日本人の9割が知らない!
「ゼロ」が抹殺された謎
ソニー創業者・井深大氏も絶賛した『赤ちゃん教育――頭のいい子は歩くまでに決まる』が大人気の「脳科学の権威」久保田競氏と「脳科学おばあちゃん」久保田カヨ子氏。これまで、長らく、育脳教育の最重要指針に「早期からの算数力アップ」を掲げてきた。
そして、いよいよ84歳になったばかりの注目書籍『小学校前にみるみる算数力がつく15の習慣――お風呂で唱えるだけで算数力がアップ!「お経式暗算法」ミラクルシート付き』がリリース。発売早々、アマゾンの「子育て」「小学校の算数」ジャンルで第1位を記録した。
オビには「2歳でも小1の算数がとける!」という衝撃的なコピーがあるだけでなく、最新脳科学に基づく「お経式暗算法」を取り入れた、世界初!?のメソッドで「ゼロの概念」が自然と身につく「お風呂に貼れるミラクルシート付き」だという。
著者いわく、「算数で『ゼロの概念』は最も重要なのに、日本の算数では、これまで『ゼロの概念』が重視されてこなかった」
なぜ、「ゼロは抹殺された」のか?
知られざる「ゼロが抹殺された歴史」を著者に説明してもらおう。
ゼロの発見者とは誰?
久保田カヨ子
(Kayoko Kubota)
脳科学の権威である京都大学名誉教授・久保田競氏の妻で2人の息子の母。この20年で3000人以上の赤ちゃんの脳を活性化させてきた。テレビなどで「脳科学おばあちゃん」として有名。累計38万部突破のシリーズ『0歳からみるみる賢くなる55の心得』『1歳からみるみる頭がよくなる51の方法』『カヨ子ばあちゃん73の言葉』『カヨ子ばあちゃんの男の子の育て方』『カヨ子ばあちゃんのうちの子さえ賢ければいいんです。』『赤ちゃん教育──頭のいい子は歩くまでに決まる』『カヨ子ばあちゃんの子育て日めくり』(以上、ダイヤモンド社)などベスト&ロングセラー多数。ズバッとした物言いのなかに、温かく頼りがいのあるアドバイスが好評。
【脳研工房HP】www.umanma.co.jp/
ゼロは、いつ、誰が、どこで発見したのでしょうか?
それは、ブラーマグプタが、西暦628年、インドのラジャスタン州ビンマル(Bhinmal)で発見したといわれています。
ブラーマグプタが、西暦628年に、ゼロの計算の規則を書いた本を、当時住んでいたビンマルで発刊。
タイトルは、サンスクリット語で、「Brāhmasphuṭasiddhānta」(ブラーマ・スプタ・シッダーンタ……「ブラーマの正確に確立された原理」)。
この本は詩文で書かれており、ゼロの計算ができるようにはっきりと書かれているので、彼がゼロを発見したといわれています。
このことが、日本の義務教育ではっきりと教えられていないので、多くの日本人にあまりゼロの歴史が知られていないようです。
文部科学省の方針はどうか?
文部科学省が2008(平成20)年6月に発行している「小学校学習指導要綱解説 算数編」では、「数と計算」に関して、小学校の第1学年で、整数の意味と表し方(2位数と簡単な3位数)、整数の加・減(1位数の加・減、簡単な2位数の加・減)を教えることになっています。
また、中学校第1学年では、正の数と負の数(必要性、四則計算、用いること)を教えることになっています。
整数とは何かを知るために、「整数」を『広辞苑』で引くと、「1から始まり、次々に1を加えて得られる数(自然数、正の整数)、およびこれらに『-1』を乗じて得られる負の数(負の整数)およびゼロの総称」とあります。
ですから、小学1年生では、ゼロと自然数(正の整数)の数を、中学校で、負の数、ゼロ、正の数を習います。小学校でゼロと正の数、中学校で負の数が加わるわけです。
小学校1年生の算数の教科書にもゼロの計算は出てきますが、残念なことに、ゼロ自体がとても大事な数であることを教えてはいません。http://diamond.jp/articles/-/94450
なぜ、ゼロをしっかり教えなくなったのか?
久保田 競
(Kisou Kubota)
京都大学名誉教授、医学博士。世界で最も権威がある脳の学会「米国神経科学会」で行った研究発表は、日本人最多の100点以上にのぼり、現代日本において「脳、特に前頭前野の構造・機能」研究の権威。2011年、瑞宝中綬章受章。1932年、大阪生まれ。著書に、『1歳からみるみる頭がよくなる51の方法』『赤ちゃん教育――頭のいい子は歩くまでに決まる』『あなたの脳が9割変わる!超「朝活」法』(以上、ダイヤモンド社)などベスト&ロングセラー多数。
学習指導要領の解説には、ゼロについての記載はありません。
その結果、計算は、ゼロを省いた自然数の計算だけを教えることが多くなっているのではないでしょうか。
そこで、私は、仮説を立てました。
現在では、「整数」という数学用語を使っていますが、算数教育を始めた明治の頃には、「ゼロの概念」を理解するように教えていたのではないだろうか? と。
戦後、日本の算数の教科書がつくられましたが、何らかの理由があったために、どこかで「ゼロの概念」を教えるのをやめたのではないかと、私は推測しています。
そこで、私は、「ゼロを教えなければならないのに、教えなかった謎」を解かねばならないと思い、「義務教育における『ゼロの概念』脱落仮説」を裏づける証拠を集めてみました。
『お経式暗算法』ミラクルシートの効果
小学1年生で習う「ひとケタ」の数は、0、1、2、3、4、5、6、7、8、9なので、最新刊の『小学校前にみるみる算数力がつく15の習慣』では、たし算は「0+0」から始めています。
ひき算は「0-0」で終わるようにしたほうが暗算はわかりやすく、覚えやすくなり、「ゼロの概念」も早く理解できるようになります。
ということで、「お風呂で唱えるだけで算数力がアップ!『お経式暗算法』ミラクルシート」を初めてつくったので、ぜひお風呂の壁に貼りながら、親子でお経のように唱えてみてほしいのです。
これにより、前頭前野がきたえられ、算数・数学の能力を高めることができます。
日本人の脳力と能力を高めるためには、「暗算」を重視するよう、算数の教科書や教え方も変えなければならないのです。http://diamond.jp/articles/-/94450?page=2
明治・大正・昭和・平成
「ゼロ」が抹殺された日本史
インターネットで資料を探し始めたところ、明治以来の数の教育を論じた論文がすぐに見つかりました。
『尋常小学算術』における数概念形成の教授法に関する考察~「直観主義」vs.「数え主義」の対立図式の誤り~上垣渉(三重大学名誉教授・岐阜聖徳学園大学教授)~岐阜聖徳学園大学紀要〈教育学部編〉第52集通巻第64号(2013年)。
その中で、「ゼロの概念」について文部科学省の見解が書かれたものがありました。
昭和初期に発行された小学校第1学年の算術教科書「実用小学算術」(上・下)の編纂責任者である塩野直道が、『尋常小学算術第一学年教師用下』(日本書籍株式会社、1935<昭和10>年7月11日発行)で、教師用指導書にある「数え方」を紹介しつつ、次のように書かれています。
ここ(教科書)で特徴的なことの第1は、「0」(零、ゼロ)が独立した数として登場しないことである。
第1学年用上にはもちろんであるが、第1学年用下にも見られないのである。数0に関する記述と言えば、第1学年教師用下の第1章「十までの数範囲における加減」の最後の「備考」の第5番目の項目として、「本書では、0を足すこと、0を引くことは、実際問題として意味のないことであるから、取扱わないこととした。『3-3』の如きも、実際には明白なことであるから、採入れなかった」と説明されているに過ぎない。
つまり、ゼロを足したり引いたりすることは、実際上意味がないと考えられ、ゼロは小学1年生には教えられなかったわけです。
このために、昭和初期の教える側の個人的見解が反映するようになったのではないでしょうか。
そのことが、今でも続いているのではないか。私はそう思えてなりません。
「義務教育における『ゼロの概念』脱落は、無意味除去によって起こった」とする仮説は、算数教育の歴史研究者によって裏づけられなければなりません。
http://diamond.jp/articles/-/94450?page=3
日本初、世界初!?
お風呂で唱えるだけで算数力がアップ!
「お経式暗算法」ミラクルシートを新開発した
「脳科学の権威」と「脳科学おばあちゃん」からの熱いメッセージ
おかげさまで、「カヨ子ばあちゃん」シリーズ――『カヨ子ばあちゃん73の言葉』、『カヨ子ばあちゃんの男の子の育て方』、『カヨ子ばあちゃんの うちの子さえ賢ければいいんです。』、『赤ちゃん教育――頭のいい子は歩くまでに決まる』、『カヨ子ばあちゃんの子育て日めくり』、『0歳からみるみる賢くなる55の心得』、『1歳からみるみる頭がよくなる51の方法』は、累計38万部を突破しました。本当に有り難うございます。
このたび、『小学校前にみるみる算数力がつく15の習慣――お風呂で唱えるだけで算数力がアップ!「お経式暗算法」ミラクルシート付き』を出版しました。
2014~2015年に発表された「子どもの計算メカニズムの研究」の発表には心底興奮しました。
脳科学的に「暗算が速くできるのは、子どもの先天的知能指数(IQ)、記憶力、読み書き能力とはまったく関係ない。暗算『回数』が多ければ多いほど計算が速くでき、脳の海馬の容量が大きくなる、健康な子どもなら誰でもできる!」
というのですから。
また、アメリカの最も信憑性に値する心理学雑誌にも、衝撃の報告がありました。
あなたは、国語、算数、社会のうちで、どの能力が高いと、将来成功する確率が高いと思いますか?
それは、ズバリ「算数だ!」
というのです。
驚きではありませんか?
私たちは常に最新の脳科学情報をチェックしています。
2人とも84歳になったばかりですが、この報告に驚愕し、最新脳科学に基づく「お経式暗算法」を新たに編み出しました。
それが巻末特典にある、お風呂で唱えるだけで算数力がアップ!「お経式暗算法」ミラクルシートです。
クボタメソッド初の算数力アップ本だけでなく、ひと桁のたし算・ひき算を親子で唱えるだけで、小学1年生の修了課程をマスターできる、世界に1つだけの秘密兵器です。
「くぼたのうけん」や「リトルランド」では2歳から実践済で、驚異的な事例が多数出ています。
再現性を担保した、脳科学が明かす新メソッドになります。
本書は、小学校前に算数力が大幅アップし、入学式では大きな自信を持ったお子さんになる、というコンセプトですが、お風呂でお経のように唱えるだけですから、2歳でも小1の算数がとける!衝撃体験も味わうことができます。
本書が普及していくと、「これからの算数教育、数学教育の根底が変わる」と断言します。そういう意味では、親御さんだけでなく、学校や塾の先生など、教育関係者の方にもぜひお読みいただけたらと思っています。
市販のお風呂シート(たし算)では「1たす1は2」で始まりますが、本書のミラクルシートは、「0たす0は0」で始まります。
これは私たちが算数力で最も大事なのは、「ゼロの概念だ」という信念からくるものです。
だからこそ、入念な準備を重ね、パパママと子どもたちが元気にお風呂で「0たす0は0!」と、0の概念が自然と身につくミラクルシートの開発に励みました。
子どもの「人格」を常にリスペクトしつつ、「躾」と「深い愛」を軸にした、算数力アップの「技術・ノウハウ・習慣」をぜひ実践してみてください。
さらに、「スーパーエリート養成講座」として、ひと桁のかけ算とわり算も収録しています。さらに上に行きたい方にも楽しめる内容になっていますし、20世紀最大の物理学者・アインシュタインの脳画像もカラーで初公開しました。
この1冊を読むだけで、“小学1年の修了課程”の基本が身につきます。
「くぼたのうけん」や「リトルランド」では、2歳から算数力を磨き、驚くべき成果が出始めています。2歳でも小1の算数がとけるのですから、あなたの子もすぐできます。今すぐ始めましょう!
あなたは、自分も妻も算数が苦手だから、子どもも算数・数学が苦手なんだ
なんて思っていませんか?
断言します。それは大いなる誤解です!
「お経式暗算法」を早期から活用すれば、必ず算数が好きになって、暗算も速く、算数力がアップし、数学的センスが開花してきます。
『小学校前にみるみる算数力がつく15の習慣――お風呂で唱えるだけで算数力がアップ!「お経式暗算法」ミラクルシート付き』を読む前は、すごく暗い気持ちだったのに、読後感は晴れやかでさわやかなものだったら、著者としてこれほどうれしいことはありません。
よろしければ、ぜひご一読いただき、「退屈なお風呂空間」が「驚きの算数力アップ劇場」に変わるミラクルシートの効果を、体感いただければと思います。
http://diamond.jp/articles/-/94450?page=4
読んでためになりました:
再生核研究所声明311(2016.07.05) ゼロ0とは何だろうか
ここ2年半、ゼロで割ること、ゼロ除算を考えているが、ゼロそのものについてひとりでに湧いた想いがあるので、その想いを表現して置きたい。
数字のゼロとは、実数体あるいは複素数体におけるゼロであり、四則演算で、加法における単位元(基準元)で、和を考える場合、何にゼロを加えても変わらない元として定義される。積を考えて変わらない元が数字の1である:
Wikipedia:ウィキペディア:
初等代数学[編集]
数の 0 は最小の非負整数である。0 の後続の自然数は 1 であり、0 より前に自然数は存在しない。数 0 を自然数に含めることも含めないこともあるが、0 は整数であり、有理数であり、実数(あるいは代数的数、複素数)である。
数 0 は正でも負でもなく、素数でも合成数でも単数でもない。しかし、0は偶数である。
以下は数 0 を扱う上での初等的な決まりごとである。これらの決まりはxを任意の実数あるいは複素数として適用して構わないが、それ以外の場合については何も言及していないということについては理解されなければならない。
加法:x + 0 = 0 +x=x. つまり 0 は加法に関する単位元である。
減法: x− 0 =x, 0 −x= −x.
乗法:x 0 = 0 ·x= 0.
除法:xが 0 でなければ0⁄x= 0 である。しかしx⁄0は、0 が乗法に関する逆元を持たないために、(従前の規則の帰結としては)定義されない(ゼロ除算を参照)。
実数の場合には、数直線で、複素数の場合には複素平面を考えて、すべての実数や複素数は直線や平面上の点で表現される。すなわち、座標系の導入である。
これらの座標系が無ければ、直線や平面はただ伸びたり、拡がったりする空間、位相的な点集合であると考えられるだろう。― 厳密に言えば、混沌、幻のようなものである。単に伸びたり、広がった空間にゼロ、原点を対応させるということは 位置の基準点を定めること と考えられるだろう。基準点は直線や平面上の勝手な点にとれることに注意して置こう。原点だけでは、方向の概念がないから、方向の基準を勝手に決める必要がある。直線の場合には、直線は点で2つの部分に分けられるので、一方が正方向で、他が負方向である。平面の場合には、原点から出る勝手な半直線を基準、正方向として定めて、原点を回る方向を定めて、普通は時計の回りの反対方向を 正方向と定める。これで、直線や平面に方向の概念が導入されたが、さらに、距離(長さ)の単位を定めるため、原点から、正方向の点(これも勝手に指定できる)を1として定める。実数の場合にも複素数の場合にも数字の1をその点で表す。以上で、位置、方向、距離の概念が導入されたので、あとはそれらを基礎に数直線や複素平面(座標)を考える、すなわち、直線と実数、平面と複素数を1対1に対応させる。これで、実数も複素数も秩序づけられ、明瞭に表現されたと言える。ゼロとは何だろうか、それは基準の位置を定めることと発想できるだろう。
― 国家とは何だろうか。国家意思を定める権力機構を定め、国家を動かす基本的な秩序を定めることであると原理を述べることができるだろう。
数直線や複素平面では 基準点、0と1が存在する。これから数学を展開する原理を下記で述べている:
しかしながら、数学について、そもそも数学とは何だろうかと問い、ユニバースと数学の関係に思いを致すのは大事ではないだろうか。この本質論については幸運にも相当に力を入れて書いたものがある:
No.81, May 2012(pdf 432kb)
19/03/2012
ここでは、数学とは何かについて考えながら、数学と人間に絡む問題などについて、幅.広く面白く触れたい。
複素平面ではさらに大事な点として、純虚数i が存在するが、ゼロ除算の発見で、最近、明確に認識された意外な点は、実数の場合にも、複素数の場合にも、ゼロに対応する点が存在するという発見である。ゼロに対応する点とは何だろうか?
直線や平面で実数や複素数で表されない点が存在するであろうか? 無理して探せば、いずれの場合にも、原点から無限に遠ざかった先が気になるのではないだろうか? そうである立体射影した場合における無限遠点が正しくゼロに対応する点ではないかと発想するだろう。その美しい点は無限遠点としてその美しさと自然さ故に100年を超えて数学界の定説として揺るぐことはなかった。ゼロに対応する点は無限遠点で、1/0=∞ と考えられてきた。オイラー、アーベル、リーマンの流れである。
ところが、ゼロ除算は1/0=0 で、実は無限遠点はゼロに対応していることが確認された。
直線を原点から、どこまでも どこまでも遠ざかって行くと、どこまでも行くが、その先まで行くと(無限遠点)突然、ゼロに戻ることを示している。これが数学であり、我々の空間であると考えられる。この発見で、我々の数学の結構な部分が修正、補充されることが分かりつつある。
ゼロ除算は可能であり、我々の空間の認識を変える必要がある。ゼロで割る多くの公式である意味のある世界が広がってきた。それらが 幾何学、解析学、代数学などと調和して数学が一層美しい世界であることが分かってきた。
全ての直線はある意味で、原点、基準点を通ることが示されるが、これは無限遠点の影が投影されていると解釈され、原点はこの意味で2重性を有している、無限遠点と原点が重なっている現象を表している。この2重性は 基本的な指数関数y=e^x が原点で、0 と1 の2つの値をとると表現される。このことは、今後大きな意味を持ってくるだろう。
古来、ゼロと無限の関係は何か通じていると感じられてきたが、その意味が、明らかになってきていると言える。
2点から無限に遠い点 無限遠点は異なり、無限遠点は基準点原点の指定で定まるとの認識は面白く、大事ではないだろうか。
以 上
再生核研究所声明292(2016.03.25) ユークリッド幾何学、非ユークリッド幾何学、平行線公理、そしてゼロ除算
(2016.3.23 朝、目を覚まして、情念と構想が閃いたものである。)
まず基本語をウイキペディアで確認して置こう:
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A8%E3%82%A6%E3%82%AF%E3%83%AC%E3%82%A4%E3%83%87%E3%82%B9
アレクサンドリアのエウクレイデス(古代ギリシャ語: Εὐκλείδης, Eukleídēs、ラテン語: Euclīdēs、英語: Euclid(ユークリッド)、紀元前3世紀? - )は、古代ギリシアの数学者、天文学者とされる。数学史上最も重要な著作の1つ『原論』(ユークリッド原論)の著者であり、「幾何学の父」と称される。プトレマイオス1世治世下(紀元前323年-283年)のアレクサンドリアで活動した。『原論』は19世紀末から20世紀初頭まで数学(特に幾何学)の教科書として使われ続けた。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%9D%9E%E3%83%A6%E3%83%BC%E3%82%AF%E3%83%AA%E3%83%83%E3%83%89%E5%
非ユークリッド幾何学の成立: ニコライ・イワノビッチ・ロバチェフスキーは「幾何学の新原理並びに平行線の完全な理論」(1829年)において、「虚幾何学」と名付けられた幾何学を構成して見せた。これは、鋭角仮定を含む幾何学であった。ボーヤイ・ヤーノシュは父・ボーヤイ・ファルカシュの研究を引き継いで、1832年、「空間論」を出版した。「空間論」では、平行線公準を仮定した幾何学(Σ)、および平行線公準の否定を仮定した幾何学(S)を論じた。更に、1835年「ユークリッド第 11 公準を証明または反駁することの不可能性の証明」において、Σ と S のどちらが現実に成立するかは、如何なる論理的推論によっても決定されないと証明した。
ユークリッド幾何学は 2000年を超えて数学及び論理と あらゆる科学の記述の基礎になってきた。その幾何学を支える平行線の公理については、非ユークリッド幾何学の成立過程で徹底的に検討、議論され、逆に 平行線の公理がユークリッド幾何学の特徴的な仮定(仮説)で証明できない公理であることが明らかにされた。それとともに 数学とは何かに対する認識が根本的に変わり、数学とは公理系(仮説系)の上に建設された理論体系であって、絶対的な真理という概念を失った。
ここで焦点を当てたいのは 平行線の概念である。ユークリッド幾何学における平行線とは 任意の直線に対して、直線上以外の点を通って、それと交わらない直線のことで、平行線がただ1つ存在するというのがユークリッドの公理である。非ユークリッド幾何学では、そのような平行線が全然存在しなかったり、沢山存在する幾何学になっており、そのような幾何学は 実在し、現在も盛んに利用されている。
この平行線の問題が、ゼロ除算の発見1/0=0、台頭によって 驚嘆すべき、形相を帯びてきた。
ユークリッド自身、また、非ユークリッド幾何学の上記発見者たち、それに自ら深い研究をしていた天才ガウスにとっても驚嘆すべき事件であると考えられる。
何と ユークリッド空間で 平行線は ある意味で 全て原点で交わっている という、現象が明らかにされた。
もちろん、ここで交わっていることの意味を 従来の意味にとれば、馬鹿馬鹿しいことになる。
そこで、その意味をまず、正確に述べよう。まずは、 イメージから述べる。リーマン球面に立体射影させると 全ユークリッド平面は 球面から北極点を除いた球面上に一対一に写される。そのとき、球面の北極点に対応する点が平面上になく、想像上の点として無限遠点を付け加えて対応させれば、立体射影における円、円対応を考えれば、平面上の平行線は無限遠点で交わっているとして、すっきりと説明され、複素解析学における基本的な世界観を与えている。平行線は無限遠点で 角ゼロ(度)で交わっている(接している)も立体射影における等角性で保証される。あまりの美しさのため、100年を超えて疑われることはなく、世の全ての文献はそのような扱いになっていて数学界の定説である。
ところがゼロ除算1/0=0では 無限遠点は空間の想像上の点として、存在していても、その点、無限遠点は数値では ゼロ(原点)に対応していることが明らかにされた。 すなわち、北極(無限遠点)は南極(原点)と一致している。そのために、平行線は原点で交わっていると解釈できる。もちろん、全ての直線は原点を通っている。
この現象はユークリッド空間の考えを改めるもので、このような性質は解析幾何学、微積分学、複素解析学、物理学など広範に影響を与え、統一的に新しい秩序ある世界を構成していることが明らかにされた。2200年を超えて、ユークリッド幾何学に全く新しい局面が現れたと言える。
平行線の交わりを考えてみる。交わらない異なる2直線を1次方程式で書いて、交点の座標を求めて置く。その座標は、平行のとき、分母がゼロになって、交点の座標が求まらないと従来ではなっていたが、ゼロ除算では、それは可能で、原点(0,0)が対応すると解釈できる。ゼロ除算と解析幾何学からの帰結である。上記幾何学的な説明が、ゼロ除算で解析幾何学的にも導かれる。
一般の円の方程式を2次関数で表現すれば、(x^2+y^2) の係数がゼロの場合、直線の一般式になるが、ゼロ除算を用いると、それが保証されるばかりか、直線の中心は 原点である、直線も点円も曲率がゼロであることが導かれる。もちろん、ゼロ除算の世界では、全ての直線は原点を通っている。このとき、原点を無限遠点の映った影ともみなせ、原点はこのような意味で もともとの原点とこの意味での点としての、2重性を有し、この概念は今後大きな意味を有することになるだろう。
ゼロ除算1/0=0は ユークリッド幾何学においても、大きな変革を求めている。
以上
Matrices and Division by Zero z/0 = 0
http://file.scirp.org/pdf/ALAMT_2016061413593686.pdf
再生核研究所声明296(2016.05.06) ゼロ除算の混乱
ゼロ除算の研究を進めているが、誠に奇妙な状況と言える。簡潔に焦点を述べておきたい。
ゼロ除算はゼロで割ることを考えることであるが、物理学的にはアリストテレス、ニュートン、アンシュタインの相当に深刻な問題として、問題にされてきた。他方、数学界では628年にインドで四則演算の算術の法則の確立、記録とともに永年問題とされてきたが、オイラー、アーベル、リーマン達による、不可能であるという考えと、極限値で考えて無限遠点とする定説が永く定着してきている。
ところが数学界の定説には満足せず、今尚熱い話題、問題として、議論されている。理由は、ゼロで割れないという例外がどうして存在するのかという、素朴な疑問とともに、積極的に、計算機がゼロ除算に出会うと混乱を起こす具体的な懸案問題を解消したいという明確な動機があること、他の動機としてはアインシュタインの相対性理論の上手い解釈を求めることである。これにはアインシュタインが直接言及しているように、ゼロ除算はブラックホールに関係していて、ブラックホールの解明を意図している面もある。偶然、アインシュタイン以後100年 実に面白い事件が起きていると言える。偶然、20年以上も考えて解明できたとの著書さえ出版された。― これは、初めから、間違いであると理由を付けて質問を送っているが、納得させる回答が無い。実名を上げず、具体的に 状況を客観的に述べたい。尚、ゼロ除算はリーマン仮説に密接に関係があるとの情報があるが 詳しいことは分からない。
1: ゼロ除算回避を目指して、新しい代数的な構造を研究しているグループ、相当な積み重ねのある理論を、体や環の構造で研究している。例えて言うと、ゼロ除算は沢山存在するという、考え方と言える。― そのような抽象的な理論は不要であると主張している。
2:同じくゼロ除算回避を志向して 何と0/0 を想像上の数として導入し、正、負無限大とともに数として導入して、新しい数の体系と演算の法則を考え、展開している。相当なグループを作っているという。BBCでも報じられたが、数学界の評判は良くないようである。― そのような抽象的な理論は不要であると主張している。
3:最近、アインシュタインの理論の専門家達が アインシュタインの理論から、0/0=1, 1/0=無限 が出て、ゼロ除算は解決したと報告している。― しかし、これについては、論理的な間違いがあると具体的に指摘している。結果も我々の結果と違っている。
4:数学界の永い定説では、1/0 は不可能もしくは、極限の考え方で、無限遠点を対応させる. 0/0 は不定、解は何でも良いとなっている。― 数学に基本的な欠落があって、ゼロ除算を導入しなければ数学は不完全であると主張し、新しい世界観を提起している。
ここ2年間の研究で、ゼロ除算は 何時でもゼロz/0=0であるとして、 上記の全ての立場を否定して、新しい理論の建設を進めている。z/0 は 普通の分数ではなく、拡張された意味でと初期から説明しているが、今でも誤解していて、混乱している人は多い、これは真面目に論文を読まず、初めから、問題にしていない証拠であると言える。
上記、関係者たちと交流、討論しているが、中々理解されず、自分たちの建設している理論に固執しているさまがよく現れていて、数学なのに、心情の問題のように感じられる微妙で、奇妙な状況である。
我々のゼロ除算の理論的な簡潔な説明、それを裏付ける具体的な証拠に当たる結果を沢山提示しているが、中々理解されない状況である。
数学界でも永い間の定説で、初めから、問題にしない人は多い状況である。ゼロ除算は算数、ユークリッド幾何学、解析幾何学など、数学の基本に関わることなので、この問題を究明、明確にして頂きたいと要請している:
再生核研究所声明 277(2016.01.26):アインシュタインの数学不信 ― 数学の欠陥
再生核研究所声明 278(2016.01.27): 面白いゼロ除算の混乱と話題
再生核研究所声明279(2016.01.28) : ゼロ除算の意義
再生核研究所声明280(2016.01.29) : ゼロ除算の公認、認知を求める
我々のゼロ除算について8歳の少女が3週間くらいで、当たり前であると理解し、高校の先生たちも、簡単に理解されている数学、それを数学の専門家や、ゼロ除算の専門家が2年を超えても、誤解したり、受け入れられない状況は誠に奇妙で、アリストテレスの2000年を超える世の連続性についての固定した世界観や、上記天才数学者たちの足跡、数学界の定説に まるで全く嵌っている状況に感じられる。
以 上
考えてはいけないことが、考えられるようになった。
説明できないことが説明できることになった。
Matrices and Division by Zero z/0 = 0
http://file.scirp.org/pdf/ALAMT_2016061413593686.pdf
再生核研究所声明 148(2014.2.12) 100/0=0, 0/0=0 - 割り算の考えを自然に拡張すると ― 神の意志
100割る0 の意味を質問されたが(なぜ 100÷0は100ではないのか? なぜ 100÷1は100なのか… 0とは何...aitaitokidakenimoさん)、これは、定義によれば、その解、答えが有るとして、a と仮に置けば、 100=a x0 = 0 で矛盾、すなわち、解は、答えは存在しないとなる。
方程式 a x0= b は b=0 でなければ 解は無く、答えが求まらない。(特に、bが0ならば、解 a は 何でも良いと言うことに成る。)
解が、存在しなかったり、沢山の解が有ったりすると言う、状況である。
そこで、何時でも解が存在するように、しかも唯一つに定まるように、さらに 従来成り立っていた結果が そのまま成り立つように(形式不変の原理)、割り算の考えを拡張できないかと考えるのは、数学では よくやることである。数学の世界を 美しくしたいからである。
実際、文献の論文で 任意関数で割る概念を導入している。
現在の状況では、b 割るa の意味を ax – b の2乗を最小にする x で、しかも x の2乗を最小にする数 x で定義する。後半の部分が無いと、a が0の場合 x が定まらない。後半が有ると0として、唯一つに定まる。この意味で割り算の意味を考えれば、100割る0は 0 であるとなる。
上記で もちろん、2乗を最小にする の最小値が0である場合が、 普通の割り算の解、
b 割るa を与える。
もちろん、我々の意味で、0割る0は 曖昧なく、解は唯一つに定まって、0となる。
f 割る g を ロシアの著名な数学者 チコノフの考えた正則化法 と 再生核の理論 を併用すると 一般的な割り算を 任意関数g で定義できて、上記の場合は、100割る0は 0 という解に成る。
すなわち、解が存在しなかった場合に、割り算の意味を 自然に拡張すると 唯一つに解は存在して それは0であると言う、結果である。
上記で、ax – b の2乗を最小にする x で、と考えるのは、近似の考え方から、極めて自然と考えられるが、さらに、x の2乗を最小にする数 x とは、神は、最も簡単なものを選択する、これはエネルギー最小のもの、できれば横着したい という 世に普遍的に存在する 神の意志 が現れていると考えられる(光は、最短時間で到達するような経路で進むという ― フェルマーの原理)、神が2を愛している、好きだ とは 繰り返し述べてきた(神は 2を愛し給う)(http://www.jams.or.jp/kaiho/kaiho-81.pdf)。
これで、0で割るときの心配が無くなった。この考えの 実のある展開と応用は多い。
― 哲学とは 真智への愛 であり、真智とは 神の意志 のことである。哲学することは、人間の本能であり、それは 神の意志 であると考えられる。愛の定義は 声明146で与えられ、神の定義は 声明122と132で与えられている。―
以 上
文献:
Castro, L.P.; Saitoh, S. Fractional functions and their representations. Complex Anal. Oper. Theory 7, No. 4, 1049-1063 (2013).
ゼロの発見には大きく分けると二つの事が在ると言われています。
一つは数学的に、位取りが出来るということ。今一つは、哲学的に無い状態が在るという事実を知ること。http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1462816269
世界中で、ゼロ除算は 不可能 か
可能とすれば ∞ だと考えられていたが・・・
しかし、ゼロ除算 はいつでも可能で、解は いつでも0であるという意外な結果が得られた。
原点を中心とする単位円に関する原点の鏡像は、どこにあるのでしょうか・・・・
∞ では
無限遠点はどこにあるのでしょうか・・・・・
無限遠点は存在するが、無限大という数は存在しない・・・・
ゼロ除算(1/0=0)は、ピタゴラスの定理(a2 + b2 = c2 )を超えた基本的な結果であると考えられる。
地球平面説→地球球体説
天動説→地動説
何年かかったでしょうか????
1/0=∞若しくは未定義 →1/0=0
何年かかるでしょうか????
Title page of Leonhard Euler, Vollständige Anleitung zur Algebra, Vol. 1 (edition of 1771, first published in 1770), and p. 34 from Article 83, where Euler explains why a number divided by zero gives infinity.
https://notevenpast.org/dividing-nothing/
もし1+1=2を否定するならば、どのような方法があると思いますか? http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q12153951522 #知恵袋_
一つの無限と一つの∞を足したら、一つの無限で、二つの無限にはなりません。
割り算のできる人には、どんなことも難しくない
世の中には多くのむずかしいものがあるが、加減乗除の四則演算ほどむずかしいものはほかにない。
ベーダ・ヴェネラビリス
数学名言集:ヴィルチェンコ編:松野武 山崎昇 訳大竹出版1989年
数学で「A÷0」(ゼロで割る)がダメな理由を教えてください。 http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1411588849 #知恵袋_
割り算を掛け算の逆だと定義した人は、誰でしょう???
0×0=0・・・・・・・・・だから0で割れないと考えた。
唯根拠もなしに、出鱈目に言っている人は世に多い。
multiplication・・・・・増える 掛け算(×) 1より小さい数を掛けたら小さくなる。 大きくなるとは限らない。
ビッグバン宇宙論と定常宇宙論について、http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1243254887 #知恵袋_
ゼロ除算(100/0=0, 0/0=0)が、当たり前だと最初に言った人は誰でしょうか・・・・ 1+1=2が当たり前のように
『ゼロをめぐる衝突は、哲学、科学、数学、宗教の土台を揺るがす争いだった』 ⇒ http://ameblo.jp/syoshinoris/entry-12089827553.html … … →ゼロ除算(100/0=0, 0/0=0)が、当たり前だと最初に言った人は誰でしょうか・・・ 1+1=2が当たり前のように、
1÷0=0 1÷0=∞・・・・数ではない 1÷0=不定・未定義・・・・狭い考え方をすれば、できない人にはできないが、できる人にはできる。
アラビア数字の伝来と洋算 - tcp-ip
明治5年(1872)
http://www.tcp-ip.or.jp/~n01/math/arabic_number.pdf
ゼロ除算の証明・図|ysaitoh|note(ノート) https://note.mu/ysaitoh/n/n2e5fef564997
Q)ピラミッドの高さを無限に高くしたら体積はどうなるでしょうか??? A)答えは何と0です。 ゼロ除算の結果です。
ゼロ除算は1+1より優しいです。 何でも0で割れば、0ですから、簡単で美しいです。 1+1=2は 変なのが出てくるので難しいですね。
∞÷0はいくつですか・・・・・・・
∞とはなんですか・・・・・・・・
分からないものは考えられません・・・・・
1人当たり何個になるかと説いていますが、1人もいないのですから、その問題は意味をなさない。
よってこれは、はじめから問題になりません。
ついでですが、これには数学的に確定した解があって それは0であるという事が、最近発見されました。
Reality of the Division by Zero z/0 = 0
http://www.ijapm.org/show-63-504-1.html
http://okmr.yamatoblog.net/
Einstein's Only Mistake: Division by Zero
http://refully.blogspot.jp/2012/05/einsteins-only-mistake-division-by-zero.html
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