2012年5月17日木曜日

デカルトの「我思う故に我あり」は、本質的にまちがった訳と 思いますが、なぜ、訂正されないのですか?について

デカルトの「我思う故に我あり」は、本質的にまちがった訳と
思いますが、なぜ、訂正されないのですか?
個人的には、コギトエルゴスムを「思う故にあり」、何かあることは
疑えないが、それ自身は何か特定できないと解釈しています。
我は、先にも後にもあっては、意味をなさないので誤訳なのでは?
しかし、未だに訂正されず 「我思う故に我あり」と記載されるのが
まかり通るのはなぜでしょう?
補足
デカルトが表現した cogito=思う ergo =だから sum =在る
認識している人、子供、他人、地球、宇宙、ブラックホールさえも
自分の思いの中にしか存在せず、その思い=「エネルギー体?」、
「絶対?」表現が難しいが、思い自体を、思いの中にある人間の形態

として表現するのか?先にも、後にも「我」という形態で表現してよいか。
表現できないと理解したのがデカルトではないのだろうか。
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1387395908

それは面白い貴重な見解ですね。
疑ったり、思ったり、しているものが 有るということでは。
それを、 我思う故に我あり と表現したのでは?
何があるのでしょう? それは、難しいですね。 なるほど。

再生核研究所声明 72(2011/12/06) 
慣性の法則 ― 脈動、乱流は 人世、社会の普遍的な法則


まず、 ルネ・デカルト - Wikipedia から慣性の法則を抜粋しよう:(デカルトは、物体の基本的な運動は、直線運動であること、動いている物体は、抵抗がない限り動き続けること(慣性の法則)、一定の運動量が宇宙全体で保存されること(運動量保存則)など、(神によって保持される)法則によって粒子の運動が確定されるとした。この考えは、精神に物体的な風や光を、宇宙に生命を見たルネサンス期の哲学者の感覚的・物活論的世界観とは全く違っており、力学的な法則の支配する客観的世界観を見出した点で重要である。)
いわゆる 慣性の法則 は、 ニュートンの運動法則 の第1法則(慣性の法則)で、外力が加わらなければ、質点はその運動(静止)状態を維持する。(力を加えられない質点は等速度運動(等速直線運動)を行う)。  要するに 動いているものは そのまま動き、止まっているものは そのまま止まっているという法則である。 
この法則は、 物理法則としてばかりではなく、 人生、社会の人世、精神、生命などの在りように普遍的に存在する いわば、連続性を表す 世の法則 ではないだろうか。 この観点からいくつかの考察を行い、世と上手く付き合っていく心得、人間の在り様としての心得について触れておきたい。
人は 人生とは何か、生命とは何か、生きる意味を 繰り返し問う。 この難しい問題を足もとから、現、在から考えてみよう。 今日あれば、 昼には昼食をとり、夕べには 夕食をとるは 相当に大事な 今日の要素である。 ― 実際、 夕食がとれないような状況が有れば、それは人生の意味などを超えて 全ての人間にとって重大であろう。 ― 仕事や予定が有れば、 何時ものようにやり、 少し上手く行けば、 それだけ充実感がするだろう。 在り様は もちろん、 個人にとって、人生そのものである。 人生とは それ以上のものではない。 今日の在り様は 多くは昨日から、 決まっていて大きな変化が有っても 既に準備されているものである。 今日あるから、 明日も 今日のように生活することになる。 このように 人生とは繰り返えされてきたものである。 子供のころの生活も同じように 少しずつ繰り返しながら、 変化してきて、 現在に至ったのである。 それは個人の人生ばかりではなく、 動物としても、生物としても 少しずつ慣性の法則に支配されているように 展開して来ているのである。 それらの背後には 大きな生命の営みが感じられるが その本質は 定かには分からない。 我々の自由意志は 本能原理の上に わずかに存在するが、大きな生命の営み、日常の連続性によって働いており、その大いなる流れの上にあることに想いを致せば、 大きな迷いや不安から、解放されるだろう。 その流れを観、感じ、捉えることが肝要である。 多くの人は両親や近い人の終末から、自分の終末を予感し、覚悟し、 子供たちの終末を予感するだろう。 永い間、代代繰り返えされてきたのだから、 私もそうなるだろうと悟るだろう。 およそ人生とは そのようなものである。 然り 大河の中の一滴のように である。 世の、始めも、終わりも、人生の始めも、終わりも、定かには分からない。 ただ大きな流れの上に生きているということである。 大きな変革も、ちょうど地震のように エネルギーが次第に高まり、 その流れの中で起きたものである。
日本社会をみても、大震災による原発事故、増大する膨大な債務、政権交代も同じように考えられる。40年以上も稼働して来たものが、稀有な天災で甚大な被害を受けた、しかしながら、今まで築いてきた膨大な設備を、それでは直ぐに廃止とは行かないのは 当然である(再生核研究所声明 67: 脱原発デモ ― 非現実的な貧しい二律背反の発想と飛躍した議論)。どうしようもない膨大な債務と財政難も同様である。大きな船の舵のように、急には財政改善とは行かない、改善は総合的な難問ではないだろうか。政権交代も、自民党の長期政権が疲弊、衰退し瓦解により、政権交代はしたものの、外交、軍事、財政、経済、何れも急には変えられないのは 道理であり、現実の日本の上に 政治を進めるためには、そんなに変えようがないという苦しみを 現政権にみることができる。それは大きな政治社会、大きな国の機構、現実を見れば 当然であり、菅氏が人間性の観点から批判されたのは 当然としても(再生核研究所声明 71:菅 暗黒政権 を総括する)、鳩山氏の過ちは小さく(再生核研究所声明 59: 鳩山政権の総括と反省)、野田首相はしっかり バランス良く賢明に政治を進めていると 高く評価されるべきである。 要するに、現実の日本が有る限り、 そう簡単には 変えられないというのは、 慣性の法則の重要な視点である。永い歴史が有って現在がある、 歴史の流れの上に、 明日からの未来を少しずつみつめて 着実に歩みたい。 歩んで来た過去をしっかりみれば、 明日の在るべきことは 相当に決まっているものである。 
それを歴史的必然とも表現できよう。 現在、未来は 過去の歴史から、慣性の法則で、押し出されていくものであり、 自由を行使する判断でさえ、過去の積み重ねられた知識、体験の学習の結果であり、 多くは慣性の法則で 動いていると言える。 我々が創造と呼んでいるものも
そうである。 積み重ねられたものから、生命作用として、噴き出ているのである。 それゆえに、歴史を真面目に捉え、飛躍が無いような、総合的な、大きな視点を持つように心がけたい。
もちろん、震災、財政危機、政権交代などの社会現象は 世界史で 繰り返し 繰り返し展開されてきたことである。
少子高齢化、教育の問題、産業構造と失業問題、環境問題など、何れも局所的対応、単細胞的思考では対応できず、各々の専門性を超えた 総合的、全体的な視点が大事である。 そのような視点を国民が全体的に持ち、 対応する力が無ければ 混乱と破局を早晩迎え、それも1時代の現象と評価されることになるだろう。 実際、我々は沢山の 世紀末的現象を 世界史の中に 見出すことができる。 世界は 大きな流れの中で、成るように成るものであると 半ば悟った様な心持ちは 視野を大きくさせ、賢明な有り様を選択させるだろう。

以 上


方法序説 (岩波文庫)/デカルト

¥504
Amazon.co.jp

哲学原理 (岩波文庫 青 613-3)/デカルト

¥693
Amazon.co.jp

情念論 (岩波文庫)/デカルト

¥819
Amazon.co.jp

デカルト的省察 (岩波文庫)/フッサール

¥987
Amazon.co.jp

Newton (ニュートン) 臨時増刊 金環日食2012 2012年 05月号 [雑誌]/著者不明

¥1,575
Amazon.co.jp

金環日食パーフェクトガイド―日食メガネ付 (SEIBIDO MOOK)/沼澤 茂美

¥1,050
Amazon.co.jp

月刊 星ナビ増刊 金環日食を見る 2012年 05月号 [雑誌]/著者不明

¥500
Amazon.co.jp

2012年5月21日 金環日食観測ノート <安全・くっきり!日食メガネ付き>/相馬 充:監修

¥525
Amazon.co.jp

0 件のコメント:

コメントを投稿