2015年10月16日金曜日

記事 猪野 亨2015年10月15日 13:04北海道新幹線、東京から函館まで22,690円 地元は落胆…、借金は重い

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猪野 亨2015年10月15日 13:04北海道新幹線、東京から函館まで22,690円 地元は落胆…、借金は重い




 来年3月に開業する北海道新幹線の料金が発表されましたが、東京、新函館北斗間で22,690円ということです。

 それくらいにはなるだろうとは思っていましたが、決して安くはありません。航空機の早割前後の設定ですから、時間の早さでは明らかに劣る新幹線は、ビジネス用というよりは観光用です。

 この価格設定に北海道の地元の落胆の声が報じられていました。

「北海道新幹線:割高料金に地元落胆 「高速区間短いのに」」(毎日新聞2015年10月14日)

 地元では新幹線を期待するのは、もはや観光以外にはありません。ビジネス客が東京と木古内を往復するという場面はどうにも想像できません。

 新函館北斗はともかく木古内は日に何人の乗降客があるのでしょうか。数人でしょうか。

 本州からの旅行客が増加することが、新幹線建設の目的であるならば、何ともコスト高なインフラ整備です。

「北海道新幹線で観光客増? 高橋はるみ知事、24年後のあなたは?」

 それが22,690円という価格設定にいかにも割高感があるため、地元は落胆したのです。

 この料金設定については、JR側は、航空業界を意識した料金設定にしたそうです。

「JR北海道「値ごろ感出した」 新幹線料金、航空業界を意識」(北海道新聞2015年10月14日)

「ある航空関係者は「航空各社の割引運賃のすべてが新幹線料金を下回るわけではなく、そういう意味では、JRの料金設定は安い」と危機感を抱く。全日空札幌支店は 北陸新幹線 金沢開業で羽田―小松線などの航空路線が軒並み苦戦したことを挙げ、「北陸のように競合になるかは分からないが、既存の運賃でどこまで対応できるか、検討の余地はある」と慎重に受け止める。」

 しかし、前掲毎日新聞の記事では航空会社は余裕を見せるという内容の記事でした。

「羽田空港-函館空港に路線を持つ航空各社は余裕の構えを見せる。ある航空関係者は「北海道は東京から距離があり、北陸新幹線のように航空機の乗客を奪われることはない」と楽観し、「北海道新幹線で新たな客層により、行きは新幹線、帰りは飛行機といった相乗効果が期待できる」と話した。」

 どちらが正しいのか、北海道新聞は新幹線に限っては盲目的なため楽観的な記事になったのかとも思いますが、感覚的には航空機には適いそうもありません。

 新幹線ができれば当初は目新しいものが大好きな日本人ですから、最初のうちは観光客は増加するでしょうが、最初だけです。

 青函トンネルでの高速運転も実用化されていません。

 すぐにも地元への経済効果などなかったということに気づくことになるでしょうが、それは私たちが莫大な借金を背負うことでもあるのです。http://blogos.com/article/139297/

高いとは言えないのでは? 素晴らしいことでは? 観光が楽しめるのでは?
飛行機代が安いのでは?

再生核研究所声明192(2014.12.27) 無限遠点から観る、人生、世界

(これは、最近、夢中になっているゼロ除算の発想から湧いた、逆思考である。要するに遠い将来から、人生や世界をみたら、考えたら、どのようになるかという視点である。)

主張が明確に湧いたので、結論、趣旨から述べたい。人は我々の目標や希望が未来にあり、そのためにその目標に向かって、努力、精進などと志向しているは 多いのではないだろうか。そのような意味で、我々の関心が、先に、先に有るように感じるのではないだろうか。これは自然な心情であろうが、別の視点も考えたい。成長や発展、変化には適切な有り様が有って、早ければ良い、急いで進めれば良いとはならないということである。現在は、未来のためにあるのではなく、現在、現状はそれ自体尊いという視点である。先、先ではなく、 いま、いまが大事であるという視点である。生物の成長には固有のリズム、
成長のペースがあるということである。我々は、生物としての枠、構成されている状況によって制限があり、適切な有り様が存在する:

再生核研究所声明85(2012.4.24)食欲から人間を考える ― 飽きること

理想的な有り様には 自然な終末もあり、大局的にみれば、大きな流れにおける調和こそ
大事ではないだろうか。次の声明

再生核研究所声明144(3013.12.12) 人類滅亡の概念 - 進化とは 滅亡への過程である

の題名も真実だろうが、そこで述べた、

そこで、 ここでの教訓は、目標や先は、そんなに良くはないのだから、何事無理をするな、自分のペースで、急がず、慌てず、 自分の心の状態を尊重する ということである。人生の一つの原理は、ゲーテの 絶えず活動して止まないもの、 アインシュタインの 人生は自転車に乗っているようなもの である、 止まったら、倒れてしまう、 岡本太郎氏の 芸術は爆発だ、どんどん爆発を続けて行くのが芸術だ。 これらは、誠 至言である。

は真実としても、活動を進める情念も結局、自己のペースが大事であって、あまり外の影響を強く受けるべきではないと言う、視点が大事ではないだろうか。

言いたいことは、個人の心持ちもそうであるが、経済活動、社会活動、科学の進歩も、全体的な流れにおける調和が大事であるということである。例えば

磁気浮上式電車の開通の是非は 妥当であろうか。
原子力発電所の開発促進は適切であろうか。
グローバリゼーションは 急ぎ過ぎではないだろうか。
成果主義は行き過ぎではないだろうか。
経済の成長、発展 優先も大いに気になる。

などと難しい問題に対する広く、深い、総合的な評価の検討も要請したい。 次の声明も参照:

再生核研究所声明117(2013.5.10): 時,状況が問題; タイミングの重要性 、死の問題、恋の問題。

以 上

再生核研究所声明 13 (2008/05/17): 第1原理 ― 最も大事なこと

世界の如何なるものも 環境内の存在であり、孤立した存在は在り得ない。世界の如何なる芸術も真理もまた一切の価値は、人類が存在して始めて意味のある存在となる。従って人類の生存は、如何なるものをも超えた存在であり、すべてに優先する第1原理として、認識する必要がある。よって環境や戦争については 多くの人間の関与すべき重要な問題と考えなければならない。21世紀は、近代科学の進歩によって 地球の有限性が顕わになり、人類絶滅の可能性を感じせしめるようになってきた時代とも言える。

国が栄えなければ、地方の栄えは考えられず、県などが栄えなければ 市町村などの発展は望めない。市町村などが健全でなければ 地域は栄えず、住民や家庭の健全な生活は不可能である。しかしながら、現実的な対応としては、逆方向の発展を考えざるを得ない。すなわち私たち個人、および個人の近くから、より良い社会、環境になるように努力していくことである。孤高の存在は所詮空しく、儚いものである。それゆえに われわれは各級のレベルにおける環境と社会に思いを致すことに努力して行こうではありませんか。

特に、われなき世界は 存在すれども、何事をも認識できず、知ることもなく感じる事もできない。よって、われ存在して始めて、世界を知ることになるから、健全なる個人の存在は、個人にとっては最も大事な第1原理に考えざるを得ない。これは言い古されてきた、 まず健康ということ、 に他ならない。われなき世界とは 自分が影響を与えない世界のことである。この個人と社会の関わりは、 愛とよばれている、 愛の本質である。それは男女の愛と親子の愛が基本になっている。それはまた じんかん と よばれる人間存在の本質でもある。

この声明は 地球環境を限りなく大事にし、世界の平和を確立し、社会を大事に思い、世界の拡大と深化を、 個人を尊重しながら、 積極的に進めることを、各級のレベルで努力することを要請しているものである。その原理は、 人間存在の本質である、 人間存在における三位一体の理存在、知、愛の、存在して、始めて知り、求める事ができる という原理を、いわば当たり前のことを、
確認しているに他ならない。(しかしながら、実際にはこの自明な、重要な原理は、解析接続のように必然的に 新しい価値観と考え方を限りなく発展させ、雄大な世界を拓くのであるが、私個人はこの古い世界で生涯を閉じようとしていて、その世界には立ち入らない事にしたいと思う。不思議にも 少年時代に宇宙論と共にその世界を覗いたのですが、怖くなって覗かないようにしました。それはガウスが非ユークリッド幾何学を発見したが、世の反響の大きさを恐れて発表を控えたのと同じ心境です。) 以上。



地球平面


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