2016年1月18日月曜日

宇宙論について考える-宇宙に終焉はあるのか? (2) 2012/06/01 01:00

宇宙論について考える-宇宙に終焉はあるのか? (2)
2012/06/01 01:00

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 ルネッサンス期の天文学

 さて、前回は”暗黒時代”と称されたヨーロッパの中世時代に大きな飛躍を遂げたイスラーム天文学(実際には数学、天文学、医学、論理学、哲学など様々など学問全般において空前の飛躍が見られた)について見ました。 
このように、イスラーム科学は9世紀から16世紀にかけて旺盛を極め、世界の科学さえもリードしたのですが、12世紀ころになると、イスラームで発展した最先端の知識のアラビア語文献がラテン語に翻訳される形で中世ヨーロッパ世界に大量に持ち込まれるようになりました(この大翻訳運動を12世紀ルネッサンスとも言う)。

デンマークの天文学者、ブラーエがケプラーと共同で観測活動をしたウラニボリ天文台
(右下は現存するウラボニ天文台の写真)

Tycho_Brahe's_Stjerneborg.jpg



このヨーロッパの、天文学をふくむ、科学のルネッサンス運動の火付け役となったのが十字軍でした。 十字軍のイスラーム遠征は、当時世界最先端のイスラーム科学をヨーロッパへもたらすという重要な役割を果たしたのです。 
アラビア文化圏の進んだ知識が導入されるにしたがって、イスラーム世界に継承されていた古代ギリシャの知識もふたたびヨーロッパで見直されるようになり、アリストテレスの学問もアラビア語からラテン語へ翻訳され広く知られるようになります。そしてヨーロッパではルネッサンスの大興隆が起こり、再びヨーロッパは天文学の中心となっていきます。 

ルネッサンスとは、周知のように「再生」を意味し、”古代(ギリシア)文化、芸術への回帰”を目指す運動です。ルネッサンスは14世紀に北イタリアではじまり、またたく間にヨーロッパ中に広がりました。ギリシア時代に提唱されていた地動説や大地球体説が再提唱されて議論されるようになり、また17世紀初頭には望遠鏡が発明され、天体観測も飛躍的に向上します。 このヨーロッパ文明の黎明とも言える時期には傑出した天文学者や物理学者が多く現れました。




コペルニクスと地動説を唱えた著書『天球の回転』
Nicolaus-Copernicus2.jpg
  

天文学史上、もっとも重要な”再”発見である地動説も、このルネッサンス期にポーランド生まれの天文学者、ニコラウス・コペルニクス(Nicolaus Copernicus 1473-1543)によって唱えられました。
コペルニクスの地動説と呼ばれるこの説は、カトリック教会の律修司祭(カノン)であったコペルニクス自身は、カトリック教会が支持していたプトレマイオスの天動説と対立する説を唱える、などという大それた考えは毛頭なく、ただ、1年の長さの計算をシンプル化することが目的でした。


ちなみに、この時期、カトリック教会では暦(ユリウス暦)が実際の太陽の運行とかなりずれていることが問題になっていて、暦改訂の必要性が真剣に議論されていたことから、教会も正確な1年の長さを得るために天文学の研究を奨励していたのです。 
コペルニクスも、その問題を解決しようと取り組んだ天文学者の一人で、アリスタルコス(ギリシャの天文学者、最初に太陽中心説を唱えた)の研究をベースとして、太陽を中心に地球がその周りを1年かけて公転するものと仮定して、その測定方法や計算方法を地動説としてまとめたわけです。

コペルニクスは晩年になって、その地動説を『天球の回転』という著書において表したわけですが、出版を遅らせた理由については、一般に言われている、教会からの弾圧を恐れていたわけではなく、その証拠に当時教会側はコペルニクスの説を否定してなく、むしろ新しい確かな天文学として認識していたようです。 
つまり、我々が現在考えているほど、異端扱いはされてはいなかったのです。むしろルターの宗教改革によって腐敗したカトリック教会が攻撃され、教会自らの権威を守るために異説を排除する動きが苛烈になってきたことによって、後ほどコペルニクスの地動説も弾圧の的になってしまったといえます。 

天文学の父と称されるガリレオと彼が観測に使用した望遠鏡 Galileo.jpg 

科学的観測手法の先駆者として有名なガリレオ・ガリレイ(1564年-1642年)は、自作の天体望遠鏡を使って天体を観測し、次のような発見をします。


 月 月は完全な球形でなく、地球の表面のようにデコボコしている。
 金星 金星に満ち欠けがあり、もっとも大きく見える時に
      三日月になり、もっとも小さく見える時に満月になる。
 木星 4つの衛星は木星の周囲を回ってる。
 太陽 黒点が(太陽の自転にしたがって)位置を変えることを発見。


克明に月面の様子が描かれたガリレオの「星界の使者」

sidereus-nuncius.jpg



ガリレオはこれらの観察結果を、1610年に『星界の使者』(Sidereus Nuncius)というタイトルの論文で発表しました(注:太陽黒点については1613年に 『太陽黒点論』として刊行)。これらの発見によって、ガリレオはコペルニクスの地動説の方が正しいと強く思うようになりました。

金星の満ち欠け現象は、まさに地球の軌道の内側をめぐる惑星の特徴そのものでしたし、木星の衛星がそのまわりを回ることも、地球を中心に回っていない天体があるということを示すものと考えられ、”天は不変で、月より遠い場所では永遠に変化はない”とする天動説に不利な証拠となりました。
ガリレオは、さらに1632年に地動説の解説書、『天文対話』をフィレンツェで発行しました。これにより、ガリレオはローマ教会から異端裁判で有罪を判決されることになります。

なお、ガリレイは、慣性の法則や運動の法則なども実験的方法で発見しており、これは後ほどニュートンが『ニュートンの3法則』として集大成することになります。


天体を観測するガリレオ

galilei_telescope.jpg


ガリレオが異端裁判にかけられる原因となった『天文対話』

Frontpage_of_Dialogo_di_Galileo_Galilei_Linceo.png



ガリレオと同時期に活躍し、現在でいう天文物理学に大きな貢献をしたのが、ドイツの数学・天文学者、ヨハネス・ケプラー(1571-1630)です。 ケプラーは、ウラニボリ天文台で活発な観測活動を行なっていたデンマークの天文学者、ティコ・ブラーエと共同で観測活動を行い(トップの画像参照)、得られた観測データをベースに惑星の運動の研究をして、「ケプラーの法則」を集成します。

 第1法則は「惑星は太陽をその1つの焦点にもつ楕円軌道の上を運動する」
 第2法則は「惑星と太陽を結ぶ線分が同じ時間に描く面積は等しい」(「面積速度の法則」と呼ばれる)
 第3法則は「惑星の太陽からの距離の3乗と惑星の公転周期の2乗の比は一定で、すべての惑星で同じである」


ケプラーと太陽系モデル
kepler6_johannes.jpg


ケプラーの法則は、天動説に対する地動説の優位を決定的なものとしました。実は、コペルニクスによって地動説が唱えられたあとも、地動説に基づく惑星運動モデルは従来の天動説モデルと比べ、実用上必ずしも優れたものではなかったのです。しかし、ケプラーの法則の登場により、地動説モデルは天動説モデルよりもはるかに正確に惑星の運動を説明することが可能となったのです。

また、惑星の軌道を楕円形であるとした第1法則は、天体は真円に基づく運動をするはずであるという古代ギリシア以来の常識を打ち破るものでした。これ以降、多くの学者が地動説を信じるようになっていきました。 ちなみに、ケプラーは『星界の報告者との対話』を発行し、ガリレオの援護もしました。

line_star.gif


万有引力を発見し、天体力学を確立したアイザック・ニュートン
sr-newton.jpg


最終的に、天体の運行の原理を解明したのが、アイザック・ニュートン(1642-1727)です。
ケプラーは、惑星の軌道運動をそれまでにない精度で研究し、『ケプラーの法則』を発見しましたが、それらの法則がどうして成り立つのか、その背後に存在する”法則”まで解明することはできなかったのです。太陽と惑星とのあいだに、”ある種の力”が働いていることには気づいており、それをケプラーは、「太陽が地球になんらかの”駆動する力”を及ぼしている」とまで推測していたのですが、それが地上の重力と同一のものであることを発見したのが、英国の物理学者であり天文学者のニュートンだったのです。
ニュートンは万有引力の法則を発見し、全てのものにはお互い引き合う力があると考えたのです。月が地球の周りを回り続けるのは、遠心力と地球の引力がつり合っているからであり、その法則は宇宙全体に通用することを証明したのです。

それまでの人類(地球)が世界の中心であるとの考え方から、”人類(地球)は大きな宇宙の中のひとつの惑星にたまたま住んでいるちっぽけな存在に過ぎない”という考えは、後のダーウィンの進化論と同じくらい、キリスト教会の権威を揺るがすものであり、教会側からの大反対と弾圧を受けることになります。しかし、ニュートン自身は熱心なキリスト教徒であり、彼は自分の発見した法則が、神の存在を証明する一助となると考えていました。

『自然哲学の数学的諸原理(プリンキピア)』

principia.jpg




ちなみに、現在、物理学においてニュートンが成した功績は、ガリレオや、ティコ・ブラーエ、ケプラーなどによって、すでに発見・研究されてきた物理法則や、同時代の自然哲学者らが得ていた知識などをニュートンが数学的記述を用いて巧みに体系化したことだと言われています。

以上、少々おさらい的に天文学の歴史を見てきましたが、古代から中世においての天文学の目的は世界観の確率といってもよいでしょう。それはまた、現在で言うところの宇宙論でもあるのです。 コペルニクスが、天体といえども地上の物体に働いているのと同じ物理法則にしたがっているということを示し、宇宙の中ではどこでも、すべて同じ様な様相をしており、特別な場所というものが存在しないことを理論化し、ニュートンがそれらの天体の運動を数学的に説明した理論は、現在では天体力学と呼ばれているのは周知のとおりです。

line_star.gif


  現代の宇宙論



 現代の宇宙論は20世紀初めのアルベルト・アインシュタインによる一般相対性理論の発展と、非常に遠い距離にある天体の観測技術の進歩によって始まったわけですが、このアインシュタインも含め、20世紀の初頭まで物理学者たちも、”宇宙は始まりも終わりもない完全に静的なもの”という考えを持っていました。




Einsten-space-time.jpg




1915年、アルベルト・アインシュタインは前述の一般相対性理論を発表。
この理論の中で、アインシュタインは物質の存在する宇宙が静的になるように、自分が導いたアインシュタイン方程式に宇宙定数(Cosmological Constant)を加えました。

1927年になると、ベルギーのカトリック教会司祭であるジョルジュ・ルメートルが『銀河系外星雲の視線速度を説明する、一定質量で半径が成長する宇宙』という長ったらしい論文を発表して、『膨張宇宙』という新たな概念を示し、『静止宇宙』論が主流であった天文学界・天体物理学界に大きな波紋を投げかけました。

ルメートルの説は、渦巻星雲が遠ざかっているという観測結果に基づいて、宇宙は「原始的原子」の爆発から始まった、とするものですが、これが後に『ビッグバン理論』と呼ばれるようになり、現在にいたっています。
1929年になると、エドウィン・ハッブルは銀河の赤方偏移を発見しました。これは、銀河が全ての方向に向かってその距離に比例する速度(地球に対する相対速度)で後退しているというもので、「ハッブルの法則」として知られています(注:ただしこの距離と後退速度の関係は正確には比較的近距離の銀河についてのみ確認されたもの)。この発見により、ハッブルは、ルメートルの理論に対する観測的裏付けをあたえました。

さて、ここで「ビッグバン理論」が出てきましたので、以降、この理論について見てみたいと思います。これまでの記述と少々重複するところがあることをご承知ください。


ビッグバンの前には何があったか? 

周知の通り、ビッグバン理論というものは1929年にエドウィン・ハッブル(1889年- 1953年)によって天の川銀河以外の銀河が、その距離に比例して後退速度(赤方偏移)が早くなることを発見した(ハッブルの法則)ことに端を発します。

銀河同士がおたがいに遠ざかりつつあるということは、過去に遡ればすべての銀河がある一点からスタートしたということになり、このアイデアに立脚して、膨張する宇宙のスピードの逆算から科学者たちは140億年(現在のところは137±2億年とされている)前か、あるいはもっと以前には宇宙は、その一点に高密度で凝縮していたと推論しました。これがビッグバン宇宙論と呼ばれるものです。


すべての銀河はおたがいに遠ざかりつつある(写真はアンドロメダ銀河)
andromeda.jpg 

本章のタイトルは、”ビッグバンの前には何があったのか?”ですが、ビッグバンについて語る前に明確にしておきたいことは、ビッグバンはあくまでも”現在、膨張しつつある宇宙の観察をベースとした理論である”ということです。つまり、確実に137億年なり、140億年の過去にビッグバンが起こったという科学的証拠はないということをまず初めに認識しておく必要があります。これを前提とした上で以後話しを進めていきたいと思います。


ビッグバン理論について考察する上で興味深いのは、20世紀初頭には天文学者も含めてほとんどの人々は宇宙は定常的なものだと考えていて、「宇宙には始まりがなければならない」などということを考えるような天文学者は皆無だったということです。ハッブル自身も、また柔軟な考えを持っていると評価されていたアインシュタインでさえも、「宇宙に始まりがあった」などという考えは馬鹿げていていると思っていたということです(もっともアインシュタイン自身は後ほどその考えが間違っていたことを認めていますが)。

そのような中で、ハッブルの発見に関心をもち、宇宙における元素の起源をビッグバンに求めようとしたのがロシア出身の天文・核物理学者ジョージ・ガモフ(1904年 - 1968年)です。ガモフは、ジョルジュ・ ルメートルが提唱したビッグバン理論を支持し発展させ、重水素(ジュウテリウム)、ヘリウム、リチウムなどの化学元素の形成は、ビッグバン直後(数秒後)に温度が絶対温度10億度になった状態の時に核融合によってこれらの元素が生まれたと唱えました。そして、この仮説を支える土壌としてビッグバン理論を支持したのです(注:ガモフの「火の玉宇宙」)。

ガモフがビッグバン理論のベースとしたのは、前述のジョルジュ・ルメートルが1927年に発表した『膨張宇宙論』の中で”宇宙は原始的原子(primeval atom) の《爆発》から始まった”と述べた、宇宙創造モデルでした。その後のハッブルの銀河の赤方偏移の観測により、ガモフはルメートルの理論が観測的に裏付けられたと考え、ビッグバン理論を考えだしたわけです。



   ジョージ・ガモフ  と  ジョルジュ・ルメートル
GamovGA_1930.jpg     Georges_Lemaitre.jpg



ガモフの宇宙誕生(ビッグバン)直後に化学元素のほとんどが形成されたという理論は、その後、水素やヘリウムより重い元素は原始宇宙では形成されない(重い元素は恒星の内部で形成される)ことが計算で示されましたが、ガモフは、「火の玉宇宙(ビッグバン)」の痕跡は絶対温度5度(5K)の宇宙背景放射として存在するだろうと予言をし、これが後ほど実際に観察されることになります。

ガモフの”宇宙背景放射の予言”を少し分かりやすく説明すると、ビッグバン直後の超高温の宇宙が放った光は、その後の宇宙の膨張によって波長が引き延ばされ、現在においては電磁波の形で宇宙に残っているはずだ、と予想したのです。ビッグバン直後の宇宙はまんべんなく超高温であり、その光は宇宙全体に満ち溢れていたので、膨張した現在の宇宙では「あらゆる方向からやってくる電磁波」となっているはずだと言うのがガモフの考えだったのです。

そして、その予言に一致する形で宇宙マイクロ波背景放射がアーノ・ペンジアスとロバート・W・ウィルソンの二人によって1964年に(偶然に)発見されたことにより、ビッグバン理論が広く受け入れられるようになりました。ちなみに二人はこの功績により1978年にノーベル物理学賞を受賞しています。(注:宇宙マイクロ波背景放射は、CBR=Cosmic Background Radiation、マイクロ波背景放射 MBR=Mmicrowave Background Radiation とも呼ばれる)


ベル研究所のペンジアスとウィルソンは高感度アンテナの設置中に宇宙背景輻射を偶然発見 Horn_Antenna-inNew_Jersey.jpeg

201109301111016ea.jpg

ペンジアスとウィルソンが発見した宇宙からの雑音(正確には波長約1ミリメートルのマイクロウエーブ)の正体は黒体放射で黒体の絶対温度は約3Kだと予測しました。(注:後ほど、COBEの高精度スペクトル測定で宇宙の温度は2.725Kであることが判明)

しかし、ビッグバン理論には、宇宙の起源(特異点)の問題、地平線の問題、平坦性の問題という大きな問題があることが数々の物理学者、天文学者たちによって指摘されました。次回はこれら問題点について見てみたいと思います。http://metamorphose-planet.blog.so-net.ne.jp/_pages/user/iphone/article?name=2012-05-22


再生核研究所声明 264 (2015.12.23):  永遠とは何か ― 永遠から

現代人は 空間とは 座標軸で表される数の組の集合 で表させるものと発想しているだろう。 基礎である直線は 実数を直線上に並べたもの、逆に直線とは 実は 実数全体の表現と考えられる。 すなわち、直線とは 基準点である原点ゼロから、正方向と負方向に正の実数と負の実数が大小関係で順序づけられ無限に双方向に伸びていると考えられる。
そこで、永遠とは 直線に時間を対応させ、限りなく正方向に進んだ先のことを 想像している。どこまでも どこまでも 先に行けばどうなるだろうか。直線上でも、平面上でも である。 砂漠の伝統を有する欧米文化の背景、キリスト教などの背後には、 永遠とは限りなく 果てしなく先にあると発想しているという。 どこまでも、どこまでも きりのない世界である。 ユークリッド幾何学が そのような空間を考えていることは確かである。
ところが四季に恵まれたアジアの民は、限りなく広がる世界に、不安や淋しさを直感して、 正の先と、負の先が一致していて、直線は円で どこまでも どこまでも行くと反対方向から、現在に至り、永遠は繰り返しであると、四季の繰り返し、天空の繰り返し、円運動のように発想して 仄かな安心感を覚えているという。永劫回帰、輪廻の思想を深く懐いている。実に面白いことには 美しい複素解析学では、立体射影の考えによって、直線を球面上の円と表現し、無限遠点の導入によって、 これらの思想を 数学的に厳格に実現させ、全ユークリッド平面の全貌を捉え、無限の彼方さえ捉えることが出来た。 その時 永遠を 確かに捉え、掴むことさえ出来たと言える。立体射影による球面上の北極に 確かに存在すると言える。素晴しい、数学を手に入れていた。この美しい数学は 100年以上もリーマン球面として、複素解析学の基本となってきている。
ところが2014.2.2偶然に発見されたゼロ除算の結果は、この無限遠点が 実は原点に一致していた という衝撃的な事実を述べていた。 永遠、無限の彼方と想像していたら、それが 実は原点に戻っていたという事実である。 それが我々の数学であり、ユークリッド空間の実相である。幾何学の性質や物理的な法則をきちんと説明している、我々の世界の数学である。
それで、永遠や無限遠点、我々の空間の 十分先の考え方、発想を考える必要がある。
無限の先が原点に一致している事実、それを如何に理解すべきであろうか。
それについて、 次のように解説してきた:

再生核研究所声明232(2015.5.26)無限大とは何か、無限遠点とは何か。― 驚嘆すべきゼロ除算の結果
再生核研究所声明257 (2015.11.05) 無限大とは何か、 無限遠点とは何か ー 新しい視点 
再生核研究所声明262 (2015.12.09) 宇宙回帰説 ― ゼロ除算の拓いた世界観 

新しい世界観は 始まりから始まり 最後には 突然戻るということを述べている。 しからば、始めとは何で 終りとは何だろうか。 これについて、 始めも終わりも、質的な変化であると定義できるのではないだろうか。 簡単な数学で万物、universe の現象を説明するのは難しい状況は確かにあるだろう.しかし、ゼロ除算の思想は、新羅万象が絶えず変化して 繰り返している様を表現しているように感じられる。
大事な人生の視点は 今日は 明日のためや遠い未来のためにあるのではなく、 現在、現在における在るべき適切な在りようが大事だと言っているようである。もちろん、現在は、未来と過去に関係する存在であり、それらは関係付けられ、繋がっているが 焦点はもちろん、 現在にあるということである。
ビッグバンの宇宙論は 適切に理解され、始めとは 大きな変化で 現状の元が始まり、
やがて突然、元に戻って 終わることを暗示しているようである。人生とは 要するに 内なる自分と環境に調和するように在れ と ゼロ除算は言っているようである。

ゼロ除算は 仏教の偉大なる思想 を暗示させているように感じられる。

以 上


Reality of the Division by Zero z/0 = 0
http://www.ijapm.org/show-63-504-1.html
http://okmr.yamatoblog.net/

再生核研究所声明262 (2015.12.09) 宇宙回帰説 ― ゼロ除算の拓いた世界観 
最近展開しているゼロ除算が、新しい世界観を示しているのは 大変興味深い。直線とは一体どうなっているだろうか.空間とはどのようになっているだろうか。これについて、現代人は、双方向にどこまでも どこまでも 続いている直線を想像するであろう。限りなく広がった平面や空間である。ところが 立体射影によって 平面全体を球面上に1対1に写せば、全平面は 球面から北極を除いた球面上に1対1にきちんと写るから、無限に広がる 全平面の全貌が捉えられる。ところが平面上には存在しない想像上の点 それはあらゆる方向に限りなく遠くに存在する無限遠点の導入によって、その点を球面の欠けた1点北極に対応させれば、無限遠点を含めた平面全体は 球面全体と1対1にきちんと対応する。
このような対応で 平面上の円や直線全体は 球面上では共に円に対応するという美しい対応になり、平面上の直線は 球面上では、北極(無限遠点)を通る円に写ると、直線と円の区別は 球面上では不要になる。また、平面上の平行線とは 無限遠点で 角度ゼロで交わっている(接している)と平面上の構造がよく見えて、無限遠点を含めての平面の全構造が 捉えられる。このように、考えると、直線とは、球面上では北極を通る円、平面上では無限遠点を通る直線となる。この構造は、直線を1方向にどこまでも, どこまでも進めば、無限遠点を 通って、逆方向から戻ってくるという、永劫回帰の思想をちょうど実現している。それは、球面上では、 円を繰り返し回ることを意味する。 その様は 何もかも すっかり良く見える。
これが、従来100年以上も続いた世界観で、関数y=x やW=zは 無限遠点に近づけば、それらの像も無限遠点に近づいていると考えるだろう。 関数y=x の値は正方向にどんどん行けば、どんどん大きくなると考えるだろう。
しかるに、ゼロ除算1/0=0は、それらの関数は無限遠点にいくらでも近づくと 無限遠点にいくらでも近づくが、無限遠点自身では、突然ゼロになっていることが 幾何学的にも確認された。上記、北極は 実は原点ゼロに一致しているという。
話しを簡単にするために、 関数y=x を考えよう。右に行けば、プラス無限に、負の方向左に行けば 負の無限に限りなく近づくは 従来通りである。ところが、ゼロ除算では いずれの方向でも上記無限遠点では 値ゼロをきちんと取っているという。ゼロ除算の数学では、どんどん、増加した先、突然、ゼロ、原点に戻っているという。また、円でも球面でも半径Rをどんどん大きくすると、当然、円の面積や球の体積はどんどん限りなく大きくなるが、半径が無限のとき、突然、それらはゼロになるという。それらの理由も数学ばかりではなく、幾何学的にも明確に見えている。
この数学的な事実は、我々の世界、宇宙がどんどん拡大して行くと突然、ゼロに帰するということを暗示させている。 ― これは 宇宙回帰説を意味しているようである。
これは、ユニバースの普遍的な現象、どんどん進んだ先が、元に突然戻る原理を示しているようである。
そもそも人生とは如何なるものか。― よくは分からないが、事実として、生まれて、どんどん物心がついて、人間として精神活動が活発化して、多くは本能原理によって生かされて、そして、突然元に戻ることを意味しているようである。このことを深く捉えられれば、世界がよりよく観え、悟りの境地に達する大きなヒントを得ることができるだろう。

ここでは ゼロ除算の帰結として、宇宙回帰説、ユニバースの回帰説を唱えたい。この考えでは、どんどん進めば、突然元に戻るという原理を述べている。珠算における 御破算で願いましては で 再び始めることを想起させる。これは、また、reset と同様であると考えられる。

以 上


Title page of Leonhard Euler, Vollständige Anleitung zur Algebra, Vol. 1 (edition of 1771, first published in 1770), and p. 34 from Article 83, where Euler explains why a number divided by zero gives infinity.
https://notevenpast.org/dividing-nothing/

割り算のできる人には、どんなことも難しくない

世の中には多くのむずかしいものがあるが、加減乗除の四則演算ほどむずかしいものはほかにない。

ベーダ・ヴェネラビリス

数学名言集:ヴィルチェンコ編:松野武 山崎昇 訳大竹出版1989年


Reality of the Division by Zero z/0 = 0
http://www.ijapm.org/show-63-504-1.html
http://okmr.yamatoblog.net/

再生核研究所声明 271(2016.01.04): 永遠は、無限は確かに見えるが、不思議な現象

直線を どこまでも どこまでも行ったら、どうなるだろうか。立体射影の考えで、全直線は 球面上 北極、無限遠点を通る無限遠点を除く円にちょうど写るから、我々は、無限も、永遠も明確に見える、捉えることができると言える。 数学的な解説などは下記を参照:

再生核研究所声明 264 (2015.12.23):永遠とは何か―永遠から
再生核研究所声明257(2015.11.05): 無限大とは何か、無限遠点とは何か―新しい視点
再生核研究所声明232(2015.5.26): 無限大とは何か、無限遠点とは何か。―驚嘆すべきゼロ除算の結果
再生核研究所声明262(2015.12.09): 宇宙回帰説―ゼロ除算の拓いた世界観

とにかく、全直線が まるまる見える、立体射影の考えは、実に楽しく、面白いと言える。この考えは、美しい複素解析学を支える100年以上の伝統を持つ、私たちの空間に対する認識であった。これは永劫回帰の思想を裏付ける世界観を 楽しく表現していると考えて来た。
ところが、2014.2.2.に発見されたゼロ除算は、何とその無限遠点が、実は原点に一致しているという、事実を示している。それが、我々の数学であり、我々の世界を表現しているという。数学的にも、物理的にもいろいろ それらを保証する事実が明らかにされた。これは世界観を変える、世界史的な事件と考えられる:

地球平面説→地球球体説
天動説→地動説
1/0=∞若しくは未定義 →1/0=0

現在、まるで、宗教論争のような状態と言えるが、問題は、無限の彼方、無限遠点がどうして、突然、原点に戻っているかという、強力な不連続性の現象である。複数のEUの数学者に直接意見を伺ったところ、アリストテレスの世界観、世は連続であるに背馳して、そのような世界観、数学は受け入れられないと まるで、魔物でも見るかのように表情を歪めたものである。新しい数学は いろいろ証拠的な現象が沢山発見されたものの、まるで、マインドコントロールにでもかかったかのように 新しい数学を避けているように感じられる。数学的な内容は せいぜい高校生レベルの内容であるにも関わらず、考え方、予断、思い込み、発想の違いの為に、受けいれられない状況がある。
発見されてから あと1ヶ月で丸2年目を迎え、いろいろな実証に当たる現象が見つかったので、本年は世界的に 受けいれられることを期待している。
ゼロ除算の発見の遅れは、争いが絶えない世界史と同様に、人類の知能の乏しさの証拠であり、世界史の恥であると考えられる。できないことを、いろいろ考えて出来るようにしてきたのが、数学の偉大なる歴史であったにも関わらず、ゼロでは割れない、割れないとインドで628年ゼロの発見時から問題にされながら1300年以上も 繰り返してきた。余りにも基本的なことであるから、特に、数学者の歴史的な汚点になるものと考える。そのために数学ばかりではなく、物理学や哲学の発展の遅れを招いてきたのは、歴然である。

以 上









1 件のコメント:

  1. 初めまして。

    ゼロ除算がそのように考えられていたとは知りませんでした。

    返信削除