であると世界史で記録されるだろう。
1/0 とは何だと、恐怖心を抱く者は 尚世に多い状態と言える。公理論的に吟味したか、現代数学とは違う、変な世界の数学ではないか、数学的に正しくともそのような変な数学が大きな意味を持つはずがない等と 特に優秀な人たちが述べて来たのは大変興味深い事実である。
最近、数学基礎論、公理論、計算機科学の専門家たちのゼロ除算に関する論文を発見した
Meadows and the equational specification of division
J A Bergstra,Y Hirshfeld and J V Tucker
が、結論ではとにかく、奇妙なことが書かれている(arXiv:0901.0823v1[math.RA] 7 Jan 2009)。
文献を見れば、彼らが相当な専門家であることが分かる。― 上記は要するにゼロ除算を含むいろいろな公理系を建設できるが、幻のようであるが計算に役立つと言っているようである。 きちんと書かれているのは、ゼロ除算が可能であるとは 主張しない ということである。
しかるに、我々はゼロ除算が可能であり、ゼロ除算は我々の数学そのものであると言っている。我々の本質的な原理は、ゼロ除算z/0=0は定義そのものであり、そのように定義し、導入することによって、数学は完全になり、新しい世界を拓くと言っている。いろいろな証拠を挙げて、解説してきた。
しかしながら、それでもなお、1/0 とは何ものかという、思いが残っているかも知れない。 それは数と言えるのだろうかなどの雑念が残っているかも知れない。
このような折り、2015.10.3.山田正人氏が研究室を訪れ、上記の論文とともに氏の考えを夢中で討論した。そのときは、2人ともそんなには気にしなかったのであるが、山田氏は、ゼロ除算を含む 体の構造を入れる方法を説明された。 体とは、四則演算が自由にできる 数学の述語で、 言わば数の資格もつ性質を表している。こうなると、ゼロ除算z/0は代数的にも堂々と数であると言明できることになる。
念を押したいのは、ゼロ除算z/0=0とは定義そのものであり、その定義で、全ての理論は現代数学の中で、新しい世界を展開できるということである。
実際、山田氏の上記の理論から、新しい結果は、何一つ得られない、数学の内容としては自明なものばかりである。
しかしながら、引用された上記論文や、体の概念の重要性から、山田氏の発見された体は 極めて重要であり、数とは 山田氏の発見された体の元、そのものである と言える。
山田氏の発見された、体の構造とは簡単であるが、新規な面白い概念を含んでいるので、内容は 当分は未公開としたい。
極めて面白いのは、y軸の勾配がゼロであるという知見をゼロ除算の帰結として得ていたが、山田氏の上記の考えは、そのことの帰結を微妙な論理で同様に導いている事実である。山田氏の考えには新しい世界観があるのは確かであると言える。
以上
\documentclass[12pt]{article}
\usepackage{latexsym,amsmath,amssymb,amsfonts,amstext,amsthm}
\numberwithin{equation}{section}
\begin{document}
\title{\bf Announcement 247: The gradient of y-axis is zero and $\tan (\pi/2) =0$ by the division by zero $1/0=0$}
\author{{\it Institute of Reproducing Kernels}\\
\date{September 22, 2015}
\maketitle
In Announcement 246, we stated:
\medskip
Consider the lines $y = ax$ with gradients $a$ through the origin $ 0$. Consider the two limits that $a \quad (>0)$ tends to $ + \infty$ and $a \quad (<0)$ tends to $- \infty$, respectively. As their limits, we see that the limiting lines are $y$ — axis. Note that the gradient of the $y$ axis is zero, not infinity.
This example shows as in the graph of the function $y = f(x) = 1/x$ at $x = 0$ as $f(0) =0$, that was introduced by the division by zero $1/0=0$ mathematically (\cite{s,kmsy,ttk,ann}).
\medskip
For this announcement, Professor H. Begehr kindly referred to the gradient of the $y$ axis in the above: If the gradient of the imaginary axis is $0$ this would mean $\tan (\pi/2)=0$,
right? Of course this would be a consequence of $1/0=0$!
\medskip
We had sent the e-mail, soon as follows:
\medskip
For the gradient of $y$ axis, we can define it as zero, very naturally and in the intuitive sense; of course, we can give its definition precisely.
However, as you stated, we can derive it formally by the division by zero $1/0=0$; this deduction will be very interested in itself, because, the formal result $1/0=0$ is coincident with the natural sense.
\medskip
The gradients of y axis and x axis are both zero.
\medskip
Surprisingly enough, this would mean $\tan (\pi/2)=0$,
right?
THIS IS RIGHT for our sense; we gave the definition of the values for analytic functions at an isolated singular point:
\medskip
{\bf Theorem :} {\it Any analytic function takes a definite value at an isolated singular point }{\bf with a natural meaning.} The definite value is given by the first coefficient of the regular part in the Laurent expansion around the isolated singular point (\cite{ann}).
\medskip
As the fundamental results, we would like to state that
\medskip
{\huge \bf I) The gradient of the y axis is zero,}
\medskip
and
\medskip
{\huge \bf II) $\tan \frac{\pi}{2} = 0,$}
\medskip
in the sense of the division by zero in our sense.
\medskip
Note that the function $y = \tan x$ is similar with the function $y = 1/x$ around $x = \frac{\pi}{2}
$ and $ x = 0$, respectively.
\footnotesize
\bibliographystyle{plain}
\begin{thebibliography}{10}
\bibitem{s}
S. Saitoh, Generalized inversions of Hadamard and tensor products for matrices, Advances in Linear Algebra \& Matrix Theory. Vol.4 No.2 (2014), 87-95. http://www.scirp.org/journal/ALAMT/
\bibitem{kmsy}
M. Kuroda, H. Michiwaki, S. Saitoh, and M. Yamane,
New meanings of the division by zero and interpretations on $100/0=0$ and on $0/0=0$,
Int. J. Appl. Math. Vol. 27, No 2 (2014), pp. 191-198, DOI: 10.12732/ijam.v27i2.9.
\bibitem{ttk}
S.-E. Takahasi, M. Tsukada and Y. Kobayashi, Classification of continuous fractional binary operators on the real and complex fields, Tokyo Journal of Mathematics (in press).
\bibitem{ann}
Announcement 185: Division by zero is clear as z/0=0 and it is fundamental in mathematics,
Institute of Reproducing Kernels, 2014.10.22.
\end{thebibliography}
\end{document}
\usepackage{latexsym,amsmath,amssymb,amsfonts,amstext,amsthm}
\numberwithin{equation}{section}
\begin{document}
\title{\bf Announcement 246: An interpretation of the division by zero $1/0=0$ by the gradients of lines }
\author{{\it Institute of Reproducing Kernels}\\
\date{September 17, 2015}
\maketitle
Consider the lines $y = ax$ with gradients $a$ through the origin $ 0$. Consider the two limits that $a \quad (>0)$ tends to $ + \infty$ and $a \quad (<0)$ tends to $- \infty$, respectively. As their limits, we see that the limiting lines are $y$ — axis. Note that the gradient of the $y$ axis is zero, not infinity.
This example shows the graph of the function $y = f(x) = 1/x$ at $x = 0$ as $f(0) =0$, that was introduced by the division by zero $1/0=0$ mathematically (\cite{s,kmsy,ttk,ann}.
\footnotesize
\bibliographystyle{plain}
\begin{thebibliography}{10}
\bibitem{s}
S. Saitoh, Generalized inversions of Hadamard and tensor products for matrices, Advances in Linear Algebra \& Matrix Theory. Vol.4 No.2 (2014), 87-95. http://www.scirp.org/journal/ALAMT/
\bibitem{kmsy}
M. Kuroda, H. Michiwaki, S. Saitoh, and M. Yamane,
New meanings of the division by zero and interpretations on $100/0=0$ and on $0/0=0$,
Int. J. Appl. Math. Vol. 27, No 2 (2014), pp. 191-198, DOI: 10.12732/ijam.v27i2.9.
\bibitem{ttk}
S.-E. Takahasi, M. Tsukada and Y. Kobayashi, Classification of continuous fractional binary operators on the real and complex fields, Tokyo Journal of Mathematics (in press).
\bibitem{ann}
Announcement 185: Division by zero is clear as z/0=0 and it is fundamental in mathematics,
Institute of Reproducing Kernels, 2014.10.22.
\end{thebibliography}
\end{document}
再生核研究所声明200(2015.1.16) ゼロ除算と複素解析の現状 ―佐藤超関数論との関係が鍵か?
正確に次のように公開して複素解析とゼロ除算の研究を開始した:
特異点解明の歩み100/0=0,0/0=0 関係者:
複素解析学では、1/0として、無限遠点が存在して、美しい世界です。しかしながら、1/0=0 は 動かせない真実です。それで、勇気をもって進まざるを得ない:― 哲学とは 真智への愛 であり、真智とは 神の意志 のことである。哲学することは、人間の本能であり、それは 神の意志 であると考えられる。愛の定義は 声明146で与えられ、神の定義は 声明122と132で与えられている。― 再生核研究所声明148.
私には 無理かと思いますが、世の秀才の方々に 挑戦して頂きたい。空論に付き合うのはまっぴらだ と考える方も多いかと思いますが、面白いと考えられる方で、楽しく交流できれば幸いです。宜しくお願い致します。 添付 物語を続けたい。敬具 齋藤三郎
2014.4.1.11:10
上記で、予想された難問、 解析関数は、孤立特異点で確定値をとる、が 自分でも予想しない形で解決でき、ある種の実体を捉えていると考えたのであるが、この結果自体、世のすべての教科書の内容を変える事件であるばかりではなく、確立されている無限遠点の概念に 新しい解釈を与えるもので、1次変換の美しい性質が、ゼロ除算の導入によって、任意の1次変換は 全複素平面を全複素平面に1対1 onto に写すという美しい性質に変わるが、 極である1点において不連続性が現れ、ゼロ除算は、無限を 数から排除する数学になっている。
6月、帰国後、気に成っていた、金子晃先生の 30年以上前に購入した超函数入門の本に 極めて面白い記述があり、佐藤超関数とゼロ除算の面白い関係が出てきた。さらに 特異積分におけるアダマールの有限部分や、コーシーの主値積分は、弾性体やクラック、破壊理論など広い世界で、自然現象を記述するのに用いられているが、面白いのは 積分が、もともと有限部分と発散部分に分けられ、 極限は 無限たす、有限量の形になっていて、積分は 実は、普通の積分ではなく、そこに現れる有限量を便宜的に表わしている。ところが、その有限量が実は、 ゼロ除算にいう、 解析関数の孤立特異点での 確定値に成っていることが分かった。これはゼロ除算の結果が、広く、自然現象を記述していることを示している。
現在まで、添付21ページの論文原稿について 慎重に総合的に検討してきた。
そこで、問題の核心、ゼロ除算の発展の基礎は、次の論点に有るように感じられてきた:
We can find many applicable examples, for example, as a typical example in A. Kaneko (\cite{kaneko}, page 11) in the theory of hyperfunction theory: for non-integers $\lambda$, we have
\begin{equation}
x_+^{\lambda} = \left[ \frac{-(-z)^{\lambda}}{2i \sin \pi \lambda}\right] =\frac{1}{2i \sin \pi \lambda}\{(-x + i0)^{\lambda}- (-x - i0)^{\lambda}\}
\end{equation}
where the left hand side is a Sato hyperfunction and the middle term is the representative analytic function whose meaning is given by the last term. For an integer $n$, Kaneko derived that
\begin{equation}
x_+^{n} = \left[- \frac{z^n}{2\pi i} \log (-z) \right],
\end{equation}
where $\log$ is a principal value: $ \{ - \pi < \arg z < +\pi \}$. Kaneko stated there that by taking a finite part of the Laurent expansion, the formula is derived.
Indeed, we have the expansion, for around $ n$, integer
$$
\frac{-(-z)^{\lambda}}{2i \sin \pi \lambda}
$$
\begin{equation}
= \frac{- z^n}{2\pi i} \frac{1}{\lambda -n} - \frac{z^n}{2\pi i} \log (-z )
- \left( \frac{\log^2 (-z) z^n}{2\pi i\cdot 2!} + \frac{\pi z^n}{2i\cdot 3!}
\right)(\lambda - n) + ...
\end{equation}
(\cite{kaneko}, page 220).
By our Theorem 2, however, we can derive this result (4.3) from the Laurant expansion (4.4), immediately.
上記ローラン展開で、\lambda に n を代入したのが ちょうど n に対する佐藤の超関数になっている。それは、ゼロ除算に言う、 孤立特異点における解析関数の極における確定値である。これはゼロ除算そのものと殆ど等価であるから、ローラン展開に \lambda = n を代入した意味を、上記の佐藤超関数の理論は述べているので 上記の結果を分析すれば、ゼロ除算のある本質を捉えることができるのではないかと考えられる。
佐藤超関数は 日本で生まれた、基本的な数学で 優秀な人材を有している。また、それだけ高級、高度化しているが、このような初歩的、基本的な問題に関係がある事が明らかになってきた。そこで、佐藤超関数論の専門家の方々の研究参加が望まれ、期待される。また、関係者の助言やご意見をお願いしたい。
ゼロ除算における新現象、驚きとは Aristotélēs の世界観、universe は連続である を否定して、強力な不連続性を universe の現象として示していることである。
以 上
7歳の少女が、当たり前であると言っているゼロ除算を 多くの大学教授が、信じられない結果と言っているのは、まことに奇妙な事件と言えるのではないでしょうか。
世界中で、ゼロ除算は 不可能 か
可能とすれば ∞ だと考えられていたが・・・
しかし、ゼロ除算 はいつでも可能で、解は いつでも0であるという意外な結果が得られた。
1/0=∞ (これは、今の複素解析学) 1/0=0 (これは、新しい数学で、Division by Zero)
原点を中心とする単位円に関する原点の鏡像は、どこにあるのでしょうか・・・・
∞ では無限遠点はどこにあるのでしょうか・・・・・
無限遠点は存在するが、無限大という数は存在しない・・・・
地球平面説→地球球体説
天動説→地動説
何年かかったでしょうか????
1/0=∞若しくは未定義 →1/0=0
何年かかるでしょうか????
再生核研究所声明199(2015.1.15) 世界の数学界のおかしな間違い、世界の初等教育から学術書まで間違っていると言える ― ゼロ除算100/0=0,0/0=0
ゼロ除算は 西暦628年インドでゼロが文献に記録されて以来、問題とされてきた。ゼロ除算とは、ゼロで割ることを考えることである。これは数学の基本である、四則演算、加法、減法、乗法、除法において、除法以外は何時でも自由にできるのに、除法の場合だけ、ゼロで割ることができないという理由で、さらに物理法則を表す多くの公式にゼロ除算が自然に現れていることもあって、世界各地で、今でも絶えず、問題にされていると考えられる。― 小学生でも どうしてゼロで割れないのかと毎年、いろいろな教室で問われ続いているのではないだろうか.
これについては、近代数学が確立された以後でも、何百年を越えて 永い間の定説として、ゼロ除算は 不可能であり、ゼロで割ってはいけないことは、初等教育から、中等、高校、大学そして学術界、すなわち、世界の全ての文献と理解はそうなっている。変えることのできない不変的な法則のように理解されていると考えられる。
しかるに2014年2月2日 ゼロ除算は、可能であり、ゼロで割ればゼロであることが、偶然発見された。その後の経過、背景や意味付け等を纏めてきた:
再生核研究所声明 148(2014.2.12) 100/0=0, 0/0=0 - 割り算の考えを自然に拡張すると ― 神の意志
再生核研究所声明154(2014.4.22) 新しい世界、ゼロで割る、奇妙な世界、考え方
再生核研究所声明157(2014.5.8) 知りたい 神の意志、ゼロで割る、どうして 無限遠点と原点が一致しているのか?
再生核研究所声明161(2014.5.30)ゼロ除算から学ぶ、数学の精神 と 真理の追究
再生核研究所声明163(2014.6.17)ゼロで割る(零除算)- 堪らなく楽しい数学、探そう零除算 ― 愛好サークルの提案
再生核研究所声明166(2014.6.20)ゼロで割る(ゼロ除算)から学ぶ 世界観
再生核研究所声明171(2014.7.30)掛け算の意味と割り算の意味 ― ゼロ除算100/0=0は自明である?
再生核研究所声明176(2014.8.9) ゼロ除算について、数学教育の変更を提案する
Announcement 179 (2014.8.25): Division by zero is clear as z/0=0 and it is fundamental in mathematics
Announcement 185 : The importance of the division by zero $z/0=0$
再生核研究所声明188(2014.12.15)ゼロで割る(ゼロ除算)から観えてきた世界
再生核研究所声明190(2014.12.24)
再生核研究所からの贈り物 ― ゼロ除算100/0=0, 0/0=0
夜明け、新世界、再生核研究所 年頭声明
― 再生核研究所声明193(2015.1.1)―
再生核研究所声明194(2015.1.2)大きなイプシロン(無限小)、創造性の不思議
再生核研究所声明195(2015.1.3)ゼロ除算に於ける高橋の一意性定理について
再生核研究所声明196(2015.1.4)ゼロ除算に於ける山根の解釈100= 0x0について
ところが、気づいてみると、ゼロ除算は当たり前なのに、数学者たちが勝手に、割り算は掛け算の逆と思い込み、ゼロ除算は不可能であると 絶対的な真理であるかのように 烙印を押して、世界の人々も盲信してきた。それで、物理学者が そのために基本的な公式における曖昧さに困ってきた事情は ニュートンの万有引力の法則にさえ見られる。
さらに、誠に奇妙なことには、除算はその言葉が表すように、掛算とは無関係に考えられ、日本ばかりではなく西欧でも中世から除算は引き算の繰り返しで計算されてきた、古い、永い伝統がある。その考え方から、ゼロ除算は自明であると道脇裕氏と道脇愛羽さん6歳が(四則演算を学習して間もないときに)理解を示した ― ゼロ除算は除算の固有の意味から自明であり、ゼロで割ればゼロであるは数学的な真実であると言える(声明194)。数学、物理、文化への影響も甚大であると考えられる。
数学者は 数学の自由な精神で 好きなことで、考えられることは何でも考え、不可能を可能にし、分からないことを究め、真智を求めるのが 数学者の精神である。非ユークリッド幾何学の出現で 絶対は変わり得ることを学び、いろいろな考え方があることを学んできたはずである。そのような観点から ゼロ除算の解明の遅れは 奇妙な歴史的な事件である と言えるのではないだろうか。
これは、数学を超えた、真実であり、ゼロ除算は不可能であるとの 世の理解は間違っている と言える。そこで、真実を世界に広めて、人類の歴史を進化させるべきであると考える。特に声明176と声明185を参照。ゼロ除算は 堪らなく楽しい 新世界 を拓いていると考える。
以 上
1+0=1 1ー0=0 1×0=0 では、1/0・・・・・・・・・幾つでしょうか。
0??? 本当に大丈夫ですか・・・・・0×0=1で矛盾になりませんか・・・・
1/0=∞ (これは、今の複素解析学) 1/0=0 (これは、新しい数学で、Division by Zero)
ゼロ除算は、不可能であると誰が最初に言ったのでしょうか・・・・
7歳の少女が、当たり前であると言っているゼロ除算を 多くの大学教授が、信じられない結果と言っているのは、まことに奇妙な事件と言えるのではないでしょうか。
割り算を掛け算の逆だと定義した人は、誰でしょう???
世界中で、ゼロ除算は 不可能 か
可能とすれば ∞ だと考えられていたが・・・
しかし、ゼロ除算 はいつでも可能で、解は いつでも0であるという意外な結果が得られた。
小学校以上で、最も知られている数学の結果は何でしょうか・・・
ゼロ除算(1/0=0)は、ピタゴラスの定理(a2 + b2 = c2 )を超えた基本的な結果であると考えられる。
https://www.pinterest.com/pin/234468724326618408/
原点を中心とする単位円に関する原点の鏡像は、どこにあるのでしょうか・・・・
∞ では無限遠点はどこにあるのでしょうか・・・・・
無限遠点は存在するが、無限大という数は存在しない・・・・
加(+)・減(-)・乗(×)・除(÷) 除法(じょほう、英: division)とは、乗法の逆演算・・・・間違いの元 乗(×)は、加(+) 除(÷)は、減(-)
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1411588849/a37209195?sort=1&fr=chie_my_notice_canso
地球平面説→地球球体説
天動説→地動説
1/0=∞ 若しくは未定義 →1/0=0
地球人はどうして、ゼロ除算1300年以上もできなかったのか? 2015.7.24.9:10 意外に地球人は知能が低いのでは? 仲間争いや、公害で自滅するかも。 生態系では、人類が がん細胞であった とならないとも 限らないのでは?
地球平面説→地球球体説
地球が丸いと考えた最初の人-ピタゴラス
地球を球形であることを事実によって証明しようとした人-マゼラン
地球を球形と仮定して初めて地球の大きさを測定した人-エラトステネス
天動説→地動説 アリスタルコス=ずっとアリストテレスやプトレマイオスの説が支配的だったが、約2,000年後にコペルニクスが再び太陽中心説(地動説)を唱え、発展することとなった。https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%AA%E3%82%B9%E3%82%BF%E3%83%AB%E3%82%B3%E3%82%B9 …
何年かかったでしょうか????
1/0=∞若しくは未定義 →1/0=0
何年かかるでしょうか????
地球平面説→地球球体説
天動説→地動説
何年かかったでしょうか???
1/0=∞若しくは未定義 →1/0=0
何年かかるでしょうか???
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