運動の法則
ニュートンが集大成した慣性の法則(第一法則)、運動の法則(第二法則)、作用反作用の法則(第三法則)の説明です。これらは物理学の大法則ですが、高校生にとって何故大法則なのか理解に苦しむところです。教科書を補足するためにこのページを作りました。
1.慣性の法則(運動の第一法則)
以下の説明で、アリストテレスとガリレオ、デカルトを対比しているが、ここでの説明は彼らの歴史的な認識と異なる。彼らにとって力の概念や運動の概念はまだ混沌としており、その状況を彼らが書き残したものを引用してくどくど説明しても、高校生にとって混乱を深めるだけの無意味な議論になる。ここでは慣性の法則とは何かを理解するのに最も適した形に歴史を改竄する。
慣性の法則とは「外部から力が働かないか、あるいはいくつかの力が働いていてもそれらの力がつり合っていれば、静止している物体はいつまでも静止をつづけ、運動している物体はいつまでも等速直線運動をつづける」と言うものである。しかし、このように言ってしまったのでは、慣性の法則の革新性が見えない。
慣性の法則は力のつり合いの法則「力が働いていても、その合力がゼロの場合物体は静止している」を動いている場合に拡張したものである。つまり「物体がたとえ動いていても、その運動が等速直線運動である限り、その物体に働く力の合力はゼロである。つまり物体には力が働いていない。」と言っている。
これは驚くべき断定である。なぜならガリレオの時代の人にとって、アリストテレス以来物体は力が働いている場合に動き、力を及ぼすのをやめてしまったら止まってしまうのは常識だったからだ。実際床の上にある物体は力を加えて押せば動き、押すのをやめてしまったらすぐに止まる。押す力を大きくすれば動く速さが大きくなる。つまりアリストテレスが考えたように物体の動く速度は力に比例する様に見える。
ただし、そのとき空中に投げ出された物体や、氷の上を滑っていく物体の様に力を加えていないのに動いているものは、どのように考えるのか?という疑問は出てくる。それらに対してはアリストテレスは(A)「自然は真空を嫌う。空中を飛んでいく物体の背後に真空ができるが、その部分に周囲の空気が流れ込んで、その空気が絶えず物体を押し続けており、力はちゃんと働いている」と説明した。誠に珍妙な理論である。珍妙ではあるが彼は終始一貫した理論を構築して、力と速度の比例関係を擁護しきちんと説明した。
やがてガリレオやデカルトの時代になる。新しい時代の人々は床の上を力を加えて押されて動いていく物体よりも、空中を飛んでいく物体や氷の上を滑っていく物体の方こそ本質があると看破した。つまり力が働いていなくても等速直線運動は続いていくのだ。つまり物体がたとえ動いていても、その運動が等速直線運動である限り、その物体には力が働いていないと言ったのだ。これは驚くべき断定である。
そのとき、床の上の物体を動かすには力が必要ではないか?という問いに対して、彼はその場合にも力はゼロだと言ったのだ。つまり(B)「床の上を押されて動かされている物体には床から押す力と逆向きの摩擦力というものが働いていて、物体に働く力の合計はゼロだ」と言ったのだ。ただし、この摩擦力は誰にも見えない。本当にそんな力があるのだろうか?見方によってはアリストテレスの理論に負けず劣らず珍妙な理論である。
ここで重要なのは、アリストテレスの説明(A)とガリレオの時代の新しい説明(B)はその珍妙さに於いて五十歩百歩だと言うことである。つまり当時の人々にとってアリストテレスの真空の理論も新しい摩擦力の理論も珍妙なものであり、確かめるすべの無いものなのだ。だからアリストテレスが正しいのか、摩擦力の理論が正しいのかは解らない。その解らないところをアリストテレスとは考え方を180度ひっくり返して、等速直線運動である場合はたとえ動いていても力はゼロだと断定したところに革新性がある。これは偉大なる仮説だ。そして、その後の莫大な実験事実の積み重ねの中から、今日正しかったのはアリストテレスではなくてガリレオやデカルトだと言うことが解り、この仮説は法則として確立したのだと考えなければならない。摩擦力や垂直抗力や万有引力や、その他諸々の力の存在に気づき、それらの合成法則が解らないと、この法則の正当性は見えてこない。だから力の概念の確立とこの法則の発見は表裏一体である。だからこの法則の発見が難しかった。この法則が確立してこそ、様々な力の存在、それらの力の合成法則などが同時に解ってくる。だから、この法則は大法則なのだ。
それともう一つ注意しなければならないのは、アリストテレスは自然現象の説明でたくさんの間違いを犯したが、アリストテレスこそ、後世の科学者が、それが本当かどうか検証してみようという気にさせる言葉や概念で多くの自然現象を説明してくれた最大の科学者だったと言うことです。混沌とした様々な現象を定式化し、書き残し、説明しつくしてくれてこそ、批判の対象となりえるし、考察の対象となりえる。それなくして次なる発展が呼び起こされることはない。その点に於いてアリストテレスの功績は大である。
HOME 1.慣性の法則 2.作用反作用の法則 3.運動の法則
2.作用反作用の法則(運動の第三法則)
作用反作用の法則とは「AがBに力F(作用)を働かせてると、BはAに同じ大きさで逆向きの力-F(反作用)を同一作用線上で働き返す」と言うものである。しかし、このような言い方ではこの法則の革新性や偉大さが見えてこない。
この法則は目に見えない力というものに関して次のような驚くべき事柄を断定している。つまり「力は単独では存在できずに必ずペア(対)になって存在する」というのである。これは驚くべき断定である。さらにこの法則は、そのペア(対)になる力のありかも教えてくれる。つまり「ある力の存在が解ったとき、その力とペアになるべき力は、その力を及ぼした物の中にある。そして、その力は最初の力と逆向きである。大きさは最初の力と同じである。さらにその力の作用線は最初の力と同じである」と驚くほど多くの情報を与えてくれる。つまり目に見えない力というものに関して、それはかくあるべきだと多くの制約を課している。
その制限がきつければきついほど我々には役に立つ法則となる。そしてその制限が我々の想像を超えるものであれば大法則となる。力がペア(対)でしか存在し得ないなどは、ニュートン以前の人は誰も気付かなかった。力が目に見えないのだからそれもむべなるかなである。その目に見えない力について、ニュートンは様々な力学現象を考察する中で、いつも対になっているということに気付いたと言うことである。そしてこれは次に述べる運動の法則と同等の大法則なのだ。
これは力のつり合いの法則(慣性の法則はそれを拡張したもの)や次に述べる運動の法則(ニュートンの第二法則)とともに、力の連鎖を次々に解き明かしてくれ、物事の本質を目に見えるように浮き上がらせる。
(例1)人が大きな物体に綱を付けて引く(ただし物体は重くて動かない)場合
(例2)天井から吊されたバネにぶら下げた重り
(例3)地球の上に机を置き、その上に置いた物体
まとめ
これらのいくつかの例を検討すれば作用反作用の法則(運動の第三法則)は一つの物体から他の別の物体へ力の関係を橋渡しするものであることが解る。つまり一つの物体から次の物体へ力の連鎖が次々に繋がっていることを明らかにし、その連鎖している力の探し方を伝授してくれる法則だ。
そして、この法則は様々な物体のふるまい(伸び、縮み、たわみ、へこみ)をうまく説明してくれる。
これに対して慣性の法則(運動の第一法則)あるいは力のつり合いの法則は、一つの物体の中に働く力をすべて加えあわせたものが、その物体にどういった状況を引き起こすかを説明する法則である。そのとき合力がゼロの場合物体は静止する(つり合いの法則)か等速直線運動(慣性の法則)を続けると言っている。
そして、合力がゼロでない場合どうなるかを述べたのが次に述べる運動の法則です。
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3.運動の法則(運動の第二法則)
力のつり合いの法則や慣性の法則(力のつり合いの法則を動いている物にまで拡張したもの)は、物体に働く力の合力がゼロの場合の法則であった。それならば、力の合力がゼロでない場合には物体はどうなるのだろう?それに答えたのが運動の法則である。
これも大法則である。それは「物体に力が働くとき、物体には力と同じ向きの加速度が生じる。その加速度aの大きさは、働いている力の大きさFに比例し、物体の質量mに反比例する」というものである。式で書くと
となる。ここで、ふつう質量1kgの物体に働いて1m/s2の加速度を生じさせる力の大きさを1kgm/s2と定める。そうすると、比例定数kは1となり
というおなじみの式になる。力の単位kgm/s2の表記では、書いても読んでも面倒なので、それを簡単にNと書き直してニュートンと読む。これはニュートンを記念した名称。
この法則の中で“加速度”の概念は、物体の運動の様子を目で見ることができるので時間と距離(長さ)の概念が確立しさえすれば解りやすい。しかし、“力”や“質量”は非常にわかりにくい。第二法則は、その目に見えない“力”および訳のわからない“質量”というものを定義するものであるとも見なせる。だが、力と質量の両方が訳の解らないものでは、どちらも定義しようがない。
そのとき、たがいに作用を及ぼし合う2つの物体に生じる加速度の比が、及ぼしあう“力”の大きさを変化させても常に一定の値になるという経験事実によって、“質量”を物体固有の量とみなすべき根拠としている。
もちろんそのとき、“2つの物体に働く力の方向は反対だが大きさは同じである”という第三法則を援用している。だから、第三法則には質量という物体に固有の量の存在を保証する意味もある。
今日様々な物質の質量は、フランスにあるキログラム原器が持つ質量という属性の値を1kgと決め、それと目的の物体との間に力の相互作用をさせて、そのつり合い(あるいは運動)の様子を検討して、目的の物体の質量を決めている。
このようにして質量の定義が定まれば力の定義は簡単である。力の大きさは質量と加速度の積で表される量であると定義される。このように定義された力が平行4辺形の法則によって合成・分解されることが経験的に確認されて、三つの運動法則と共に成り立つとされている。
この当たりの力学原理の形式論については、エルンスト・マッハが彼の著書「マッハ力学」第Ⅱ章§5、§7で的確に論評しているので読んでみられることを薦めます。
上記マッハの指摘が説明してある富山小太郎著「現代物理学の論理」第1章p5~24を引用。
この運動の法則は、質量を持つ物体のあらゆる振る舞いを含んでいる。すべてを含んでいると言うことは、何も言っていないのと同じことで、この運動の法則が役に立つためには力の性質について何らかの制約が必要である。その制約の種類により、次のように分類され、それらの解析にはそれぞれ独特な数学的テクニックが利用される。
(1)F=0
F=0でmは正の一定値だから、加速度a=0となり、静止してつり合いの状態を実現するか、等速直線運動をする。つまり慣性の法則(つり合いの法則はその特別な場合)が成り立つ場合である。この場合面積速度一定の法則が成り立つ。
ここに出てくる①②式は中学校で習う。
(2)F=一定
F=maでF=一定だから加速度a=一定となり、等加速度運動をする。これには非常に広範な応用が含まれる。
この場合に用いられる数学公式が下記の③~⑥式である。これらは単に5つの量v、v0、a、t、x間の幾何学的関係を表す数学公式で普遍的に成り立つ。物理の本質は、aが一定値になるということから、これらの公式が使える状況が整うというところにある。
③~⑥式はv-tグラフの数学的表現であるから、これらの式はv-tグラフの意味と対比して暗記すればよい。
(3)F
高校物理で習うように、空気中を落下する雨滴や、オームの法則など、速度に比例する抵抗力が絡む問題を考えるとき必要になる。ただし、運動方程式から任意時刻の速度や変位を求めるのに必要な数学は高校レベルを超えるので、高校物理ではごく簡単な説明がなされるだけである。
(4)F
質量に働く力がつり合状態からの変位の大きさに比例する場合で、これもたくさんの応用例がある。
この場合の重要な例である、減衰項や強制項も含んだもう少し一般的な調和振動子については別稿「調和振動子」を参照。
◎波動方程式の元になる式も、多くの場合この形である。項目(6)と別稿「波動方程式とその一般解」参照。
物体に働く力Fが、物体の(つり合いの位置からの)変異の大きさに比例する場合、物体の運動は単振動になる。単振動とは等速円運動をする点の運動を直線上に射影したときの射影点の運動のことである。
このようなことがいえるのは単振動の加速度が変位に比例するからである。以下その証明
だから「向心加速度が変位に比例する場合、その運動はつり合いの位置を中心にした単振動」になる。
運動が単振動の場合に成り立つ数学公式が⑦~⑨である。ここ出てくる物理量は変位x、速度v、加速度a、時間t、振幅A、角振動数ω(単振動のもとになった円運動の角速度)の6つである。これらの式の導き方は高校数学で習うので省略する。
いずれにしても⑦~⑨式は上左図の関係を数学的に表したものにすぎない。ゆえに、これらの公式は図とセットで覚えるとよい。これらは(2)F=一定の場合のv-tグラフと③~⑥式の関係に相当する。
単振動の重要な性質として、「振動周期がその振幅の大きさに依存しない(等時性)」がある。以下その証明
以上述べた事柄は、互いに密接に関係している。(下図参照)
最後にいくつかの注意をしておく。
この等時性という面白い性質が、振り子やバネを用いて時計を作る原理である。
クーロンはねじり秤を様々な振幅で振らしてみて、その振動周期が振幅によらないことを確かめた。上記の理論を逆に用いると、ねじり秤の振動周期が振幅によらないことから、ねじり秤に働く復元力はねじりの量に比例することが解る。それ故にクーロンはねじり秤を用いて電荷の間に働く力が距離の逆二乗法則に従うことを見つけることができた。
また周期が単振動を特徴づける比例定数と結びつけられることを用いると、たとえば振り子の周期から重力加速度gが測定できる。またキャベンディッシュが万有引力定数を測定するのに用いたねじり秤のように極めて鋭敏な秤でも、その自由振動の周期からその目盛りを校正することができる。
周期に対する公式 は次節(5)Fにおける周期に関する公式(ケプラーの第三法則)に相当するものである。
(5)F
これには質量の間に働く引力(万有引力の法則)、電荷の間に働く力(クーロンの法則)についての二大法則が含まれる。自然現象の多くはこの二つの法則に依存している。
ただし、運動方程式から任意時刻の速度や変位を求めるのに必要な数学は高校レベルを超えるので、高校物理では特別な場合(円運動か直線運動)が簡単に論じられる。そのあたりは授業で習うので省略する。(幾つかの例を別稿「質点の二次元運動」、「ラザフォードのα線散乱実験と有核原子モデル」、「惑星探査機の軌道と飛行速度」、「楕円軌道の発見と万有引力の法則(「プリンキピア」の説明)」、「楕円軌道とケプラー方程式」で説明)
ここでは周期が半径の3/2乗に比例する(ケプラーの第三法則)ことだけを注意しておく。これは(4)Fの場合の に相当するものである。
(6)F
これは質量に働く力が、その質量の位置変位の距離による変化の変化率に比例するというもので、広範な現象が含まれる。いわゆる質量を持つ媒質の波動現象がこれである。
しかし波動現象は別稿「波動方程式と一般解」や「電磁波の伝播」で述べるように、質量を持つ物質についてのニュートン運動方程式(質量と加速度の関係)の範疇を超えてもっと広範な物理量の変化に適応できる現象で、物理学では章を改めて一つにまとめて論じられる場合が多い。そのためニュートンの運動方程式の項目で論じられることは少ない。
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ニュートンが集大成した慣性の法則(第一法則)、運動の法則(第二法則)、作用反作用の法則(第三法則)の説明です。これらは物理学の大法則ですが、高校生にとって何故大法則なのか理解に苦しむところです。教科書を補足するためにこのページを作りました。
1.慣性の法則(運動の第一法則)
以下の説明で、アリストテレスとガリレオ、デカルトを対比しているが、ここでの説明は彼らの歴史的な認識と異なる。彼らにとって力の概念や運動の概念はまだ混沌としており、その状況を彼らが書き残したものを引用してくどくど説明しても、高校生にとって混乱を深めるだけの無意味な議論になる。ここでは慣性の法則とは何かを理解するのに最も適した形に歴史を改竄する。
慣性の法則とは「外部から力が働かないか、あるいはいくつかの力が働いていてもそれらの力がつり合っていれば、静止している物体はいつまでも静止をつづけ、運動している物体はいつまでも等速直線運動をつづける」と言うものである。しかし、このように言ってしまったのでは、慣性の法則の革新性が見えない。
慣性の法則は力のつり合いの法則「力が働いていても、その合力がゼロの場合物体は静止している」を動いている場合に拡張したものである。つまり「物体がたとえ動いていても、その運動が等速直線運動である限り、その物体に働く力の合力はゼロである。つまり物体には力が働いていない。」と言っている。
これは驚くべき断定である。なぜならガリレオの時代の人にとって、アリストテレス以来物体は力が働いている場合に動き、力を及ぼすのをやめてしまったら止まってしまうのは常識だったからだ。実際床の上にある物体は力を加えて押せば動き、押すのをやめてしまったらすぐに止まる。押す力を大きくすれば動く速さが大きくなる。つまりアリストテレスが考えたように物体の動く速度は力に比例する様に見える。
ただし、そのとき空中に投げ出された物体や、氷の上を滑っていく物体の様に力を加えていないのに動いているものは、どのように考えるのか?という疑問は出てくる。それらに対してはアリストテレスは(A)「自然は真空を嫌う。空中を飛んでいく物体の背後に真空ができるが、その部分に周囲の空気が流れ込んで、その空気が絶えず物体を押し続けており、力はちゃんと働いている」と説明した。誠に珍妙な理論である。珍妙ではあるが彼は終始一貫した理論を構築して、力と速度の比例関係を擁護しきちんと説明した。
やがてガリレオやデカルトの時代になる。新しい時代の人々は床の上を力を加えて押されて動いていく物体よりも、空中を飛んでいく物体や氷の上を滑っていく物体の方こそ本質があると看破した。つまり力が働いていなくても等速直線運動は続いていくのだ。つまり物体がたとえ動いていても、その運動が等速直線運動である限り、その物体には力が働いていないと言ったのだ。これは驚くべき断定である。
そのとき、床の上の物体を動かすには力が必要ではないか?という問いに対して、彼はその場合にも力はゼロだと言ったのだ。つまり(B)「床の上を押されて動かされている物体には床から押す力と逆向きの摩擦力というものが働いていて、物体に働く力の合計はゼロだ」と言ったのだ。ただし、この摩擦力は誰にも見えない。本当にそんな力があるのだろうか?見方によってはアリストテレスの理論に負けず劣らず珍妙な理論である。
ここで重要なのは、アリストテレスの説明(A)とガリレオの時代の新しい説明(B)はその珍妙さに於いて五十歩百歩だと言うことである。つまり当時の人々にとってアリストテレスの真空の理論も新しい摩擦力の理論も珍妙なものであり、確かめるすべの無いものなのだ。だからアリストテレスが正しいのか、摩擦力の理論が正しいのかは解らない。その解らないところをアリストテレスとは考え方を180度ひっくり返して、等速直線運動である場合はたとえ動いていても力はゼロだと断定したところに革新性がある。これは偉大なる仮説だ。そして、その後の莫大な実験事実の積み重ねの中から、今日正しかったのはアリストテレスではなくてガリレオやデカルトだと言うことが解り、この仮説は法則として確立したのだと考えなければならない。摩擦力や垂直抗力や万有引力や、その他諸々の力の存在に気づき、それらの合成法則が解らないと、この法則の正当性は見えてこない。だから力の概念の確立とこの法則の発見は表裏一体である。だからこの法則の発見が難しかった。この法則が確立してこそ、様々な力の存在、それらの力の合成法則などが同時に解ってくる。だから、この法則は大法則なのだ。
それともう一つ注意しなければならないのは、アリストテレスは自然現象の説明でたくさんの間違いを犯したが、アリストテレスこそ、後世の科学者が、それが本当かどうか検証してみようという気にさせる言葉や概念で多くの自然現象を説明してくれた最大の科学者だったと言うことです。混沌とした様々な現象を定式化し、書き残し、説明しつくしてくれてこそ、批判の対象となりえるし、考察の対象となりえる。それなくして次なる発展が呼び起こされることはない。その点に於いてアリストテレスの功績は大である。
HOME 1.慣性の法則 2.作用反作用の法則 3.運動の法則
2.作用反作用の法則(運動の第三法則)
作用反作用の法則とは「AがBに力F(作用)を働かせてると、BはAに同じ大きさで逆向きの力-F(反作用)を同一作用線上で働き返す」と言うものである。しかし、このような言い方ではこの法則の革新性や偉大さが見えてこない。
この法則は目に見えない力というものに関して次のような驚くべき事柄を断定している。つまり「力は単独では存在できずに必ずペア(対)になって存在する」というのである。これは驚くべき断定である。さらにこの法則は、そのペア(対)になる力のありかも教えてくれる。つまり「ある力の存在が解ったとき、その力とペアになるべき力は、その力を及ぼした物の中にある。そして、その力は最初の力と逆向きである。大きさは最初の力と同じである。さらにその力の作用線は最初の力と同じである」と驚くほど多くの情報を与えてくれる。つまり目に見えない力というものに関して、それはかくあるべきだと多くの制約を課している。
その制限がきつければきついほど我々には役に立つ法則となる。そしてその制限が我々の想像を超えるものであれば大法則となる。力がペア(対)でしか存在し得ないなどは、ニュートン以前の人は誰も気付かなかった。力が目に見えないのだからそれもむべなるかなである。その目に見えない力について、ニュートンは様々な力学現象を考察する中で、いつも対になっているということに気付いたと言うことである。そしてこれは次に述べる運動の法則と同等の大法則なのだ。
これは力のつり合いの法則(慣性の法則はそれを拡張したもの)や次に述べる運動の法則(ニュートンの第二法則)とともに、力の連鎖を次々に解き明かしてくれ、物事の本質を目に見えるように浮き上がらせる。
(例1)人が大きな物体に綱を付けて引く(ただし物体は重くて動かない)場合
(例2)天井から吊されたバネにぶら下げた重り
(例3)地球の上に机を置き、その上に置いた物体
まとめ
これらのいくつかの例を検討すれば作用反作用の法則(運動の第三法則)は一つの物体から他の別の物体へ力の関係を橋渡しするものであることが解る。つまり一つの物体から次の物体へ力の連鎖が次々に繋がっていることを明らかにし、その連鎖している力の探し方を伝授してくれる法則だ。
そして、この法則は様々な物体のふるまい(伸び、縮み、たわみ、へこみ)をうまく説明してくれる。
これに対して慣性の法則(運動の第一法則)あるいは力のつり合いの法則は、一つの物体の中に働く力をすべて加えあわせたものが、その物体にどういった状況を引き起こすかを説明する法則である。そのとき合力がゼロの場合物体は静止する(つり合いの法則)か等速直線運動(慣性の法則)を続けると言っている。
そして、合力がゼロでない場合どうなるかを述べたのが次に述べる運動の法則です。
HOME 1.慣性の法則 2.作用反作用の法則 3.運動の法則
3.運動の法則(運動の第二法則)
力のつり合いの法則や慣性の法則(力のつり合いの法則を動いている物にまで拡張したもの)は、物体に働く力の合力がゼロの場合の法則であった。それならば、力の合力がゼロでない場合には物体はどうなるのだろう?それに答えたのが運動の法則である。
これも大法則である。それは「物体に力が働くとき、物体には力と同じ向きの加速度が生じる。その加速度aの大きさは、働いている力の大きさFに比例し、物体の質量mに反比例する」というものである。式で書くと
となる。ここで、ふつう質量1kgの物体に働いて1m/s2の加速度を生じさせる力の大きさを1kgm/s2と定める。そうすると、比例定数kは1となり
というおなじみの式になる。力の単位kgm/s2の表記では、書いても読んでも面倒なので、それを簡単にNと書き直してニュートンと読む。これはニュートンを記念した名称。
この法則の中で“加速度”の概念は、物体の運動の様子を目で見ることができるので時間と距離(長さ)の概念が確立しさえすれば解りやすい。しかし、“力”や“質量”は非常にわかりにくい。第二法則は、その目に見えない“力”および訳のわからない“質量”というものを定義するものであるとも見なせる。だが、力と質量の両方が訳の解らないものでは、どちらも定義しようがない。
そのとき、たがいに作用を及ぼし合う2つの物体に生じる加速度の比が、及ぼしあう“力”の大きさを変化させても常に一定の値になるという経験事実によって、“質量”を物体固有の量とみなすべき根拠としている。
もちろんそのとき、“2つの物体に働く力の方向は反対だが大きさは同じである”という第三法則を援用している。だから、第三法則には質量という物体に固有の量の存在を保証する意味もある。
今日様々な物質の質量は、フランスにあるキログラム原器が持つ質量という属性の値を1kgと決め、それと目的の物体との間に力の相互作用をさせて、そのつり合い(あるいは運動)の様子を検討して、目的の物体の質量を決めている。
このようにして質量の定義が定まれば力の定義は簡単である。力の大きさは質量と加速度の積で表される量であると定義される。このように定義された力が平行4辺形の法則によって合成・分解されることが経験的に確認されて、三つの運動法則と共に成り立つとされている。
この当たりの力学原理の形式論については、エルンスト・マッハが彼の著書「マッハ力学」第Ⅱ章§5、§7で的確に論評しているので読んでみられることを薦めます。
上記マッハの指摘が説明してある富山小太郎著「現代物理学の論理」第1章p5~24を引用。
この運動の法則は、質量を持つ物体のあらゆる振る舞いを含んでいる。すべてを含んでいると言うことは、何も言っていないのと同じことで、この運動の法則が役に立つためには力の性質について何らかの制約が必要である。その制約の種類により、次のように分類され、それらの解析にはそれぞれ独特な数学的テクニックが利用される。
(1)F=0
F=0でmは正の一定値だから、加速度a=0となり、静止してつり合いの状態を実現するか、等速直線運動をする。つまり慣性の法則(つり合いの法則はその特別な場合)が成り立つ場合である。この場合面積速度一定の法則が成り立つ。
ここに出てくる①②式は中学校で習う。
(2)F=一定
F=maでF=一定だから加速度a=一定となり、等加速度運動をする。これには非常に広範な応用が含まれる。
この場合に用いられる数学公式が下記の③~⑥式である。これらは単に5つの量v、v0、a、t、x間の幾何学的関係を表す数学公式で普遍的に成り立つ。物理の本質は、aが一定値になるということから、これらの公式が使える状況が整うというところにある。
③~⑥式はv-tグラフの数学的表現であるから、これらの式はv-tグラフの意味と対比して暗記すればよい。
(3)F
高校物理で習うように、空気中を落下する雨滴や、オームの法則など、速度に比例する抵抗力が絡む問題を考えるとき必要になる。ただし、運動方程式から任意時刻の速度や変位を求めるのに必要な数学は高校レベルを超えるので、高校物理ではごく簡単な説明がなされるだけである。
(4)F
質量に働く力がつり合状態からの変位の大きさに比例する場合で、これもたくさんの応用例がある。
この場合の重要な例である、減衰項や強制項も含んだもう少し一般的な調和振動子については別稿「調和振動子」を参照。
◎波動方程式の元になる式も、多くの場合この形である。項目(6)と別稿「波動方程式とその一般解」参照。
物体に働く力Fが、物体の(つり合いの位置からの)変異の大きさに比例する場合、物体の運動は単振動になる。単振動とは等速円運動をする点の運動を直線上に射影したときの射影点の運動のことである。
このようなことがいえるのは単振動の加速度が変位に比例するからである。以下その証明
だから「向心加速度が変位に比例する場合、その運動はつり合いの位置を中心にした単振動」になる。
運動が単振動の場合に成り立つ数学公式が⑦~⑨である。ここ出てくる物理量は変位x、速度v、加速度a、時間t、振幅A、角振動数ω(単振動のもとになった円運動の角速度)の6つである。これらの式の導き方は高校数学で習うので省略する。
いずれにしても⑦~⑨式は上左図の関係を数学的に表したものにすぎない。ゆえに、これらの公式は図とセットで覚えるとよい。これらは(2)F=一定の場合のv-tグラフと③~⑥式の関係に相当する。
単振動の重要な性質として、「振動周期がその振幅の大きさに依存しない(等時性)」がある。以下その証明
以上述べた事柄は、互いに密接に関係している。(下図参照)
最後にいくつかの注意をしておく。
この等時性という面白い性質が、振り子やバネを用いて時計を作る原理である。
クーロンはねじり秤を様々な振幅で振らしてみて、その振動周期が振幅によらないことを確かめた。上記の理論を逆に用いると、ねじり秤の振動周期が振幅によらないことから、ねじり秤に働く復元力はねじりの量に比例することが解る。それ故にクーロンはねじり秤を用いて電荷の間に働く力が距離の逆二乗法則に従うことを見つけることができた。
また周期が単振動を特徴づける比例定数と結びつけられることを用いると、たとえば振り子の周期から重力加速度gが測定できる。またキャベンディッシュが万有引力定数を測定するのに用いたねじり秤のように極めて鋭敏な秤でも、その自由振動の周期からその目盛りを校正することができる。
周期に対する公式 は次節(5)Fにおける周期に関する公式(ケプラーの第三法則)に相当するものである。
(5)F
これには質量の間に働く引力(万有引力の法則)、電荷の間に働く力(クーロンの法則)についての二大法則が含まれる。自然現象の多くはこの二つの法則に依存している。
ただし、運動方程式から任意時刻の速度や変位を求めるのに必要な数学は高校レベルを超えるので、高校物理では特別な場合(円運動か直線運動)が簡単に論じられる。そのあたりは授業で習うので省略する。(幾つかの例を別稿「質点の二次元運動」、「ラザフォードのα線散乱実験と有核原子モデル」、「惑星探査機の軌道と飛行速度」、「楕円軌道の発見と万有引力の法則(「プリンキピア」の説明)」、「楕円軌道とケプラー方程式」で説明)
ここでは周期が半径の3/2乗に比例する(ケプラーの第三法則)ことだけを注意しておく。これは(4)Fの場合の に相当するものである。
(6)F
これは質量に働く力が、その質量の位置変位の距離による変化の変化率に比例するというもので、広範な現象が含まれる。いわゆる質量を持つ媒質の波動現象がこれである。
しかし波動現象は別稿「波動方程式と一般解」や「電磁波の伝播」で述べるように、質量を持つ物質についてのニュートン運動方程式(質量と加速度の関係)の範疇を超えてもっと広範な物理量の変化に適応できる現象で、物理学では章を改めて一つにまとめて論じられる場合が多い。そのためニュートンの運動方程式の項目で論じられることは少ない。
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再生核研究所声明310(2016.06.29) ゼロ除算の自明さについて
人間の感性の観点から、ゼロ除算の自明さについて触れて置きたい。ゼロ除算の発見は誠に奇妙な事件である。まずは、近似の方法から自然に導かれた結果であるが、結果が全然予想されたことのない、とんでもないことであったので、これは何だと衝撃を受け、相当にその衝撃は続いた。まずは、数学的な論理に間違いがないか、厳重に点検を行い、それでも信じられなかったので、多くの友人、知人に意見を求めた。高橋眞映山形大学名誉教授のゼロ除算の一意性定理は大事だったので、特に厳重に検討した。多くの友人も厳重に時間をかけて検討した経過がよく思い出される。その他、いろいろな導入が発見されても、信じられない心境は1年を超えて続いたと言える。数学的に厳格に、論理的に確立しても 心情的に受け入れられない感情 が永く続いた。そのような心境を相当な人たちが抱いたことが国際的な交流でも良く分かる。中々受け入れらない、ゼロ除算の結果はそうだと受け入れられない、認められない空気であった。ゼロ除算の発展は世界史上の事件であるから、経過など出来るだけ記録するように努めてきた。
要するに、世界中の教科書、学術書、定説と全く違う結果が 世に現れたのである。慎重に、慎重に畏れを抱いて研究を進めたのは 当然である。
そこで、証拠のような具体例の発見に努めた。明確な確信を抱くために沢山の例を発見することとした。最初の2,3件の発見が特に難しかった。内容は次の論文に、招待され、出版された: http://www.ijapm.org/show-63-504-1.html :
ゼロ除算を含む、山田体の発見、
原点の鏡像が(原点に中心をもつ円に関する)無限遠点でなく ゼロであること、
x,y直角座標系で y軸の勾配がゼロであること、
同軸2輪回転からの、ゼロ除算の物理的な意味付け、
これらの成果を日本数学会代数学分科会で発表し、また、ゼロ除算の解説(2015.1.14)を1000部印刷広く配布してきた。2年間の時間の経過とともに我々の数学として、実在感が確立してきた。その後、広範にゼロ除算がいろいろなところに現れていることが沢山発見され、やがて、ゼロ除算は自明であり数学の初歩的な欠落部分であるとの確信を深めるようになってきている。
単に数学の理論だけでなく、いろいろな具体例が認識の有り様を、感性を変えることが分かる。そこで、何もかも分かったという心境に至るには、素朴な具体例で、何もかも当たり前であるという心理状況に至ることが大事であるが、それは、環境で心自体が変わる様をしめしている。本来1つの論文であった原稿は 招待されたため次の2つの論文に出版される:
(2016) Matrices and Division by Zero z/0 = 0. Advances in Linear Algebra
& Matrix Theory, 6, 51-58.
http://www.scirp.org/journal/alamt http://dx.doi.org/10.4236/alamt.2016.62007
Division by Zero z/0 = 0 in Euclidean Spaces:
International Journal of Mathematics and Computation 9 Vol. 28; Issue 1, 2017)。
沢山の具体例が述べられていて、ゼロ除算が基本的な数学であることは、既に確立していると考えられる。沢山の具体例が、そのような心境に至らしめている。
ゼロ除算の自明さを論理ではなく、簡単に 直感的な説明として述べたい。
基本的な関数y=1/xを考え、そのグラフを見よう。原点の値は考えないとしているが、考えるとすれば、値は何だろうか? ゼロではないか と 思えば、ゼロ除算は正解である。それで十分である。その定義から、応用や意味付けを検討すれば良い。― 誰でも値は ゼロであると考えるのではないだろうか。中心だから、真ん中だから。あるいは平均値だからと考えるのではないだろうか。それで良い。
0/0=0 には違う説明が必要である。条件付き確率を考えよう。 A が起きたという条件の下で、B が起きる条件付き確率を考えよう。 その確率P(B|A) は AとBの共通事象ABの確率P(AB) と A が起きる確率P(A)との比 P(B|A)=P(AB)/P(A) で与えられる。もし、Aが起きなければ、すなわち、P(A) =0 ならば、もちろん、P(AB) =0. 意味を考えても分かるようにその時当然、P(B|A) =0である。 すなわち、0/0=0は 当たり前である。
以 上
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