2012年5月22日火曜日

再生核研究所声明92(2012.5.24): 日本の政局を憂える ― 国論の分裂を避けよ


再生核研究所声明922012.5.24): 日本の政局を憂える ― 国論の分裂を避けよ

日本における本格的な政権交代が行われて、やっと政界の進化が期待できると考えられたものの、今重要な局面に差し掛かっていると考える。
そもそも、政権交代は 歴史の大義で、当然しかるべき流れで実現したものと評価できる:
再生核研究所声明 40: 政権交代とその後の政局 
再生核研究所声明 43  政権交代は半ば、完全なる交代を求める-中途半端は良くない
再生核研究所声明 58:  日本の政局、民主党最後の決断、自民党の低落
を参照。
日本国の政治の在りように 筋を入れるために、要点を整理したい。 政権交代が不燃焼を起こした そもそもの原因は、鳩山氏の 素人的な甘さに原因があると考える。 再生核研究所声明 59: 鳩山政権の総括と反省 にも 暗示しているように、次の点をまず、敢然と実行すべきであった:
1)要人の厳重警護の命令
2)まず、第一に オバマ大統領を訪れ、
a)     日米関係を揺るぎないものにして、世界史の進化に努力したい と言明する
b)     世界の平和のために 努力しているアメリカを高く評価して、 日本は 前政権が約束した日米関係の国家間の合意事項を 日本国首相として 誠実に遵守する。
ここで、 オバマ大統領の理解が得られなければ、日本国首相として 職務を全うできないのは 当然である。 第二次世界大戦で勝利し、理想的な憲法の策定を指導し、日本国を美しい理想的な国家にしようと努力されたアメリカは 日本国にとって特別に大事な国である。 日本国を復興させた偉大なるアメリカが、日本国において、別格の存在であることは、当然である。 アメリカはまた 単なる1国にあらず、 国際社会そのものであるとの認識が 何時も 大事である。アメリカは日本国の大事であり、中国も日本の母なる国として大事であり、それらに対立する如何なる政策も 天に逆らう愚かさであると 言明しておきたい(再生核研究所声明 25 日本の対米、対中国姿勢の在りようについて)。
アメリカから帰国したら、直ちに 戒厳令に近い引き締めを 行ない、検察庁の人事を刷新して、小沢氏の問題で、検察の政治介入がないか 徹底的な調査を命じ、同時にマスコミなどを強く牽制し、政権交代の大義に逆らうものを抑えるのは、民主的に実現した、政権を守る立場から当然である。 旧政権関係との癒着を有する勢力からの大きな反撃が予想されるからである。 高級官僚たちについても同様である。これで、民主的に実現した政権は、 鳩山氏と小沢氏の強力な連携で あるべき姿に軌道をのせられたものと考える。 実際、大きな反撃に出会い、政権は混乱させられ、
菅政権は論外(再生核研究所声明 71 菅 暗黒政権 を総括する)として、結果として、混乱のうちに 野田政権が実現した。
日本国は、厳しい財政状況のもと、厳しい国際環境下で、大震災、原発事故の対応に追い込まれている現実を重視し、日本国の団結を訴え、日本国の首相の役割を確認することを 提案している(再生核研究所声明73: 日本国首相の役割 ― 日本国は 財政・経済的に厳しい状況に追い込まれている。 実際、膨大な債務の上に、3年続けて 歳入の2倍を超える歳出である。 加えて、未曽有の大震災、原発事故、放射能対策である。 国の強力な努力、指導が無ければ、日本国は厳しい状況に追い込まれるのではないだろうか。 ― )。
結論を短的に表現すれば、国の最高機関である国会は、日本国の歴史に責任を持つ、首相に反対意見を表明すれども、首相の意向に従うべきである。 1国の首相が国際公約したものを 国が責任をもって実現させるは、国家として、当然である。 公約が実現できなければ、首相の辞任か 国会の解散以外にない。 ここで、国会を解散して、責任ある安定政権が、現状で、実現することは望めず、解散すれば、政局は混乱し、日本国は政治に由来する危機を迎えるのではないだろうか。したがって、 首相の意向に従うは、現在、日本国にとって最も適切な在りようであると考える。 さらに、首相の意向、国際公約などは 国際的に見れば、いずれも 当然のことで、適切なものである と判断される。
小沢氏の主張は 首尾一貫していて分かり易く、熱烈な支持者たちの想いは 良く理解できる。消費税の値上げ、一体改革、そして、原発問題で 小沢氏の反対の姿勢は 熱烈に支持されている。 しかしながら、それはいずれも根本的な問題を内在させており、どうしても 反対して、そのまま実現させることは できない状況ではないだろうか(再生核研究所声明78: 無責任な 原発反対と増税反対 ― 実状が分からないで意見を表明していないか?)。 さらに 日本国の歴史に責任を持つ首相の強い意向となれば、それを重く尊重するのは 国民の基本的な義務であり、民主主義国家における 秩序の根幹の問題になる。 国民が勝手に反対を続ければ、国はばらばらになって、秩序が成り立たず、結果として、国は危うくなるだろう。 もちろん、日本国憲法は、日本国は、代表者を通して、国権を活動するとなっている。
野田政権は 十分に賢明であり、アメリカとも、 中国とも良い関係を保ち、財政健全化と大震災復興を着実に進めていると高く評価できる。 ― 当然、完全な政策などは 社会で、あり得ない。 現在の基本政策は たとえ誰が首相になっても 同じように取り込まざるを得ない政策ではないだろうか。
小沢氏の考えは、多くの支持者に支持されていて、良く理解できる。しかしながら、反対意見の表明をすれども 首相に従うは 与党党員、国の最高機関の在りようではないだろうか。もちろん、代表者選挙などでは 堂々と 意見を表明して、正当なる手続きで、立候補するのは 当然可能で 期待されるところではないだろうか。
日本国に安定政権を樹立し、国の危機を救うのは、野田首相と小沢氏の団結以外にないのではないだろうか。 是非、政権交代の大義を貫き、国政を混乱させないように願わざるを得ない。 現在、野党も与党以上の軽薄さ、ちらん ぱらんで 当分、まともな政党の形になるようには見えない。 内外共に厳しい折り、日本国の政局を混乱させたくはない。
野田首相は、政権交代の大義を全うすべく、上記引き締めを断行し、日本国の司法の信頼回復のためにも 一段と直接的な行動をとるべきである(再生核研究所声明87:小沢氏の裁判問題 ― 司法界とマスコミ界に断罪を)。
以 上

2012年5月21日月曜日

私は保健所で殺処分される犬の動画を見て泣きました。 かわいそうで見てられなかったです・・・ ショックでした。について

私は保健所で殺処分される犬の動画を見て泣きました。
かわいそうで見てられなかったです・・・ ショックでした。
でも、保健所の動物を助けたい。でも、引き取って飼うような行動はできない(行動に移せない、自分に関わるようになると行動できない)。そんな自分が情けないです、クズです、ゴミです。あーー自分が嫌です。どうしたら保健所の動物は助かるんですかね・・・・
何でもいいのでこれを読んだ感想でも(批判でもなんでも)ください。お願いします
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1087629870

何でも 真実だから 見るは問題ではないでしょうか。
小さな衝撃的な場面を見て、 広い世界の現象と勘違いして、 単細胞的な思考、 あるいは とらわれて しまいますね。 バランス良い判断、感情を保てなくなりますね。
一般に殺す 場面など 公開すべきではないのでは。
生物の世界で食物連鎖の原理で、成り立っていて、考えたら、生活できないのが 本当の姿、 実相であることを 知る必要が有りますね。

再生核研究所声明 68(2011/09/02) 
生物の本質 ― 生きること、死ぬること

(背景: 2011/8/27/19:30 : 生ビール付きで 中華料理のご馳走を沢山頂き、最後にコ-ヒーを頂いているときに、突然閃いた考えです。 実は、― 我が家の大事件が入りました。なんと燕の巣が 大きな蛇に襲われ、買い物から、帰ったら、既に襲われ、親がわめいていたというのですね。 狙われやすい方の巣に 雛が孵って、そろそろ飛べるころでした。 見たことも無い 大きな蛇が下にいたということです。 痛切残念です。 2011/6/20/11:10 ― の事件後、生物の在り様について、重苦しい思いで その事件のことを反芻して来ました。 お釈迦様はそのような有様をどのように観られて、生物を どのように捉えておられたのでしょうか。 実はその蛇、4年前、子供の蛇で、25cmくらいで、 悔しそうに燕の巣を眺めていたのを良く覚えていて、あの蛇が成長して、とうとう夢を叶えたのかと 同情の気持ちが少し湧いていました。 何という辛抱で実現した希有の事件だろうということです。 相当に難しいところにある燕の巣です。 他方、燕のツガイは 毎日一生懸命にえさを運び、夜家族でかたまって静かに休んでいる誠に愛しい情景を見て来ました。 もし、飛び立てば、 広い天空を飛びまわり、南国まで旅して、恋人を連れて戻り、新しい家族を作るのが 永い習性です。 蛇に襲われ、雛は生涯をあっという間に閉じ、親たちはその日から、目標も失ってしまったのです。 ―― しかしながら、思えば、 食ったり、食われたりは、生物界の厳然とした事実です。 私も、小学校5年生で、友情に芽生えた友を失ってから、実に多くの友、両親、親族、恩師たちを沢山失って来ました。 これをどのように捉えるかですね。 その間、 ― 地上の星 / 中島みゆき [公式] : 人の世の哀しみをのりこえて、 庶民賛歌を歌いあげたものである ― 背後には 人世をみつめる 真摯な心がある。 ― を繰り返し、不思議な感動をもって 拝見して来ました。) それで、 突然、ひとりでに、閃いた直観は、生きることも、死ぬることも 等価 である。 食べる立場も、食べられる立場も等価 であり、いずれも諒である。 死の母なる永遠の世界からみれば、生物はみな 等価であり、長い生も、短い生も同じようなものである。 小学校5年生で生涯を終えた友も、それから何十年も生きていろいろ経験をしていても 大きくみれば、本質をみれば、同じようなものである。
いろいろやりたいことが有れば ― 感動することが有るということは、それだけ、人生を豊かにするだろう。 しかしながら、それらは、所詮 儚い幻のような存在である。されば、さめているよりは、好きなことに夢中になっていた方が良いとも言える。 死を恐れ、嫌がる情念は、 生命力の現われであるから、それらは好ましいものである。 人生とは、我々の生命力が、 我々を駆り立てて、動かしているものである。
およそ生物とはそのようなものである。しかしながら、生物の存在、そして人間の存在は、限りなく尊いものである ことを確認して、

最も大事なこと (再生核研究所声明13)、   
人生、世界の存在していることの意味について (再生核研究所声明12)   
社会生活を営む原理(再生核研究所声明1) 

を、 確かに想起しておきたい。 また、このような見方は、

超越への道、悟りへの道 (再生核研究所声明19)

を補完するものであると考える。 
以 上


再生核研究所声明 69(2011/09/27)  単細胞人間 ― 単細胞的思考


(背景: 2011/09/22 宿舎で朝食をとっている最中に 突然閃いた考えです。 単細胞人間という言葉を聴いたのは 恩師がゼミの学生に言われた言葉として、伺って来ました。
類語辞典には 近視眼的な ・ 目先の利益だけ考えた~ ・ せっかちな(結論) ・ (単なる)向こうみず ・ 単線思考の ・ 単細胞(人間) とある。 また、 ツイッターで、 恩師が、単細胞人間 と言った ということを 思い出させます。 小さな真実を見て、 全体が見えないのですね。 愚かさの表れ ではないでしょうか。 脱原発デモ なども そうではないでしょうか と呟いた後です。)

単細胞的思考とは
小さな事実を それに関係する全体の中での 位置づけができず、その局所的な、断片的な事実をもって全体に普遍させてしまう愚かさであると表現したい。

まず、現実的な問題で考察し、しかる後に一般論を展開したい。
脱原発デモ、脱原発運動、これはどれほどの意味があるでしょうか。そのまま主張を全て受け入れたら、どのようになるでしょうか。長年かけて膨大な資金を注ぎ、人と設備を整えたものを活用できないとなれば、電力会社は 膨大な損失である、相当に電気料を課しても経営が成り立たないのは 素人の目にも明らかではないだろうか。電力会社は どの程度の損失に当たるかを明らかにして 国民に理解を求めるべきである。天災の事故で、恐ろしいは 分かるが、何十年も続けてきたことをいきなり、中止せよ反対、このような要求は 子供の要求と同じで、単細胞的思考の典型的な例と考えられる。まともな考えとは、くれぐれも慎重に運営して欲しい。場合によっては、在り様は 分かれるが、段階的に縮小して欲しいという意見ではないだろうか。
これについては、再生核研究所声明 67: 脱原発デモ ― 非現実的な貧しい二律背反の発想と飛躍した議論 を参照。

相当の人が、国防の在り様について、敵地攻撃能力の整備を と主張している。自分は強く、相手を罰せられるので安全になると考えているのであろうか。 しかし、逆に考えてみれば、当然、公正の原則で 相手も敵地攻撃能力を高めて、直ちに軍拡競争に入ってしまう。場合によっては、逆襲され、先に攻撃して、壊滅させてしまえ となりかねない。 経済的にも大変で、危険性を増大させる、それこそ、単細胞的思考ではないだろうか。空母が欲しい、軍事的には、南シナ海、東シナ海を「日本海」にすることだ、そのためには原子力潜水艦を持つことに尽きる 等も同じような考えではないだろうか。 
次を参考: 再生核研究所声明 49: アジアの愚か者、アジアの野蛮性。

次に、有名な蓮舫氏の発言について「研究は1番でないといけない。“2位ではどうか”などというのは愚問」とは おかしいと考える。 そのような質問をせずに、切りなくお金を注げば、第一 他の いろいろ大事な研究費を圧迫してしまう現実。 研究費は 無限ではないので、 どのように配分するかは、 国家の大事な問題。 戦艦大和のように 時代遅れの兵器を、研究でも、お金を掛ければ、大きければ、世界第1位でなければ、の発想は おかしい。 蓮舫氏は、 決めつけているのではなく、 なぜかと問うているのだから、 きちんと答えるのは、 研究者の 国民に対する義務であり、また、他の多くの研究者や、若い研究者も、どうしてそちらばかりお金をかけるか、知りたい 自然な 質問ではないだろうか。 蓮舫氏の質問は,政治家として、当然の立派な質問だと評価したい。専門家は日本国が破産を迎えても、自分のところの研究費だけはと 要求するだろう。 これは専門家の独善と大局に想いを致せない単細胞的思考の現れと言え、 専門化、局所化した現代社会の本質的な問題と考える。高度に専門化して、自分たち仲間でしか議論も話しも通じず、他の価値さえ理解できず、本当に生体の中の ほんの一部の細胞の役割しか 果たせなくなっている。 人事の進め方、評価なども 結局 仲間同志の中でしか、考えられない 現実である。 検察や弁護士も法律の条文にばかりに囚われていて、法の精神や生きた社会や世界的な視野に欠けて、おかしな判断をすることが多い(再生核研究所声明 31:法の精神と-罪と罰)。

上記 事例で分かることは 愚かさの故の行為と 背後に利害が絡んでいて 理に反しても強弁している場合とがあるということである。 何れも人間の本質的な弱点であると自戒したい。 そこで、 単細胞的な思考 に陥らない心得を 次のように纏めて置きたい。

1) 絶えず、逆の立場、反対を考えて、みる。
2) その意見を 徹底的に進めたら どうなるかを考えてみる。
3) みんなが、それに賛成、実現したら、どうなるかを考えてみる。
4) 特に関係の無い第3者や 素人の意見も参考にする。
5) 世の問題は、真か偽か、正しいか正しくないか、赤か白かのように きちんと分けられるものでは ないものであり、微妙に入り混じっている複雑な在り様であり、在り様の在り様を 多様に考える 幅の広さに心がける。
6) 一度決めるとそれに拘り、その意見に固執しがちであるから、絶えず高い立場の見解、良い意見に止揚していく心構えを柔軟に持つ。
7) くれぐれも派閥、仲間、専門家あるいは、地域、職業、宗教などの集団の枠、組織に囚われない。 また、考えを固定化したり、人を分け隔てたような考え方をとらない。
8) ある程度時間をかけて、大事な問題ほど、影響が大きい問題ほど じっくり考える。 全体の状況が 見えるまでは 謙虚な態度で臨む。

これらを 単細胞的思考から抜け出す心得としたい。しかしながら、人間は 本質的に愚かであり、予断と偏見に満ちた存在であること を肝に銘じて置きたい。

なお、個人と社会の在り様については 次を参考にして頂きたい: 再生核研究所声明 35:  社会と個人の在りよう ー 細胞の役割(この声明の趣旨は 人体と細胞のように国家と個人は、社会と個人は有機体の存在として、 調和ある存在 になろう ということにある。 実際、一個の人間の存在は 細胞が生体の中で有機的な存在であるように、本来社会の中で有機的な存在ではないだろうか。 生体が病んでしまったら、個々の細胞の存在はどのようになるかに 想いを致したい。 実際、人類の生存は、如何なるものをも超えた存在である(最も大事なこと:声明13)。
                                    以 上

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日本がアメリカの属国になるのと中国の属国になるのとではどちらの方がましでしょうか?について

日本がアメリカの属国になるのと中国の属国になるのとではどちらの方がましでしょうか?
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1387643158

どうして、そのような単細胞的な思考をするのでしょう:
第二次世界大戦で勝利し、理想的な憲法の策定を指導し、日本国を美しい理想的な国家にしようと努力されたアメリカは 日本国にとって特別に大事な国である。 日本国を復興させた偉大なるアメリカが、日本国において、別格の存在であることは、当然である。 アメリカはまた 単なる1国にあらず、 国際社会そのものであるとの認識が 何時も 大事である。アメリカは日本国の大事であり、中国も母なる国として大事であり、それらに対立する如何なる政策も 天に逆らう愚かさであると 言明しておきたい(再生核研究所声明 25: 日本の対米、対中国姿勢の在りようについて)。

再生核研究所声明 25 (2009/07/01):
日本の対米、対中国姿勢の在りようについて


世界の大国、アメリカと中国の存在は それら両国を抜きにして、世界の平和や経済問題など、語り得ないことはもはや自明の事実である。 したがって、それら両国と日本国がどのように向き会うかは 国家の重要事項である。日本国の位置づけを行う上でも重要な視点になる。そこで、日本国の在りようの視点から考察を行いたい。

まずアメリカに対する評価であるが、第1に、 日本国は アメリカを主とした国々に無条件降伏を行い、しかも戦後復興を援助してくれた国として、別格の位置づけを行い、友好親善関係を深めていくのは当然である。さらにアメリカは、民主主義の大国であるばかりではなく、経済、軍事においても、文化においても世界を指導できるただ一つの超大国であると評価できる。 それゆえに、日米安保条約などの関係も それなりに理解できるものである。 しかしながら、戦後60年を超えて、外国軍が駐留を続けている状況は異常な状態と言わざるを得ない。いまだ日本には敗戦の傷を負い、独立心と自立心に欠け、対米従属の精神が抜けきらないのは はなはだ残念である。大抵の国々が敗戦を経験したり、過ちを犯してきているのは当たり前なのに、日本国はたった一回の敗戦で、独立国家としての気概を失っているのは誠に残念である。 すなわち、アメリカに対しては、別格の友好親善関係を維持しながら、敬意を表しつつ 日本国は より国家としての独立性と自立性を図るように努力することとしたい。これは軍事、経済面ばかりではなく、文化や精神面においても、である。

次に、対中国問題であるが、まず、中国はいわば日本の故郷に当たるという格別の認識を確認すべきである。日本人の多くは中国に行って、兄弟や親族と間違えるような人々に会い本当に兄弟国であることを知るでしょう。さらに漢字や儒教を通して、多くの文化の強い影響を受けていて、世界の文化圏から見れば 日本は中国の文化圏の1部であるとみられよう。しかるに中国を嫌ったり、警戒したり、あるいは敵視するような1部の人たちの見方は はなはだ視野の狭い、独断と偏見に満ちたものであるといわざるを得ない。日本国は いつも大国中国に対しては、特別な敬意をもって 母なる大国 として当たるべきである。

アメリカと中国との友好関係を深め、世界の平和は両国を中心として、国連常任理事国などに任せ、日本は最小の専守防衛の自衛軍を備えるというのは 日本国の在りようの基本として良いのではないかと考える。

日本国は 軍事や国際平和の問題を任せて、謙虚にして、内実を図り、文化や経済などで発展し、国際貢献していけば良いと考える。その時 日本国憲法の精神が 理想ではなく現実に実践できる時代を迎えることができると考える。

皆さん 軍隊などはなくても 誰も侵そうなどとはしない 美しい国、日本国 を築こうではありませんか。暮らしが大事、内実が大事ではないでしょうか。世界に誇れるような 北欧諸国や、ポルトガルのような文化国を作ろうではありませんか。 

この日本国の在りようは 集団防衛構想や敵地攻撃を検討したり、防衛力増強を図る立場とは激しく対立する 日本国の在りようとして 現実的に極めて重い意味を有するのです。 背景には 国、地方の1000兆円を超える借金と慢性的な財政赤字、疲弊した日本社会と少子高齢化社会、荒廃した日本の教育などに対する配慮があるのです。    以上。


国の借金985兆円 12年度に1千兆円超え確実
http://www.asahi.com/business/update/0124/TKY201201240691.html
国の借金1人850万円…12年度末過去最大に
http://www.yomiuri.co.jp/atmoney/news/20120125-OYT1T00062.htm

国の借金、3月末に過去最大の1024兆円に
http://www.yomiuri.co.jp/atmoney/news/20111028-OYT1T01333.htm
U.S. National Debt Clock : Real Time http://www.usdebtclock.org/

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2012年5月19日土曜日

再生核研究所声明91(2012.5.20):  創造性についての一考察


再生核研究所声明91(2012.5.20):  創造性についての一考察

そもそも創造とは 人類が知らなかったこと、できなかったこと、考えなかったことを、新たに発見し、できなかったことを可能にし、考えることで、生命作用の多くの部分が創造活動であると言える。創造性の意味については 添付の文献を参照。
例えば、数学界では、微積分の発見とか、日々発表される論文の中の定理などは 顕著な創造活動の結果であるが、芸術作品、文学作品、科学における発見、工業における発明、技術など、広範囲に及び人間の知的活動の殆どに及んでいると言えるだろう。しかしながら、最大の創造とは 出産、育児にあるとも言える。
創造とは 世界史を拡大することである と定義したい。 世界史とは 人類の得た、感じ、知り、想像するすべての情報の総体である。人間存在の原理とは、生存に心がけ、知り、求め、何でも究めようということであるから、豊かな創造性とはまさしく、良く生きることに他ならない。人間として良く生きるこということは、生命の輝きとしての 豊かな創造活動にあると言っても良い。
創造活動の蓄積である、もろもろの科学の進歩が 人間を解放して、世界を拡大し、人間存在の意義を高めていると考えられる。
この声明の趣旨は、如何にして、創造性を高めるか について、省察することである。特に、大事な創造性の観点から、日本の教育の在りようが 改善されるべきではないか という観点に思いを致すことにある。

1) 創造性は情念、感情の中から生命作用として湧いてくるものであるから、感情や情操が大事ではないだろうか。この観点から、日本の教育が 知識偏重、枠に はめすぎではないだろうか。

2) 学術界では 大学院学生や研究者が日々それぞれの分野で研究活動を行っている。そこには流れや、流派のようなものがあって どんどん先へと研究を進めている。 ここで、

a)確立した研究分野の細分、先と 共に 新しい研究の芽 を育てるように絶えず配慮したい、多様性と自由性を尊重したい。
b)真の独創性には、 ゆとりと時間が 必要であるから、成果主義のような成果を追うような環境は、齷齪したような状況は 良くないのではないだろうか。 大学の法人化後の、成果主義、任期制の導入等で大事な若い研究者が、 じっくりと研究を行なえる環境を壊しているのではないか と危惧している。
c) 重要な発見が、 偶然性、 間違い、新奇な現象、にあることに鑑み、 そのような機会を広く展開し、そのような現象を見逃さない態度に留意したい。
d) 特に日本など、 後進国に見られる 顕著な例が、 良い研究や発見が、評価できず、折角の重要な発見を活かせない状況は、 基本的に現在でも変わらない実情がある。 良い研究とは何かが分からずに、先進国に伺いを立てているのが現実ではないだろうか。 これは哲学の軽薄さ、基礎の欠落から来ているのではないだろうか。 良いものとは何かと 絶えず問うべきである。
e) 特に、創造では 新奇な現象、新しい概念、考え方が 大事であることを強調して置きたい。 それらの基礎は、生物繁茂の原理でもある、多様性にある。
f)  特に、価値の創造、すなわち、価値あるのものとは何かの、新しい考え方、 評価の創造性、すなわち、優れているとは何かの考え方の 創造性を 重視して行きたい。
3) 生命活動の発現としての 創造の基は 幼年期、若い時期における人生観の 構成に関していて、小・中・高などの教育の在りようは 大事ではないだろうか。 その大事な人間形成時に 知識偏重の教育は、良くないのではないだろうか。日本の学校教育は 創造性の観点からも 基本的な問題を抱えていると考える(再生核研究所声明 76:教育における心得 ― 教育原理)。

以 上

添付:

創造性とは―選択理論.jp
www.choicetheory.jp/about/about4.html
創造性とは、既に知っている整理された行動と求めているものが得られないときに、新たなアイデアを生み出すために、脳が情報を再整理している状態のことであり、どんな人にも備わっている能力です。
例えば、いつも乗っている電車がトラブルで止まっている時、私たちは「どうしたら目的地に着くだろう?」「どのルートなら間に合うだろう?」と新しい行動を考えます。こうした脳の働きが創造性です。
創造性の重要性 - 日本創造学会
www.japancreativity.jp/juyou.html
創造の定義
________________________________________

1.創造性研究者たちの「創造の定義」
 創造性を考える以上、「創造」とは何かを定義しておく必要がある。私は「日本創造学会」会員の方々に1983年に「創造とは何か」のアンケートを出し、83人の方々から回答を得た。ここに、現在も会員の方々の定義をピックアップすると、次のようになる。
【創造とは何か】*掲載は出典記載の順/所属は2002年度名簿より
●伊賀丈洋
「人間の思考状態には受動(感性)と能動(破壊と創造)があり、創造とは能動状態での思索または行動である」
●伊東俊太郎(麗澤大学)
「創造とは、問題を解決する、素材の新しい組み合わせ、新しい理論への変換を可能にする新たな視点の発見である」
●大鹿 譲(福井工業大学)
「人類が神の意志によって地球上で覇を称えるに至った原因たる活動で、同時に人類の滅亡の原因となる活動」
●恩田 彰(東洋大学)
「異質の情報や物を今までにはない仕方で結合することにより、新しい価値あるものをつくりだす過程である」
●岩渕幸雄(情報知識学会)
「創造とは、戦略的発想の原動力である」
●江川 朗(総合経営研究所)
「創造とは、きわめて異質の発想を実現した社会的成果。発想とは諸情報の変形、加工、組合わせによる異質の意味化」
●江崎通彦(朝日大学大学院)
「今よりすぐあとの世界(未来)に夢を実現する」
●金子達也(日立製作所)
「独創とは尽力経歴なり。わがいま尽力経歴にあらざれば、一法一物も現成することなし。経歴することなし」
●川喜田二郎(㈱川喜田研究所)
「なすに値する切実なものごとを、おのれの主体性と責任において、創意工夫を凝らして達成すること」
●國藤 進(北陸先端科学技術大学院大学)
「ある主体にとって既知のことがらを組合わせ、その主体にとって、ある観点からみて有用な未知のことがらを構築すること」
●小島英徳(智無庵コミュニケーションセンター)
「今のやり方を否定しながら、一歩づつ成果をあげる。そのためには、今のやり方に全生命をぶっつけてゆくこと」
●関 博剛((有)若草ホーム産業)
「意識と下意識を含めての全情報を、目的に志向して、機能的に統合運用し、一つの文化を生み出す全人格的所作」
●高橋 浩(現代能力開発研究所)
「質的な変革としてとらえたい。ものなら機能・構造の変革、社会ならしくみやしきたり・やり方の変革など」
●戸田忠良(戸田技術士事務所)
「従来自他の記憶にはなかったシステム、形、物、方法、機構などを新たに考案し表現すること」
●西 勝(明治学院大学)
「平凡に新しいことがら、ものが生まれること。消滅をも含め、全生物に喜ばれ、できれば定義不要にまで自然と」
●比嘉佑典(東洋大学)
「創造とは、個人の中に、事物の中にある古い結びつきを解体し、新しい結びつきにつくりかえることである」
●久田 成
「創造とは、脳梁経由の人間の大脳の左右両半球の情報交換を基幹とした新しい文化を生み出す行為のことである」
●檜山哲男
「創造とは、自己を忘ずる熱中の坩堝の中で、左脳と右脳が調和した瞬間に生まれる閃きである」
●星野 匡(㈱プランネット)
「何らかの価値を有する、新しいアイデア・思想、その表現、あるいは表現としての事物を、意図的に生み出すこと」
●村上幸雄(栄養化学研究所)
「最高の創造は自己創造=自己表現である。これが栄養で大きく影響される可能性についての科学的研究が必要」
●師岡孝次(東海大学)
「現実を理想に近づける活動をいう。対象は"もの"でもシステムでもよい」
●渡辺俊男(余暇開発センター)
「新しい神経回路を開発することによって、未来性に有益な理論をつくりだすことである」
2.私の創造の定義
 これらの方々の定義づけを参考にして、私は「創造」を次のように定義した。「創造とは、人が異質な情報群を組み合わせ統合して問題を解決し、社会あるいは個人レベルで、新しい価値を生むこと」である。この内容と創造性の研究領域を重ねると、以下のようになる。
■創造の定義
定義 領域
人が (創造的人間/発達)
問題を (問題定義/問題意識)
異質な情報群を組み合わせ (情報処理/創造思考)
統合して解決し (解決手順/創造技法)
社会あるいは個人レベルで (創造性教育/天才論)
新しい価値を生むこと (評価法/価値論)

(作成・高橋誠) 参照・「創造力事典」(日科技連出版社)

2012.5.13:17:30
2012.5.13:17:05
2012.5.14:09:35
2012.5.14.17:50
2012.5.15.09:50
2012.5.15.15:30
2012.5.16.09:50
2012.5.16.16:10
2012.5.17.09:35
2012.5.18.09:50
2012.5.18.15:00
2012.5.19.08:45 完成、3か所語句の修正、追加。

2012年5月17日木曜日

再生核研究所声明90(2012.5.18): 日本の大学受験体制についての一考察


再生核研究所声明902012.5.18): 日本の大学受験体制についての一考察

世の中は 慣性の法則で動いているものであり(再生核研究所声明 72 慣性の法則 ― 脈動、乱流は 人世、社会の普遍的な法則)、教育や教育の在りようなどは 国の文化や社会の影響で簡単には変えられない実情がある。しかしながら、それらは 国家の 真に重要な要点であり、絶えず検討、改善を志向すべきものである。
そもそも大学受験制度とは、自由競争の典型的な表現として、大学を自由に選択し、公正な評価で選別しようとの 普遍的な背景に基づいていると言える。 主にアジアにおける入試制度は 有名な科挙の制度など古代から存在する制度に その原型を見ることができる。
共通テスト以来の問題は、相当に客観的な数値によって、全国的な序列の鮮明化が進み、いわゆる受験戦争の言葉さえ世相になっている。価値の一元化、共通化、一様化、重要な多様性の視点 から好ましくはないとして、入試の在りようについて検討を求めている:
再生核研究所声明 20(2008/10/01): 大学入試センター試験の見直しを提案する:
センター試験は1988年 共通テストの試行から始められ、いろいろな変遷を経て、現在は大学入試センター試験と改称されて、20年もの歳月を経ている。 発足時のときの議論では、数年で破綻し、結局は元の形に戻るという観測が多かったが、その後 何時も批判的な意見が多く出されているものの 組織が出来てしまったためにか 惰性的に続けられてきている。そこで、次のような状況を考えて、このような入試の在りようを検討し、大学入試センター試験の見直しを行うように提案いたします。
•1)       センター試験は 多額の経費と人件費をかけながら、悪い効果を生み、いわば大きなマイナスの仕事を 教育界に課していると考えられる。試験の影響としてはマイナス効果の方が大きいと考えられる。 その最大の理由は 共通テスト開始時にも 既に指摘されていたように そのような試験では パターン化して、知識の積み込み方式になり、考える力を落とす という危惧であった。 実際、このような弊害はいたるところに現れ、数学の教科でさえ、型を沢山覚え、時間内で解く方法の技術ばかりが、学校教育や受験勉強においても重視されていて、本来の教育のあるべき姿からの大きな乖離が見られる。センター試験は 日本の教育を軽薄な教育にさせている元凶である と考えられる。そのような試験結果は 軽いデータぐらいの重さしか果すべきではない。しかるに教育界は そのような試験に対応すべく、多くの無駄、悪い教育をおこなっている。
•2)       教育においては本来、多様性と個性を活かす事が大事であるはずなのに、型にはめ、一様な水準を作り、貧しい特色のない大学を一様に育てている弊害が顕わになって来ている。センター試験の目指す教育とは およそ人物たる人間教育や善良な市民を育てる重要な本来の教育とはかけ離れたものであり、日本国を覆っている無責任とモラルの著しい低下の結果を生み出している。教育とは本来何であるかの議論さえ忘れて久しい状態で、魂の抜けた教育であると言える。感性豊かな人間性を高める教育や創造性豊かな教育からは程遠い教育と言える。
•3)       センター試験の影響は 世に数値化と標準化、規格化を進め、社会の多様な価値や個性を失なわしめ マイナス効果を世に氾濫させている。
•4)       永い間 同じような入試制度が続いたため、入試が専門的な技術を要求するような弊害が現れ、不要な特殊な訓練を得た者が有利になるような弊害が現れてきている。
その結果、このようなことに柔軟に対応できる特定の学校に人気が集中して、公立高校の人気が落ちてきている。そのために 経済的な豊かさが もろに教育条件に反映するような状況を生み出している。このようなことが進めば、広範な生徒達から多様な才能を引き出せない状況を進めると危惧される。 また、そのような特殊な教育を受ける者が個性を伸ばし、幸せになるとは限らないと考えられる。
•5)       2日間にわたって、多くの教職員をいわば ロボットのように 画一的に働かせて、また多額の国費と人件費を費やして、大きなマイナスの仕事を行うのは 好ましくないと考える。
•6)       センター試験は、世の生徒達にあまりにも細々とした過重な入試対策を要求して、生徒達のみずみずしい才能の開花を疎外し、生徒達の自由な成長を妨げている。 学校教育には、人生や世界や、自然の事をじっくりと想いをいたし、 友情が芽生え、育つような余裕が求められる。 大学入試にはより柔軟に、余裕をもって考えられるような社会へと変革が少しずつ進むことが期待される。 理想としては、個人の個性を活かせるような多様な可能性を広げるような変革である。もちろん、そのうちには、世の秀才達を集めるような所があっても良いが、そこに殺到するような事は望ましく無いと考える。
•7)       センター試験は、所謂 世の秀才や優秀な人達の才能もわざわざ鈍化させ、活かされていないと考えられる。日本でも秀才教育や天才教育ができるような柔軟な制度の確立が求められる。
•8)       共通テスト開始のとき、多くの危惧と問題点が指摘されたものの これで多くの人が 大変な入試業務から解放されると期待されたものであるが、それは空しく、逆に個別入試を行い、また第二次入試や、追試入試、さらに外国人入試や推薦入試、社会人入試、などと多くの入試が始められ、多くの教員は年中入試業務に振り回される状況になっている。大学の法人化の後には、社会貢献や教員評価、受験生確保のために多くの仕事に追われ 教育研究費の大幅減額とともに 悪い、教育、研究環境に陥っていると考えられる。
以上の理由などから、センター試験を見直しする方向での 真剣な検討と対応を求めます。現実的な対応としては、入試そのものが日本国の文化に根ざしている以上、そう簡単ではないと考えて、広範な検討や改革を考えていく事を求めたいと考えます。方向性としては
•1)       大学入学資格試験と考える方向で、そのときには センター試験を簡素化し、センター試験に対する特別な対策はしないですむような状況になることが求められる。
•2)       逆に個別入試を廃止して、センター試験の一部と他の要素、例えば高校の評価や、推薦状や面接で入試を行う。
•3)       センター試験を原則廃止して、時々高校生の学力のデータ、状況を得る為やその他いろいろな業務を行うことに センターの組織と機関を使う。
等が検討されるべきであると考えます。教育の在りようについては 絶えず検討を重ねていく事として、教育というと直ぐに学力と考える傾向が強いが、全人的な教育や人物たる人間教育等の面を考えていく必要があると考えます。 以 上
上記 声明で、 受験勉強が過熱化すると、 本来の教育の理念から、大きく外れ、無駄で有害な特訓のために 有能な才能、感性、創造性、全人的な成長発展を阻害する状況が出て来ると考える(再生核研究所声明 76 教育における心得 ― 教育原理。何でもほどほどが良いのに、行き過ぎ、過熱化している状況が既にあると考える。 また年齢によって、準備されなければならない大事なことが ないがしろにされている と考えられる。

特に次の観点を指摘して置きたい:

1)教育本来の全人的な発達を、過熱な学習が 歪めている事情はないか。
3)勉強だけが、人生でも 社会でもなく、多様な生き方、多様な価値観を持たせ、幅広い、生き方の視点を重視した教育をすべきではないだろうか。
4)優秀な人材を早くから、永い間型にはめて束縛し、創造性や全人的な発展を阻害しているのではないだろうか。
5)ここで、アングロサクソン系の大学では、 自由、平等、博愛を掲げているものの 奇妙にも知的階層の固定化で、多難な入試の努力を必要とせずに 大学に進学でき、 余裕を持っている事情があるのではないだろうか。 その代り、優秀な人材を補給すべく広く世界から集めている事情がある。ここでも、日本には、ドイツ流の教育制度が 国情に合っていると考えられる。
6)簡単に述べれば、理想と考えられるのは、教育本来の教育に専念し、特別な入試勉強をせず、多様な大学に人材が、富士山型ではなく 八ツガ岳方式に展開し、多様な在り様を展開することである。 その意味でも、共通テスト以前の方式の方が 多様性の観点からも良いのではないだろうか。
7)大きな社会に活力を与えるのには、多様な価値、多様性の重視が必要である。 創造性も、そのような多様性の中から、より生まれる基礎ができると考える。
8)大学院を出るころには、既に疲れてしまっているような状況が有るように見える。 体力や、思想、情操教育、全人的な基礎をしっかりさせなければ、永い人生をうまく生きてはいけないのではないだろうか。

上記公正な受験といっても、現実には、特殊な高校や、学校で特殊な教育をうけた者だけが、良い大学に入れるような状況は、傾向は 一段と強まっていき、日本の教育界を 歪め、貧しい社会を 構成して行くのではないかと 危惧している。
学校も教師も、家族も できるだけ好きな 良い大学に 生徒や子弟を進学させたいとの思いは 当然であるから、 入学させる立場の大学や、文科省は 海外の状況なども参考にして、 大学受験制度が教育界に与える影響の大きさを自覚され、 絶えず、検討,改善を進めて頂きたいとの 希望を述べておきたい。
もちろん、社会も、いわばブランドで  画一的に 評価せず、 また多様な人材を採用、活用すべきではないだろうか。 社会でも組織でも 多様な人材がいた方が、 活力を有し、良いのではないだろうか。 公務員なども、 いろいろな評価によって、 いろいろな人材を積極的に採用するように 努力すべきではないだろうか。
以  上

デカルトの「我思う故に我あり」は、本質的にまちがった訳と 思いますが、なぜ、訂正されないのですか?について

デカルトの「我思う故に我あり」は、本質的にまちがった訳と
思いますが、なぜ、訂正されないのですか?
個人的には、コギトエルゴスムを「思う故にあり」、何かあることは
疑えないが、それ自身は何か特定できないと解釈しています。
我は、先にも後にもあっては、意味をなさないので誤訳なのでは?
しかし、未だに訂正されず 「我思う故に我あり」と記載されるのが
まかり通るのはなぜでしょう?
補足
デカルトが表現した cogito=思う ergo =だから sum =在る
認識している人、子供、他人、地球、宇宙、ブラックホールさえも
自分の思いの中にしか存在せず、その思い=「エネルギー体?」、
「絶対?」表現が難しいが、思い自体を、思いの中にある人間の形態

として表現するのか?先にも、後にも「我」という形態で表現してよいか。
表現できないと理解したのがデカルトではないのだろうか。
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1387395908

それは面白い貴重な見解ですね。
疑ったり、思ったり、しているものが 有るということでは。
それを、 我思う故に我あり と表現したのでは?
何があるのでしょう? それは、難しいですね。 なるほど。

再生核研究所声明 72(2011/12/06) 
慣性の法則 ― 脈動、乱流は 人世、社会の普遍的な法則


まず、 ルネ・デカルト - Wikipedia から慣性の法則を抜粋しよう:(デカルトは、物体の基本的な運動は、直線運動であること、動いている物体は、抵抗がない限り動き続けること(慣性の法則)、一定の運動量が宇宙全体で保存されること(運動量保存則)など、(神によって保持される)法則によって粒子の運動が確定されるとした。この考えは、精神に物体的な風や光を、宇宙に生命を見たルネサンス期の哲学者の感覚的・物活論的世界観とは全く違っており、力学的な法則の支配する客観的世界観を見出した点で重要である。)
いわゆる 慣性の法則 は、 ニュートンの運動法則 の第1法則(慣性の法則)で、外力が加わらなければ、質点はその運動(静止)状態を維持する。(力を加えられない質点は等速度運動(等速直線運動)を行う)。  要するに 動いているものは そのまま動き、止まっているものは そのまま止まっているという法則である。 
この法則は、 物理法則としてばかりではなく、 人生、社会の人世、精神、生命などの在りように普遍的に存在する いわば、連続性を表す 世の法則 ではないだろうか。 この観点からいくつかの考察を行い、世と上手く付き合っていく心得、人間の在り様としての心得について触れておきたい。
人は 人生とは何か、生命とは何か、生きる意味を 繰り返し問う。 この難しい問題を足もとから、現、在から考えてみよう。 今日あれば、 昼には昼食をとり、夕べには 夕食をとるは 相当に大事な 今日の要素である。 ― 実際、 夕食がとれないような状況が有れば、それは人生の意味などを超えて 全ての人間にとって重大であろう。 ― 仕事や予定が有れば、 何時ものようにやり、 少し上手く行けば、 それだけ充実感がするだろう。 在り様は もちろん、 個人にとって、人生そのものである。 人生とは それ以上のものではない。 今日の在り様は 多くは昨日から、 決まっていて大きな変化が有っても 既に準備されているものである。 今日あるから、 明日も 今日のように生活することになる。 このように 人生とは繰り返えされてきたものである。 子供のころの生活も同じように 少しずつ繰り返しながら、 変化してきて、 現在に至ったのである。 それは個人の人生ばかりではなく、 動物としても、生物としても 少しずつ慣性の法則に支配されているように 展開して来ているのである。 それらの背後には 大きな生命の営みが感じられるが その本質は 定かには分からない。 我々の自由意志は 本能原理の上に わずかに存在するが、大きな生命の営み、日常の連続性によって働いており、その大いなる流れの上にあることに想いを致せば、 大きな迷いや不安から、解放されるだろう。 その流れを観、感じ、捉えることが肝要である。 多くの人は両親や近い人の終末から、自分の終末を予感し、覚悟し、 子供たちの終末を予感するだろう。 永い間、代代繰り返えされてきたのだから、 私もそうなるだろうと悟るだろう。 およそ人生とは そのようなものである。 然り 大河の中の一滴のように である。 世の、始めも、終わりも、人生の始めも、終わりも、定かには分からない。 ただ大きな流れの上に生きているということである。 大きな変革も、ちょうど地震のように エネルギーが次第に高まり、 その流れの中で起きたものである。
日本社会をみても、大震災による原発事故、増大する膨大な債務、政権交代も同じように考えられる。40年以上も稼働して来たものが、稀有な天災で甚大な被害を受けた、しかしながら、今まで築いてきた膨大な設備を、それでは直ぐに廃止とは行かないのは 当然である(再生核研究所声明 67: 脱原発デモ ― 非現実的な貧しい二律背反の発想と飛躍した議論)。どうしようもない膨大な債務と財政難も同様である。大きな船の舵のように、急には財政改善とは行かない、改善は総合的な難問ではないだろうか。政権交代も、自民党の長期政権が疲弊、衰退し瓦解により、政権交代はしたものの、外交、軍事、財政、経済、何れも急には変えられないのは 道理であり、現実の日本の上に 政治を進めるためには、そんなに変えようがないという苦しみを 現政権にみることができる。それは大きな政治社会、大きな国の機構、現実を見れば 当然であり、菅氏が人間性の観点から批判されたのは 当然としても(再生核研究所声明 71:菅 暗黒政権 を総括する)、鳩山氏の過ちは小さく(再生核研究所声明 59: 鳩山政権の総括と反省)、野田首相はしっかり バランス良く賢明に政治を進めていると 高く評価されるべきである。 要するに、現実の日本が有る限り、 そう簡単には 変えられないというのは、 慣性の法則の重要な視点である。永い歴史が有って現在がある、 歴史の流れの上に、 明日からの未来を少しずつみつめて 着実に歩みたい。 歩んで来た過去をしっかりみれば、 明日の在るべきことは 相当に決まっているものである。 
それを歴史的必然とも表現できよう。 現在、未来は 過去の歴史から、慣性の法則で、押し出されていくものであり、 自由を行使する判断でさえ、過去の積み重ねられた知識、体験の学習の結果であり、 多くは慣性の法則で 動いていると言える。 我々が創造と呼んでいるものも
そうである。 積み重ねられたものから、生命作用として、噴き出ているのである。 それゆえに、歴史を真面目に捉え、飛躍が無いような、総合的な、大きな視点を持つように心がけたい。
もちろん、震災、財政危機、政権交代などの社会現象は 世界史で 繰り返し 繰り返し展開されてきたことである。
少子高齢化、教育の問題、産業構造と失業問題、環境問題など、何れも局所的対応、単細胞的思考では対応できず、各々の専門性を超えた 総合的、全体的な視点が大事である。 そのような視点を国民が全体的に持ち、 対応する力が無ければ 混乱と破局を早晩迎え、それも1時代の現象と評価されることになるだろう。 実際、我々は沢山の 世紀末的現象を 世界史の中に 見出すことができる。 世界は 大きな流れの中で、成るように成るものであると 半ば悟った様な心持ちは 視野を大きくさせ、賢明な有り様を選択させるだろう。

以 上


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2012年5月15日火曜日

宗教の限界とは自分の解釈の限界なのでしょうかについて

宗教の限界とは自分の解釈の限界なのでしょうか

1)宗教の聖典の解釈に限界を感じる時、これが自分の限界なのだなと感じます。
人により、異なる神の姿を見て、異なる神を信じているように思えた時期もありました。
自分を超えた視点で、神を捉えるなんていうことがあるんでしょうか。
2)どのような場所で神の存在を感じますか。宗教機関という答えは勘弁してください。
神はいないどころか、様々な顔を持っており、どれが本当の顔だか混乱してくるという場合はどうしていますか。やはり、自分の主観に頼っていますか?
1)2)どちらの回答でも結構です。
質問番号:7474945
http://oshiete.goo.ne.jp/qa/7474945.html

お釈迦さまは はっきりおしゃっていますね。
神も全ては、 自分の心が捉えるものであり、
経典や外に有るものでは ないのでは。
内省によって 直感していくのですが、それには修業による 深さの違いがあり、 
これでとは 行かないのでは。 

ない‐せい 【内省】

[名](スル)
1 自分の考えや行動などを深くかえりみること。反省。「過去を―する」
2 「内観(ないかん)」に同じ。
http://kotobank.jp/word/%E5%86%85%E7%9C%81


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資本主義経済下では、社会主義経済下と違って、誰も計画していないのに、商品の適切な量の商品が生産、販売されるのは、なぜですか?について

資本主義経済下では、社会主義経済下と違って、誰も計画していないのに、商品の適切な量の商品が生産、販売されるのは、なぜですか?
高校生にも分かるように、簡単に教えて下さい。
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1487313709

自由な形にしておけば、みんな得するように 世の中は 動いていきます。 
そこで、自然に落ち着きます。
良いものでも 沢山作っても、ある以上は不要となり、どんどん作れば 良いとは なりませんね。
自然に落ち着くので、それが自由市場、資本主義の 良いところです。 
人間の欲望を 正確には予測できませんので、
計画経済、社会主義社会の方が うまく行かないですね。

再生核研究所声明75(2012.2.10):  
政治・経済の在りようについて


(この声明は 再生核研究所声明に関心を抱く方の要望によって、動機付けられたものです。他方、大谷杉郎 元群馬大学名誉教授の下記の文が気になって来ました: (新里山文明 ― 私は、基本的には、社会の制度、経済の仕組みにまで立ち入らないと解決はしないと思っています。無駄をすればするほど、景気がよくなるという経済の仕組みの通用した時代は、もうあきらめたほうがいいと思っています。技術と社会制度と、それに人々との考え方と、みんな一緒にならないと循環社会、新里山文明の時代は来そうにありません。 ―( 日だまりの風景 平成18年9月15日発行 大谷杉郎著 印刷所 太陽印刷工業(株)P106~P107より )(群馬大学工業会会報・平成11年3月 99)p95~p107より)。)
上記両者の意見には いわゆる資本主義は 社会主義同様 行きづまっているのではないか、新しい社会の、経済の在りようを模索する必要が有るのではないか との考えを暗示しているようにみえる。
もちろん、政治・経済の在りようについての総合的な考察は、大きな課題であるから、考察を進めるには 重い課題ということになる。 しかしながら、歴史は連続的に流れ、慣性の法則で動いている(再生核研究所声明 72 慣性の法則 ― 脈動、乱流は 人世、社会の普遍的な法則)とすれば、現状の問題点を分析することによって、在るべき方向が見えて来ると考えられる。
現在の世界を、アメリカ、EU, 日本など、いわゆる自由主義経済、資本主義社会、民主主義の国々、および、 ロシア、中国など、いわゆる社会主義の変化で 社会主義と資本主義の中間に位置する国々、および いろいろな国柄を反映させているその他の国々と考えてみよう。 社会主義国では、経済活動は国によって計画され、企画されて、人々を資本家から解放し、より平等で公正な社会を目指していると考えられたが、結果は産業・経済活動が停滞し、民生の遅れをもたらし、皮肉にも自由、平等、民主主義の理念から外れ、社会主義の理念は 内部から、崩壊し、より自由な経済活動を許す、解放経済の方に向かわざるを得なかったようにみえる。 これは自由な経済活動が、産業の活性化をもたらし、国や特定の機関の管理では、庶民の力を発揮することができないという、 いわば、人間の本性に根ざした原理から出ていると考えられる。
しからば、資本主義諸国の現状における問題とは何だろうか。 いみじくも、アメリカ,EU, 日本に共通する大きな課題は、 膨大な債務を抱えて、財政破綻の危機にさらされているということである。これは、民主主義の中で、庶民の意志を尊重するあまり、各国の政府が無責任な財政運営を余儀なくされてきたということに他ならない。 民主主義は衆愚政治に陥り、国家は財政破綻を迎えたと、旧社会主義や独裁主義国家から、嘲笑されかねない由々しき事態ではないだろうか。 自由を保証する社会は、そもそも人類の理想であるから、財政の立て直しによる、復活を願わざるを得ない。
しかしながら、資本主義社会で見られる、次のような現象については、大きな歯止めと警戒、対処が必要ではないだろうか。

債務の増大と金融不安、
過熱な自由競争の国際化、
過熱な投機の在り様、
行きすぎた世界的な経済活動、
行きすぎた世界の均一化、
多くの失業者の出現、
為替の急激な変動、
貧富の大きな格差、
アメリカなどに見られる 軍事産業の力、
大量生産、大量消費の在り様、
お金、お金の風潮の増大、
社会生活まで、共生より競争の世相、成果主義や評価、評価の厳しい世相、 
経済活動の環境、社会への大きな影響 など、

それらについて、関係する国際的な機関で 枠をはめ、より良い方向に誘導するような政策を進める必要が有るのではないだろうか。植物界でも動物界でも、自由に野放ししておけば良いとはならず、適当な手入れ、癌細胞などは除去するなど適切な処置が必要であるように である。― これは要するに、現状の自由を尊重する、資本主義と民主主義の在りようを評価して、そこから発する大きな歪を是正していこうとの 現実的な対応を志向するものである。
上記 (無駄をすればするほど、景気がよくなるという経済の仕組み)などについては 税率によって、 調整して行く と考えるのは 如何なものであろうか。
他方、ロシアや中国における在りようの問題では、いまだ自由の保証が十分では無く、人権、人間の尊厳の観点から問題が有るのではないかとの危惧の念を抱かせるが、それぞれの国には それなりの歴史と伝統、文化が有るのだから、軽々しく内政干渉のような態度をとらない姿勢が大事ではないだろうか。 アラブや、その他の諸国についても お互いに内政干渉を控え、いろいろな国による、多様な在り様、多様な文化の存続を尊重、重視していくべきではないだろうか。 いわゆる グローバリゼーションは 地球を画一化して、貧しい均一的な 世界を作り、 傾向として良くないと評価したい。 多様な世界を志向したい。

逆に民主主義の問題点を指摘して置きたい。 上述の様に国民に慮る故に 政府が弱く、政府が責任ある政治を進めることができない状況が起きているから、政治家の身分を安定的に保証して、責任ある政治に専念できるように配慮すべきではないだろうか。そのためには、首相や国会議員の任期を長くして、その間、身分を篤く保証することも検討に値するのではないだろうか。アメリカの大統領選出過程などは あまりにも 長く、現実的ではないのではないだろうか。多数の意見が広く表現できるのは良いが、無責任なムードのようなもの、世論で、 政治が歪められやすい状況について、警戒を要するのではないだろうか。 次の危惧を参照(再生核研究所声明 33: 民主主義と衆愚政治)。

以 上


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資本主義・社会主義・民主主義/J.A. シュムペーター

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資本の〈謎〉――世界金融恐慌と21世紀資本主義/デヴィッド・ハーヴェイ

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戦争と資本主義 (講談社学術文庫)/ヴェルナー・ゾンバルト

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ポスト資本主義社会―21世紀の組織と人間はどう変わるか/P.F. ドラッカー

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社会主義 (講談社学術文庫 511)/マックス・ウェーバー

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社会主義の誤解を解く (光文社新書)/薬師院 仁志

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空想より科学へ―社会主義の発展 (岩波文庫 白 128-7)/フリードリッヒ・エンゲルス

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自由と秩序―競争社会の二つの顔 (中公叢書)/猪木 武徳

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里山の環境学/著者不明

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里山ビジネス (集英社新書)/玉村 豊男

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