2016年7月24日日曜日

記事 PRESIDENT Online2016年07月23日 10:30「医療過誤」から身を守る7つの鉄則

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PRESIDENT Online2016年07月23日 10:30「医療過誤」から身を守る7つの鉄則




戍亥真美=構成

医療ミス、費用の過大請求……事故を防ぐには、病院&ドクター選びが重要。チェックリストで自分と家族を守ろう!

「大学教授だから腕がいい」は、根拠なし
多くの医者は偏差値エリート意識が高いため、「自分たちに間違いはない」と思いがち。医療事故が起こった際には、つじつま合わせをする傾向にあります。明らかに病院(医者)側のミスであっても絶対に認めず、正当性を主張する医者も。その心ない仕打ちが被害者側を何度も傷つけていると、彼らは決して気づくことはありません。私の息子も医療過誤の被害者。データ取得のためか、常識はずれの不要な検査により引き起こされた被害です。その経験もあり、世間と医者の常識のズレを痛感しているのです。

大学病院や大学教授の肩書を持つ医者なら問題ないというわけではありません。日本人は個々の医者の実力よりも「肩書とブランド」に信用を置く傾向がありますが、とくに手術が伴う治療では、大学病院だから、一流医大の教授だからと「安心」してはいけない。「手術を」と告げられたなら、最低3人以上の専門医の意見を仰ぎ、やらなくてもいいという医者が1人でもいたら、手術はやめたほうが賢明。大学教授だから見立てがいい、腕がいいという根拠はありません。むしろ、年に数回しか執刀しない大学教授では、医療死亡事故を起こす確率も高い。たとえ新設医大出身でも、年数百例もの外科手術を成功させている医者のほうが安心して任せられる「名医」であるのは間違いない。ただし、名医にも「旬」があります。経験豊富でも年齢とともに腕が鈍ったり、判断力が低下したりすれば、第一線に立てなくなるのは当たり前です。

危ない病院や医者に遭遇しないための第一歩は、肩書や大学名などのブランド信仰を捨て、「医者に失礼だから」と、言いなりの患者であることをやめること。常に目を光らせ、医者を育てるような「賢い患者」になることにあります。

▼医療過誤から身を守る7つの鉄則
何かあってからでは遅すぎる! 手術や治療に入る前に、自己防衛の準備をしておこう

[1]手術を勧められたら必ず“セカンドオピニオン”――大きな「手術」の際には、必ず他院でも検査を受けるのが鉄則。聞き慣れない病名の手術ならなおさらだ。医者が替われば見立ても変わる可能性がある。セカンド、サードとできるだけ多くの専門家の意見を聞き、さまざまな角度から検討して、最善の病院や医者を選択しよう。

[2]病院のWEBサイトを要チェック!――担当医の名前、プロフィール、これまで扱った症例数など細かくチェック! 手術設備のある病院は必ずWEBを開設している。病院の伝統や高慢な理念、設備自慢ばかりで、肝心の医者の技量、患者がほしい情報が乏しいのでは、ホスピタリティに問題ありで要注意だ。

[3]“思考停止”のはじまりは、「この医者(病院)なら大丈夫」と決めた瞬間から――日本には、約30万人もの医者と、約9000軒の病院が。なのに「この医者(病院)なら、絶対大丈夫!」と決める理由は何か? ある時点で名医でも、ずっとそうとは限らない。病院側の説明を盲信せず、常によりよい医療を求めるよう不断の努力をすることが、医療ミス回避のカギ。

[4]治療に不信や疑念を感じたら速やかに検査データを請求――患者には自分の治療法を知る権利がある。不信に思ったら検査データをもらおう。検査データは患者に帰属する重要な個人情報で、病院側には開示義務がある。また、セカンドオピニオンの際にも検査データは必要。患者の請求にいい顔をしない医者や病院なら、即サヨナラだ!

[5]認定医や専門医などの“肩書”に惑わされない――「“学会認定医”“学会専門医”だから安心」は間違い。日本では、専門は自己申告制で認定されるため、肩書は有名無実で意味がない。心臓血管外科の専門医は日本に約1800人いるが、手術数をこなしているのは、わずか100人程度。専門医は「玉石混淆」だと知っておこう。

[6]医者には「神の手」もいれば「紙の手」もいると、肝に銘じる――「神の手」を持つ名医は年数百例の手術をこなし成功率も高い。一方、論文ばかり書く「紙の手」の大学教授医師も。こういう名前だけの外科医=「紙の手」の医者が、たまに体面を保つために手術をして失敗するケース多数。大学教授だから「上手、見立てがいい」は、根拠なし!

[7]治療方針など、医者の説明は必ずメモするクセづけを――ミスが起こると嘘をつく医者も少なくない。が、とっさの嘘には矛盾が生じやすい。ミスの隠蔽を阻止するには、手術に限らず日頃から医者の説明をメモするクセをつけることが重要。メモする患者を前に医者は緊張し、その場しのぎのごまかしや言い訳ができなくなる効果が!

医師、ジャーナリスト 富家 孝
16代続く医者の家系に生まれる。1972年、東京慈恵会医科大学卒業。開業医、病院経営、助教授等を経て、医療コンサルタントに。現在、医師紹介会社「イー・ドクター」代表取締役の傍ら、新日本プロレス・コミッションドクターなども務める。『生命がけの医者選び』(講談社)、『医者しか知らない危険な話』(文芸春秋社)など60冊以上の著書がある。http://blogos.com/article/184469/


非常にためになりました:

再生核研究所声明233(2015.6.9)西行花伝 ― 辻邦生、新潮社を読んで

今回は精読、熟考した後での感想ではなく、通覧しての感じとして纏めたい。荘重な作品に対して軽薄な感想は畏れ多いことと感じられる面もあるが、夜明け前 ― よっちゃんの想い の中でも述べたように、― 私は、 専門家や知識をもっている人だけが良識や見識を持っているとは考えず、善良な市民の感覚のなかにこそ、大きな真実と良識があると思っています。 ― と述べ、素人の簡単な所見が ある種の価値を持つのではないかと思い、通読の感じを述べ、精読の後、各論にして できれば意見表明をしたいと考えている。これは、それだけ貴重で大きなものを感じたということである。
そこで、今回は 全体的な感じを纏めたい。
まず、どのようにして書かれたのかと考えると、その壮大な構想、深い考察、繊細な表現には 驚嘆に値すると著者に対して畏敬の念に駆られる。多分、歴史を学び、関係文献を整理して、 登場人物像を描き、特に西行については 著者の世界観も反映させ 人物像を描き、平安時代末期の時代背景を元に 当時の世界を 人物を織り込んで纏められている。 それゆえに、 その荘重さに 驚嘆させられる。人物像や社会、政治混乱の様子を 時代を 映画を見るように見事に描き出しているのであるから、実に凄いと感じてしまう。
そこで、実像と虚像、フィクションの関係で いろいろ警戒する必要もあるが、当時の世相、権力の現場、社会、人々の人生観を拝見出来て、とにかく得がたい経験、世界を覗いたように感じるだろう。当時の宮廷内部の様子も相当に深く触れられていて、感じるところが大きい。皇室の絶対の権力および、それが揺らいでいく状況もよく描かれている。大きな世界、時代に触れて、世界が大きく拓かれたように感じるだろう。世の多くの価値については、省察が求められるだろう。
宮廷内の権力争いの現実が 様子が相当事実的に描かれているので、歴史の真実の姿についても、大いに学べるのではないだろうか。源氏や平氏の様子なども全体的によくわかる。
勿論、西行の人物像の描写が 本の主題である。 それは西行の人物像、事実に基づいた著者の解釈とみたい。
西行とはどのような人物であろうか。
相当な教養と芸を身につけられた、領地をもつ(相当な豪族、朝廷の役人)出の武人であり、天皇の近くに衛士としてばかりではなく仕えた存在であったこと、宮廷内の権力闘争に相当に詳しく、仕えた天皇関係者のために尽くされた方である。主に歌人と僧侶として生き、僧侶としては道を求めたり、修行するというより、歌を作ることが生きる証で、目標として生涯をおくったことがよくわかる。僧侶としては深い仏教の教えや教義や修行するという立場ではなく、一般的な常識的な有り様であり、出家で生活の型が大きく影響を受けている くらいの関わりではないだろうか。人生の捉え方は、自然とともに存在して、自然のなかにとけていく存在として、相当に達観された精神で、しっかりと筋が入った人物であることがよくわかる。歌人としての西行は、画家が絵を書き、数学者が自分の数学の理論を建設するような 志、求道と同じように考えられる。自然を愛でて歌に表現することが 人生の目標であったように見える。歌に高い価値を見出した人物として、世に稀なる存在ではないだろうか。厳しい時代に生きて、超人的、悟りの境地に達せられ、深い、人生世界に対する認識を持たれていたことがよく分かる。― 生きるということがどのようなことか、結構明白に描かれていて、大いに学ぶべきことが多いのではないだろうか。また相当な人物と広い交流が有ったことも大いに注目されるが、歌をとうして社会で大きな存在であったことが よくわかる。書を読まれた方は 一様に西行に対して、尊崇の念を抱かれるのではないだろうか。醜い権力争い、産業経済的な貧しさとは別に、歌などの広い、深い文化、生き方の有り様など、 現代人よりある意味で ずっと高い精神的な文化を有していたと、大いに恥ずかしさが感じられる面は多い。
西行は相当に満足な気持ちをもって人生を閉じたと言える。そのような面でも読書後に、好感の印象を受けるのではないだろうか。多くの人が、生活におわれ,  育児家庭のことで心を悩まされるのが人生であるとも言えるのに対して、西行の場合、大きな豪族で生活の基礎がしっかりしていて、歌をとうして、広い交友関係を持ち、出家された僧侶として、家庭を持たなかったのであるから、自由な豊かな人生を楽しめたとも言える。その中心をしっかりと捉えたい。

今後、繰り返し、精読を続け、いろいろ感じたところを纏めていき、理解を深めたい。

以 上

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